人間牧場

○夏も終盤

 今年の夏はどちらかというとメリハリの効いた天気のようです。水不足を心配しいち早く渇水対策本部まで設置したところもありましたが、梅雨に入ると一転大雨で九州北部地方に甚大な被害をもたらし、僅か数日で水不足は解消しダムの放流が相次ぎました。例年並みの梅雨明け後は一転猛暑日が何日も続き、熱中症で病院へ運び込まれる人が相次ぎ、熱中症が原因で死者まで出たようです。
 お盆の声を聞くと今度は南から流れ込んだ温かい風が雨を誘い、連日全国各地で気象庁の解析によると、1時間に100ミリを越すような信じられない猛烈な雨が各地で降り、浸水被害も日本列島の各地で出ているようです。花鳥風月といわれる繊細にして穏やかな日本の四季は、一体何処へ行ったのかと疑いたくなるような日々なのです。

 昨日の朝はわが町でも午前2時ごろかなり激しい雨が降り、雨音で目が覚めてしまいました。猛暑でカラカラに乾いていた畑にとっては恵みの雨で、このところ夕方になると連日畑の水遣りをしていた親父も、多少疲れ気味でしたが、この4~5日は水遣りをしなくても済むと喜んでいるようです。
 ピーマンやナスなどの夏野菜は息を吹き返しましたが、トウモロコシやキューリにはアブラムシや芯食い虫が発生して、消毒をしないため収穫が期待できなくなりました。それでもハクビシンに食べられる前に少しでも収穫して食べようと、昨日はスイートコーンを10本ほど収穫しました。畑で皮を剥ぐとかなり実が入っていて、茹でて食卓に乗せましたが、みんな美味しいと言って食べてくれ好評でした。

収穫したボール一杯のブルーベリー

 今年はトマトとブルーベリーが豊作のようです。トマトは桃太郎とフルーツトマト、プチトマトの赤と黄色、それにロケットトマトを作っていますが、いずれも例年のような腐りも出ずに、連日ボール一杯収穫し、またブルーベリーも親友の西岡さんからかなりの量をいただいたうえ、ここにきてわが家のブルーベリーも熟し始め、毎日かなりの量を収穫し、妻はせっせとジャムに加工して冷凍保存したり、パンにつけて味わっているのです。ブルーベリーをジャムにすると紫色が一段と濃いさを増し、とても綺麗です。ブルーベリーに含まれるアントシアニンは目にいいといわれていますが、本当に目にいいのでしょうか?。
 わが家のブルーベリーは鉢植えのため、この時期は毎日水遣りが大変です。出張で2~3日家を空ける時は妻や親父に水遣りを頼んで出かけるのですが、忙しさで水遣りをすっかり忘れて2~3度、しおらせてしまいましたが、何とか持ち直したようです。人間牧場に植えている10本ばかりの路地植えブルーベリーが順調に育っているのを見ると、そろそろ路地植えにしないと、水遣りが大変だと心配の種が増えています。

 8月7日の立秋が過ぎ、届く便りや書く便りも、暑中見舞いから残暑見舞いへと変わりましたが、目にはさやかに見えねども、秋の気配を感じる今日この頃です。
 夏の暑さをネタに儲けを目論んでいる人々にとって、お盆の雨は何とも恨めしいものです。昨日はシーサイド公園の海水浴場も雨模様のため海水浴客は殆んどいなく、砂浜は散閑としていました。寝冷えなのか孫たちは夏風邪で鼻水を出し、昨日は少し熱が出たようです。少し鍛えなくっちゃあ。何はともあれ夏もそろそろ終盤です。

  「暑いねえ 思わず口に 出る言葉 歳のせいだか 今年は暑い」

  「夏野菜 雨の恵みで 生き返る 各地で豪雨 見舞われ被害」

  「紫の 色鮮やかな ジャム作る アントシアニン 目にいい食べる」

  「このところ 気象の異変 気になるが 俺の力じゃ どうすることも」

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人間牧場

○世にも珍しい宛名の手紙

 昨日24.8.10の消印で、「伊予市下灘駅、元双海町職員、若松進一様」という、世にも珍しい私宛の手紙が届きました。郵便番号799-3202が正しかったこと、配達する双海郵便局が田舎の郵便局で、私の名前を知っていたから、相手先へ「宛て先不明」で返されることもなく届いたものと思われますが、それにしても面白い手紙です。
 「私に手紙をいただいた相手は?」と裏書を見ると、郵便番号124-0011、葛飾区四つ木4-18-8、富田香代子さんで、早速ハサミで封を切って中から手紙を取り出しました。お洒落な便箋3枚にかなり達筆な文字が目を引きました。

富田香代子さんからの手紙

 「前略、八月八日、読売新聞”駅夏模様”JR予讃線下灘駅の記事を見てお便りいたしました」と書いてあり、「BS8で再放送した”東京ラブストーリー”海岸沿いを走る予讃線のホームでのシーンがとても印象的でした。どの返なのかと日本地図帳を買って来ました。(駅名をおぼえていないので、確か駅舎に伊予ー大洲の路線が写されたのを一生懸命見ていました)。その際放送終了後NHK夕どきで夕日のきれいな予讃線周辺の景色がうつりました。私の心に残ったドラマの駅に近い場所を一生懸命見ていました。そして、やはり心引かれる駅・場所であることをうれしく思います。ストーリーの駅は下灘駅でしょうか?、伊予上灘駅、ふたみシーサイド公園あたりをNHKで放送したのでしょうか。
 今年の私の嬉しいことは、私が心に残ったドラマのシーンの近辺をNHKや新聞で取り上げられていることです。必ず行って見たいと思っています。松山空港迄行けば遠い所ではないと是非行きたいです。息子達が学生の頃見ていたドラマだったのですが、二十数年たった今のほうがドラマシーンを違う角度で見られ、行ってみたいという気持ちになります。そして、その近辺が報じられること嬉しく、やはり全国から観光客が訪れるのは分かります。若松様の御努力が良い場所をさらに人々に喜ばれる様になったのだと思います。新聞記事を切り抜いて地図帳と一緒に保存します。では暑さが続きますので、お体を大切にしてくださいませ。平成二十四年八月十日 富田香代子」と結んでいました。

 

青春18キップキャンペーンポスター(1999)・駅に着いた列車から高校生の私が降りてきた
青春18キップキャンペーンポスター(2000)・思わず降りてしまうという経験をしたことがありますか

 

青春18キップキャンペーンポスター(2001)・前略、僕は日本のどこかにいます

 

青春18キップキャンペーンポスター(2005)・あの頃の春を探して

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いやあ実に嬉しい手紙です。読売新聞の記事も、NHK夕どきも私が登場しているので、今日は早速ハガキにてお便りを書こうと思っていますが、世の中には心温まる人もいるものです。東京ラブストーリーの場面設定は記憶の彼方に消えかけていましたが、あらためてもう一度ビデオでも借りてきて見たいものだと思いました。手紙が来る。便りを出す。顔は見えないけど頭の中で相手を想像しながら読んだり書いたりすることは、何と楽しいことでしょう。願わくば富田香代子さんに自慢の夕日や下灘駅を見せてあげたいと思いました。

  「駅名と 元職員の 宛名にて 東京葛飾 手紙が届く」

  「葛飾と いえば柴又 寅さんの 引き合わせかも どこかご縁が」

  「局員の 粋な計らい 届きたる 手紙文面 かなり達筆」

  「下灘の 駅からドラマ 始まった 私の人生 これがなければ」 

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人間牧場

○何をするでもない長閑な一日

 お盆の帰省ラッシュが早くも始まり、伊予インターと内子の間では午前10時頃に8キロの渋滞が発生したと新聞やテレビが報じていましたが、丁度その時間に私たち夫婦はお墓参りのため海岸国道を通って、八幡浜を目指していました。海岸国道は見晴らしもよく、人間牧場の畑でシキビを取るため軽四トラックで出かけましたが、信号も渋滞もなくスイスイと走りました。私の愛用軽四トラックは冷房がついていない、いわゆるエコカー?なので、両側の窓を一杯開け、自然の風を取り込みながら気持ちよく走りました。

 妻の実家のお墓は、八幡浜湾を一望できる高台にあります。大法寺の駐車場に車を止めてゆっくり石段を登りましたが、水桶とシキビを持っての坂登りで大汗をかいてしまいました。シキビを立てて水を入れ、先祖代々の墓の頭に水を掛け、線香を手向けてねんごろに祈りましたました。
 帰路お寺の境内で、古い友人井上さんに出会いました。聞けば私の入っている五行歌の会の会員でもあるそうで、不思議なご縁を感じました。その足で妻の実家に立ち寄りましたが、両隣に住んでいる妻の二人の兄たちも既にリタイアして、悠々自適の暮らしをしていて、在宅中だったので会話を交わし早々にお暇をしました。

真下で見る迫力ある風車
風車公園にて妻をモデルに

 涼しいうちにお墓参りしようと出かけたため、その足で久しぶりに温泉でも楽しもうという相談がまとまり、伊方の亀ヶ池温泉へ向かいました。途中道の駅や風車公園に立ち寄り、かすかな音を立てて回る風力発電の風車を真下から見上げ、その大きさに感心していると、一台の車が上がってきました。子ども連れのご家族のようでしたが、年配のお母さんは「双海町の若松さんじゃないですか」と尋ねられました。「はいそうですが」と返すと、どうやらこの方は西予市宇和町出身の方らしく、帰省している娘さん家族とドライブの途中のようでした。「あなたの話は2~3度聞いたことがあります」と立ち話の会話に花を咲かせました。

 温泉は午前中のため比較的空いていて、サウナや温泉でたっぷり気持ちよい汗を流しました。ここでも2~3人の知り人に声をかけられ、変なことはできないと自覚しました。レストランで昼食を取り、わが家へ2時過ぎに帰り、夫婦水入らずのドライブはあっという間に終りました。
 息子夫婦も孫たちを連れて実家へ行っていて留守をいいことに、久しぶりにのんびりごろ寝の午睡を楽しみました。夕方から畑に出て家庭菜園で少し作業をしたり、トマトやピーマンを収穫したり、何をするでもない長閑な一日を、仕事が休みの妻とのんびり過ごしました。

  「のんびりと 何をするでも ないままに 妻と二人で ゆっくり過ごす」

  「携帯を ズボンポケット 入れたまま 洗濯されて ×××・・・・」

  「久しぶり 妻と二人で ドライブを あちらこちらで 知り人会いて」

  「賑やかな 二人の孫も いないので セミの鳴き声 聞きつ昼寝を」

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人間牧場

○読売新聞「駅夏模様JR予讃線・下灘駅」

 読売新聞大阪本社編集局文化・生活部の記者をしている前田さんという方からお便りが届きました。ハサミで封を切って開けてみると、中からかなり分厚い8月8日付けの読売新聞朝刊が出てきました。一面にはロンドンオリンピックで銀メダルを取った卓球女子の話題や、その後採決された社会保障と税の一体改革に対する民主と自民の確執がリアルに書かれていました。新聞はこうして時代の流れを一瞬一瞬切り取って、私たちに知らせていることを改めて実感しました。
 わが家では地元紙愛媛新聞を取っているため、読売や朝日、産経、毎日といった中央紙を読むのは、旅に出た時駅の売店で買って読んだり、宿泊先のホテルロビーで備え付けのものを読む程度になってしまいました。かつて地元の役場に勤めていたころは、役場が取っていたそれらの新聞を読んで、同じテーマでも新聞によって随分見出しのつけ方や記事の書き方が違うものだと、いつも実感していましたが、今は地方紙しか読むすべがないのです。

読売新聞・平成24年8月8日付け朝刊

 読売新聞には編集手帳、朝日新聞には天声人語、愛媛新聞には地軸という一面コラムがあり、それを読むのも新聞の楽しみで、かつて天声人語や地軸に私のことが書かれたこともあって、特に天声人語という言葉の響がが好きで、よく読むのです。手前味噌ながら私も月に2回発行していた、町の広報「ふたみ」」を10年間担当し、タブロイド版巻末に「大根心」というペンネームで「こちら編集局」というコラムを240回も書き、担当を外れたその年にそれらを集めて、「町に吹く風」という一冊の本を自費出版しているのです。何はともあれまちづくりの世界に長くいた私にとって新聞は、なくてはならない武器だったのです。
 よきにつけ悪しきにつけ私や私の町はこれまで、よく新聞に取り上げられました。町を宣伝する手立てとして新聞は欠かせない存在だったのです。インターネットの普及していなかったあの頃は、新聞とテレビが大きな情報源で、夕日によるまちづくりは公共の媒体を巧みに使って、世に知られたのです。特に記録として残る新聞はスクラップして、整理こそ忙しくてやってはいないものの、今もしっかりと保存しているのです。

 「新聞記者は見てきたような事を書く」と言いますが、新聞記者には二つのタイプがあるようです。例えば双海町の夕日を捉える場合、アマゾンなどで私の書いた本を買い求め、それを元に補助取材を電話などで済ませて書く人と、直接やって来て面談や現地取材をする人の2種類があります。取材に金のかかる中央紙などは前者で、地元紙は後者の部類だと思うのです。
 さて今回の17面くらしにカラーで掲載された記事は直接やって来て、写真等を撮ったり関係者に話を聞いたようですが、私に関することに限っては長々の数回にわたる電話取材でした。今回の掲載記事を目にしたのは、旅先の高知県四万十市西土佐でした。市民大学の講師を頼まれて出かけた折、地域事務所の友人松本さんが、掲載記事をいち早くPDFファイルにに加工して、年輪塾ネットで流していたものを、教育委員会西土佐事務所の親友和田所長さんがコピーをして渡してくれたのです。

 第一線を退いた私が新聞に載るのは、夕日をテーマにまちづくりを始めたころの思い出を語ることしかできないため、記憶を頼りに月日や時間を遡るのですが、夕日夕焼け物語を語るには欠かせない存在なのか、相変わらずよく話を聞いてくるのです。人から見れば私たちがやった夕日によるまちづくりも、今となっては成功したように語られていますが、振り返れば失敗の連続で、思い出したくないようなこともいっぱいあります。ゆえに物語は面白いのでしょう。
 昨日、今度は朝日新聞の記者とカメラマンが、地域おこし協力隊の冨田さんに連れられて昼過ぎわが家へ取材にやって来ました。今回も駅がテーマのシリーズ物らしいのですが、どんな記事になるのでしょうか。

  「読売の 十七面に 書かれたる 記事を読みつつ あれこれ思う」

  「失敗や 反対多く あったけど 過ぎてしまえば それもまたよし」

  「新聞は 記録に残る 故を持ち 色々活用 PDF配信」

  「文明は 活かし使えば 文化なる 道具となりて 大い役立つ」

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人間牧場

○体健と車検

 昨日は私にとって大切な二つの検査に出かけました。一つは「体健」とでもいうべき2月に1回行なっている健康診断、もう一つは3年ぶり(次から2年毎)に行う自家用車の「車検」です。
 体健は前回の健康診断で予約日が決まっているので、健康診断の日が近づくと自分の体のことゆえ余り無理をしないようにしたり、体にいいものを食べようと心がけたりするものなのでしょうが、私の場合に限っては今回もそうであったように、前日高知県四万十市の招きで出かけた文化講演会や、それにまつわる仲間との居酒屋交流会があって、帰宅が午前0時を過ぎるような無茶をしたので多少寝不足気味でした。加えてこのところの暑さの中での草刈り作業も重労働で、さぞや診断項目の数値は高めだろうと思いきや、全ての数値が基準値内で内心ホッとしました。
 県立中央病院のロビーでは出会う顔見知りの人も沢山いて、出合う度にお互いが病気のことを話したり、近況を語り合いましたが、病院のロビーなので「元気ですか?」という言葉より、「何処か悪いの?」という言葉の方が似合っていて、「病院のロビーで元気ですかもないもんだ」と時々苦笑いすることだってあるのです。

 「体健」の結果が良かったことに気をよくして、次は「車検」に望みました。3年前に買った車の始めての車検なのです。私の乗っている車はトヨタカローラ・アクシオという大衆車で、今ではすっかり自分の手足として西に東に大活躍をしてくれています。昨年の12月、出張先の鳥取県伯耆大山町の高速道路で、時ならぬ大雪に見舞われスリップ事故を起こし、大修理を余儀なくされたものの、それ以外はこれといった故障もなく、この3年間快調に走ってくれていますが、新車を買ったディーラーから再三車検へのお誘いがあったため、車検はこの店で行なうべく8月10日13時からと予約していました。
 普通車検といえば2日くらい車を預けて代車を借りるものとばかり思っていましたが、3年目の車検なので僅か2時間の待ち時間で終ると聞いてビックリしました。車のメンテナンス等の見積もり提示を了承し、磨り減ったタイヤも交換する約束をして、2時間の待ち時間をディーラーの近くにある、息子嫁の実家が経営している珈人という喫茶店でカレーを食べたりお茶を飲みながら過ごしました。

 やがて午後3時過ぎ、ピカピカに磨かれた新車と見まがうほど美しくなった車と面会し、12万5千円の支払いを済ませ自宅へ帰りました。これまでの忙しかった日々を清算するような「体健」も「車検」も一応何事もなく終わり、これで一区切りがついたような安心感ができたようです。車検には多分20万円はいるだろうと出かける前に現金を用意してくれていた妻も、「体健」の結果と「車検」が安上がりだったことに大満足の手合いでした。
 車はさて置き、私の体調がいいことの裏には、私の健康維持を意識して、毎日料理を作って食べさせてくれる妻の、ひた向きな努力も見逃すことはできず、大いに感謝をしています。勿論「健康は自分が自分に贈る最高のプレゼント」ですから、自分自身が毎日行なう体調管理のための運動や規則正しい生活も見逃すことはできませんが、とりあえず予約を取った11月16日まで節制を続けたいと思っています。

  「体健と 車検を同じ 日に実施 どこかすっきり 一安心で」

  「四本の タイヤ交換 これでよし 近く遠くへ 旅は安心」

  「快食と 快眠ゲット この上は 運動欠かさず 体調管理」

  「健康が 何より優先 するテーマ 無理せず若さ 保つ努力を」

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人間牧場

○高知県四万十市文化講演会に招かれて

 昨日は高知県四万十市夏恒例の第31回市民文化講演会に招かれ、片道150キロの山間の道を自家用車で出かけました。自宅を暑い最中の午後2時頃に出て、長浜~大洲~城川~日吉~広見~松野と見慣れた長閑な農村を走りましたが、松野辺りでは早くも稲が黄金色に色づいて、暦の上での立秋を思わせました。この日のきっかけは、もう20年もの長きに渡って親友を続けている、旧西土佐村の職員で西土佐教育事務所の所長をしている和田さんからのの声掛りなのです。「夕食でも一緒に食べよう」と誘ってくれていたので、途中彩花という国道沿いのお店に立ち寄っ、て顔見知のママさんと世間話に花を咲かせ、少し早めの午後5時頃の到着となりました。会場となっている西土佐ふれあいホールは教育委員会の出先事務所があるので何度も訪ねていますが、ここのステージに立つのは初めてなのです。ふれあいホールは円形で、失礼ながらこんな田舎にこんな建物が?と思うほど立派で、バックの照明も夕日の町のイメージ宜しく、茜色にするなど配慮をしてくれていました。

静かに流れる四万十川
四万十川に架かる赤橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事前に自宅へ電話がかかって再会を約束していた、タウンポリス西土佐会長の篠田楠雄さんがお土産を持って来てくれていました。篠田さんと最初にどこで出会ったのかは残念ながら思い出せませんが、元気なご様子で和田さんに頼み二人で記念写真まで撮りました。篠田さんは宇和島への所用ができて、講演会には出れないと少し残念そうにいいながら、再会を約束して分かれました。会場準備の終った四万十市生涯学習課の名本課長や稲葉補佐、担当の高橋係長と名刺交換をして、立ち話の打ち合わせや事務手続きをしました。私が用意をして欲しいと頼んでいたDVD映写の準備も整っていましたが、僅か90分の講演時間なので急な思いつきで、失礼ながら取り止めることにしました。
 赤橋近くの食堂で軽い夕食を済ませふれあいホールへ帰ると、1時間も前だというのに早くも民宿舟母のおばちゃんたちが顔を見せ、懐かしく近況を報告し合いました。私は本職を退職した7年前、和田さんや中脇さんの頼みで、西土佐村内の20ヶ所の集落を回って講演をしたことがあります。そんなこんなで顔見知りも多く、この日も嬉しい出会いが何人もありました。

講演会場にて篠田楠雄さんと

 四万十市では文化講演会に私を含めて6人の講師を用意し、リレー講演会とするユニークな企画のようで、元プロ野球選手の山沖さん、京都市芸術文化協会理事長の村井さん、明星大学教授の関さん、総合ケアシーザル理事長の宮原さん、作曲家の森さんなど、ポスターを飾る人は第一線で活躍している理論家の方々ばかりで、論理家は田舎者の私一人のようでした。でも臆することもなく長年の実践から生まれた論理を、私の演題である「新しい発想で生きる」と題して楽しく話させてもらいましたが、90分間寝る人もなく爆笑しながら楽しく聞いていただきました。
 講演が終わると近くの小さな居酒屋で顔見知りの6~7人が集まり、小宴を開いてくれました。大宮産業の竹葉さんたちも顔を見せてくれ、22時30分まで大いに気を吐きながら交友を暖め、和田さんと篠田さんを帰り道で降ろし、三間インターから高速に乗って伊予インターまで走り、深夜12時過ぎに自宅へ到着しました。世の中便利になったもので、遠いと思われる高知県四万十市までの往復300キロを、泊まることもなく日帰りできるのです。今回も多くの方々と深いご縁をいただきました。

  「四万十市 文化講演 招かれて 知り人多い 前にて話す」

  「土産持ち 顔を見に来る 人もいて ただただ感謝 せずにいられず」

  「われ以外 全ての人は 有名人 それでも臆せず 熱弁ふるう」

  「居酒屋で 弾む話に 時忘れ 往時をしのび 明日を語る」

 

 

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人間牧場

○FAXで送られてきた新聞記事

 2~3日前、この夏の人事異動で県警本部長を辞して、東京へ帰った岸本吉生さんから一通のファックスが届きました。中小企業振興という新聞1077号(平成24年8月1日付け)に掲載された、新聞のコピーでした。2年前まるで落下傘に乗ったように愛媛県へ赴任して来た岸本さんとは、ふとしたことから知り合い、この2年間何かにつけて交友を深めていました。しかい県警本部長という機密な要職ゆえ私のブログにその名前を書くこともなく伏せていましたが、中小機構への転勤となりこれで大っぴらな交友ができるようになり、ホッとしているところです。
 はてさて岸本さんが理事として赴いた中小機構とは一体どんな仕事をしているのでしょう。まだその全容は知るよしもありませんが、わが町が昨年実施した四国サイコーダイガク伊予市・双海プロジェクトの担当だった、中小機構四国本部の総元締めといったところのようです。あまた数ある中でよりにもよって中小機構へ転出するとは、やはり岸本さんとは深いご縁があるものだと感心した次第です。
 昨日の夜開かれた「双海人」の中身について、岸本さんから送られてきたFAXの中に来歴が書かれているので紹介しておきます。

岸本さんから送れれて来た新聞スクラップ記事

 

   「東京に 帰った人から FAXが 届きびっくり 双海の記事が」

  「あれやこれ 思い出される 二年間 あの人今は 東京仕事」

  「少しだけ 東京近く なりにけり 遠く離れた 田舎に暮らす」

  「近いうち 何かのついで 東京に 行った折には 訪ねてみたい」

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人間牧場

○掲額届く

 双海町には上灘に5つ、下灘に5つのお寺があります。わが家の菩提寺は長楽寺という下灘のお寺です。このお寺は落慶してまだ間がないというのに住職さんが亡くなり、息子さんも病に臥せっていて、仏事をこなすことができず、同じ宗派のご縁もあって本村の慶徳寺の住職さんが、兼務で仏事をこなしているのです。慶徳寺の山口住職さんは私が講演などでよく訪ねた大分県旧本匠村の出身であることや、奥さんが更生保護女性会の会長をしていて、子ども体験塾のボランティア活動を私と一緒にやっていることもあって、檀家ではないものの親しくお付き合いをしているのです。

慶徳寺の山口住職さんに書いてもらった恩という字の掲額

 今年の春そんな住職さんに、奥さんを通じて書を書いて欲しいと頼みました。住職さんは書がとても上手な書家なのです。頼んでから間もなく快諾の連絡があり、どんな文字が所望か聞かれたので、一も二もなく「恩」という一文字を書いてもらうよう頼みました。そのうち書体の見本が3枚送られて来ましたが、わが息子の名前が「一心」なので、「心」という字をできるだけ強調して崩さないよう頼みました。
 やがて奥さんが大書した立派な紙を持って来てくれました。早速先月孫たちを連れささやかなお供えを持って慶徳寺へ出向き、この字を表装する業者さんにあつかましくも表装まで依頼してしまいました。

 昨日の夕方住職さんから表装ができたと連絡があり、昨晩は史談会の講演会があってご一緒する幸運に恵まれ、わざわざ会場まで運んでもらいました。車の中で中身を確かめ、自宅へ帰ってから妻と二人で書斎へ運んで見せてもらいましたが、立派な出来栄えに大満足でした。
 さてこの立派な掲額を何処に飾ろうか、思案していますが、本当は人間牧場へ飾りたいものの、勿体ないと妻は少々難色を示しているようです。まあそのうち落ち着く所に落ち着くのでしょうが、この掲額に書かれた「恩」という文字はこれからの私の人生の道しるべとして、かくあるよう生きたいと思っています。

 「恩を返す」という言葉がありますが、はてさて私が恩を返す相手は誰なのか、今朝はそのことを考えてみました。私を産み育ててくれた父母への恩、私を支え続けてくれている妻や家族の恩、私に仕事をやらせてくれた元職場の方々の恩、駆け出しの頃から今日まで多くのことを学ばせてもらった公民館の恩など、恩を返さねばならない人の数は余りにも多く、余命短い人生でそれら全てに恩を返すことは到底不可能なのでしょうが、それでも恩返しをする気持ちを忘れずに一生懸命生きて生きたいと思っています。とりあえず私を育んでくれた双海町という故郷への恩返しをしようと、殊勝にも思った朝でした。

  「大書した 恩という字が 届きたる まざまざ眺め 決意も新た」

  「恩返し これが私の これからの 生き方示す 道しるべなる」

  「さてこれを 何処に飾るか 思案中 妻と私の 意見違いて」

  「因と心 二つのみ字が 重なりて 恩はなるほど 納得しつつ」

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人間牧場

○三度四度、いやいや五度六度かも

 「今日も暑いなあ」と思いながら昨日の朝、残りの草を刈るため人間牧場へ向かいました。前々日は芋畑までを綺麗に刈っていましたが、昨日は芋畑から下がまだそっくり残っていて、馬力をかけなければ一日で終らない広さなのです。ガソリンを満タンにした草刈機を持って芋畑へ降りると、網で囲った芋畑の中が何やら可笑しいのです。本来ならこの時期は芋のつると草に覆われて見えるはずのない赤土地面があちらこちらに見え隠れしていました。「今年もやられた!」と一瞬思い、私の顔から血の気が引いていくのが感じられました。
 草刈りどころではないと思って網囲いの中へ入ってみると、イノシシが掘ったと思われる無残な痕跡が多数ありました。早速役場に電話して居合わせた宮栄公民館長にその旨を伝えました。担当の赤石主事さんは愛媛大学で始まっている社会教育主事講習に出かけて留守なので、宮栄館長さんが昼過ぎ応援に駆けつけ、残ったサツマイモを食われないようにガードしようという話になりました。

 

波型トタンで囲いをする宮栄課長さんと久保さん

 私は宮栄館長さんが来るまで傷心の面持ちで草を刈りました。気分の乗らない草刈りは中々前へ進まないものです。草刈機の刃が少し切れにくくなっていることもあって、またつる草が草刈り機の刃に絡まって、時々中断せざるを得なくなりました。それでも宮栄館長さんが来るまでに周辺を綺麗にしておこうと、汗だくで草を刈りました。
 午後の約束だった宮栄館長さんが久保さんと二人で、11時過ぎ波型トタンを積んでやって来ました。宮栄館長さんは日尾野というイノシシやハクビシンなど有害鳥獣被害激戦区の集落に住んでいて、度々被害にあってその対応は馴れたもので、被害の状況を見て、「これはイノシシではなくハクビシンだ」と診断しました。そしてハクビシンが入ったと思われる場所に波型トタンを立てたりしながら、応急対策を講じてくれました。その対応の早さに目を見張りました。この対応で残りのサツマイモが助かることを祈っています。

 サツマイモを食べられたのはこれまで二度や三度ではありません。指折り数えてみましたが、時には全滅する等よく分からない程やられているのです。その度に悔しい思いをし、リベンジを誓うのですが、目に見えない相手の奇襲攻撃や夜襲攻撃の前には人間の智恵等勝る訳がなく、ただただ諦めるしかないのです。
 宮栄館長さんたちが帰った後も、草刈り作業を昼食弁当を食べた後も午後4時頃まで続け、熱中症にならぬようにと、妻の入れてくれていた麦茶が底をつきかけたので、ひとまず二日間の草刈り作業を終えました。雨の降り具合にもよりますが、これでひとまず18日のよもよも研修と、26日の愛大学び直し授業にやって来る人たちに悪評を叩かれることもなくなりました。
 苗床のカブト虫捕獲防虫ネットを外して片付けたり、千本桜の森づくり事業で植え、3年目を迎えて順調に育っている枝垂桜の梢に、竹竿で誘引したりの細々な作業をして山を下りました。自宅へ帰り汗を流すため風呂場でシャワーを浴びました。鏡に映った自分の顔は、麦藁帽子を被って作業していますがすっかり日焼けし、このところの肉体労働で少し筋肉がついて逞しくなったような感じがしました。

  「芋畑 今年も鳥獣 荒されて 心痛んで 悔しさ増える」

  「イノシシか いやいやこれは ハクビシン 慣れた手つきで トタン張る人」

  「芋畑 周囲に案山子 立ってるが 役にも立たず ただ呆然と」

  「鳥獣は 夜襲と奇襲 得意にて 勝てるはずない 負けてばかりで」

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人間牧場

○新しいドラマは始まったが・・・

 

今朝の愛媛新聞朝刊

 夕日に惚れ込んでいた若い頃、夕日の情報発信基地を作りたくて、シーサイド公園を整備する時、町長にお願いしてその一角に、ほんの小さな夕日のミュージアムを造ることにしました。夕日という得体の知れない物体が果たして展示になりうるのか心配しながら、夕日に関する雑学を徹底的に勉強しました。そうしているうち夕日の科学や文化などがあれやこれや、これでもかと思うほど出てきたのです。それらを展示構成して世にも珍しい夕日のミュージアムが誕生しました。その時掲げたのが双海町の自然を丸ごとフィールドミュージアムにしようという構想で、その手始めに町のキャッチフレーズを公募して「しずむ夕日が立ち止まるまち」としたり、国道の名前を「夕やけこやけライン」としました。また国道や高速道路のランドマークにも夕日をあしらい、フィールドミュージアム構想は順調に滑り出しました。しかし予想もしなかった平成の大合併で私の掲げた構想は潰えてしまい、情報の発信拠点であるはずの夕日のミュージアムも、情報を追加するどころか一つ減り二つ減りして、今はお荷物的な存在になっているのです。双海町を曲がりなりにも世に送り出したのは紛れもなく夕日であり、人々の心に夕日は予想以上に染み付いているのですが、いかんせんそれをリードしなければならない人の存在が不毛で、このままでは夕日のミュージアムは消え行く運命にあるようです。役場を辞めた人間の口出すことではないと、かたくなに口を閉ざし、自分で出来ることをやろうと、それなりに情報発信を続けていますが、規模は小さくなっても夕日のメッカである下灘駅を、フィールドミュージアムにしようと頑張ってくれている人たちの存在は、私にある種の幸福感を与えてくれているのです。

 

亀の森から見たスイム会場

 昨日もう一つの夕日のメッカであるシーサイド公園で、第1回トライアスロン大会がありました。昨年下灘で開いたジュニアトライアスロンの発展プログラムで、200人を超える鉄人が参加し、500人を超えるスタッフが下支えし、寄付を含めると1千万円ほどの費用をかけた大会は、珍しさもあって沿道に内外から多くの応援者を得、私と家族全員も一市民として沿道で、自転車に乗った人たちに大きな声援を送りました。スポーツはアスリートの限界に挑戦する姿を見る人に、さわやかな感動を与えます。4人の孫たちは帰ると早速スイムとランとバイクをやりたいと息子親父に頼み込み、ヘルメットを被って自転車に乗ったり、海に連れて行って泳いだりと、その気になっていましたが、これもよき感化の表れだと苦笑いしました。夕日が音楽になったりスポーツになったりすることは、進化の意味からすると当然の変化です。ただ始めることも難しいのですが、続けることや高めることはもっと難しいことを実感しなければなりません。夕日がそうであったように、続けるためには「何のために」というしっかりとしたコンセプトを持ち、イベントを経済に結び付けてゆかねばなりません。その「何のために」を「誰が」やるのか、金がかかるイベントだけに荒波はきついようです。頑張って下さい。

わがやんお入口付近でバイクを応援する人々

  「動くから 風は起こると 信じ込む 道は開ける 次はどの道」

  「何のため これが一番 肝心で それがなければ ただのイベント」

  「お疲れさん これしか言えず 携帯で 労をねぎらう これしかできず」

  「孫たちも 沿道観戦 帰るなり 自転車取り出し バイク練習」

 

 

明くる日のテレビ放映の様子

 

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