人間牧場

○孫の遠足弁当

 昨日は孫2人が通う上灘保育園の春の遠足とかで、前日の夜からわが家は何となく慌しい雰囲気でした。息子嫁はそんなこともあって、早めに風呂を入れて早めに寝かせる算段でしたが、遠足前夜というのはうれしいもので、少し興奮気味の孫たちははしゃぎ回っていました。それでも「そんなことをしていたら遠足には連れていかん」などと脅されて、普通の日と同じ9時前に床に就いたようでした。いつも朝起きがいい孫たちは昨日もやはり早起きで、8時3分自宅出発だというのに、6時前には起きてきて「お早うございます」と元気にあいさつをしていました。

 遠足や運動会は何故か天気が悪く、「晴れるだろうか?。雨だろうか?」と心配させるものです。遠足当日の昨日は、前日まで空気が乾燥するような好天に恵まれていたのに、朝からあいにくの雨でした。ダイニングキッチンに製作して吊り下げていたテルテル坊主も、どこか空しくしずんだ様子に見えましたが、孫たちは雨が降っても遠足は実施するので元気一杯楽しそうに、遠足のことを話していました。息子嫁は、孫二人と付き添いで出かける自分の分の三つの弁当を作るのに、昨日の夕方から今朝にかけて忙しそうに振舞っていました。孫たちのリクエスト弁当は何とカメンライダーだそうでした。

息子嫁手作りの力作カメンライダー弁当

 やがて7時半頃息子嫁が弁当ができたから見て欲しいと、私たちのダイニングキッチンへ出来立ての弁当を持って見せにやって来ました。いやあ驚きです。色々な食材を使って見事なカメンライダー弁当が出来上がっていました。孫たちには内緒だそうで、遠足先で弁当箱を開けた瞬間の孫たちの驚きや嬉しそうな顔が、垣間見えるようでした。やがて弁当を入れたリュックをかるい、孫たちは母親に連れられて元気に「行ってきま~す」と出かけました。バスに乗り松山のこどもの城へ行ったようでした。夕方外出していた私とあい前後して帰りましたが、「弁当が美味しかった。楽しかった」と、遠足のあれやこれやを話してくれくれました。

 「遠足で疲れているから、今晩は早めに寝かせます」という、息子嫁の話だったので、食事を終えた6時過ぎに私たち夫婦が一緒に風呂に入れました。孫たちはこうして色々な体験と思い出を積み重ねて成長するのです。昨日は愛媛県警察本部で私が委嘱を受けている、青少年サポーターの研修会がありました。青少年課職員や生活安全課の職員さんから青少年の非行実態や更生事例の話を聞きましたが、これほど優しい孫たちがひょっとしたら、あのようになるかも知れないと思うと、少し寂しい気持ちになりました。孫たちは幾つもの反抗期というトンネルや、鉄橋を越えて行くことでしょうが、いい子どもに成長して欲しいと願っています。

  「遠足は 気を揉むもので やはり雨 テルテル坊主 どこかうなだれ」

  「見てください できた弁当 見せに来る 息子嫁腕 撚りかけ作る」

  「弁当を 開けた瞬間 驚きの 声を上げたる 孫を想像」

  「この孫が 何年か後には 変化する これも成長 しっかり育て」

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人間牧場

○戻ってきた名刺入れ

 私には幾つかの名刺入れがあります。その中でも気に入って使っているのは主に2つです。その一つは木でできていて、私の木になるカバンとまるでお揃いのようなものなので、使わない時でも持ち歩いているのです。この木でできた名刺入れは親戚の共栄木材西下社長からいただいたものですが、難点は10枚以上は入らないのです。ゆえに相手の集会で名刺交換する人が多いような時は別のものを使いますが、この名刺入れは誤ってズボンや上着と一緒に洗濯機に入れられると大変なので、結局木になるカバンとセット宜しく言い訳程度にしか使えないのです。

 もう一つのお気に入りは、シックな小豆色で、擦り切れる蓋の両端には金メッキの金具が入っています。この名刺入れは私が主宰する21世紀えひめニューフロンティアグループの活動が認められ、コカコーラ環境教育賞という賞を受賞した折、副賞30万円をいただきに東京まで行き、帰県後全日空ホテルで祝賀会を高松支社に開いてもらい、記念品としていただいたものなのです。名刺入れの皮にはさりげなくコカコーラのイニシャルが透かしで刻印されているのです。この名刺入れも何度がズボンのポケットの中で洗濯機の洗礼を受けましたが、品物がいいのでくたびれることもなく未だに使っているのです。

 失う原因である名刺入れをどこへでも置く癖を直さないといけないと、見えなくなり探す度に妻から注意を受けるのですが、背広の内ポケットに入れていても、自宅へ来客があると出し、人間牧場へ来客があると出し、また視察者がシーサイドへ来ると持って行くなど、私の行く先々へジャンバーやズボンに入れられ持ち歩くため、結局は見失ってしまうのです。今回も名刺を交換した思い当たる場所を、何ヶ所か探しましたが結局見つからず、どうしたものかと思案しながら、別の名刺入れを代用していました。携帯電話なら自分の番号を呼び出して探す方法もあるのですが、名刺入れは言葉を喋れないのです。

戻ってきた名刺入れ

 昨日の夕方妻が、「探していた名刺入れが見つかった」と書斎へ持って来てくれました。「何処にあった?」と聞くと、整理ダンスの上の写真立ての後ろに隠れていたそうで、何はともあれ愛用の名刺入れが見つかりホッとしています。早速今日からこの名刺入れに沢山の名刺を入れて営業?再会です。
 名刺を渡せば殆んどの人が名刺をくれるため1増1減なのですが、時には講演が終わると「裏が味噌」や「技・脳味噌」などのフレーズの話をすると、昔ギャルだったおばさんたちに囲まれて、くれもしないのに「名刺をちょうだい」と要求されるのです。「名刺一枚を差し上げる代わりにキッス一回」何て戯言をいいながら渡して交友の輪を広げています。

  「名刺入れ 何処へ置いたか 見失う 代役使い 失念外交」

  「名刺入れ 有ったと妻が 持って来る 久方ぶりに 懐かし対面」

  「一枚減り 一枚増える 名刺入れ 時には減るだけ 貰いもせずに」

  「副賞に 貰った名刺 入れ故に これから先も 大事に使う」

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人間牧場

○海にしずむ夕日が我が家から見える幸せ

一週間前の夕日

 今年はこのところ、わが家から夕日を見れる機会が多く満足しています。そう思って大型手帳の予定表をめくり眺めましたが、例年とそんなに変わった訳でもなく予定が入っているのです。それは多分喫緊の気がかりなことがないため、心に少しだけ余裕ができたのではないかと納得するのです。加えて年末から今年初めにかけて相次いだ親類や友人の葬儀等が重なって、「人生とは何か」を考えさせられたことも大きな要因のようです。ともあれ夕方になると夕日が自宅の周辺や借景として毎日眺めている本尊山周辺を夕日が赤う染めるものですから、その気になってデジカメを取り出し、お粗末ながら写真に収めているのです。

前々日の夕日

 5月から7月一杯は太陽が北寄りのコースを通るため、わが家から居ながらにして海に落ちる夕日が見えるのです。最も私設公民館煙会所や夕観所からだと民家の屋根の上に落ちますが、裏庭とも裏山とも思える高台に登ると絶好の夕日見学スポットがあって、海に沈む夕日が見えるのです。
 昨日は夕方書斎で原稿を書いていると書斎の窓越しに向かいの本尊山が赤く夕日に照らされるのを見ました。急いでデジカメを持って裏山に登りましたが、残念ながらデジカメにチップを入れるのを忘れて、高入りした綺麗な夕日を撮影することができませんでした。それでも庭先から綺麗な夕日を眺めることができ、目と心に焼き付けました。

 私はこれまで色々な夕日を見てきましたし、人様の撮影した見事な夕日の写真も沢山見てきました。でもわが家からの夕日の写真は私だけのとっておきでオンリーワンなのです。たまたま我が家を夕暮れ時訪ねた友人を、美しい夕日の見える裏山に案内したところ、「若松さんは夕日にこだわってまちづくりを進めて来られましたが、自分の家から自慢の夕日が見えるなんて幸せで贅沢ですね」と誉め言葉を送ってくれました。たしかに友人が言うように見える時期が季節限定ながら自宅から海に沈む夕日が見える幸せは何ものにも変え難いものです。今朝の燃え立つような朝日に輝く珍しい雲の形もまた一趣です。この朝日が夕日になるのですから不思議といえば不思議です。

今朝の朝日前

 先日人間牧場を訪ねてきたシステムユニの岡田敏明さんが、かつて私が書いた短詩を覚えていて、「あの詩は良かった」と誉めてくれました。すっかり忘れていて、どこへ行ったか所在も不明でしたが、ふと思いついて私の自著本「昇る夕日でまちづくり」という本の200~201ページに「ふたみの夕日夕焼け物語」と題して書いているのを見つけました。

   西瀬戸の 海と空を染め分けて
   詩情豊にしずむ ふたみの夕日は美しい
   陽がしずみ始めてから 没するまで
   ゆったりとした 時の流れの中で
   人の思いは深くなる
   過ぎ去った歳月への 回想もあれば
   明日への夢や期待もあるだろう
   思えば地球上の人類は
   ひとつの太陽を見て 暮らしている
   同じ夕日をどこかで
   朝日として 見ている人がいるのだから
   不思議である

  「幸せは 幸せ感じる 心にて 感じなければ 幸せ言えず」

  「海しずむ 夕日わが家で 見えるとは これ程贅沢 ないと実感」

  「友人が 私の書いた 詩を覚え 『あれはいいです』 誉め言葉くれ」

  「このところ 夕日に思い 寄せている 自分発見 心境変化か」 

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人間牧場

○人間牧場での積る話

 このところ気候がよくなったことをいいことに、人間牧場へ沢山の訪問者が来るようになりました。来訪者は前もってアポイントを取ってやって来る人もいれば、「近くを通りかかったので人間牧場へ是非」と飛び込み状態で訪ねて来る人もいるのです。酷い人は「人間牧場を訪ねて来たが途中で道を間違えました。ここはどこでしょう?」何て助け船を求める人もいて、ちょっとした騒動になることだってあるのです。
 何度も人間牧場へやって来た人でも、人に連れて来てもらった人は道順が分からないほどの山道だし、特に下浜から池久保のルートはいつも通って通い慣れていても、「狭い!」と感じる道なのでくれぐれも単独でのチャレンジはご遠慮願いたいものです。

岡田社長さんと中村社長さん

 先日しっかりとアポイントを取って、友人のシステムユニ社長岡田さんとアトラス出版の中村幸男社長さんが二人揃ってやって来ました。岡田さんは宇和島市九島出身だし煙会所へも人間牧場へも以前に来ている馴染みの人なのですが、アトラス出版の中村社長さんは煙会所へは自費出版の本の打ち合わせのため何度か奥さんと二人で来られているものの、人間牧場は始めてのようでした。
 自宅で落ち合い、煙会所でお茶を飲んで一服した後、奥東・奥西経由で人間牧場へ私の車で出かけました。中村社長さんは曲がりくねった道や人間牧場からの眺望の素晴らしさに目を白黒させていましたが、岡田さんとアトラスの中村社長さんが知り合いだとは知りませんでした。

 中村社長さんは私にとって忘れられない人です。「昇る夕日でまちづくり」と「今やれる青春」という2冊の本の出版元なのです。特に私の出世作?となった「昇る夕日でまちづくり」は県内に大きな反響を呼びました。21世紀えひめニューフロンティアグループが金を出し、私が執筆した「今やれる青春」もそれなりの評価を得たのです。
 岡田社長さんは経営学の父といわれるピーター・ドラッガーの崇拝者で、愛媛大学工学部非常勤講師として教壇にも立っていますが、工場管理等の分野で色々な会社の指導をしているようです。特にピーター・ドラッガーについては相当研究しているようで、この日も資料を沢山いただきました。

 私のような浅学な人間にとって、岡田さんのような博学や、中村さんのようなジャーナリストという偉業種に生きる人たちの話は、とても新鮮でいい出会いとなりました。岡田さんからは大阪での研究会で講演して欲しいという依頼も受けていますが、もう少しお二人から色々な話を聞こうと思っています。
 「人は人によりて人となる」と言われていますが、この日もいい学びをさせてもらいました。二人のお陰もさることながら、人間牧場という場所を持っいるだけで、このような出会いが生まれてくるのです。

  「色々な 人や異業種 集まりて 人間牧場 嬉しき出会い」

  「今日もまた 人が来たかや 牧場に 知識英知 それぞれ持って」

  「考えて みれば英知を 手土産に これより以上 土産あろうか」

  「今日もまた 私の知識 メーターが ほんのちょっぴり 増量なりて」

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人間牧場

○奉仕に徹した男の真骨頂

人間牧場・水平線の家から見える美しい眺望 昨日の夕方、50ccの単車に乗って海岸をドライブしました。昨日は春なのにかなり強い北東の風が吹いて、前日より3~4度低めの気温で少々寒く感じるほどでしたが、薄手のジャンバーの中に風が入って膨らみ格好良く走りました。ドライブの目的は近々景観について話をする機会があるので、私が手掛けたまちづくりの成果物などをスライドにしようと思ったからでした。しかし昨日は天気が良過ぎて露出光線が強く、写真には明暗がはっきりし過ぎて不向きなようでした。 それでも唐崎付近を中心にデジカメで何枚か駄目元で撮りました。その後好天とさわやかさに誘われて人間牧場まで、ミツバチのご機嫌観察に出かけました。人間牧場界隈は咲き始めたみかんの花の香りが漂い、香りの景観とでも名付けたいいい雰囲気でした。水平線の家の広くて長い窓を全開して中から見えるオーシャンブーの眺望を、背もたれ椅子に座って一人楽しみました。満開のみかんの花

 楽しみにしていた人間牧場のミツバチの巣箱もどうやら4箱目の入居が確認できたようで、あと二つにはまだその兆候が見られませんでした。
 引き換えして帰る途中下灘駅へぶらり立ち寄りました。何人かの見学者がいましたが、プラットホームの直ぐ横の空き地で一人黙々と長いホースを引いて水をやっている人がいました。よく見ると私の従兄弟の西下芳雄さんでした。西下さんは元商工会長、現共栄木材の会長さんです。従兄弟ながら私と気が合い、私が若い頃から私のやることなすことに同調して支援をしてくれてきました。下灘駅で夕焼けコンサートを開いた頃からですから、もう30年近くの支援者なのです。その後下灘駅の美化や活性化に積極的に取り組み、陰ながら下支えをしてきました。ウフフという落書き帳も待合室の掲示板も、生け花も全て西下さんの発案で今に続いているのです。

一人水をやる西下芳雄さん

 西下さんは下灘駅を何とか活性化しようと考えていますが、道は中々遠いようです。それでもこの日は一人で草刈機を動かして草を刈り、一人でこうして水を黙々とやっていました。80歳を越えてもなお矍鑠として奉仕に徹している姿に感動しました。西下さんに比べると私などの奉仕の心はまだまだ未熟で、頑張らなければと強く強く思い、いい光景を見せてもらった感じがしました。私にとって西下さんの生き方は親父とともに見本であり、かく老いたいと思っています。

綺麗に咲いたなでしこの花
綺麗に飾られた待合室

 先日出会った時、ミツバチの巣箱を作るので端材が欲しいと頼んでいました。明日日曜日の午前中に伺うことの相談がまとまりました。無人島に挑む少年のつどいを始めた頃、その看板になる板を毎年用意して提供してくれたりした看板は、親父の手によって煙会所の天井に大切に保管しています。この看板を見る度に西下芳雄さんを思い出すのです。

「空は青 初夏の風吹く 海岸線 単車に乗りて さっそう走る」

「下灘の 駅で見つけた ボランティア 一人黙々 水遣り作業」

「近く見る 遠くに見ても 絵になると 感心しつつ 海眺めたり」

「山里に みかんの花が 咲き始め どこか懐かし 香り景観」

 

 

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人間牧場

○東京からの講演依頼

 「若松さんですか。実は私は東京の○○という会社の者です。以前にも何度か講演の依頼をさせてもらいましたが、今回も講演をお願いしたいのですが宜しいでしょうか」と、東京から電話が入りました。「いいですよ。どちらでしょうか?」と聞くと、「5月8日に伊予市へお願いしたいのですが」と、信じ難い返答です。「えっ、伊予市ですか?。私も伊予市に住んでいるのですが・・・・・・。」「はい、その伊予市のファーマーズマーケットいよっこらという直売所の利用者総会での記念講演をお願いしたいのです」。
 いやはや驚きました。合併して伊予市となった、その私の住んでいる街へわざわざ東京を迂回して講演依頼があるなんて、初めてのことだけにもうビックリしてしまいました。

 私への講演依頼は、私が個人的な活動をしているため、電話やメールで私に直接依頼があるのですが、時たまこのような講演の口入れを職業とする会社からも依頼があるのです。これら口入れ会社の対応は中間リベートを取るだけあって対応が素晴らしく、講演先の依頼条件にあった人を探し出し、講演の全てを相手に代わり、私に代わりかゆい所に手が届くほど綿密に仲立ちしてくれるのです。今回は講演先が近いため自家用車で行くことになりましたが、時には航空券や列車のキップや、往復行程表まで沿えて送ってくれるのです。送られてきた航空券が、飛行機のチェックインの時点でファーストクラスと知って驚いたり、宿泊先のホテルが豪華な部屋であったり、まあ微細な気配りなのです。

 前日も当日も東京の会社の担当者から確認の電話が入り、促されて会場となっている伊予市の元厚生年金センターへ出かけました。2階の会場には200人ほどの人が集まっていましたが、同じ市内なので顔見知りも知人友人も多く、照れ笑いしながら講演の始まるのを待ちました。受付の三谷さんという女性は、かつて伊予農協上灘支所の金融窓口に勤務していた方で、お互い昔の事ながら名前と顔を覚えていて、懐かしい出会いとなりました。
 90分ばかりの講演はあっという間に終わりました。ハーモニカのリクエストがあったり、帰ってからその日の講演の感想が参加者から何本も電話で届いたり、嬉しい反応が幾つかありました。帰宅途中味芳という料理屋さんで主催者主催の食事会があり誘われ、満腹の手合いで帰りました。

 昨日口入れ会社から事務手続きの封書が届き、今日手続きを終らせれば一件落着ですが、いやはや驚いた顛末でした。私のような者もお粗末ながら、色々な口入れ会社の講師名簿に名を連ねているようで、この歳になっても講演依頼があるのですからあり難いことです。私への講演依頼は携帯かメール、それに自宅の電話が使われますが、自宅の電話の取次ぎは留守が多いので、電話に出る息子嫁と妻が私に代わって取り次いでくれます。その殆んどは「私のの携帯電話に直接かけるように」と、携帯の番号を知らせれば済むのですが、時には相手の用件と連絡先をメモして渡されます。この日はお土産にいただいた高価な霜降り牛肉を、妻と嫁が半分こして美味しくご相伴に預かりました。目出度し目出度しでした。

  「東京を 経由講演 依頼来る 聞けば地元で 驚きました」

  「口入れの 会社担当 丁寧で 微細気配り 有難きこと」

  「口入れの 会社の講師 名簿載る 時々依頼 これも驚き」

  「霜降りの 牛肉土産 妻と嫁 二つに分けて この日すき焼き」

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人間牧場

○金次郎銅像を旅のお供に

 このところ私は講演に行く時、エコバッグを提げて行くようになっています。タダでさえ目立つ重そうな木になるカバンに加えて、テント生地でできているエコバックを一方の手で持って行くのですから、両手塞がりといったところで、さすがに傘を差さなければならない雨の日などは、持って行っても躊躇して車の中に置いたりして出かけるのです。
 元々このエコバックは長男息子が仕事に使っていました。どこかで貰ったそうですが息子に頼んで貰ったのです。エコバックだからといって買い物に使うわけでなく、この中に講演で使う材料を入れて持ち運ぶのです。時には私のパトロンとなって名刺に広告を載せているギンー味噌さんからいただいた味噌やドレッシングを入れたりして持ち運んでいますが、最近はこの丈夫なエコバックの中へ二宮金次郎の、小さな銅像を入れ旅のお供に加えているのです。

 先日岐阜県へ講演に出かけた折、大阪から石川県金沢までサンダーバードという特急に乗りました。長い道中だったものですから、列車内での読書にも飽き手持ち無沙汰で、何げなくエコバッグから二宮金次郎の銅像を取り出してまざまざと眺めていると、隣の席に座っていた品のある女性から、「まあお珍しいものをお持ちですね」と「お」付きの言葉をかけられました。それからは二宮金次郎について話が弾み、すっかりお友だちとなり、東京暮らしのこの女性と名刺交換をして、手紙やメールのやり取りを今もしているのですから、旅は道連れ世は情けでしょうか。内緒の話ですがこの女性は著名な方で、近々松山へやって来たついでに人間牧場を訪ねる予定だそうで、私も楽しみにしています。

 すっかり話が横道にそれましたがこの二宮金次郎の銅像は、前にもブログで紹介した通り、私が会長をしている公友会の昨年の総会に出席した、愛媛大学名誉教授の讃岐幸治先生にいただいたものなのです。どこで手に入れたはさておき、昨年まで私が塾長を務めている年輪塾のテーマが二宮尊徳だったし、公開セミナーで二宮尊徳七代目の子孫中桐万里子さんと出会ったりして、私の講演のレパートリーに尊徳の話が加わったためのお供なのです。
 この銅像は高々40センチ程度の小さな銅像ながら、頭脳が詰まっているのか中々重くて、歩く距離が長い時はずっしり肩に重さがのしかかるのですが、木のカバンとのバランスもよく持ち歩いているのです。妻は「お父さんそんな重いものを持つと疲れるので止めた方がいい」と再三注意をされますが、講演に使う道具なので別に気にもせず持ち歩いています。

 実はこの二宮金次郎の銅像が手に持っている本には、中国の古書「大学」の一節は掘り込んでなく白紙なのです。でも長年の学習で、二宮金次郎が読んでいる「大学」の一節は丸暗記して言えるので何の支障もないものの、大阪梅田の古本屋で買い求めた古い「大学」も一緒に持ち歩いています。
 日本海側を走るサンダーバードの車内で知り合った東京の女性と同じように、二宮金次郎の銅像が取り持つ縁がどんどん増える事を願っています。

  「金次郎 重い銅像 持ち歩く 肩が凝るけど これぞ凝り性」

  「金次郎 取り持つ縁で 友だちに これもリアルと 陰徳を説く」

  「金次郎 今日はあちら 明日こちら エコのバックに 入れられ旅を」

  「金次郎 今の俺には ぴったりと 辻説法の 一つに加え」 

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人間牧場

○ウォーキング大会

 私が住んでいる双海町灘町1丁目公民館では、毎年この時期になると小さなウォーキング大会が開かれます。健康増進と子どもの日の行事を組み合わせたもので、すっかり恒例行事となっていて、70~80人の人が参加しました。コースは双海地域事務所前の駐車場に集合して10時から歩き始め、シーサイド公園付近~三島神社~潮風ふれあい公園で解散という比較的楽な行程です。
 私は回覧板での誘いに乗り、毎年申し込んで参加をしていますが、今年は出発直前になって2歳の孫奏心が参加するというので、連れて行くことにしました。出発する前にトイレを済ませたり、リュックに手拭いや着替えを入れたり、また少しばかりのお菓子を入れ、「途中で歩かんと言ったら置いて帰る」などといい含めて、9時過ぎに家を出ました。

 集合場所へは早く着きましたが、早くも「おしっこ」です。役場の日直さんに無理を言って役場のトイレをお借りしました。そうこうしているうちに参加者が集まり、館長さんのあいさつの後説明を受けていざ出発です。散閑とした灘町の旧道を通り、由並小学校下から国道378号に出ました。孫奏心は早くもお腹が痛いといい始めました。トイレも終っているのでずるだと思い、持っていた「飴」を与えると、現金なもので「治った」と言ってまた元気に歩き始めました。
城の鼻から三島神社までの歩道には魚の踏み絵が10m間隔であって、孫と二人で魚の名前を言い当てながら楽しく歩きましたが、三島神社の長い長い心臓破りとも思える階段は、大人でもかなりきつい難関ですが、手を引いて歩いたお陰で、驚くほどのスピードで一気に本殿まで上りきりました。

狛亀の前で孫奏心

 三島神社本殿前の境内では途中休憩のためジュースが配られました。孫はファンタを選びましたが、これがかなり量がある缶タイプだったものですから、半分を私が、半分を孫奏心が交互に飲み干しました。境内本殿の両側には狛犬ならぬ狛亀が置かれている珍しい石像の前で孫と、叔母の写真をとってやりました。
 再び歩き始め、なだらかな本郷の裏道を通って、大通寺経由で千人塚の上に出て、潮風ふれあい公園に到着しました。早速みんなで用意したブルーシートやゴザを敷いて、少し早い昼食を取り始めました。男の人はビールを飲み、私たちにもそれぞれ弁当をいただきました。孫奏心は沢山お菓子をいただいてご満悦で、弁当よりそちらが気になるらしく、弁当には殆んど手をつけず、持ち帰ることにしました。孫は近くの遊具施設で遊びたいらしく、私を連れて遊具

叔母森脇幸子の記念写真はプリントしプレゼントしました

へ案内してくれました。ここは母親とよく遊びに来る場所のようで、長いローラー滑り台を滑りましたが、ブランコや他の遊具は遊びに来ていた他市町村の子どもに占領されて、遊ぶことが出来ず少々不満顔でした。

 12時近くになったので、ビールを飲んでいる男の人たちを残し、私たちは他の人とともに彫刻家のアトリエ前を通ってわが家まで、緩やかな下り坂を歩きました。この日は少し強い西寄りの風が吹いていたため、多少肌寒さを感じたし、出発前にぱらっと小雨が降って心配しましたが、何とか2時間で約1万歩のウォーキングを終えることが出来ました。
 孫を「よく歩いた」と家族で誉めてやりましたが、孫奏心は早速リュックに入れて持ち帰ったお菓子を、少し微熱と咳、それに鼻水が出るため参加できなかった兄希心に得意になって、お土産と称してお裾分けしてやり、楽しそうに過ごし午睡に入りました。私は嫁の入れてくれたお茶を一服飲んでから、人間牧場で人と待ち合わせていたため、休む間もなく出発しましたが、孫と手をつないでのウォーキングは中々いいもので、来年も参加しようと思っています。

  「孫の手を 引いて町内 ウォーキング 初夏の一日 長閑に過ごす」

  「二歳孫 一万歩もの 長い距離 歩く姿を なだめつ誉めつ」

  「見下ろせる 千人塚の 池の上 鯉幟たち 五月風受け」

  「お土産と 称して兄に お裾分け ご満悦なる 孫は午睡に」

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人間牧場

○人間牧場ウッドデッキ防腐剤塗りの後で(その3)

ロケ風呂で入浴を楽しむ長男息子

 人間牧場・水平線の家の防腐剤塗り作業を始めた頃、一緒に作業していた息子が「お父さん風呂を沸かそうか」といって、ロケ風呂へ降りて行きました。防腐剤塗りの作業を急いでいて、風呂を楽しむ余裕等ないと思いつつ、私はただひたすら防腐剤を塗る作業を影の部分でしていました。しばらくするとロケ風呂から風呂を沸かす長閑な煙が立ち上がりました。しかし煙の臭いは防腐剤の強烈な臭いにかき消され、ウッドデッキまでは届きませんでした。2時間余りの作業が終わり、残った防腐剤を一斗缶に移し替え、使った刷毛や道具類を倉庫の中に終いました。

息子が友人のあべまりあさんに書いてもらったロケ風呂イラスト

 自分では気がつかなかったのですが、いつの間にか被った麦藁帽子も作業着も、手袋も全てが防腐剤の臭いに埋まって、自分の鼻が可笑しくなったような気分でした。息子の出したロケ風呂入口付近の、風呂が沸いたことを示す暖簾が、初夏のさわやかな風に揺れていました。息子は早速少し熱めに沸いた風呂に水を入れて薄め、五右衛門風呂の浴槽にゆっくりと体を沈めて、入浴を楽しんでいました。「お父さんも入ったら」と勧めてくれたので、着替えは持っていないけれど、温もるだけでもと思い切って裸になり、息子に続いて風呂に入りました。眼下に広がる伊予灘の海や豊田漁港の様子が手に取るように見えて、まさに絶景かな、絶景かなの手合いでした。

私も入浴しました

 息子は自分で設計して造ったこのロケ風呂がとても気に入っていて、時折一人で人間牧場へやって来て、薪で風呂を沸かし入浴を楽しんでいるようです。私はそんな面倒くさいことはせず、例え風呂を楽しもうと思っても、備え付けの灯油ボイラーで沸かすのですが、息子も凝り性で薪で沸かした風呂がいいのだと、盛んに強調しているようです。
 瀬戸内のオーシャンビューを楽しみながら、自分の息子と二人で風呂に入れる幸せはこの上ないものです。これからも折に触れて風呂を楽しみたいと二人で話しながら、西の空に落ちかけた夕日が隠れ家風の格子窓から差し込む優しい光に照らされました。

この日の飛びきり上等な夕日
 「ペンキ塗り したあと親子 風呂に入る オーシャンビューを
楽しみながら」
 「心地よい 初夏の風窓 吹き込んで 加えて夕日 極楽極楽」
 「手間だけで 安金短を 楽しめる アウトドアーの これぞ極意と」
 「俺に似て どこか凝り性 嫁が言う 妻も同じと 口を揃える」 
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人間牧場

○人間牧場・水平線の家ウッドデッキの防腐剤塗り(その2)

 ゴールデンウィークの休日を利用して、長男息子と二人で人間牧場・水平線の家ウッドデッキに防腐剤を塗ることにしました。高温多湿の日本ではウッドデッキの腐敗は、幾らいい材質を選んでも中々長持ちをしないものです。一時カナダ風の丸太を組み合わせた家やウッドデッキが流行しましたが、メンテナンスを怠ったものは無残で、防腐剤を注入した材質を使いながら腐敗を防げず、危険で使うことすらままならないものをよく見かけるのです。
 水平線の家にウッドデッキを作った時も、設計をした息子の話によると「10年ぐらいが寿命かな?」と聞いていました。その時は「10年持てば十分」何て思いましたが、いざ7年が過ぎ10年が近づくと、ウッドデッキの張り替えにはかなりの出費を伴うため、頭を悩ませているのです。

ウッドデッキに防腐剤を塗る長男息子

 そんなこともあって、設計を仕事にしている息子の指導で、一年に一度は必ず防腐剤を塗ろうと決めてこれまではしっかりとメンテナンスをしてきたのです。お陰でまだ腐った部分はなく、今回は日陰の部分の薄い青苔を、前もってボーズリで刷って水洗いし自然乾燥しておきました。5月5日はペンキ塗りには十分すぎるほど絶好の好天に恵まれました。畳25畳もの広さのあるウッドデッキを防腐剤を小さな缶に移して、刷毛で二人仲良く並んで塗って行きました。私は若い頃漁師を7年間やっていて、漁船にペンキを塗る作業を何度も体験しているので、手順は分かっていて、かなりきちんと塗れるのですが、長男息子は見た目私よりスピードは速いものの、多少雑な塗り方のようでした。麦藁帽子を被っていましたが、西日の直射日光が首筋を照らし、少し日焼けをして終ったようですが、途中友人の稲葉さんがやって来て休憩はしたものの、約2時間ほどで横や下を含めたウッドデッキの防腐剤塗りは無事終了しました。

防腐剤塗りを終ったウッドデッキ

 一斗缶の八分方を使った防腐剤特有の異臭が鼻を突き、少し頭がボートするような感じがしましたが、近々雨でも降るとこの臭いも消えて行くものと思われます。今回は下地清掃の準備を前もってしていたため、仕上がりは満足の行くものでした。最初の内は素足で歩くと靴下を汚すかも知れないので注意が必要ですが、5月26日に迫った子ども体験塾開講式といもづる植え前までには落ち着くことでしょう。
 これで少なくとも一年は安心して使えそうですが、防腐剤がまだ少し残っているので、日陰の部分には今年の秋ごろ更に塗布したいと思っています。施設設備のメンテナンスにはお金がかかるということを心得なければなりません。一斗缶の防腐剤だけでも1万円弱の費用がかかりました。刷毛や小出し缶は前回使ったものを手入れして大事に保管しているので、買わずに済ませました。いずれ近々水平線の家の外壁もそろそろ塗らなければと思っていますが、このペンキは高価なため少しお金を貯めなければならないようです。

  「牧場の 水平線家 ウッドデッキ 息子と二人 防腐剤塗る」

  「防腐剤 シンナー吸って ボーとする キジの鳴き声 遠く近くで」

  「一年に 一度のメンテ 防腐剤 親子気が合い 二時間ほどで」

  「さあこれで 安心安全 確保した 子どもが来ても 安心使え」

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