人間牧場

〇プラセボ効果

 今日は朝から北西の季節風が吹き、海沿いに面したわが町は、関門海峡を通って勢いを増した強い風で漁船も漁に出られず、漁船の舳先に止まったカモメと共にお休みのようです。寒いといってもまだ朝の最低気温が7度程度なのですが、風が強いためそれ以上に寒く感じながら、今朝も約40分ほどで約5千歩、健康維持のため早歩きをました。朝食を済ませ孫たちを保育園に送っていこうとしましたが、三歳の孫奏心が少し熱っぽいようで、病院へ連れて行くため早々と出かけ、出鼻をくじかれた感じがしました。

 孫たちはまるで雑菌の集まりのような保育園で、次々と色々な病気を貰ってきます。その最たるものは風邪で、上の希心が治ったと思ったら、今度は下の奏心が風邪を引き、その影響で両親が風邪を引くという悪循環が今も続いています。今は子どもは病院の治療代がタダなので大助かりですが、そのためでしょうか、何処が悪いここが悪いと言って、しょっちゅう病院へ行っているようです。近所に病院ができたのでそこへ行けばいいものを、やはりかかりつけの小児科が行きやすいのか、わざわざ遠くの病院へ行くのも親の気休めなのかも知れません。

 最近94歳の親父は比較的元気で、特に風邪を引かないので大助かりです。歳をとっての風邪は肺炎を引き起こしやすく、また骨を折れば寝たきりになるので、本人も私たち家族も注意をしています。今月から私の言うことを聞いて、自転車に乗ることを止めてくれました。何かあれば下灘診療所の先生が往診に来てくれるので大助かりですが、親父は近所へ買い物に行くのに、少し歩くのに足がおぼつかないので、祖母が使っていた手押し車を使っていますが、もどかしさもあったりして、少し重いお米やお酒は、昨日も私に買いに行って欲しいと、財布からお金を出して頼みました。

 親父は診療所で貰った幾つかの薬を、朝・昼・晩の食後に服用しているようですが、薬が切れるとどこか落ち着かない様子です。薬を飲むとプラセボ効果というのがあって、薬が効いたと思い安心するのです。刑務所の所長をした私の従兄弟の話によると、刑務所での暮らしは全て国費で賄われるため、病院代も薬代も馬鹿にならないそうです。そのためプラセボという偽薬を使うそうです。ところがそれが偽薬と知らずに飲んだ服役囚は、信じて飲むので本当に効いたと思うのだそうです。昔南方で戦争した日本軍の話ですが、現地人に小麦の粉を薬だと騙して飲ませたのに、薬が効いたと思い込んだ現地人が何人もいたそうです。
 親父もどうやら、いえいえ孫も私たちや私たちだって、薬だと思って飲んでいるから効くので、本当は偽薬かも知れないのです。サプリメントだって信じるから聞いたような気がするのでしょうが、これもプラセボ効果かも・・・。

  「大脳が 働き偽薬 本当に 効いたと思う プラセボ効果」

  「服役囚 薬と思い 飲んでいる そうでもせずば 財政もたぬ」

  「間違って 別の薬を 飲んだのに 薬効いたと 安眠の朝」

  「良くなりたい 思えば偽薬 効き方が どんどん増して 効果抜群」

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〇鳥取県日南町への旅(その2)

 「鳥取はもう冬だから暖かくして出かけて下さい」と、妻が用意してくれたダウンのコートと手袋を持って、師走に入って間もない12月2日、早立ちで鳥取県日南町へ向かいました。朝6時13分松山駅発の特急しおかぜに乗り込み、インターネットで調べた乗り継ぎ予定を指でなぞりながら、のんびりゆっくりの列車旅を久しぶりに一人楽しみました。公共交通機関を利用すると途中ウトウトしたり、読書を楽しむもう一つの楽しみがあるので、見慣れた車窓に広がる瀬戸内の光景を身ながら瀬戸大橋を渡り、岡山で特急やくもに乗り換えて生山駅を目指しました。

 特急しおかぜは殆ど満席でしたが、日曜日だというのに特急やくもは私の乗った自由席はガラガラで、これもまたよしと思いつつ、1時間半の殆どを読書に耽りました。今回の読書は木になるカバンに忍ばせている「夕日徒然草」の再読で、時折読んで記憶を蘇らせておかないと、落伍の高座が務まらないのです。
 倉敷から分かれた列車は高梁川と国道180号に沿うように備中高梁、新見と進みましたが、進むにつれて、木々の紅葉も葉っぱを落とし、新見あたりからはもう冬枯れの木立となっていました。川幅が段々狭くなり、幾つものトンネルを抜け鉄橋を渡りました。分水嶺あたりの長いトンネルを抜けると、川の流れが逆に流れているよな錯覚を覚え、列車のきしむ音が少し軽やかになったような気がして、いよいよ目的地に近づいたことを実感しました。

ひっそりとした生山駅

 車掌さんのアナウンスが流れ、10時38分に生山駅へ予定通り到着しました。昇降客は私一人で、改札口へ向かうプラットホームのから見える山々には昨夜降ったであろう雪が白く積って、冬の厳しさを感じさせてくれました。生山出身という県庁の課長補佐さんに出迎えてもらい、総合文化センターへ直行しました。この日会場では食のバザールが賑やかに開かれていましたが、控室へ荷物を置いてレストランで、少し早めの昼食をいただきました。ショウガ焼肉をメインにしたランチはボリュームがあって、大満足の手合いでした。私はコーヒーが飲めないので紅茶をいただきながら、スタッフの皆さんと和やかに懇談した後バザール会場を一巡し、顔見知りの方々にあいさつをしたり、販売している手作りの食べ物を見て回りましたが、品数も豊富で工夫の跡が伺えました。

木造の生山駅

 生山の駅前周辺や役場周辺を見渡すと、人口5千人足らずの町にしてはやたらと公共施設が目に付きます。文化センターも美術館もあって、岡山と米子の中間に位置するため特急まで止まるのですから、これはもう別格な町なのです。このまま人口減少が進めばこれらの公共施設の維持管理も大変だと、人ごとながらに思いました。この危機から脱皮するには、やはり交流人口を増やして行かなければなりません。さてそのためにはどうするか、ここが智恵の出しどころのような気がするのです。幸い有り余るほどの地域資源もあるようなので、目標を定めて頑張って欲しいと私の講演を締めくくりました。いつの世も人が輝けば町が輝くのです。

 

 

  「県境に 近い生山 駅に降り 雪化粧した 山々望む」

  「この町を 含め鳥取 幾度なく 訪ね歩いた 懐かしきかな」

  「日本の 田舎危ない 人が減り 少子高齢 波がまともに」

  「定住は 増えないけれど 交流は やればできると 思いも新た」

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人間牧場

〇今朝は早立ちで鳥取県日南町で向かいます。(その1)

 昨夜国立大洲青少年交流の家から高速道路を走り、公民館の赤石さんと二人で帰ったのは10時半過ぎでした。急いで風呂に入り、明くる日の身支度を用意して12時に床に入り熟睡しました。就寝は時間的には短いものの午前3時半に目を覚まし、再び身支度を整えて妻の用意してくれた軽めの朝食を取りながら、書斎で忙しげにブログを1本書き、さあこれから鳥取県日南町に向けて出発します。冬の中国地方の峠越えは行きの心配があることから、今回の旅は公共交通機関のJRを選び、特急しおかぜ、特急やくもを乗り継ぎ、松山~岡山~生山を往復して講演や討論をするので、帰りは多分深夜になりますが、この続きは帰ってから編集しますので、読者の皆さま悪しからず・・・。

 こんな記事を書いて出かけたものの、岡山での特急やくもと特急しおかぜの連絡接続が悪く、岡山駅での次の電車の待ち時間が1時間もあり、初冬の寒さに少し震えながら次の電車を待ったため、往路4時間が復路は5時間以上かかり、自宅へ帰ったのは11時ころとなってしまいました。前日も11時帰宅なので風呂に入って遅い夕食をとり、片づけをしていると昨日も寝るのが12時を過ぎたため、このブログの追加記事を書く気にもならず、そのままパソコンを開くこともなく眠ってしまいました。それでも往復に10時間以上をかけた鳥取県日南町への旅は心地よく、今朝も疲れも残らず爽やかな目覚めでホッとしているところです。

 私の記憶によると今年は地域づくりの全国大会が鳥取県であったため、全国大会で倉吉市や湯梨浜町、南部町を訪ねたり、湯梨浜町2回、岩美町、そして今回の日南町と鳥取県を訪れることの多かった一年でした。それもこれも地域づくりセンター所長で旧友の福田京子さんの仲介が殆どなので、福田さんには感謝の念でいっぱいなのです。
 昨日も福田さんは広島県神石高原町へ出張していたようですが、私と相前後して日南町へ駆けつけてもらいましたが、風の噂で漏れ聞こえるところによると、地域づくりセンターは今存亡の危機に貧しているようで、今年開いた全国大会の直前熊本大会が東日本大震災で中止になって、大会のバトンが途切れそうになったり、大きな不運やハプニングに見舞われた中で頑張っているだけに、同情より強い憤りすら感じずにはいられないのです。

地域づくりセミナーのチラシ

 それでも日南の地域づくりセミナーには地元の町長さんや、知人友人を含めた心ある人が沢山集まり、いい集会となりました。日南へは何度か講演に訪れていますが、中国山地の懐に抱かれた日野川源流域の長閑な山村です。ご多聞に漏れず過疎化と高齢化、少子化が同時進行していますが、人口が5千人を切っているものの合併もせず、特徴あるまちづくりが行なわれているようで、会場となった総合文化センター周辺ではかなり大掛かりな食のバザールと称したイベントが賑やかに行われていたようです。
 このイベントが終ると日南町にも冬が訪れ、来年の三月まで深い眠りにつくようです。

  「よく言うよ 私似顔絵 いい感じ 実物よりも 男前だと」

  「鳥取で 講演何度 したことか 昨日も多数 追っかけ来てた」

  「バザールや マルシェ横文字 何となく 格好いいと 思うのだろうか?」

  「昨日今日 二日続きの 午前様 それでも妻は

起きて待ってて」

  「ダンディな 町長出会い 俺なんぞ カントリーだと むしろ胸張る」  

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〇自慢の夕日

 先日倫理法人会のモーニングセミナーに出かけた会場で、参加者と名刺交換をしていたら、「私もあなたと同じように太陽が好きで色々な写真を撮っています」と、手持ちのアイパットの大きな画面で、自らが撮影した朝日や夕日の写真を矢継ぎ早に指で移動させ、さも自慢そうに見せてもらいました。その人は太陽がもたらす不思議なパワーを実感しているようで、勿論私もそのことに異論はなく、大いに同感してしまいました。

11月27日シーサイド公園で撮影のダルマの夕日

 そこまで言われると、自称夕日博士の私も黙っている訳にもゆかず、幸い数日前にふたみシーサイドで撮影した、夕日の写真が手持ちのデジカメにまだ残っていたのを思い出し、スイッチを入れて呼び出し、自慢の夕日の写真を何枚か見せました。アイパットの大きな画面にも、写真を撮影する技術にも私は負けていましたが、ダルマの夕日を写した画面迫力は、多少私の写真の方が勝っていたようで、その人は是非双海の夕日を撮影に行きたいと話され、何時どんな場所がいいかゆっくり教えて欲しいと懇願されました。

 私が夕日のことをよく知っていると思っているのか、多くの人が「夕日を見るには何時どんな場所がいいのか教えて欲しい」とよく聞かれます。「夕日は気まぐれ者で、何時どんな場所で」と聞かれても答えようがないのですが、とりあえず私の知っている知識を基に、見所と特徴をお話しするのですが、デジカメに納めた何枚かの写真を見せるのが、やはり一番かも知れないとふと思いました。私のパソコンには無数の夕日の写真が収められていますが、その中からセレクトして、一枚のSDメモリーカードに内蔵してカバンに忍ばせておけば、自慢の夕日が居ながらにして見せることができるのです。

私が「メダカの卵」と名付けた写真

私にはその技術がないので、早速息子に頼んで作業をしてもらおうと思っています。最近「メダカの夕日」と私が名付けた一枚の写真を、写真絵葉書にして友人に出したところ、えらい感心して返信してくれました。多分この写真はどこかの空港のポスターを、私が転写したものと思われますが、残念ながら覚えておらず、著作権にひかかるといけないので、ごく身近な人にしか出していませんが、この一枚も私にショックを与えた夕日の写真の一枚なのです。

 

 

  「自慢され それなら俺もと 自慢する 夕日の写真 デジカメ使い」

  「アイパット 文明の利器 使われて これじゃ勝負に なるはずもなし」

  「私もね 夕日の話 取り持って 見知らぬ二人 立ち話する」

  「一眼を 買いたいけれど 金と腕 なくてデジカメ 甘んじ生きる」

降臨とでも言うべき夕日の写真も一味

 

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〇松山・伊予倫理法人会モーニングセミナーに招かれました

 「打ち合わせがありますので、朝6時15分までに会場となっている松山市西堀端のホテルJALシティ松山の3Fドゥエミーラへお越し下さい」という、事務局担当女性から前日いただいたメールに従って、自宅を早朝5時に自家用車で出かけました。早朝ゆえ交通量も少なく車はスイスイと進み、西堀端まで30分で到着しまいました。言わたとおり、愛媛新聞側の松山駅に通じる電車通りを、行きつけの喫茶店を目印に左折すると、ホテルの立体駐車場の入口です。駐車場の入口に守衛さんが立っていましたが、聞けば駐車場は午前6時にならないと開けないというのです。困った私は民主党の看板が目に付く路地横道路上左に車を止め、カーラジオを聞きながら、車の中に常時置いている一冊の本を取り出し、室内灯を三つもつけて読書をしたり、講演の構想を考えましたが、眠らない街らしくホテルの前の通りは早朝というのに、コートの襟を立てて朝の寒さに震えながら、行き交う人が無口で行き交い、通り過ぎて行きました。

 車内に流れたカーラジオで6時の時報を聞き、再度駐車場へ戻り守衛さんの指示に従って車を入れ、チケットを貰いました。この守衛さんは合併前同じ郡内だった、別の町の役場で課長をしていた人で、手を緩めながら立ち話で、退職までのいきさつやその後について懐かしく話をしましたが、いやはや驚きました。
 ロビーには法人会の方々が既にたむろしていて、顔見知りの人が何人も入れ替わり立ち代り声を掛けてくれ、その度に名刺を交換し、3階の会場へ案内され席に着きました。私の招聘をしてくれた堀田金太郎さんがこの日の幹事らしく、会長さんと向かい側の席に座り、満席と予定の午前6時30分時間を確かめてチャイムが鳴らされ、セレモニーが始まりました。幸福の栞の朗読や輪読、会長のあいさつが終わると、いよいよ私の卓話が始まりました。

モーニングセミナーが始まるまでの慌しい会場風景

 卓話は歌のない歌謡曲ではなく、音楽も歌も題名もまるでない、何を話しても構わない自由さもあって、スキルの高い人と思って、少し早口で喋り捲りました。アドリブなので手持ちの時計の進み方がとても早く感じながら、7時25分の終了を迎えました。他の法人会で何度も経験しているモーニングセミナーなので、面食らうこともなく、馴れた流れで事が運び、その後2階で会食の朝食を参加した方々とご馳走になり、8時過ぎには自由の身となりました。
 私は毎朝午前4時に起きる習慣がついていますが、会場に集まった人たちは法人の経営者が多く、夜も遅いことから、早朝の集会は大変だろうとおもんばかりました。でも朝の清々しい気持ちで学ぶとスキルもアップするかも知れず、とても好感が持てました。持参した50枚の名刺が空になるほど名刺をいただき、昨日の朝もまた多くの人と出会いを重ねることができて、再会を予感させるいい一日でした。

  「モーニング セミナー招かれ ノコノコと ホテルに出かけ 卓話大いに」

  「元気かい 駐車場にて 守衛さん 声かけくれて 驚きました」

  「五十枚 持参の名刺 空になる 再会予感 感じるように」

  「演台に 置いた時計は 容赦なく 進んで卓話 あっという間に」  

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〇シイタケの原木ホダ木が届きました

 昨日の午前中は、自宅周辺の落ち葉を集めて家庭菜園の横で焼却したり、夏野菜の名残であるトマトやピーマンの垣を片付け耕運機で耕して、少し見苦しかった菜園を綺麗に片付けました。お陰様で名残のピーマンやトマトは、夏のような瑞々しい味はしなかったものの、11月末まで収穫して食卓を賑わせてくれました。一通り片付いたところへ、大洲市田処の友人亀本幸三さんが、プリウスのトランクにしいたけの原木ホダ木を、10本ばかり積んでやって来ました。亀本さんは酪農家で、20数頭の乳牛ホルスタインを飼っていますが、もう20年来の親しい異業種友人なのです。亀本さんは若い頃から私が主宰したフロンティア塾に塾生として熱心に参加し、10年で40回開いた塾にも忙しい農作業の合間を縫って、40回の全てに参加した頑張るマンなのです。続いて人間牧場で開いている年輪塾にも、西田和子さんや仲間と共に参加してくれていますが、その前向きな生き方にはとても好感が持てる人です。

いただいたシイタケの原木ホダ木を裏山に並べました

 私が先日わが家の息子と孫たちが、裏山に置いている2本のシイタケ原木ホダ木にシイタケが生え、それを大事そうに楽しみながら収穫している様子をブログでアップしたところ、亀本さんから、「近々シイタケの原木ホダ木を持って行ってあげる」と、電話連絡があったのです。
 車から降ろしたシイタケの原木ホダ木には、孫たちが喜ぶようにと、既に収穫できそうなシイタケが幾つも生えていて、孫の歓声が聞こえそうな気がしました。亀本さんはホダ木を庭に降ろすと、二週間後に迫った年輪塾で餅つきをする、もち米の準備等の打ち合わせを、立ち話でしたあと帰って行きました。少し重いホダ木を担いで裏山まで運び、既に置いているホダ木の横に行儀よく並べましたが、わが家は冬の季節風が強く当る場所だけに、適地ではないと思いつつとりあえず作業を終えました。

亀本さんから送られてきた落雷の様子

 亀本さんの話によるとこのホダ木は、昨年お孫さんたちと一緒に植菌作業をして、森の中で養生していた物らしく、シイタケの生えていないホダ木も来年春には生えるそうで、楽しみが増えました。いつか孫たちを亀本さん宅の乳牛を見せに連れて行ってやりたいし、亀本さんに頼んで植菌作業も体験させてやりたい思いました。お金を儲ける農業は厳しいものですが、遊びの農業はこうして色々なことが楽しめるのです。亀本さんは酪農を楽農と言って、楽しみながらやっていて、私も時々牛乳をいただいたり、山里の美味しい手作り豆腐を、お裾分けをしてもらっているのです。
 先日亀本さんから入ったメールで、近くの森に雷が落ちたショッキングな写真が送られてきました。自然の凄いエネルギーの痕跡に驚き、子どものころ人間牧場の大きなヤマモモの木に雷が落ちて、木が黒焦げになった様子を思い出しました。ヤマモモはその後見事に再生し、今も緑陰を保っているのです。

  「シイタケの 原木ホダ木 届きたる 早速裏山 並べて養生」

  「シイタケは いつでも生える 思ってた 息子や孫は それさえ知らず」

  「シイタケの 芽吹いた ホダ木 いただいて 孫や息子は 早速収穫」

  「シイタケは 体にいいと 皆が言う 何にいいのと 聞くも分からず」

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人間牧場

〇沖縄県与那原町議会議員研修

 数日前、伊予市議会議員の水田さんから、「沖縄県与那原町議会議員さんたちが研修にやって来るので、受け入れてもらえないか」と相談がありました。私の元へは年間何組もの議員さんが研修にやって来るので、日程を調整し受け入れることにしました。11月27日の13時から17時までの4時間をどう使うか思案し、私案を作ってFAXと電話で確認し、13時~シーサイド公園集合、見学説明、14時~翠小学校とグリーンツーリズム、15時20分~下灘駅とフィールドミュージアム、15時40分~人間牧場と地域づくり、16時50分~シーサイド公園にて夕日見学、17時解散という大まかな目安を立てました。対外的には翠小学校だけなので、私が事前連絡と許可を校長先生に直接取り、準備を整えました。

 昨日は前日の荒れた風雨も収まり、天候もまずまずでしたが、気温が15度以下となり、常春・常夏の沖縄の人には少し寒い研修となるだろうと心配しました。一行は内子町の見学が少し長引き、峠越えをするため引率の水田さんと連絡を取り合い、シーサイド公園待ち合わせを急遽変更して、翠小学校で落ち合うことにしました。校長先生は研修会に出向いて留守でしたが、教頭先生の説明や私が説明をしながら、学校を見学しました。木造の学校校舎は沖縄にはないようで、その珍しさに目を見張っていました。
 この研修には水田さんが市議会議員でもあるので、地域事務所の米湊さんと地域おこし協力隊の富田さんに同行してもらい、下灘駅は富田さん、シーサイド公園は米湊さんに説明をしてもらうことにしました。

私の話に聞き入る議員さん

 私の出番は人間牧場で、少し大きめの箱バンタクシーなので、市道から一緒に歩いてもらい、人間牧場に到着しました。いつものように切り株高座上の座布団に座り、私を囲むよう皆さんも座布団に座って1時間弱議員さんを前にお話をしたり、施設を見学してもらいました。
 議員さんの中には私の話をどこかで聞いた人がいて驚きました。多分那覇へ招かれ沖縄県長村議会議員研修に出かけた折の講演か、東京有楽町フォーラムAで開かれた、全国町村監査委員研修での講演を聞いたものと思われますが、世の中狭いものだとつくづく思いました。議員研修なので私の自著本「昇る夕日でまちづくり」と「今やれる青春」「夕日徒然草・空の書」を三冊用意したところ、皆さんにそれぞれ買っていただき、恐縮してしまいました。

自称日本一のダルマの夕日

研修最後の締めはシーサイド公園での夕日見学です。米湊さんの説明をイベントホールで聞いた後、肌寒く感じる戸外に出ました。宮城県からやって来た修学旅行の一行と一緒に、これぞ日本一といわれる美しいダルマの夕日を感心しながら、少し鼻高々で見学しました。沖縄県与那原町議会議員の皆さんも、宮城県の修学旅行生も、たった一度の来訪で、たまにしか見えないダルマの夕日が見えたのですから、これはもうラッキーとしか言いようがありません。
 ほんの束の間の視察研修でしたが、議員さんたちもみんな満足した様子で、つるべ落としの太陽が沈んだとばりの中を、次の宿泊先となっている松山へ向かいました。再会を約束しつつ・・・・。

 

  「真冬並み 気温下がりて 寒々を ものともせずに 沖縄議員」

  「あそこここ 説明しつつ 巡り見る 珍しさもあり 沖縄議員」

  「世の中は 狭いもんだと 感心す 沖縄議員 私の話」

  「久方の ダルマの夕日 皆で見る ふるさと思い 沖縄議員」

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〇美味しい紅まどんな

 誰が言い始めたのか分かりませんが、「とろけるような食感はまるでゼリー。みかんの形をしたスイーツ。愛媛の貴婦人」とまで形容されている「紅まどんな」という柑橘が、数年前から話題になっています。八幡浜や吉田といった超一級のみかん産地ではないにしても、これまでみかん産地として長い歴史を持ったわが町に住んでいると、大谷イヨカンや極早生みかん、晩柑類など様々な話題の柑橘に出会って食べてきましたが、「紅まどんな」という品種は少し様子が違うようです。

紅まどんな

 昨日の夕方妻が、大事そうに白いナイロンの袋に入れた、4個のみかんを持ち帰りました。友人からいただいた紅まどんなだと聞きましたが、早速仏様に備えた後、鐘をチーンと鳴らしてお下がりをいただき、孫たちに2個、私たちが2個それぞれ分け合いました。
 妻は食卓にその一個を半円形状に切って皿に盛り、ダイニングの机の上に飾ってくれました。これぞオレンジ色といわんばかりの紅まどんなは形容通り、ぎっしり詰まった果肉がまるでスイーツのような輝きでした。食事が終わり早速食べてみましたが、とろけるような瑞々しい味でした。「これが一個500円以上、高いものだと1個1000円」と聞いて、余計美味しく感じました。

 紅まどんなは「南香」と「天草」という品種をかけ合せ、10年の研究の末愛媛県果樹試験場で生まれた品種です。したがって特許権が愛媛県にあるため、「紅まどんな」という名前で勝手に販売すると、特許権侵害で法に触れるため、「姫まどんな(ヒメマドンナ)」や別の名前で、既に水面下では出回っているようですが、一つの木に実がなるまでに5年かかり、こんなに手間のかかる品種はないと農家の人はいっています。果実は200g前後、果皮は薄くなめらかで濃い紅色、果肉はとても柔らかくて食べやすく、形容の言葉通りの味でした。

 紅まどんなはこの頃から収穫し12月に贈答用として出回るため、今のところ高値で販売されていますが、これも希少価値があるからで、大谷伊予柑がそうであったように今後どうなるのか、農家の心配の種は尽きないようです。
 私の友人にはみかん農家が多いので、その時期時期の柑橘類をお裾分けのような形でいただきます。今は極早生が終わって早生みかんが主流ですが、何だかんだといいながら食べやすくて美味しいのは、やはり早生や晩生の昔ながらのみかんが一番だと思うのです。わが家の家庭菜園にも晩生のみかんが実をつけています。正月前には収穫して美味しいみかんを味わいたいと思っています。

  「マドンナや 清見・晴美と 女性名を つければ売れる 柑橘事情」

  「紅濃いく 果汁ジューシー 文句なし 贈答品に ぴったり高価」

  「美味くても やはり普通の みかんいい そんな言い訳 貧乏故に」

  「柑橘に 囲まれ暮らす いい場所に 住んで何より 幸せ思う」  

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人間牧場

〇孫たちと楽しい一日

 昨日は三連休とあってどの行楽地も、晩秋の穏やかな小春日和に恵まれて、混み合ったようでしたが、私たち夫婦も長男夫婦と孫3人を連れて、近所である中山町の鹿牧場や栗の里公園へ、急な思いつきで出かけました。いつもだと一緒に出かけるはずの娘と孫朋樹は、サッカーの練習日だそうで不参加となりましたが、その分日増しに口数も行動も賑やかになった孫希心(5歳)、尚樹(5歳)、奏心(3歳)を伴っての遊びは、何かと大変なのです。
 チャイルドシートの関係で孫3人は息子夫婦の車に乗せ、私たち夫婦は自分の車で出かけたため、道中は静かな雰囲気でソプラノ歌手二宮典子さんからいただいた、CDで童謡を聴きながら、車窓に広がる紅葉を満喫しながら、自宅から30分足らずで鹿牧場へ到着しました。孫たちにとって動物に出会うことはとても楽しそうで、自動販売機で餌を買い求めて30匹ほどの鹿の群れに餌をやるのがハラハラ、ドキドキで、近くの草やドングリも拾い集めて大いに盛り上がっていました。

楽しそうにふざける孫たち

 

群がる鹿

 その後直ぐ傍のフラワーハウスへ入り見学しました。バナナがなっているのを見たり、この時期は少ない咲いている花を見たりしましたが、孫たちには広場の向うの遊具が目に入ったようで、大きなツリーハウス遊具に登ったり降りたりしながら、心地よい汗をかきました。その後国道傍の栗の里公園内レストランまで降りて、バイキング昼食をすることにしましたが、運悪く昼時と重なったため、込み合っているわけでもないのに客が動かず、30分以上も待ちました。やっとの思いで席を確保しましたが、私たち大人にはそれなりの料理でしたが、孫たちにとってはメニューが少し物足りなかったようです。
 それでも大人千円、子ども300円で満腹となりました。妻や家族にとっては知らない人ばかりですが、お客の中には顔見知りの人も数人いて、あいさつや立ち話をしました。妻が言うように私と同行すると、必ず顔見知りの人に会うため、冷や冷やするそうです。特にお偉い人に会うとあいさつもしなければならず、時々戸惑ってしまうそうです。そういえばリタイアしているとはいえ私も、新旧の友人がいたり講演等で日常的に出歩いているため、私が知らなくても相手が覚えている人もかなりいて、昨日のように見知らぬ人から、「お元気ですか」といきなり言われても、失礼ながら顔と名前が一致せず、困ってしまうことだってあるのです。

 息子たち家族は、若嫁の実家へ向かうため昼食会場で別れ、私たちは孫を松山のマンションまで送り届けて育爺、育婆の役目を終えました。いつものことながら外出すると必ず夕方5時頃には、妻が自宅で待っている親父の、夕食を作るため自宅へ帰らなければなりません。母が死んでからもう12年が過ぎましたが、以来妻は親父の夕食を殆んど毎日、休むことなく作って隠居へ運んでくれているのです。94歳になって多少弱音を吐くようになった親父は、若い頃鼻ガンを患っているため、その後遺症で固いものは食べられず、食事の献立も中々骨が折れるようですが、長男の嫁に嫁いで来たばかりに、祖母や母の面倒も見てあの世へ送ってくれたり、親父の面倒を嫌がりもせずしてくれていて、感謝の気持ちでいっぱいです。昨日は妻の勤労感謝の日にしてやりたいと思った一日でしたが、妻は休む間もなく家族の世話を、一日中忙しくしていたようです。

  「三連休 最後一日 隣町 孫たち連れて 行楽出かけ」

  「バイキング 私は好きで ないけれど 野菜中心 あれこれ食べて」

  「夕方に なれば必ず 時計見て 妻は帰りて 親父夕食」

  「同居する 親父の世話は 長男の 嫁の仕事と 割り切り感謝」 

 

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人間牧場

〇綺麗だねえわが家の紅葉

 わが家の入り口には、枝葉を広げた面積が畳4畳半もあるような、大きなシダレモミジがあります。家を新築した時、私が大事に育てていたシダレモミジを移植したものなので、樹齢はたかだか40~50年といったところでしょうが、それでも落葉樹らしく冬の落葉、春の新緑、夏の緑陰、秋の紅葉と様々な変化をして、私たち家族の目を楽しませてくれているのです。このシダレモミジは夏はどちらかというと緑がかっていますが、春の芽立ちも秋の紅葉も赤い色の縮れ葉をしているのが特徴です。

家の入口にあるシダレモミジ
シダレモミジを下から見上げる

 このシダレモミジは色づいて綺麗だと思う間もなく、僅か一週間で風に散ってしまうので、余程注意をしていないと見納めとなってしまうのです。今年は雨のお湿りが適当にあって、加えて紅葉の時期に大風が吹かなかったため少し長持ちして、家族や訪れた人の目を楽しませてくれましたが、案の定昨日から雨に濡れて散り始め、たった一日で無残にもシダレモミジの木の下は、紅葉の葉っぱが道を染めました。これも自然現象だと諦めつつ、美しいもののはかなき命を惜しみました。

 私たち夫婦が朝・昼・晩と食事をしている、ダイニングの窓から見える裏庭に、山採りの普通のモミジが5本植えられています。私が道端で引っこ抜いて持ち帰った割り箸ほどの小さな苗を裏庭に植え、庭木の剪定のついでに無造作ながら剪定していましたが、この木もいつの間にか大きくなって、庭木としての風格を保つようになってきました。このモミジがこのところの冷え込みで、数日前から紅葉し始めました。紅葉といってもそれ程綺麗ではありませんが、少し遠めで見るとそれなりに色が染まって見えるため、妻と二人で誉めながら愛でているのです。

ダイニングの窓越しに見える裏庭のモミジ

 妻は花が好きなので、この裏庭を花畑にしたいようですが、そのためにはこの5本のモミジを、どこかに移植しなければならないため、私は反対をしているのです。夫婦でありながら意見が分かれるのも当たり前のことかも知れませんが、紅葉のこの時期だけは二人揃って、モミジの紅葉を窓越しに楽しんでいる今日この頃です。子どものころはもっと寒かったと思われる大相撲九州場所も、早いもので今日が千秋楽、白鵬が早くも昨日千秋楽を待たず圧倒的な強さで、早々と23回目の優勝を決めました。九州場所が終るといよいよ本格的な冬の到来です。

 

向かいの本尊山も紅葉し始めました

 「春夏も 秋もまた良し 庭モミジ 今が盛りと 彩り添えて」

 「この家の 歴史と共に 葉を広げ 今では畳 四畳半にも」

 「若嫁が 綺麗ですねと 褒め称え 二人見上げて モミジ楽しむ」

 「見納めと ばかりデジカメ パチパチと 上下左右 写真収める」

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