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○大寒の水

 冬の寒さが一番身体に堪える大寒の季節になると、朝顔を洗うのさえ水を使うのが億劫になります。でも主婦である妻は毎日朝・昼・晩と三食の炊事や後片付け、それに洗濯と、まあ水を使うことの多いこと、食器洗い機やハンドクリームが普及して昔のように手が荒れなくなったといいながら、それでも家族のためにマニュキアなどもせずせっせと働いてくれるのです。

 こんな日は早めに風呂を沸かしてと、勤めをしている妻のために最近は殊勝にも風呂を洗いガスボイラーのスイッチを入れてお湯を張る程度のお手伝いをしていますが、それとてもテレビに見入って忘れ、お湯をオーバーフローする事だってあるのです。一時が万事こんなことですが、妻は私をののしることもなく、笑顔で笑って毎日二人、多少のいさかいや喧嘩を私が一方的にするものの、まあ穏やかな老後を迎えているのです。


 1月20日から立春までを大寒というのでしょうが、、大寒に入り最近水が美味しいと感じています。冷蔵庫に入れなくても、蛇口から直接コップに汲み取って飲む水は最高で、外国のように水道水が飲めないことを思うと、日本に生まれて良かったとしみじみ思うのです。わが家ではこの頃を選んでお餅をつき、大寒の水に漬け込む習慣があります。昔は旧正月の餅つきは一族が集まり、大家族のために一俵以上の餅やかき餅を一日かけて賑やかについたものでした。


 つきあがった餅は2~3日すると大きな焼き物の瓶に入れられ、寒の水に漬け込まれ焼いたり煮たりしながら冬場の食料として沢山食べました。当時は粟やタカキビ、トウキビなどの雑穀餅が主で、白いもち米の餅などはそんなにありませんでしたが、母や祖母が火鉢の上で焼いてくれるかき餅やあられと共に子どもたちのささやかな楽しみでもありました。


 祖母から昔、「寒九の水」という話を聞いたような記憶があります。寒に入って9日目の水は薬になるからと、一升瓶に入れて保存していたのです。冷蔵庫もなかった昔のことだし、水のことゆえ腐りはしないかと心配しましたが、祖母の言うのには、この時期の水は雑菌や混ざり物が少ないので腐りにくいのだそうでした。今年は1月29日がその日なので、試しに「寒九の水」を汲み、飲んでみようと思っています。妻はそんなことを知ってか知らずでか手を赤くして、せっせと大寒の水で漬け込んだ水餅の水を2日に1回替えているようです。「お餅が焼けましたよ~」と台所から妻の呼ぶ声です。早速今朝は美味しい焼き餅を醤油と黄な粉にまぶして食べます。

  「大寒の 歯ぐき染み入る 水を飲む 何より馳走 喉を通りて」

  「大寒の 水に漬けたる 水変える 妻の手の甲 真っ赤になりて」

  「大寒の 水は薬と 逝きし祖母 言っていたこと 思い出しつつ」

  「蛇口水 飲める幸せ この国に 生まれたゆえの 幸せ感ず」

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○わが家のテレビもデジタル放送に変わりました

 テレビ画面の上や下に日常字幕スーパーが流れ、地上アナログ放送が今年の7月から地上デジタルに変わる旨の予告放送がされています。わが家でも昨年10年以上にわたって慣れ親しんだ地アナテレビが故障したのを機に、46インチもの大きな地デジ対応テレビに買い換えましたが、私の地域では山に囲まれた谷あいにあるため、長年テレビ強調アンテナを組合を設立して設置しているため、強調アンテナの地アナ対応工事が行われないと地デジテレビを購入しても見えれないのです。

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 最近その工事も無事終り、それぞれの家庭では既に地デジへの切り替えが始まっていると聞きました。早速わが家でもテレビを購入時にお願いした業者さんに、妻が切り替え作業をお願いしたようです。先日外出先から帰ってみると、何やら画面の映像が今までと違って鮮明になったような感じがしました。今は移行期間なので地アナも地デジも両方視聴できますが、地デジの画面は格段で、昨日は地デジで始めて大相撲千秋楽の模様を観戦しました。ごひいきの白鵬が史上3人目の5連覇を達成し、この日横綱白鵬に3人目の子どもが誕生するという喜ばしい話題をわがことのように喜びました。

 相撲界も野球賭博など一連の騒動がやっと治まり、稀勢の里や琴奨菊といった若い日本人力士が大関への足がかりをつかんでおり、国際化が進む大相撲にあって、やはり日本人力士の活躍は胸躍る感じがするのです。それにしても白鵬は謙虚さと強さを併せ持った素晴らしい横綱だと思います。暴行問題で引退を余儀なくされた朝青龍の荒々しい強さには及びませんが、土俵外でその行動が度々物議を醸した朝青龍と比べれば、伝統を重んじる大相撲の横綱としての気品溢れる態度は、立派というほかないのです。モンゴルからやって来て大横綱になった白鵬と朝青龍を比べながら、二人の何が違うのかを考えた時、やはり子どもの時代のしつけではないかと思いました。

 戦後の貧しい時代に育った私が言うのはおこがましいのですが、物の貧しさはハングリーとなって強い心を育てます。外国人力士の殆どは馴れない異郷の地に引き返すことすら出来ない不退転の決意でやって来ています。朝青龍はハングリーをバネに地位や名誉、物という豊かさを手に入れました。それは朝青龍の努力の賜物と誰もが認めるのです。しかし相撲にとって最も大切なのは相撲道といわれる奥の深い道なのです。一礼をして土曜に上がり、一礼をして相手と戦い、勝っても負けても相手に一礼をし、土俵に一礼をして館内を後にする姿はまさにフェアープレーの世界のように思うのです。山口県出身の豊真将という力士がいます。誰も言いませんが私は彼がその一礼の見本ではないかと思いながら見ています。名力士寺尾を師匠に持つ彼の一挙手は、やはり師匠の道の教えをしっかりと受け継いでいるからだと思いました。朝青龍の師匠は朝潮・若松部屋・高砂部屋ですが、白鵬の師匠宮城野親方の指導に加え、モンゴル相撲の頂点を極めた父親の教育こそ、白鵬の人間像を作り上げた根底のような気がするのです。人間は物の豊かさだけで一人前ではないのです。


  「デジタルに なればアナログ 懐かしく 時代の節目 両方満喫」

  「デジタルで 相撲放送 観戦す 白鵬強く 稀勢の里たち 活躍予感」

  「相撲道 奥が深いと いう人の 育ちの中に 親の生き方」

  「またひとつ 懐かしきこと 思うよな アナログテレビ 過去に押しやる」



 

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○情報化時代

 情報化という言葉をよく耳にするし、私自身も言葉にしてよく使います。ネット辞書で情報化の意味を調べると、「物や資本などに変わって知識や情報に価値が置かれ、情報の生産・収集・伝達・処理を中心にして社会・経済が発展していく社会。情報社会ともいう」と記されています。この意味どおり私のような田舎に細々と暮らしている者さえも、言葉の意味が分からなければかつては書棚から分厚い広辞苑を取り出し、ぎっしり詰まった文字を虫眼鏡で見ながら検索していたのに、ヤフーやグーグルから検索する手法を知っているだけで、広辞苑など開かなくても簡単にありとあらゆるジャンルのことが調べられるし、時にはニュースや天気予報、乗り物の時刻表や運賃、買い物まで出来るのですから、もう便利という他はありません。

 勿論その端末であるパソコンも最近は安く出回り、使い方を一度覚えるとまるで魔法の道具のように自分の頭脳として働いてくれるのです。しかしこの魔法の道具もウイルスに汚染されたり、好ましくない情報がはびこり、使い方を間違うととんでもない犯罪の温床にもなってしまうので、しっかりとガードを固めて使うことが求められて炒るのです。

 時代に乗り遅れたようなリタイアした初老の私にとって、情報化社会は便利さと不便さが混在して中々ついてい行けません。インターネット二節毒している端末のパソコンは、機械的道具なので故障もするし、電話回線で結ばれているため混線もします。その都度解決方法が分からない、つまり基本を学ばなくていいとこ取りをして使っているため、危機対応ができなくて深い悩みに陥ったり、時には故障して高い代償を払わなければならないのです。

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 一昨日私の元へ島根県に住む友人松島女史から2本のメールが相次いで届きました。ひとつは先日島根県雲南市へ講演に出かけた折、その模様が島根日日新聞に掲載されたスクラップ記事が添付で送られてきました。もうひとつのメールには当日取材に来ていたケーブルテレビのニュースが、⇒雲南夢ネット⇒掛合局⇒番組アーカイブ(1/18放送分)と検索すると、映像ニュースがタイムリーに見えるのです。

 私の素敵な顔と美声が2分間程度流れているのを見て、情報化はここまで進んでいるのかと驚きました。私にとってパソコンでDVDや動く映像を見ることはそんなに多くはないだけに、これからも少し勉強して新しい分野に挑戦したいと思いました。

  「新聞と テレビニュースが メールにて 送られ感心 しつつ見入りて」

  「近頃は インターネットで 何につけ 検索しつつ 事を運びぬ」

  「知らぬ間に いつの間にやら 情報化 波の間にまで 漂う羽目に」

  「祈りより 先にパソコン する私 今朝も書斎で ブログ一本」

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○子ども体験塾

 昨日は幾分寒さも和らいで、腰の具合も少し快方に向かっていることもあって、シーサイド公園で行われ予定の子ども体験塾へ、実行委員長としてボランティア活動に出かけました。9時30分からの開会というのに気の早い35人の子どもたちは、頭に三角巾を巻きエプロン掛けで集まっていました。いつもながらのことですがボランティアスタッフの多さや、受け入れを快諾してくれる漁協女性部の皆さんにはただただ感謝するばかりです。

 
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 私の開会のあいさつの後、赤石さんのオリエンテーションでたこ焼き、じゃこ天、UFOじゃこ天、鯛めしの4班に別れてローテーションが組まれ、子どもたちは順番に色々な作業に挑戦していました。今回始めて体験するのはUFOじゃこ天です。水仙まつりでは新聞に載ったこともあってかなり人気で、子どもの関心も高かったようでした。餃子の皮に指で水をつけじゃこ天のすり身とシラスやチーズなどをトッピングして餃子の皮を重ねて油で揚げるだけなのですが、これが何とも美味しくて、私も子どもたちに混じって体験しましたが楽しいものでした。

 子どもたちはそれぞれのコーナーで作ったものを試食できるとあって大はしゃぎでした。ラブじゃこ天、たこ焼き、UFOじゃこ天、鯛めしのおにぎりはもう最高な味だったようで、お土産までいただきました。

 シーサイド公園も私が造った17年前の頃とはすっかり様変わりして、高速道路無料化の影響もあって右肩下がりのようにも感じますが、漁協女性部と鮮魚店の活気は相も変わらずで、いつも行く度に色々なものをいただいて帰るのです。昨日は美味しいにぎり寿司をいただいたので、自宅の菜園で育てているカブとチンゲンサイ、それに小松菜をお礼に差し上げ大層喜ばれました。


 子どもたちへのふるさと教育は大切です。一年をかけて町内各地を訪れ、色々な人の温もりの中でふるさとの姿をすらず知らずの内に体得すると、子どもたちの心は穏やかに育つのです。子ども体験塾に参加している子どもたちは出会うと必ず言葉を交わしあいさつもでき、この町に生きている実感を見て取れるのです。子どもたちにとって、優しさや思いやり、協力することの大切さはこの時期にしか育たない大切な宝物なのです。


  「エプロンと 三角巾で 武装した 子どもの笑顔 何処かほのぼの」

  「進ちゃんと 愛称で呼ぶ 子どもたち 私も愛称 心を込めて」

  「たこ焼きや UFOじゃこ天 鯛めしも 満腹笑顔 賑やかでした」

  「女性部の 協力ありて 子どもたち 優しい心 すくすく育つ」

 

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○満月の関門海峡を通る(その5)

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館長さんと係長さんに行橋駅まで送ってもらい、九州の山並みに沈む真冬大寒の夕日に見送られながら日豊本線で小倉へ向かいました。

 築上町への行き帰り、久しぶりに福岡県小倉駅へ立ち寄りました。新幹線と在来線が入り混じっているため、地方都市とはいいながら駅周辺は都市計画に基づいた整備が進んでいて、動く歩道やコンベンションホールなど、目を見張るような施設が沢山あるのです。しかし行政のこうした箱物への先行投資も少し的がはずれ、人の入りやテナント入居率の低迷など、苦戦を強いられてしているようにも見えました。

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 小倉駅の北口を出て長い階上の動く歩道を通り地上に降りると、約1キロほど歩いただけで松山行きの船着場があります。少し早いとは思いましたが寒い時期ゆえ、また陽もとっぷり暮れて何することもないので、両手に少し重めの荷物を抱え徒歩でフェリー乗り場に到着しました。乗り場駐車場では乗船するであろうトラックやトレーラーが、係員の赤い懐中電灯棒の指示に従って誘導されていましたが、私が乗るであろうフェリーは既に着岸して大きな船体を横たえていました。プレハブのような待合室にお客はまだ誰も姿を見せていませんでした。

 そのうち時間が経つに連れてトラックの運転手さんが何人か、乗船手続きのため待合室に出入りするようになり、また乗用車と一緒に乗船する人たちも集まり始めました。それでも平日木曜日とあって乗客の数は数えるほどまばらでした。出航55分前の午後9時に乗船を許され船に乗り込みました。

 予約に基づいて買い求めたチケットには110ー6とプリントされ赤鉛筆で丸印がされていました。私の部屋は2等110語室、ベッド番号が6なのです。ベッドといってもシーツをつけた下敷きの毛布と上に着る毛布が一枚、それの枕が一個だけの簡単なものなのです。

 私は早速別途メーキングをして身辺を整理し、船内の風呂に向かいました。前日の往路便でもその日の復路便でも私が一番風呂で、汗をかくほどゆっくり入浴し旅の疲れを癒しました。風呂を出て売店や食堂のあるエントランスへ行くと、早くもあちこちで酒盛りが始まっていました。消灯が11時なので1時間半余りの束の間を皆楽しんでいるようでした。

 船内放送で関門海峡大橋通過は出航後20分過ぎと知らされました。寒さが身に染みるこの時期なので、そんな船内放送などで動こうとする物好きな人は誰もいませんでした。私は長い通路を通って船尾に出ました。この日は満月で、冬としては風もない穏やかな暗い海に船の航跡が見え、船の航路を示す灯台ブイの赤や青の点滅灯が鈍く光っていました。門司の灯りに続いて下関の明かりが見えてきました。門司は3年前、下関は昨年訪ねているので、特に下関は下関タワーや唐戸市場、赤間神宮辺りを頭に描きながら大橋通過を待ちました。

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 やがて雲間に見え隠れする月とともに本州と九州を結ぶ関門海峡大橋が姿を現しました。多分この海の下には何年か前歩いて渡った関門トンネルもあるのだろうと想像しながらゆっくりと通り過ぎる端を眺めました。月明かりの大橋はとても美しいものでした。先日島根へ行く時渡ったしまなみ海道の10の橋といい、来月4日に渡る予定の瀬戸大橋といい、日本の海峡や島伝いに架かる橋は美しいと思いました。

 船は関門海峡を通って瀬戸内海に入り、やがてスピードを上げながら目的地である松山を目指して満月の海を走り、私は部屋のベッドに横たわり、浅い眠りにつきました。 

  「行き帰り 小倉の駅を 見て歩く 随分立派 リトル東京」

  「橋通る 橋見上げるも それぞれに 趣きありて 感傷ふける」

  「満月と 大橋コラボ 見る機会 滅多にないと コート襟立て」

  「海人が ゆえに暗海 ただ一人 眺めて今日を 振り返りつつ」

  

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○京築地区公民館研修会に招かれて(その4)

 昨年の10月26日、大分県豊後大野市で開かれた大分県公民館大会記念講演以来2ヶ月ぶりに海峡を越えて九州へ渡り、今度は福岡県築上町で開かれた京築地区公民館研修会に行きました。日豊本線沿いに広がる京築地区周辺は私にとってある意味空白地帯で、訪ねたことも講演に行ったことも殆どない地域なので、多少ワクワクしていました。もう20年も前、ひょうたん型由利島共和国で開催した無人島キャンプで、瓶の中にメッセージを入れて子どもたちが海に流した漂流物が、築上町近くの行橋市の海岸に流れ着き、地図でその周辺を調べたことがある程度の知識なのです。

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 今回のテーマは「公民館として子どもたちの豊かな育ちのために」でしたので、子育てや青少年の健全育成について、集まった100人を越える参加者の前で熱弁をふるいました。私への講演依頼は地域づくりや女性問題など多岐にわたっていますが、中でも公民館活動や青少年の健全育成など生涯学習に関することは、私の最も得意とする分野なのです。

 本来なら講演の前あった2団体の発表を会場で聞きたかったのですが、腰の具合が今一で、講演に全体力を注がなければならないとの思いから、開会式や発表会をキャンセルし、暖かいストーブの横で暖を取りながら過ごしたため、講演中は腰の痛みも和らいで、何とか役目を果たすことが出来ました。

 
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 この日の講演演題は「子どもたちの豊かな育ちのために」でした。過去認識・現状認識・未来認識という3つの時代認識、子ども・学校・地域の問題という領域に隠された3つの問題認識を踏まえながら、10項目の家庭の変化について話しました。

 ①子どもの数が減った

 ②子どもの毎日が忙しくなった

 ③子どもの家庭的役割がなくなった

 ④子どもの遊びが変わった

 ⑤子どもの家庭的感動がなくなった

 ⑥子ども部屋が出来た

 ⑦物と金が豊かになった

 ⑧仏壇・神棚教育が消えた

 ⑨父親の存在が弱くなった

 ⑩家庭の最大の影響力がテレビになった

 

 その上において、教育=教育・共育・響育・協育・郷育の必要性について話しました。特に強調したかったのはふるさと教育と道の教育です。私はこれまで21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティアグループを主宰し、無人島に挑む少年の集いやふるさとを空から見る運動、丸木舟建造と瀬戸内海航海、竪穴式住居語り部の集い、大野ヶ原モゥーモゥー塾、ブーメランテーブル製作、10年で40回のフロンティア塾などなどを仲間とともに実践してきました。またふるさとを語れない子どもたちのために夕日や花やホタルをモチーフにしたまちづくりを実践してきました。これらは私設公民館煙会所や人間牧場という私的な施設と絡み合いながら連携し、今もふるさと教育と道の教育として成果を上げようとしています。

 パワーポイントやDVDを使ってそれらを熱を込めて話したつもりでしたが、僅か90分では少々心残りな結果となってしまったようです。でも集まった人たちは熱心に聴いていただき、よかったと思っています。


  「90分 思いのたけを 喋ったが デジタル時間 食って少々」

  「美しき 花を活けたる ステージで 負けず劣らず 熱弁ふるう」

  「90分 腰の痛みを 忘れてた これもひとつの 技術だろうか」

  「教育は 当て字使えば 色々と 意味も違って 説明便利」


 

 

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○パソコンに命再び

 日ごろ使っていたパソコンのキーボードに不具合が生じ、文字が変換できなかったり、スペースキーで文字変換が出来なかったりしたため、メーカーに電話すると保障期間が終わっているので、修理代約4万円の見積もりをされました。息子に相談すると「4万円を足して新しいの買い換えた方がいいのでは」と助言をしてくれましたが、「勿体ない」の意識が頭を持ち上げ、またかなりの量のデーターが入っている、いわば私の記憶装置なので、財布の中身と相談しながら思い切って「修理」を決断しました。

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 私が使っている機種はTOSHIBAのdynabookですが、メーカーから電話と代替として用意し使っているパソコンに電話とメールで指示や修理状況報告が入り、その都度指示に従って一喜一憂しながら千秋の思いでこの二週間待ちました。代替パソコンを友人の力を借りて用意したといいながら、使い慣れていないためとにかく何かと不便でした。日通航空が断衝材を入れた専用の段ボールを持って、パソコンを自宅まで採りに来てから丁度2週間が経った二日前の夕方、再び日通航空の方が同じ段ボールに入れて、修理の終わったパソコンを届けてくれました。

 修理代は代引きという約束だったので、あらかじめ支払い予定額提示の金額36752円を用意しました。私はこうした不測の事態に備えるため、郵便局からいただいている赤い郵便ポスト風の貯金箱に小銭を貯金しているのです。前回デジカメが壊れた時も、パソコンが故障して新しいのに買い換える時もこの貯金箱の下を開けてお金を取り出し使いました。今回も妻と二人で開封して集計すると6万円近くも入っていて、余るほどの金額に小躍りして喜びました。勿論妻は大蔵省の財布から出さなくても済んだため大喜びでした。

 荷物が届いた日はあいにく九州福岡へ出張する予定だったため、昨日帰宅して梱包を開けてパソコンを取り出しました。二週間ぶりに懐かしいパソコンとの再会です。電源コードを入れて通電し、インターネット用の回線を繋ぐと、パソコンは生き返ったように液晶画面にトップページが表示されました。嬉しくなり思いつくままに不具合だったキーボードを操作してみましたが、UもMもスペースキーもちゃんと作動しました。この2週間代役を見事に果たしてくれたNECのパソコンにご苦労様と言葉をかけて机の上から机の下の収納スペースに収納しました。さあこれから一分張り、パソコンに働いてもらいましょうか。


  「パソコンの 修理が終り 帰り来る 長い旅路を お疲れさまと」

  「修理代 代引き払う そのために 貯金箱開け 出費に当てる」

  「修理終え 私の頭脳 元通り 修復安心 飛躍を誓う」

  「10日余を 陰で支えた 代替品 役目終りて 収納場所に」

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○福岡県築上町で大楠の樹を見て感動しました。(その3)

 一年中日本全国を旅している私にとって、行く先々で出会う人や食べ物、さらには天然記念物・郷土芸能・景観などのお国自慢に出会うことも楽しみの一つです。最近は幾分かインターネットにも慣れ、気分転換のつもりでヤフーやグーグルの検索機能を使って、訪ね尋ねる先々のことを調べたりできるようになって、違った旅の楽しみもできるのです。

 築上町を検索していて目についたのは大楠の木でした。日本でも5本の指に入るという大楠の木に出会いたいと密かに思っていました。築城公民館に到着すると、職員の皆さんは100人を超える京極地区の大会の準備で朝から忙しく働いていました。事務所の丸いストーブの前に陣取りお茶をいただきながら手持ち無沙汰にしていると、女性の館長さんが「腰の具合が心配ですが、よかったら大楠を見に行かれますか?」と声をかけてくれました。これ幸いとばかりに係長さんの運転する車に乗って大楠を見に出かけました。

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 築上町は瀬戸内海に面した海沿いを一辺として英彦山近くを頂点とする二等辺三角形のような奥行きの深い2万人余りの町です。大楠は公民館から20分ほど走った本庄という場所にありました。途中町が買い上げ近く修復工事が行われるという、石炭で財をなした古くて立派なお屋敷の前を通りました。

 大楠は一度火災で焼けたそうで半分は枯れて空洞になっていましたが、故事来歴を書いた立て札には樹高23メートル、根周り22メートル、樹齢1900年と書いていました。西暦に匹敵するほど楠の寿命はあるのだろうかと、失礼ながら多少懐疑な気持ちで見上げましたが、根元をぐるりと歩き根元を見たり見上げたりしましたが、まさに神宿る日本を代表する大木で、身震いするような錯覚を覚えました。

 先週は島根県雲南市吉田町でたたら高殿の横で天を突くように立っていた桂の木も見ていて、相次いだ樹木のパワーに圧倒されてしまいました。 

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 その後瀬戸内海に面した椎田の浜を見学に行きました。CCZ(コースタルコミュニティゾーン)事業で整備した海水浴場はとても立派で、切り石を敷き詰めて造った傾斜護岸は私の町の人工海浜よりもグレードが高いようでしたが、残念ながら養浜手入れが今一で、せっかく入れた砂が沖合へ流失して砂浜がやせているようでした。背後にある綱敷天満宮の神社の松林が映えて、いい景観でした。駐車場も広く、夏になると大勢の海水浴客で賑わうことでしょう。

 世はまさに受験シーズンです。天満宮の梅の花は残念ながら見学することはできませんでした。寒さのために神社境内の出店も人通りがなく閉まったままでしたが、多くの受験生がお参り祈願して春を待ちわびることでしょう。

 私たちの町の前に広がるのも瀬戸内海、この町の前に広がるのも同じ瀬戸内海です。関門海峡を越えたまるでポケットのような瀬戸内海なので、沖合に山口県を見たり愛媛県を見ることはことはできませんでしたが、海で結ばれた不思議なご縁を感じました。


  「瀬戸内海 同じ海でも あっちこち 見る場所違い 違った海に」

  「長閑なり 海の彼方に 島影も 見えず水平 線だけ一本」

  「大楠の 木を見上げつつ 幾千年 年輪刻んだ 多さ驚く」

  「木のパワー 欲しいと願い そっと樹の 肌に触りて 腰にいただく」

 

 

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○腰に優しい船旅を選んで九州へ行ってよかった(その2)

 関西汽船に勤める盟友浜田さんの忠告を受けて、ぎっくり腰の養生のため今回の九州福岡行きの講演旅行は松山~小倉フェリー便を選びました。浜田さんのいきな計らいで行きは1023、帰りは1023と覚えやすい予約番号を取っていただきました。本当は特1か特2くらいにすればいいのでしょうが、貧乏暮しが板についている私は、船などの乗り物やホテルなどはいつも最下位ランクをキープするのです。安いというのが一番ですが、最下位ランクに乗り合わせるどちらかといえば庶民派の人は話題も豊富で、何かにつけてすごく社会勉強になるのです。往路で隣に乗り合わせた若い夫婦は、最初から最後までいちゃつきまくって、抱き合いながら毛布の中で怪しい仕草をしていて気になって仕方がありませんでした。

 片方には剃り込みを入れた一見やくざ風の兄ちゃんがビールを買い込み隣の布団の上でグイグイやっていました。車とともに乗船したので、明くる日の朝は酒気帯びではと心配するほどでしたが、隣の私にやたらと話しかけ、腰の具合が悪いのを心配してくれながら、「珍しいカバンじゃが中を見せてくれ」とか、「九州へ何をしに行くのか」とか、まあ賑やかな話に花が咲きました。

 酒に酔ったお兄ちゃんをしり目に、せんべいのような布団の上に横たわりウトウトしていると、お兄ちゃんは自分の毛布まで私の体にかけてくれました。嬉しいことでした。船は明けやらぬ午前5時に小倉港に着きましたが、急ぐ旅でもないので7時まで船内休憩し、酒を飲んでぐっすり寝込んでいたお兄ちゃんを起こし、別れを告げて下船しました。

 本当なら体力づくりのつもりで歩く船着き場から小倉駅までは、カバンもあるのでワンメーターながら運転手さんに断りを入れてタクシーに乗りました。小倉駅周辺は何度来ても通過するところなのですが、駅周辺はすっかり綺麗になって、動く歩道が長く続くなど大都会な並みの街なのです。何年か前駅に張られた観光ポスターを見て小倉城に行ったことなどを懐かしく思い出しました。

 小倉駅から日豊本線、中津川行きの各駅停車に乗り込みました。行く先は築城と書いて「ついき」と読むのです。築上町の築城ですからついつい「ちくじょう」と読んでしまい、小倉から12駅目の「ついき」「ついき」と口ずさみながら車窓を眺めていました。

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 小さな「ついき」という駅に降りると、駅舎の反対側のプラットホームの傍に大きな看板が立っていました。インターネットで築上町を調べた時に乗っていた大楠の木をライトアップした写真看板で、その根元ででコンサートをしている風景でした。

 駅舎の待合室には10人ほどが駅の用意した石油ストーブを囲んで雑談に講じていました。午前8時30分になるのを待って築城の公民館へ電話をかけ、早速係長さんが軽四箱バンで迎えに来ていただきましたが、私の出番は午後からなのに、何でこんなに朝早く来たのだろうと、大いに推察しながら、腰の具合を心配して図書室の隅にストーブを入れてもらい、のんびり過ごさせてもらいました。


  「夜行船 眠り起きたら 九州路 腰の痛みに 寒さが染みる」

  「似合ってる 俺にゃやっぱり 二等室 傍でやくざの 兄ちゃんイビキ」

  「語呂合わせ 行きも帰りも 23 予約番号 予言どおりに」

  「二等室 安い金額 更値引き 他人事ながら 赤字心配」


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○今夜から福岡県へ出張します(その1)

 島根県雲南市から帰ったばかりだというのに、性懲りもなく今夜から福岡県築上町へ出張します。明日は一日中福岡県で講演なので、帰りは21日の午前中になる予定です。私も腰の具合が今一なので気をつけますが今日から大寒とか、一年中で一番寒い時期なので、皆さんも風邪を引かぬようくれぐれも気をつけてください。

                                               人間牧場主 若松進一拝

○船内の風呂

 小倉~松山間は関西汽船が大型フェリーを運航しています。松山観光港を出発するのは午後9時55分とかなり遅い深夜便なので、自宅で食事を済ませ8時少し前に自宅を出発しました。海岸線の道を伊予市街~松前町~松山空港~三津浜~高浜と順調に走り9時前に到着しました。濱田さんから小倉航路を利用する人のために無料駐車場が用意されているという話を聞き、濱田さんから駐車場の場所を知らせるFAXまでいただき難なく駐車場へ駐車しましたが、駐車場が旅客ターミナルからかなり遠い位置にあるため、両手に少し重さを感じる木になるカバンや小道具類を入れたエコバックを提げての移動は、腰に負担がかかりかなりきつく冷や汗が出ました。


 予約番号で切符を買い求め乗船予定の30分前まで、頭上に置かれた2台のテレビを同時に見ながら過ごしていましたが、広島から最後のスーパージェットが到着し、顔見知りの人が降りて声をかけたり帰られたりしました。ターミナルの館内放送で乗船を促されましたが、エスカレーターを使うのですが、乗り場までの二階の通路は長く、これまた腰に堪えました。

 二等の大部屋に入り荷物を置くと、早速洗面道具とタオルを持って船内の風呂場に出かけました。そんなに大きな風呂場ではありませんが、フェリーの船内で風呂に入れるなんてとてもリッチなことなのです。船には私のような旅客だけの人もいれば車と一緒に乗り込む人もいます。私は一番風呂でした。そのうち4~5人入ってきましたが、いずれも常連客のように手馴れた様子でした。


 腰に違和感や少し痛みを持っているため、ゆっくりと温めるように入浴しましたが、入浴後は売店で少しの時間を過ごし部屋に引き上げ、大型トラックやトレーラが船内に入る度に地響きのようなものを感じながら出航を待ちました。余り早くに寝ると夜中に目を覚ますと寝れないので、隣に偶然席を得た人と雑談をしたり本を読んだりして過ごしました。

 この航路は九州へ行く時何度か利用していますが、船も大きく航路帯が瀬戸内海なので揺れも少なく、朝5時に小倉につく早さを除けばとてもいい船旅だと満足し、次の乗船はいつころになるだろうと思いながら、隣の兄ちゃんの話し相手になりました。


  「動く船 乗って風呂まで 楽しめる 次も乗ろうと 心に決める」

  「湯船湯が トラック乗る度 傾いて 身体漂う 右に左に」

  「二等には 二等の顔が 乗ってくる 俺も二等の 客筋自負す」

  「ゆっくりと 身体湯船に 沈ませて 腰を温め 湯治専念」

  

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