人間牧場

〇三重県尾鷲観光物産協会から講演に招かれて(その2)

 協同組合尾鷲観光物産協会の招きで、三重県尾鷲市へ行きました。どんな趣旨でやるのかも余り分からぬまま引き受けたものの、送られて来たパンフレットを見ると、「みえ地域コミュニティ応援ファンド、財団法人三重県産業支援センター事業」という冠のついた事業なので、地域の活性化についての話しをすればいいと勝手に思い込んで、正直なところほんの少しだけ準備をし、殆どはいつものように出たとこ勝負のアドリブでの対応となりました。駅まで出迎えに来ていただいた河中事務局長さんの案内で尾鷲の街中をそぞろ歩きし、大瀬という老舗の海産物屋へ立ち寄ったりして、時を過ごしました。

主催者が作成した私の似顔絵入りのパンフレット
主催者が作成した私の似顔絵入りのパンフレット

 講演会は午後7時からなので、1時間半ほど前に会場入りしました、尾鷲の湾内や、中部電力火力発電所の高い三又煙突を眼下に望む高台にある、三重県が威信をかけて尾鷲桧で、20億円もの巨費をかけて造ったという熊野古道センターの見事さに、感心しながら展示物を見学させてもらい、幾分かの知識を学ばせてもらいました。
 やがて尾鷲観光物産協会の理事長さんや市役所商工観光課長さんたちもあいさつに見えられ、私が事前にインターネットで調べていた尾鷲の実態が、雑談の中でおぼろげながら飲み込めてきました。参加者は60~70人ほどでしたが、比較的若い女性も多く、熱を込めて話をしました。
 講演が始まるようになって、パンフレットを見て気がついたのですが、今回の講演会は演題がないのです。しかしそのことを確認もせずに90分も話をするのですから私もいい加減といえばいい加減です。

 

 

 

 

 それでも、講演会が終ると私の所へ何人もの人が名刺交換にやって来て、20人ほどと名刺交換をさせてもらいました。その中には隣町紀北町の上村さんや野間さんという熱心な職員さんもいて、わざわざ沢山の資料をいただきました。私はその重い資料を明くる日、リュックサックに入れて自宅まで、難儀をして持ち帰ったのです。その熱意は凄いと思いました。
 今日は松山まで妻に迎えに来てもらいましたが、少しだけ疲れたようなのでこの辺でお開きと致します。

  「気がつけば 演題もない 講演会 それでもたっぷり 話せる私」

  「二十億 かけた桧の 施設見て ご立派立派 度肝抜かれる」

  「この資料 読んで下さい 手渡され リュックに入れて 肩にずしりと」

  「この街に 往時をしのぶ 老舗あり カツオにアワビ びっくり本物」

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人間牧場

〇エネルギーのまち伊方町を訪ねる

 東日本大震災以降何かと気になるエネルギーのまち伊方町を、久しぶりに訪ねました。かつてイクナ国道などと悪評され、行くなといわれた三崎半島も、半島の付け根に位置する保内町の南北に縦断するように掘られたゴゼとい、う長い長いトンネルによってすっかり便利になり、瀬戸内海側にある私の町から、宇和海側にある伊方町の中心へでも、約一時間で行けるのですから、これはもう隔世の感がするのです。
 伊方町といえば四国電力の伊方原子力発電所のある所で、この20~30年何かと話題になってきた町です。建設反対や賛成、ブルサーマル反対や賛成、東日本大震災以降再稼動反対や賛成と、いつの時期にも意見は真っ向から対立した形ですが、それはどちらかというと外側に住んでいる人の意見で、内側の町に住んでいる人たちは、電源交付金という国策がもたらす潤沢な資金を使って、様々な恩恵に浴しながら今も生き続けているのです。

 定期検査以来停止している発電をいつ再稼動するのかが、もっぱらの関心事だし、今まで知らされることもなく、考えることもなかった安全神話を信じて、何の疑いもなかった私たち30キロ圏内に住む私たちも、福島第一原発の事故以来、不安と同居しているというのが正直なところです。
 そんな伊方町の伊方中学校から、人権参観日に講演をするので来てくれないかと依頼がありました。人権に関しては余り得意でないので断わろうとしましたが、たっての頼みとあって、少し引けた気持ちで引き受けてしまいました。数日前学校から電話があって、私の話しの前に三崎高校の進学についての説明会を先にするので、時間を少しずらして欲しいと言われました。実はその日は講演が終われば三重県尾鷲への講演に旅立とうと思っていたので、やばいと思いつつ旅程を変更させるのに一苦労してしまいましたが、今朝でも何とか間に合いそうなのでほっとしているところです。

 昨日は出発する頃あいにく小雨が降り始め、雨の中を少し余裕を持って出かけたため、1時間も早く到着しました。中学校の位置を確認した後、港の近くにある伊方町役場を訪ねました。これも何年ぶりかでした。私の友人はあいにく出張で留守でしたが、さすが愛媛県でも屈指の財政的に豊かな町だけあって、屋上にヘリポートを供えた庁舎の立派さには、度肝を抜かれましたが、海抜ゼロメーターの立地に津波の心配がふと頭を過ぎったのも無理からぬところです。
 昨日は三崎半島を中学生が雨の中、ウォーキングをしていました。多分どこか近くの中学校が少年式の記念に、三崎半島を歩いているのだろうと想像しながらやり過ごしました。
 学校に到着すると玄関の黒板型看板に、「若松様ようこそお越し下さいました」と書かれていました、校長室に案内され、校長先生と雑談をしながら時の来るのを待ちましたが、校長先生は私の話を松山で2~3度聞いているそうで、随分赤面してしまいました。

(この続きは、これから三重県へ向かうため出かけるので、帰ってから整理をしたいと思っていますので、悪しからずご容赦を・・・・。そうそう帰りは明日の夜になります。アメーバブログはあいにくメンテナンス時間なので書き込むことができず、今日はお休みです。)

 

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人間牧場

〇おひねりで840円の投資

 昨日、招かれた長崎県西海市の生涯学習推進大会で、ある女性から講演中ティッシュに包んだおひねりをいただきました。普通おひねりは小銭なのでしょうが、貰った相手に失礼と思いつつ、あえて中身を公表すれば千円札でした。千円もおひねりをいただいたので、私の木になるカバンに入れて持ち歩いている「夕日徒然草」という、自著本を差し上げようかとも思いましたが、講演を中断することもできず、講演終了と同時にお互い別れ別れとなって、目的を果たさず帰宅の途に着いてしまいました。
 小倉までの往復キップを買っていたので、とりあえず特急みどりとソニックを乗り継ぎ小倉まで帰りました。次の新幹線乗継までの待ち時間の間に、JR小倉駅構内にあるKUMAZAWAという本屋に立ち寄り、いただいたおひねりを有効に生かすには、私の知的進化につなげれる物をと考え、作家五木寛之著の「選ぶ力」という本を買いました。

 

おひねりで買った「選ぶ力」という本
おひねりで買った「選ぶ力」という本

 本屋へは松山へ行ったついでに時々立ち寄るものの、本屋さえない田舎の町に住んでいると、本がなくても日々の暮らしはできるため、ついつい暮らしの中から本が遠のいて、気がつけばむしろネットで検索して読む、デジタル文字とのつながりがりの方が多くなっているのです。本屋ではいつものように幾つかの本棚を無意識に回りながら、幾つかの本を立ち読み・ただ読みしながら、一冊の本の前に立ちました。本の帯に「人生とは選択の連続である」と書かれたその言葉が妙に気になり始め、私の癖であるはじめにと、目次と終わりにを一気に読みました。傍を咳をしながら歩く店員さんを気にしながら、このまま本を買わずに出るのも悪いと思いながら、その本を手に取り、おひねりで貰った千円の範囲内で買える840円の投資をして、本にカバーをつけてもらい、お金を払って本屋を出ました。

 この本に書いているように、人生とは選択の連続だとしみじみ思いました。この二日間だけでも、船にするか、列車にするか、何処に止まるか、何時の列車にするか、列車は指定席にするか自由席にするか、朝飯は何を食べるか、久しぶりに出会った友人に何を言おうか、講演ではどんな話をしようかなど、色々自分の心の中で小さいながら葛藤をして、自分なりに選択して過ごしてきました。その選択が100%パーフェクトではなかったと、思いつつ二日間の行動を思い出していますが、復水盆に返らずの例えの如く、今となっては諦めるしかないのです。
 この本に書かれているように、例えば健康の話しでも、早起きは三文の徳といわれる一方で、早起きは余り身体によくないとか、酒は百薬の長といわれるものの、酒を飲むと必ず脳細胞が壊れるという医師の話も、またタバコは百害あって一利なしといけれど、タバコを吸っていても百歳まで長生きしている人だっているというのですから、何を信じて選択すべきか、情報が錯綜して届くため大いに迷うのです。
 自分の道をどう探すか、「選ぶ力」という本を読んで益々私の選び方は混迷の度を深めたようですが、自分が正しいと思って生きることが何よりだと、納得した本でもありました。840円の知的進化のための投資は、既に十分役に立とうとしています。おひねりを下さった女性に感謝します。つり銭の160円は私の貯金箱に入れ、次の投資のために役立たせて下さい。

  「おひねりを 貰った金で 本を買う 選ぶ力が 迷い危ない」

  「人生は 毎日毎日 選択を しながら歩く 故に楽しく」

  「ああしもた あの時あれを あんなにと 反省するも 後の祭りに」

  「結局は 自分が決める ことゆえに 納得すれば それでまたよし」

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人間牧場

〇今日は忙しい一日となりそうです

 午前9時30分から子ども体験塾の開会式

 午前10時から従兄弟の一周忌の法要

 午前11時50分から三重県多気町の岸川さんとシーサイドで昼食会

 午後1時30分からウエルピアで高校生とまちづくりのサロン研修会(コーディネーター)

 午後5時から交流会

 午後7時一旦帰宅して長崎へ出発

 帰宅予定は21日午前中

 

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人間牧場

〇大根引きで腰を痛める

 昨日の朝は玄関先のメダカの水槽に薄く氷が張るほど寒い朝でした。いつもの通り書斎にストーブを入れてブログを書いていると、くじらという海産物のお店を営む妹みゆきが早朝、梅シロップで炊いたという秋刀魚の煮つけを持って来てくれました。これはクエン酸の作用で骨まで食べれるという絶品で、梅シロップを分け与えているので、こうして時々お裾分けしてくれるのです。
 帰り際妹が、「進兄ちゃん、よければ大根を30本ほど漬物用にくれない!」と言って帰りました。例年のことなので承知し善は急げとばかりに、朝食が終って孫を保育園に連れて行って帰ると、早速畑に出て大根を引き始めました。畑の大根の葉っぱも寒さで凍っていて、ゴム手袋をしていたものの引き抜く手もかじかむほどでした。

漬物用大根の丸干し
漬物用大根の丸干し

 とりあえず妹の30本を確保したので、次に自分の家の漬物用を20本引き抜きました。そこへ親父がやって来て、「漁協のおばちゃんにも持っていってあげたらどうか」と言うものですから、更に10本引き抜きました。その大根を水洗いするため外の水場まで運びましたが、ホースの中の水まで凍っていて、水がチョロチョロしか出ないのです。その水で少し洗い始めた頃ホースの水も溶け、やがて勢いのついた水で青首大根の土を落としました。水洗いした大根は目の覚めるような白さでした。
 水洗いした大根を6本ずつビニール紐で束ね、東屋の近くのステンレス製の手すりに吊り下げ終わった頃、腰に異常を感じ始めました。多分寒くて腰の筋肉が収縮しているのに、過度な労働がたたったようでした。

 部屋に入り手を洗ってストーブをつけ部屋を暖かくして、恐る恐る日ごろしている腰痛体操を始めましたが、余り無理をすると逆効果だと思ってコタツに入り、少し横になりましたが、明くる日からのハードスケジュールを思うと、一辺にやばいと思い始めましたがとき既に遅く後の祭りでした。
 「無理をするからよ」と妻になだめられましたが、時折入ってくる間近に迫った講演への対応等、寝ているわけにも行かず、また夜の人間牧場での新年会のことも気になって、気が気ではありませんでした。
 新年会を終えて11時前にわが家へ帰り、暖かい風呂に入り妻の勧めで妻専用の備え付けマッサージ器で背筋を少し揉み解して床につきました。その手当てが良かったのか、今朝は随分楽になって快方に向かっているようで一安心です。

 大根を60本引いたくらいで、腰を痛める私の体も相当体力が落ちているようです。これも歳のせいだと諦めることなく、腹筋や背筋を鍛えなければなりません。私は腰痛防止のため教えてもらった簡単なエクササイズを毎日朝夕やっていますが、今回の腰痛が軽度で済んだのも、やはりこのエクササイズのお陰だと、気遣う妻に自慢しましたが、妻は「私が勧めたマッサージ器のお陰だ」と譲らず胸を張るのです。
 さて今朝は腰の具合を気遣って、一日一万歩を目指している「早朝散歩をどうしようか?」と迷っています。過ぎたるは及ばざるが如し、されど前へ向かって一歩踏み出さなければ何も変わらないので、多少無理をしてでも一歩前へ踏み出そうと散歩に出かけました。今日も寒い一日のようです。
追伸
 昨晩人間牧場へ泊まった松本さんから8時過ぎに一報が入り、みんな元気で朝を迎えたようで、何よりでした。

  「大根を 60本も 引き抜いて 中腰作業 腰を痛める」

  「大根を 水で洗って 天日干し 自家製沢庵 できる楽しみ」

  「痛い腰 俺も歳だと 思いつつ コタツ温め 安静しばし」

  「無理せずに だけど一歩を 踏み出して 今朝も万歩の 一歩を記す」

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人間牧場

〇ナマズは地震を予知できるのか?

 「あれから早18年も経ったのか!」と、昨日の朝ふと18年前の記憶が蘇りました。
 私はその日の朝、いつものように4時30分に起床、開業もしていない新築なったシーサイド公園のイベントホールの中に設置した、アクリル水槽の中に入り、全身汗だくになって水を落とした連結水槽の掃除をしていました。突然4本の水槽の山際の一本から大きい西洋ナマズが勢いよく外床に飛び出しました。不思議に思い水槽から脚立に立って外へ出てそのナマズを拾い上げ、元の水槽に戻しましたが、五匹飼っていた西洋マナズが、全ていつになく興奮した様子で泳ぎ回っている様子にも少し違和感を感じました。再び水槽の中へ入り水洗いをしていると、今度はグラグラと水槽が動き始めたのです。定かではありませんが多分この揺れが阪神淡路大震災のあった、5時46分だったのです。

 家に帰り汚れた身体を洗うため妻の沸かしてくれた風呂に入っていると、妻が「お父さん、大阪が地震で大変なようよ!大ごと、大ごと!」と血相を変えてテレビの前で叫んでいました。何事かとテレビの前へ向かい、着替えをしながらテレビの前で釘付けとなりました。高速道路がまるで飴のように折れ曲がり、長田町の火災は火柱黒鉛を上げ、まるで戦争空爆映画のシーンでも見ているようでした。
 あの地震で6432人もの多くの人が犠牲になり、家屋やおびただしい社会資本が壊れましたが、時々訪ねる神戸や淡路のその後の復興は目覚しく、今はその跡形も見えませんが、今もその後遺症に苦しめられている人のことを思うと、3・11に起こった未曾有の東日本大震災を含めて、自然災害の恐ろしさやむごさを垣間見るのです。そして二度このようなことが起こらないようにと願わずにはいられないのです。

 それにしても昔から、ナマズと地震の関係はよく話題になるものの、科学的な証明はされていませんが、私がシーサイド公園のアクリル水槽で体験したナマズの興奮ぶりは、ナマズと地震の因果関係を示す上で貴重な体験といえるのかも知れません。最近は地震予知や津波予知の技術もかなり進んで、精度が高くなっているようには見えますが、それでも3・11地震の予知も津波の予知もできず、原発事故まで引き起こしたのですから、ナマズの予知能力の研究も、余り金のかからない方法なので、無駄ではないとも思うのです。
 3・11震災以来特に太平洋側の海に面した地域では、地震発生直後の避難経路や避難方法について、随分確保と訓練が進んでいますが、人間は18年も経つとそのことを忘れてしまうのです。60年も前の忌まわしい戦争だって、殆どの日本人の記憶から殆ど忘れ去られ、平和の尊さを忘れた日本人の言動が目立っています。2007・1・17(阪神淡路大震災)や、2013・3・11(東日本大震災)、1945・8・16(終戦)など、忘れて欲しくない忌まわしい記念日を、自分の誕生日以上に記憶に焼きつけていて欲しいと願っています。

  「アクリルの 水槽ナマズ 飛び出した 直後に地震 予知能力かも」

  「まず自分 高台逃げる 先決と 心がけるが 親父どうする」

  「ナマズ飼い 研究するも 一考と 神戸の地震 体験思う」

  「昨日さえ 忘れる歳に なったゆえ 十八年も 前のことなど」

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人間牧場

〇焚き火で焼いた焼き芋は美味しい

 「今日は天気もよいし温かいので、人間牧場にあるクヌギの木の伐採に行くので弁当を作ってくれないか」と、早朝ウォーキングを終えて7時30分にわが家へ帰り、食事をしながら妻に話すと、「困ったねえ、ご飯がないので弁当は作れない!」と言われました。「いっそのこと、カップラーメンでも・・・」と口ごもるので、「何でもいい」と返しました。「お父さん人間牧場へ行くのだったら、サツマイモとアルミホイルを持って行って焚き火で焼き芋をしたらどう」と、ビニールの袋にカップラーメン、サツマイモ、アルミホイル、みかん、お菓子、お茶などを詰め込んでくれました。

 昨日の人間牧場は温度が低かったものの穏やかで風もなく、農作業にはもってこいの一日でした。まず梅林の横に立っている大きなクヌギの木の横枝が梅の木の上を塞いで陰になっているので、枝に梯子をかけてチェンソーで切る準備をしました。アルミの二つ折り脚立を梯子のように伸ばし、梯子の上でチェンソーで枝を2回に分けて切りました。大きな音とともに枝は梅の木を巻き込んで畑に落下しましたが、それを薪の長さに小切りにして上まで担ぎ上げる作業は難儀で、この作業だけで大汗をかいてしまいました。小枝を放り上げて数日前残材を焼いた場所まで運び、杉葉をかき集めて火をつけました。

 もう一本のコナラの木は杉垣の根元に生えていて、いかにも癖が悪そうに節や曲がりが多くて、小切りしてもマサカリで割れるだろうかと心配しながらチェンソーで切りました。私が長年使っていたチェンソーは昨年焼きつかして廃棄処分となったため、叔父に貰った少し小型でコンパクトなチェンソーを使っていますが、エンジンの調子も切れ味も最高で、あっという間に全ての木を薪の長さに小切りし終えました。
 勢いよく燃える焚き火に残材を足しながら、小切りしたクヌギとコナラをマサカリで割る作業をしましたが、あれほどあった残材も跡形もなく燃やすことができ、焚き火には大量の種火があるので、妻の用意してくれた大きなサツマイモをアルミホイルで包み、火の中へ放り込んで上に火種を被せました。

美味しそうに焼けた焼き芋
美味しそうに焼けた焼き芋

 やがて12時のミュージックサイレンが鳴ったので、作業を中断し水平線の家の中へ入りガスコンロでお湯を沸かし、カップラーメンにお湯を注いで3分間蒸らし、ウッドデッキに座って食べましたが、肉体労働の後の食事は粗末なカップラーメンながら、とても美味しく感じました。一服した頃焚き火の中から木の棒でアルミホイルにくるんだサツマイモを取り出し、中を開けてみると程好い焼け具合の焼き芋が出てきました。焼きたての焼き芋はこれまた抜群の美味しさで、火傷しないようにフーフー言いながら一人至福の時を過ごしました。このサツマイモはわが家の菜園で秋に収穫した鳴門金時のようでした。

 

焼き芋を一人頬張る
焼き芋を一人頬張る

 余りにも大きな焼き芋だったので食べきれず、捨てるのも勿体ないので、新しいアルミホイルに包んで妻の手土産に持ち帰ってやりました。妻は夕食後のデザートに焼き芋を、電子レンジで温めて食べていましたが、「焼き芋はどんなスィーツよりも美味しい」と、喜んでいました。わが家では素焼きの焼き芋器を使って時々ガスで焼き芋を焼き、味を楽しんでいますが、やはり焚き火で焼いた焼き芋には叶わないと、手前味噌な自慢をしながら、塩味の効いたチリメンをおかずに美味しそうにほうばる妻の、幸せそうな笑顔を飽きもせず見ていました。

  「梯子掛け まるで軽業 チェンソー 怪我なく処分 ホッと一息」

  「クヌギの木 コナラも加え 薪を割る 一年分の 薪をゲットす」

  「焚き火した 残り火使い 芋を焼く アルミホイルで 焦げることなく」

  「フーフーと 言いつ頬張る 焼き芋の 味は絶品 一人楽しむ」

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人間牧場

〇わが家のお飾りはやし

 私が子どものころの田舎は、新正月と旧正月が同居していました。一年中に不幸のあった喪に服す家では、旧正月にお飾りをしたり、島や半島の農山漁村では遅くまで旧正月の風習が残っていたようで、民俗学者の宮本常一流にその実態を一度調べて見たい気もしていますが、平成に入って既に四半世紀、昭和は遠くなりにけりで、多くの伝統や風習が消えていこうとしていることは返す返すも残念です。
 変わったことといえば成人式です。何年か前までは1月15日が国民の祝日成人の日でした。ところが政府の誰がどんな思いで変えたのか、成人の日が第二日曜日の明くる日に変更され、主催する側の都合などで成人式を一日早めた日曜日にするところもあるようです。また成人の日恒例だったNHK青年の主張もいつの間にか姿を消してしまったようです。(ちなみに私は第14回NHK青年の主張の県代表でした)。

わが家のお飾りはやし
わが家のお飾りはやし

 成人の日の恒例行事としていたわが家のお飾りはやしも、祝日の変更で毎年やる日が変わりました。年末12月30日に戸口や神仏のあると思われる場所に飾っていた注連縄や注連飾りを1月14日に集めて、畑の隅に積み上げて火を放つのです。空気の乾燥しているこの時期なので藁でできている注連飾りはあっという間に燃え尽きます。煙や炎が無病息災に効くという昔からの言い伝えなので、あいにく家族の殆どは出払っていたので、私と親父で家族の分まで煙や炎を一身に受け、炎で鏡餅を炙って家に持ち帰り、昨日はその餅を焼いて食べました。
 こんな古い科学的には何の根拠もない神仏信仰の風習も、息子の代には多分消えてなくなるのでしょうが、せめて神仏に祈りを捧げて生きるような宗教心だけは持っていて欲しいと願っています。

 昨日は家の裏の急斜面に植えている柿の木の剪定をしました。見よう見真似の自己流なので、果たして正しいかどうか分かりませんが、新梢を短く切り詰めたり込み合った枝を鋸で切り落としました。真下が斜面の高い場所なので怪我をしないよう注意をしながら30分ほどの作業で終らせました。切り取った枝を集めて焼却場へ運び終えたところへ、保育園に通う孫たちが帰って来ました。「おじいちゃん、危ないから気をつけてね!」と、同居ならではの優しい励ましの言葉をいただきました。孫たちの目には木に登った私の足元が、おぼつかないように見えたのかも知れないと、一人苦笑しました。
 柿の木もスモモの木もまだ木々の芽は固く、春の足音は見聞きできませんが、お飾りはやしや剪定作業で春は確実に近づこうとしています。

  「正月に 飾った注連縄 畑隅 集め火放ち 息災祈る」

  「火と煙 身体にこすり 健康を 祈る老いたる 親子二人で」

  「お飾りを はやしてやっと 正月が 終ったような 気分になりて」

  「柿の木の 剪定作業 気をつけて 孫の声援 あり難きかな」

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人間牧場

〇舞たうん115号特選ブログ「shin1さんの日記」vol.22

 舞たうん115号の今月のテーマは「スポーツと地域づくり」で、次のような記事を書きました。送られてきた舞たうんを開けて読むと、いつもならの拙文に少々汗顔ですが、悔やんでみたところで、印刷物は覆水盆に返らずでどうにもならず、次回の頑張りに期待するしかないのです。
 毎日ブログを書き、幾つかの雑誌やミニコミ新聞などに原稿を依頼されて、普通の田舎のおじさんにしては文章を書いている方ですが、いかんせん知識の入力が疎かなため、書く視点が少々ボケている感じもするのです。相対して話す言葉は人の心に直接響くので、興味がないとそっぽを向かれたり眠られてしまいます。興が乗れば相槌や笑いの渦に巻き込んで、時には感動の涙さえ流してくれ、再度講演に招かれたりするのですが、ブログ・雑誌・ミニコミ新聞に書いた記事は、時には反論・異論・同調・同感のお便りをいただいたり、出会った時会話の話題になったりするものの、反応の度合いは鈍いようです。でも書いて印刷されたものは、切り抜いてスクラップにしたり、付箋をつけて保存しコピーしてその後も活用できる利点があるので、言葉に匹敵する大きな利点もあるのです。故に請われるままにこれからも、書くことも喋ることと同じように、大切にしたいと思っています。

舞たうん115号の表紙
舞たうん115号の表紙
特選ブログshin1さんの日記
特選ブログshin1さんの日記(ぺージ1)
特選ブログshin1さんの日記(ページ2)
特選ブログshin1さんの日記(ページ2)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「連載の 雑誌一冊 届きたる 中を広げて 少し汗顔」

  「喋るより 書くことの方 難しい 消しゴム消せず 記録に残る」

  「書くために 読んで知識を 増やさねば 間口奥行き 感じもせずに」

  「文よりも 遊びで書いた 巻末の 笑売啖呵 誉められ×××」  

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人間牧場

〇今年も水仙の咲く頃となりました

 「厳寒のほほえみ」と呼びたいような水仙が、双海町の海岸線にそろそろ咲き始めました。今年の冬はやけに寒く、暖地を自認するわが町でも、例年だと余り見られない氷が今年はもう何度も張って、首ををすぼめて春の来るのを待っていますが、今年は伊予路に春を呼ぶ旧暦の椿祭りも少し遅いようなので、当分はこの寒さも続きそうです。
 今年は水仙の開花が少し遅れていますが、今年も恒例の初春水仙祭りが、12日と13日の両日行なわれていました。人の来ない冬にこそイベントをやるべきだと主張して、私たちが始めた水仙祭りも、規模こそ縮小していますが、その後結成した花の会の皆さんが中心になって、水仙の切花を販売したり、下灘の水仙畑へいざなう等、それなりに頑張っているようです。

P1010016P1010017 私も花の会のメンバーから、「是非お越し下さい」とお誘いを受けていたので、島根県からはるばるやって来た南さんと二人で覗いて見ました。顔見知りの歴代の会長さんである戸田さんや久保さん、駒沢さんからおでんやおぜんざいの接待を受け、また漁協女性部の皆さんにはよもくれ団子汁をご馳走になりました。この日は午前中から人間牧場で薪割りや残材焚き火をしていたため、昼ごはんを喰いっぱくれていたので、とても美味しくいただきました。一日目は気温が低く底冷えはしたものの好天でした。二日目の昨日も夕方から雨になったものの何とか風のない天気が持って、まずまずの人出にだったようでした。
 金山泰盛さんが自分のみかん畑を開墾して水仙畑にした下灘の水仙畑も息子さんの洋一さんに引き継がれ、双海町の春の風物としてすっかり定着し、大勢の人が訪れるようになったことは何よりも嬉しいことなのです。泰盛さんが存命中、「水仙は水と人と山」と説明していましたが、地理的には比較的日陰の北に面した場所を好みます。また水仙には色々な種類があるもののやはり気品と香りの王様は、金冠のある自生の日本水仙が一番のようです。

水仙の開花を告げる新聞記事
水仙の開花を告げる新聞記事

 水仙や菜の花、ツワブキ、バーベナテネラ、アジサイ、桜、杏などなど、双海町の地域づくりにおいて深く関わってきた花々との関わりを思い出しながら、当初目指した花咲くまちづくりもそれなりに定着していることを嬉しく思うのです。しかしながら20年前青年たちの手によって植えられた桜も、カズラが巻きつき、荒れたままになろうとしていることは、返す返すも残念で、時々ハサミと鎌を持って国道沿いの桜に巻きついたカズラを人知れず一人で切ってはいますが、追いつかないのが実情です。花は思いがないと美しく咲いてくれません。花が咲いた時だけ楽しむような心がけでいい花は咲くはずもないのです。手塩にかけて育ててこその花なのです。今年は私の発案で子ども体験塾で、桜のカズラ切りがプログラムに組まれているようで嬉しい限りですが、花を愛する優しい心を持った子どもに育って欲しいと祈っています。

 

 

 

 

  「寒いけど 今年も水仙 咲く頃に 新聞記事で 風物を知る」

  「来ませんか 花の会員 声をかけ 出かけ接待 ぜんざいおでん」

  「歳ですよ 言いつつ笑顔 振り撒いて 今年も元気な 顔々出会う」

  「花を売る おばさん笑顔 花よりも 素敵とお世辞 いいつつ愛でる」

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