人間牧場

〇亡くなった友人の携帯電話の電話番号
 私の携帯電話の番号の中には、既に亡くなった親しかった友人や知人の番号が何人か残っています。電話番号を見る度にその人との懐かしい思い出が蘇りますが、その番号を消してしまうと、永久にその人との関係が断ち切れそうで、中々消すことが出来ません。

 

 先日つい最近長い闘病生活の末亡くなった友人から突然電話が架かってきました。「エッ天国から電話~」と一瞬出るのをためらいましたが、恐る恐る出てみると、亡くなった友人の奥さんからでした。聞けば49日の法要も終わり、ご主人の片づけをするつもりで携帯電話に残っているあなたの名前と電話番号にかけ、生前のご厚誼のお礼と、「この電話を最後にあなたの番号を携帯から消します」とのことでした。

 人間は必ずいつかは亡くなります。私もいつか亡くなればご厚誼をいただいていた多くいつの携帯電話の番号を消されます。これにて一巻の終わりですが、その人との思い出までは消すことが出来ません。もし許されるのなら天国に行ってもこの世たあの世を結ぶ直通の電話があったらいいのになあ~なんて、ふと馬鹿げたことを思いました。

 

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人間牧場

〇居間にエアコン設置
 私たち夫婦の日常暮らしている居間は8畳部屋2間続きで広いうえ、周りが回り廊下になっているため、外の雑音や外気温に影響されにくく、夏場でも網戸から涼しい風が入るようになっていて、別に夏暑いとも思わず築50年経った今までエアコンがありませんでした。

居間のエアコン設置工事
わが書斎のエアコン取り換え工事

 それでも高齢になった私たち両親のために、エアコンを設置してはどうかと設計の仕事をしている同居の長男息子から提案があり、馴染みの業者さんが下見にやって来て、天井裏に配管すれば廊下をいらう必要もないとのことで、思い切って工事をすることになりました。

 勿論工事費や設置費は私たちが出すことで話がまとまり、ついでに私の書斎のエアコンも取り換える工事が10日ほど前に完了しました。私はエアコンの冷たさが大の苦手なので、極力高い28度程度に温度を設定し、しかも夕方だけ使うという状況です。

 エアコンが入ってから私の体の調子が少し狂って来て、外で農作業などをすると今まで以上に暑く感じるようになりました。勿論汗もよくかきます。息子や妻は今年は例年に比べると暑い夏だと言いますが、私はエアコンのせいだと言い張っています。

「50年 居間にエアコン なかったが 今年は息子 設置工事を」
「廊下有り 配管天井 這わすため 問題もなく 工事終了」
「エアコンが 嫌いな私 今年は 特別暑く 大汗かいて」
「エアコンは 妻が気に入り われ不満 間もなく盛夏 妻に軍配」

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〇久しぶりの夕立を楽しむ
 梅雨が明け太平洋高気圧が勢力を強めると気候が安定して夏の天気になりますが、今日の夕方突然空が曇り短時間ではあったもののかなり激しい雨が降りました。この雨を夕立ちと言うようです。

 たまたま家に居合わせたので、外に干している洗濯物を濡らさないよう取り込みましたが、間一髪のところでした。このところのお天気続きで一雨欲しいと思っていたので、鉢植え朝顔やホーズキには適当なお湿りで、夕方の水遣り手間が省けて恵みの雨となりました。

 高校生の頃宇和島水産高校の実習船愛媛丸で赤道を越えて遠洋航海に出かけた折、南洋では毎日一回はスコールがあり、潮風呂にしか入らない船員や実習生にとっては絶好の水浴びとばかりに少しコースを外れてスコールの場所に舵を切り、石鹼やシャンプーを塗って待ち構えていたものの気ままなスコールは逃げて行き、体中石鹸とシャンプーにまみれたままになった懐かしい記憶がふと蘇りました。

 悪ふざけで今日はパンツ一枚になり恥ずかしながら誰も見ていないわが家の庭ゆえ、上半身裸で夕立に打たれてみました。気持ちよくさっぱりして風呂に飛び込みました。私は馬鹿げた男です。

「夕立だ みんな留守ゆえ 洗濯もの 間一髪で 取り込み濡られず」
「高校時 遠洋航海 実習船 スコール唯一 楽しみでした」
「スコールが 来るもの思い 石鹸を つけて待ったが 逃げられ散々」
「何思う パンツ一丁 裸なり 夕立ち全身 濡れてさっぱり」

 

 

 

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〇ヒマワリの咲く駅
 無人駅だというのにJR下灘駅の人気は衰えるどころか、マスコミに取り上げられる度にSNSで拡散し、人気は留まるところを知りません。いつものように人間牧場へ行ったり講演に出掛けたりする度に国道を通って駅を見上げると、沢山の人がプラットホームに群がっています。

 3日前も知人を人間牧場へ案内した帰り、下灘駅に立ち寄りました。下灘駅の片側線路を撤去して埋め立てた空き地には、地元の子どもたちと高齢者が一緒になって植えたヒマワリが、太陽に向かって綺麗に咲いていました。見ず知らずの人に「何処から来たの?と尋ねると、「東京から」とか、遠くは「北海道から」と返事が返ってきました。

 37年前この駅で夕焼けプラットホームコンサートを開いた時の思い出が一瞬蘇りましたが、下灘駅の風情は片方線路を外して埋め立てた以外は今も昔も変わらずそのままです。変わらないのがいいし、変えてはならないものもあるはずです。今全国の過疎地の鉄道は乗客が列車に乗らないため採算が取れず廃線の危機に瀕しています。

 私が夕焼けプラットホームコンサートをやったあの当時も山周り線の開通で並行路線の海岸周りは廃線が決まっていました。起死回生でやったコンサートで息を吹き返し今は観光列車伊予灘ものがたりも走る人気のルートとなって存続していますが、再び危機が訪れています。車の運転ができない子どもたちやお年寄りのためにもしっかいりと守りたい線路です。

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〇祝い事でもないのに鯛が届きました
 昨日の夕方、盆や正月でもなく、祝い事でもないのに丸々と太ったいかにも美味しそうな田が一匹と丸萩が2匹わが家へ届きました。持って来てくれたのは息子の同級生の和田さんという漁師さんでした。

 和田さんは先日のNHK「小さな旅」という番組で紹介されたちりめんを獲っている共栄網の福組合長さんで、私と同じ宇和島水産高校の後輩でもあるので、久しぶりに息子夫婦を交えて楽しい立ち話をしました。

 和田さんが帰ると早速私は出刃包丁を砥石で研ぎ、鱗取りで丁寧に鱗を剥がして行きました。これだけの大きな鯛だと鱗の大きさも半端ではなく、鱗があちらこちらに飛び散りました。水洗いして3枚におろし、骨や頭を割るのも一苦労でした。

 鱗や内臓を集めてそこら辺を綺麗に水洗い掃除をしてこれで私の仕事は終わりで、息子家族に半分、私たち夫婦に半分ずつ分け若い鬼嫁と古い鬼嫁に渡しましたが、昨晩は美味しい刺身を食べて満足でした。漁師町に暮らし、漁師の友だちがいるので、魚は殆ど買うことなくいただきます。幸せです。

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〇私の笑い話経済学
 経済学と言えば何か仰々しく考えがちですが、私のような平凡な人間でも日々の暮らしをする上でお金のことを考えないと暮らしては行けません。特にお金儲けが出来ないこの歳になると頼みの綱は年金で、最近車のエアコンが故障して車の買い替えを考えなければならなくなると、予期せぬまとまったお金が必要になるため、妻と2人でない智恵や少ない貯金通帳とにらめっこの日々です。

 私は①健康の貯蓄、②人間関係の貯蓄、③知識の貯蓄、④感動の貯蓄、⑤お金の貯蓄という5つの貯蓄を考えて生きてきましたが、特に⑤のお金の貯蓄は難しいものです。高望みしてもお金は出来ないため「食えたらいい」と安易に考えて暮らしていますが、私の持論は①10万円、②100万円、③1000万円、④1億円という簡単で単純な考え方です。

 まず①の10万円は自分の財布の中に自分で自由に使えるお金を持つことです。例えばあれを買いたいこれをやりたいと思った時、誰にも束縛されず出資できるという自由なお金です。今時10万円ぐらいで買ったりできることは限られていますが、このゆとりが大事で、私はこれまでこの自由なお金で随分助けられました。お金もない自称貧乏人なのに、恩ある人から10万円の借金を頼まれました。借用書なしの信用貸しでしたが、その人はこの小学お金で助かったそうです。

 100万円はまさかの時に臨時出費のための貯蓄、1000万円は老後の蓄えと言ったところです。さて1億円は宝くじのような見果てぬ夢のことで、私は日本銀行でアルミ製のケースに入った1億円を見たことがあるだけで、ご縁(円)のないお金です。妻は宝くじを時折買っていますが、米俵一票の中の1粒しか当たらない確率なので、当たるはずがありません。それでも私は1億持ってます。奥様を「億」だと思えば1億(奥)です。お後がよろしいようで・・・。

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〇ボケ老人にならないための処方箋
 私の年齢は78歳です。故なるか自分では若いつもりでも、そこここで年齢を感じさせるような出来事に時々出会うようになりました。また私と同年代や私より若いと思われる人が病気やケガで楽しいはずの老後を棒に振っている人に出会うと、「自分もボケ老人にならない保証はないのだから、少しでも元気で長生きができるよにしよう」と、毎日肝に銘じて生きています。

 その一つが1・10・100・1000・10000です。1=は毎日ウンコが出るような体調管理です。食事と運動のバランスをしっかりとって、一日に一回はうんこが出るようにしなければなりません。10=一日に10人以上の人に出会い10人以上の人と会話をすることです。100=毎日100文字書くです。幸い私はもう20年以上になりますが毎日ハガキを3枚書いているのでクリアー出来そうです。

 1000=千文字読むです。新聞や雑誌などが手元にあるので、これは誰でも簡単にできそうです。10000=毎日1万歩歩くです。一年365日には雨の日も風の日もあり、また体調のすぐれない時だってあるから、これが一番難しいかも知れません。私は雨の日には長靴を履き傘を差して歩きます。長年やっていると雨の日も結構楽しいものです。

 お陰様で今のところボケ老人になることもなく元気に暮らしています。昨日私の中学1年生の時の恩師が亡くなったことを新聞の訃報欄で見つけました。3年前わが町へやって来て先生を囲んでワイワイガヤガヤ昔を懐かしみましたが享年93歳の生涯でした。まだボケる訳にはいきません。そのためにはボケない処方箋をしっかり続けることだと自分に言い聞かせ実践しています。

「1・10・100~ ボケないための 処方箋 実践すること 肝に銘じて」
「中学校 時代の恩師 亡くなった 訃報欄見て 冥福祈る」
「まずうんこ 出るよな体調 管理する 必然的に 妻の協力」
「ボケたこと 忘れてしまう ボケた人 今に私も なるかも知れぬ」

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〇赤橋は工事中で通行制限がありました
 隣町長浜町のシンボルは何といっても肱川河口にかかる赤橋です。歴史的に価値のある文化遺産なので、その保存のため現在はペンキ塗り工事が行われていて、昨日は旧道を通る所用で橋を通りましたが通行制限がありました。

臨時信号が設置されていて約2分間赤信号で車を止めたので、車内から赤橋と右手河口に見える新しい橋を写真に撮りました。この赤橋は真ん中付近が片開閉橋になっている珍しい勝鬨橋です。

 今年は子ども体験塾で長浜町の見学を予定しているので、橋の上がる姿を子どもたちに見せてやりたいと思っています。

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〇アメリカフヨウの花が咲き始めました
 何年か前地元の人に「紅芙蓉」だと言って、剪定した枝を2~3本いただきました。ダメ元で発泡スチロールのトロ箱の底に穴を開け、鹿沼土を敷き10㎝ほどに小切りして挿し木をしてみました。秋の頃でしたがその殆どが根を張り、小さな苗木が10本余りできました。

 その明くる年苗木を植木鉢に植え替えして育てたら、綺麗な大輪の花が咲き始め、知人に2~3本お裾分けしてあげましたが、松山の知人宅に植えた苗は適地だったのか世話が良かったのかグングン太り、日当たりが良い場所のため2週間ほど前に早くも花が沢山咲きました。

 わが家は残念ながら日当たりがイマイチなので、送れること2週間余り、それでもやった花が咲き始め、今朝は待ちかねたように10個以上の花が見事に咲きました。嬉しい開花です。早速写真に撮りましたが、去年この花の名前をインターネットで調べたところ。どうもアメリカフヨウの花だと分かりました。

 これから夏の終わりまで次々と花を咲かせますが、惜しむらくはこの花の葉っぱが美味しいのか、葉巻き虫がこのんでたべるので、丹念に虫を取らねばなりません。わが家は蜜蜂を飼っているので蜜蜂に害が出るといけないので野菜は勿論のこと庭木にも余程のことがない限り農薬を少し手間のいる花木のようです。

「剪定枝 ダメ元なるかも 知れないと 半信半疑 挿し木してみる」
「挿し木した 枝が発根 みなついた 知人裾分け 立派に育つ」
「紅芙蓉 言って貰った 花木だが 調べてみると アメリカフヨウ」
「差し上げた 知人の庭で 花見事 咲いてお礼を 度々言われ」

 

 

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〇スイカの季節がやって来ました
 私は子どもの頃からスイカが大好きです。田舎ゆえ子どもの頃は母ちゃんが前の年に食べたスイカの種を水洗いした後乾燥させて保存していました。春になるとその種を畑に蒔いてスイカを作るのです。今時のようにスイカを買って食べる風習はありませんでした。

 やがて芽が出てつるを伸ばしそこここに丸々と太ったスイカがなり、スイカのなっているつるの近くのパーマネントをかけたような姿の髭つるが1つか2つ枯れると収穫のゴーサインで、畑からスイカが収穫できるのです。当時は冷蔵庫がなかったので、冷水の流れ水や井戸に吊るして冷やして食べていましたが、あの美味しい味は今も忘れることが出来ません。

 双海町の東峰という小さな集落が国道56号線沿いにあります。ここは昔からスイカの産地で、毎年夏になると国道沿いに小屋が作られスイカを露天で売るのです。その地区が中山町に隣接しているので、いまでもここを中山町と勘違いをしている人が多いようですが、れっきとした双海町なのです。

 毎年この時期になるとわが妻は昔民生児童委員を一緒にやった赤尾さんのお店へスイカを買いに行くのです。今の時期はまだ走りですが、夏休みになるとお盆頃までスイカ売りは本格化するようです。私は毎年夏はスイカで生きているようなものだと妻に言われるほど毎日スイカを食べて過ごします。

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