人間牧場

○地元小学校の運動会に出かけました

 愛媛県内の各地では、秋の訪れとともに運動会が行なわれています。昔から遠足や運動会といった屋外の催し物には、何故か雨がつきもので、主催者や主役となる子どもたちを一喜一憂させるのです。昔は天気予報の精度が、今ほど正確的でなかったので、運動会の前の日になると日和見の確かな、漁師さんに聞きに行ったりしていましたが、今は雨雲の動きまで瞬時に携帯電話の画面で見えるので、昨日のように前夜かなりの量の雨が降っても、少し時間を遅らせて開催することが可能なのです。

由並小学校の運動会

 昨日は私が学校評議員をしている由並小学校から運動会の案内があり、午前中単車で出かけました。子どもの数が減ったといいながら由並小学校はまだ100人近くいて、子どもも先生もはつらつとして、どこか活力のようなものを感じました。周りのテントの中も家族が沢山見学にやって来ていて、今では滅多に会わない顔馴染みの人と、挨拶や立ち話をしたりしながら、テントの下の末席で出されたお茶をいただきながら見学させてもらいました。出演している子どもたちの中には、子ども体験塾に作家をしている顔馴染みもいて、手を振ったり声をかけたりしてくれました。

 少しずつ天気も上向きに回復し、初秋の青空に万国旗がはためく姿は、これぞ日本の運動会といったところです。運動会で思い出すのはテントの下の筵の上に座って、昼休みに食べた弁当の味でした。母ちゃんが朝早く起きて作ってくれた手作りの弁当の味は、今でも淡い思い出として残っているのです。最近はこの弁当事情にも異変が起こっていて、弁当を作る親が少なくなって、コンビニ弁当で済ませる親が増えているという話を聞きました。今は弁当も安く手に入る時代だし、子どもも大好きなファーストフードのようなものが入っている、バラエティーに富んだ弁当の方がリクエストが多いと聞きましたが、親の手抜きもいいとこです。

 ちょっと気になるのは校門の外に用意された喫煙場所でたむろしてタバコを吸う、お母さんの数の多さです。女性がタバコを吸ってはいけないという法律はどこにもありませんが、少し厚化粧した母親がネイルした指にタバコを絡ませて吸う姿から、母親の強さや優しさのようなものは感じませんでした。校門の外で見た母親の姿が家庭内にもあるのでしょうから、毎日接する子どもたちは大きくなって、母親のどんなイメージを思い出すのか、他人事ながら少し心配しましたが、これも現代の時の流れでしょうか。

翠小学校の運動会

 少しだけ見学して今度は翠小学校へ出かけました。翠小学校とは縁もゆかりもないのですが、毎年運動会の案内状を送ってくれていて、特に子どもたちの書いた心温まる案内メッセージが心を動かせました。翠小学校は20人にも満たない小さな学校ですが、地区民総出で準備した入場門とトラックの緑が、翠を連想してくれるのです。入場門もトラックラインも山から採集してきた杉の葉っぱが使われているのです。これがまた現役の木造校舎としては愛媛県で一番古い校舎とよく似合うのです。木造校舎と万国旗が醸す雰囲気は、恐らく愛媛県の中でも飛び切り上等な会場設営だと、他人事ながら胸を張るのです。

 行くと来賓の宝探しの演技が始まっていて、参加するよう勧められましたが、固辞してむしろデジカメで雰囲気を撮らせてもらいました。子どもの数は少ないものの先生も子どもも、父兄や地域住民も一体となった運動会で心が温まりましたが、赴任2年目の校長先生も学校の雰囲気にすっかり溶け込んで、頼もしく感じました。いじめが急増し学校のあり方や教育のあり方が社会問題として、クローズアップされていますが、大きいことはいいことだと肥大化路線をとり続け、学校を統廃合していることの反省もすべきではないかと思うのです。学力や部活を重視する中学校は別として、やはり小学校は歩いて行ける距離に置く事が一番、これが私の持論です。

  「運動会 何故か天気が 左右する 空を見上げて 一喜一憂」

  「ぬかるんだ 運動場も 思い出に なると思えば 短も見方か」

  「弁当は コンビニ済ます 親多い これも時代の 流れでしょうか」

  「ネイルした 若い母親 タバコ吸う これも時代の 流れでしょうか」

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○記録して記憶を残す

 昨日の夕方下灘駅にまつわる催しがあり、曇りから小雨に変わる季節の移ろいを感じながら参加したので、フォトに記録して記憶に残そうと思いました。昨日はもう過去となって人々の記憶から消える運命にあるのですが、今が過去になる前に記録すると、記憶は再び蘇るのです。
 私もまだ記憶がはっきりしている間に、下灘駅界隈の秘話や裏話を記録に留めておかなければと思いました。

青春18きっぷフォトグラファー長根広和さんトークライブのチラシ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下灘駅に到着した一両列車

プラットホームのベンチで一個400円の鱧バーガーを食べてくつろぐ人たち

 

 

 

  「文字よりも 写真リアルに 物語る 昨日の思い出 記録に残す」

  「心ある 人たち無人 駅集い あれやこれやと 楽しきことを」

  「ひっそりと 彼岸花咲く 駅前に 二人の女性 カフェを開きぬ」

  「裏話 あるからトーク 面白い 私の秘話も 残しておこう」 

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○ハマチ3本千円の波紋

 私は伊予市双海町上灘灘町という所に住んでいます。農業と漁業以外これといった働き場所はなく、農業を守っているのは主に高齢者で、若い人は外に働きに出かけて平日の昼間は町内にいないのです。漁業は殆んどが専業で、底引き網や船引き網、流し網などで生計を立てています。
 彼岸花の真っ赤な花が咲き始めると、毎年の事ながらサワラ流し網にハマチが大量にかかるのですが、この時期のハマチはまだ小ぶりで脂が乗っていないため、市場ではどちらかというと厄介ものみたいに言われ、どこの市場でもダブついて中々買い手がつかず、安値で取引されているようです。これを大量貧乏というのでしょうが、漁師さんにとって見れば折角漁獲した魚が売れないのでは、燃料高騰のこともあって泣くに泣けない秋を迎えているようです。

 先日灘町の有線放送を通じて、「ハマチを3本千円で販売しているので、欲しい人は市場まで買いに来てください」と漁師町お馴染みの放送がありました。私は妻に頼まれ嫁に頼まれて、4千円を持ってトラックで買いに出かけました。お金を四千円支払い、3袋貰ったところで漁協女性部長の北風さんが、ハマチ2本とアジを5匹袋に入れてくれました。私はそのまま自宅へ帰りお裾分けの準備をしましたが、どうやらドサクサで1袋いただくのを忘れたようです。まあ済んだことだと諦めて、先日新米を1袋いただいた西岡さんや、日ごろお世話になっている宮栄さんに持って行ってあげましたが、大層喜んでいただきました。
 さあそれからが大変です。わが家の分と嫁から頼まれた分を5匹も、外の調理場で三枚に下ろす作業をしました。まあ大変といっても鱧のように手間のかかる魚でもないので、30分余りで調理を終えました。

 その夜はハマチの刺身、次の日はハマチのづけ丼、明くる日はあら煮とハマチ三昧の日が3日間も続きました。私はどちらかというと青魚タイプの人間なので、西岡さんからいただいた新米のご飯に程好くあって、食欲の秋を大いに満喫しました。
 「ハマチなんて」と人は馬鹿にしますが、天然の新鮮なハマチは下ごしらえさえしっかりすれば、これはもう最高のご馳走なのです。最近妻が作ってくれるづけ丼も有精卵の卵をかけ、もみ海苔や青葉かネギを乗せて山葵を効かすと、外食で食べる海鮮丼など比較にはならないのです。
 せっかく海の町に生きているのですから、せっせと魚を食べて大いに元気になろうと思っています。近々「3本千円」の放送があったら、またハマチ料理を楽しみたいと、今から楽しみにしています。ハマチはモジャコ、ワカナ、ヤズ、ハマチ、ブリと、成長に合わせて名前が変わるいわゆる出世魚です。この魚にあやかることは、もう望むべきもありませんが、大根が大きくなったらブリ大根も美味しいですね。

  「三本で 千円ハマチ 買い求め お裾分けする 山里の人」

  「刺身食べ 次は漬け丼 次の次 アラ煮を食べて 一件落着」

  「青魚 DHCとやら あるという どこか健康 なった気がする」

  「この俺も ハマチあやかり 出世する どころか今は 下降線気味」   

 

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○夕日夕焼けは今が旬です

 私の書斎にあるデジタル目覚まし時計に、内蔵している温度計は只今5時26分、23.0度、湿度62パーセントを表示しています。昨日の朝は前日と打って変わって寒く感じ、散歩の途中で出会う顔見知りの人たちも口々に、「今朝は寒いねえ!」と挨拶を交わしていました。やけっぱちに鳴いていたセミの声もいつしか遠のき、朝夕は虫の声が賑やかに聞こえるようになってきました。
 昨日は私のアメーバブログ「shin-1さんの日記」に体調のことを書き込んだところ、いつも愛読してくれている三崎町の浅野さんから早速心配してメールが届いたり、小番頭松本さんからも「大丈夫?」という電話をいただき、何人かからは直接お見舞いの電話がかかって来ました。病気で転職、胆のう摘出手術、チェンソー事故での大怪我と、これまで怪我や病気という幾つかのハードルを越えてきた百戦錬磨の私なので、病気を侮ってはいけませんが、自分の仕事がついついオーバーワークになっていたことは事実なので、ちょっと立ち止まって自分の生き方を改めるいい機会になったことは事実です。

 

茜色の夕焼け

 昨日久しぶりに綺麗な夕焼けを見ました。妻と二人で夕食をしていると、窓の向こうが少し明るくなっていることに気がつきました。急いで外に出てみると、夕日こそ沈んでいたものの、西の空が赤く焼けていました。急いで部屋に戻りデジカメを持とうとしましたが、肝心のデジカメが手元に見当たらず、結局取るものも取らず、結局手元にあった古いデジカメを持って外に出ました。秋の夕日夕焼けは一年中で一番綺麗だといわれていますが、確かにその気になって見れば茜色に染まった夕焼け空は、どこかほのぼのとして、心安らぐひと時でした。そういえば最近忙しさにかまけて、夕日を見る機会も少なかったと自省しながら、しばらくの間次第に色を変える西の空を眺めていました。

こんな綺麗な夕日が見えます

 太陽が水平線に沈むまでを夕日といい、水平線に太陽が隠れてからを夕焼けといいますが、夕日もさることながら、夕焼けもまた味があります。特に空の高さを感じる秋の雲を染める夕焼けは絵に書いたようで、表現はどうかと思いますが西方浄土のような気がするのです。
 秋分の日を明日に控えたこの時期は、私が発想して造った恋人岬のモニュメントの穴に、夕日がスッポリ入る絶好の季節なのです。この夕日に憧れて私の友人の大分県佐賀関に住む渡邊又計さんは、写真に撮りにきたほどなのです。春分と秋分は国民の祝日なので、モニュメントに沈む夕日の記念日にしたらと思っていますが、そんな仕掛けをするような気の効いた人はもういないのかも知れません。人が来ないのは不景気や人のせいだと嘆くより、こんなビッグな施設を折角造っているのですから、大いに利用して欲しいものです。

  「見てご覧 夕日夕焼け 今が旬 二人で見れば もっと素敵に」

  「この姿 何故に人々 気が付かぬ 美しきもの 見れば心も」

  「その昔 夕日を金に 目論んだ やる気になれば 金になります」

  「夕焼けの 空を眺めて 句を作る 四季の移ろい 子規になぞらえ」

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○保健師さんの家庭訪問

 昨日は看護師さんや保健師によくよく縁のある日で、前もって連絡を受けていた市役所保健センターの看護師さん3人が、わが家へやって来ました。仕事を終えた午後6時頃なのでプライベートな訪問です。私が現職のころ一緒に役場に勤めていた人なので気心が知れていて、息子嫁も出産前後随分お世話になった間柄なので、息子たちの台所に案内し、お茶を飲みながら妻も交えて楽しいお喋り会となりました。
 看護師さんたちは息子家族と同居するため、わが家をリフォームしたことを知っていて、後学のために一度は見たいと言っていましたが、すっかり綺麗になった台所がすっかり気に入ったようでした。

 台所やトイレ等の水周りをリフォームすると家は見違えるように輝きを増すものです。特に若い人たちが憧れるのは女性であり主婦の城といわれる台所のようです。息子嫁は息子が設計管理したこの台所を相当気に入っていて、3歳と5歳のやんちゃな男の子を抱えながら、掃除や整理整頓もしっかりと行き届き、今のところは人に見てもらっても恥ずかしくない体裁を保っているようです。
 3人の保健婦さんの中でも、一昨年保健師を退職した女性は夫婦ともども古い親友で、わが家とよく似た親と同居の暮らしをしていて、子どもさんも大きくなったので、将来のことを考えているようで、妻と盛んにその辺のことを話し込んでいました。

 わが家が息子家族と同居を始めて早くも1年半が経ちました。同居を始める前に話し合いで決めた、食事は別々もすっかり板について、同じ屋根の下で肩を寄せるように生きれる幸せを、しみじみ噛みしめているのです。特に孫の存在は大きく、外出先から帰ると「お帰り」と元気な声で迎えてくれるし、息子嫁もまた妻と一緒にそれぞれ気を使いながら楽しく暮らしています。
 話は人生の生き方にまで及びました。私は仕事で殆んど家にいない中で、親と同居をして母と祖母を見送った妻の気苦労は、相当なものだったようですが、今の若い人には話しても言葉すら通じないのです。昨日は息子も少し早く帰り、来客中子どもたちを遊ばせてくれていました。
 外から人が来ることはとてもいいことです。人が来ることによって改めて、自分たちの暮らし方や生き方まで整理ができるのです。その意味で3人の看護師さんの来訪に感謝しています。折りしも長野県南牧村の今井さんから、見事な高原野菜ブロッコリーが届いていて、ほんのちょっぴりお裾分けして喜ばれました。

  「保健師の 三人娘 やって来て 家族ぐるみで 話し輪の中」

  「息子嫁 城と思える 台所 カフェオレ入れて 心和ます」

  「ブロッコリー お一つどうぞと お裾分け 南牧村 今年も届く」

  「妻話す 言葉しみじみ 聞きに入る 苦労かけたと 今頃思う」

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○七色の虹

 異常気象とでもいうのでしょうか、過ぎ去った台風の影響も手伝って、9月も中旬だというのに昨日は北海道で気温が30度を超えた一方、このところ全国各地で1時間雨量100mmといった、信じ難いような集中豪雨が降って、滋賀県米原付近では新幹線が運転を見合わせたり、三重県では15日の降り始めからの雨量が600mmに達し、土砂崩れや浸水被害、一部の地域では避難勧告が出ているようです。
 幸い私たちの地域では、数日前に蒔いた大根やカブなどの種が芽吹いた畑の適当なお湿りとなって、今年は今のところ順調に育っているようです。大根の種を蒔く9月初旬から中旬にかけては、立春から数えて210日とか220日といって、台風がよく日本に上陸する季節なのですが、超大型の台風が度々やって来た沖縄地方の人にとって今年は、オスプレイ配備問題とともに、泣くに泣けない出来事のようです。

 

鉄橋に架かった虹の橋

 そんな気象現象もあってこのところ、すっかり縁遠かった虹をこの3~4日、頻繁に見かけるようになりました。私はどこか夢を感じる七色の虹が大好きです。子どものころ真新しいクレヨンを買ってもらったら手始めに、白い画用紙に赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の7色を選んでよく塗ったものです。また虹の足元には宝物があるという、子どものころに読んだ本を真に受けて、虹を見る度に虹の足元の行方を捜していましたが、虹の足元は何故か今もぼやけていているのです。
 東京にはレインボーブリッジという橋があって、船で三宅島へ行く途中、この橋の下を通ったことを思い出しました。

  一昨日の朝、息子が「鉄橋の向うに虹が出ている」と家族に伝えました。孫も含めた息子家族と私たち夫婦が早速外に出て、息子の指差す方向を見ました。家から家並みの影に見え隠れする鉄橋と同じように、綺麗な虹が架かっていました。肉眼ではよく見える虹もカメラで写真に撮ると、余り綺麗な色には写りませんでしたが、それでも何かいいことがありそうな予感がしました。
 虹は太陽の光が水滴に当って屈折して見える虚像です。子どものころ夏水を撒いていると虹ができ、その不思議な光景を見るために水を撒き過ぎてあたりを水浸しにして、随分叱られた記憶や、夜店で買ってもらった万華鏡の不思議な色などが思い出されるこの頃でした。

  「虹出てる 息子指差す 北の方 鉄橋またぎ 綺麗な虹が」

  「七色の 虹にまつわる 思い出は 綺麗なままで 色あせもせず」

  「虹虚像 いよいや実像 信じたい 七色の夢 追い続けたい」

  「夕日・花 ほたるに公園 全て夢 アメリカ行きも 虹夢つかむ」  

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○小網地区敬老会で落伍を演じ大いに盛り上がりました

 94歳になった私の親父がそうであるように、歳をとると全ての機能が衰えてきます。特に耳は遠くなり、人との会話は対面して大きな声と口の動きが一致しないと、こちらの言葉が通じにくいのです。一番もどかしいのは本人で、自分の意思が伝わらないため、ついつい会話から遠ざかってしまいますが、高いお金を出して作った補聴器や眼鏡も結局は煩わしいようで、余程のことがないと使わないのです。
 そんなこともあって、親父は人中へ出かけることを躊躇、特に若い頃鼻ガンを患って食べるのが不自由なため、飲食を共にするような集会を避けているため、案内を受けても地元の敬老会へは一度も出席していないのです。

 

小網公民館で開かれた小網地区の敬老会

 昨日は小網地区の早崎区長さんから2週間程前電話がかかり、敬老会の席で何か一席余興をして欲しいと頼まれました。聞けば敬老会の余興も毎年あれこれやっているものの、目新しくて耳新しいものに乏しく、気になっているようでした。早崎区長さんの思いは、大学の落語研究会をイメージしているような口ぶりでしたが、失礼ながら敬老会に出席している高齢者の中には、私の親父とと同じように耳の遠い人が沢山いるので、何年か前敬老会に落語にやって来た落語研究会所属の学生が、一生懸命演じるものの結局は耳の遠い高齢者には意思が通じず、2万円の出演料がふいになったことを知っていたので、タダで私がやってあげようと持ちかけたところ大乗り気となり、昨日の私の出演と相成ったのです。

 昨日は12時からの開会の出鼻をくじくように、11時過ぎから台風の影響で土砂降りのかなり激しい雨が降りましたが、準備をして会場の小網公民館に出かけてみると、皆さんお揃いでほぼ満員の50人ほどが集まり、開会を待っていました。区長さんの挨拶や政治家から届いたメッセージが読み上げられ、またお祝いの記念品が贈られ早速敬老会がスタートしました。
 30分ばかり折り詰め弁当を食べた頃、余興がスタートしました。私は約2時間の敬老会の最後のトリを30分間ということでしたが、次の予定があるので急遽一番最初に変更してもらい、落語ならぬ落伍をしました。マイクを通すため座布団に座ると見えないのでマイク片手に立っての落伍ですから、これはもう落伍というよりは講演に近い演じ方なのです。裂き織のちゃんちゃんことめくりを持参して雰囲気を盛り上げていたものの、扇子や日本タオルといった落伍の七つ道具も結局役に立たず、マイク片手にハーモニカを吹いたりして30分の持ち時間を存分に笑わせることができ、多いに盛り上がりました。

 驚いたのはハーモニカへの反応の大きさでした。「赤とんぼ」や「ふるさと」に加え「ああ上野駅」「南国土佐を後にして」「北国の春」などを吹いたところ、全ての歌に反応して、ゆっくリズムながら大きな声でみんなが大合唱をしてくれたのです。いやはや驚きました。終って会場を出る時は、「良かった良かった。また来年も頼むぞ」などの声がかかり、大きな拍手をいただいたのです。早崎区長さんもお世話していた役員の方もこれにはビックリしたようで、私のカブは大いに上がったのです。(笑い)。早々に会場を後にする時、お土産にパック詰め弁当とお菓子までいただき恐縮してしまいました。いい敬老会でした。

  「隣地区 敬老会に 招かれて 落伍を演じ 拍手喝采」

  「ハーモニカ 合わせて歌う お年寄り 思い出重ね 大きな声で」

  「来年も また来て欲しい 言われたが 恥をかくのは 最初で最後」

  「耳遠く 小便近く なりにけり 間もなく私 仲間入りする」

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○教育にちょっと一言

今朝の台風16号の様子

 日中は連日30度を越す真夏日で、残暑が厳しいというのに、今年も運動会の季節がやって来ました。夏休みを冷房の中で過ごした子どもたちが、いきなり炎天下の屋外で運動会の練習を強いられれば、根を上げるのは当たり前で、全国各地では熱中症の子どもたちが救急車で病院に担ぎ込まれる姿に、「何でそんなに急いで運動会をしなければならないのか?」と疑問符を感じるのは私一人ではないと思うのです。私たちが子どものころの運動会は「スポーツの秋」という言葉がピッタリで、俳句でも秋の季語でした。ところが最近は運動会を春にしたり、酷いところは3学期を2学期にしたり、学年を飛び越えて進級させようとしたり、もう滅茶苦茶なことを平気でやって、その検証もしないまま色々なことをやり自己満足しているのです。

 私は古い人間なので今の教育を語る資格はないのかも知りませんが、今の教育は首長の言いなりになり、学校も教育委員会の言いなりになっているような気がしてなりません。教育の現場といわれる家庭と学校と地域は相互補完しつつ、健やかな子ども成長を願って育まなければならないのに、首長が教育改革と称してやたらと教育に口を出し、教育の中立性をいいつつ教育委員会は反論の声さえ上げず泣き寝入っているようです。学校現場も同じで、違和感や意見があっても県と市町村という二重構造の教育委員会が管理教育をするため、意見などまったく無視されてしまうのです。
 その際たるものは学校統合で、地域の反対意見ががどうであれ、学校現場の意見などまったく無視し、お役所の効果効率というご都合主義で統合させられ、昨日まで保育園や幼稚園に通っていた子どもが、毎日20キロも離れた学校へ、スクールバスで通わされている姿は、まさに異常としかいいようがないのです。

 私は学校、特に「小学校は歩いて行ける距離」が原則で、これはある部分理に叶った設置として明治以来続いてきた日本の美風なのです。子どもが学校までの行き帰りに受ける様々な感化は学校教育の延長なのです。私自身の幼い頃を振り返っても通学は楽しかったし、多くの人や自然との出会いは私の感性を豊かにしてくれたように思うのです。昔と今は社会環境も自然環境も、教育環境までも大きく変わっていて、懐古主義だといわれそうですが、20人ほどの小規模な翠小学校の木造校舎や地域ぐるみの教育支援を見ても、学校は子どもの数で推し量れるものではないことを物語っているのです。

太鼓を叩く松葉杖の生徒

 

行儀よく運動会を見学する孫たち

 

まるで来賓のように来賓席を独占する孫たち

 昨日は地元双海中学校の運動会でした。超大型の台風16号が接近していて、開催が危ぶまれましたが、時折雨のぱらつく怪しげな雲行きの中を決行し、どうにか運動会を成功させたようでした。私も学校評議員をしているので案内があり不謹慎と思いつつ孫3人を連れて出かけました。足を骨折して運動会に出れない生徒が松葉杖で太鼓を叩き、要支援の車椅子の生徒がマイクの前で一生懸命放送する姿に、多いに感動してしまいました。私たち大人の目はややもすると走るのが速かったり、力が強かったりする子どもに向きがちですが、私は松葉杖や車椅子の子どもが運動会の一員として役割を果たしている姿こそ、教育の基本だと思うのです。まあ雨の中での運動会も子どもたちにとっては非日常として思い出に残ったことでしょう。

 

 

 

 

  「台風の 行方気になる 運動会 雨もまた良し 非日常ゆえ」

  「松葉杖 車椅子でも 役割を ちゃんと成し遂げ 偉いもんだな」

  「強い人 賢い人に 目が行くが 進化論者は 順応を説く」

  「運動会 二百二十日の 台風に いつも翻弄 何故にこうなる?」 

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○徳島県勝浦町を訪ねる

 

20番札所鶴林寺

 私はこれまで3度ばかり徳島県上勝町を訪れています。また妻と二人でこれまで八十八ヵ所参りをして、第20番札所の鶴林寺にもお参りし納経をしているのです。にもかかわらず上勝への行き帰り通ったはずの、寺参りの折にも訪ねたはずの勝浦町のことがまったく思い出せないのですから、私の記憶も曖昧なのです。それでも四国勝浦といえば日本一のひな祭りを思い出させるほど、ビッグなひな祭りは全国に知れたイベントなのです。そんな勝浦町から講演の依頼が舞い込みました。お世話をしている県庁に勤める新居さんが窓口で、何度か電話やメールのやり取りをさせてもらいましたが、私はこのところの忙しさで、新居さんにすっかりご迷惑をかけたことを悔やんでいますが、過ぎたことなので一笑にふしてもらいたいと思っています。

 

農村舞台

 

星の岩屋の滝

 昨日は新居さんとビッグなひな祭りの仕掛け人である国清さんの案内で、農村舞台や桜ロード、星の岩屋、裏見の滝、ひな祭り会場などを見学させてもらいました。いずれも勝浦ならではのビッグなスポットで、大いに心を癒されました。夕方は廃校になった元小学校跡を利用した農村型体験宿泊施設「ふれあいの里さかもと」で、役員さんたちと会食をさせてもらいました。最初は私が宿泊する予定だったので民研修会終了後民宿で交流会を予定してもらっていましたが、私の明くる日の日程調整がつかず日帰りとなったため、急遽夕食懇談となりました。さかもとの経営については、数年前徳島県の交流プラザで海川さんたちの発表を聞いたことがあるので、一度は訪ねたいと思っていたて、いい機会に恵まれました。またみかん農家で徳島県果樹研究連合会長の押栗さんはホタル保護活動に取り組んでいて、隣町中山町との交流もあるようで、さらには国清さんは北海道オホーツク寒気団の船木さんや、高知県馬路村の東谷さんとも交流が深いと聞いて、お互いがビックリしました。

 

講演会場

 

ビッグなひな祭り会場

 講演会は午後7時きっかりに始まりましたが、沢山の人が私の話に熱心に耳を傾けてくれました。また講演後の新居さんの司会による質問タイムも、かなり充実したやり取りをさせてもらいました。別れ際再開を約束して、勝浦から徳島まで地道を走り、徳島インターから高速に乗り徳島道、松山道を走り、伊予インターで降りて愛媛の人となり、無事午前1時前に自宅へ帰り着きました。思えば講演を挟んで愛媛と徳島を日帰りで往復する長い道のりでしたが、今回も多くの深いご縁をいただきました。今回は交換した名刺こそ少なかったものの、いただいた一枚一枚の名刺が深くも重たくも感じさせてくれました。
 講演はさて置き、講演に行くと私の様な者に、日ごろやっている様々なことについて、アドバイスをよく求めらあれます。私ににはそれ程の知識も指導力もありませんが、内なる人ゆえ気付かないいくつかのことについて、思いつくまま雑談のような感じで話すのです。長年やれば慢心になったり、時にはマンネリに悩む事だってあるのでしょうか、特に国清さんは私の話に耳を傾け熱心にメモを取っていたのが印象的でした。

  「泊まらずに 徳島日帰り 便利だと 往時をしのび 感慨ふける」

  「勝浦を 何度も通る 機会あり だのに記憶に ないとは失礼」

  「勝浦は 上勝ともに 忘れえぬ 町になりそう 次ひな祭り」

  「勝浦は 海がないのに 裏がつく 聞けば昔は 川河口まで」 

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人間牧場

○愛媛県在宅介護研修センターの9月講座

9月講座の募集チラシ

 私への講演依頼で圧倒的に多いのはまちづくりや観光、教育や福祉、産業などの分野です。中には刑務所で話して欲しいとか、外国とテレビ回線で結んでの講演、国会議員の先生たちの前でのレクチャー等もあって、その都度浅学な私はない智恵を絞り、ある意味開き直ってお話をしてきました。実践家を自認する私は評論家にだけはなりたくないと、物の本や人の話を伝える理論よりも、自らの体験の中で学んだ論理を重視して話すようにしていますが、やはり門外なことは多く、インターネットという優れものの力を借りながら、幸い自由人となって少し時間的に余裕ができたため、事前準備をして出かけるのです。

 昨日は奥道後にある愛媛県在宅介護研修センターから依頼があって、9月の講座に講師として招かれ出かけました。松山から奥道後を通って水ヶ峠のトンネルを超えて今治に行く途中、奥道後の入り口に施設の存在を示す看板があるのを、いつも横目に見ながら走っていましたが、この施設へ行くのは昨年に引き続き今回が2度目なので、カーナビのお世話になることもなく予定通り30分前に会場に到着しました。
 昨年の講演がご縁で、県内の福祉に関する講演依頼のオファーが何ヶ所かあり広がりを見せたため、気を抜くことなくしっかりと話をしようと思いました。

 

講座受講の様子

 会場には介護職や看護職、ケアマネージャー、介護福祉士に加え一般の人もいましたが、概ね福祉に関係する人で、30人の定員一杯の盛況で、男性は2人、あとは全て女性でした。13時30分から15時30分までたっぷり2時間用意されていたので、途中10分のトイレ休憩を挟んで話をさせてもらいましたが、記録をしながら聞く態度も雰囲気も立派で、私も多いに盛り上がって話しました。
 募集のチラシに4つの願望と氷の実験の話を書いていたのを思い出し、その話を中心に生活設計の大切さを話しましたが、はてさて聞いた人の心の扉を叩いたり開いたりできたのでしょうか。

  「門外の 福祉の分野 分け入りて 思いつくまま 生活設計」

  「先生と 書かれたチラシ 恥ずかしい 人間牧場主 これでいいのに」

  「受講料 400円と 書いていた 金まで出して 参加するとは」

  「種蒔いた 後はどれだけ 芽吹くかな 楽しみながら 会場後に」

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