shin-1さんの日記

○明日という日は必ずやって来る


 待とうが待つまいが

 短かろうが長かろうが

 明日という日は必ずやって来る

 朝ふと目が覚めると

 寝ている間に明日が今日になり

 明日という日は必ずやって来る

 目覚まし時計の賑やかな音に気がつき

 ふと我に帰るとそこはもう別の日となり

 明日という日は必ずやって来る

 明日はこうしようと目論んで

 明日を思い通りにしようと思いながら

 明日という日は必ずやって来る

 

 毎日毎日繰る返すように決まってやってくる明日を

 どれ程夢見て来たことか

 明日という日は必ずやって来た

 次の日も次の日も

 その又次もまたまたその次の日も

 明日という日は必ずやって来る

 生きてれば明日が来るが

 死んでもずっとずっと

 明日という日は必ずやって来る


  「寝ていると 必ず明日が やって来る 寝ないで明日 来るのだろうか?」

  「考えも せずに明日が やって来る 気がつきゃ明日 今日に変わって」

  「寝る前に 明日はこんな ことしよう 思って寝るが 起きる時さえ」

  「歳取りて やっと思った 時間起き 出来るようなる 何年かかった」  

 

 

 

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○真新しい双海中学校を訪問

 昨日の昼過ぎ家の近くの双海中学校へ出かけました。不覚にも水曜日と木曜日を間違え勘違いして、評議員会を欠席したお詫びのつもりで、校長先生にお詫びがしたかったのです。双海中学校は昨年4月に、下灘中学校と町内統合して、まだ一年が経たない学校です。耐震基準に満たなかったため、本校舎は取り壊され新しい校舎を建築中で、職員室は運動場の隅に建てられたプレハブでしたが、既にそのプレハブも取り壊され、周景は整備中ながら、職員室も教室も新しい校舎に移転して、真新しい木の香りのする教室で授業が行われていました。

 まだ正式な受け渡しはされていない工事中なのですが、間もなく巣立つ今年度卒業予定の生徒たちに少しでも新しい校舎で授業をしてもらおうとの配慮で、また既に始まっている受験への供えもあって慌しい中での移転作業が年明け早々行われたようです。

 校長室へ案内され、木の香りのする真新しい部屋で校長先生と色々なお話をしました。アポも取らずに出かけたために、お詫びをして資料を貰い早々に引き上げようと思いましたが、運よく校長先生の案内で新しい校舎を見学することが出来ました。

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 「耐震」を意識した設計のため、私たち素人には理解できない筋交いが幾つも入って、それがやたらと目に付くのも今風なのかと納得しながら、安全第一で設計施工された総事業費4億円余りの校舎の一部始終を見させてもらいました。デジカメを持参して写真を撮りましたが、3月末の落成なのでブログでの公表は控えたいと自粛し、パソコンの内臓ソフトにしまい込んでおこうと心に決めました。

 真新しい壁の掲示板にお洒落な絵と文字の掲示がありました。誰が書いたのかも分からぬものでしたが、感心しながらデジカメに収めました。これならブログで紹介してもいいだろうと、思った次第です。


 わが家から双海中学校まで裏道を通ればほんの5分ほどで学校へ着きます。毎日中学生の剣道やバレーの練習声、校内放送、楽器の音などが遠く近くに聞こえ、子どもたちの気をいただいて暮らしていますが、学校を訪ね子どもたちの授業風景を見るとじかに気が伝わって、心がしゃんとしたような気持ちになりました。

 統合準備、統合と生徒も先生も慌しい日程や環境に翻弄された一年でしたが、これでやっと落ち着いて勉強が出来る安全な環境が整いました。いい子どもたちが育ってくれるよう祈りながら、校長先生の見送りを受け学校を後にしました。


  「間違えて 欠席お詫び するために 学校訪問 ばつが悪くて」

  「新校舎 入りて生徒ら 授業受く 冬の光が 優し窓越し」

  「耐震の 筋交いばかり 目に付いて 安全納得 したのはしたが」

  「冬耐えて 春の来るのを 待つ子らに 本物春は もう少し先」

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○昨日という日はもう来ない

 当たり前のことだが昨日という日はもう来ない

 毎日毎日今日が昨日になって

 昨日の積み重ねが自分の年齢になってゆく

 昨日を思い出してみる

 朝起きて寝るまで色々なことをして色々な人に出会った

 前の日と同じ24時間なのに同じようでも違うのだ

 一昨日を思い出してみる

 中々思い出せない

 明後日に至っては大まかおぼろげにしか覚えていないのだ

 せめて昨日だけでも記録しようと始めたブログ

 時には今日も加わり毎日昨日を書いてきた

 昨日がもう60冊を越えた


 時々思いつきアーカイブの中から検索し

 「ああこんなことがあったなあ」と懐かしく読みながら

 もう来ない昨日だった日々を思い出す


 昨日という日はもう来ないのだから

 しっかり生きてしっかり記録しようと思うが

 昨日を記録することは中々疲れるものだ

 私が記録したもののみが私の記憶となる

 記録しないものは正確な記憶とはならない

 「そんなことをして何になる」と思うが当面毎日続けている


 これが私の意志なのだとかたくなに信じ

 思いつくままに昨日を今日記録する

 昨日という日はもう来ないのだから・・・


  「当たり前 昨日という日は もう来ない 積み重ねつつ 66年」

  「昨日なら おぼろげながら 思い出す その前なると 思い出せない」

  「せめて昨日 だけでも記録 しておこう 思い始めた ブログ60冊」

  「もう一度 反芻しながら 昨日書く 他愛ないこと 毎日続け」

 

 

 

 

 

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○五行歌一月歌会

 毎月一回送り、送られてくる歌会の様子が、今月も主宰する見山あつこさんから届きました。いつもながら美しいペン字で女性らしい気配りの添え書きにワクワクしています。今月の出席歌一席はむる子さんの次の歌でした。

  樹齢を重ねた柊の葉は

  棘がなくなり丸くなる

  それでも

  花は馥郁として香る

  そんな人に私もなりたい

 ちなみに欠席歌の一席は吉岡健児さんの次の歌でした

  折れさうな心に

  よく効く薬は

  飲んではいけません

  耳を澄ませて

  聞くのです

 ちなみに私の歌は堂々の四席で次の歌です。

  暑い時には冬がいい

  寒い時には夏がいい

  春秋だけが丁度いい

  金があったらそんなとこ

  探して暮らしをしてみたい

 講評では「☆本音トークが作者の持ち味。加齢もあって暑さ寒さが体にこたえるようになった世代には共感の一首。夏は北国で、冬は南国等と考えていたら「フーテンの寅さん」を思い出しました。さあ、理想の暮らしを実現するために「宝くじ」を買いましょうか。」と添え書きがありました。まるで私の心を読んでいるようでした。

 五行歌を始めて半年余り、少しだけ明かり、でもいっぱい暗闇です。これからも修行したいものです。

  「半年が 過ぎたが未だ 体たらく 才能なきを 悟り諦め」

  「五行歌も やればやるほど 奥深く 明かりも見えず 暗闇ばかり」

  「一席の 歌なるほどと 納得す 四席これも まあまあ納得」

  「さて次は 思い浮かばぬ 浅智恵を 練り練り一句 駄作が出来た」 


 

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○一日違いの大間違い

 「今日は午前中コープえひめの理事会、午後は松山で打ち合わせ会、夜は双海中学校の学校評議委員会と忙しい一日になるな」と、自分に言い聞かせて午前午後の集会をこなし、夕方はやめの夕食を済ませて、午後6時40分に自宅を出て近くの中学校へ行きました。双海中学校は校舎建築真っ最中で、新校舎に移転したばかりの新しい室内での会議を楽しみにしていました。

 いつもは歩いて行くのですが、寒い時期なので軽四トラックを運転し、駐車場に車を止めて道の向こうの正門に行きましたが、何故か人の気配がないのです。出来て間もない正門のインターホンを使いましたがこれも応答なしでした。お菓子いいと思いながら開会予定の午後7時になっても門が開かないのは、会場が違っているか、日時が違っているかどちらかだと思い、薄明かりの街灯を頼りに通知文を封筒から取り出して見たところ、目を疑いました。


 私が木曜日と思っていたのは水曜日だったのです。私の木曜日の日の予定表に書き込んだ「双海中学校評議委員会(19時~」は一日違いの大間違いに始めて気がつき、私の早とちりで昨日の集会を無断欠席したことになるのです。家に帰って妻にそのことを話すと、明日にでも学校へお詫びしないと」というので、早速夜のことゆえ校長先生の連絡先も分からないので、中嶋教頭先生の自宅へお詫びの電話を入れました。前日だったら多分西予市での地域づくりグランプリ審査会の後、人に会う約束をキャンセルしてでも参加したのにと、自責の念に駆られました。

 この歳になっても老眼鏡の世話にならないほど目はいいと自認していながら、「水」と「木」の字を見間違えた愚かさを恥じました。そういえば最近、ブログのコメント欄に半角文字を入れる際、「6」と「5」と「8」と「9」、「1」と「7」、の数字がよく見ないと判別できにくく、入力ミスがたまにあってエラーが出るのです。勿論私の思い違いなのでしょうが、10.5ポイント以下の数字は虫眼鏡で確認したりしながら、間違わないよう入力しているのです。この歳になると数字を扱うことが少なくなり、間違う機会はそんなに多くはありませんが、それでも気をつけたいと思いました。

 変換ミスのよくある原稿も、漢字の一字間違いで大失態をした事だって何度かかります。墓と暮、右と左、裕と佑、風と凪、壊と懐、似たような文字なのですが意味は全然違っていて、使い方を間違えれば笑い話では済まされないのです。

 会議に出かけたはずの夫が直ぐに帰ってきた姿を見て、「あなたもおっちょこちょいで早とちりね」と、意気消沈した私を見て妻は笑っていました。

  「水と木 見間違えゆえ 大失態 一日遅れの 会にノコノコ」

  「この歳に なっても未だ おっよこちょい 妻に笑われ 学校笑う」

  「水と木 それにつけても よく似てる 一日違い 前後するゆえ」

  「すみません 間違えました 電話入れ 一件落着 次はすまいと」 

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○自慢の食を競い合う西予再発見地域づくりグランプリ

 私は仕事柄色々な地域づくりにかかわり、色々な役割を仰せつかっています。昨年から愛媛県西予市が「地域づくりグランプリ」という事業を立ち上げた時も審査員を依頼され、快諾したため早い時期から応募要項の作成などに知る限りのアドバイスをしてきました。そして昨年はイベントや伝統文化、郷土芸能など地域から応募のあった37件の中から、イベント部門では土居家観月会、伝統行事部門では御田植え祭りが、書類審査、審査委員会の議を経てそれぞれグランプリに輝き、昨年の3月18日表彰をしたのです。審査員の中で一番高齢なこともあって、審査いい胃腸に推挙され、表彰式では講評を発表させてもらいました。

 さて今年も昨年に引き続き、今年は「自慢の食を競い合う」をスローガンに、地域づくりグランプリ事業は継続し、私たち審査員も素人ながら食のプロを一名加え、昨年同様応募要項を作成して募集をかけたところ、料理部門39件、加工部門13件もの多数の応募があり、11月22日に第一回の審査委員会で書類審査が行われ、料理部門5件、加工部門5件、スウィーツ枠4件を選び、第一次予選通過に通知しました。

 前回同様今回も私が審査委員長になりましたが、食のプロが一人加わったためハイレベルな審査体制が出来、図らずも委員長としての重責を務めることが出来たようです。

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 昨日は施設の整った三瓶町福祉センターを会場に13時から16時30分まで、加工部門、スウィーツ部門のプレゼンテーションや試食を元に点数をつけ、また料理部門は調理室で目に見える形で直接料理して、プレゼンテーションや試食をして、無記名投票で審査しました。今回は市民審査員として地元各界の市民代表審査員も5人加わり、参加参画の公開審査となったのです。

 見た目や郷土の特徴などは比較的審査が出来やすいものの、食味はずぶの素人で、幾つも試食を重ねると味がボケてしまい、口を水でゆすいで審査をしたものの、残念ながら多少自信のない審査におわってしまいました。それでも皆さんの集計結果を見ると、それなりに見誤らない方向で点数をつけていました。別室でパソコンによる集計をして、高得点の順番にグランプリと準グランプリ、審査員特別賞を決めて市長さんによる表彰式が行われました。

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(1月28日付けの愛媛新聞記事)

 西予市も海抜ゼロメートルの海沿いの町から、高知県境に接する大野ヶ原までの町が合併してから早くも7年目を迎えています。市長さんはじめ市民の協働と参画の努力によって、地域づくりも順調に推移しているようです。この2年間審査を通して西予市といささかなりのかかわりを持ちましたが、西予市の地域資源の豊かさや魅力を肌を通して存分に感じることが出来ました。また情報発信能力も高まって、一歩先んじた地域づくりが行われているようです。

 栄えある賞に輝いた人も、ほんの僅差でグランプリを逸した人も、それぞれがよき思い出を作ったようです。昨日の模様は早速マスコミ各社が一斉に報道していて、テレビに写った私を見て、あるいは先進的な取り組みをしている姿を見て、その夜何本か私の元へ電話がかかり、メールが届いていました。


  「マスコミが 会場ウロウロ する事業 企画が良いと 新聞・テレビ」

  「会場は 料理番組 見てるよう みんな緊張 したよな顔で」

  「肝心の 味見が試食 なり下がる 腹が太りて 審査甘口」

  「挨拶や 表彰出番 用意され 委員長職 楽ではないな」

 

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○束の間に三瓶町須崎観音を訪ねました

 西宇和郡なのに八幡浜市と合併せず、物議を醸しながら東宇和郡と越境合併した三瓶町を訪ねました。三瓶へ行ったらあそことあそこは是非訪ねてみたいと空想しつつ、12時からの会合なので少し早めに出かけました。三瓶町は現在西予市になっていますが、私の町から行くには海岸国道378号を通り、三崎半島を突っ切って八幡浜を経由して小さな峠を越えるのが一番早道のようです。このルートだと八幡浜まで50分、八幡浜から20分そこそこで三瓶に着くのです。


 トイレ休憩をしようと立ち寄った海の駅潮彩館は水曜日のためあいにく休みのようでした。ここでは毎年豚のロデオが開かれたり、海の駅の屋外水槽にマンボウや亀を飼育していて、職員の方もよく知っているので少々がっかりしました。

 海の駅の町内案内看板を見ながら時間的制約もあるので、メダカの飼育場と須崎観音の相反する方向のどちらかを選んで見学しようと思いました。めだか飼育場は2度ほど訪れているので、須崎観音に決めました。朝立の新しいトンネルを越えて海沿いの集落を10分ばかり走ると、小さな須崎半島に着きました。

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 三瓶町へは弟の娘が嫁いでいたり、地域政策研究センターへ出向していた市役所職員の三好女史とのご縁で随分馴染みの町で何度か来たことがあるのですが、須崎観音は初めてなのです。国道から枝線の道に入り駐車場に車を止め、強風が吹いているためコートを着て歩くと、山際に33体もの小さな石造仏が等間隔に行儀よく並んで、突端の断崖絶壁にある観音様まで続いていました。

 途中道の上が何やら白苦く汚れていることに気がつきました。上空を見ると何十羽もの鷹が海から吹き上げる上昇気流を捕らえて飛んでいました。時折ガス爆発音が聞こえていたのは、周辺の段々畑の柑橘類を鷹が狙っているのを追い払うためのようでした。食害は困りますが、カラスならぬ鷹の一群をこれ程見たのは初めてなので、少しの間眺めていました。

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 展望台やトイレ施設も完備していて春の長閑な日差しの頃にもう一度訪ねたいと思いつつ、眼下や遠望を楽しみました。三瓶湾は天然の良港で奥が深く、黒潮が流れ込む海では養殖いかだが沢山並び、冬風が寒く吹き付けていました。観音様に手を合わせ早々に引き上げましたが、三瓶の魅力を再発見したような、何か得した気分になりました。

 同じ道を引き返す途中、何本か携帯電話が入りました。その都度狭い道なので空き地に車を止め、電話の対応をしましたが、移動する車の中で仕事の打ち合わせが出来るのですから、便利な世の中になったものだと納得しながら忙しくメモをしました。


  「訪ねたい 思いつきにて 訪ねたる 須崎観音 寒風の中立つ」

  「もがり笛 聞きつ岬の 細い道 コートの襟を 立てて進みぬ」

  「鷹たちは 上昇気流 拾いつつ 岬辺りを 低高飛びぬ」

  「三十三 道端並ぶ 石仏の 一つひとつに 慈悲の微笑み」 

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○噂話で再びガンにされた私

 「あんた○○知ってるかい」「私も人から聞いた話だけど、人に言われんよ」「言わんから教えて」と、まあ田舎は犬も食わない他愛のない噂話や立ち話が面白半分に飛び交います。もう10年も前の出来事ですが、健康診断で胆のうにポリープが見つかり、摘出手術のため一週間入院をした時の出来事です。胆のうが癒着していたこともあってその後の回復が遅れ、68キロあった体重は瞬く間に13キロも痩せて55キロに減ってしまったのです。大きく膨らんでいたゴムフーセンの空気が選ったように頬は痩せこけて顔は青白く、いかにも病気上がりといった感じでした。

 久しぶりにシーサイド公園の砂浜で病気前のように掃除をしていると、顔見知りの口の軽いおばさんが、「若松さん病気じゃったそうですが如何ですか?」と声を掛けてくれました。間髪を入れずそのおばさんは、「あんたガンじゃそうなが、どこのガンじゃったんぞな?」とドキリとするような質問を投げかけられました。「本人を前にどこのガンとはよくぞ聞いてくれました」と相槌を打ち、「誰から聞いたん」と尋ねると、「実は私も○○さんから噂を聞いただけですが、地元ではもっぱらの評判ですよ」と打ち明けてくれました。それにしても「あんたガンじゃとなあ」とは辛らつな質問です。


 昨日所用でシーサイド公園を歩いていると、偶然にも口の軽いあのおばさんに出会いました。私と10年前に交わした会話などすっかり忘れ、「若松さん体の調子は如何ですかと」と同じように声を掛けてくれましたが、別れ際、「ガンは転移して再発するかも知れませんので注意して下さい。あんたは双海町にとってなくてはならない人ですから」と言いながら立ち去りました。「なくてはならない人」と持ち上げてはいただきましたが、このおばさんは私がガンの摘出手術をしたと今で信じきっているのです。多分このおばさんはどこかで近いうち、いや直ぐそこで、「若松さんに会ったが顔色も良くて、ガンも一休みのようでしたよ」「ガンは恐ろしい病気じゃきん、再発しないように注意して下さいと言って分かれました」と言うに違いないのです。


 噂話の好きなおばさんに、噂話でガンにされた私は、二ヶ月に一回胆のう摘出手術を受けた県立中央病院へ健康診断に行っています。あれから10年が経ちましたが、再び同じおばさんにガンの宣告をされてしまいました。あのおばさんの頭には「若松の進ちゃんはガン」という情報がインプットされているのです。10年前「ところでどこのガン」とおばさんに質問され、シャクに触ったので「近眼(きんガン)」とジョークを言って中笑いし、「真っ直ぐ死んでも胃がん(いがん)で死ぬ」と言って大笑いをしました。笑いは「病は気から」の諺の通り健康にとって欠かせない妙薬のようです。


  「この私 噂話の 餌となる ガンにされては 笑う笑えぬ」

  「あのおばさん 今頃どこかで 立ち話 顔色いいが ガンは危ない」

  「はや10年 元気回復 顔色も たんのうしたと ジョーク飛び出す」

  「そろそろと お迎え順が 来る予定 おばさん当てが 外れ落胆」


  

 

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○人間の第三の枝

 私はこれまで、大小の旅をして日本列島のいろいろな場所を訪ねて歩きましたが、行く先々で数百年から千年にも及ぶ長い時代の風雪を生き抜いてきた、とてつもなく大きな巨木と呼ばれる杉や楠、欅、桂、松などの樹木に巡り合ってきました。巨木を目の当たりにする度に、その生命力の強さに深い感動を覚えると同時に、百獣の王といいながら高々百年しか生きることしか出来ない人間の短い寿命のはかなさをしみじみ思うのです。


 私が巨木と対峙して自分の目で見えるのは木々の容姿のみですが、足元の下つまり地中では網の目を張り巡らすように無数の大根・小根・細根が伸び、地上の樹木が生きて行くために必要な養分や水分を、調節しながら吸い続けているのです。かつて私は300鉢もの盆栽を育てた経験があるので、木の癖と同じように地中にも根に癖があることを知っているのですが、樹勢が強い木は必ず根も元気なようなのです。


 さて樹木の容姿を見て根の様子はある程度連想は出来ても、樹木の年輪の様子や木が生きていくためにどのようなメカニズムのドラマが繰り広げられているのかは、ネイチャーレクリエーションで聴診器で木の中を流れる水の音を聴いた不思議な感動以外、浅学な私には推測の域すら脱することが出来ず、到底知るよしもないのです。巨木を見ながらふと、自分の体には3つの枝振りがあるのではないかと思うのです。

 一つ目の枝ぶりは体本体です。人間の体は胴体と手足、それに首で繋がった頭で構成されています。容姿や顔が男前だとか美人だとか、あるいは足が長いとか短いとか言っていますが、五体揃っていれば十分なのです。二つめの枝ぶりである体の中身は、足の先から手の先まで張り巡らされた血管や神経が臓器によって動かされ、何処に何があってどんな働きをしているのか知らなくても生きて動き続けているのです。


 さてもうひとつの三つめの枝ぶり、それは脳の枝ぶりです。私たちは過去と現在に生き、未来に生きるのですが、過去というこれまでどんな生き方をして生きたのか、今どんな思いで生きているのか、これまで歩んだ人生が脳の枝ぶりと一致していることを知らねばならないのです。そして最も大切なことは、これから未来に向かってどんな生き方をしようとしているのかが問われようとしているのです。

 私たち人間は周りの環境によって生かされていることは紛れもない事実です。ゆえに自分の思ったように生きられないとついつい、自分の過ちの原因を周りの環境のせいにして、嘆いてしまうのです。自分の人生が上手く行かないと嘆く前に、自分の脳の枝ぶりを直すことや成長させることを考えなければなりません。つまり脳の枝ぶりをよくするためには、毎日三度の食事をするように、脳にも栄養を与えなければならないのです。

 脳の栄養とは何か、それは情報です。人間はネガティブな情報を入れるとネガティブな行動が生まれ、ポジティブな譲歩を入れるとポジティブな行動が生まれるように出来ているのです。私も遅ればせながらそのことに気付き、努力しているお陰で以前よりましな枝ぶりの人間に成長しているのです。老木ゆえ若木のような生長は望むべきもありませんが、それでも剪定や植え替え、施肥、水、土、空気によって枯れ早かれ枝を落としながら幾分か若返っているのです。


  「枝ぶりと 根ぶりに加え 第三の 脳の枝ぶり 肥料情報」

  「第三の 枝ぶり良くば 人生も ポジティブなれる わきまえ生きる」

  「今日もまた 脳に情報 肥料やる 少しだけだが ちょっとは進化」

  「さあ俺も 生きるからには しっかりと 残り少ない 人生だから」

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○下灘の水仙畑NHKテレビで放映

 昨日の夕方テレビを見ていたら、NHKのローカルニュースで下灘の水仙畑が紹介されていました。既に亡くなっている金山泰盛さんというおじいいさんが存命中に、みかん畑を伐採した跡地に夫婦で水仙の球根を植え込み、その跡を継いだ長男の洋一さんが立派に守っているのです。

 私と泰盛じいさんは始めのころ絶妙な名コンビぶりで、私が新聞やテレビなどに顔が利くことをいいことに、花の季節になると必ずといっていいほどマスコミに取り上げてもらいました。また車道もない急峻な地形の山坂道は滑りやすいので、片側に鉄筋棒を打ち込みタフロープで手すりのようなものまで、毎年作りに行きました。

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 泰盛じいさんは研究熱心で、水仙で有名な越前海岸から水仙の球根を取り寄せたり、水仙の出荷用に段ボール箱を作ったり、また当時は駐車場もないことから、地元に迷惑をかけないようにとかなり腐心をしていました。それでも毎年少しずつお互いが智恵を出し合い、コタツの中で泰盛さんと他愛のない水仙談義を楽しくしたものでした。今ではこの下灘水仙畑も愛媛県かではすっかり風物詩になって、厳寒のこの時期になると決まったように、マスコミが紹介してくれるのですから嬉しい限りです。この時期になると蛸壺漁で漁獲したタコをお礼にと、律儀にも届けてくれた泰盛さんの顔が懐かしく思い出されるのです。

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 泰盛さんはお酒が好きで、酒を飲むと陽気になって色々な話をしてくれました。一番忘れられない言葉は「水仙」という文字についてでした。「水仙は分解すると水・人・山と書く。その字の通り水仙は北向きの水気の多い土地を好むようだ。わしは水仙人になる」などとおどけて見せました。

 この時期水仙を見に来るお客さんが絶えませんが、時々ハプニングもありました。ある時役場に勤める私の所へ松山~電話がかかってきました。「急な坂道で転んだ。どうしてくれる」と憤慨の電話です。役場の職員もこんな電話が入ると馴れたもので、殆どの苦情電話は私に回されるのです。

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 電話に出た私も最初は平謝りが多かったのですが、時にはしつこいおばちゃんの食い下がりに心頭に来て、「水仙を見に来てくれと頼んだ訳でもないのに、転げたから保障しろとは何事か」と開き直りました。「あんたは役場職員のくせに横着だ。町長に代われ。あんたを辞めさせてやる」などと息巻かれました。居合わせ電話を変わった町長も私を援護して最後tなったこともしばしばでした。

 今もその急な坂道は、地元町会議員さんの熱心な請願でコンクリート舗装こそしたものの、相変わらず車は入らずのままです。でも車一辺倒の便利な世の中で、こんな不便さもまた一興です。急な山坂を登って振り向いた眼下に伊予灘の真っ青な海や豊田漁港、それに純白の水仙が風に揺れて、芳しくも清楚な姿を見せてくれるのですから、この上ない幸せです。

  「山坂を 登り振り向く 眼下には 伊予灘の海 港が見ゆる」

  「この頃に なると水仙 風物詩 テレビ新聞 タダで宣伝」

  「親の跡 継いだ息子が テレビにて 水仙語る 嬉しい話」

  「車では 行けない故に 意味がある こんな不便も 必要ですよ」

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