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○人間牧場は梅の花が満開

 春が来たと思いきや、このところ冬の寒さに逆戻りして毎日寒い日が続いています。裏山の向こうに住む友人亀本幸三さんから届いたメールには雪化粧したふるさとの写真が添えられて、春の足音を聞きつつもう少し我慢の日々が続く予感がしています。

 亀本幸三さんの住む大洲市田処と人間牧場は山ひとつで隣同士なのですが、滅多に雪の積もらないこの地でさえ、一昨日の朝は背後の山が白く雪化粧し、人間牧場のウッドデッキにさえ薄っすらと雪が積もりました。海沿いに面しているため直ぐに解けてしまいましたが、いやはや寒い一日でした。

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(人間牧場から見える背後の山も真っ白でした)

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(水平線の家のウッドデッキも霙交じりの雪が薄っすら積もりました)

 そんな寒さの中でも人間牧場の梅園の梅の花は満開で、今が見ごろと芳しい匂いを発しています。梅の花は桜のようなあでやかさはありませんが、寒さの中で凛として咲く姿は、花の少ないこの時期だけに趣があって、花に鼻を近づけると、何ともいえない安らぎを与えてくれるのです。

 梅林は静寂に包まれていますが、よく目を凝らして見るとメジロや鶯が沢山集まって、忙しげに枝から枝、鼻から花へと飛び交いながら花の蜜を吸っていました。梅の白い花とメジロや鴬のウグイス色は何とも心を和ませ、春を堪能させてくれました。

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(満開になった人間牧場梅林の梅の花)
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(メジロや鴬が沢山蜜を吸いに来ていました)

 今年も年明けから最近まで、スケジュールが込み合って、念願だった梅の木の選定の時期を逸してしまいました。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」といわれて久しい人間牧場の梅林ですが、持ち主に似ず幸せなことに働き者で、毎年梅の実を裏年・表年関係なく沢山実らせてくれていますが、春を向かえる度にいつしっぺ返しがくるか心配をしています。鼻のつき具合から考えると今年もよほどのことがない限り、人間牧場で使うほどの梅酒や梅干は確保できるだろうと、淡い期待を持っているのです。梅の木の下の蕗もそろそろ芽吹きの頃を迎えているようで、春はそこまで来ています。

  「山は雪 畑は梅の 花が咲く メジロ数匹 春が来たよと」

  「梅の花 鼻を近づけ 匂い嗅ぐ 何ともいえぬ 季節の巡り」

  「忙しい 日々の合間を ふと我に 帰らせくれる 梅の花たち」

  「今年また 剪定の時期 逸したる いつになったら 思いつくのか」

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○由並小学校五年生児童環境ポスター展始まる

 昨日の午前中、人間牧場へ行く途中ふたみシーサイド公園に立ち寄りました。一昨日の時ならぬ季節風に乗って打ち寄せたゴミが人工砂浜に沢山打ち寄せていて、係の人がキャタピラー作業車で掃除をしていました。6年前までだったらあの人に変わって、私がこのゴミを掃除していただろうと自分の姿をダブらせながら懐かしくなりました。北西の季節風もいよいよ終わりに近くなり、ホンダワラ(海草)の漂着も少なくなったように見えますが、作業をしている人は大変なようでした。

 市役所支所の松本さんと、由並小学校の中尾先生が、5年生の児童とともにイベントホールで環境ポスター展の展示をしていました。勿論見覚えのある子どもたちの顔々なので気安く言葉をかけながらポスター展示の様子を見守りました。私たちの子どものころは自分で下絵を書き絵の具で色をつけることしか出来ませんでしたが、子どもたちが作ったポスターは、パソコンで文字や図案を取り込んで色をつけ、それをスキャナーで読み込んで仕上げていて、何処かのデザイナーが作ったものと見まがうほどの出来栄えに驚いてしまいました。しかもコメント欄までパソコン文字で書かれていて脱帽しきりでした。

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 中尾先生とはかつて教育委員会で一緒に仕事をした中のよい間柄なので、おせっかいで口を出し、「折角いいポスターを展示しても人に待て貰わないとキャンペーンにはならないので、一人5人ぐらいに声をかけ、見に来てもらったらどうでしょう」と助言をすると、子どもたちは早速シーサイド公園で働く人や立ち寄った人に笑顔で愛嬌を振りまきながら、「僕たち、私たちのポスター展をしているので見てください」と声をかけていました。積極的なコミュニケーション能力に感心しながら嬉しくなりました。海岸に打ち上がった大量のごみといい、ポスターの展示場所としてシーサイド公園のイベントホールを選んだ発想こそ、生きた学習だと思いました。多分子どもたちが声をかけた人が何人か見学に来てくれることでしょう。


 ゴミをどこにでも捨てる日本人のマナーの悪さが目に付くようになってきました。ポスターを作る作業を通して育まれる子どもたちの美しい町をつくろうとする心は、私たちが大事に育ててやりたい思いなのです。ゴミを捨てない、ゴミを拾う、ゴミを捨てないように人に促す、ゴミを拾うように人に促す、ポスターはそんな意味が込められています。私たちが花を植えたり、美しい海や夕日を見て美しいと感じる心も、限りある資源を大事にすることも全て広い意味での環境問題なのです。子どもたちと一緒に美しい町をつくり、この町で幸せに暮らしたいものです。


  「このポスター 本当に子ども 作ったの? 見まがうほどの 素晴らし出来栄え」

  「進化した 子どもの頭脳 感心し ポスター見入る 俺は古いなあ」

  「ポスター展 見に来てくれと 誘う子等 折角展示 妻も誘いて」

  「ポスター展 次に繋がる 子が育つ 大人しっかり せねば恥ずかし」

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○大きな栗の木の下で

 レクリエーションで歌った経験のある歌に「大きな栗の木の下で」という歌があります。歌を歌いながら振り付けをして遊んだものですが、その歌を髣髴するような大きな栗の木が人間牧場の農場にあるのです。この栗の木は春になると一斉に若草色の若葉が芽吹き、夏には緑陰を作り、秋には見事な紅葉を、冬の枯れ木と四季を感じさせてくれる落葉樹なのです。

 栗の木は栗の実が稔ってこそその役目を果たすのでしょうが、実はこの栗の木の品種は山栗系で、沢山実はつけるものの残念ながら食用にしたことはなく、棘のある毬栗が木の下を埋めるだけの厄介者なのです。しかもその毬栗が隣接する他人の畑にまで落ちるものですから、何とかしなければならないと常々思っていました。

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 昨日は数日前の春を思わせる温かさとは一変して、戻り寒波に見舞われ山には里近くまで雪が積もるあいにくの寒い一日でした。滅多に雪が降らないし霜も降りない人間牧場ですが、季節風はそんなに強くないものの時折小雪の舞うあいにくの天気で、水平線の家のウッドデッキも雪で薄化粧していました。

 こんな日こそ体を動かせば暖かくなるだろうと、思い切ってチェンソーを持ち出し栗の気の伐採作業を始めました。チェンソーにガソリンとオイルをそれぞれ入れ、チョークを引いて紐を引っ張ると長い間使っていなかったチェンソーが甲高いエンジン音を山々に響かせて勢いよく作動し始めました。

 胸元辺りから枝分かれした枝を順番の切り落として行くのですが、調子よく面白いように作業がはかどりました。しかし栗の木にはおびただしいほどの小枝があって、それらを片付けるのに一人で半日もかかってしまいました。

 伐採した木々を放っておくと間もなく始まるであろう草刈りに支障をきたすので、小切りをしてそれらを一ヶ所に集めうず高く積んで行くのです。大ばしい枝を鎌で小切りする作業は予想以上に重労働で、日ごろ使っていない手や腕が悲鳴を上げ、時折かかってくる携帯電話を持つ手が震えるほどでした。昼食はシーサイド公園で魚屋さんとじゃこ天のお店で貰った鯛めしと野菜じゃこ天を美味しくいただき、一通り納得いくように片付いたのは午後3時を回っていました。

 大きな栗の木が根元だけを残して無残な姿になりましたが、これで梅林もすっきりして梅の木も丈夫に育つし、隣の畑の持ち主に迷惑をかけることもなくなりホッとました。

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 本当はこの栗の木に丹波か銀寄せのような優良品種を高担ぎすればいいと思っていて、山奥組のミツバチ支障の井上さんに内諾をいただいていたのですが、隣の畑の年老いたおばちゃんの草引きに迷惑をかけれないとの思いが先に立っての作業と相成りました。

 片付けた木々は暇を見つけてチェンソーで小切りして薪にする計画です。乾燥すればかまど小屋の燃料として日の目を見ることでしょう。何はともあれ私にとっては落ち葉集めと同じく、久々の大仕事となり、充実した一日でした。


  「木陰しか 役に立たない 栗の木を 思い切りよく まるで散髪」

  「小気味よい チェンソーの音 山々に 響いて春の 足音を聞く」

  「まだまだと 体力過信 したものの 最後はへなり 疲れありあり」

  「もし接木 するなら思い 残したる 枝に登りて 海を眺める」

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○久しぶりの呑み会

 昨日は今年最初の金融広報アドバイザー研修会が日本銀行松山支店で開かれました。金融広報委員会の会長を務める支店長さんも出席していただく会議なので、何はさて置き参加していますが、10人のメンバーも昔とは随分様変わりをしていて、弁護士さんやフィナンシャルプランナーなどなどバラエティに富んでいます。昨日は委嘱替えで新たにソプラノ歌手の二宮さんが加わり、いっそう異色になって面白い活動が期待できそうです。

 普通は昼食を挟んで午前10時から午後2時くらいまで行われるのですが、昨日の研修会は午後4時から始まりました。というのも日ごろは個人的に活動するメンバーなので、交流をしようと会費制の呑み会が計画されました。三越松山支店近くの地下に「橙」という一風変わったお店が会場でした。私はこの店を何度か利用したことがありますが、近くの100円駐車場に車を止め、薄暗い店内に入りました。案内された部屋へは私が一番でした。

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 午後6時に12人が集まり簡単な挨拶の後楽しい酒宴が始まりました。皆さんはとりあえずビールを注文し、酒の飲めない私は韃靼そば茶を注文し、先付けや和え物など和風創作料理が次々と運び込まれてきました。飲むほどに酔うほどに2時間飲み放題の酒宴は盛り上がり、日ごろ見れない人間性をさらけ出して語り合いました。部屋が狭いため席を移動して交流したのは私と支店長さんと事務局さんぐらいで、後の人は最初から最後まで定位置でした。


 2時間はあっという間でした。お開きの一本締めで解散し、モグラのように地下から地上へ出てみると、外は霙交じりの雨が降っていました。昨日からの寒さで、カーラジオから流れるニュースで川内~小松間の高速道路は通行止めになったと告げていました。私はヘッドライトの交差する国道を走って9時ジャストに帰宅しましたが、飲み会としては早い帰宅を喜んでくれた妻は、手づくりのギョーザを焼いてくれました。食事を終えていましたが、好物のギョーザは別腹とばかりに一皿食べたため少々食べ過ぎてしまいました。


 あれほど飲んだ酒も10年前にお去らばして、今は下戸を通しているため、酒席へ行っても全て車です。2次会への参加も殆どなくなり、まあ妻から優良亭主のレッテルを貼られるほど真面目な暮らしをしています。コーヒーも酒もタバコも賭け事も、勿論女もやらなくて、何の楽しみがあるのかと仲間から冷かされていますが、遠い昔となった若いころ、酒を鱈腹飲んで家庭を顧みなかった報いだと自省して、いい亭主になろうと日々精進している私なのです。

  「酒タバコ 賭け事女 コーヒーも やらぬ人生 何が楽しみ?」

  「早いのね 妻が一言 言いながら 玄関先へ 出迎えてくれ」

  「二時間も ソバ茶すすって 時過ごす 腹張りトイレ 二度も席立つ」

  「地下の店 モグラのように 外に出る 折から小雪 肩に積もりて」 

 

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○迷惑メールという名のメール

 一体誰がどんな目的でこんなメールを送り続けているのでしょう。私のパソコンには頼みもしないのに毎日のように、迷惑メールと称するメールが湯水のように届くのです。パソコンを使い始めた時息子が、メールの仕分けが出来るようセットしてくれて、機械的・自動的に迷惑メールと思われるものはふるいにかけられて、闇から闇へ葬る去られるようになっているのですが、機械のことですから何かの拍子で必要なものまで迷惑メールとなったり、逆に迷惑メールが必要メールと識別されて紛れ込んでくるのです。

 迷惑メールの全ては封を切られることもなく、また読まれたり見たりされることもなく闇から闇へ消えるのですが、規制がうるさくなったのか今は何年か前のようにもろに青少年に見せてはならないような写真などは見れなくなったようですが、パソコンを学校で習って詳しい青少年なら、見ようと思えば簡単に見えるだろうと思いつつ、紛れ込んだ迷惑メールに「レ」のような印をつけて無造作に消していくのです。

 そんな作業をもうどの位したでしょうか、それでも昨日も今日も相変わらず迷惑メールは届いているのです。

 そんなメールに混じって、少し毛並みに違ったメールが舞い込みます。スキルアップのためのソフトを売り込むメールです。「今はお試し期間」だとか、「今なら無料でプレゼント」とか、「あなただけに」という心情をくすぐるような枕詞が並ぶので、時々遊びのつもりで開いて見ると、確かに迷惑メールとは違った共感できる言葉が並んでいて、私のように人様の前で離さなければならない人間は、納得しながらメモを取ることだってあるのです。またブログのネタにしても良さそうなものもあって、いい意味での刺激を受けています。


 私はパソコンが苦手といつも自認しているため、できることならパソコンには触りたくないのですが、ある人から「パソコンは触った数だけ上手くなる」と言われたことがるので、パソコンアレルギーを克服するため、やたらとぱそこんに触っています。ある人の言った言葉はどうやら図星だったようで、触り過ぎてパソコンを故障させたことも何度かありましたが、パソコンを本格的に習ってもいないのに、娘婿と息子や友人の手助けをいただいたお陰で、メールの受発信、写真等の取り込み、年賀状やハガキの作成、文章作成、ブログ更新など、今時必要と思われる最低限の操作は行えるようになったのですから偉い新化です。

 最近では頻繁に頭を悩ませたトラブルも殆どなくなって落ち着き、娘婿や息子に電話をかけて助けを求めることも沈静化しているようで、内心ホッとしています。昨年末不具合が発生して故障したパソコンの修理も、自分で何とか対応をすることができました。今はパソコンの存在を忘れるほど日々の暮らしに組み込まれ、何の疑いもなくこうして毎朝パソコンに向かってブログを書いているのです。

 それでもパソコンに付きまとう不安は、いつも私の頭の隅に付きまとっているのです。歳をとると頭がボケるので、これもボケ防止と思い、これからも上手に付き合って行きたいと思っています。

  「迷惑な メール届いて 無造作に 開くことなく 闇から闇へ」

  「迷惑な メール一体 どんな人 送るのだろうか いつも不思議に」

  「パソコンは 触った分だけ 上手くなる 言葉信じて 触っているが」

  「パソコンと いう名の病気 とりつかれ 今じゃ毎日 麻薬のように」

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○電気製品の寿命

 わが家にはざっと数えただけでも、テレビ、洗濯機、掃除機、食器洗い機、ホットプレート、ミキサー、ドライヤー、冷蔵庫、パソコンなどなど、電気製品といわれるものが沢山あります。電気製品に囲まれ便利に暮らしていると、自分の体と同じようにいつの間にかそれらがあることすら当たり前になってしまっているのです。ところがこれらの電気製品にも寿命があって、時々故障したりして慌てるのです。電気製品が出始めのころは殆ど故障することもなく、もし故障しても修理をして使うため、修理に来てくれる地元の電気屋さんで首相高くても買っていました。

 最近は大型家電スーパーが近隣市町村に出来、車の普及や道路網の整備によって暮らしが広域化して、家電大型スーパーなどの安売りが目に入ると、ついつい買うようになってしまうのです。

 昨日の夜洗濯機が故障してしまいました。この洗濯機は2年前にも故障して、買ったお店へトラックに積んで持って行くと、店員さんがパソコンで検索してまだ保証期間中だったことが分かり、無償で修理をして持って来てくれました。今の電気製品の殆どはコンピューター制御になっているので、地元の電気屋さんでは修理が不可能で、むしろ大型家スーパーの方が対応が手っ取り早いようです。地元で買ってあげたいと思うのは山々ながら、今回は前回無償で修理をしてもらった恩義もあるので、二人で出かけてて買い求めました。

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 私たち素人には知るよしもありませんが、電気製品にはどうやら寿命があるようで、10年以上は持たないような設計がされているのではないかと思われる節があるのです。電気製品が長持ちすると、消費者たる私たちは多少時代遅れでもそれを使おうとします。そんなに長く使われると新品を買ってくれなく、電気屋さんが立ち行かなくなるからです。

 妻も洗濯機の今回の故障は想定内だったようで、容量7キロ、メーカーはモーターに強い日立と、金額は10万円以下と内々決めていたようで、リサイクル下取りや消費税を含めても予算内だったようで、妻のしたたかな生活設計に改めて感心させられました。

 この春から息子の家族が同居を始める予定ですが、息子たちが持ち帰るのは乾燥機つき全自動の洗濯機です。脱衣場へは春から2台の洗濯機が仲良く並ぶことになりました。もう少し長持ちしてくれれば無駄もなかったのでしょうが、選択は毎日のことゆえ、1ヶ月が待てないのです。こればかりは妻も想定外だったようで、修理をするかどうか迷ったようですが、また少しだけ勘弁して洗濯機につぎ込んだ出費を取り返さなければと、妻は財布の紐を締め直していました。


  「洗濯機 寿命きたのか 動かずに 困った挙句 購入決断」

  「もう寿命 想定内と 妻は言う したたか生きる 妻に感心」

  「便利だが 知らないことが 多過ぎる 今の世の中 電気囲まれ」

  「洗濯機 花嫁道具と 思ったが 今は暮らしの 必要道具」  

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○確定申告の時期がやって来た

 3月は確定申告の季節です。退職するまでは職場で年末調整の事務手続きをしてもらっていたので、そんなに木にすることもありませんでしたが、退職して6年間は毎年この時期にやって来る確定申告が何処か不安で仕方がないのです。

 まずこの一年間にいただいた所得を、所得先から送られてきている源泉徴収票に基づいて書き出します。年末からこれまでに送ってもらった徴収票は、妻に頼んで大切に保管しているので、講演など相手先に出かけた時のことを思い出しながらめくるのですが、過去一年間の出来事なのでそれぞれの記憶は殆ど薄れることもなく蘇ってくるのです。

 確定申告を書き込みながらいつも疑問に思うことが何点かあります。その一つは旅費に消費税が何故つくのかという疑問です。例えば岡山へ出張すればいよ上灘という最寄の駅を起点に、講演先までの往復旅費がかかります。これは実費なので消費税がかかると旅費が10パーセント足らなくなってしまうのです。10パーセントくらいで目くじらを立てることもあるまいと思うのですが、これが意外と馬鹿にならないため最近は必要経費として再掲していますが、はてさて疑問の館からは今も抜け出せていません。

 もう一つは消費税の疑問です。私の所得は講演料と給与に分かれています。給与といっても大学へ不定期に教えに行ったり、委員などの報酬なのですが、講演料は必ず10パーセントの源泉徴収がされ、3万円だと手取りは2万7千円なのです。ところが給与は源泉徴収がまちまちなのです。


 私の場合は、それらの下準備をした後、生命保険や火災保険の領収書、年金の源泉徴収表などを順番にクリップで留めて市役所支所に持って行き、役所の知人の助言を得て申告書を作成、書き込みが終ると認印を押してポストに投函するのです。

 数字の苦手な、そして税金のメカニズムなど殆ど分からない私ゆえ、この時期が来ると何故か憂鬱になり、この時期が終ると何故か一年が終ったような開放感に浸ることが出来るのです。この歳になってもいささかの所得があり、10パーセントとはいいながら税金を払えることは幸せなことだと妻はいいますが、これも税金を天引きされて支払っているための余裕でしょうが、やがてこの所得に基づいて市民税や国保税が支払われるので、安閑とはしておれません。

 年金や収入は増えるどころか減る一方なのに、税金などは一光に減りません。確定申告の時期はある意味自分たちの日々の暮らしの再点検のの時期でもあると思います。無理や無駄を省き賢く生きないと台所や財布は火の車になってしまいます。妻のやりくりに感謝しながら、来年もまた確定申告の時期を、せめて健康で迎えたいと思いつつ、確定申告の資料を郵便局のポストに投函し終えました。


  「申告を 深刻思い 整理する 年中行事 今じゃ一つに」

  「旅費にさえ 何故に税金 分からんな うやむやしつつ 今年も終る」

  「友人が いつも手助け してくれる 老いた親父も 税金控除」

  「税金が 払えるなんて 幸せと 妻は言うけど 俺は思わん」 

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○押入れの収納スペースを倍にする大工仕事

 今月で定年退職する予定の親友浜田さんが先日人間牧場の掃除に来てくれました。忙しいスケジュールをこなしていて、最近掃除も行き届いていなかったので、助け舟とばかりに押入れの掃除をしました。部屋の中に押入れは二つありますが、一つは私の自著本「夕日徒然草」や16ミリ映写機などを収めています。もう一つトイレの前に押入れがあって、そこへは夏に使う手縫いの大きな蚊帳が袋詰めにして入れられていますが、この仕入れの背が高いため、収納スペースを倍に出来ないかと思案した結果、2段に知ることにしました。

 早速従兄弟で製材業を営む共栄木材の西下芳雄さんの工場へ三日前に出かけ、端材をいただいて帰りました。今日は午前中スケジュールが空いていたので、親父の端材置き場で適当な算木を見つけ、親父の仕事場に置いてある自動カンナで削ってもらい、軽四トラックに積んで人間牧場へ行き作業を行いました。

 先日浜田さんが掃除をしてくれた押入れの収納物を外に出し、持参した曲尺で寸法を取り、慎重に鋸で切り分けて材料を作り、電動ドリルでねじくぎで固定して行くのです。

 器用な親父の息子だというのに自称不器用な私のことゆえ、人が見れば笑うような発想で、午前中の1時間ほどであっという間に仕上がりました。自分で言うのもおこがましいのですが、今日の出来栄えは想像以上で、早速収納してみましたが、一段目は少し重たいものを入れ、二段目には軽いながら場所を取る手縫いの蚊帳がスッポリは入るようになりました。親父の使っている鋸と金槌、それに電動ドリルだけでこれ程いい仕事が出来るのですから、道具を持たせるともっといい仕事ができるかも知れないと、いささか手前味噌ながら自信を持ちました。

 本当は今日あたり畑の隅の落ち葉を入れた苗床に算木を組んでビニールをかける予定でしたが、北西の季節風が強まって、寒さが増してきたため、早々と午前中で引き上げてきました。

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(押入れを2段にした私の火曜大工の腕前)

 材料となる端材は貰ったからタダ、ネジ釘は100円と、出費は限りなくゼロに近く、私の労働力もサンデー毎日故に暇つぶし程度で、押入れの収納スペースが倍になりました。日曜大工ならぬ火曜大工の醍醐味を存分に味わったので、次は作業小屋の収納スペースの改造を計画したいと思っています。この作業は端材では出来ないため、ホームセンターで材料を買い求め、起用と思われる仲間の協力を得たいと思っています。

 今までは器用な親父を当てにして、私は手を汚さず評論家に甘んじていましたが、そろそろ独り立ちしなければなるまいと、肝に銘じた次第です。


  「不器用と 思っていたが 出来栄えは まんざらでもなし 自分を褒める」

  「不器用と 言われて自分 納得を していたけれど 起用片鱗」

  「百円の 出費で収納 倍になる 智恵・汗出せば 結果おのずと」

  「不便から 便利生まれる 智恵袋 次々夢が ふくらむものだ」 

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○愛媛県立松山工業高校の卒業式

 昨日は私が学校評議員を務めている愛媛県立松山工業高校の卒業式があり、小雨ぱらつく中を出かけて行きました。通称松工といわれるこの学校へは息子三人が在学中に、PTA役員(常任理事1年、副会長1年、会長6年)として8年間も通いました。その後も学校へ講演に出かけたり、OB会である真砂会の会長などをしたものですから、未だに足を洗うことが出来ず深い関係を保っているのです。

 学校に着くと玄関先の来賓用駐車場へ、そして校長室へ案内されました。校長さんとは顔馴染みですが、校長さんは面白い人で、正月3日に八幡浜から松山の自宅まで70キロを、12時間かけて走ったり歩いたそうです。その想いと実行力にはさすがの私もただただ脱帽でした。

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 来賓席は知事代理の清家図書館長さん、県議会議員は共産党の佐々木さんが来られていて、私たち学校評議委員もその横に席が用意され、少々面映い感じがしました。

 今年の卒業生は東京タワーの高さと同じ数字の333人でした。一人ひとりの名前が呼ばれる度に卒業生の大きな「はい」という返事が体育館いっぱいに響き渡り、とても気持ちのいい卒業式です。ブラスバンドの奏でるクラッシック音楽も爽やかで、式辞・祝辞・送辞・答辞も全て完璧でした。何よりも嬉しかったのは実業高校らしく333人の卒業生の中で3分の1の110人が3年間皆勤という快挙を成し遂げて表彰されたことでした。昔は学校へ行きたくても行けなかったのに、今は学校へ行きたくないのに学校がある時代だと、少々ネガティブなじだいなのに、この数字はやはり校長先生たち教師の教えをしっかりと守り通学した生徒たちの頑張りなのです。

 思えば私もえひめ丸沈没事故で脚光を浴びた愛媛県立宇和島水産高校を、今から半世紀近い47年も前に卒業していますが、卒業式では皆勤賞と優等賞、それに産業教育中央会表彰という三つの賞を貰い、今は亡き母と一緒に蒸気機関車に乗って宇和島を離れました。その時母が一番喜んでくれたのは3年間休まなかった皆勤賞でした。学校へ行くのは当たり前ですが、学校へ3年間休まず通うことは並大抵のことではありません。風邪も引くし、腹も痛くなるし、時には行きたくない事だって3年の間にはあるはずなのです。

 息子たちもみんな皆勤だったことを思うと、どうやらわが家は頭脳は凡人ながら、頑張りだけは若松家の伝統のようにも思えるのです。

 就職氷河期といいながら松工は就職率100パーセントです。最近は進学も4割強を締めるようになり、時代の変化を感じます。制服も学生服からブレザーに変わりました。学校の施設も随分立派になって、101回目の卒業式も無事終りました。間もなく入学試験の難関を合格した生徒たちが満開の桜の下をくぐって入学してくることでしょう。毎年繰り返される学校の年中行事を見届けながら、「思えば遠くへ来たもんだ」と、校歌「百錬鉄と鍛えつつ・・・」を聞きながらわが人生を思ったりしました。

 今月は学校評議員をしている由並小学校、双海中学校の卒業式もあり、スケジュールが許せる限り出かけようと思っています。

  「半世紀 前に卒業 したことが 脳裏をかすめ 思い出されて」

  「皆勤賞 取って亡き母 褒めてくれ 蒸気機関車 宇和島離れ」

  「答辞聞き 思わず涙 頬伝う 卒業式は 涙が似合う」

  「それぞれの 道に進んで 行く子らに 心からなる 大きな拍手」 

 

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○親父の決断

 昨日の朝、私が書斎でパソコンに向かって文章を書いていると、親父がやって来ました。「相談がある」と言って椅子に座り、ポツポツと話し始めました。

 「このところ足や腰が痛く、目も薄くなって自分の体力の衰えを感じ始めた」

 「自分と同年代の人も殆ど死んでしまっていなくなり、話し相手が少なくさびしくなった」

 「自分の命もそんなに長くは持たない」などと、いつもと違った消極的な話です。

 聞けばこの10日余り、自分なりにこれからの短いであろう自分の人生を色々考えたようです。その結論として「特老に入った方が仲間もいるし身の回りの世話もしてくれるので」と思い、近くに住む二人の娘に相談したところ、「施設に入ったらもうこの家には殆ど帰れないからやめた方がいい」と、色々な人の話しをしたそうです。二人の娘は私たち兄弟夫婦に遠慮してか、「家族もよく面倒を見てくれるし、これ以上の幸せを求めたら罰が当たる」などと、私たちの親父に対する対応を褒めて話したらしいのです。

 その結果次のような宣言ともとれる言葉を私に話しました。

 「わしはこの家の畳で死ぬことにしたので、これからもよろしく頼む」

 「この家で死ぬということは、戸長であるお前の言うことをよく聞くから何でも言ってくれ」

 「あと1ヶ月したら孫や曾孫が一緒に住んでくれるという相談を受けて、これ以上の幸せはないが親子でもめな   

 いよう仲良く暮らしてくれ。孫たちが帰るのなら隠居を明け渡してもいい」

 「年金暮らしなので金はないが、わし一人暮らすのには十分だ」

 「畑仕事や庭の草引きくらいしかわしの体力では役に立たない」といいました。

 最近10年前に80歳で亡くなった母の夢をよく見たようです。そして母と夢の中で対話をして、この結論めいた決断をしたそうですが、薄れ行く記憶の中で、今しか自分の主張を信頼する息子に話す機会はないと思っての発言と重く受け止め、私も私なりに親父に話してやりました。

 「これから死ぬまで一生面倒を見るからよろしく頼む」

 「して欲しいことがあったら遠慮なく言ってくれ」

 「あまり無理をするな」

 「家族と楽しく暮らそう」でした。

  「この家の 畳で死にたい 言う親父 母と相談 夢の出来事」

  「人は皆 歳とり一度 死ぬ定め 俺の将来 見ているようだ」

  「人生を 悟った親の 言う言葉 長男ゆえに しかと受け止め」

  「貧乏を 物ともせずに 生きた父 しっかり看取り 生かせやりたい」 

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