人間牧場

○福井県公民館セミナー(その3)

 第1日目のセミナーが終ると会場をプラザ万象からニューサンピア敦賀に移して18時30分から交流会が持たれました。研修専門委員会の計らいで出し物が用意され、2時間はあっという間に終りました。その後希望者が和室に集まって、講師の私を囲んだおしゃべり交流会が持たれました。参加者は女性を中心に30人以上が集まりました。私の講義を聞いての疑問や質問、意見が沢山出されました。中身は私の失敗談、私の生き方、家族への向かい合い方などでした。

 

グループ討議

 私は講義では時間がないので余り話せませんでしたが、沢山の失敗をしています。失敗と言えるかどうかは分かりませんが、町の名前が三重県二見町とよく間違われることから、活性化の想いを込めて町名変更に取り組みました。町長がリコールされるほど町を二分する騒動の渦中に巻き込まれ、左遷(本人はそう思っていないが)もされました。その時私に示唆を与えてくれた言葉は、恩師と慕う静岡の朝比奈博さん(故人)から贈られた「ぼうふらも、人を刺すよな蚊になるまでは、泥水すすり浮き沈み」でした。打撃の神様イチローでも100回打って65回は失敗しているのだから、逆に失敗から何を学ぶかが大事です。失敗の10ヶ条を話しました。

 

全体発表会とまとめ

私は毎日12時に寝て4時に起床します。人間は3分の1ずつの8時間を寝る・働く・自由に分けて過ごしますが、寝る時間をへずって自分に投資しなければ、いい人生はありえないと思い生きています。夢を目標として目標に近づく努力をすれば、人間は次第に進化するものです。結果的に「夢はドリームではなくターゲット」なのです。1千万円貯めて人間牧場を造りたいと思っていた夢も本当に実現しました。全てが積小為大な行動の積み重ねです。ハガキを毎日3枚書くこと、ブログを毎日2本書くこと、12年間毎日3時間海岸の清掃をしたことなどのやり遂げたことは、今も私の大きな自信となっているのです。

 公私の区別をあえてせず、家の横に私設公民館煙会所を造って家庭へ公を持ち込んだり、あえて家庭へ仲間を引き込んだりしてきましたが、4人の子どもも無人島に挑む少年のつどいに参加させたりして、仲間たちとの協働で育ててもらいました。私の元気の源はやはり家族なのです。家族に理解されない公民館活動は長続きしたり、成果を上げたりすることはないのです。故に公民館を離れた今も公民館を恩人だと思い、これから先も、恩返しをしようという気持ちで生きているのです。青年団や公民館で得た仲間・ふるさと・主張・夢・感動という五つの武器を、これからも大切にし研いて行きたいと思っています。
 皆さんの質問にまあざっとこんな話を1時間余りして、おしゃべり交流会は盛り上がって終りました。

  「福井には 素敵な女性 多くいて 目移りしつつ 質問答え」

  「そのカバン 中身見せてと せがまれて 恥ずかしながら 取り出し見せる」

  「五十枚 用意の名刺 スッカラに 味噌屋の社長 引き合い出して」

  「人生を 語れば尽きぬ ことばかり あれやこれやと 失敗談を」

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人間牧場

○香川県高松市から福井県敦賀へ(その1)

 昨日までの2日間、福井県公民館連合会の招きで福井県敦賀市プラザ万象という生涯学習施設で開かれた福井県公民館セミナー(前期)に出かけていて、昨日の深夜長い旅の末やっと帰宅しました。初日の7月12日(木)は、香川県高松市での香川県市町職員研修会の先約があったため、福井県公連からの依頼はお断りをしようと思いました。駄目もとで香川県市町職員研修センターの谷本さんに、第一講義と私の第二講義を変更してもらえないか相談したところ、快く変更していただきました。そのため少々朝の早い5時に自宅を妻の運転する自家用車で、松山駅まで送ってもらいました。松山駅発6時15分の特急しおかぜに乗り高松を目指しましたが、先日の天でがけ崩れが起き、列車が土砂に乗り上げ脱線不通となったわが町付近でも、前夜の降雨量が基準値を超えたため運転見合わせ、また高知県側でも降雨の影響で運転見合わせという列車事情の中、私の乗った特急は何とかすり抜けて、予定通り8時45分に高松へ到着しました。

 会場となっている香川県自治会館まではおよそ15分かかるのですが、一週間前も今回も高松市三谷自治センター長の溝渕さんのご好意に甘え、送迎をしてもらったお陰で、雨で渋滞気味の道を走って、自治会館7回会議室前のエレベーターを降りるとジャスト9時、休む間もなく約100人の参加者の前で、「地域活性化のための行政の取り組み」と題して講演を始めました。まったく別の参加者でしたが、1週間前の7月5日に同じ研修会に参加しているので雰囲気もつかめていて、かなり突っ込んだ話を少し早口でやりました。
 90分の講演が終わると、控室へ入ることもなくエレベーターでとんぼ返りで降り、溝渕女史の車に乗り込み高松駅へ向かいました。ここでと何故か上着が見当たらず、結局列車の中の服吊りにかけたまま忘れていることに気がついたのです。早速高松駅の改札口横にある忘れ物コーナーに出向いて事情を話すと、直ぐに担当の女性が上着を用意して、受取証にサインをして手元に戻りホッとしました。実はこの上着に高松から次の目的地である福井県敦賀までの列車チケットを入れたままだったので、大汗冷汗ものでした。

 

会場となったプラザ萬象

 高松駅11時10分発の快速マリンライナーで瀬戸大橋を渡り、岡山まで出ました。途中踏み切りでの確認信号のため親や前気直前で列車が止まり、列車は少し遅れて到着し多少気を揉みましたが、何とか新幹線のぞみに乗り込み、大阪でひかりに乗り換え米原まで行きました。大阪から特急サンダーバードに乗ると15時からの講演に間に合わないため、米原から特急しらさぎに乗って琵琶湖東岸長浜辺りを走り、いつもながらの北陸路に通じる長いトンネルを抜けました。
 敦賀の駅には県公連の西川さんがで迎えに来ていて、早速プラザ万象に到着し、野中事務局長さんとお田を飲んで打合わせをし、休む間もなく15時から講演に入りました。公民館のセミナーながら会場は80人を越える参加者で熱気が感じられました。このセミナーを開くにあたり、15人のメンバーが研修専門委員会を立ち上げ、企画や運営に携わっているだけあって、とてもいい取り組みだと実感しました。
 移動の列車内で休息をとったといいながら、高松と敦賀でのダブルヘッターはさすがに心地よい疲れでしたが、まあ何とか一日目の役目を終え、宿泊と交流会の予定されているニューサンピア敦賀に会場を移し、すっかりリラックスさせてもらいました。

 

プラザ萬象前の緑地帯を耕し、コスモスの種を蒔くボランティア

 

  「高松と 敦賀で二回 講演が できる世の中 便利実感」

  「列車中 急ぐ余りに 忘れ物 冷や汗かいて 旅を続ける」

  「サスペンス 見ているような ダイヤ組む ルート変えれば 時間間に合う」

  「福井県 大飯原発 過ぎりつつ 長いトンネル 抜けて降り立つ」 

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○福井県での思い出(その2)

 1泊2日の福井県敦賀での講演旅行からやっと帰ってきました。帰宅したのが午前0時近くだったため、福井県での思い出は、今日7月14日にこうして書き加えています。
 今回の福井県公民館セミナーの私の仕事は7月12日15時からの講義1、20時30分からの私を囲んでの座談会、そして13日の14時からのまとめの講義2でした。3回も出番がある人使いの荒い(笑い)研修会でしたが、最初の講義1は「地域の期待に応える公民館活動」~地域自立という視点を持つ支援~というテーマでした。最近どの県に行っても公民館のもやもやが目立つようになっています。それは公民館をコミュニティセンターに衣替えしようとする市町行政部局の画策です。これまで市町行政部局は地域づくりのハード面を担当し、ソフト面の地域づくりはもっぱら公民館などに任せ、ある意味住み分けが出来ていたのです。ところが一応のハード整備が終ると、財政難を理由に行政がソフト化・文化化し始め、また防犯や防災といったこれまでどちらかというと放置されていた安心や安全といったテーマに、合併や震災以降取り組まざるを得なくなり、地域づくりを行政部局が協働と参画という名の元に取り込み始めたのです。コミュニティ行政の最前線は公民館でしたが、公民館はご承知の通り教育委員会の管轄です。元々金もなく力もない、ましてや地域づくりについて明確な理念を持たない教育委員会は、教育への謁見だと思っても、首長の方針に逆らえず、公民館という教育機関を行政が乗っ取ろうとしているように見えるのです。指定管理者制度などで社会教育の指導力が衰えた公民館はそのことに強く抵抗する馬力もなく、このままでは日本の公民館が危ないと思うのですが、教育に首長がどんどん口を出す姿は、何とも危険な状態になっているのです。

プラザ萬象で開かれた福井県公民館セミナー

 公民館は元々住民の自治能力を向上させるための教育機関として、戦後の荒廃した社会の中で生まれ、戦後の民主主義の定着に大きな足跡を残してきました。教育と政治や宗教や経済とは分離をしなければならないのに、住民の最も身近な住民自治への支援という手法を使って入り込み、公民館という教育施設から公民館という教育機能や組織まで奪おうとしているように見えるのです。
 この日の話し合いでもそんなジレンマが職員の間から不満として漏れ聞こえてきました。さてこの問題をどう解決するか、それは郡市公連、県公連、全公連という全国を網羅したピラミッド型の組織が実態を把握した上であるべき姿を掲げながら、国の教育を司る文部科学省へ働きかけて正しい方向に導く以外ないような気がするのですそのためには。公民館は生涯学習の拠点、地域づくりの拠点、人づくりの拠点、譲歩受発信の拠点、交流の拠点、地域活性化の拠点、地域の安心安全の拠点となるべき力をしっかりとつけなければなりません。公民館職員の殆んどが嘱託職員となっている現状では、望むべきもないのかも知れませんが、とりわけ指導助言、指導者養成、条件整備という極めて大切な教育行政をやらなければならない教育委員会の能力が試されているような気がするのです。そこら辺を踏まえて講義1ではお話をさせてもらいました。

  「三回も 出番用意の 研修会 それぞれ違う 話し熱弁」

  「公民館 いつの間にやら コミセンと 名前を変えて 行政いいなり」

  「コミセンが 悪いと言うのじゃ ありません もっとしっかり 本質見据え」

  「研修会 持つプロセスに 関わった 多くの人いる これぞ本物」

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人間牧場

○人のご縁をいただいて

 私には社会教育、産業振興、まちづくりなど役場35年間の生活で培った人間関係に加え、ボランティア活動や地域コミュニティ活動などの分野で、多くの知人友人がいます。そのため私のような人間にでも出来ることを、あれやこれやと頼まれることが多いのです。結婚式の披露宴司会などはその際たるもので、驚くなかれ今までに、537組もの司会をやっているのです。また町の便利屋のように、船おろしや建前、結婚披露宴のあいさつ文を頼まれ、ない知恵を絞って原稿を書いてあげたりしてきました。その結果でしょうが今でも色々な所、色々な人からまるで貢物(笑い)のように、海産物や農産物が一年を通して届くのです。

 

松前町北公民館寿大学

 3ヶ月前、松前町北公民館長の和田由美子先生から、「公民館に来て話をしてくれない!」と依頼のお誘いがありました。和田先生は一昨年までご存知町内の翠小学校の校長先生をされ、この学校を最後に退職された校長先生です。ゆえに在職中も、また退職してからも何かと活動を共にしていて、特に人間牧場で開いている子ども体験塾には、町外の人でありながら深いご縁をいいことに、スタッフとして一緒に活動してくれているのです。故をもって青少年の健全育成協議会の講演を先月行い、今月は高齢者を対象にした寿大学の講師を引き受けてしまい、昨日出かけて行きました。

 昨日は雨模様の一日でしたが、会場には入りきれない百人を超えるほどの高齢者が詰め掛けていました。松前町はかつて同じ伊予郡だったこともあったり、何度も訪れて講演をしている地域でもあるので、知人友人も多く、早速講師控室へはかつて上灘中学校の先生だった松崎さんや、県の商工会連合会の専務だった山口さんたちが顔を覗かせ、近況について大いに懐かしい話を交えながら話しました。
 13時30分からの講演は、高齢者ゆえ務めて大きな声で、つとめてゆっくりした口調でお話をさせてもらいましたが、いやはや楽しい雰囲気の講演会となり、どうにか和田先生への義理を果たすことが出来て、ホッとしています。この歳になっても昨日は、徳島県の勝浦町活性化推進連合会の新居正志さんから、丁重なお便りをいただきました。新居さんは徳島県庁の次長さんで、昨年とくしま県民活動プラザ開設10周年フォーラムに記念講演した折、名刺交換をしているのです。

 新居さんからのお便りは講演依頼でした。早速電話をして私の空いている日と先方がご希望の日をすり合わせ9月15日に講演に行くことに決定しました。いやはや嬉しい限りで、勝浦町と言えば「ビッグひな祭りや温州みかんの産地として、よく知られた地域なので今から楽しみにしています。
 このように人のご縁をいただきながら、更にご縁を深めることが出来るのは、何よりも幸せなことなのです。これからも人のご縁を大事にしたいと思いました。「人は人によりて人となる」、そんな気がするこの頃です。

  「ちょっとした ご縁がご縁 産んで行く 人のご縁は 不思議なものよ」

  「昨日また ご縁いただき 九月には 徳島県へ 講演旅行」

  「時々を 熱意を込めて 仕事した 故の結果と 内心喜ぶ」

  「さあ今日も 元気で仕事 重ねたい 日本全国 フィールド広し」 

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人間牧場

○テレビ見たと写真が届く

 世の中には私以上に筆まめ、小まめな人がいるもので、私の元へは連日沢山の封書やハガキが全国各地から、郵便局の配達員も驚くほど届いています。その都度鋏で封書の封を切り、中から取り出した書類や手紙を読んだり、ハガキの返信を書くのですが、余りにも多いため、締め切りが近い急ぎの原稿に夢中になっている時などは、机の上にドサッと置かれたまま2~3日診る暇もないことがあるのです。ましてや2~3日出張で家を空けていると、パソコンのメールを開くのが怖いくらいメールも沢山届き、手紙類とともにその処理に半日ついやする時だってあるのです。

 昨日千葉県習志野市に住む親友市原実さんから、沢山のコピー資料が届きました。市原さんは長崎の大学の先生だった頃、長崎県へ講演に出かけた折知り合い、その後「観光カリスマ百選」をテーマにした自著本を執筆したり、地域づくりの全国大会でわが人間牧場へ見えられるなど、深い関係の方なのです。市原さんは筆まめコピーまめで、いつも沢山の資料に添えて私信を書いて送ってくれるのですが、達筆な崩し字は浅学な私には少々難解といったところです。でも最近はその達筆にも馴れて、送られてきた資料を丹念に読み返しているのです。

市原実さんから送られてきた写真

 今回の資料の中には先日、小野晋也さんから送られていた新政の森という雑誌に載った、私に関する記事もありました。余白に「元代議士の小野晋也さんとお会いになったのですね。私は彼が松下政経塾の一期生の時会いました。応援をお願いします」と書かれていました。
 また同封された資料に混じって、「2012年6月20日テレビ放映拝見しました」と3枚のテレビに映し出された映像を、デジカメで撮った写真がコピー用紙に貼って送られてきたのです。いやはや小まめ筆まめです。資料の中には、長崎に赴任中にうず潮というコラム記事を50回にわたって執筆されたものもあって、興味深く読ませていただきました。

 世の中には一目置く人が何人かいます。市原さんはその1人で、ひょっとしたら情報マニアかも知れません。この小まめな情報収集がいかにも学者らしく、また全国を歩いて収集する姿はいかにも学者らしくないのです。見習いたいことが半分、見習いたくないことが半分だと、資料を整理することが下手な私は、いつも市原さんから送られてくる資料を見ながら思うのです。
 今日は市原さんに返信便りを書こうと思っていますが、返信しなければならない人が滞っていて、とても1日3枚のハガキの範疇では収まらない雰囲気です。でも市原さんだけには早く書かなければと、順番差し替えを思って朝を向かえ、一枚のハガキを書き終えました。

  「世の中にゃ 小まめ筆まめ いるもので 資料コピーが どっさり届く」

  「なりたいが なりたくないと 半々で 思う私は 中途半端だ」

  「テレビ見た 便りをくれる 人いるが 写真に撮って 送る人いる」

  「長崎を 枕詞に コラム記事 四本も書く 凄い洞察」

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人間牧場

○カボチャ泥棒

 昨日は梅雨の合間の晴れ間とでも言うべき上天気で、久しぶりに夏の暑い太陽が照りつけ、湿りがちだった畑の表土も少し乾き、夏野菜たちも少し元気が出たみたいでした。このところの雨で地盤が緩んだせいか、それともイノシシが悪戯して坂から蹴落としたのか、果樹園の隅に一抱えもあるような大きな石が落ちて鎮座していました。よくぞ畑で野良仕事をする親父や私に落石が当らなかったと、首をすくめてしまいました。早速一輪車と大きなハンマーを倉庫から取り出して、石を動かせる程度に叩いて割り、一輪車に積んで清水が湧く裏山へ処分しました。

 ふと見ると昨日まであったカボチャ畑のカボチャが、全てなくなっているのに気がつきました。このカボチャは4月下旬にトマトやナスやキューリと一緒に植えたものです。カボチャはつるが手当たり次第延びて場所を取るため、イノシシ柵のない果樹園隅の畑に植えていましたが、ここにはイノシシ除けの柵がないのです。畑の中には無数の足跡があって、イノシシの仕業であることがよく分かりましたが、被害届を出すことも出来ず、今年も悲しい思いで泣き寝入りするしかないのです。今年は例年になくカボチャの出来が良かっただけに、返す返すも残念でなりませんでした。

 昨日地域事務所で宮栄公民館長さんから聞いた話だと、日尾野に住む宮栄さんの畑では早くもサツマイモがイノシシの被害に遭ったそうです。普通の年だとサツマイモが被害に遭うのは、収穫間近な秋の頃なのですが、サツマイモはまだ小指ほどにも育っていないこの時期に、被害に遭うのですから、野山で活動するイノシシにとっては、北朝鮮のように余程食糧事情が困窮しているようだと、大笑いをしながら話をしました。昨日の夕方宮栄さんは沢山のトマトをわが家へ持って来てくれました。イノシシの被害に遭う前に収穫したそうで、完熟一歩手前のものでしたが、家族みんながトマトは大好物なので早速いただき始めました。

 この時期なのに今年は秋の季語であるアキアカネトンボが、田圃の上を沢山飛んでいるのを見ました。妻と二人の散歩コースとなっている翠小学校に通じる県道沿いの畑には、イノシシがのたうった無数の足跡が無残な姿をさらけ出していました。田圃も梅雨が明けると米の花といわれる早生系米の穂が出始め、季節のめぐりの早さを実感するのです。田圃の周りには早くもイノシシの被害に遭わぬよう、目の荒い防護用の網や電気柵が登場しています。嘆かわしい人間と有害鳥獣の仁義なき戦いが始まっているのです。
 さてさて、わが家の菜園や人間牧場の芋畑でもそろそろイノシシの被害を想定して、被害防護訓練をしなければならないようです。「食われて泣くより食われる前の備え」という言葉も田舎ではすっかり名言になりつつあるようです。

  「今年早 イノシシ被害 カボチャ遭う 今頃彼ら 舌をなめつつ」

  「イノシシは 夜襲奇襲が 得意ゆえ のんびり人間 叶うはずなし」

  「カボチャ等 イノシシメニュー ないはずと 鷹を食ってた 私が悪い」

  「畑には 大きな石まで 蹴落として オリンピックに 出ればメダルだ」

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人間牧場

孫奏心

○バイキング昼食

 この2日間、孫尚樹が松山からわが家に泊まりに来ていました。孫尚樹は5歳、内孫の希心は4歳、内孫奏心は3歳でいずれも男の子なので、まあうるさいことうるさいこと、昨日までのこの2日間は3人の一オクターブ高い声と、室内室外を走り回る行動に家族全員が翻弄されてしまいました。
 孫がやって来ると息子嫁も妻も、孫たちのために様々な料理を作ります。ゆえに日曜日しか休みのない妻にとっては休む間もなく、朝・昼・晩それぞれに忙しい仕事が待っていて、とても疲れるようでした。孫のことは意外と楽しそうに関わっているように見えますが、孫が帰るとどっと疲れが出るようで、昨晩は寝る前テレビを見ながら聞きかじりの指圧をしてやりました。

孫希心
孫尚樹

 昨日は久々に梅雨の雨が上がって上天気だったので、伊予市のウエルピアへ家族で出かけることにしました。私は久しぶりの晴れ間なので、あれこれ農作業等の仕事もあって、気乗りがしませんでしたが、しぶしぶ運転手でついて行きました。孫たちは先に出発してウエルピアの中庭遊具で遊んでいました。昨日はウエルピアが厚生年金施設から市が買い取って5周年目とかで、中庭やあちらこちらに出店も出て、それを当て込んだ人たちが訪れとても賑やかでした。
 昼食はバイキングを楽しもうとしましたが、申込用紙に記載する順番待ちの客が沢山いて、私たちの順番は1時間も待たされ昼食が午後1時となってしまいました。孫たちは戸外で遊んだ疲れもあって、「お腹が空いた~」と騒ぐのですが、みんな待っているからとなだめ、やっと席が用意されたのはレストランならぬラウンジに通じる別室でした。

 早速レストランからバイキング料理の好みの物を皿に盛って、少し遅い昼食が賑やかに始まりました。孫たちは好きなものが好きなだけ食べれるとあってご満悦でした。勿論私たち夫婦と合流した息子嫁と娘も大いに美味しい料理に舌鼓を打ちました。
 昨日は5周年とかで料理代が20%OFF、しかも私たちは高齢者割引とか、7人でたったの3800円で満腹でした。料理もすこぶる美味しく、またレストランを利用するとお風呂がタダとあって、大蔵大臣の妻はホクホク顔でした。孫たちは眠くなったようなので三々五々別れ、私たちは買い物があるのでエミフルへ出かけ、人混みの中で買い物をして早めに引き上げました。

 孫たちと過ごした束の間の休日は、サッカーの練習で参加できなかった孫朋樹へ、人間牧場から持ち帰ったカブト虫を8匹娘へ土産として託ました。夕方電話でカブト虫を貰った感想を聞き、間もなく夏休みが始まると泊まりに来たいと言っていました。
 私も夏休みは夏ばてできないほど、何かと忙しい日々が予定されています。今年の夏も家族みんなが元気で節電の夏を乗り切ろうと思っています。

  「久しぶり 梅雨の晴れ間を 楽しんで バイキング料理 舌鼓打つ」

  「20%オフ しかも割引 大特典 みんな満足 風呂までついて」

  「前日の 雷雨が噓の ように晴れ 夏の太陽 顔を覗かせ」

  「もう要らん 満腹の時 思ったが 夕方なると お茶漬け食べたい」

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人間牧場

○口の中の歯は何本

 毎朝起きるとパジャマのままで、「お手洗い」と書くトイレに行って用を済ませ、着替えて新聞を読みながら食事を終えると、傍の「面を洗う」と書く洗面所で歯を磨いて顔を洗います。無意識のように殆んど毎日行なうこれらの動作はすっかり習慣になって、余程のことがない限り忘れることはないのです。
 今朝洗面所の鏡に向かって歯を磨きながら、「歯は一体何本あるのだろう?」と、別に考えなくてもいい疑問が湧き、口を大きく開けて数えていると、妻が「お父さん何しているの?」と横槍を入れてきました。「お前のお父さんではない!」と悪態を叩きながら「歯の数を数えている!」と返すと、妻は近所の歯科医院にパートで勤めていることもあって、「人間の歯は上下合わせて32本」と教えてくれました。おぼろげながら「32本」という数字は覚えていたような気がするのですが、あらためて歯の本数を確認することが出来ました。

口の中の歯の様子

 歯には前歯上下12本と奥歯上下20本があって、それぞれ役割が違うようです。奥歯は臼状になっていて、主に穀物等を食べるのに便利なように出来ているのだそうです。また中切歯と側切歯は野菜や果物を食べるのに、犬歯は肉や魚を食べるのに適しているのだそうです。
 妻から面白い話を聞きました。この歯の役割比率が日本人の食べ物の比率だと言うのです。つまりご飯やイモ類のような主食は20本÷36本×100=62.5%、野菜や果物は8本÷32本×100=25%、肉や魚は4本÷32本×100=12.5%だそうで、日本人の胃や腸などの内臓はこの歯の比率の食べものを食べるように出来ているそうです。
 「へえーそうなんだ」と感心しつつ、毎日無造作に食事を作っていたものとばかり思っていましたが、日本人たる私の体の仕組みに合わせて、大まかな食べものを調理している姿に、わが妻ながら感心や敬服をしてしまいました。

 最近日本人に糖尿病などの成人病がやたらと多いと聞きます。食事が全ての原因ではありませんが、その主因が食事であることは疑いのないことで、欧米で日本食の素晴らしさがが見直されていることもそれを物語っているようです。
 日本人は長年をかけて日本の風土に合うよう体型も内臓も進化をしてきたのです。ところが日本人の食生活が暮らしが豊かになったせいもあって、この60年で欧米化し、米食がパンに変わり、肉や油、砂糖などの消費量がどんどん増えてきて、野菜や魚を取る量は極端に減ってきたし、味付けの濃い外食を食べる機会も多くなってきたのです。草食系の日本人は外国人に比べ、腸の長さが長いといわれています。腸の長さが草食に適しているのに、肉食系食事になると、食べたものが腸内に留まる時間が長く、消化不良を起こしてしまうことが成人病に起因しているという話を聞きましたが、納得です。
 歯の本数は大事なことを教えていると感じながら、今朝も食卓に向かい妻の出してくれた食べものを、普通以上に意識してよく噛んで食べました。「噛」=口+歯」とは面白い漢字に納得しました。

  「洗面所 ア~ン口開け 歯の本数 何をしている? 妻首傾げ?」

  「歯の本数 それぞれ意味が あるという 電卓叩き 割合調べ」

  「歯の割合 合わせて食事 作る妻 あんたは偉い 俺が選んだ」

  「口に歯と 書いて噛むとは 誰の作 漢字いちいち 納得しつつ」

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人間牧場

○雷の音と閃光

wikipediaの雷と閃

 今朝午前4時頃、安眠を貪っていたわが家の上空で、かなり長い間雷が鳴り閃光が光りました。豆電球程度の明るさの部屋の中が閃光と同時に一瞬明るくなり、暗闇で見えない山の端も窓から見ると、雷と閃光の一瞬一瞬には全てのものが閃光の青い光に映し出されて、不気味にも感じました。
 何年か前、わが家も加入しているテレビの共同受信アンテナに雷が落ちて、アンテナで結ばれている何軒かの家のテレビが駄目になったし、私のパソコンも異常をきたしたので、書き始めたブログを中止して電源を抜いて雷の通り過ぎるのを待ちました。やがてかなり激しい雷雨となりましたが、40分もすると雷の音は次第に遠のいて、雨の音だけとなりました。

 昔から地震・雷・火事・親父といわれているように、地震や火事とともに雷は怖いものの一つとされてきました。落ちた瞬間を直接見た訳ではないので、その本当の恐ろしさを知ることはできませんが、人間牧場の敷地の傍に樹齢200年を超える大きなヤヤモモの木があります。子どものころこの木に雷が落ちて木のあちこちが、まるで火事にあったように黒く焼け爛れていた姿を思い出しました。幸い木の持つ強い生命力で生き返り、そのことが元で空洞になった所を巻き込みながら老木の風格を醸しているのです。
 年に数回雷の被害で命を落としたというニュースを聞く度に、もしも私に落雷したらどうなるのだろうと、恐怖におののきながら、雷雨の通り過ぎるのを待ちました。

 日本は緑や水があるが故に美しい国といわれていますが、その分地震や大雨などの自然災害が多い国だと思います。今年もゲリラ的集中豪雨で九州日田地方が大雨に被害に見舞われ、青森では竜巻で60戸を超える家の屋根が吹き飛び、数十本のリンゴの木も根こそぎ倒れたようで、昨日はつい目と鼻の先の北九州地方まで講演で出かけただけに、他人事とは思えない気持ちになりました。
 雷の発生メカニズムはフランクリンという学者がタコを揚げて実験したことが余りにも有名ですが、雷は主に上空と地面の間、または上空の雷雲内に電位差が生じた場合の放電により起きるとされていて、低気圧や前線等の荒天時に発生しやすいようです。

 子どもころ、ピカッと光ってから指折り数えて音が聞こえるまでの長さを測ったものです。光は一瞬にして地球を7回半の速さで伝わりますが、音速はそんなに早くなく、光と音の差で近いか遠いか測りました。
 最近はさすがに親父の怖さだけは陰に隠れてしまいましたが、私が子どものころは親父も威厳があって本当に怖かったし、そのことが自分の心のブレーキになっていたことは確かです。はてさて私も4人の子どもの親父ですが、子どもの目にはどのように映っているのでしょうか。心もとない話です。
 今日はこの分だと底引き網体験事業の開催が危ぶまれます。間もなく事務局の赤石主事さんから一報が入ることでしょう。

  「雷が ゴロゴロ鳴って ヘソ思う 子ども心は 今も残りて」

  「雷と 同じに怖い はずなのに 親父の威厳 何処へ行ったか」

  「雷の 音につられて 外を見る 空襲のよう 花火のようだ」

  「雷は 命を落とす 怖いもの 早くどこかへ 去ってと祈る」

JR予讃線海岸回り運休を状況を知らせる新聞記事

 

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○福岡県行橋市への講演旅行

 私にとって行橋市というまちは、隣の築上町へ講演に行った折、帰りに築上町の職員の方が行橋駅まで送ってくれ、そこから特急に乗ったのが初めてで、今回が二度目の訪問となりました。でも前回は先を急ぐ旅だったため、行橋駅のことはまったく記憶にないのです。
 今朝小倉方面から電車に乗り早朝の行橋駅に降り立ちましたが高架の近代的な駅舎で、西口と東口がありますが、インターネットで調べた地図によると、私が目指すこの日議員研修会のあるノーサイ会館は西側になることを確認してから歩き始めました。

 今朝の北九州地方は、折からの梅雨前線の影響で、南から温かい湿った空気が流れ込み、蒸し暑くて、格式を重んじる議長さんに合わせるため瀬ビラを用意して行きましたが、両手に持った荷物がかなり重いため大汗をかいてしまいました。午前8時30分頃に会館に到着して、ノーサイビルの中で少し待っていると、事務局長の山崎さんが来られ、事務局の部屋に入って冷たいお茶を山崎さんからいただき、ホッと一息しまつきました。

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