人間牧場

○真夏の草刈り

 「植物は人間がいなくても生きてゆけるが、人間は植物がなければ生きてゆけない」。これは高知県が生んだ植物学者牧野富太郎の言葉です。この言葉を実感するのは雑草です。梅雨の雨をいっぱい吸って育った雑草は、一ヶ月前に綺麗に刈ったはずなのに、いつの間にか足を踏み込むことも出来ないほど背丈を伸ばしているのです。種を蒔いた訳でも苗を植えた訳でも、また水や肥料をやった訳でもないのに、至る所に根を張って成長し続けています。
 人間牧場の近くには集落の人の墓地があって、お盆が近づくこの時期は、お墓掃除やお墓参りの人が頻繁に訪れるため、お墓に通じる牧場内の道沿いに夏草が茂っていてはみっともないと思い、昨日は草刈機を軽四トラックに積んで草刈り作業に出かけました。

 先日買ったばかりの新しい草刈機は、今使っている4サイクルのガソリンエンジンに比べ軽量で、使いたいと思いましたが、どこか惜しい気もするので、ついつい古いほうの草刈機を使いました。今月は人間牧場に相次いでお客さんをお迎えする予定なので、水平線の家の周辺と道沿いを周辺に草を刈りました。このところの猛暑で草も生長をストップしているような少し萎れた草でした。故に刃切れが悪く作業効率が余りはかどりませんでしたが、午前中3時間、午後3時間で何とか周辺が綺麗になりました。
 妻に作ってもらって持参した握り飯弁当をウッドデッキで食べ、冷蔵庫に冷やしていたお茶を飲み、昼休みは裸になって濡れタオルで汗を拭き、背もたれ椅子でウトウトと休養を取りました。

 お墓の掃除にやって来た近所の人と世間話をしたり、ブルーベリーを収穫したりして充実した時を過ごしました。それにしても草刈り作業はしんどいものです。特に夏の暑い日中の草刈りは、まるでサウナに入ったように大汗をかきました。最近は熱中症で死ぬ人もいるようなので、小まめに水分を取りました。
 この草刈り作業も今ではすっかり私の夏の仕事に定着していますが、気力と体力が後10年間持つかどうか心配です。そろそろ息子に受け継ぎたいのですが、息子は体力があっても草刈機など使ったことがないのです。妻は「10年後はシルバー人材センターへでも頼まなければ・・・」と言っていますが、車に乗れなくなったり、草刈機が使えなくなったりするのはもう目の前となりました。
 昨日私より一つ歳上の大内先生が亡くなったと新聞のお悔み欄に書かれていました。私もそろそろと思うのは当然だし、少し心が暗くなりました。もうそろそろと思うのか、まだまだこれからと思うのか、出来ることならポジティブに生きて行きたいものです。

  「牧場の 草刈り作業 大汗を かいて減量 夏の一日」

  「そろそろと 思うかまだまだ これからと 考え次第 ポジティブ生きよう」

  「新品の 草刈機温存 古きもの 使って牧場 草刈り作業」

  「人間は 植物なしで 生きれない 雑草さえも 恵みと思う」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

○八幡から小倉へ

八幡駅

 今から50年前の昭和38年2月10日に、門司・小倉・八幡・若松・戸畑の旧五市が対等合併して誕生したのが北九州市です。どちらかというと門司や小倉等馴染みの街の方が知名度が高いため、私は北九州市と聞いても余りピンとこないのです。本州の最西端下関の対岸にある門司や、新幹線の発着する小倉などはよく利用しますが、スペースワールドのある八幡や若戸大橋のある若松や戸畑に至っては工業地帯なので名前は知っていても駅にさえ降りたことがなく、一度は行ってみたいと思っていますが、その機会はいつ来るのやらって感じです。それでも今回のように縁遠いと思われた八幡に行くことができたのですから、こんなに嬉しいことはないのです。

これが北九州市自慢の皿倉山からの100億ドルの夜景だそうです

 

 今回は八幡の駅に降り立ち、八幡市民会館まで歩きました。駅前通はかなり広い道路沿いに国際通りなどという洒落た名前がついていました。公民館大会の表紙絵は北九州市内を一望できる皿倉山(622m)からの夜景でした。この夜景は新日本三大夜景のひとつとされ、100億ドルの夜景だそうで、いつかは訪ねて見たいと思っています。

 

 

 

小倉城
ビルの天井

猫の顔をメイクした子ども

 北九州市の小倉は駅周辺に見所がいっぱいあって、中でも小倉城とその周辺は新旧が見事にマッチした街です。新幹線の駅の直ぐ近くにこんな綺麗なお城があるなんてビックリです。また城や川の直ぐ横には若い人が憧れそうなお洒落で素敵なビルディング空間、リバーサイド空間があって、癒される感じがしました。

 

  「仕事にて 訪ねた街を 散策し 意外な素顔 あれやこれやと」

  「古きもの 新しきもの お互いが 認め合いつつ 心癒され」

  「動物を 真似してメイク 面白い この子は前世 猫だったかも」

  「百万ドル ならぬ一億 ドルショック 大きいことは いいことだけど」

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

○喜ぶべきかシルバー扱い

 私の住んでいる四国にはしまなみ海道、瀬戸大橋、鳴門海峡大橋・明石海峡大橋と3本の橋ルートがあって、本州と陸続きになりました。便利この上ないのですが、この橋は大阪や東京へ行くのには便利なのなものの、西瀬戸沿岸には関門海峡大橋やトンネルがあるものの、隣の県でありながら広島や山口、福岡、大分宮崎へ行くのには、余り利用価値がないのです。故にそれらの県へ行くのにはどうしても船で海を渡らなければならないのです。佐田岬半島の突端から佐賀関へは僅か70分で行けるのですが、三崎町へ行くまで、佐賀関から向うへ行くのには交通アクセスが悪く、公共交通機関では利用できないのです。少し長旅の船に乗るには松山~小倉間や、八幡浜~大分・別府、臼杵では乗船名簿に、自分の住所や名前を書かなければ切符を売ってくれないのです。

 このところ福岡県や大分県、山口県へ仕事で行く機会が多く、その都度松山観光港~広島宇品、松山三津浜~柳井、三崎~佐賀関、八幡浜~臼杵を使い分けていますが、先日松山観光港~小倉航路を使うべく、乗船名簿に名前や住所を記入して、キップ売り場に行きました。キップの値段は5500円なので、財布から5500円を出すと、カウンターでキップを売っている男性が、私の書いた乗船名簿を見て、「67歳ですね。65歳以上の方は2割のシルバー割引があります。免許証か保険証はお持ちですか?」と言われました。
 往復11,000円が8,800円になるのですから、これはもう美味しい話で、早速カバンの中に入れている免許証を見せ、その恩恵に浴したのです。年寄りになると、いつまでも若くありたいという願望は誰しも持つものです。ましてや年寄り扱いされるといい気持ちにはなりませんが、それでも2割の割引とは歳をとるって素敵なことだと思いました。

 若い人も年寄りも船に乗ると何ら変わりなく寝床が与えられます。お金持ちの人や少し神経質の人は雑魚寝に馴れていないので、少し高いお金を払って個室を使いますが、私のような何処ででも寝れる無頓着な人間は、午後10時から午前5時までの短い船内就寝ですから、そんなにお金をかけることは無駄だと思うのです。まあ人それぞれです。雑魚寝だと隣に居合わせたまったく見ず知らずの人と話が弾み、お友達になる事だってあるし、私はそんな生き方をしているのです。
 シルバーという言葉の響は、ゴールドに比べ余りいいイメージではないことだけは確かです。でもこうした社会の恩恵を受ける以上、私たちシルバー族ももっともっと社会のために貢献しなければならないようです。シルバー(知る婆)ならぬシルジー(知る爺)として、社会に迷惑をかけないよう、これからもしっかりと生きて行きたいと思っています。

  「割引を するから免許 証見せて シルバー特典 大いに活用」

  「二割引 私もそんな 歳になる 胸はるべきか 張らざるべきか」

  「ふと見ると あの人二割り この人も これじゃフェリーは 赤字なるはず」

  「割引を された親父が 大いびき 人の迷惑 少しは止めて」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

○チェンソーアートと竹細工

 最近は田舎暮らしがブームで、都会の暮らしに疲れた人たちが田舎のあちこちに住みつき、様々な活動をしています。「退職したら百姓でもして田舎でのんびり暮らしたい」と思っての人、「テレビや新聞で紹介されているような、自然を友とした楽しい田舎の暮らしがして見たい」と思っての人、はたまた「農業で生計を立てたい」と就農を決意した人などその考えや行動はまちまちですが、いずれの人も田舎に新しい風を吹かせてくれる意味では大歓迎なのです。
 しかし田舎をユートピアだと思ってやって来るものの、簡易水道や農道の維持管理、コミュニティ組織の役割や活動参加などなど封建的とも思われるしきたりに馴染めなかったり、農業の厳しい現実についてゆくことが出来ず挫折したりする人は、水面下には意外と多いようです。

 私のところへも、「海が見えて、夕日が見えて、家の横に農地があるような空き家を探して欲しい」と仲間を通じて相談が舞い込むのですが、そんな夢みたいな場所は草々あるものではなく、ましてや農業で飯が食える新規就農となるとそれ相当の覚悟がないと夢と現実の大きなギャップに足元をすくわれ、人生までも駄目にしてしまうことだってあるのです。
 私は常々「遊びの農業は楽しいが、飯を食わなければならない農業は厳しい」と言っています。定年で仕事を終え、相応の預貯金を持ち年金で暮らせる人が、田舎に入って遊びでやる農業は楽しいものです。週末には都会の仲間が遊びにやって来て、野外パーティをしたり時には小旅行に出かける姿も見かけるようになりました。これこそ西田敏行さんと菊池桃子さんがテレビでやっている「人生の楽園」なのです。カラスやイノシシ、ハクビシンに襲われても、仕方ないと諦めればそれで済むのですが、農業で生計を立てる人にはそれはもう死活問題なのです。農薬や化学肥料を使わない安心安全な農業をと意気込んでも、ホウレンソウや小松菜などの軟弱野菜等は虫が食ったら売り物にならないのです。

チェンソーアートのフクロウの置物

 先日親友である大洲市田処の亀本幸三さんから面白い形をしたフクロウの木彫り置物をいただきました。早速家の玄関の靴箱上に飾っていますが、妻が趣味で集めているフクロウの置物の中では多少大きいため目立ち過ぎるほど目立っています。聞けばこのフクロウの木彫りは何とチェンソーアートだというのです。テレビではその彫刻風景を見たことがありますが、手に取ったのは初めてで、こんなきめ細かい作業がチェンソーで出来るのだろうかと思うほど精巧な出来栄えなのです。
 都会から田舎にやって来る人の中には、一芸を持った人が何人もいて、絵や書を書いたり、草木染、アートフラワー、木彫、陶芸、ブロガー等時にはその質の高さに目を見張る事だってあるのです。そんな一芸に秀でた人が集落に入ってくると、異文化ギャップで新しい風が起こるのです。安心安全に胡坐を書いて急激な変化を望まない田舎人の心情を大いにくすぐるのですが、私は田舎人に「人生とは何か」とか、「人生は楽しむためにある」ことを知らせる意味では、こうした革命が必要だと思っているのです。

微妙な感覚で竿の先に止まる窪田先生が作った赤とんぼ

 ふと元校長先生だった窪田公博さんが竹細工で作った赤とんぼを思い出しました。当時百個もいただいたのに、手元にはもう1個しか残っていません。人間牧場へやって来た人たちが欲しがり半ば強引に持ち帰ってしまったのです。早速窪田先生に在庫はないかと相談し、近々持ってきてくれる相談がまとまりました。まるでやじろべえのような不思議な平衡感覚で竿の先に止まるとんぼの竹細工も、当時は異文化ギャップと感じていましたが、時とともに忘れ去られようとしています。
 もう一度窪田先生の竹とんぼや垂直に空高く上がる竹トンボの作り方教室を人間牧場で開いてみたいものだと思い始めました。

  「遊びなら 田舎暮らしは 楽しいが 飯喰う田舎 かなり厳しい」

  「チェンソー 間伐材で フクロウの 置物作る 凄いと感心」

  「何年か 前に校長 赤とんぼ 作った姿 思い出しつつ」

  「楽しさを 見せびらかせて 生きている 田舎者ゆえ 俺は楽しい」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

○妻と二人でコロッケ作り

 妻「お父さん今日は何が食べたい」、私「ウーン、コロッケ」と思わず口に出しました。「ウーン、コロッケか、じゃあ倉庫からジャガイモの大きいのとタマネギを持って来て」と頼まれ、言うがままジャガイモとタマネギを台所に運びました。妻は毎週月曜日と金曜日は、12時から16時30分まで休み、その分16時30分から19時まで仕事するという変則的な勤務を近所の歯科医院でやっています。ゆえにこの時間は休息時間なのですが、休むことなく家の細々や凝った料理などに挑戦しているのです。

 「お父さん、少しだけ手伝ってくれない」と昨日の午後3時頃妻に頼まれて、コロッケ作りのお手伝いをさせられました。タマネギとひき肉を炒め、茹でたジャガイモをすり潰したものを混ぜ合わせ、俵状に丸めたら小麦の粉をつけ、溶き卵をくぐらせてパン粉をつけて形を整えるのです。私の仕事は溶き卵をくぐらせてパン粉をつけ形を整えるだけの最終工程ですが、これが意外と難しく不器用な私は難儀をしてしまいました。「お父さん上手じゃない」と誉められたので悦に入って、「揚げるのも手伝おうか」と積極的になりました。

 わが家では揚げ物は油煙が出て室内が汚れるので、外の調理場を使います。フライパンに油を入れて火をつけ、温度が上がったところでコロッケを1回に10個ばかり入れ、狐色になると裏返しをして揚げました。誰にだって出来る単純作業ながら、私にとって生まれて始めての作業なので少し緊張しましたが、70個近くを一気に揚げました。少し遅めの昼食を終えたばかりだったので、味見をすることもなく終えましたが、コロッケは同居息子家族の所にもお裾分けされ、残りは妻がテキパキと冷凍保存用のビニールに小分けして冷凍保存しました。

 夕食は私のリクエストどおり、コロッケと野菜のかき揚げ天ぷらでした。親類から届いた分厚くて大きな太刀魚の刺身も並び、猛暑で食欲減退のこの時期ながら、美味しくいただきました。私は自慢ではありませんが、親類から届く魚の下ごしらえ以外は、殆んどといっていいくらい料理を手伝いません。自分の食べた後の食器を流し台に持っていく程度の駄目亭主ですが、妻は私の揚げ物の腕前を盛んに誉めて引き込もうとしていますが、その手には乗るものかと、いたって平静さを装いました。

 今日で7月も終わり、明日から早くも8月です。時の流れの早さを感じながら、今日という日も昨日と同じように休むことなく時を刻んでいます。明日のために今日を生きようと、少しだけ前向きに生きようとしていますが、老いは確実に進んで体力も気力も、知力さえも右肩下がりになろうとしています。
 昨日食べたコロッケは私の体力をほんのちょっぴり増進させ、朝の散歩と蒲団ストレッチでこれまた体力をほんのちょっぴり維持できました。また読書やブログ書きでほんのちょっぴり知力も維持できたようです。ほんのちょっぴりの積み重ねが総合力や人間力になって行くことを信じています。

  「コロッケを 作る手伝い したからか 飛び切り美味しい 味を楽しむ」

  「そういえば 家事の手伝い せず終い これも人生 亭主関白」

  「少しだけ 気をつけ生きる それだけで 随分違う 体力の保持」

  「さあ今日も 明日のために 少しだけ 気配り生きる 明日楽しみ」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

○住吉さんの夏祭り

 昨日は高校野球の愛媛県大会決勝戦が松山球場坊ちゃんスタジアムで行なわれ、ノーシードで勝ち上がった今治西高校が川之江高校を6:3で破り、念願の甲子園行きのキップを手にしました。最近は今治西など今治勢の活躍が目立ち、強豪で全国優勝経験のある宇和島東は初戦敗退、松山商業もベスト8がやっとで、どちらかというとご当地中予や南予びいきの私としては、東予地区同士の決勝戦に少しだけ不満で、折から始まっているロンドンオリンピックの試合と、高校野球をチャンネルを変えながら、同時にテレビ観戦しました。それでも高校野球は必死で白球を追うそのさわやかな印象から、捨て難い魅力があって、ついつい引き込まれてしまいました。

 

五色浜の夕景
おもちゃを買ってもらってご満悦の孫尚樹

 昨日は伊予市にある住吉神社の夏祭りで、花火があるというので息子家族は夕方揃って出かけて行きました。松山に住む孫たちも、4年生の孫朋樹は昨日から香川県小豆島で行なわれるキャンプに参加するため出かけたようで、おたふく風邪にかかり足止めを食っている孫尚樹がどうしても花火が見たいというので、おたふく風邪の症状もすっかり治まったようなので、夏休みになっていることもあって、夕方松前の北斗で娘と落ち合い、食事後わが家で預かることになりました。
 孫尚樹はこの3~4日病気のため自宅軟禁を余儀なくされていたので、大はしゃぎで荷物を持ってやって来ました。

ナイヤガラの滝

 わが家の孫たちと落ち合うことが出来ず、私たち夫婦と尚樹で午後8時から始まる花火大会に出かけました。JR伊予市駅付近の臨時駐車場に車を止めて夜店の出ている街中を歩き、カキ氷や金魚すくい、スピードくじを楽しみながら、住吉神社の直ぐ近くの空き地に3人で陣取り、花火の上がるのを待ちました。この日は参道から見えない港の広場付近に特設桟敷席が設けられていたようですが、私たち庶民からは見えるはずもなく、多少物足りなさを感じました。

 やがてカウントダウンが始まり、一斉に花火が打ち上げられ、夏の夜空を彩りました。花火が上がる度に大きな歓声が上がり、大いに楽しませてもらいました。聞けば来年から夏祭りの開催日は7月の最終土日に変更するようで、伊予彩祭りと改名するようです。これも時代の流れなのでしょうか。
 花火が終るころ、尚樹は疲れて眠ってしまい、背中で花火の上がるのを意識しながら私の背中に重い尚樹を背負い、駐車場まで汗だくで帰りました。二人の孫希心・奏心もそのうち眠ったまま帰りました。昨晩は「おじいちゃんと寝る」と約束をしていた孫尚樹と一緒の蒲団に寝ました。

  「暑い夏 高校野球と ロンドンを テレビ観戦 チャンネル交互」

  「ワアー綺麗 空き地に座り 空見上げ 孫・妻笑顔 花火で浮かぶ」

  「疲れたか 孫はスヤスヤ 背中にて 少し腰くる 俺も歳だな」

  「じいちゃんと 寝るといってた 孫と寝る これも幸せ ささやかながら」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

○落伍・悪徳商法と納涼の夕べ

 私の母校宇和島水産高校の大先輩である玉井恭介さんから、「7月27日の夕方東京第一ホテル松山で落伍をやってくれないか」とお声がかかりました。この日はあいにく島根県へ講演に行く予定が入りそうになっていましたが、数少ない宇和島水産高校の先輩だし、私が55歳の時自費出版した、「昇る夕日でまちづくり」という自著本のプロデュースを、当時務めていたセーラー広告の玉井さんにしてもらった大恩人なので、むげに断ることもできず、相手の方を断って引き受けたのです。

 落伍と悪徳商法と納涼は一見何の関係もないように見えますが、これが玉井さん流の凄技プロデュースなのです。主催は玉井さんがメンバーとなっているNPO法人えひめ消費者ネットです。この団体は悪徳商法被害を未然に防ぎために活動している小さなボランティア団体ですが、行政や警察と協力して県内のあちこちへ出かけ、出前講座や寸劇などを開いているのです。玉井さんもなんだかんだといいつつも、最近ではこの団体にすっかりはまり役者気取りで、傍目で見れば結構楽しそうに活動していて、その模様を自分のブログで書いているのです。

 

大いに盛り上がった落伍・悪徳商法・納涼の夕べ

 昨日は約30人の方々が集まり、こともあろうか格調の高い松山市西堀端の東京第一ホテルの一室を借り切って私の落伍を聞くという算段でした。冠に「納涼」がある通り、早い話が私の落伍を餌に、冷房の効いた部屋で料理を食べながら酒を飲もうという目論みなのです。
 私の落伍のために玉井さんはわざわざ、赤い毛氈を張った高座の上に座布団を敷き、捲りまで作って持参する念の入れようです。玉井さんの目論見で私の落伍の落ちは、私が吹くハーモニカの伴奏で、久米コーラスクラブというコーラスグループに所属している、玉井さんを含めた4人の参加者が歌を歌うというのです。歌詞カードも用意され、「ふるさと」と「赤とんぼ」の2曲で30分前に音合わせのリハーサルをやりました。

 私の1時間の落伍熱演は別として、全員での合唱は練習もしないのにクラブ員の張りのある歌声に誘導され、大盛況だったようです。会場には三徳電機の三井新太郎社長さんや、これまでに何度か出会った顔見知りの方々が沢山いて、久しぶりに交友を温めることが出来ました。ギノー味噌からいただいた味噌と裏が味噌の名刺を配りましたが、玉井さんの企画は大いに盛り上がり、とてもいい雰囲気で終えることが出来、少し赤恥はかきましたが、まあ何とか先輩の顔に泥を塗ることもなかったようで、目出度し目出度しです。

  「落伍して 先輩頼まれ 口車 乗せられ多少 赤恥かいて」

  「私知る 人は手を挙げ 頼んだら 殆んどの人 知ってるコール」

  「先輩は 何時になっても 越えられぬ 後輩宿命 死ぬまで続く」

  「いい人と 出会い重ねて 歳をとる 合う人会う人 福の神です」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

○梅の土用干し

 太平洋高気圧が張り出し、天気が安定してきたので、一昨日思い切って塩漬け梅の樽から、漬け込んだ梅を取り出し、庭に広げたサナに梅を広げ、土用干しをすることにしました。今年は樽3つに約60キロの青梅を漬けているので、その量たるや半端ではないのです。
 水洗いして干したサナにステンレス製網目の容器で梅酢の中から梅を掬い取り、汁気を取ってサナの上に行儀よく並べて行き、サナが梅で一杯になると脚立で作った干し場に運び天日で干すのです。

梅の土用干し

 昔から梅干は、「三日三晩の土用干し」と言われていますが、土用干しが十分だと梅干が紫蘇に染まって真っ赤になるらしく、大事な作業だと祖母や母から生活の智恵として教わっているので、今年もその通り土用干しをしているのです。
 梅干のクエン酸は最近の科学的研究で、抗がん作用があることが分かってきました。しかし一方で一日に摂取する塩分を減らすためには、減塩梅干にする努力も必要なのです。わが家では塩分15パーセントに挑戦しています。そのためカビ防止用としてホワイトリカーを降りかける方法をとっているのです。そのお陰で今年もカビに合うこともなく塩漬けの段階までは順調なようです。

 梅の土用干しはあと数日で終りますが、終れば壷や瓶に入れて、漬け汁である梅酢をたっぷり入れ、その上に塩揉みした紫蘇を買ってきて梅の上に置き、地下室へ収納するのです。
 梅を収穫するのも土用干しするのも、いつの間にか自由人でサンデー毎日となった、私の仕事になってしまいました。誰に文句も言えず仕方のないことと諦め、毎年この作業はやっていますが、これほどの梅を自家消費できる訳ではないので、梅干が出来たら親類に配って喜ばれるのですが、梅酒も梅干も十分過ぎるほど確保しています。梅干は魚料理や蕗の佃煮を炊く時にも調理用として重宝しています。また夏になると親類から鱧が沢山届くので、鱧を骨切り料理して湯晒し、梅干を裏ごしした漬け汁につけて食べるとこれがもう絶品で、最近は殆んど毎日楽しんでいるのです。

 わが家は田舎ゆえ、ワカメや天草などの海草は勿論のこと、梅干や梅酒も全て自給です。日本の自給率は40パーセントと言われていますが、これは国外と国内の比率なので、家庭の自給率となると田舎を除けば殆んどが自給率ゼロに近いのです。その点わが家は野菜類、海藻類、保存食類、果物類などしか自給は出来ないものの、次第に自給率を高めているのです。さあもう一分張り自給率を高めるための楽しさを実感しながら、賢い生き方をしたいものです。

  「夏が来て 今年も梅の 土用干し 三日三晩 自然とともに」

  「梅干を こんなに作って どうするの? 言いつつ作る あげる楽しみ」

  「裏ごしの 梅肉使い 鱧食べる 夏の味覚を 存分楽しむ」

  「夏が来た 梅酒冷やして お茶代わり 来客喜び 私喜ぶ」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

○従兄弟西下芳雄さんのラジオ放送

 年輪塾の小番頭松本宏さんからメールで、ラジオ番組放送のお知らせがありましたが、出演者が私の従兄弟で元双海町商工会長の西下芳雄さんということもあり、聞きたかったのですが残念ながら、その時間会議に出席していて、聞くことができませんでした。
 ところが世の中は便利になったもので、ラジオを使わなくても松本さんのメールに書いていたhttp://blog.mb.co.jp/korekaradio/?p=166にアクセスすれば、何とパソコンでラジオ放送が聞けるるのですから、いやはや便利な時代になったものです。

下灘駅の夕景
下灘駅のサテライト中継
従兄弟の西下芳雄さん

 今回の放送は南海放送サテライト中継と銘打って、下灘駅の刻々と変化する夕景をバックにプレゼンター枡形浩人さんの案内で、コメンテーター山本裕治さんとゲスト出演の西下芳雄さんの話を聞く番組なのです。西下芳雄さんは若くして交通事故で親父をなくし、多くの兄弟の面倒を見ながら家業である製材業を営んでいました。今は社長を息子に譲り会長となっていますが、手掛けた焼杉材「美杉」という外壁材が大ヒットし、今の会社の基礎を築きました。商工会長やライオンズクラブ会長を歴任しましたが、その前向きなアイディアと生き方は従兄弟といえどいつも私の見本でした。

 私が下灘駅のプラットホームを使って初めてコンサートを開いた時も、町名変更問題で町が混乱した時も、まちづくり元年と定めてまちづくりに取り組み始めた時も、また多くの反対があったシーサイド公園整備の時も、私を信じて陰ながら応援してくれました。コンサートの日は会社を早めに休ませて駐車場に開放し、自らも車の整理をしてくれました。最近は下灘駅の美化や活用に取り組み、高齢者を巻き込みながら地道な活動をしているのです。私も時々下灘駅に立ち寄りますが、その度に一人黙々と草を引いたり花々に水をやったりしている姿は、松本さんが書いていた西下芳雄さんの生き方が、「種を蒔く」「求めない」そのものだと思うのです。

 私は現在67歳ですが、西下芳雄さんは83歳です。私の親父が93歳ですから、おおよそ一回りづつ年齢や生きた時代が違うものの、3人が集まればまるで同級会のように、他愛のない話に花が咲くのです。西下芳雄さんは昨年末奥さんを病気で亡くし、只今大きな家で一人暮らしです。隣のような近くに息子さん家族が住んでいるので、何の問題もなく、健康で毎日焼杉工場に出て働いていますが、最近は毎月21日わが家のお地蔵さんの縁日には、赤飯のお接待をしていますが、その赤飯を持って行き、交友を深めているのです。これからも元気で長生きして私の理想とする星であり続けて欲しいと思っています。松本さんありがとう。

  「世の中は 便利なものだ ラジオなく ラジオが聞ける 写真まで沿え」

  「従兄弟だが まだまだ俺は 叶わない 目標とする 理想の星だ」

  「種を蒔く 求めないとは 格好いい 蒔いただろうか? 心もとない」

  「年代は 違っていても 生き方や 目指す方向 同じ人生」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

○単眼複眼

 私は若い頃から、わが町や自分に関する新聞や雑誌に掲載された記事を切り抜いてスクラップブックしまっていますが、最初は日付や掲載新聞名などを記入したり、整理をしてスクラップブックに貼り付けたりしていましたが、そのうち仕事が忙しくてそれどころではなくなり、またその数も多くなって整理が間に合わず、ついつい所定の段ボール箱に無造作に投げ込んできましたが、退職したら、暇になったらこれらの記事も整理をしようと思いつつ、結局は目下のところ暇もなくそのままになっていて、妻から「片付けるか処分したら」とブーイングされているのです。

 今週の月曜日と火曜日、愛媛新聞朝刊の「単眼複眼」というコーナーに、双海町で撮影した面白い写真にショートなコメントが紹介されていたので、切り取ってスクラップしました。最近は自分のパソコンとエプソンプリンターをつないでスキャンすることが出来るようになって、その一部分は散逸したり劣化することもなくデジタル処理して保存することが可能になり、幾分気が楽になりました。でもそれをどのようにソフトに整理できるかはまだ決めてなく、今度はそれらの情報検索が出来るようにしなければならないのです。

7月23日の愛媛新聞単眼複眼

 

 

 「鉄橋にダンプカー」は今年の初夏、天一稲荷神社の裏山が雨で崩れ、その土砂に回想列車が乗り上げ脱線して、予讃線海岸周りが不通になりましたが、その復旧作業のためトロッコにトラックやユンボが上灘駅で積み込まれ、現場に運び込まれたのです。列車の走るレールの上をダンプカーが走るように見えるこの写真は、もう二度と撮影できない貴重なものです。私もこの光景を目の当たりにして、「写真に撮ろう」と思いつつ、カメラを持っていなかったりして、出来なかった貴重な一枚なのです。  「根性の竹に願いを」は双海町高野川で、高野川に住む中尾円さんが撮影し投稿した、これも珍しい写真です。杉の木の幹を突き抜けて竹が生えるなんて、まさにど根性竹です。その竹に七夕様の短冊をつけて東日本大震災の復興を願った、粋な発想に脱帽しました。わが町にも素敵な心の人がいるものです。
 この2枚の写真は私のブログにこうして掲載し、私が生きている限り紙ごみになって捨てられることもなく保存できるのです。

  「新聞の 記事を読みつつ 珍しい 記事スクラップ 無造作保存」

     「そのうちと 思いながらも 整理せず 段ボール箱 中で眠りて」

  「新聞に 乗る記事写真 旬のもの その日過ぎれば 二度と撮れない」

  「世の中にゃ 単眼複眼 人ありて 知らない場面 しっかり再現」

[ この記事をシェアする ]