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○大杉年輪塾(その3)

会場を埋めた160人の参加者

 今回の大杉年輪塾は午後6時から2時間の予定で始まりました。150予定して用意した椅子は開会までに全て埋まり、慌てて10席ほどかき集めました。嬉しい誤算に受付で配る資料も、私たち関係者の分は回収されて、参加者に回され事なきを得ましたが、柳沢地区へは何度も足を運んでいるので、知人友人も多く会場のあちこちから懐かしい顔顔の人たちが手を振ったり、軽く会釈してくれたりして応えてくれました。
 亀本幸三さんが進行役を務め、西田和子さんの開会挨拶に続いてこの日のメインゲストである中桐万里子さんの話が始まりました。中桐さんは二宮金次郎の七代目の子孫で、自分の祖母から聞いた金次郎の人となりやエピソード、それに全国600の町や村の復興に関わった話を分かりやすく話していただきました。メインである水車の話は皆さん納得してメモを取っていましたが、報徳=恩返し、ギブアンドテイク⇒テイクアンドギブは、私たちのこれからの生き方に大きな示唆を与えてくれました。

熱弁をふるう中桐万里子さん

 90分一杯を使った中桐さんの話に続いて、いよいよ私の出番です。ステージには素敵な高座が設えていて、その上には西田さんのご主人が生前いただいたという、立派な紫色の分厚い座布団が敷かれていました。看板が裏返しされ、米湊大番頭の出囃子、松本小番頭の拍子木と紹介で高座に座りました。少々マイクの雑音が入りましたが、与えられた30分の持ち時間を、思い切り熱演しました。私の役目は中桐さんのためになる話の、緊張した余韻を消すことなく、心と体をほぐすことなので、落語ならぬ落伍ですから多いに笑ってもらわないと困るのです。一番前の列に座っている年輪塾の大河内結子さん、青木晴美さん、田処女性陣がまるで桜のように大笑いしてくれるので、その波及効果で参加者も多いに笑っていただきました。高座への反応を見聞きする限り、まあ100点満点とは行かなくても、90点くらいの及第点ではなかったかと、手前味噌ながら自己満足をしています。

会場を笑わせた私の落伍風景

 この日のため、私の名刺のパトロンである、ギノー味噌の田中社長さんから、桜海老ドレッシングを参加者全員にいただきました。勿論裏が味噌の名刺を使って、ギノー味噌のコマーシャルもしたたかにさりげなく、やらせていただきましたが、テイクアンドギブが浸透し、足らなくなったと思っていた120本の桜海老ドレッシングが丁度よく納まって、主催者もホッとしました。落伍終了後年輪塾のメンバーの演奏で二宮金次郎の歌をみんなで大合唱し、徳田さんの締めくくりのあいさつで、研修会は余韻を残し終わりました。
 この日はすっかり盟友となっている県警本部長さんや県庁の局長も駆けつけていただき、また坂出の福田さんや高知馬路村の木下さんも駆けつけてくれました。木下さんはその後の交流会で、いつもより更に進化したウマジックを披露して、会場を大いに盛り上げてくれました。
 宴たけなわながら10時40分に中締めを行い、急いで粗方の片づけをみんなで行い、泊まる人帰る人に分かれ散会しましたが、私のデジカメの写真を再生して見ながら、過ぎこし時の流れを思い出しています。

  「尊徳の 子孫が語る 話には 裏の裏なる 教えがありて」

  「私には 心と体 解きほぐす 役割ありて 笑いを誘う」

  「一度会い 二度合う度に 深くなる 人の心の 温かきこと」

  「ああ今日も 元気貰った 思いつつ 深夜の道を 友と三人」

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○大杉年輪塾の開塾(その1)

 昨日は私が塾長を務めている年輪塾の移動塾が、山一つ峠ひとつを越えた大洲市柳沢田処であり、大番頭の米湊さんを12時20分に双海町地域事務所前で乗せ、更には12時30分にしもなだ運動公園前で小番頭の松本さんを乗せ、県道下灘~大洲線を走って田処を目指しました。沿線には名残の桜が路面をピンク色に染めて散っていたり、野山に咲く山桜の花がそれは見事に映えて、いいようのない幸福感に浸りました。
 この街道は車の交通量も殆んどなく、ゆっくりのんびり気心知れた3人で、世間話をしながら30分も走ると、目的地である旧田処小学校へ到着しました。この学校は丁度一年前に児童数の減少を理由に閉校になっていますが、敷地内に農村活性化センターという体育館や集会室を兼ねた立派な生涯学習施設があって、調理室ではいつもの女性軍が集まり、夜の懇親交流会に出される料理の調理真っ最中でした。

 旧学校周辺のさくらも少し盛りを過ぎていましたが、まだまだ花見が出来るほど残っていて、時折たまげたように、さわやかに吹く春の風に花吹雪が舞っていました。私が主宰する21世紀えひめニューフロンティアグループでは、千本桜の森づくり事業でこの地にも、100本余の桜がプレゼントされ、地元の人たちの手で植えられ、大事に育てられているのです。10年後の成長花見が楽しみです。
 今回の移動塾は、午後2時から清水さんが八幡浜市日土で開塾しているあらし山年輪塾が、遠隔地と清水さんの体調の都合、それに講師の都合で日土で開けないため、旧田処小学校の教室をお借りして開き、午後5時から農村活性化センターで大杉年輪塾の開塾式、午後6時から第一回目の夜学、20時から懇親交流会と続く超ロングなスケジュールなのです。

旧田処小学校で開かれたあらし山年輪塾の移動塾

 今回の年輪塾移動塾は、昨年双海町翠小学校で開いた二宮尊徳公開セミナーの講師を務めた、二宮金次郎の七位目の子孫に当たる中桐万里子さんへのリクエストが多かったため、中桐さんには午後と夜との二回講演という、過酷なスケジュールとなりました。あらし山年輪塾に参加した20人ほどの塾生は、昨年の公開セミナーで中桐さんの話を聞いているので、今回は中級編とでも言うべきもので、前回の続きの話を2時間に渡って興味深く聞きました。主宰した清水さんの網膜はく離手術後の経過も良好で、元気な姿であらし山年輪塾の運営に当たられました。その話の内容は主宰者である清水さんの、ブログでの書き込みがあると思われますので、委ねたいと思います。

あらし山年輪塾で熱く語る講師の中桐万里子さん

 

 中桐万里子さんの話はいちいち納得することばかりでした。ことばを選んで訴えるように話す話芸はとても洗練されていて、講演を数多くこなしていながら未だに百連発の機関銃のようにまくし立てて話す私とは大きな違いで、とても参考になりました。
 この日も二宮尊徳学の基本となっている水車の話を中心に話されましたが、二宮尊徳が栃木県桜町という寒村を復興した苦難の10年間の話、特に成田山のお寺で煩悩と闘い断食修行した苦悩の話は多いに心に響きました。
 講演が終わって質問タイムになり、私は水車の話について質問しました。講演で触れなかった水車の心棒についてです。即答の解答に納得し、自分なりの整理が出来たように思いました。

 続いて行なわれた開塾式は、高知県馬路村の木下さんの配慮で送ってもらった魚梁瀬杉の輪切りに、松本さんが腕を振るった看板が亀本さんに贈られ、塾長である私のあいさつに続いて、大杉年輪塾の西田さんが決意表明し、塾生証が交付され昼の部を終えました。

  「久方に 訪ねし里に まだ桜 残りて愛でつ 仲間に会いぬ」

  「野も山も まるで錦絵 見てるよう 桜桜に 目を奪われて」

  「この地にも 住む人ありて 長閑なり 煙上りて 夕餉の支度」

  「金次郎 子孫の話 営々と 遺し伝えて 今に至りぬ」

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○若松進一の半額セール

 時の流れは早いもので、新年度が始まって半月が経ちました。新年度を迎えるに当たり新しい気持ちでと意気込んでは見たものの、少し惰性のようなものを感じあくびが出るのもこの頃です。新聞のチラシには早くも「在庫一掃処分市」など、業者の焦りや世の中の不景気を反映したようなものが見え始めています。
 昨日の朝新聞を見ていて意外な社告を見つけました。新聞の2ページといえば社説や政治の裏話が出ている所で、私はむしろ1ページより2ページを食事をしながら読むのです。その2ページの下の社告欄に、私が4月から始めているカルチャースクールのことが載っていました。「新規のお申し込みは4月末まで、入会金半額!」小さい文字で追い討ちを書けるように「通常1,500円(税込み)が525円」「2012年4月開講講座のご案内、受講料3ヶ月分(教材費等は別)」など、今なら間に合う終列車とばかりに誘う言葉が並び、その横に私たち講師の顔写真入りで講座の内容が載っていました。

昨日の新聞の2面社告

 この社告をどう見ればいいのでしょうか。この社告を見た人は、「若松進一さんの講座も人が集まらないので、新聞社が再募集している」とか、「若松進一さんの講座の値打ちも半額セールとは安くなったものだ」とか、はたまた「半額になるのを待っていたので、一回は聞き逃したが行こう」とか色々な見方考え方がされることでしょう。
 今回のカルチャースクールで、私の「街中の人間牧場移動塾」というタイトルの講座に、2人の受講生が申し込んでくれました。毎月第一火曜日10時~12時までという、働いている人には参加できにくい日時を選んで開講しているため、それも止むを得ないと納得していましたが、一人でも申し込みがあったら講座を開くという、カルチャースクールの方針に沿って、4月3日に生徒2人だけの講座が開講しました。
 友人の松本さんが年輪塾のネットで講座のことを紹介してくれたお陰で、どうやら次回から1名増えそうな気配なのです。

 私は第1回目の講座のことを私自身のブログで、写真を添えて紹介しました。ところが私のブログを読んだ福井県の公民館連合会の事務局長さんからメールが入り、「たった2人でも丁寧に学習をしている姿に感動しました」とブログコメントいただき、何と何と7月に一泊二日で行なわれるセミナーの講師として招かれることになったのです。いやあ世の中は分からないものです。加えて受講生の兵頭さんの所属している法人会から5月に、モーニングセミナーの講演を依頼されるなど、面白い方向に発展しているのです。
 妻が昨日の新聞の社告を見て、「新聞の2面にこうして写真まで入れ、タダで宣伝してもらうなんて凄いよね。これ金額にしたら一体どのくらいかかるのかしら?」と、面白いことを言うのです。確かにこの社告は私の半額セールかも知れませんが、一方では妻の言うように宣伝広告だと思えば、とんでもない価値なのです。もっとも、私でさえ2面の新聞記事は上半身の記事を読んで、下半身は時折見過ごす等、見えにくい部分なので、気がつかない人も沢山んると思われますが、まあ話半分、いやいやたとえ100人でも見てもらえれば、効果は絶大です。考えは自分の軸足で左が右、上が下、向かい風が追い風に変わります。今回のたった2人だけの講座は、「損をして得をした」ような、何とも面白い様相を呈しています。次回の講座も頑張っていきまっしょう」。

  「新聞の 二面社告に 俺の顔 半額セール それでも買わぬ」

  「この社告 一体どんな 価値なのか? 妻言う通り うん万円かも」

  「二人でも 講座開講 したお陰 はるばる福井 講演依頼」

  「先ず動く さすれば風が 吹いてくる 風に任せて 海原進む」

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○舞たうん112号が届きました

舞たうん112号の表紙絵

 えひめ地域政策研究センターが発行している季刊雑誌「舞たうん」112号が届きました。届きましたというよりは、先日センターに立ち寄った際、送付作業に追われていた112号の編集担当だった川渕研究員から、先取りして持ち帰ったのです。本にしろ雑誌にしろ新しい出版物はいいもので、インクの匂いがすると何処かワクワク・ドキドキするものです。ましてや毎号柳原あやこさんに描いててもらっている表紙の絵が、下灘駅なので余計嬉しくなりました。表紙の裏側に次のような「表紙のことば」が書かれていました。
 ~JR下灘駅に都会からの若者たちが下車し、ベンチに座る。眼下は青一面に広がる海。夕陽が止まる双海はこのホームから生まれた。私も時は同じ頃か、石垣島白保を守る会の縁で知った地元の4歳児の発した言葉「海って生きているんだね」が、今も新鮮に残る。白保のサンゴは守られた。今度、都会から熱血「地域おこし協力隊」が下灘に降り立った。「ここは私の絵そのものです」と、ホームに立つ。双海の海も生きつづけていますよ。柳原あやこ~と、メッセージが書かれていて、感無量でした。

 112号は「地域活性化への新しい風」~地域おこし協力隊~が特集テーマで、編集子川渕さんの~(前略)今回は、それぞれ地域で活動している地域おこし協力隊にスポットを当て、現在の活動状況や課題、これからの展望等を取り上げることとした。(後略)~と書かれたリード文が読者を本分へと誘っています。毎度の事ながら22ページと23ページ見開き2ページに特選ブログ/shin-1さんの日記Vol19「頑張る地域おこし協力隊」という私の連載記事が載っています。今回は双海町下灘地区に配属されている富田敏さんのことを少しルポしましたので興味のある方や舞たうんが届く方はご一読の上ご批評願います。

 世の中は自然と人によって動かされています。自然は不変なものであり、人間の力ではどうすることも出来ませんが、自然を生かして生きることは出来るのです。地域おこし協力隊に応募した人の中から冨田さんを選んだ目利きの良さは人間の成せる技です。選ばれた冨田さんが今までと違った尺度で地域を活性化しようと挑むのも人間の力です。また冨田さんに触発されて、動こうとする人たちを束ねる人間の総合力がなければ地域の活性化は絵空ごとに終るのです。いい地域にするよう及ばずながら多いに協力したいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「今号も 拙文連載 したけれど 文章書くは いつも難し」

  「石ひとつ 都会で見つけ 野に放つ 光り輝く ようにしないと」

  「下灘の 駅に想いを 寄せている 何処か昔の 私に似てる?」

  「表紙絵に 描かれた姿 懐かしい メルヘンタッチ さすがさすがと」 

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○ゲンジボタルの幼虫上陸

水の中でカワニナを食べるゲンジボタルノ幼虫

 昨日の夕方、遠縁で知人のお母さんが亡くなった訃報を聞き、急遽夕方7時に家を出て通夜の会場であるセレモニーホール伊予へ車で向かいました。夜来の風も止み雨も上がって静かな夜でした。一通りのあいさつや死者との面会を済ませ、親族一同の夕食会場で思い出話をしながら雑談に耽り、8時過ぎに会場を後にしました。その帰り道、先ほど電話を貰った市議会議員の岡田さんに再度電話を入れました。
 先ほどの電話は「蛍の幼虫が上陸し始めたので見に来ないか」という誘いでした。通夜に行く途中だったので丁重に断わっていましたが、通夜を予想以上に早く切り上げたため、急遽蛍の幼虫の上陸を見たくなって再度電話を入れたのです。

 

 

光を発する蛍の幼虫

 岡田さんの説明によると蛍の上陸地点は私の家から僅か200m足らずの上灘川沿いだというのです。早速言われた地点まで車を走らせました。そこには既に岡田さんや蛍保存会の上西さん、それに翠小学校の教頭先生など3~4人の人がいて、川の側面を覗き込むようにして観察していました。車を止めてライトを消し、いわれる方向を覗き込むと水面から川の護岸を、光を輝かせて一斉に昇って来る無数の蛍の幼虫の群れを見ました。辺りは真っ暗なので余り分かりませんが、凄い数の幼虫が上陸していることが何なく想像できました。岡田さんや上西さんの説明だと護岸をよじ登った幼虫は川沿いの道を越えて田圃の土の中へ入るのだそうです。足元のアスファルト舗装の道には護岸を上りきった幼虫が何匹か這いながら動く様子が観察されました。

 

アスフアルトの道を這う幼虫

 ゲンジボタルノ幼虫は4月中旬になると雨の日を待って上陸を開始します。これは幼虫が蛹になるために行なう行動だそうで、このころになるとカワニナを食べなくなって、自ら光を発光するようになるのです。幼虫が上陸を開始する日は一日中雨が降り続く日の風のない夜19時ころからだそうで、上西さんの話による桜の花が散り始めたころと合致しているようでした。
 私が蛍と関わっていた何年も前に、地元で蛍きちがいとまで言われ亡くなった福岡親一郎さんから聞いていた、ゲンジボタルの上陸条件は、①最低気温及び水温が10度C以上であること。②一日の気温の変動が少ないこと。③水温と気温が同じ温度か気温が高いこと。④降雨時若しくは降雨後であること。⑤夜19時から21時であること。⑥幼虫が十分にカワニナを食べて成長成熟していること。日長時間が12時~13時間以上であること。でしたが、上西さんの話で付け加えれば、目安は桜が散り始めたころのようです。

 私はこれまで見たい見たいと思いつつ、蛍の幼虫の上陸を目の当たりにすることはありませんでした。昨日の夜はラッキーにも、岡田さんの一報で通夜の帰りながら、見ることが出来ました。蛍が卵を産み幼虫になって川の中で生活し、蛹から孵って光を発しながら飛ぶ蛍の短い一生の中でも、幼虫の上陸行動は余り知られていないし、見る機会のないことなので、その姿には飛ぶ蛍を見た以上に深い感動を覚えるのです。
 早速自宅へ帰って妻にその話をすると、「私も見たいからこれから連れて行って」と言われましたが、広間の忙しさや通夜の疲れもあって、「明日にしよう」と言い聞かせましたが、今日は孫たちにも見せてやりたいと思いました。

  「幼虫の 上陸姿 見に来いと 電話連絡 貰って参じ」

  「怪しげな 光を発し 這う幼虫 一ヵ月後の 乱舞楽しみ」

  「長年の 思い叶って 幼虫の 上陸風景 感動しきり」

  「私にも 見せてとせがむ 妻に言う 明日にしよう 疲れているから」 

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○双海中学校の入学式

 わが家から歩いて10分足らずの所に双海中学校があります。学校の校内放送や生徒たちの部活の声、ブラスバンドの音などが毎日のように聞こえ、ある意味若いエネルギーを、気としていただき暮らしているのです。その中学校の学校評議員をしているため、入学式のご案内をいただき歩いて出かけました。学校までの裏道沿いには桜や桃の花が今が満開と咲き誇り、すっかり温かくなった春の空気をいっぱい吸い込んで気持ちよく歩き、20分前に学校へ到着しました。前日の朝は体育館の屋根のめくれを知らせに、学校へ出かけたところ、「入学式は明日ですが?」と校務員さんに間違われてしまいましたが、この日は受付にPTA副会長になった大谷香代子さんもいて、間違えられることもなく校長室へ案内されました。

双海中学校第3回入学式

 入学式は今年が3回目です。統合の忙しさも消え、地元出身の畑中校長先生の指導のもと、すっかり落ち着いていい学校教育が行なわれているようです。今年の新入生は29人で、昨年卒業した人数より5人減ったため、少々寂しくなりましたが、生徒たちは元気いっぱいで入学してきました。翠小学校出身の長見さんが新入生代表で誓いの言葉を述べたり、大谷香代子さんの息子さんが、歓迎の言葉を述べたり、また子ども体験塾に参加した幸君、若松君、中村君などの顔も見え、少し大きめの学生服を着て、すっかり中学生の風貌をしていました。
 それにしてもつい最近のお母さんたちはとても若い格好をしています。私の子どもが中学校に入学したころは
、妻もみんな所帯やつれをして、もっと古風な格好をしていたように思うのですが、まるで独身ではと見まがうほどでした。

 今年は季節が約十日間ほど遅れているようです。中学校の前面に見える本尊山界隈の山桜も今が満開で、クヌギの新梢もまだ芽吹き始めたところですが、このところの暖かさで春は一気に進むものと思われます。折角咲いた桜も夜来の雨と風で残念ながら散ってしまいそうで、今朝書斎から見える窓越しには何処からか飛んで来た桜の花びらが、まるで桜吹雪と形容されるように雨風に舞って、風情を醸していました。
 今朝は今年度になって始めて、孫二人が保育園へ「おじいちゃんと行く」と言ってくれました。なんのことはなく、今日は朝から雨風模様で歩くのが大変だと思ったのでしょうか、私の軽四トラックに乗って行きたかったのでしょうか、さっさと軽四トラックに乗ってシートベルトを締め、発車オーライでした。
 
  「昨日まで じゃれついていた 子どもたち 少し太めの 制服を着て」

  「近頃の 母親若く 美しい 妻のころとは 随分違う」

  「フロンティア 塾に通った 加代ちゃんの 息子歓迎 言葉を述べる」

  「十日間 遅れて季節 過ぎにけり 今が盛りと 桜咲く道」 

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○由並小学校の入学式は新入生7人でした

 「お父さんいつまでやるの?」「もうそろそろ身を引かないと!」などと、会議がある度に言われる「学校評議員」という役職ですが、請われるままに由並小学校、双海中学校、松山工業高校と3校の「学校評議員」を退職後ずっとやってきました。その間双海中学校は下灘中学校が上灘中学校と統廃合し、歴史の一瞬に少しながらかかわってきました。また松山工業高校はかつてPTA会長を6年間の長きに渡って務めた経緯もあって、妻の言う「いつまでやるの」という言葉に自分自身も納得し、もうそろそろと学校にお願いしていながら、身を引かせてくれなかったというのが正直なところです。まあ評議員会は無報酬のボランティアだし年に3回程度の会議出席なので、そんなに目くじら立てることもないのです。

 そんなこともあって、昨日は由並小学校の入学式に出かけました。地域事務所裏の駐車場に車を止めて、歩いて裏口入門のように裏門から学校の運動場へ入りました。今年は桜の開花が大幅に遅れ、学校の運動所の桜は見応えのある今が満開で、感心しつつ先を急いで玄関へ入りました。というのも家は少し早く9時30分少し前に出たのですが、家を出たところで近所の小泉さんに出会い、体育館の裏側屋根が先日の大風でめくれているという、報告を受けたものですから、学校からは見えない部分なのでお知らせした方がいいと思い、走って中学校まで出かけました。カメラを持った私を見て校務員さんは怪訝そうに、「若松さん、入学式は明日ですよ?」と言われました。「実は学校の体育館の屋根がめくれているのをお知らせしたくて」と告げ、急いで自宅へ引き返し自家用車に乗って出かけたのです。

由並小学校の入学式は新入生児童7人でした

 由並小学校の校長室には既に20人ほどの来賓の人が集まり、お茶を飲みながら雑談に耽っていました。三好教頭先生や岡田校長先生とあいさつを交わし、トイレを済ませていると早くも新入生が、上級生に手を引かれて入場の準備が始まろうとしていました。来賓質へ入ることも出来ず、廊下の隅でその様子を見ていましたが、子ども体験塾に参加して顔見知りの子どもも多くいて軽く声を掛け合い、また新入児童のお母さんたちとも別室であいさつや会話を交わすことができました。
 やがて体育館に案内され入学式の一部始終を見せていただきました。今年の新入生児童の数は7人でした。聞けば翠小学校は2人、下灘小学校は11人とか、町内全体でも30人に満たないのですから、少子化の波は少人数ながら大きいようでした。

 新入学児童の中に公民館主事赤石さんの息子さんの姿を見つけました。凛々しい姿に目を細めながらその可愛らしい仕草に目が届きました。息子さんも少しだけ顔見知りの私と目が合い、軽く会釈してくれましたが、花粉症で鼻が出るのを気にしている様子が分かりました。春田教育長さんから新入生を代表して教科書を受け取る姿はご立派立派で、心の中で大きな拍手を送ってやりました。
 今日は「一日早い!」と校務員さんに間違われた、上灘中学校の入学式が9時から行なわれる予定で、出かける予定です。昨日は入学式を終えて栗田利行元収入役のお母さん(98歳)の葬儀が伊予市の月心会館であったため出かけましたが、春は何かと忙しいですね。

  「7人の 新入児童 元気よく 満開桜 負けじと咲いて」

  「少子化の 波はここまで 来たのかと 納得しつつ 入学式観る」

  「校長も 教頭さえも 新入で 全てピカピカ 光り輝く」

  「顔見知り ゆえに目配せ お互いに 六年後には どんな姿か?」

  「風そっと 桜一輪 散らしゆく」

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○わが町の自慢の桜

 日本人は余程花見が好きなのでしょうか、昨日は満開に近い桜と春の好天、それに日曜日という好条件に恵まれて、何処へ行っても花見客でいっぱいでした。昼過ぎに通った松山市石手川の土手沿いに咲く桜の木の下には、場所取りをしたと思われるブルーシートが幾つも並び、気の早いグループは弁当を広げて宴たけなわといった感じでした。傍には商魂逞しい屋台の店が2~3並んでいましたが、何ヶ所かでは桜の樹から何やらモクモクと煙のようなものが上がっていました。プーンと匂う臭いからして、どうやら焼肉をしているようなのです。桜の花を愛でる花見なら結構なことですが、桜の樹の下で焼肉とはいただけない話です。満開の桜もさぞ煙たくて迷惑だろうと、節操のなさに他人事ながら首を横に傾げました。

夕映えに染まる千人塚の桜

 桜の花を愛でながら酒を飲む風習は古典落語や錦絵に出てくるので、かなり古い時代から行なわれていたようです。今のように私たち庶民といえどもそれなりの弁当を用意でき、それなりにお酒が飲める豊かな時代になっていますが、昔の庶民は弁当や酒さえままならなかったようで、それでも隣近所揃ってささやかな花見を楽しんだようですが、いずれの時代も花が主役でありながら、桜を酒の肴にしたり、時には桜の枝を折ったりする不届き者もいるようです。
 昨日はその陽気につられて、親類の法事を終え、所用を済ませて夕闇迫る午後5時ころにわが町へ辿り着きました。上灘唯一の信号を左折すればわが家へ向かいますが、そのままシーサイド公園に向かって直進し、由並小学校の下で上灘駅方面の道を走り、潮風ふれあい公園へ妻と二人で出かけました。

妻をモデルに撮影会

 ここはここ数年私たち夫婦が、決まったように出かける桜の花見スポットなのです。千人塚の池が見下ろせるスポットには既に何組かの見学者が見えていましたが、無粋にも長いアンテナを2本立て、無線交信を楽しんでいる熟年男性が、いい場所に車を止めて占拠していました。車の中で何やらマイクに向かって話しているようでしたが、仕方なく傍に車を止めて見下ろしました。
 いやあ夕日に映えて実に見事な桜でした。桜は傍で見てよし、見上げてよし、見下ろしてよし、遠望でよしです。見下ろす桜もまた一趣でした。
 夕日と桜と女といえば、これに勝る美しいものはありません。3つ目の女は私の妻ゆえ多少見劣りしますが、まあこれも良しとして束の間の花見を楽しみました。

 

 昨日は法事が終ると最近開通した三坂道路を通って、仁淀川町の桜の銘木を見に行く手はずですたが、所用が長引き残念ながら出かけることが出来ませんでした。しかし妻いわく「こんな綺麗な桜が見れたので大満足」だと言ってくれました。私たちはその後公園の少し奥まった場所の、満開の桜を見て帰宅しました。千人塚の桜はまだ八分咲きなので、今日あたりもう一度出かけて、ブログのフェイス用に綺麗な写真を撮っておきたいと思っています。
 今は桜が見ごろです。この桜は早く目と心と写真に収めなければ、来年の春まで見納めです。今年の桜は事の外厳しかった寒さに耐え、十日も遅れて折角咲いた桜ですから皆で楽しみましょう。くれぐれも焼肉の煙で桜を燻すことのないよう、また枝を折ったり、桜そちのけで酒を飲み過ぎないようお願いします。

  「桜の樹 何やらモクモク 煙出て 焼肉パーティ いただけません」

  「何処よりも 勝る桜と 自慢しつ 妻と二人で 桜見下ろす」

  「花・夕日 加えて女 コラボする 三つ揃えて 私見学」

  「ああ今日も 幸せですと 思いつつ 今年の桜 初めて愛でる」

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○長い人生の始まり

 人間の人生には誕生、入学、卒業、就職、成人式、退職などなど、竹に例えると加えて行かなければならない様々な節がありますが、昨日入園式を迎えた2歳の孫奏心君にとっても、集団生活を初めて体験する大事な大事な一日でした。前の晩は周りの大人が、「明日は入園式」などと持ち上げるものですから、その気になって少し興奮していたようですが、4歳になる兄希心君と一緒に保育園へ行けるというので、随分喜んでいました。と同時に兄希心君もその気になって、お兄ちゃん風を吹かせたりして、まあそれなりに少し緊張していました。入園式は9時からでしたが、8時30分には一丁前なネクタイをして正装準備が出来、これまた正装したお母さんに連れられて家を出ました。

入園式を前に息子の家族たち

 息子と嫁、それに孫二人の記念写真を玄関先で撮りましたが、みんな何処となく余所行きの顔をしていました。聞けば息子も休みだったようで、出鼻に雨がぱらついたため、目と鼻の先の500mしか離れていないのに、息子の車で入園式に向かいました。ついでに息子もビデオカメラを持って入園式に参加したようで、親馬鹿振りを垣間見ました。
 私が書斎で原稿を書いていると、1時間ほどで入園式を終え親子4人が揃って帰って来ました。「どうだった」という私の質問に、「ちょっとだけ泣いた」と孫奏心君が打ち明けてくれました。昨年の入園式ではお兄ちゃんが大泣きしたので、「僕は泣かない」と張り切っていたのに、一人でジュースを貰いに行った時、お母さんの姿が見えなくて少し泣きべそをかいたようでした。

 

 兄希心君は昨年、4月病というホームシックにかかり、毎朝保育園へ行くのに行くのが嫌だ、と約1ヶ月も泣いて手こずらせましたが、その後母親離れをさせるために、通園送りは私が担当していました。その折殆んど毎日保育園まで弟奏心君も、一緒に通園気取りで見送りに行っていたため、あんなことはないだろうと鷹を食っているのです。
 昨日は入園ということもあって親類から入園祝いが届いたり、また夕食は大好きなカレーやデザートをいただいて、主役になったような気分でご満悦でした。今日は日曜日、明日からいよいよ保育園生活が本格的にスタートします。少しの間はならし運転で午前中のようですが、その後は母親もそろそろ出里の喫茶店へパートで働きに出るそうなので、私たちの手助けももう少し必要なのかも知れません。孫たちに負けないようリタイア8年目にチャレンジです。

  「玄関で 入園式の 記念にと 写真一枚 親が緊張」

  「人生の 始まり入園 長い先 心豊に 育って欲しい」

  「わが子にも こんな出来事 あったけど 妻に任せて 仕事一筋」

  「これからは また育爺の 役割が 重くなったと 実感しつつ」

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○カメラでのお遊び

 先週の日曜日、孫たちを連れて今治の野間馬ハイランドと、旧玉川町の総合運動公園へ出かけたことは、明くる日のブログにも書きましたが、あの日は風が強くて肌寒かったものの天気は上々で、遊具に夢中になって遊ぶ孫たちの歓声を聞きながら、私たち夫婦は体力的に追いつかないことを知って、風の比較的吹かない陽だまりを選び、持参した敷物を敷いた場所で、荷物の番をすることになりました。
 汗をかいて時折「おばあちゃん、喉が乾いたからお茶」と戻ってくる孫たちに、マホービンに入れ持参した麦茶を飲ませ、私たちもお菓子を食べながらのんびりと過ごしました。

空に伸びた木の梢 そのうち朝が早かったため少々眠気を催したので、妻の膝を枕に横になり、ついうとうと年甲斐も恥も外聞もなく、膝枕で至福の時を過ごしました。空は真っ青に晴れ渡り、時々生まれては消える雲の行方を眺めたりしていました。ふと手を伸ばすとデジカメがあったので、寝たままで思いつくまま、2枚の写真を撮りました。一枚は傍にあった一本の楠の木です。公園を造った時何処かから運んで来て、この地に小高く積まれた土の上に安住したものと思われますが、真っ直ぐ天に向かって伸びる様は、まるでおとぎの国のような感じがしました。この木のてっ辺に登って下界を見てみたいと思いました。私は大空を散歩しています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのうち無意識に足が、自然と空中に伸びました。思わずこの姿も一枚デジカメに納めました。その写真は「何処までも澄み切った青い空を歩きたい」と思ったそのままに、まるで大空を歩いているように撮れたのです。もう12年も前、私の「昇る夕日でまちづくり」という自著本に、「黄金色の道」という詩を書いています。
     黄金色の道
   夕日が沈み始めるころになると
   海の上に黄金色の道ができる
   夏は青島秋は水平線の彼方へと
   道の行く手は違えども
   黄金色のギラギラと輝いて
   夕日に向かって伸びている
   いつか誰かとあの道を歩いてみたい

 今にして思えばセンチメンタルで恥ずかしい気もしますが、海の上や大空は歩けないがゆえに、歩いてみたいと思うのは、私の夢なのです。

まるで鳥のように素早く飛ぶチョウチョ

 そんな夢を見ていると何処からか、一匹のそれは見事なチョウチョが飛んできました。孫たちも逃げ足の速いチョウチョを追っかけ回していましたが、余りにも素早い早さに諦めたようです。そのチョウチョが何と私の傍にやって来て留まったのです。私の大空散歩の水先案内人をするようにやって来たチョウチョを、夢中で写真に収めましたが、膝枕した妻は私の奇妙な行動に少し飽きれたような様子でした。
 何げない運動公園での昼下がりの夢遊びは、奥道後のジャングル風呂へと続きました。

 

 

  「木霊いそう 梢を見つつ 膝枕 ついウトウトと 昼寝楽しむ」

  「神様の 使いでしょうか 蝶一匹 誘うが如く ひらひら舞って」

  「青空を 歩いてみたい 思いつつ 思わずカメラ 足上写す」

  「年甲斐も なしに少年 なったよう 夢を見ている 自分恥ずかし」 

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