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○ 孫と春休みを過ごす

 小学校や幼稚園は年度替りが近づいて、春休みになっています。松山に住む孫たちや親にとっても春休みはどこかホッとする時期なので、2~3日わが家で預かることにしました。昨日の午後小学2年生の孫朋樹と3歳の尚樹を迎えに行きましたが、娘は仕事で娘婿が午前中子守をするということでしたが、少し手違いで昼食を挟んだため、マンションの駐車場で2時間近くも待たされました。昨日は少し肌寒かったものの穏やかな天気に恵まれ、3人で歌を歌いながらわが町へ帰って来ました。

 家に着く前に急な思いつきでこの3月で退職する予定の和田翠小学校長先生を学校に訪ねることにしました。運よく校長先生は職員室にいて面談しようとしましたが、孫尚樹が私を呼んだのに対応することが出来ず話し込んでいたため、おしっこをお漏らししてしまい、結局はその対応で込み入った話も出来ず失礼しましたが、この辺りへは時々来ている朋樹の発案でイチゴ狩りをすることにしました。

 大畑さん宅のイチゴ円に顔を覗かせ、午前中団体客が入って品薄ということでしたが、無理を言って入園させてもらいました。孫たちは大喜びでイチゴハウス内を行ったり来たりしながらイチゴをもぎ取り、盛んに食べていました。

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 私も4~5個食べましたが、この時期のイチゴは日照時間もたっぷりで、甘くて美味しく3人とも大満足でした。イチゴ園の奥さんの計らいで山のように一パックのお土産まで貰い、この上ない一日となりました。

 いつもは二人だけの静かな夕食なのですが、孫が来ると何かと賑やかだし、料理のバリエーションも増えて食卓の上には質素ながら日常以上の料理が並んで、孫と過ごす妻の喜びや意気込みが伝わるようでした。

 一緒に風呂に入り、一緒の布団に寝て孫たちと色々な話をすることはとても楽しく、あっという間に一日が過ぎ去りました。今日は長男の嫁と孫希心、それに奏心が昼前にやって来て、昼食時と重なりまあそれは賑やかで、まるで蜂の巣を突いたようでした。4月末か5月から長男家族が同居するため、こんな状況が続くのかと思うと、少し憂鬱少し楽しみといったところです。


 子どもの泣き声や笑い声が聞こえることは素晴らしいことです。わが家もまだ2人の息子が身を固めていないのが少々気になります。私たちが元気なうちに孫の面倒も見てやりたいと思う親の気持ち子知らずで、相変わらずその前兆など微塵も感じさせてくれないのです。結婚が全てではないもののやはり子どもの将来のことを考えると、何とかならないものかと妻は相変わらず愚痴っているようですが、こればかりはどうしようもないのです。

 さあお約束のあと二日間、よきおじいちゃん、よき育爺ぶりを発揮してせいぜい楽しみたいと思っていますが、一オクターブ高き子どもの声はほとほと疲れるもののようです。

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○春が来た

 宇和島市などは桜開花の一番乗りを目指して、様々な取り組みがされて開花宣言されたものの、今年は桜の開花予想が大幅にはずれ、いつもの年も他の地域より遅れて咲く私の町などはまだ固い蕾のままなのです。それでも桜の木々の枝は確実に赤みを帯びて、朝晩は底冷えがするものの開花の予感を感じさせてくれるのです。

 家庭菜園の冬野菜類も完全に春モードで、ブロッコリーやチンゲンサイ、カブなどは黄色い菜の花状となってトウ立ち状態になってしまいました。これらの菜の花もそれなりに美しいのですが、変わった目で親父から見れば見苦しく、早く片付けるようにと再三再四教育的指導の言葉が私に向かって発せられるのです。

 2~3年前までは耕運機も使い足腰もしっかりしていたので、私など相手にもせず一人で黙々と片づけをしてくれていましたが、さすがに90歳の大台を超えると、機械類は危なくて使えず、地中深く根を張った根菜類を引き抜く馬力もないため、口だけは元気なこともあって、私の力を頼るのです。

 毎日家庭菜園で野菜を収穫している私としても同じようなことを考えているのですが、ついつい延び延びになっていましたが、昨日の午前中思い切ってチンゲンサイとブロッコリー、カブなどの残菜を引き抜き、周りの雑草を鍬でかき集めて、畑の隅のつつじの根元にうず高く積んで処分しました。それでも大根は首を切ったままトウが立つこともなく残っているので、2本ばかり引き抜いて掘った穴の中へ首から上を出して埋め込みました。こうすれば20日間くらいは美味しい大根が食べられるのです。

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 耕運機を倉庫から取り出し、エンジンをかけて土を堀り起こす作業を始めました。かろやかなエンジン音が山々に木霊して、まだ下手糞な鳴き声しかできない鴬の鳴き声をかき消していました。私が耕運機で耕していると、どこからともなく一羽のカワセミがやって来て、掘り起こした土の中から出てきたミミズを啄ばんでいるのです。エンジン音にも私の気配にもまったく動じず私の後ろをついて歩くカワセミの姿についつい嬉しくなりました。

 実はこのカワセミは我が家の近くに住んでいるらしく、わが家の庭や屋根に止まっているところを良く見かけるし、ブルーベリーの実を盗んで食べる私にとっては憎っき鳥なのです。この鳥のお陰で今年の春は親父がブルーベリーの周りに食害用の防鳥ネットを張ってしまったのです。カワセミにはそのことへの侘びを含めた、ミミズの恩返しとなりました。

 2時間ほどの作業ですっかり家庭菜園も綺麗になり、あとは一雨ごとに温かくなる春の雨を存分に吸わせて畝を作り、20日もすればナスやキューリ、トマト、オクラ、ピーマンなどの夏野菜の苗を買ってきて植えるのです。毎年の事ながら得てた野菜もありますが、トーモロコシや大豆のようにいつまで経っても不得手なものもあります。今年こそはこれらの野菜にも挑戦したいと思っていまが、親父の目に叶うかどうか心配です。

 昨日辺りからすっかり春めいてきました。里にも待ち遠しかった春が来て、畑仕事が待ち受けています。今年も体に十分注意して元気に頑張りたいと思っています。


  「春が来た 冬の野菜を 片付けて 耕運機にて 土をならしぬ」

  「地中より 出てきたミミズ 啄ばんで ちゃっかり生きる カワセミ傍で」

  「同じこと 毎年春に 繰り返す またまた一つ 歳を重ねる」

  「陽だまりで 温もり感じ 日向ぼこ ついウトウトと 親父過ごしぬ」


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○新品の草刈機を購入しました

 もう20年近くも使っているわが家の草刈機もどうやらそろそろ寿命かなと、春や夏が来ると思いつつこの4~5年自分で修理をしながら使い続けてきました。人間牧場へ草刈り作業に出かける度に、家の裏の草を刈る度に、「そろそろ寿命」と独り言を言ったつもりでしたが、その独り言を妻は聞いていたようで、昨日の昼「お父さん機械類は事故でもあったら大変なので、草刈気を買おう」と勧めてくれ、二人で伊予市の永井農機具店へ出かけました。このお店は2年前に親父が耕運機を購入したことのあるので、馴染みといえば馴染みなのです。


 私としては今使っているタイプがいいとイメージしつつ店の中へ入ると、若い女性の店員さんが展示している草刈機の前へ案内して、最近の草刈機事情を話してくれました。全国では草刈機による事故が相次いで最近は安全基準が年々難しくなっていると聞きました。残念ながら私のイメージしていた草刈機の姿はもう何処にも見当たらないのです。

 仕方がないので店員さんの勧める2種類の中からホンダの草刈機を買うことにしました。5万8千円の品が特価で税込みの3万8千円だそうです。

 「暫くお待ち下さい。調整をしますので」と男の技術者が呼ばれ、鋸のような刃を取り付けエンジンにオイルとガソリンを少しだけ入れて始動の仕方を指導してくれました。今までの草刈機は混合油でしたが、今回買い求めた草刈機はガソリンだそうです。音も静かですが気になるのは安全装置がやたらと多く、作業効率が悪いと直感しました。わが家の草刈り場は急峻で足場が悪いところが多いので不満でしたが、店員さんが言うとおり「足場が悪ければ悪いほど危険度増すので」の言葉には納得しました。それにしても3万8千円は、年金暮らしのわが家にとっては少々高い出費です。それを許して買ってくれた妻に感謝しながら、今年もいよいよ草刈りのシーズンが来たと思いつつ、「今年もがんばろう」と思いました。

 草刈機の寿命は使う頻度や手入れによっても異なりますが、せいぜい10年です。ということは私が手にする草刈気はこれが最後か、若しくは元気でいれば10年後にもう一台といったところなのです。機械類は運みたいなものもあって、調子の良いものに出会うと、今使っている草刈機のように20年でも持つのです。逆に調子が悪いのに出会うと寿命が短いのです。

 早速近々にガソリンを購入して人間牧場の草刈り作業を始めます。

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○日本人へのまなざし

 私が日本人であることを初めて意識したのは、18歳の時宇和島水産高校の実習船えひめ丸でオーストラリアの近くの珊瑚海まで遠洋航海に出かけた折、イギリス領ニューへブリデスエスピリッツ・サント島という島へ、物資補給のため立ち寄った時でした。

 敗戦の傷が癒え、日本が高度成長に向かって走り出していた昭和37年の出来事でした。それまで遠巻きにしか外国人と接した事のない私にとって、異郷の土を踏むのも外国人と握手や会話をしたのも勿論初めてだったので、胸の高まりは想像以上でした。外国という土地で外国人と接し、自分が日本人であることを自覚したのです。

 その帰路、日本を間近に望む伊豆半島の沖合いで冬としては珍しい980ミリバールの低気圧の洗礼を受け、マグロを満船しているえひめ丸は木の葉のようにさまよいました。船長以下乗組員の必死の努力によってどうにか脱出した朝ぼらけの海の向こうの水平線に富士山の姿を見た時、日本に生きて帰ったことの喜びが沸き起こり、日本という国に生まれたことをしみじみと思ったものでした。

 そしてその12年後、ジョン・万次郎に憧れ30歳で総理府派遣第10回青年の船で建国200年のアメリカへ渡った時も、サンフランシスコで日本が真ん中にない世界地図を見て日本人であることを意識しました。

 実習船えひめ丸の感動か49年、青年の船にっぽん丸の感動から36年経ちましたが、東北・関東大震災が起こり、そのはずみで福島原発事故が起こって18日目を迎えるこの時期に、最近日本という国に住んでいることを考えさせられるようになりました。

 一つは粉雪舞う厳しい寒さの中にありながら、被災地の人々の静けさです。6年前ハリケーン・カトリーナに襲われた米ルイジアナ州では群集が店のドアを蹴破り液晶テレビやバスケットの練習台まで盗み出したのです。昨年の中米ハイチ地震でも住民がスーパーなどから勝手に商品を持ち出しました。

 日本の今回の地震でも実際には主身や詐欺といった被害が出ていますが、群衆によるものではなく、海外の感覚からすると暴徒化しない日本の被災地の静穏さはそれだけで賞賛に値するのです。水やガソリンが多少品薄になってはいますが、あからさまな便乗値上げもなく、店の前に何時間でも長い列をなして待つ姿は、日本人の心をとても印象的に写し出しているのです。

 しかし一方で福島原発の事故は、唯一の被爆国である日本にとって戦後66年目の大きな汚点となりました。地震や津波の引き起こした事故とはいいながら、安心安全と原子力に無知な国民を納得させ、安易に原発を作り続けたことや、東京電力という巨大独占企業の無責任さが混迷喉を深くしているのです。


 東北の被災地の人たちの姿を思うと、日本人に生まれて良かったと誇りに思い、福島原発の事故を思うと日本人は大丈夫だろうかと憤りを感じる、この相反する思いは安全を誇った原発から上がる白煙や報道を見聞きする度に、今後しばらくは私の心の中で葛藤することでしょう。

 外国の人々は被災者たちの沈着で節度のある態度に賞賛を惜しまず、リップサービスでない支援をしてくれています。苦境にあっても天を恨まず運命に耐え、怒号も喧嘩も起きない避難所の助け合う姿は、平和な暮らしに馴れた私たち非被災者に大きな教えを与えてくれているのです。がんばれ日本。立ち上がれ日本人。

  「略奪も 怒号もなくて 静かなり 被災者姿 日本の誇り」

  「霞立つ 霞ヶ関は 責任を 逃れてばかり 腹が立ちます」

  「日本人 捨てたものでは ありません 外国メディア 不思議まなざし」

  「少しだけ 少しだけれど お裾分け 復興願い カンパしました」

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○とりあえずブログをプリントアウトしました

 あと3日も経てば激動の平成22年度も終わり、新しい23年度となります。サンデー毎日の私には年度など殆ど無縁だと思うのですが、どうしても今年度中に片付けておきたい気になっていることは、昨年の1月1日から今日まで、書き溜めているブログの記事のプリントアウトが出来ていないことです。これまでの記事はデジタルでしっかり保存できていて、読んだり調べたりしようと思えば簡単に呼び出せるのですが、ペーパー時代に育った古いタイプの人間ゆえに、ペーパーにして傍に置かないと不安で仕方がないのです。

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(2010年と2011年分のブログ記事)

 昨年1年で1月65本・2月58本・3月62本・4月60本・5月63本・6月60本・7月62本・8月63本・9月60本・10月62本・11月60本・12月64本と739本、今年に入ってから3ヶ月間で1月63本・2月56本・3月57本(今日現在)合計176本と驚異的な本数の記事を書いているので、一口にプリントアウトしたいといっても、合計915本の印刷は時間がかかるし、おいそれとは出来ないのです。でもやろうと3日前から心に決めプリンター用の純正インクカートリッジとコピー用紙を買い込んで始めました。このところパソコンもプリンターも絶好調なので、時には作業が深夜にまで及びながらも、今朝の午前1時に全てのプリントアウトを終え、毎月毎にダイソーで買った3冊100円の紙のファイル表紙をつけて、14冊の綴りがとりあえず出来上がりました。今3月号は4月に入ってやろうと思っています。作業でヘトヘトになったので、今後は心を入れ替えて毎月小まめにやろうと心に決めたのです。

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(人間牧場水平線の家の長い書架にはブログ記事がぎっしりです)

 今日はそれらを軽四トラックの助手席に積んで人間牧場へ運びました。そして長い書棚の一角にこれまでのものと合わせて置きました。冊数は今月の分が入ると丁度区切りの良い70冊になるようです。人から見れば他愛のないことかも知れませんが、私にとってはリタイアした後の自分の日々の生き様を書いた記録ですから、とても貴重な自分史でもあるのです。

 人は誰でも今という時は覚えています。しかし一週間前や一ヶ月前のこと、ましてや一年前や二年前のこととなると殆ど思い出せないのです。ブログは今を記録する最大にして最高の手段だと思います。今は価値など無に等しいのですが、記録は何年か後には貴重な資料になるはずです。文字を筆やボールペンなどで書く時代にこんな膨大な記事は書けなかったし保存も出来なかったことでしょう。幸いアナログからデジタルへと変化する時代に生きていたことが可能にしたのですから、これからも出来ることなら書き綴って行きたいと思っています。


 今はプリントアウトしてとりあえず綴るだけですが、そのうち暇でも出来たら月々の綴り毎にテーマを呼び出して目次をつけたいと思っていますが、これもいつのことになるやらと思っています。念願の整理を終えて新年度を迎えることが出来そうで、今はホッとしています。

 それにしてもプリンターのインクはかなり高くついて、年金暮らしの私の財布を直撃してしまいました。何とかいい方法はないか思案中です。


  「とりあえず ブログの記事を プリントし 新し年度 迎えられそう」

  「へエー一年 739本の記事 書いたとは 自分ながらに 驚きました」

  「アナログな 人間ゆえに 紙なくば どこか不安で やりきれません」

  「プリントを 終えて疲れが どっと出る 来月からは 毎月やろう」

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○吊り雛飾りを見に行きました

 旧中山町と旧双海町の境に犬寄峠があります。かつては国道56号線の交通の難所でしたが、昭和40年代に犬寄トンネルが開通して一気に便利になりました。しかし曲がりくねった旧道沿いは最近開通した高速道路の賑わいを他所に、いつしか忘れられたような場所になってしまったのです。

 そんな犬寄峠に程近いところに私の友人の松浦さんや高市さんたちが住んでいます。松浦さんはご主人が住民自治佐礼谷の会長さんだし、奥さんは市役所の部長を最後に退職され、色々と社会活動をされていて尊敬するご夫婦なのです。

 高市礼子さんご夫妻も穏やかな趣味に生きる人で、その趣味たるや何につけても玄人はだしで、特に蓑虫の蓑を使って作った衣服などは常識を破る発想で、私たちをアッと言わせたものです。礼子さんはこの4~5年座敷吊り雛に凝っていて、昨年は満開の桜の時期に自宅近くの一戸建ての家に展示して、内外から多くの見学者を集めていました。私もお誘いを受けて妻と二人で出かけましたが、古布を使って作った雅な世界は、日本の伝統文化の奥深さを存分に感じさせてくれました。今年もその時期がやって来て、昨日は妻に誘われ娘と孫を伴って午後から出かけて行きました。

 犬寄までは翠小学校~柆野~犬寄と進みますが、特に柆野からの道は曲がりくねってまるで農道のような狭い道なのです。犬寄峠の四辻を96号線に入るとほどなく高い地産の家が見えてきます。車を道沿いに駐車して先に展示場を見学しました。昨日もひっきりなしに見学者が訪れていました。芳名録に記帳し中に入ると肌寒い山里の空気と一変し、床暖房の温かさが足元から伝わり、3つの部屋に所狭しと展示されている吊り雛や展示物を見学して回りました。ご案内役の人たちは皆さん手づくりの赤頭巾のような帽子を被って雰囲気を盛り上げていました。娘も孫たちも展示品の多さにビックリしていました。

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 帰りに高市さん宅へお邪魔しました。いつもの事ながら自宅の庭を開放されてお茶をいただきました。来訪者の中には知り人も多く、楽しくお喋りをしました。頭の上ではミツバチが盛んに飛び交って、来訪者の誰もが驚きながら頭を低くして巣箱の下を通っていました。

 松浦さんご夫婦もそうですが、高市さんご夫婦に接する度に、歳をとったらこんな穏やかな生き方をしてみたいと思うのです。地域とともに、仲間とともに、そして楽しさとともに老いを向かえられたら最高ではないかと思うのです。これだけの展示ですから報われるために何がしかの入場料を取ったらどうかとも思うのですが、人に来ていただくことが何より嬉しいことだと、いつも笑って私たちを迎えてくれるのです。

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 娘や孫たちも束の間の休日をのんびりと過ごすことができました。犬寄に桜が咲くのはまだ1週間後ぐらいでしょうか。そのころにまた訪ねてみたいと妻と話しながら旧道を下り、国道56号線を下って合掌造りのそば吉で遅い昼食を食べました。そばも美味しく昨日はいい一日をのんびりと過ごし、久しぶりにリフレッシュさせてもらいました。

  「中山か 双海かどっち 分からぬが くねった峠 目指して登る」

  「山里に 雅の世界 現れて 年に一度の 心洗濯」

  「早既に ミツバチ元気 飛び交って 客をもてなし 少し興奮」

  「お茶と菓子 もてなし心 添えながら 訛り懐かし 峠の茶屋で」

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○山仕事でいい汗をかきました

 宇和島市に次いで松山市でも桜の開花が宣言されましたが寒さがぶり返し、昨日は久万高原町では薄っすらと積雪があったようです。閏住の菜の花も今が盛りと春を告げているようです。昨日は40年も前に友人から預かっていた錆びた短い刀を人間牧場近くに住む同級生に返すため午前8時に家を出ました。久しぶりに同級生に出会いましたが、何年か前奥さんに先立たれ、お父さんも弟妹も相次いで亡くして今は独身の次男息子さんと二人で暮らしているようですが、所帯やつれというのでしょうか、心臓病を患っていることもあって、何処となく元気がないようにお見受けしました。家を出る時妻が焼酎などの手土産を持たせてくれたのを手渡すと大層喜んで再会を誓い合いました。

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 人間牧場では久しぶりに作業着に着替え、倉庫からチェンソーを持ち出し、先日伐採した栗の木を小切りにして薪を作る作業をしました。小気味よいチェンソーの甲高い音が山々に木霊して、あっという間に小切りは終りました。本当はこの薪を片付けたかったのですが、まだ生なので当分ここで自然乾燥させてから運ぼうとやり過ごしました。またマサカリで割るほど大きなものもなかったので、幾分拍子抜けがした感じです。それでもこれだけの薪が確保できたことは大きな収穫でした。

 願わくばこれから薪を運ぶ作業は人海戦術をと考えますが、人を当てにすると当てが外れて腹が立つので、草刈りをしながら少しずつ運ぼうと考えています。

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 昨日は少し風はあるものの人間牧場は春真っ盛りで、何年か前に植えたスモモの木には今にも咲きそうな花がいっぱいついて、大空の青にマッチしていました。スモモの根元には早くも柔らかい春草が伸びているので、手袋をはめてそれらの草をむしり取りました。

 少し手を休めて春草の畝にゴロリ寝転ぶと、春色の空が一面に広がりとても気持ちがよく,、ついウトウトするほどでした。ツワブキも山蕗も柔らかい目を出し、冬の寒さに耐えたアザミも咲いて、春、春、春です。これから夏に向けてしんどい草刈り作業が待ち受けていますが、これも天の恵みと受け止め、人間牧場でいい汗を流したいと思っています。昨日は馬路村からいただいたミツバチの巣箱を一個持ち帰り入り口を作る作業を終えて自宅の裏山にとりあえず置きました。冬を越したもう一つの巣箱はこのところの寒さで鈍ってはいますが、暖かい日にはミツバチが出入りしているようです。


  「チェンシーの 甲高い音 山々に 木霊し春が 来たこと告げる」

  「草むらに 寝転び青い 空を見る スモモの花枝が 吸い込まれるよう」

  「ミツバチも 冬より目覚め 忙しく 飛び交いながら 早くも始動」

  「寒さより 草刈り作業 まだましと この時期いつも 思っているが」  

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○親子はよく似るもの

 血筋とは恐ろしく親子はよく似るもので、年を経るごとに仕草や声まで同じになってきます。若いころはそれが嫌で、何かと親父に反感反目したものですが、自分が結婚して子どもができるとその反感反目の心が次第に薄れて、いつの間にか自分の分身のような子ども姿に目を細めるのです。

 私と親父は骨董が好きという趣味の面がよく似ています。二人が元漁師だった経歴がそうするのか、人から見ればガラクタと思えるようなものを丹念に磨き上げ、家の倉庫を改造して海の資料館「海舟館」まで作っているのですから、変わり者親子といわれても仕方がないのです。

 私は年老いた親父のたしなみを作るため、時々馴染みの骨董屋を覗きます。金もないので高いものなど買えませんが、骨董屋の倉庫に眠っている見捨てられたように埃を被った物の中から幾つか選んで分けてもらい、新聞紙に来るんで無造作に持ち帰ったこれらの品々は、親父の手によって洗ったり拭かれ見事なお宝に変身するのです。そのプロセスを共有することで日常の会話も弾み、親子の絆が深くなるのです。

 昨日親父は隠居の座敷で刀箱を取り出して刀類の手入れをしていました。空気の澄んだこの時期に打ち粉で一年間の目に見えない錆を落とし、薄っすらと油を塗って再び刀箱へ収めるのです。この手入れを怠ると刀や槍などは錆が出て研ぎに出すととんでもないお金が要るのです。

 親父は孫である私の息子に刀の手入れに使う油を研ぎ屋さんから買い求めて来るよう依頼していたようですが、残念ながらその刀研ぎ屋も潰れて今はなく、インターネットで注文したようで先日その油が届いて親父を喜ばせていました。

 親父は毎年刀や骨董類の手入れを私に受け継がせようとしていますが、親父の生きがいを取っては悪いとこれまで理由をつけて渋っていましたが、92歳の高齢になり歩くことも耳も目も不自由になるといよいよ息子である私の出番が来たようにも思うのです。

 私の息子がこの春から同居するため間もなく引越しして帰ってきます。この際私によく似た息子の力を借りて私への代替わりをしなければなるまいと思っています。

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(親によく似た浅野先生の息子さん)

 先日伊方町三崎平磯の喜久家プロジェクトを訪れた時、浅野先生親子に会いました。私「将来は学校の先生になるの?」浅野先生の息子さん「ならない」、私「どうして?」、浅野先生の息子さん「うーん」とやり取りをしました。まだ中学生なので親への反感反目が芽生える反抗期なのでしょう。私と私の息子の関係もそんな時代があったなと、思わず心の中で微笑んでいました。

 息子を独り立ちさせることは容易なことではありません。私は私の仲間たちとの活動の輪の中に息子を入れたり、自宅へ人を引き入れて色々な人に意識的に出会わせました。その結果社会性のある人間に育ったような気がするのです。浅野先生も同じようなことをしていると少しだけ嬉しくなりました。子どもは親の鏡、親は子どもの鏡です。まずいい親の鏡を持ちたいものです。

  「親子とは どうしてこんなに 似るものか いつの間にやら 親にそっくり」

  「反感や 反目したが 雪解けて 親子仲良く 骨董磨く」

  「わが息子 そっくりだねと 他人から 言われどっきり 嬉しくなりて」

  「いいとこが 似ればいいのに 欠点も 譲ってしまう これも親子だ」

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○転寝の昼寝

 昨日は障子の張替えで多少疲れていたのか、昼食を終えて居間でテレビを見ながら、コタツの中に足を突っ込んで妻と二人が転寝をしてしまいました。リタイアしてサンデー毎日の私ゆえ、別に急ぐ仕事がある訳でもないので転寝の昼寝をむさぼったところで、誰にも文句を言われないのですが、転寝の昼寝は気持ちがいいもので、約一時間があっという間に過ぎてしまいました。

 「ピ~ンポ~ン」というチャイムの音で目が覚め、玄関先へ出てみると宅配便のおじさんが葬儀香典返しの品を届けに来ていました。サインをして受け取りましたが、真昼間だというのに寝ぼけ眼の私の顔を見て宅配便のおじさんはどう思ったことでしょう。

 知らず知らずの間に昼寝をするということは、「二人とも日ごろの疲労が蓄積しているからだ」と妻は弁解していたようですが、昼寝は少し長めにするとかえってだるくなるようです。お陰で体内時計が狂ったのか昨日の夜は床に入っても中々寝付かれず、今朝も3時に目が覚めて狂いっぱなしなのです。

 私の日常は12時に寝て午前4時に起きるという暮らしです。寝る時間は妻と同じですが起きる時間は妻が午前6時半のため毎日2時間半の開きがあるのです。一日2時間半はどおってことはありませんが、10日で25時間、1ヶ月で75時間、1年で900時間の差になるのですから塵も積もれば山となるのです。私は妻と差のついた1日2時間半の殆どを書斎で過ごします。主なものはブログを書くことと本を読む程度なのですが、それでも書いたブログは1ヶ月に1冊、この5年余りで60冊を越えたのです。

 転寝の昼寝は体に良いのか少し元気が出たような気がします。しかし長年続いてきた私のバイオリズムが多少狂ってしまいました。年度替りの年度末で今年度の講演や原稿書きなどの仕事も全て方がつき、ほっと一息

ついたところです。昨日は書き溜めたブログを呼び出して6ヶ月間分をプリントアウトしました。プリンターのインクカートリッジ交換も頻繁で早く補充をしないと底をつきそうです。プリントアウトした6冊の綴りは今日にも人間牧場へ運び、長い書架の一角をに置いて、訪れた人に供覧してもらうのです。そうだ今日も転寝の昼寝をしよう。

  「真昼間 コタツに足を 突っ込んで 転寝するも 宅配ピ~ンポ~ン」

  「昼寝して 夜が寝れない これいかに バイオリズムが 狂ったかしら」

  「誰からも 文句言われず 俺自由 今が一番 幸せかもね」

  「一年の 垢を落として 年度末 転寝パワー 仕事片付く」

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○障子の張替え

 間もなくわが家へ帰って一緒に暮らす息子たち家族のために、わが家はどことなく落ち着かない春を迎えています。本当なら3月いっぱいで家を二世代同居用に造作して迎えたいと思っていましたが、当の息子は設計事務所に勤めていて造作はお手の物と思っていたのに、仕事が忙しくてずっと休みもなく、ましてや人間牧場の建築を手掛けた大工さんに見積もりや発注をしたものの、今度は東北・関東大震災の影響を受けて資材調達のめどが立たず、工事が延び延びになっているのです。


 せめてできるところから使用ということになり、とりあえず40年近く使ってきた全ての畳を取り替えるため、数日前に畳屋さんがやって来て、畳の寸法を取って帰りました。私などの素人は畳は京間か本軒間か分かればどれも一緒の広さかと思いきや、レーザー光線のような道具で一枚一枚寸法を測る姿を見て、畳屋さんの世界もアナログからデジタルに替わっていることに気がつきました。畳は機械化されているので4~5日で出来るそうで、もう間もなく畳が届き、とりあえず真新しい畳の上での第二の人生が始まることになるのです。

 さて息子たちが暮らす予定の二階には8畳2間と6畳2間の計4部屋があります。1部屋は洋室なので壁の内装さえすればいいのですが、畳に始まって障子やフスマの数も多くフスマはフスマ屋さんに張替えを頼むものの、障子だけは自分たちが毎年一度は張り替えているのでこの際妻と二人でやることにしました。

 昨日の朝座敷に新聞紙を敷いてその上に外した6枚の障子を積み上げ、刷毛に水をつけてふやかし、丁寧に剥いで行くのです。最初はゆっくりとやっていましたが、遊び心が働いて障子紙に穴を開けたり破ったりしながら楽しみ何とか一人で骨だけにして汚れを拭き取りました。

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(障子紙には透かしが漉き込んでいました)

 妻が昼休みに帰ってきたので、早々に昼食を終え、障子紙と糊、それに刷毛を用意して張替え始めました。障子の張替えは毎年やっているとはいいながら年々新たで糊が十分でなかったり垂水が出来たりしましたが、何とか1時間ほどで張り終わりました。霧吹きをして障子を合わせ作業を終えましたが、サッシ窓ガラスや敷居に雑巾掛けして窓を開けていたのを忘れていたため、折から強まった北西の季節風が窓を通して吹き込み2枚はあえなく張替えの運命にあるようです。

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(障子を張り替えたわが家の2階)

 それにしても障子はいいものです。これぞ日本文化と思えるように窓を通して外の日差しが柔らかく差し込み、何ともいえない風情を感じさせてくれました。わが家もご多聞に漏れず日本家屋といいながら障子は座敷の6枚だけしかなく、あとは全てフスマとガラス戸なのです。結婚して40年、家を建ててから35年があっという間に経ちました。その間毎年妻とお二人でやって来た障子紙の張替えですが、一向に上達せず今年も大失敗をしてしまいました。来年も元気で夫婦で喧嘩をしながら張替え作業をしたいものです。

  「一年に 一度必ず やる仕事 障子紙張る 二人三脚」

  「うっかりと 冊子を開け 風入り 折角張った 障子剥がれて」

  「俺はいい お前が悪い 言い合って 犬も食わない 障子紙張る」

  「真新し 障子差し込む 春日差し 何ともいえない 日本の文化」

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