人間牧場

〇シャボン玉アーティスもビックリ
 今朝傘を差し長靴を履いて雨の中を歩いていたら、双海中学校前の県道に何やら動くものが見えました。朝の県道は翠地区からスピードを上げて走る車が多い直線道路なのです。その内大きなダンプカーが唸目の前を通り過ぎて行きました。

 人間だとイチコロですが、ダンプカーは車高が高いためその物体の上をかすめるように通り過ぎました。よーく見るとその動く物体は川にいるはずの川ガニのようでした。次々と軽四トラックや軽乗用車がはしってくるので、引かれて交通事故の遭わぬよう、道路のカニ目がけて走りました。

 捕まったら大変と思って両方の親指を立てて逃げ惑うカニを、長靴で軽くふんずけて手で押さえましたが、両手の親指を広げて私を威嚇し始めました。噛まれたら痛いし怪我をするので要注意です。子どもの頃松明の灯りで満ち潮の砂浜でカニを捕まえて遊んだ体験が生きていて、カニの甲辺りの真横をつかんで持ち帰りました。

するとカニは口付近からブクブクと泡を吹き始めました。小さなシャボン玉のようでした。まるで吉野英樹君が名乗るシャボン玉アーティストのようでした。自宅に帰り孫の飼っているフナやハヤの水槽に入れて一件落着でした。思うに昨日からの雨で上灘川の水かさが増し、流されまいと陸に上がったようです。それにしても川の水中で暮らすカニなのに、県道を横断する無謀な冒険に出たカニでした。

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人間牧場

〇人間牧場20周年の集い最後の準備
 今日は朝から小雨が降ったり止んだりのお天気でしたが、いよいよ明後日に迫った人間牧場20周年の集いの最後の準備をしました。今日の雨を予想して昨日の午前中港の見える丘のクヌギの苗木を植える畑の草を刈り、記念植樹のために穴を3つ掘り終わったところで、雨が降り出し少し濡れましたがそれなりの準備が進みました。


植樹用の穴掘り        植樹用のクヌギの苗木と支柱竹


イノシシに崩された畦畔土


スコップで跳ね上げすっかり奇麗になりました

 今日は朝から夕方までひっきりなしに来客が訪れましたが、寸暇を惜しんで大きな植木鉢に植えているクヌギの苗木の株分けして3本にし、根が傷まないよう肥料袋に入れてビニール紐でしっかり縛り、軽四トラックの荷台に積んで、港の見える丘まで運び終えました。添えに使う竹も3本用意して準備万端整いました。

 その後人間牧場に立ち寄ってみると、先日長浜町豊茂の藤岡さんと大洲市田処の亀本さんが草を刈りブロアーで吹き飛ばして綺麗にしてくれていた進入路の畦畔を、イノシシが悪戯して土が無残にも落ちていました。早速大汗をかきながら一人スコップで跳ね上げました。サツマイモの全滅と言い今年はイノシシの被害が相次ぎ要らぬ心労と労力を奪われました。

 さあ準備はやっと整いました。明日は昼から下灘コミュニティセンターに集まり、会場準備をします。天気予報によると雨の予報ですが、226体の人形を車に積んで移動したり、椅子を並べたりして夕方松山空港まで来れれる講師の畠山さんや医師の清水昭さんを松本さんと2人で迎えに出掛ける予定です。忙しい2日間になりそうです。

 

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人間牧場

〇届いた栗の実
 毎日暑い日が続いていますが、季節の移ろいのそこここに秋の気配を感じています。昨日近所に住む友人が綺麗な栗を今年も沢山自宅まで持って来てくれました。貰った人には言えませんが、栗は他の農作物と違い少々厄介な秋の味覚なのです。

 そのままの状態で焼いて食べるか茹で栗にしてたべるのが面倒臭くない食べ方でしょうが、妻は鬼皮を剥いだり渋皮を剥いだりして冷凍し、正月おせちに栗を使いたいので手伝って欲しいと頼まれました。栗専用の強力ハサミで私が鬼皮を剥ぎ、妻が包丁で支部側を剥いで行くのですが、力のいる仕事で、老夫婦には少々お荷物のようでした。

 専用の栗ばさみも年に一回使うくらいな頻度なので切れが悪く中々はかどりませんでした。妻は業を煮やして伊予市内のホームセンターへ栗ハサミを買いに出かけました。その間私が古いハサミで鬼皮を取り終えた頃妻は帰って来ました。それから2人がテレビのニュースを見ながら手が痛いとか言いながらやっと2時間ほどで皮をむぎ終えることが出来ました。お裾分けした若嫁は栗ご飯を炊き、わが家へもお裾分けの栗ご飯が届き、ご相伴にあずかりました。

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〇中山の人に「双海は新聞やテレビによく出てる」と言われました
 中山といえば今は同じ伊予市内ですが、20年前の合併前は海と山の条件こそ違え、人口も双海町が少し多い程度でお互いいい意味でしのぎを削ってまちづくりをやっていました。先日中山の人に出会いました。すると中山の人が「最近双海町に関する露出が中山に比べて高過ぎる」と多少不満めいた話をされました。

 第一線を退いている私にそんなこと言われても・・・と思いましたが、そう言われてみれば確かに思い当たる節があり、今月号の広報IYOの表紙には最近よく登場する双海町出身で松前に住んでいる私の従兄弟吉野英樹のジャンボシャボン玉が載ったり、今朝の投書欄にもTシャツ展のあった砂浜を真っ赤夕焼けで染まった姿が単眼複眼で紹介されました。

 中山の人が感銘を受けたのは、先日は地方版の伊予弁というコラムに双海ジュニアリーダ会の会長である大学生の中野珠里さの記事だったそうです。「双海ではあんな若い人が育っている。羨ましい」と言われました。いささかなりとも青少年教育に関わっている私としては嬉しい言葉でしたが。確かに「双海の記事はよく出ているなあ」と再認識しました。

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〇ガン・脳梗塞・そして糖尿病
 この1週間、出会った人から、「実は~私」と告白のような形で、体の病気について説明を受けたり、Facebookを通じて入院闘病している様子の紹介を見聞きしています。

 「2人に一人はガンにかかる時代」とか「早期に発見され手当てを受ければガンは今や治る病気である」とか言われていますが、私の親父が50歳の時鼻ガンを発症した時は、「本人にはガンであることを悟られないようにしろ」とまで言われる時代でした。

 手術後近所の人がお見舞いに行き、喉から管で流動食を流し込む姿を見て、「進さん(私の親父)はもう長くはない」と周りに言いふらされたりしましたが、2度の大陸出征で大砲の玉の下をかいくぐり帰ってきた強い生命力と、本人の努力、それに家族の優しさ、医師の適切な処置によって完治し、97歳の天寿を全うした時の死因は老衰でした。

 脳梗塞の人を患った人も沢山いますが、懸命にリハビリに努力する人もいれば、生きているうちが花とばかりに酒もタバコも止めず放漫に生きている人もいます。さらに糖尿病を患っている人も多いようですが、食事療法をきちんとすれば糖尿病もそれほど苦にすることもなく生活が楽しむことが出来ます。

 かく言う私も何度かケガをしたり病気にもなり入院もしました。それでもそれらの病気を治る病気にしてしまい、何とか今日まで生きています。目標は親父の生きた年齢を超えることですが、ガンになった親父でも97歳まで生きたのですから、意志を強く持って生きて行きたいものです。「頑張れ進一」と黄泉の国へ旅立った親父の声が聴こえそうです。

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人間牧場

〇沢山のトマトが届きました
 この2年間、「219の人形が語る昔の漁村の暮らし」の製作をお願いした久万高原町の人形作家林智美さんと、何度となく行ったり来たりしながら製作を行ってきましたが、想像以上の出来栄えの人形が出来上がりました。

 最初100体で始めた人形制作では、昨年の下灘公民館祭りと上灘公民館祭りに人形を展示して皆さんに見てもらいましたが、思わぬ大きな反響にに驚き、その後今年は100体増やし合計219体となりました。

 来月10月5日に行なわれる人間牧場20周年記念の年輪塾公開セミナーで、会場となる予定の下灘コミュニティセンターへ、219体全てを展示することにしていますが、今日の午後その事前打ち合わせのため林さんはわが家へ来てくれました。

 その折久万高原町の特産であるトマトを沢山持参してくれました。私たち夫婦は勿論息子家族もトマトが大好きなので冷蔵庫で冷やし、今晩から味わって食べる予定です。今年になってトマトの手土産は3度目ですが、味わって食べたいと思います。林さんありがとう。ご馳走様です。

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人間牧場

〇西の空に怪しげな雲
 先日潮風ふれあい公園で開かれていた通学合宿夕焼け村に出掛け、子どもたちに夕日の話をしてやりました。20年以上も続いている私の務めですが、毎年同じ場所から同じような夕日夕焼けを見ているのに、違った趣があって楽しいです。

 今年は天気も上々で綺麗な夕日夕焼けを見ることが出来、子どもたちと一緒に沈み行く夕日に手を振って、「また明日の朝、朝日となってください」と祈りました。そんなさ中西の空の水平線に一風変わった雲の塊を見つけました。

 夕日や夕焼けや雲は人間の目で見える錯覚の世界ですが、特に雲の姿は何とも奇妙な姿をしていて、「何かに似ている」と想像を掻き立てられます。この日見た雲はまるで浮き上がった潜水艦のブリッジのようにも見えました。

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人間牧場

〇長生きもほどほどに~
 今日人間牧場へ行くため、知り合い農家の庭先を通りました。滅多に車の通らない道なので、道に車を止めて降りて行き会話を交わしました。ご主人は私より一つ年上ですが若い頃は双海町農業後継者協議会の会長をしていて、私も双海町青年団長をしていたので、当時はまるで張り合うように活動をしていました。

 お互い年を取ったこの頃は出会うと、同年代の人が次々とあの世に旅立っていることもあって、今では話が合って大いに話が弾む唯一の話し相手となっています。今日の話は昨日発表された「日本の空き家問題」から派生した「長生きはほどほどに~」という話でした。

 双海町もご多分に漏れず過疎化や高齢化、少子化が進み、あちらこちらで空き家が目立つようになりました。殆どの子どもは教育が終わると故郷から離れ都会や近隣の町に家を構えて住んでいるため、恐らく定年になっても実家には帰えらず、空き家になる運命を辿るようです。

 一番の問題は親が長生きするような時代になり、親の介護が子どもの重荷になるようで、昔は「親孝行したいけれども親はなし」でしたが、今は「親孝行したくないのに親がいる」のようです。長生きは長年の夢でしたが、世情を考えれば「長生きもほどほどに~」のような世の中だと意見が一致しました。(大笑い)

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人間牧場

〇私の町にこんな素敵な若者が育っています
 昨日の愛媛新聞朝刊10面に、「成長の夏」と題した細長いコラム記事が載りました。書いたのは双海町ジュニアリーダー会の会長をしている大学生の中野珠里さんで、子どもの頃からよく知っている女子大生です。

 普通この年頃になると友だちと旅をしたりあれこれ青春時代を謳歌するものですが、彼女は双海ジュニアリーダ会に所属して町内の様々なボランティア活動に進んで参加し、特に通学合宿夕焼け村では同郷の女子学生と一週間も、子どもたちと一緒に宿泊して世話をしてくれました。

 閉講式の日、その仲間と「子どもたちの成長を実感喜びの気持ちも、自分と向き合う中で感じたつらさも、1週間ため込んだ感情が一気に流れ出たのだと思う」と述懐している号泣していた姿に出くわし、深い感動を覚えました。

「これからも双海町自慢の活動が続き、さらにすてきな町になって行くことを願っている。ありがとう、成長の夏」と締めくくった記事に、私たちが長年続けている子ども教室の地道な成果を垣間見る思いでした。「成長の夏をありがとう」と中野珠里さんに大きな拍手を送ります。

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〇忘れかけていた記憶「幸福の鐘」
 3日前「夕日を観る会」をするため、午前9時30分から19時まで平成7年に自分が造ったふたみシーサイド公園にいました。行きがかり上持ち場を離れることが出来ないため、従兄弟の吉野英樹さんに頼んで、砂浜でシャボン玉を挙げてもらっていたため、時折砂浜に移動して写真を撮ったり声をかけたりしていました。

 20周年ぶりにシーサイド公園はリニュアール工事をしましたが、その折あれこれ作っていたモアイ像や植えていた木々が移動していますが、その中で幸福の鐘や願い石、童謡の小路の歌碑などはそのまま残っていて往時を偲んでいます。その中で幸福の鐘の説明の陶板は違った形で残っていましたが、実はその詩は私の作ったものなのです。

  幸福の鐘
 真っ赤なデイゴの咲く庭に
 幸福の鐘を置きます
 幸福になりたいあなたへ
 真っ赤に燃える大きな夕日が
 海と空を染める頃
 幸福の鐘を鳴らしましょう
 そして夕日に向かって
 幸福になりたいと祈ってください
 幸福の鐘は辺りに響き渡り
 あなたの願いを叶えてくれるでしょう
 幸福の鐘を鳴らすのはあなたです


 自分で自分を褒めることはできませんが、夕日に想いを寄せて長年生きてきた私の素朴な心意気で作った詩です。ちなみに幸福の鐘は不幸にもシーサイド公園の海で、不慮の死を遂げた青年の遺族から送られた寄付金で作ったものです。

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