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○春は人事異動の季節です

 春は人事異動の季節です。4月1日付で異動した人がわが家へは連日のようにあいさつに来てくれます。事務所を持たない私ゆえ、相手から挨拶に行きたいとアポの電話がある度に、家の横の私設公民館煙会所か少し離れた場所にある人間牧場かを選んでもらい対応するのですが、アポなしで突然来る人の場合は選ぶことも出来ないので、当面は四畳半の中ほどに囲炉裏の切ってある煙会所か屋外夕観所を使って対応するのです。

 昨日は午前中3組の来客を自宅でもてなしました。朝9時に「今シーサイド公園に立ち寄っている。顔を見て帰りたい」と広島の田中さんから電話が入り、迎えの車を走らせてわが家へ案内しました。一人かと思いきや20人乗りのマイクロバスでぞろぞろです。妻も仕事に出かけていてお茶も出すことが出来ず、煙会所と海の資料館海舟館を見学し、夕観所で私の短い話を聞いて、三崎半島へと先を急いで帰って行きました。

 続いて伊予署の本田生活安全課長さんと青少年係の大町さんがお見えになりました。三男息子の上司に当たる方で前もって連絡をいただいていたので、妻は失礼とは思いつつ、私が採集してきた天草を使って昨晩自分で手づくりしたゼリーを、冷蔵庫に用意してくれていて、お茶と共に煙会所へ運んで談笑しました。青少年指導に関するお話を交わしている最中、浮遊センターの班長になった日野さんが、この春退職して再雇用した岡山さんと二人で訪ねて来られました。バッティングしたため少し待ってもらって課長さんたちが帰られた後談笑しました。


 日野さんも岡山さんも私が現職中に生活改善運動などでお世話になった女性です。二人と懐かしい思い出話や今の農業について話しながら、時代の急激な変化の中で一つの時代の終わりを感じました。と同時に新しい時代にどう対処して行けばいいのか、智恵の出しどころのようです。でも変わらないのは暮らしや活動の中心に人がいるということです。急ぎ過ぎはスローに、デジタル万能はアナログに、視点を変えて心豊かに生きる落ち着いた心を持てば人生は結構楽しいものなのです。多分私が見本かも知れないと思いました。

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 昼ごはんを食べて一服した後、身支度を整えて人間牧場へ向かいました。人間牧場には既に西予市役所からお二人の職員が到着していました。迷うことなく人間牧場へ約束の時間前にやって来るなんてさすがです。西予地域づくりグランプリを担当していた沖本さんが異動で変わり、えひめ地域政策センターに出向していた三好さんとこの春愛媛県庁から出向した稲垣さんが担当するそうです。一通り説明を聞き意見を述べ合いました。

 やがて私と一緒にこの2年間、地域づくりグランプリの審査委員をしている前田さんが松本さんの案内で牧場へやって来ました。前田さんは確か牧場へ来たことがあるのですが、不案内なため松本さんに道案内を頼んだようです。話の途中で6月に女性認定農業者の研修会を人間牧場で行う打ち合わせのために平岡係長さんと眞田さんがやって来ました。これもバッティングしてしまい、グチャグチャになってしまいました。まあいいかと思いつつ沢山の人に巡り会った一日でした。少々お疲れモードでした。

  「指折りを 数えてみたら 驚いた 午前と午後に 人が来る来る」

  「この季節 替わって来たり 去りし人 人生模様も 色々あって」

  「この歳に なっても私 必要と 思ってくれる 人あり嬉し」

  「煙会所 人間牧場 大繁盛 人も仕事も 愛に集まる」

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○今が名残の椿の花

 菜の花や桜など、冬の寒さゆえ待ち焦がれて咲いていた春の花もいよいよ終わりが近づいてきました。わが家の前に聳える本尊山の雑木も日増しに燃えるような若草色に替わり、見事な借景となってわが家に来るお客様は一応に感心し、「いい山ですね」と褒めてくれるのです。山といえば杉や桧の美林が何となく値打ちがあるように思われますが、冬枯れ、芽立ち、新緑、若葉、紅葉と季節によって彩を変える雑木林は趣きがあって、季節感を味わうことができるのです。

 こんな晩春の季節に控え目に咲いているのが椿の花です。わが家の庭には名花といわれる椿、人間牧場界隈には野趣に富んだ藪椿が無数にあって、今が盛りと咲いています。残念ながら桜の花の美しさの陰に隠れて脇役に徹していますが、私はやぶ椿の清楚な姿が大好きで、藪椿の花が無数に落ちた姿もこれまた美しいと感心して見つめるのです。藪椿は今週いっぱいが見ごろなので、見る人もなくひっそりと咲いている花たちをしっかりとこの目でめでてやりたいと思っています。

 わが家の庭の隅に綺麗な椿の花が咲いているのを見つけました。多分これまでだと「ああ綺麗に咲いているな」くらいしか感じませんでしたが、ブログを書くようになってから、特にブログ用にデジカメを使って写真を取り込むようになってからは、観察力が旺盛となり、その花の一番いい顔をしているアングルから眺めたり、花の中まで食い入るように見つめて撮るのです。そして時にはインターネットで花の名前を調べたりして楽しんでいるのです。ブログやデジカメを始めて自分の季節に対する向かい合いが随分換わったような感じがするこのごろです。

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 一本の木の花にも遅咲きと早咲きがあって、既に咲く役目を終えて地上に落下したり、花柄を残して無残な姿をしているものもあります。また今が盛りと咲いているものもあればまだ蕾のようなものまであります。多分日当たりによる温度や、枝の位置によって微妙に違うのでしょうが、まとまって木全体で花を楽しむのも一興、花の一つ一つを楽しむのも一興です。最近は透明のコップに水を張り、水中花として楽しむ術を覚え、殺風景な書斎の机の上を野趣豊かに飾ってくれるのです。私も中々風流なところがあるようです。


  「庭の隅 名残の椿 ひっそりと 愛でてやりたい 心境なりて」

  「この広い 世界で私 ただ一人 だけしか見ない オンリーワン花」

  「名も知らず ひっそり咲いて 散る椿 行く春長閑 遠くで汽笛」

  「ブログ用 デジカメ持った お陰にて 季節十分 楽しみながら」

 

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○今年の桜も見納めです

 今年は冬の寒さの影響でしょうか、また花を散らす南風や雨が少なかったせいでしょうか、近年になく桜が長持ちし、今でも所々でハッとするような名残の桜を、4月中旬18日になっても見ることが出来るのです。本当は仁淀川町のひょうたん桜を見る予定でしたが、ブログ友kazuさんの画面でしか見ることが出来ませんでした。

 今年私が見た一押しの桜はやはり双海町潮風ふれあい公園から千人塚池周辺を見下ろす絶景のスポットからの眺めでした。一本一本の桜は他にも沢山見ましたが、風景としては海の青や空の青が見事で、これも手前味噌ながら一押しだと勝手の思っています。

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 数日前奥西の豊田神社へ藤縄神楽を見に行った帰り、やはり奥西の朝ヶ峠に通じる県道で、花散らしの道を見つけました。桜吹雪や花筏など桜にまつわる言葉は多いのですが、桜吹雪が道に雪のように積もった姿も思わずハッとするような趣があり、一枚手持ちのカメラで撮りました。見上げる桜の花も美しいのですが、散り積もる桜の花びらはどこか侘しさを感じさせました。これも一押しの一枚です。

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 今年は私が関係するだけで450本の桜の苗木を愛媛の地に植えました。10年後の花の季節が楽しみですが、その中に4本の桜を私の元に植えました。これは千本桜の森づくりの標準木となるものです。一本は毎日観察できるわが家の裏庭に、あとの3本は時々観察できる人間牧場へ植樹しました。ソメイヨシノは大きく成長するので残念ながら植えられませんが、少し大きめの枝垂桜を植えました。

 その桜の花芽が移植のために遅れていたのがこのごろになって幾つか咲き始めました。あわや見過ごすところでしたが、早くも今年植えた桜の花見を私一人で行いました。

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 桜前線は日本列島のどの辺りまで北上しているのでしょうか。今年は春先の日本を襲った大震災の話題で桜の花を愛でる気分にすらならず、桜前線のことなどすっかり忘れていました。津波が襲った跡地に桜が咲いたという話も聞きましたが、東北の各地には自慢の桜がいっぱいあるのです。一日も早い復興を遂げて、また元のように多くの観光客が北を目指して欲しいと願っています。

 春は駆け足です。わが家の庭には早くも平戸つつじが咲き始めました。


  「一押しの 桜の花も 散り染めて 道を彩る これも一押し」

  「今年植え 今年花見が できるとは これまた嬉し 来年こそは」

  「気がかりと 思う桜の 前線は 今頃何処の 辺りでしょうか」

  「震災で 花見の気分 なれなくて 今年の春は 過ぎ行くようだ」



 

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○この頃の夕日

 昨日の夕方外出から帰り、自宅で雑用をしていました。最近は間もなく同居する予定の息子家族が、準備のためひんぱんに帰郷するので何かと慌しく、部屋を明け渡すため二階にある二つの押入れの荷物を移動せねばならず、家の中に荷物が溢れているようで、特にお客さん様の蒲団は、とりあえず応接間にうず高く積み上げています。

 私の町には潮風ふれあいの館という公共の宿以外これといったホテルや旅館、民宿がなく、社会教育やまちづくりで講師を招聘しても、殆どの人をわが家に泊めていました。加えて全国から訪れる私の活動仲間たちも全てわが家に泊めていたため、わが家の蒲団の数はまるで民宿のようにめちゃくちゃ多いのです。

 加えて畳を替えたり障子を張り替えたり、トイレを様式に改造したりと、そんなこんなでここ当分は家の中でゆっくるする気分にはなれないようです。

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 こ年の春は南風が吹かず雨が殆ど降りません。3月の末から今月に入っても雨は記憶にないほどなのです。ゆえに畑のジャガイモなどの作物は生育が遅れ、このところの気温上昇でやっと芽を出した程度なのです。家の横の庭に置いているブルーベリーの鉢植えも花が咲き始めましたが、危うく水切れを起こすところでした。

 昨夕ブルーベリーの鉢植えに水をやりながら、ふと畑の向こうに広がる西の空を見ると、綺麗な夕日が静かに沈んでゆくのが見えました。余りの見事さに水やりを一時中断して書斎へ戻り、遅いかと思いつつカメラを取り出し、自宅の車庫の屋上へ上がり、2~3写真に収めました。夕日はまだ少し山の端ですが親父の隠居家の屋根の向こうに沈んで行きました。私の作った夕日の時刻表によると昨日の日没時間は18時41分なのです。


 夕日は人様々な楽しみがあるし、感じ方もまちまちです。昨日のように私が勝手に名付けたサーモンピンクのような淡い色合いの空もまた一興です。わが家の私設公民館煙会所に座して窓越しに見える夕日は格別で、煙会所のことを朝日山荘ならぬ別名夕日海荘などと、勝手に別名を付けて楽しんでいるのです。

 煙会所が出来だての頃はこの夕日を自慢したくて沢山の人を迎え入れ、煙会所で酒盛りをしたものです。当時は付近に遮るものが殆どなかったので、上灘川に架かる長い鉄橋を走る特急宇和海を銀河鉄道と名付けて楽しんだこともありました。丁度その時幸運にも下りの列車が鉄橋の上を走りましたが、カメラスポットが悪かったため、シャッターチャンスを逸してしまいました。

 これから日脚がどんどん長くなり、わが家から毎日夕日を楽しむことが出来るのですから、夕日男としてはこれほど幸せなことはありません。せいぜい移り行く季節や夕日を楽しみたいと思っています。

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  「あっ夕日 水遣りの手を 休めつつ 見とれて急に カメラ持ち出す」

  「この空を サーモンピンクと 名付けたり 自称夕日の 博士ですから」

  「鉄橋を 渡る列車も 絵になりて 残念至極 アングル悪く」

  「忙しく 日々は刻々 過ぎて行く せめて一瞬 季節楽しむ」


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○夢のまた夢

 私が若いころといっても、そんなに古い話ではありません。私が代表を務めていた21世紀えひめニューフロンティアグループでは、若者たちが学習しないことに危機感を抱き、瀬戸内海を見下ろす廃集落となって久しい双海町東越という集落の若宮さん所有の古民家を借り受け、フロンティア塾を開塾しました。1年で4回、10年で40回という超ロングランのこの塾の紹介を兼ねた塾生募集記事が新聞に掲載されたところ、60人を超える塾生が集まり年年歳歳大きな盛り上がりを示し、全国にフロンティア塾ありといわれるまでに成長したのです。

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 新聞を読んで一人の初老の人が私を役場へ訪ねてきました。その人が今は亡き川口寿雄さんで、フロンティア塾のある東越へ案内したところ、是非入塾させて欲しいととのことでした。塾にも積極的に参加し、そのうち東越の民家を買い受け念願のメダカを買い始めたのです。当時東大の井尻憲一先生の発案で宇宙飛行士向井千秋さんがメダカの実験を宇宙で行い、そのメダカの2世を貰い受け、一躍愛媛で川口さんは時の人のようになりました。私も最初の出会いの仲立ちをしたこともあって川口さんと行動を共にしたり、時にはフロンティア塾をメダカの家で開いたり、付かず花レズの親しい付き合いが続きましたが、残念ながら川口さんは病魔に襲われ意思半ばであの世へと旅立ちました。

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 二日前、双海町公民館主事の赤石さんと藤縄神楽を見学したついでに、子ども体験塾に使うカブトムシの幼虫を探しに、林道双海~内子線を散策後、帰路で偶然にもフロンティア塾で使っていた旧若宮さん宅の前を通り、梨の花咲くはて家を見学した後、川口さんが愛用していたメダカ家(魚+高=めだかまたはこうと読む)の前を通りました。私にとってはすっかり忘れかけていた川口さんとの懐かしい思い出が蘇りました。その後この施設が誰によって保たれているのかも知らぬまま、失礼とは思いましたが、写真に撮らせていただきました。

 メダカの水槽も健在でしたが、鎖が張られていたので中へ入ることは出来ませんでした。


 川口さんの死後、私も川口さんと同じように下灘池久保に人間牧場を造り、川口さんが目指したようなことをやっていますが、もし私が死んだらこのようになるのかな?と、一瞬思いました。人は必ず老いるし死ぬものです。幸い私には跡を次いでくれる長男がいるので、人間牧場は少なくとも2代にわたって続くであろうことは分かっていますが、思いがどのように受け継がれるのか、多少気にかかるところです。

 フロンティア塾は年輪塾へ、廃屋古民家やメダカの家は人間牧場として再生していますし、当時の仲間と違うものの、私の周りには多くの人たちが集っています。この日はまるで夢のまた夢を見ているような不思議な気持ちの一日でした。

 

  「迂回路を 下る途中に 懐かしき 古民家見つけ 立ち止まり思う」

  「この道を 何度登って 下りただろう 夢のまた夢 思い出しつつ」

  「梨の花 桜とともに 咲き競う 人の気配を 感じぬ里で」

  「もし俺が 死んだら 牧場どうなるか 余計なことが 頭に浮かぶ」 

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○豊田神社の祭礼

 一昨日公民館の赤石主事さんから、「豊田神社のお神楽の取材に行くので同行しませんか」とお誘いがありました。急な申し出だったのですが好奇心が働き、締め切り間近な原稿書きを途中までで止めてご一緒しました。

 私は下灘地区出身なので豊田神社はかつての氏神様で、何度か訪ねたことがありますが、久方ぶりに訪ねた豊田神社は荘厳な雰囲気を感じ、すでに神事が始まっていたこともあって境内のあちこちを散策することできました。社殿、拝殿を飾っている軒先の彫刻などは見事で、偶然居合わせた史談会の磯田会長さんの説明を聞くことが出来ましたが、磯田会長さんの話によると本殿は宮本常一のふるさと山口県周防大島出身の長州大工の作らしく、いいものを見せていただきました。

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 やがて宮司による神事も終わり、一つ山を越した大洲市柳沢から招聘した藤縄神楽が始まりました。藤縄神楽は県指定の無形文化財で、演じる人の中には顔見知りの石岡さんもいて懐かしく、また昨年の田処ホタル祭りには神楽の舞を私自身直接体験していることもあって、興味深く見せてもらいました。

 太鼓、笛、鐘などの鳴り物に合わせて舞う神楽は五穀豊穣や家内安全などを祈る演目が数多くあって、場面が変わる度にめくりがめくられ、その都度小餅が四方へ撒かれ、私の所へも四~五個飛んできました。やがてお下がりのご神酒が振舞われ、私にも宮総代をしている顔見知りの友人から飲むよう勧められましたが、酒を飲めない私は「運転しているので」と言い訳をして断わりました。


 神楽は2時間近くあることを知っているので、同行の赤石さんを促し途中で中座することにしました。神楽の鳴り物の音を背中に感じながら車道を登って車を駐車している県道まで引き返し、急な思いつきで黒山神社を目指しました。朝ヶ峠への道を途中で左折し、鳥越峠への道をさらに左折して林道を走り、終点まで行きました。私もこの道は開通以来始めての道なので、黒山神社まで辿り着くかどうか不安でしたが、幸運にも記憶にある山の形状などを目当てに一発で到着しました。

 私は25歳で転職し役場職員になりましたが、公民館主事になったその年にテントと寝袋を持って黒山まで一人で歩いて登山し、一夜を過ごした思い出の場所だけに懐かしく感じました。黒山は春真っ盛りでモミジや欅が芽吹いて、山全体が燃えているような感じがしました。谷を越えて豊田神社の神楽の太鼓が遠くこだまして聞こえていました。

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  「春祭り 神楽の太鼓 笛や鐘 社殿一際 賑やかなりて」

  「神楽舞う 出演人の 顔の中 見覚えありて 記憶辿りぬ」

  「

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○鳥取からのお客様

 春は人の足が軽くなるのでしょうか。今年の春先は寒かったせいか戸外を歩く人に中々出会いませんでしたが、最近は外に出ると必ず近所の人に出会うのです。と同時にわが家へもまるで飛び込みのような形で県内外から訪問客がやって来て、その都度携帯での対応や私設公民館煙会所と人間牧場を往復しているのです。わが家へ来る人はどうってことないのですが、「人間牧場へ是非行きたい」といきなり言われても、人間牧場は自宅から離れているし、加えて山道ゆえに正式ルートで行くと片道20分以上がかかってしまうので、こちらの都合もあるため時々お断りをすることもあるのです。

 先日鳥取県から二人の人がやって来ました。鳥取の地域づくりといえば福田京子さんです。もう長い付き合いで失礼ながら「おいこら」って感じの親しい付き合いなのです。「今高速道路を四国に向かって南進中、願わくば会いたい」と携帯が入りました。到着まで時間があるんで仕事を片付けたり、ホームセンターへ防虫ネットを買いに行ったりして到着を待ちました。「ただ今伊予インター到着」と電話が入ったのはホームセンタで買い物をしている最中でした。急いで引き返し待ち合わせ場所のシーサイド公園で出会いました。福田京子さんは連れ添いと一緒でした。福田京子さんは来年に迫った地域づくり団体交流全国大会・鳥取大会の実行委員長に選ばれていて、今回のお忍び旅行もキャンペーン的な意味もあるのかと認識しました。

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 ご主人とは初対面なので、それ相応の対応もしなければと思い、わが家へ案内しました。お茶を飲みながら外の夕観所で短い時間ながらお話しすることが出来ました。人の出会いとは不思議なもので、一人の女性と10年を越えて出会っていても、ご主人を交えて出会うとまた違ったイメージの女性に見えてくるのです。

 福田さんは私が全国大会の実行委員長をしていた3年前と同じように、来年の鳥取大会に向けて忙しい日々を送られることと思いますが、ご主人のかげながらの力を得ていい仕事をされるよう祈っています。願わくば来年の鳥取大会には近県でもあるし、福田さんとの深いご縁もあるので友人たちを誘い、王権に駆けつけたいと思っています。帰る途中市役所支所に立ち寄り顔馴染みの松本さんとも出会い、次の目的地内子に向かわれました。昨日出先にぐう人にも福田京子さんから電話がかかり、秋には鳥取へ出かけることになりそうです。

  「嬉しいね 連れ添い連れて やって来る 深いご縁が さらに深まる」

  「最近は 自分でお茶も 準備して 妻が不在の 客を迎える」

  「来年は 仲間を誘い 鳥取へ 全国大会 今から予定」

  「山海を 越えて連来 お客様 新しき風 どこか感じる」

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○美味しいツワブキとワカメ

 今年の春は昨年の夏の猛暑や冬の厳しい寒さの影響でしょうか、春先の植物などの生育が何となく可笑しいような気がするのです。普通の年であればとっくに散っているはずのソメイヨシノの桜が、4月半ばになってもまだ十分楽しめるし、例年通り植えたわが家の菜園のジャガイモの芽も、遅霜などの影響もあって、やっと地中から芽を除かせた程度なのです。椿祭りが早い年は春の来るのが早いといわれていたのに、固陋の言い伝えもたまには外れるもののようです。

 昨日近所の人に聞けば今年は筍があまり出ないそうです。私たちが子どものころによく食べたイタドリもいつもの年のような芽吹きがない様で、今年こそはと意気込んでいたものの空振りに終りそうです。それでも人間牧場界隈には草刈りの度に邪魔になると思いながらも残して育てているツワブキが太く伸びて、わが家ではも何度も美味しいツワブキの煮つけをいただきました。ツワブキは本来自生野生の植物ですが、最近はこの時期皮を剥いたツワブキが三歳として重宝されて、農家などでは畑の隅に植えている人もあり、採った採らないで多少のトラブルがあるようです。


 ツワブキは剥き難い皮を剥くのに一苦労です。さらに灰汁が強いので手先や爪が真っ黒になるので、お母さんたちは嫌がり、皮を剥く作業はもっぱら外へ出ることの少ないおばあさんやおじいさんに委ねられるのです。昔はそんなことものともせずに妻は皮を剥いで調理して食べさせてくれていましたが、今は近くの歯科医院に勤めているため、さすがに手を汚すことが出来ず、もっぱらツワブキの下ごしらえは私の役目となっているので、採集する時一瞬ためらうのですが、味に負けて自分の手に負える分だけ持ち帰るのです。

 私とて講演などで外江出る機会が多いので、調理などの時使う簡単で薄っぺらい使い捨てのビニール手袋をはめて皮を剥きます。こうすることで灰汁はそれほど手につきません。とっておきの秘策は食酢をお皿に入れて、酢を手先に付けながら皮を剥くとこれまた灰汁がつきにくいのです。

 私たちの地方では、「筍メバル」とか「ツワにハゲ」などといわれています。いずれも旬と相性の良さを言っているのです。筍が出る頃のメバルも、ツワブキが食べられるころのカワハギも旬で、筍もツワブキもメバルやカワハギと一緒に煮ると美味しいのです。

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(ワカメの天日干し)

 この頃になるともう一つ楽しみなものが海藻類です。双海の海では水ぬるむこの頃になると磯に出て、ヒジキやワカメを採ります。ヒジキは茹でるのに手間隙がかかるため躊躇しますが、ワカメはさっとお湯をくぐらすだけでいいので、持ち帰ってよく食べるのです。量が多い時には家の庭にビニールテープを張って天日干しにすると保存食になるのです。海草は体にもいいので海草サラダにしてドレッシングで食べます。そして最近私が凝っているのは茎ワカメの佃煮です。ワカメを干す時にできる残菜ですが、これを細かく刻んで砂糖と醤油で味付けして煮込むと、これがまたご飯のお供になって食が進むのです。

 私は魚の下ごしらえ以外は料理をしませんが、ワカメの茎の佃煮は別格で、最近この佃煮に自家製梅酒と自家製ハチミツ、それにコンソメを入れることで絶妙の味に仕上がることを発見しました。今年はまだ2度ばかりしか作っていませんが、たまたまやって来た孫たちが喜んで食べてくれるのをいいことに、昨日も作りお裾分けして持ち帰り、わが家は一週間前に作って冷蔵庫で保存しているものを食べました。東日本大震災で多くの人たちが避難所暮らしをしています。心だけでもこうした野生のものを使い勿体ない精神で暮らしたいと思っています。お陰様でツワブキの煮つけやワカメの茎の佃煮が食卓に上り、春を満喫しています。

  「最近は 質素倹約 精神が 備わりワカメ ツワブキまでも」

  「褒め言葉 言われて私 佃煮を 作って孫に 持ち帰らせる」

  「手少々 黒くなっても リタイアの 私平気と ばかり作業す」

  「ツワブキと ワカメ二品が あるだけで 食卓どこか ご馳走思う」

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○孫は泣いたり笑ったり

 長男家族が今年から私たち夫婦と同居するきっかけとなったのは、孫希心の保育所への入園です。東日本大震災の影響で家の改造が大幅に遅れたため、今月いっぱいは別々に暮らしているので、孫は松山のマンションを朝早く出て、双海町上灘の上灘保育所に通っています。

 友だちが一人もいない、ましてや5人の入園児の中で4人までが女の子で、男の子は孫一人という不安がそうするのでしょうか、いきなり登園拒否との反抗に及び、見送りに行く母親と毎日涙の別れのようだそうです。園長さんからは「よくあることですから心配は要りません。そのうち慣れますよ」と、優しい言葉をかけられていましたが、その言葉通りこの2~3日は、「僕泣かなかった」と喜び勇んでひとまずわが家へ「ただ今」と言って帰って来るのです。

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 親父はその姿が嬉しくて、朝な夕な孫が来たり帰ったりするのが楽しみで、水戸黄門のテレビよりも嬉しいらしく、ソワソワしながら迎え、時にはお菓子を、時には小遣いを渡しているようですが、降って湧いた曾孫の入園を一番喜んでいるのは親父かも知れないのです。

 今一番大変なのは長男嫁のようです。まず朝早く起きて長男の弁当を作り、下の子ども奏心を連れて希心を保育所へ送ってきます。それが終るとこれから住むであろうわが家の二階を片付け、住んでいるマンションの荷物を片付けて運び込むのです。家族4人の暮らしを移動するのですから大変なようです。加えてなれない生活への不安や私たち夫婦への気兼ねもあると思うのですが、持ち前のファイトで頑張っているようです。

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 妻の手助けも相当なもので、大蔵大臣として資金計画を立てなければならずリタイア年金暮らしゆえに、頭が痛いようです。さて私ですが、今回の二世代同居で一番楽なのは私のようです。しかしこれからは私も育爺としての役割が待っているようです。好かれる甘い爺ちゃんと嫌われる口うるさい爺ちゃんの二つを使い分けなければなりません。そのためにも少し孫育ての勉強をしなければならないと思っています。

 孫は幸い男の子だけなので、娘の子どもたちを相棒として関わった経験を生かして、逞しい子供に育ててやりたいものです。

 今日ももうそろそろ孫が保育所に行くために「おはよう」と言って来る時間です。気がつけば親父と同じで私もソワソワしているようです。


  「毎日が 泣いたり笑う これもまた 楽しからずや 家族っていいな」

  「登園を 泣いて拒否した 二三日 早くも孫は 泣かない成長」

  「ソワソワと 孫が来るのを 楽しみに している親父 実は私も」

  「おはようと 元気な声で 朝向かえ 今日も一日 始まりますよ」


 

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○昨日の愛媛新聞の二つの記事からの学び

 昨日の愛媛新聞の四季録と門欄に面白い記事を見つけました。同じような気持ちで同じ新聞を見ていたのでしょうか、年輪塾の松本小番頭がPDFファイルに加工して年輪塾ネットの会員宛に配信してくれました。清水塾頭を始めネットの心ある会員は折につけこのように様々な情報を流してくれるのですから、せめて見たとか読んだとか乾燥ぐらいは流して欲しいと願っています。

 門欄の「さようなら私たちの田処小」は、大洲市柳沢に住む徳田糸江さんです。糸江さんは双海町から大洲市田処へ嫁いでいる筆まめな方で、これまでにもメールやお葉書をいただきました。田処で西田さんや亀本さん率いる大杉塾の強力なメンバーとして活躍されています。先日人間牧場近くに住む布田さんが亡くなられましたが、布田さんと親類らしく葬儀会場でもお会いしましたし、何度か他の仲間と共に人間牧場へも足を運んでいる顔見知りの方なので、記事を興味深く読ませていただきました。

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 記事の内容は、今年の3月末日をもって閉校となった田処小学校の閉校式の模様でした。文字数の制限もある欄なので短文ですが、実に上手くまとめられていて、当日の模様や歴史が手に取るように分かりました。田処小学校には講演に招かれたり、ホタル祭りに参加したりするため何度も訪れているので、亀本さんから閉校の話を聞いた時、またこの記事を読んだ時、同じような寂しさを大いに感じました。願わくば学校跡地を再度訪ねてみたいと思っています。

 今年の春には私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの企画事業である、千本桜の森づくり事業に呼応して、田処小学校周辺に、下灘中学校と共に桜を植樹していただき、よき記念になりました。

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 四季録の記事は松井宏光松山東雲短期大学教授のの書かれた記事です。内容は二宮金次郎の銅像に関するものです。私が塾長を務めている年輪塾では昨年から二宮金次郎をテーマに学習会をしていますし、今月末を目途に県下各地に点在する180体もの金次郎像を会員が手分けして訪問し調査をしているので、余計興味のある記事でした。二宮金次郎の背中にしょっている薪について暮らしの視点から含蓄ある内容が書かれていました。私たちの年輪塾では学びの中で、二宮金次郎、後の尊徳翁が復興の祖であることを学んでいます。時あたかも東日本大震災の復興に心を痛めていますが、尊徳翁の夜話には沢山のヒントが隠されているのです。夜話に詳しい清水塾頭から届くメールには再三再四このことが書かれていて、その度に配信された夜話綴りを開けて読み返しているところです。


  「小番頭 メール便にて 配信す 二つの記事を スキャンし保存」

  「閉校の 憂き目に遭いし 学校を 何度訪ねた 指折り数え」

  「また一つ 日本の田舎の 灯が消えた 寂しくもあり 腹が立つやら」

  「金次郎 背中背負ってる その薪は 日本の暮らし そのものでした」

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