人間牧場

○PCは優れもの

 私は何げなく、毎日届くメールを受発信したり、ブログや原稿を書いたりしていますが、自分のPCいじりが自分のPCとフィットしてきたのか、最近PCのトラブルもなく、順調にこなしていることは喜ばしいことだと、今朝PCに電源を入れながら思いました。思い返せばメールを受発信したり、ブログを書き始めた頃は、パソコンの基本も分からぬまま行き当たりばったりだったため、やれPCが動かなくなったとか、書いた文章が消えたなど、自分の苛立ちをいちいち離れて住んでいる娘婿や息子に、助け船の電話をしていたのです。
 自分の体も同じようなことが言えますが、歯が痛い、腰が痛い、胃の調子が悪い時は、痛いため歯や腰、胃が何処にあるかよく分かるのですが、健康なときは歯や腰、胃の存在等まったく気にもならないのです。ゆえに不摂生を繰り返すのです。

 PCもまったく同じで、順調に操作が出来ている時は、PCは凄い道具だとその多機能さに感心したり納得して使うのですが、トラブルが起きるとこちらの方が頭に来て逆切れし、娘婿や息子に電話で助け船を出すのですが、「電話では分からない」と言われると、「それも分からないのか」なんて邪推をしてしまうのです。平常心で考えれば、もし私の所へ同じような電話がかかっても、「電話じゃ分からない」と答えるはずなのです。
 それにしてもPCの記憶力と記憶量はさすがコンピューターで、これほど毎日書いているブログ記事を、検索機能の操作さえ間違わなければ、瞬時に見つけて呼び出し、画面に表示してくれるのです。こちらが覚えていないことまで覚えてくれているのですから、これは百人力くらいなものではなく、千人力や百万人力にも匹敵する強大な力なのです。

 机の上に置いたこの薄っぺらいものが、インターネットの電話回線で結ばれているだけで、やろうと思えば世界中の人と交信だってできるのです。しかしこれほどの機能を持っているのに、私が使いこなせるのはその機能のほんの0,00001にも満たないのですから、何と勿体ないことでしょう。自分の能力のなさや時間のせいにして、未知なる部分へ分け入ることをしていませんが、今度生まれて来る時には学校でしっかりと習い、使いこなせるようになりたいものだと思っています。
 私の書いたブログを読んだと、昨日ある人から感想のコメントが寄せられました。私もそのコメントにコメントをしたためお礼の返信をしたら、またコメントが返って来ました。これを双方向性というのかとついつい面白いものだと羽目を外してしまいました。
 しかしPCは人間ではなく道具であることも忘れてはなりません。インターネットでつながっている全ての人に公開されていることを念頭に入れておかないと、とんでもない問題を引き起こす可能性があり、「知らなかった」では通用しないのです。今は故障もなく落ち着いて私の言うことを聞いて働いてくれているPCゆえに、感謝しながら自制のブレーキを持ちたいと思っています。

  「このところ すこぶる順調 わがパソコン 自制のブレーキ 忘れることなく」

  「ぼんくらな 私がパソコン 命令し 使っているが 使われている」

  「パソコンを 作った人は 偉い人 それを使える 私も偉い」

  「パソコンが 取り持つ縁で ゴールイン まるで仲人 偉いもんだね」

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人間牧場

○大風の爪跡修復とワカメ採り

 人間牧場の近くに地元池久保の人たちの墓地があります。「近くに墓地があるのは気持ちが悪い?」などという人もいますが、土葬だった昔ならいざ知らず、今は先祖代々の墓に納骨しているだけなので、気持ちが悪いことなどないのです。ましてやお墓は神聖なものですし、先祖を敬う心からすればお墓はむしろ大切な場所でもあるのです。そんなこともあって人間牧場内の私道は地元の人がよくお墓参りに訪れるため、時々イノシシの出没を教えてくれたり、蜜蜂の分蜂を親切に知らせてくれたりするので、随分助かります。
 昨日まで日本列島は時ならぬ台風にも匹敵する春の嵐が吹き荒れました。やっと収まったものの、まだその余風波が強くて地元の人は漁にも出れないようです。その大風で人間牧場に設置している蜜蜂の巣箱が2個吹き飛んで道まで転げ落ちていると電話で連絡がありました。

 早速今日は午前中人間牧場へ、様子を見に出かけました。一つはその場所でひっくり返っていましたが、もう一つはお墓の近くの道まで転げ落ちていました。4月に入ったのでもうそろそろ巣箱を掃除してバーナーで内側を焼いて、蜜蝋を塗らなければと、2日前にホームセンターでバーナーを買って来たばかりでしたが、その使い方も分からないので、とりあえず掃除をして元の場所へ設置し、少し重いブロックを乗せて一段落です。大風で飛んできた小枝もあちこちに散乱して、見苦しいのでそこら辺を掃除しました。
 そのうちあちこちから講演依頼や日程調整の電話がかかり始め、また新年度なのであいさつに行きたいという人もいて、とりあえず午前中で作業を終え帰宅しました。

 午後3時頃に国立大洲青少年交流の家の、所長さんや次長さんたちが自宅へあいさつに見えられるというので、少しの時間を利用してシーサイド公園の西海岸に、軽四トラックで出かけ、昨日までの北西の季節風で流れ着いたワカメを収穫しました。海岸には昨日までの強い風波の影響でアラメやワカメが沢山漂着していました。アラメは葉や茎が硬いのですが、ワカメは葉も茎も柔らかく、殆んどが波に打ち砕かれていました。それでも渚には立派なワカメがたくさんあって、瞬く間にナイロンの袋いっぱいになりました。帰宅後家の裏の調理場で鍋に水を張ってお湯を沸かしました。採ってきたワカメを綺麗に水洗いして順次お湯の中に入れました。茶色いワカメはお湯をくぐらせると瞬く間に濃い緑色になり、箸ですくいあげて冷まし、ポリバケツに入れたところで玄関先のチャイムが鳴りました。しばし手を休めて外の夕観所でごあいさつや意見を交わしました。そこへ公民館の赤石さんもやって来て、絆プロジェクトのお礼や今後について話し、皆さんは引き上げました。

 再び家の裏へ回り、ワカメの入ったポリバケツを持って広場へ移動し、張り巡らせたビニールテープにワカメを芯から外して干し始めました。ところが運の悪いことに小雨が降り始め止む無く中断し、暖簾干ししたワカメを、妻に手伝ってもらって軒下へ移動して、今日の作業を終えました。
 天気予報だと天気は回復するといっていたのに、小作業手順が狂い、この分だと天気が回復すれば明日の午前中まで作業がかかりそうなのです。何はともあれ茹で上がったワカメを干しワカメにして、乾燥すれば今年一年分の自家用ワカメは、ゲットしたことになるのですから、えらい儲けです。田舎はこのようにちょっとした工夫や才知を働かせれば、安心安全な食べ物が転がり込んでくるのですから、この上ない魅力がいっぱいあるのです。

  「親切に 蜜蜂巣箱 落ちてると 電話連絡 してくれる人」

  「大風の 被害最小 ホッとする あちらこちらじゃ 被害甚大」

  「大波で 流れ着いたる ワカメ採る お湯をくぐらせ ビニ紐に干す」

  「田舎ゆえ 才知があれば 一年分 ワカメをゲット 家計助かる」

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人間牧場

○お雛様飾り

 昨日はカルチャースクールの帰りに伊予市いっぷく亭に立ち寄りました。外は歩けないほど春の嵐が吹き荒れ、皆さんが乗ってきたであろう自転車も、全てなぎ倒されていましたが、いっぷく亭では多くの中年女性が集まって、賑やかに手づくり教室が開かれていました。聞けばかまぼこの板の作品展に応募する五色姫伝説の人形を製作中との事で、多いに盛り上がって、まあお茶でもと勧められましたが、私は教室の奥に飾っている「お雛様飾りを見に来たので」と断わり、会話を交わしながら吊るし雛やお内裏様等の飾りを、感心しながら見学させてもらいました。
 伊予市の商店街ではあちこちに1ヶ月に渡ってお雛様が飾られていて、昨日はその最終日だと友人の谷岡さんから聞いていたので、谷岡さんが責任者となっているいっぷく亭のお雛様飾りを、最後の最後になって見学させてもらいました。いつも思うのですがお雛様飾りは、日本の庶民文化を代表するもので、後世に伝え遺しておきたいものなのです。全国の各地では地域づくり活動の一環としてお雛様飾りが行なわれていますが、お雛様飾りの収集や飾りつけ、後片付け、保管などなど、裏方は大変な労力が必要で、お年寄りの手慰みでは片付けられないのです。

 お雛様見学が終ったので、谷岡さんのお店に立ち寄りました。運よくご主人と奥さん、それに娘さんもいてお茶とお菓子をいただきながら、楽しいお喋りをしました。娘さんはつい最近左手でハガキ言葉を書いていることは、前にも私のブログで紹介しましたが、昨日もそのハガキを3枚貰って帰りました。そのハガキには「あなたと一緒にサクラを観たいです」と、意味深長な言葉が書かれていました。娘さんにとって「あなた」とは誰か、多分独身ゆえに理想の彼のことを思っているに違いないと勝手に思いました。
 もしこのハガキをいただけば、そのメッセージは相手の心に響くことでしょう。私はこのハガキを見て、東日本大震災に遭った人たちのことを思い出しました。昨年はサクラどころではなかったものの、震災から一年余りが過ぎて、サクラの存在が蘇ってくるのです。桜を見ることが出来ずに、あの世に旅立った大切な人のこと、震災がもとで離れ離れになった人のことなど、人生模様は悲喜こもごもです。

 今日は4月4日お節句です。私たちの地方では、月遅れのお節句に花見弁当を作ってもらい、野山に繰る出す風習が子どものころにはありました。とりたてて楽しみやおご馳走のなかった、戦後間もない頃のことゆえ、お節句は巻寿司や羊羹やかまぼこなどが入った、母親手づくりの重箱弁当が食べられる、超特別の日だったので、その日の来るのを指折り数えて待ったものです。
 妻は昨夜仕事から帰って台所で、夜遅くまで巻寿司を巻いていました。オレンジ色のそぼろと干瓢、しいたけ、ゴボウ、ニンジン、ちくわ、かまぼこなどを煮て酢飯を冷まして海苔で撒くだけの素朴な田舎流巻寿司ですが、歳をとったのか昔回帰というのか、この巻寿司がたまらなく食べてみたいのです。妻は朝早く起きてこれらの手作り品を重箱につめ親父の弁当を作って、隠居へ持ち運んでいました。昔人間である親父にとっても、この素朴な弁当は年に一度の楽しみのようで、喜んでいました。

 谷岡さんの雛飾り、谷岡さんの娘さんの左手で書いた言葉ハガキ、わが妻が巻いて親父の元に運んだ重箱詰めの田舎巻寿司、姿形こそ違え全てが相手を思いやる心の現われだと、しみじみ思いました。日本人はフォアキャスティング(現在の問題から未来を予測すること)や、バックキャスティング(将来の姿を想定しやるべきことを考えること)をしてきましたが、バック・バックキャスティング(過去を知り未来に生かす)することも大切だと思いました。「確かな未来は懐かしい過去にある」とは、先日吉澤保幸さん(場所文化フォーラム代表幹事)から贈られた、本に書かれた文章の中にあった中見出しの言葉です。
 私たちロートルは過去を知っているゆえ、過去を遺し伝える義務を負っているのです。昨日今日は考えさせられることが多くありました。

  「過去を知り 未来に生かす 役割を 持っていること 自覚をせねば」

  「左手は 右の手よりも 不器用で ゆえに本心 ゆえに本物」

  「野良ゆえに 節句働き 昨日今日 手づくり弁当 食べて昼寝す」

  「低気圧 偉いもんです 日本人 右往左往させ 北に去り行く」

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人間牧場

○何が何でも急過ぎる

 昨日の朝、親友の稲葉真光さんがわが家にやって来ました。稲葉さんは下灘にある私の畑を貸していて、私に言わせると稲葉さんには失礼ながら「農業の真似事」をやっています。稲葉さん本人に言わせると大真面目で、行く行くは農業で飯が食いたいと希望に燃えてやっていて、あちらこちらの研修会などにも参加して、農業をビジネスにするためのノウハウを着々と身に付けているようで、私もその行方を注目しているのです。しかし私のように家の横の家庭菜園や人間牧場を使い、趣味で農業をやるのは楽しいのですが、農業で飯を食うことは容易なことではないのです。
 稲葉さんは現代の二宮金次郎みたいな方で、砥部町に住んでいながら、毎朝早く起き双海町まで車でやって来て、夜明けとともに農作業を開始し、自分で息子さんと経営しているクルマハウス砥部という自動車修理工場へ9時までに帰って、仕事をするという超真面目な働き者で、土日も殆んど畑で農作業をやっているのです。

 稲葉さんは人を大切にする人で、先週も知人の紹介で訪ねてきたインドネシアの人を連れて。石窯工房やわが家の海の資料館「海舟館」、菜の花畑、人間牧場などを一日中案内していたようでした。「よくやるなあ」と感心しながら見ていましたが、そのインドネシアの人が近々帰国するので送別会を兼ねたコンサートを砥部町の古民家を借りて催すので、来ないかと誘いにやって来たのです。昨日は新年度の始まりで私も何かと忙しく、また各方面から新任のあいさつに人がやって来るので、家を空けることも出来ず、加えて今日から始まるカルチャースクールの講義準備もあるしと思いつつ、そんなに急に言われてもと思い、行くか行かないか正直迷っていました。しかし大真面目な、日ごろ人を大切にする稲葉さんのことが気になり、会場となる砥部町の坪内邸へ向かいました。

 坪内邸は砥部町でも広田の入り口に当たる奥まった所にある旧庄屋です。昨日は夕暮れの薄暮に咲き始めた桜が彩りを沿え、半月の月の光が優しく照らすいい雰囲気の夕方でした。7時30分からという案内を受けていましたが、7時に会場に到着すると2~3人の人がご飯を炊いたり汁物を作っていました。その段取りたるやスローモーションで、7時30分どころか8時になっても食事やコンサートは始まりませんでした。そのうち稲葉さんが声をかけたであろう20人ほどの人が集まりましたが、何をどのようにするのか聞かされてなく、不安そうに食事とコンサートを和室の畳に座って待ちました。
 そのうち私の携帯に島根県隠岐の島西ノ島町役場出身で、今は島根県庁へ出向している南さんから、私の親友である角市正人さんの訃報を知らせるメールが届き始めました。

坪内邸での和風コンサート

 メールを気にしつつ、やがて立ち食いのようなかまど飯とカレー味スープを食べ終わり、コンサートが始まったのは9時前でした。コンサートは千九郎という若い尺八奏者とギタリストの二人が登場し、奥まった部屋で演奏が始まりました。障子とふすまで囲まれた和室でのコンサートは尺八の音色が程よく似合い、今まで聞いたことのないような、とてもいいコンサートで、久しぶりに心を洗われた感じがしました。千九郎さんの決して上手いとはいえないつなぎのお喋りも、それなりにいいものでした。角市さんの訃報に心が沈みながら、あいさつもそこそこに夜の道を急いで帰り、家の車庫内で南さんと電話連絡が取れ訃報の全容を知ることが出来たのです。

 

若い二人の演奏者

「何が何でも急過ぎる」と思いつつ、稲葉さんの口車に乗って出かけたコンサートでしたが、稲葉さんはいつも私が「来ないか」と誘ったら、嫌とは言わず参加してくれます。先日年輪塾が行なった山口県への修学旅行も、嫌がらず喜んで参加してくれました。そんなこともあって浜田さんと二人で参加をしましたが、「来てもらおうと思えば日ごろから顔を出しておく」という鉄則は、稲葉さんから教わったような気もするのです。
 準備はさて置き、あの後片付けは一人で大変だろうなと思いつつ、昨日の夜のことを思い出しています。今朝は朝から天気予報どおり台風並の大風が吹き荒れ、昨晩の幸運を思いました。

  「来ないかと 夜の案内 その日朝 何が何でも 急過ぎますね」
  「声かけた 人の殆んど 集まりて さすがですねと 感心しきり」
  「尺八の 音色障子を 震わせて 春の足音 静かに聞きぬ」
  「古民家の 座敷わらしを 呼び覚ます そんな怪しげ 雰囲気醸す」
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人間牧場

○孫たちと春休みを楽しむ

 私たち夫婦には4人の孫がいます。次男と三男は残念ながらまだ結婚していませんが、長女と長男にそれぞれ二人ずつ、残念かな全ての孫は男の子です。でも男とか女とかは贅沢で、4人ともそれぞれ普通に成長しているのですから良しとしなければなりません。
 長女の子ども朋樹は今年度小学校4年生に進級します。私たちにとっては初孫だったし、長女が助産婦をしていたこともあって、また娘婿の家が大阪羽曳野という遠隔地でもあったため、私たち夫婦は初孫の世話に少しだけ翻弄されましたが、まあ何とか元気に成長しているようです。小学生なので学校や日常の勉強もあり、また日常遊びの友達もできてそれなりに忙しく過ごしているようです。長女の子ども尚樹は4歳ですが間もなく来月には5歳の誕生日を迎えます。小さい頃から松山市内の幼稚園に通っていて、兄の影響もあって結構こましゃくれていて、何処で習ったのかダンスが得意な孫です。

 長男の子どもは二人です。息子一心が自分の名前の一字を取って命名した、希心と奏心は一年前の春から私たち夫婦と同居を始めていて、いわゆる内孫です。一年前から希心は近くの保育園に通っています。通園を始めの頃は保育園に行きたくない、母親と別れるのがつらいと、毎朝泣いて困らせていましたが、今は私と毎朝楽しそうに通園しているのです。奏心も間もなく5月で3歳になりますが、今年から希心と一緒の保育園に入園すると張り切っているようですが、はてさて昨年の希心のように、毎朝一悶着あるかどうか気がかりですが、長男以上に元気でわがままな性格が保育園で直ることを楽しみにしています。

希心君

 という訳で4人の孫にとっては只今が束の間の春休みなので、昨日は春休み最後の日曜日ということもあって、私たち夫婦の招待で、孫たちをピクニックに誘いました。桜も咲いていないし名残の季節風が吹くあいにく寒い一日でしたが、絶好の好天に恵まれました。孫たちは少し早起きをさせて、7時30分に自宅を出ました。松山の娘の家で落ち合い、とりあえず松山市内郊外の喫茶店でモーニングサービスで朝食を食べました。孫たちはワッフルやピザ、ホットサンドにミックスジュース、オレンジジュースを注文し、私たち家族だけの小さな部屋が空いていたこともあって、朝からリラックスムードでした。

朋樹君

 行く先は海岸国道を通って今治の野間馬ハイランドです。ここではポニーにも似た日本在来種の野間馬が60頭ばかり飼育されていて、孫たちは到着するなり妻に買ってもらった1回200円の乗馬券でジョッキーの格好をして乗馬を始めました。最初は恐る恐るでしたが、そのうち馴れて馬上でポーズを取る等ご満悦な様子でした。乗馬は4歳以上と決められていて、残念ながら孫奏心だけが乗れないため、大泣きで諦めさせるのに一苦労しましたが、長男が馬小屋へ連れて行って馬の背中に乗せてもらったため、どうにか機嫌も直ったようです。ハイランドには子供向けの遊具が整っていて、孫たちは汗だくで遊んでいました。

 昼食は裏道を通って玉川へ出て八勝亭というファミレスで、孫たちの要望に応えて焼肉のお子様ランチでした。肉の嫌いな私だけがうな重を頼みましたが、泣き疲れた奏心は眠ってしまい昼食を食べず終いでした。その後玉川の総合運動公園へ立ち寄り、遊具で遊んだり持参した遊び道具で思い切り大汗をかきました。ここにはかなりスリルのある高くて長いローラー滑り台があって、私も孫たちと一緒に何度か滑りましたが、骨盤が揺さぶられるような感触を味わいました。
 その後水ヶ峠を通って奥道後に出て、みんなでジャングル風呂を楽しみ、うどん屋さんで大学に勤める娘婿と日赤に勤める次男が合流し、賑やかな夕食会となりました。

尚樹君

 同乗した娘家族を道後のマンションまで送り、一足先に帰った息子たち家族と自宅に相次いで到着したのは8時過ぎとなりました。一オクターブ高い孫たちとの会話や、俊敏な孫たちの行動力に圧倒され続けた春休みの一日でしたが、心地よい疲れだったようです。別れ際「今日はありがとう」と言ってくれた孫と、今朝起きて来て「昨日はありがとう」と言ってくれた孫たちに、「また行こうね」と妻も私も言葉を返しました。出費は少々要りましたが、孫たちが喜ぶ姿が何とも嬉しい爺と婆なのです。
 本当はレオマワールドか別府辺りへ一泊で出かけるつもりだった妻の財布は、少し軽くて済んだと喜んでいました。何はともあれ孫4人も今日からそれぞれワンランクアップの暮らしを目指すことでしょうが、孫たちに負けないよう私たち夫婦も、勿論親父も元気に暮らしたいものです。

  「野間馬に 乗って満悦 孫たちに ポーズポーズと 爺馬鹿ぶりを」
  「乗りたいと 二歳の孫が 大泣きし 馬もビックリ 振り返りつつ」
  「妻財布 朝昼晩と 振舞って 年金暮らしの 悲哀忘れて」
  「孫たちと束の間楽し 春休み 桜咲かぬが 少し残念」
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人間牧場

○一番高くつく浪費は時間の無駄である

 ギリシャの哲学者テオフラトスが言っているように、「一番高くつく浪費は時間の無駄である」と思いつつ、どうすれば時間を無駄なく使えるか考えるのですが、心や頭のどこかに「無駄な時間こそ最高の贅沢」(私の名言)という考えがあって、無駄な時間を反省をすることもなく容認しつつ、日々を過ごしているのです。
 私が人間牧場を造った一番の理由は、「人間牧場の背もたれ椅子に寝転んで本を読みながら昼寝をする」という単純な願いでした。このことを人に話すと、「エッ、昼寝をするために高いお金をかけてあんな施設を造ったの?。それこそ時間の無駄では?」と言われそうなので、今はその言葉を封印していますが、これは正直な私の思いなのです。これまで人がどう言おうと闇雲に昼も夜も土日も、馬車馬の如く働いてきたと自負する私なので、どこかで少し立ち止まって昼寝をしたいと思うのは、当然の成り行きだと思うのです。

 そんなこともあって、一昨日は人間牧場へ農作業で出かけましたが、農作業で疲れた体を背もたれ椅子に横たえて、毛布を被り30分ばかりうたた寝をしてしまいました。しかしこの短い30分の昼寝で頭も体もすっきりし、元気が回復したような気分になったのですから不思議です。傍から見れば一見無断な時間のように思える昼寝も、まさに「無駄な時間こそ最高の贅沢」でした。
 しかし考えてみれば一日の中でも「これは時間的に無駄だった」と思えることがいっぱいあることに気づくのです。リタイアしてサンデー毎日になると、時間の使い方の観念がなくなるきらいがあります。誰からも束縛されず時間を自由に使えるのがリタイア後の楽しみなのでしょうが、余程しっかりした考えを持たないと、無駄な時間ばかりが経って、「歳をとると一ヶ月や一年が経つのが早い。この間正月だったのに早お盆」なんてことになって、結果的には何も残らないのです。

 私は極力前日に明くる日やりたいことを大まか決めて暮らしています。「午前と午後、夜をそれぞれ二つに分けて合計6つのやりたいことを小刻み頭に描くのです。勿論講演や会議等に出かけたり、人に会うと午前と午後、夜の三つのパーターになったり、一日がひとつのパターンになったりしますが、それはそれとしてやるべきことがあるのですから結構なことなのです。
 「一番高くつく浪費は時間の無駄である」ことは、肝に銘じなければならない金言です。「時間を無駄にしてしまった」と思えることはいっぱいあります。この歳になると忘れること、忘れ物も多く、忘れたことを思い出そうとしたり、忘れたものを探したりする無駄な時間を過ごすこともしょっちゅうですが、それは日ごろの整理整頓が出来ていない暮らしのせいかも知れないと、今日は早速机の上や身の回りを少し片付けました。

  「一番の ムダは何かと 問われたら 時間などとは 誰も答えず」

  「忘れ物 捜す時間の 多いこと 歳のせいだと 思っているが」

  「計画を 立てれば時間 有意義に 使えるもの 無駄な時間を」

  「何げなく 過ごせる時間 欲しかった 手に入れたけど 何気な過ぎて」 

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人間牧場

○人間牧場での農作業

 春が来たというのに一向に暖かくならず、また年度末も結構忙しかったことを理由に、人間牧場での農作業をずる休みしていましたが、お尻に火がついたような感じで、昨日は春一番を思わせる(気象庁の発表によると実はもう春一番は吹いている)ような通称やまぜ風の強く吹く中、田舎のオープンカーに乗って農作業に出かけました。
 野も山も畑も、たった一日の事ながらすっかり春めいて、名残の梅の花と咲き始めたスモモの花に加え、今が盛りと遅れた分一斉に咲いたヤブツバキの花を、同時に見ながら作業を始めました。妻が用意してくれた作業用のジャンバーを脱ぎ捨て、薄手のシャツ一枚でも作業をするに連れて汗が出ました。

ヤブツバキの花

 昨日の農作業はロケ風呂下の倉庫の中にしまっていた、ペレット肥料とペレット燃料を取り出し、ペレット燃料はピザ釜の後にトラックに積んで移動し、ペレット肥料は畑に撒いて、残りを灯油ボイラーの倉庫に移し替えるのですが、これが中々重たい仕事で腰に堪えました。肥料と燃料を除けて空になった倉庫の掃除をして、残材を使って奥まった場所に小さな棚を作り、細々したものを収納してから、上の倉庫から耕運機を取り出し、エンジンをかけて下の倉庫へ移動するのですが、エンジンは亀本さんが直してくれていて一発でかかったものの、階段の道が狭くて大きくはみ出し、急斜面を落ちそうになりました。急いでロープを使って固定し前進と後進を小刻みに繰り返しながら、四苦八苦の末何とか新しい倉庫に運び入れました。耕運機は只今のところ年に一度しか使わないので、再々使う上の倉庫では邪魔者扱いされていましたが、これでやっと居場所を得た感じです。

 そのうち年輪塾生第1号の浜田さんから、電話で作業の申し出があり、午後2時頃自分が運転してやって来ました。浜田さんはこれまで私や人の便でやって来たり、上に車を置いて歩いて来ていたので、車の乗り入れは多分昨日が初めてだと思うのです。浜田さんはこうして時々修行と称して人間牧場へやって来て、特に水平線の家の中の掃除をしたり、細々した片付け作業をしてくれているのです。昨日は亀本さんが桜の木の枝で作ってくれていた金次郎の歌詞台が、生木だったため虫に食われて木くずで多いに汚れていたので、そこら辺を大掃除していました。私は入り口付近までのコンクリート舗装私道に、イノシシが荒らして流れ落ちた赤土をスコップで除ける作業をしました。

白い花が開き始めたスモモの木

 天気予報では明くる日の今日は雨だと言っていたので、少し丁寧に取り除く作業をしましたが、冬の長い間農作業をしていなかったため、体が生っていて汗をかき息が上がりました。折からの突風で土煙が上がる中をせっせとやった結果、何とか綺麗に片付けることが出来ました。私たちがいない間に頻繁に出没し、時折悪態の限りを尽くすイノシシには困ったもので、手の施しようがないのですが、これも神仏が与えた試練と思いながら、イタチごっこならぬイノシシごっこを繰り返しているのです。
 昨日松山では、待ちに待った桜の開花宣言が出たようです。昨日一日だけで人間牧場のスモモの花も随分開花したように見えました。農作業を終えて浜田さんと差し入れてくれた饅頭を食べて一服しながら色々なことを話し、午後5時前に農作業を終えて帰宅しました。作業中に講演依頼の電話やスケジュールの打ち合わせ電話が相次ぎ、昨日も忙しい一日でした。

   「見る人も ないのに椿 艶やかに 冬の名残を 惜しみつつ咲く」

  「春嵐 温かい風 まとわりて スモモもやっと 目覚めたように」

  「イノシシに 荒らされた道 スコップで ヨイショヨイショと 汗をかきつつ」

  「修行だと 言って友人 掃除する 私も修行 思いつ作業」

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人間牧場

○体の尺度

 昨日一冊の雑誌をいただき手にして読みました。ざっと流し読みをして裏表紙を見るとある測量事務所の興味ある広告が載っていました。手を鉛筆書きで描いたイラストですが、その説明に「人は自分のカラダにはかりを持っています。尺や寸は自分の体の一部の長さの単位でした。それはとてもいい加減に見えますが、自分にとって安心できる丁度いいを発見するはかりでした」と、意味深長な言葉が書かれていました。
 早速このイラストに沿って自分の親指と人差し指の間の長さを計ってみると16.5cmありました。もっと調べたいと思い辞書を引いてみると、手を広げ親指の先からから人差し指の先までの長さを尺ということが分かったり、私が漁師をしていた頃海の深さを測るのに、両手を広げて一尋、二尋とロープを計るよう親父に教えてもらったことを思い出しました。

体の尺度

 その後、子どものころに尺貫法が廃止されメートル法が公認されたため、曲尺とか鯨尺とかは私の暮らしの中から消えて行きましたが、それにしても昔の人はよくもまあ、あんなアバウトな計測法を使って、それなりに仕事に生かしていたものだと感心するのです。私は毎日1万歩を目安に歩くよう心がけていますが、残念ながらその科学的な根拠もないまま、ただ無造作に歩いていることに気がつきました。「私は一日一万歩歩いて一体どれ程の距離を歩いているののか、またその距離を歩いてどれほどのエネルギーを消費しているのかさえ分からず、ただ人が一万歩くといいというので歩くという、まあいい加減な歩き方をしていました。
 人によって身長が異なるため、一歩の長さはまちまちですが、160cmの人なら身長160から100を引けば歩幅は60cmだそうです。別の計算式160cm×0.37=59,2cmも概略60cmですから、ほぼ同じと思えばいいようです。

 

 つまり1歩60cmで1万歩をかけると、6キロという数字が出てくるのです。えっ、1時間30分ほど歩いただけでそんなに歩くの?と不思議に思いましたが、まあ道行く人と話し込んだり少しゆっくり歩くので、1万歩歩けば安く見積もっても5キロ程度は歩く計算になるのです。
 ところで尋(ひろ)は尋(じん)とも呼びます。一尋の二倍を常(じょう)というそうですが、私たちが日ごろ何げなく使っている尋常という言葉は普通や並みという意味なので、「尋常ではない」というのは「ふつうではない」状態を意味するのです。昔学校のことを尋常小学校や尋常高等小学校などと呼んでいましたが、やっとその意味が分かったような気がしました。尋は「広げるという意味があり、「左」「右」「寸」の合成文字だと知れば益々博学になった気分です。今日から1歩50センチを刻んで約5キロを意味を込めて歩きたいと思っています。

   「一万歩 歩けば5キロ 歩くそう 百日百キロ 凄いぞ凄い」

  「尋常の 意味を始めて 知りました 尋は左右と 寸の合体」

  「手の平を 定規に見立て 昔人 暮らしに活かす 生活の智恵」

  「この歳に なっても知らぬ ことばかり おいそれ死ねぬ 早く知らねば」

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人間牧場

○春は別れの季節

 昨日の夜は激励会と送別会を一緒にするという、相手には少々失礼な会を行ないました。最初計画していたのは年輪塾のメンバーで、メダカの飼育で名を上げた井上浩二さんが、この春2年間の残任期間を残して早期退職するというので、再起動の会をしてあげようと相談が持ち上がったのです。ほら貝で出来た笛をプロ並みに吹くので、私たち仲間の愛称は「ホラ吹き浩二」(私が敬意を持ってつけた愛称)と呼んでいますが、彼は旧小松町の職員で、合併後西条市役所の職員となって環境行政に力を注いできたのです。
 双海町東越でメダカの学校を造って活動していて、亡くなった川口寿雄さんと、私を介して知り合ったのはもう20年も前のことでした。以来川口さんと深い親交を持ち、川口さんが亡くなってからは川口さんの遺志を継いで「メダカの井上浩二」といわれるまでに成長し、メダカサミットを成功させる等、大きな成果を収めているのです。その井上さんが心境の変化で40年勤めた役所を早期退職するというのです。退職後も再雇用等でぶら下がる人が多い中で、後進に道を譲るというのは中々出来ないことです。聞けば彼には大きな夢があって、その夢の第一歩として、退職後間もなく四国八十八ヵ所を坊主頭で歩き遍路に出かけると、目を輝かせて話していました。

再起動と送別会

 昨日の会のもう一つの目的は、国立大洲青少年交流の家の所長としてこの3年半余り活躍し、年輪塾の塾生として行動を共にしてきた新山雄次さんが人事異動で、福島県にある国立那須青少年交流の家へ転勤が決まった送別会でした。交流の家の所長といえば重い役職ながら気軽に私たちと活動して、私たち仲間を感心させ続けた立派な方で、栄転ゆえに大きな拍手を送らなければならないはずですが、仲間が去るのは少々残念な気もします。
 私と国立大洲青少年交流の家の出会いは古く、青年の家と呼ばれていた時代に誘致運動にかかわり、その後も活動や運営に深く関わってきました。丸木舟や青年の樹の移動ゴタゴタで、一時冷めた関係にありましたが、前所長や新山さんと出会って見事に心のわだかまりが解け、特に新山さんの所長時代は運営委員長に就任する等、公私共に深い関係になっていました。先立って先月異動した國分前次長さんとともに、惜しい別れなのです。

 昨日は網膜はく離の手術をして、県立中央病院に入院している清水さんの見舞いに行きました。偶然新山所長さんと病院で見舞いが一緒になり、三人でしばらく談笑してから新山さんを私の車に乗せて、少々早く市駅近くの小料理屋「ふじ」というお店へ着き、早めに到着していた大洲市田処の西田和子さんを交えてお話に花を咲かせました。
 再起動と送別の会には永井さん、青木さん、浅野さん、浜田さん、西田さん、米湊さん、松本さん、真鍋さんたちも駆けつけ、賑やかな集会となりましたが、2時間飲み放題食べ放題で身も心も満腹となり、21時近くでお開きとなりました。松本さんたちは余韻を楽しむべく夜の町へ消えて行きましたが、私は帰宅便同乗を頼まれていた赤石さんと、今月末で店を閉めるとハガキが届いていた市駅前の「いよじ」へあいさつに伺い、赤石さんが生ビールを一杯だけ飲み干して店を出ました。この店も私の過ぎ越し人生には忘れられない、数多くの夢や出会いをいただいた懐かしい店なのです。
 人は去り、人と巡り合う、まさに春は別れと出会いの季節です。井上さんと新山さんのこれからの活躍に多くな拍手を送りたいと思います。

   「送別と 退職祝う ごちゃ混ぜの 宴会開き 旧交温め」

  「飲み放題 頑張りお茶を 三倍も 春はダボダボ トイレ駆け込む」

  「三月で お店閉めると いう便り 寂しくもあり 最後立ち寄る」

  「春出会い 春に去り行く 人ありて 三年間の 思い出過ぎる」

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人間牧場

○四国サイコーダイガク最終成果発表会

 サイコーを最高や再興、再考とかけたサイコーダイガクという珍しい名前の研修会が発足したのは昨年の6月でした。以来講義やワークショップ、中間発表会、モニターツアー、サイコーダイガク祭を経て、回を重ねること10回目の最終発表会が昨日、双海地域事務所で開かれました。毎回30人ほどの固定メンバーが双海町の観光資源をどのように生かすか、智恵を絞って話し合いました。残念ながら双海町が再興するまでのレベルには達しませんでしたが、それでも合併以来縮み続けていた感のある双海町のまちづくりを観光という視点で再考し、何とかしたいという想いを共有したり、次につなげようと努力した成果は大いにあったようです。

市長さんもあいさつに

 昨日は「着地型観光ビジネスについて」、株ティー・ゲート取締役ニューツーリズムコンサルティング部長福井善朗さんのショートな講義がありました。「着地型のサービスは感動」、「既存の商品を工夫する」、「顧客は創る」、「情報発信ではなく流通」というキーワードを分かりやすくパワーポイントを使って説明してもらいましたが、個人ニーズへの対応や多様化する販路への対応、高まる体験型観光ニーズへの対応など観光イノベーションを起こさなければならないと強調されていました。
 その後地域事務所の武智さんと地域おこし協力隊の冨田さんが一年間の成果を発表し、一年間に渡ってサイコーダイガクのコーディネーターを務めた前田さんの司会で参加者が意見を述べ合いました。

 昨日は伊予市長さんも2時間の会議に出席していて、双海町の観光資源を原石に例えてエールを送ってくれました。最後に前田さんから発言のマイクを振られ私も一言述べる機会がありました。双海町の観光を考えると、観光協会やシーサイド公園、グリーンツーリズム推進協議会などがありますが、いずれも観光に関するシグナルを出したり、つなぐ機能が不足していて、このままではこれ以上の発展は望めず、近い将来まちづくり会社のようなものの設立に向けて努力していかなければならないと意見を述べました。

 サイコーダイガクの学習は参加者の総意によって、今後も継続することが決まりましたが、学習に機会を捉えて夢を語り合うことは大いにやるべきなので、私も参加しようと思っています。発表会終了後500円の会費を持ち寄って謝恩会が開かれました。おでんをつつきながらの立食パーティも大いに盛り上がりました。次年度は私も人間牧場でグリーンツーリズムに似た幾つかのプログラムを実験的に行なってみようと思っていますが、はてさて時間や暇がが取れるかどうか・・・・・。

  「久方に ふたみの観光 語り合う 老若男女 三十人もいて」

  「頭では 分かっているが リアルとなると 手足動かず」

  「何もない 思っていたが 原石は あり過ぎるほど この町凄い」

  「仕掛けたる 人の異動も ないようで 根性すえて 前に向かって」

 

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