人間牧場

〇白滝公園の紅葉見学

 

大洲臥龍の紅葉

 昨日は所用で大洲市長浜町へ妻と二人で出かけました。所用を済ませて外に出ると、白滝の紅葉祭りの看板が目に留まり、夜来の雨も小康状態だったこともあって、急な思いつきで白滝まで足を延ばすことになりました。県道沿いには黄色い帽子を被った交通安全協会の人と思しき人が何人か手持ち無沙汰風にしていたので、許しを得て止めさせてもらい、ゆっくり歩いて行きました。

山頂付近の紅葉は今が盛りでした

 近くにあるJR予讃線海岸周り白滝駅の構内が見える踏切を渡りましたが、昔は臨時列車まで出た駅界隈も散閑としていました。白滝公園の入口付近から水車小屋までの間にはテントが張られ、地元の人たちが餅つきや出店を幾つか並べて、お客さんに声をかけていたようでしたが、私たちはそこで竹の杖を借りました。1ヶ月余り前スネに怪我をした妻は、急な階段の続く参道を登るのは少し不安なようでしたが、私が手荷物バックを持ってやり、杖の力を借りて何とか登って行きました。白滝の紅葉は老木が多くなって、紅葉の葉っぱもかなり高い梢にありますが、参道の途中で見上げたり見下ろしたりしながら、錦織り成す紅葉を「綺麗綺麗」と声を出しながらカメラに収めました。

参道入口の紅葉

家を出る時いつも使っていたカメラが見当たらず、とりあえず古い方のデジカメをポケットに入れていたので、写っているかどうか心配しながら、嫌がる妻をモデルに写真を何枚か撮ってやりました。昨日は滝の水量も豊富で大小さまざまな滝が勢いよく落ちて、滝と紅葉が程好くマッチして、雨で塗れた落ち葉の参道と共にとてもいい雰囲気の紅葉見学となりました。
 今年は紅葉の時期に妻が怪我をしたため、何処へも出かけられませんでしたが、これで少しは晩秋の風情を楽しむことができ、妻も大いに満足したようでした。帰りに顔見知りの沢山いる出店テントで、つき立てのお餅をお土産に買い求めました。

  「久方に 妻と二人で 紅葉狩り 白滝訪ね 風情楽しむ」

  「竹の杖 借りて山道 登りたる 錦織なす 紅葉見事」

  「どの町へ 行っても顔が 知れていて 声をかけられ 声を返えしつ」

  「餅を買い 帰りながらも 配りたる 親類の人 皆歳とりて」 

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〇私の苦手なものシリーズ(その13・酒が苦手)

 私の苦手なものを思いつくまま以下の通りシリーズで書いてみましたが、いよいよ最後となりました。
 ①コーヒが苦手
 ②文字が苦手
 ③タバコが苦手
 ④英語が苦手
 ⑤パソコンが苦手
 ⑥肉が苦手
 ⑦学歴が苦手
 ⑧ヘビが苦手
 ⑨注射が苦手
 ⑩ナイフとフォークが苦手
 ⑪選挙と政治家が苦手
 ⑫コンクリートの都会が苦手

 最後の⑬はお酒です。私は元々酒がそんなに好きではありませんでしたが、青年団に入団して仲間に鍛えられ、次第にその量を増していました。ところが仕事と青年団に酒が加わって、25歳の時意識不明になるという大病を患いました。その結果役場に就職したのですから世の中は分からないもので、朝日新聞が私のことを書いた記事に、「酒を飲み過ぎて公務員になった男」などというのが残っているのです。それでも健康を回復してから再び練習して、元をしのぐ酒量になっていました。
 その後胆のうにポリープが見つかり、摘出手術をして間もなく68キロあった体重が入院手術後、僅か1ヶ月余りで13キロ痩せて、周りを心配させました。結果的に酒を止めた方がいいと医者から勧められ、12年前に好きだったビールを綺麗さっぱり止めたのです。こんなに潔く酒が止めれるものかと家族みんなが、自分自身の芯の強さに驚きましたが、以来12年間私の体内からはアルコールが完全に消えたのです。

 ビールが冷えていないと妻を叱りつけたり、酒を飲まないとまちづくりは語れないなどと戯言をいっていた自分は、一体なんだったのかと思うほど、酒と無縁な人生を只今歩いているのですが、時々酒に酔った仲間を車に乗せてアッシー君をしながら、昔のことを懐かしむのです。昔の私は癖の悪い酒飲みで、どんなに外で大酒を飲んでも、必ず家で締めに酒を飲んでいたのですから驚きです。
 酒を飲んで妻が迎えに来るのは当たり前とばかりに、深夜も平気で携帯電話が普及していなかった時代ですから、公衆電話を使って迎えに来させていましたが、そんな私の妻のことをいつしか仲間は「10円タクシー」と呼んでいました。酒を飲んで帰る途中締めのラーメンを、妻と二人で食べたため妻も少し太り気味でしたが、私が酒を辞めたと同じように締めのラーメンも食べなくなり、もとの体重に戻ったようです。

 「酒のない国へ行きたや二日酔い」何て戯言を言っていた私も、酒を飲まなくなったため体重は56キロを維持していて、昔を知る人は「若松さん痩せたのではない?」と心配してくれますが、絶好調とまでは行かなくても体調もかなり良く、このままを維持したいと思っています。
 多分私はもうあの世へ行くまで、生涯酒を飲まないかも知れませんが、酒で増えた仲間もそのまま保ち、いい人生であったと昔を懐かしむのです。今は反社会的な行動ととられる飲酒運転が基で職や信用を失ったり、新聞沙汰になることもなく人生を終われそうで何よりです。
 それにしても、私の苦手なものは意外と多いことに改めて気付かされましたが、酒やタバコなどはさて置いて、英語やパソコンのように苦手と自慢しても自慢にならないものは、むしろ努力して克服しなければならないのでしょうが、どうやら時既に遅しでこのまま苦手を通しそうな雲行きです。

   「指を折 苦手なものを 思い出す 1・2・3・4 あるあるあるわ」

  「ブログにて 苦手なものを 書いてみる 13書きつ 呆れて終わる」

  「人生は 好きと苦手が 同居する これもまたよし これも俺流」

  「パソコンは 苦手と言いつ 朝晩に 今は毎日 まるで友だち」

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〇逞しい双海の子どもを育てたい

 私は教育長在任中、役職がら子ども教室の実行委員長に就任していましたが、退職後も町が合併したドサクサもあって、引き続きずっとその役目を担っているのです。実行委員長の職はボランティアなのでそんなに重いものではありませんが、それでも子どもたちを預かるのですから、何かあったら多少なりとも責任を負わねばならないと、安全第一を心がけていますが、幸い大きな事故もなく今日を迎えているのです。
 通算10年も委員長をしているのに、実行委員会では一回も懇親交流をしたことがないため、昨日の夜会費千円の反省会を地域事務所野浦の和室を借って開催しました。全ての段取りが良かったのか、殆んどの実行委員さんに参加してもらい、オードブル料理や湯豆腐鍋ををつつきながら、少しアルコールの力を借りて少し議論を深めました。やはり飲食の力は絶大で、日ごろ話さない人の話を聞いただけでも、効果は大いにあったようです。

 私が社会教育の現場でいつも口にするのは、マンネリと伝統、活動と運動の違いです。長年やっていると前例踏襲・前年踏襲型になってしまう恐れがあります。常にこの事業は何のためにするのかということを反芻し、基本コンセプトをしっかりしておかなければ、とんでもない方向へ向かってしまうのです。「双海の子どもたちの健やかな成長を願う」という当たり前のことを常に意識しておかなければなりません。
(これから出張のため、この続きは夕方書きます)
 今年は天候不順で底引き網体験航海も、イノシシの被害でサツマイモの収穫もできず、消化不良になっています。自然相手なので、これも仕方のないことですが、「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」は私の名言(迷言)ですが、そのことを考えればもう少し智恵を出さなければならなかったようです。マンネリを伝統に変えるには一ひねりも二ひねりも必要であることを痛感しました。

 さて私たちは子ども教室で、様々なプログラムを年間通して実施していますが、これは日常活動なのです。活動を運動に高めていく、つまり「子どもたちの健やかな成長を願う」という地域ぐるみの運動に発展させるためには、これまた仕掛けが必要です。かつて私が教育長時代「ふたみの子育て10の約束」というのを作りました。これはまさに運動であり、もう一度反芻して利用しようと思い、赤石主事さんに頼んでカラーコピーし実行委員の皆さんに配り、あいさつの中でこの約束を地域運動にするよう努力して欲しいと頼みました。また讃岐幸治先生からいただいた二宮金次郎の銅像を見せ、何年か前に訪ねた佐賀県多久市の孔子にまつわる話もさせてもらいました。「多久の雀は論語を語る」という言葉があるように、多久の子どもたちが論語を空でスラスラいえる姿を見て、感心したものでした。人間教育を唱える双海町の子ども教室には、このことが欠落していているような気がしてならないのです。来年度はそのことにも重きを置いて、運動に発展させたいと思っています。

  「豆腐鍋 互いにつつき 話し合う 夜なべ談義の 夜はふけ行く」

  「今年は 天候不順 鳥獣に かき回されて 目的達せず」

  「多久雀 論語を語る 姿見て そろそろ人間 教育せねば」

  「活動と 運動違う そのことを 分からなければ 進化望めず」

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〇私の苦手なもの(その⑪・選挙と政治家)

 日本社会を揺るがした平成の大合併で、愛媛県では70の市町村が20に市町になり、村という名前が消えました。勿論私の住んでいる双海町も伊予市・中山町と合併し、双海町という自治体は地図上から姿を消しました。あれから7年半があっという間に過ぎましたが、愛媛県内では合併後2期目を終えた首長や議会議員の選挙が賑やかに行われています。現職や新人、元職がそれぞれの思いを持って立候補し、選挙戦を戦っていますが、どの選挙も合併の成果や経過を検証しないまま、むしろ相手を誹謗中傷するようなことに終始している姿に、少しうんざりしているのは私一人ではないと思うのです。海の向うのアメリカ大統領選挙も県内の首長選挙も莫大なお金をかけて、そんなことをする暇があったらもっと庶民の暮らしがよくなるようにして欲しいと思うのです。

 私は政治家が余り好きではありません。なぜなら政治家は自分中心で地球が回っていると信じ込み、平気で噓を言うからです。間もなく来月行なわれる衆議院選挙も国民の生活が第一どころか、自分たちが第一とばかりに、昨日言った事が今日はひっくり返り、明日は又別の主張になって、新聞やテレビを賑わせているのです。まあこれらのパフォーマンスも宣伝の一つだと思えばいいのでしょうが、これでは投票に行く気にさえもならないというのが正直なところかも知れません。
 私はこれまで地元の役場に勤めていたこともあって、選挙の度に水面下で繰り広げられる選挙の実態をつぶさに見てきました。また選挙に勝った人負けた人などのその後も、自分たちが巻き込まれながら見たり感じたりするにつけ、自分は政治や選挙に無関心でありたいと思うようになりました。

 これまでに何度か、何人の人から選挙に出ないかと勧められ、正直なところ心が乱れたこともありましたが、妻の強い反対もあってその道に進むことはありませんでした。今思うとそのことは正解で、よくぞその道に進まなかったとしみじみ思うのです。私はこれまでボランティア活動や、まちづくり活動に深く関わり生きてきましたが、それらを否定するようなことをしなかったため、地位や名誉を手に入れることはありませんでしたが、仲間や信用という人間にとって一番大切なものを失わずにすみました。
 先日も選挙に出ないかと誘われましたが、「選挙に出ると妻に離婚されるから」などと戯言をいってはぐらかしました。多分ではなく絶対、私の人生においてこれからも、私だけは選挙や政治に無縁な人間だと、自分自身は思っています。
 私たちの住む伊予市も早いもので合併して2期目の市長や市会議員の任期が終ろうとしています。次はどのような人が市長や市会議員を目指すのでしょうか。私たちの知らない水面下では早くも、選挙の駆け引きが始まっているようです。

  「選挙には 出ないで欲しいと 妻が言う 出たら離婚と 釘を刺されて」

  「政治家は 平気で噓を 言う仕事 俺にはとても 出来そうもなし」

  「政治家にならず私の 今がある 仲間信用 失せずに今も」

  「地位名誉 お陰でなくて すっからかん 名刺それでも 牧場主だ」

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〇私のとっておきなウォーキングパラダイス

 私は健康な体調を維持するため、毎日1万歩を歩くことを目標にして殆んど毎日、忙しい合間を縫って歩いていますが、忙しいが故にその目標を毎日達成するのは中々難しいようです。それでも目標を作ると気になる私の性格がそうするのか、それなりに毎日歩数を伸ばしているのです。
 私の歩数の管理はズボンのポケットに忍ばせた、携帯電話についている歩数計で読み取ることができ、しかもその歩数が毎日記録されるという優れものなので、歩数が足らない時は極力遠回りをして歩いて見たりしていますが、一万歩はあくまでも目安なので、何が何でもという悲壮感はなく、むしろ歩くことを楽しむ方に重きを置いているため、時にはポケットにデジカメを入れて、道端に咲く草花の写真を撮ったり、出会う近所の人と立ち止まって会話をしたりしているのです。

双海中学校へ通じる裏道

 私が私の「ウォーキングパラダイス」と名前をつけているコースは、自宅~双海中学~山坂道頂上~自宅で、平道あり坂道あり、舗装道あり、土道あり、林ありとかなり起伏に富んでいて、特に頂上付近までの坂道や頂上付近を十回登ったり降りたりするコースは少しきつく、この時期でも少し汗ばむほどの運動量が必要です。夏の暑い頃には大汗をかき、それが原因で汗疹ができたりしましたが、帰宅後シャワーを浴びたりしてその問題も解決しました。今の時期は寒くて手が少しかじかむほどですが、大汗をかくこともなく一人黙々とウォーキングを楽しんでいます。
 かつてこの道沿いはみかん園だったのですが、持ち主が杉と桧を植えたため、すっかり昼なお暗い林となって直射日光は当たらず、むしろ森林浴をしながら歩ける道なのです。

少し急な坂道

 この道を利用する人は殆んど皆無のため、私専用のウォーキングコースのようなものなので、考えようによっては、「何と贅沢なんだろう」と時々思うため、まさに私にとっては「ウォーキングパラダイス」という名前がピッタリなのです。
 この道は時々出没するイノシシが、餌のミミズを求めて道の傍でのたうった痕跡を見つけたりしますが、出会ったことはこの10年間で1度きりなので、そんなに危険でもありませんが野鳥のさえずりや、この頃になると落ち葉が道に降り積もり、カサカサと音を立てれる場所もあり、野菊やツワブキ、ホタルブクロ、露草、ヒメシャガなどの季節の花々も楽しめることもあって、とにかく気に入っているのです。

金色の道

 数日前雨風を伴った、かなり強い北西の風が吹きました。私はあいにく栃木県へ出張して留守でしたが、このコースにある桧の林を揺るがしたため、桧の葉っぱが沢山落ちてまるで金色の道のように見えました。ご存知のように杉や桧は常緑樹ですが、常緑樹であっても成長の過程で、古い葉っぱは黄色くなってこの時期落ちることを始めて実感

頂上付近の狭い土道

しました。人や車が通らない山道に、黄色い桧の黄色い葉っぱが降り積もった姿はまさに金色の道のようで、驚いてしまいました。
 私の体調維持と基礎体力をつけてくれる「ウォーキングパラダイス」は、これから先も体力と体調の許す限り利用して、当面の目標である1日1万歩を目指し大いに楽しもうと思っています。間もなく夜がしらじら明け始めました。そろそろ着替えて出発しようと思っています。

  「一万歩 歩く目標 立て歩く 山坂少し 汗かく毎日」

  「ウォーキング パラダイスなんて 名をつけた 私専用 何て幸せ」

  「体調と 体力維持を 目的に ポケット携帯 使って歩数」

  「金色の 道と思しき 山道は 桧葉落ちて 行くてに伸びる」

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〇自家製コロッケ作り

 季節が晩秋から初冬へと移るのを実感するのは、時折強く吹く北寄りの季節風です。晩秋には北東の風がよく吹きます。私たちの地方では北東の風のことを、漁師用語で「くだりの風」と呼んでいます。昔から「くだりの風と夫婦喧嘩は宵に凪ぐ」といわれていて、朝陸から海に向かって吹く「あらせ」が止むと、くだりの風が吹き始め、夕方までまで強く吹いたくだりの風は夕方になると、まるで夫婦喧嘩のようにピタリと止むのです。そんなことを雨が降るまで繰り返すのですが、雨の降った後冬の訪れを告げるように吹くのが地元で「西」と呼ばれる季節風です。先日も雨を伴った西風が吹いて、わが家の柿の木はいっぺんに葉を落として裸同然になってしまいました。木の枝に残った取り残しの柿の実が、まるで木守柿のようになって、時折やって来るモズの餌食となっているのです。

 昨日は息子と親父と私の3人で、庭に積った落ち葉を掃除しました。熊手や箒を使ってかき集め、それをキャリーに入れて畑の隅の焼却炉へ運び焚き火をしました。雨に濡れていたものもあって煙がたなびきましたが、集めていた天ぷら油の古いのをかけてやると、火は勢いを増しすっかり綺麗に処分ができました。
 その後倉庫に囲っているサツマイモを取り出し、妻に素焼きの焼き芋器で焼き芋を焼いてもらいました。いやあ実に美味しく焼きあがり、家族全員で食べましたが、その後わが家ではおならの大合唱になって、大笑いをしました。これもささやかな家族の団欒でしょうか。
 わが家の廊下の片隅に北海道の友人から送られてきたジャガイモが置かれています。腐ったり芽が出ないようにするために冷たい場所に置いているつもりなのですが、冷たい場所と言っても北海道の気候とは全然違うため、ジャガイモの芽が既に動いていて、早く食べないといけないため、思い切ってコロッケを作ることにしました。

 妻がジャガイモを洗って茹でて皮を剥き、つぶして炒めたひき肉と混ぜて俵状の団子を作り、小麦粉をまぶしました。私はそれを溶き玉子で濡らしパン粉をつけながら、形を整えて俵上にするだけなのですが、これが柔らかいため意外と難しく、自分の不器用さや日ごろ料理を手伝っていないことを悔やみました。それでも30分ほど手伝って、何とか下準備ができました。裏のガス台で揚げるのは若嫁の役割です。妻が作ったトンカツと鶏のから揚げ、タマネギやニンジンの野菜かき揚げ天ぷら等多彩な揚げ物が、若嫁の手によって次々と揚げられましたが、私も自分が少しだけ手伝った揚げ立ちの熱々コロッケを、2個もつまみ食いさせてもらいました。いやあ絶品でした。揚げ物類は揚げたてが一番美味しいと聞いていましたが、家族全員がつまみ食いでお腹がいっぱいになりました。

 ほんの束の間の日曜日、しかも示し合わせたようにみんなが休みなので、泊まりに来ていた外孫の尚樹を含めて家族水入らずの一家団欒でした。妻は揚げたコロッケはタッパに入れて、子どもたちや近所にお裾分けをしたり、冷凍保存したようですが、解凍してレンジで暖めれば熱々のコロッケが当分楽しめそうです。
 「男子厨房に入るべからず」の古い時代に育った私は亭主関白で、皿洗いや後片付けも、ましてや魚の粗調理以外は殆んどしない私にとって、コロッケ作りに参加したのは初めてでしたが、中々面白かったというのが感想です。妻も大いに喜び次もまた宜しくと言われましたが、やはり料理は妻の作ったものに限ると少しお世辞をいい、今後も余り手出しをしないつもりでいます。

  「少しだけ 手伝いコロッケ 作ったと 胸張りながら つまみ食いする」

  「秋終り 冬連れ北の 風が吹く 柿の木衣 脱ぎ捨て寒そう」

  「木守柿 モズがちゃっかり お裾分け 残りの一つ 私がいただく」

  「冬間近か 少し憂鬱 寒いのは やはり苦手だ 親父と私」

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〇鳥取県湯梨浜町まではさすがに遠いねえ

 昨日は少し早立ちで鳥取県湯梨浜町へ講演に出かけました。今年湯梨浜町へは全国大会で宿泊した時を含めると、これで3回目なので、土地勘も知った顔も随分できて、行く車の中でその人たちの顔々を思い出しながら出かけました。昨日は低気圧と前線の影響で予想だと午後からの雨が、出発する頃には強風を伴ってかなり強く降っていました。家を出る時妻が、「スピードを出さないようにくれぐれも安全運転で」と、いつものように注意をしてくれましたが、そんなこともあって少し自重気味なスピードで、伊予インター~瀬戸大橋~湯原インター~三朝~湯梨浜と、片道約350キロを走りました。講演は午後1時30分からなのですが、昼食を誘われていたので、11時過ぎに会場であるアロハホールへ迷うことなく到着しました。

 この日は東伯郡婦人会の、防災をテーマにした研修会で、50人ほどの人が集まり、午前中は郡内3町村の防災担当者の話を聞いたり、LPガスの取り扱い等を勉強していたようでした。やがて昼食に誘われましたが、昼食はアルファー米の試食でした。アルファー米とは防災のための非常保存食で、具材を入れお湯を加えて蒸らすだけで食べれるのです。アルファー米のことは知っていましたが、食べるのは初めてなので私も興味深々でした。用意された手作りおかずと一緒に食べましたが、中々の味でした。これ以外にも非常用の乾パンも貰いましたが、試食した非常食の量が多くて乾パンは味見をせず持ち帰りました。

 湯梨浜町の町長さんが仕事の都合で少し遅れて来たため、私の講演の時間も少し遅れて始まりました。参加した皆さんの帰りのこともあるので、「終る時間を守ります」と宣言し、「防災とまちづくり」について1時間25分間喋りました。会見東伯郡婦人会長さんからこの話をいただいた時、防災に関する話はできないとお断わりをしましたが、懇願されて引き受けることにしたのです。
 私自身、①二度にわたり台風大雨災害で裏山が崩れた苦い体験があることや、②高校生の時宇和島水産高校遊学中に川が逆流するチリ沖地震津波を目の当たりにしたこと、③東日本大震災で被災した宮城県気仙沼の畠山さんや一関室根公民館の金森さんから聞いたことなど、これまでの様々な防災・被災体験を基に、命の大切さや備えの大切さ、助け合いの大切さをお話させてもらいました。

 山陰といえば何年か前、島根県雲南市吉田町吉田公民館で講演中、とても大きな地震に遭遇したことを思い出します。とっさの出来事だったので私の話は中断せざるを得なく、会場を埋めた参加者もただじっとして大きな揺れが収まるのを待ちました。今考えると避難しなければならなかったと思うのですが、当時の防災知識は、主催者も私もそこまで手も気も回らなかったようで、揺れが収まると再び講演を開始しました。さあそれからが大変で、公共交通機関は完全にストップし、家や職場に電話しても不通で、そのうちあちらこちらから災害情報が入り始め、事の重大さに気付いたのでした。

 運よくわが町わが家では災害もなく1日遅れての家路となりました。そんな話にまちづくりの話を交え楽しく話をして再び350キロの夕闇迫る道を帰りました。往復700キロ、往復8時間はさすがに少し疲れましたが、快い余韻が残りました。ところで今回はハワイならぬ羽合です。また瀬戸内海を渡ったのである意味海外旅行です。しかも会場がハワイホールとは、これまた親父ギャグに使えそうな出来事でした。(会場には知人の男性も数人駆けつけ、また青年の船の古い友人中井さんの奥さんが手土産まで持参して訪ねて来てくれました。感謝感謝でした。)

  「最近は すっかり鳥取 愛されて 何度来たのか 指折り数え」

  「往復で 車のメーター 700キロ 思えば遠くへ 行ったもんだな」

  「防災は 門外ですと 言いつつも 新たなテーマ 挑戦しつつ」

  「手土産に 美味しいケチャップ 友持ちて 訪ねてくれる 有り難きこと」

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〇ひとまず3ヶ月はOKのお墨付き

 昨日は2ヶ月に一回の健康診察の日でした。前回予約していたCT検査を受けるため、朝飯を抜いて予約時間が9時30分なので、少し早めの8時に自宅を出発しました。昨日は金曜日とあって県立中央病院のロビーはかなり混んでいるようでした。早速機械受付に診察券を挿入して、診察カードの発行を受け受付項目に沿ってまず血液検査です。私の検査順番は131番でした。しばらくすると中へ呼び込まれ血液検査をするのですが、私は注射が大の苦手で、注射の度に身構えるせいでしょうか、この日もゴムバンドで腕を締め付けても、血管が中々浮いて来ませんでした。この日は血液検査のその後にCT検査をするため増量剤を入れるため、「大きな動脈は取っておきましょう」と看護婦さんはあえて小さな血管へ注射針を差し込んだため、かえって痛くて時間がかかってしまいましたが、何とか無事終えCT検査窓口へ向かいました。

 予約の9時30分より30分も早かったのですが、到着順番なので早速中へ入り診察着に着替えました。腕の血管に再び注射針が入れられ、増量剤の大きな注射器を持たされましたが、相変わらずの小心者ゆえそれがどれほどなものなのか見ることもできずCTの診察台に乗りました。「はーい、息を止めて、そのまま」などという検査技師の言葉にしたがって、まるでSF映画に出てくるような輪の中を体が行ったり来たりしました。増量剤が体内に入ると説明どおり体が急激に熱くなり、少し気分が悪い感じがしましたが、それも束の間直ぐに診察は終わりました。再び着替えて一般受付で主治医の診察受付を済ませて診察を待ちました。

 顔見知りの人が何人か声をかけてくれました。その度に「何しにきたの」「何処が悪いの」などの質問をされ答えるのです。その中に1年半前に舌癌で手術をした人に出会いました。口内炎と思っていたのに舌癌と聞いた時はショックだったようですが、幸い手術もうまく行って少々言葉を話すのに聞き取れない部分もありましたが、生活には支障がないと喜んでいました。ふとその人が「若しあんたが舌癌になったらどうなるのだろう」と言われました。確かに私のように話すことをなれわいとしている者にとってはそれは青天の霹靂なのかも知れないと、少しショックを受けました。

 とりあえず、診察の結果は血液検査もCT検査も異常がなかったようで一安心です。これで3ヵ月後の健康診断まで安心で、正月は気分よく迎えれそうです。増量剤のせいでしょうか、体調に少し違和感を感じながら病院を出ましたが、そのうち元通りに治りました。
 (これから旅に出ますので、ブログ記事は途中ですがひとまずこれで・・・・)

  「血液と CT検査 とりあえず 何事もなく ホッと一息」

  「少年の 頃から注射 大嫌い 歳をとっても 一向治らず」

  「看護婦の 暖かい手で わが腕を やわら擦られ 胸がドキドキ」

  「若松さん そんなに喋ると 舌癌に なるかも知れない 言われて絶句」

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〇いっぷく亭での講演

 昨日は講演先の栃木県から帰郷して間もなく、身支度を整え直して伊予市内にあるいっぷく亭へ出かけました。商業協同組合の徳本さんから、「一年に春夏秋冬と4回、皆さんの前で講演して欲しい」と頼まれたのは一年前のことです。同じ人を相手に四回も講演するほど、ネタが豊富な訳でもありませんが、「まあ4回ぐらいなら何とか」と気安く引き受けたものの、さてどうしようかと忙しさにかまけて、毎回講演の準備も殆んどしないまま、思いつくままに話を続けてきました。今回も当日まで栃木県へ出張していたこともあって、まったく準備もできていませんでした。出かける時妻から、「今日は何について講演するの?」と問われ、ふと我に返ってしまいました。

講演前のざわめき

いっぷく亭で講演すると、毎回何がしかのお礼をいただくのも気になっていたので、最後くらいはお返しがしたいと思っていたものですから、出掛けの急な思いつきで、最近自費出版した「夕日徒然草・空の書」を皆さんに差し上げようと思いました。私はこれまで自費出版した本を、人に差し上げることは余程でない限りしていません。というのも地の書・水の書・火の書・風の書・空の書と連番で出版した本は、販売した費用を回収しないと、次の本を自費出版できないからなのです。目論見どおり資金を回収し、5年間で何とか最終章空の書の出版まで漕ぎつけたのです。それでも今回だけは別だと決断し、参加が予想される人数を30人くらいと予想し、車に積んで出かけました。

演台机を飾った鈴なりの柿の枝

 ところが集まった人数は五十人近くで、差し上げようと思って持参した夕日徒然草が足らなくなり、すっかり恥をかいてしまいました。それでも「隣近所の席通しで見てください」とお願いし、早速いっぷく亭満席札止めの中で、落伍調講演は5分前に始まりました。昨日は「夕日徒然草・空の書」をまるで読み聞かせのように読みながら、注釈をつけて話しました。空の書には30話+2話=32話が納められています。とりあえず片っ端から少し早口で読み始めましたが、落伍のネタ本なので皆さんには大いに笑っていただき、自分で言うのもおこがましいのですが、今回のテーマ「生きる力」も、前回のテーマ「笑いの力」と違った出来栄えのようで、反応は最高に良かったと思いました。

 講演が終わりやれやれこれで徳本さんとの約束が果たせたと思いきや、皆さんから「もう一回残っている」とリクエストがあったのです。空の書はまだ半分も読み解いていないので、「それでは宜しければ次もやりますか!。徳本さんとその辺を相談してください」と言ってお暇しました。
 それにしてもいっぷく亭での私の話が、こうも受けるとは思っても見ませんでした。ファンが増え私の話を楽しみにして来ていただくことは、嬉しいことに違いはありませんが、これも中々骨の折れる仕事なのです。そんなわがままな思いに浸りつつ余韻を楽しんでいます。

  「同じ場所 同じ人前 四回も 話す度胸は 読経みたいで」

  「いい話 だった次回も 楽しみに している旨の 葉書届いて」

  「今回は お返ししよう そう思い 自著本提げて 乗り込みました」

  「もう一回 来てお話を して下さい 燃え尽きたのに 火種残して」

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〇妻の作ってくれる料理がやはり一番です

 外に出る機会が多くなると、ついつい疎かになるのが食事です。私は昔から外食が嫌いなため、少々遅くなっても家に帰って食べたり、食事の門限を9時までにしているため、時には夕食を抜かすことだってあるのです。そんな無頓着な私を気遣って、妻はあれこれと気配りをしてくれるため、私の食生活はすこぶる健康にいい物を、食べていると思えるのです。最近は例えば一丁30円などといった信じ難い値段の豆腐が、しかも健康に良いものを売るはずのドラッグストアーで、客寄せのために売っているのですから、驚きです。
 私も妻も口に入れて食べるものだけは、身体にいいものをということを基本原則にしているため、買うものは少々お高いのですが、それでも野菜は自分で作り、魚は貰ったもので極力済ませるため、わが家のエンゲル係数はそんなに高くはないと思うのです。

 栃木県へ出張していたので、今夕3日ぶりにわが家の食卓を妻と二人で囲みました。妻は3日前に何を食べ、昨日は何を食べ、今日は何を食べたか私に細かく聞いて、何食かを抜いたことを告げると驚きながら、それらを補充するような形で食卓に、色々な料理を並べてくれましたが、日ごろ食べているものでも、久しぶりに食べるとどこか新鮮で、おご馳走のような気がしました。
 昨日の昼、出張先の栃木県で、豪華なお弁当を用意してもらい味わって食べました。担当の方が「味は濃いくありませんでしたか?」と優しく聞かれました。確かに関西地方に住む私たちからすれば、関東地方の味は少し濃いいような感じがすることは確かです。夕食に東京で食べた蕎麦の汁も濃い口醤油を使っているため違和感を感じたし、食事の後少し喉の乾きを覚えました。

 人間の健康は、運動も休養も必要ですが、何といっても三度三度の食事が大切です。私のように妻が作る人、私は食べる人の住み分けができている亭主関白だと、妻の作ったものを身体にいいと信じて食べるので、妻は余計食事の事を考えなければならないようです。そんな夫婦の共通点は毎朝リンキャベ、つまりリンゴとキャベツを必ず食べることです。今日は昼の食事からだったので、この3日間リンキャベを食べていませんが、明日も2ヶ月に一度の健康診断でCT検査をするため、朝食を抜かなければならず、リンキャベ復帰は明後日になりそうです。
 目も眼鏡をかけず裸眼で新聞が読め、頭もまだ白髪がなく、歯も自分の歯で食べれるのは、やはり妻の食事のお陰だと、今夕も少し歯の浮くような言葉で誉めてやりました。妻は喜んでいたようです。
 そういえば、今日はボージョレヌーボの解禁日のようです。酒もタバコもコーヒーも飲まない私に、そんな話は無関係のようです、私は一体何を楽しみに生きているのでしょうか。「酒も飲まずタバコも飲まず、博打も女もやらず100まで生きた馬鹿がいる」。どうやら私も・・・・。 

  「三日ぶり 妻の料理を 誉め食べる 妻は喜び 家庭円満」

  「関東と 関西違う 味付けに 少し戸惑い わが家に帰る」

  「明日の朝 食事をせずに 病院へ いつも気になる 結果どうなる」

  「リンキャベを 早く食べたい 思いつつ 今日はワインの 解禁ニュース」

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