人間牧場

〇ジャガイモの植え付け

 このところ朝晩は寒さを感じるものの昼間はすっかり春めいて、冬の間陽の当たらなかった家の横の家庭菜園も、次第に陽の当たる時間が長くなって、草も木を一斉に動き始めたようです。春は余程注意をして農作業をしないと、足繁く降る雨にたたられ一週間も作業が遅れるので、昨日は少し土が水分を含んで柔らかいかな?と思うほどでしたが、午前中スケジュールが空いていたので、一人畑に出てジャガイモの植え付け作業をしました。
 まず定規縄を張って先日耕運機を掛けていた空き地に、巾鍬で等間隔に溝を掘り畝を立てました。ジャガイモの畝は少し低めにしておかないと、芽が出て茎が大きくなると根寄せをして、芽が傷まないようにしなければならないのです。これも長年といってもこの10年ほどの農作業で体験した生活の智恵なのです。また出た芽を2つぐらい残して切り取る作業をすると、茎の養分が芋の成育に回り、数は少ない苦なるものの比較的大きなジャガイモができるのです。

男爵を植えた畑
男爵を植えた畑

 一番広い畑に男爵を2列(約3キロ)、北こがね2列(約3キロ)を植えました。この作業が終ったころ近所に住む姉がやって来て、菜園の隅に引き抜いておいたチンゲンサイの花芽をおひたしにするから欲しいと摘み取り始めました。ホウレンソウや聖護院大根、白菜も引き抜いて渡すと野菜派の姉は喜んで持ち帰りました。ついでにホウレンソウを切り取って若嫁にも渡してやりました。
 少し短めの畝4列に残りのジャガイモを植えたついでに、菜園の一番横の空き地を利用して一本畝を立て人間牧場から持ち帰った残りのコンニャクイモを2列植えました。こうしておけば秋には立派な3年物の種芋が確保できるかも知れません。

 植えつけたジャガイモやコンニャクイモの上に用意しておいた籾殻を2つかみずつ置きました。そしてその上に先日30袋も買った牛糞をたっぷり乗せて行き、最後は化学肥料を少しパラパラと撒いて、一応予定していた作業を終えました。
 農作業中何度かズボンのポケットで携帯電話がなり作業を中断して自宅に戻り、スケジュール表を見て対応したり手を取られましたが、何とか11時40分には全ての作業を終えることが出来ました。昨日は午後1時50分から由並小学校の間もなく卒業する6年生に、お話を頼まれていたので、急いで手足を洗い食事をして思いつくまま用意をしました。
 春が来たことを実感するように、裏山に置いた蜜蜂の巣箱の前では、冬を越したと思われる種蜂たちが飛び始めました。小動物たちも春が来たことを喜んでいるようでした。私もこの時期にしか味わえない春の息吹や足音を、思い切り楽しみたいと思います。

  「春が来た そんな実感 するように 草木や蜂が 目覚めて動く」

  「畝を立て ジャガイモの種 植えて行く 籾殻布団 優しくかけて」

  「農作業 しながら電話 対応す 一石二鳥 いやはや忙し」

  「冬野菜 採った畑が 寂しそう 残りしっかり 食べて健康」

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人間牧場

〇菜の花ウォークを楽しみました(その2)

 閏住の菜の花畑を出発した私たちは、石の久保から石田の店や大崎商店の裏側旧道を通って、魚吉近くまで歩き、一気に唐崎公民館横の夕観所まで休まず歩きました。孫たちにとっては多少きつくなる頃だったため、夕観所でリュックから取り出したチョコレートやお菓子を食べ、ポカリを飲んで喉を潤しました。この日は天気が良かったためライダーも多く、私たちが休んでいる間にもひっきりなしに単車が止まり、多くの人がのんびり休憩して楽しんでいました。近くでは近所に住んでいる中村の千春ちゃんが、街路樹に植えている松の剪定をしてました。ここら辺の人たちは街路樹の剪定をボランティアで行なってくれているのです。お陰で綺麗な松並木が保たれています。

夕観所での最後の休憩
夕観所での最後の休憩

夕観所には大きなナマズのモニュメントが置かれています。瓢箪とナマズをあしらったモニュメントはとてもユーモラスで、孫たちはこのモニュメントによじ登って記念撮影をしました。
 街路樹として植えている杏や桜のつぼみもいつの間にか膨らんで、早いものは今にも咲きそうな感じがしました。やがて三島神社を過ぎると、孫たちは見え隠れする目的地のシーサイド公園が近づいたため、一斉に走り出しました。私も負けじとばかりに走りましたが、孫たちの馬力には付いてゆけず、孫奏心と息子とがどん尻となりました。
 孫たちは早速シーサイドの海岸渚に降りて、貝を拾ったりして遊んでいましたが、歩いたご褒美にレストラン夕浜館で食事をすることにしました。孫3人はお子様ランチ、迎えに来てくれた妻と嫁を加えた私たち4人は半チャンセットを注文して、楽しいい昼食会となりました。

ナマズのモニュメントに登ってはいポーズ
ナマズのモニュメントに登ってはいポーズ

昼過ぎになると長浜を出発した500人余りのウォーキング集団が帰ってくるのを見越して、市長選に出るジャンバーを着た人たちが幟旗を持って右往左往していました。少ないチャンスをものにして、したたかにさりげなくアピールしたり顔を売ろうとしているようでした。
 途中高知県大月町の道の駅の山本さんから携帯電話が入り、こちらへ来ているついでに出会いたいというのです。親しい知人なので午後2時に自宅で出会うことにして自宅に戻りました。孫たちは少し疲れたのか昼寝をしたり、勉強をしたりして思い思いに過ごしていたようですが、私も携帯の万歩計が久しぶりに1万5千歩を超えて、いい休息日となりました。おっつけやって来た山本さんと1時間ばかり、書斎で地域づくり談義に花を咲かせましたが、地域づくりや特産品づくりも少し時代の流れが変わってきたようだと、お互い肌で感じる思いを確認しあいました。

  「三歳の 孫を含めて 六人で 歩いた七キロ 春を探して」

  「一日で 一万五千歩 越え歩く いやはや爽快 春の一日」

  「ご褒美に お子様ランチを プレゼント 爺婆財布 ゆるみっぱなし」

  「久方に 隣の県の 友人が わが家を訪ね あれやこれやと」 

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人間牧場

〇小さな指摘の大きな赤恥

 昨晩出張先広島県竹原市からの帰宅のあと、再び集会に出かけ再帰宅が遅かったため、昨日届いていた手紙を開封して読む暇もなく、孫と一緒の布団に眠ってしまいました。少し早く寝たお陰で今朝はスッキリした気分で、いつものように午前4時きっかりに目が覚め、身支度を整えて書斎に入り手紙類に目を通しました。
 最近は封書の封筒紙色も茶系統だけでなくカラフルになっていて、その中に少し色のついた馴染みの手紙を見つけました。「五行歌の見山あつこさんからだ!」と思い、一番に封を切りました。毎月初めに届く幸便には、歌会の結果が微細に載っているのです。私の今月の欠席歌は次のとおりです。

  一万歩歩くのが目標
  千歩歩けば1/10
  更に千歩で2/5
  分数って面白いなあ
  もっと歩こう

 こう書いてメールで送ったのですが、歌会で次のような指摘があったようです。
 ☆健康のために始めたウォーキング、こんなふううに自分なりの楽しみ方を見つけて歩くのもアイディア  
 ですね。子どもたちには生きた算数になるかも。ところで三行目の分数2/5ですが、千歩と千歩=二千歩
 なら
ば、一万歩の1/5ではないですかという指摘が。でした。
 後日作者に確かめたところ、三行目は、更に千歩で1/5に訂正との連楽がありました。原稿チェックの段
 段
階で気付かなかった見山のみすであります。お詫びして訂正します。と訂正文まで載せていただきまし
 た。
これは私のミスで、見山さんのミスではなく、お詫びして訂正させてもらいます。ああ恥ずかしいっ
 たらありゃしないですね。算数の苦手が思わぬところでボロを出してしまいました。

 今月の出席歌一席は沖野美恵子さんの次の歌でした。
  梅一輪
  ほのかに香りて
  春の足音
  わたしのこころも
  春支度

 今月の欠席歌の一席は和子さんの次の歌でした。
  吐く息の
  白い朝
  雲間から差す光が
  暖かく私を包む
  幸せな一時

  「分数が 違うとメール 指摘あり 利口ぶっても 実力なくて」

  「長い文 難しけれど 短文も 難し過ぎて 全て難し」

  「風流と 風刺間違え 五行歌で いつも笑われ いつも選外」

  「知識なきゃ 智恵は生まれぬ ゆえを持ち 遅いけれども 知識の貯蓄」

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〇広島県竹原市での講演会(その2)

 今日の集会は二本立てになっていて、最初は平成24年度公募型補助金活動報告会で、その後が私の基調講演でした。発表報告会は今年度の公募型補助金採択事業となっている竹原商工会議所女性部の「~あなたを待っている人がいる~婚活事業マリアージュ」と、忠海地域文化伝承協議会の「三次街道を活かした忠海地域活性化プロジェクト」の二つでした。
 女性部は「会員の出会い・交流の場を創出し、縁結びの機会を提供するとともに、まちづくりへの参加意識を持った若い人材を育成するため、憧憬の路でのオブジェ制作・展示など会員で構成する実行委員会が企画運営する、事業を展開した様子が紹介されました。
 また忠海地域文化伝承協議会は「三次街道を介して結ばれた忠海と三次の交流を深め、相互の地域資源の再発見及び歴史・文化の意識向上を図るため、団体間の相互交流や調査研究を通じた街道マップの作成などを目指した活動が紹介されました。

 発表に対してそれぞれ私が求められてコメントを話し、今後のあり方について少し突っ込んだ話をさせてもらいましたが、私の話の時間に発表時間が少し食い込んでしまい、はてさてどうしたものかと思案しながら演台の前に立って、「地域づくりの新しい風」という演題で、12時10分までお話をさせてもらい、質疑を受けて終了しました。参加者は熱心な人が多く多少時間が押しても立つ人もなく、盛り上がった話で終ったように思いました。終了後近くの料理屋さんに繰り出し会費制の昼食会が持たれましたが、所変われば品変わるで、私の注文した野菜定食は今まで食べたことのないような料理方法と、ボリュームで満足の手合いでした。食事をしながらまちづくり談義に花を咲かせましたが、とても充実した交流会となりました。

 私は昼食が終るともと来た道を引き返し、しまなみ街道を通って帰路に着きました。途中松山の友人宅へ打ち合わせのため立ち寄ったため、帰宅は6時前となりましたが、往復350キロの行程はとても順調で、双海の海に沈む美しい夕日を見ながら広島行きの全行程を終えました。広島で朝日を拝み、愛媛で同じ太陽を夕日として見送りました。たった一日の出来事でしたが、充実した一日だったように思うのです。
 自宅へ帰ると松山に住んでいる娘の子ども二人が、泊まりにやって来ていて、わが家は蜂の巣をつついたような賑やかさでした。まあこれもまたよしで、娘が中学時代の同級会に出かけているようなので、今夜は孫たちと一緒の布団に寝る予定です。幸せです。

  「即興で 発表対し コメントを するも難し 聞くも難し」

  「発表に 食われて時間 短くて 仕方がないか 俺は脇役」

  「飛び込んだ 店の料理は 飛び切りで いやはや満足 久しぶりだな」

  「行く道と 来た道同じ 一人っきり 歌等歌い 陽気に帰る」

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〇四国に春一番が吹きました

 「春一番」といえば、本当は漁師泣かせの春の嵐で、忌み嫌うものなのですが、季節が冬から春に向かう天気の変わり目なので、今年のように冬が寒いと事の他待ちどおしく感じて、この日を一日千秋の思いで待ちました。今日から3月ということもあって、春一番の強い南風も、またその降り始めたかなり激しい雨も、どこか浮き浮きといった感じで、前年より16日も早い春の使者に心をときめかせているのです。
 今日3月1日は愛媛県下の県立高校の卒業式の日です。愛媛県立松山工業高校の学校評議員を長年にわたって務めている私にとっては、すっかり毎年の恒例行事となっていて、今日も卒業式で混雑が予想される交通事情を考慮して、9時過ぎに学校に到着するよう少し早めに出かけました。春風が吹く中、車を走らせましたが、心配した混雑にも合わず来賓では私が一番早く到着しました。

 去年も喜多岡校長先生は最後の卒業式でしたが、今年の安田校長先生も今年で定年退職のため最後の卒業式のようで、思い出深い記憶に残る卒業証書授与式となりました。体育館に在校生が整列して卒業生を最前列に拍手で迎えました。ドボルザーク作曲の交響曲第8番第3楽章がブラスバンド部の皆さんによって演奏され格調高く開式されました。今年は担任の女性の先生も和服で先導するなど見所いっぱいでした。
 松山工業高校の卒業式に出席していつも思うのですが、3年間皆勤が今年も117名もいたようで、実業高校ならではの快挙のような気がしました。安田校長先生の式辞も、在校生送辞や卒業生答辞もすべて完璧で、締めくくりに歌った百錬鉄の校歌も抜群でした。

 学科ごとに立ってお辞儀をし、「ありがとうございました」と揃ってあいさつをした卒業生の声がとても印象的でした。卒業生はこれからそれぞれの進路を目指して新しい一歩を歩み始めるのでしょうが、この高校を卒業した3人の息子のように、途中挫折したり進路を変えたりしなければならないこともあるでしょうが、わが息子のように普通でいいから一生懸命生きて欲しいと願っています。
 長男は建築科を出て、会社は変わったものの設計の仕事を今も続けています。次男は機械科を出て就職していましたが、一念発起して看護学校へ行き、看護師の資格を取って今は日赤の看護師として働いています。三男は機械科を出て大学へ進学して就職しましたが、その後警察官を志望して、今は生活安全課の刑事をして頑張っています。まあそれぞれですが、普通の人として普通に生きているようで何よりです。

  「春一番 吹いて浮き浮き 春が来た 三寒四温 やがて桜が」

  「これまでに 何度出席 したことか 卒業式は どこかしんみり」

  「わが息子 三人ここを 巣立ったが 今は別道 それもまたよし」

  「ありがとう 大きな声で お礼述べ 会場を出る 頑張れみんな」

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人間牧場

〇広島での講演会(その2)

 講演が始まる前、「少し人集めの努力が足りなかったですね!」と、私を呼んでくれた宇田和博さんがバツが悪そうにポツリ私に話されました。「そんなことはないですよ。地域づくりは数で勝負ではなく、どんな熱い想いの人が集まるかですから!」とお話しをして講演を始めましたが、時間が過ぎるにつれて席が殆んど埋まり、ライオンズクラブ主催といいながら一般の参加者も多く、講演が終わった会場では持参した80枚の名刺が底をつくほど、名刺交換の長い行列ができ、自著本へのサインを求める人も沢山ありました。私は自称「字の下手な男」ですが、下手を悔やんだところで道は開けないと思い、下手糞ながら自信を持って人前でサインを書いているのです。昨日は私の座右の銘と思っている、「人でも仕事でも愛する所に集まってくる」と、広島上下町(今は府中市)に住んでいて先年亡くなった、友人の森岡まさ子さんからいただいた「逢う人も逢う人もまた福の神」という、2つの言葉を選んで書きました。

昨日の講演会のチラシ
昨日の講演会のチラシ

 昨日は夜の会が予定されていたため、幾分先を急ぎました。ホテルの支配人さんに予めタクシーの手配をお願いしていたため、30分の移動時間を見越して、予定の午後4時5分前にホテルを出ることができました。新型プリウスのタクシー運転手さんはこの時間の交通渋滞予想が分かるのか、電車通りではなく大田川の沿線を走り、10分前には船着場に到着してくれました。「20円おまけして1800円です」と言われ、財布から2000円を出し、「お釣りは結構ですたばこ銭にして下さい」と、これまた気風よく200円を差し上げ、大いに喜んでくれました。私にとっては200円の大判振る舞い(笑い)でした。
 帰りの船は途中呉港に立ち寄らない直行便なので、10分短縮した70分で松山観光港に到着しました。

 駐車場の駐車料金は僅か500円でした。車の右側に広がる梅津寺沖の海に大きくて真っ赤な夕日が沈もうとしていました。昨日の朝の愛媛新聞朝刊一面に閏住の菜の花畑が黄色い色鮮やかに紹介されていました。「菜の花や 月は東に 陽は西に」という句や双海の夕日を思い出しながら、次の集会の会場となっている松山市内へ入り、予定された会合にピッタリセーフでした。呑み会だったので小腹の空きを埋めながら、「今日も忙しい一日だった」とカバンの中の予定表を取り出し、明くる日の予定に目をやりました。明日は近所のおばあちゃんが亡くなっているので午前中葬儀に出席、午後は国立大洲青少年交流の家の運営委員会が予定されているようです。忙しくも充実した日々で、私としては重症気味だった風邪もいつの間にか直って、薬を飲むことすら忘れているのです。そういえば忙しくて自分のブログを書くのがやっとで、メールの整理も友人のブログ愛読も、遠ざかっていることに気がつきました。「いかんいかん」です。

  「この本に サイン書いてと 頼まれる 大衆面前 顔を赤らめ」

  「何げなく 一日過ぎる 忙しさ これでいいのか? これでいいのだ!」

  「20円 負けときますと 運転手 これはチップと 200円出す」

  「今日もまた 多くの出会い 重ねたり 名刺めくりつ 顔々浮かべ」

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人間牧場

〇今日は一日広島へ出張です(その1)

 広島双葉ライオンズクラブの招きで、今日はこれから松山観光港へ行き、連絡船で広島宇品へ渡ります。講演は午後からなので終わって帰るのは夜遅くになりそうです。今日は海を渡るので「海外旅行ですよ~」。報告は帰ってからにします。行ってきます。

 

手前が新しい橋、向こうが古いループ橋
手前が新しい橋、向こうが古いループ橋

 今朝こう書き残して家を出ました。今日はラッキーにも家を出る時は、霧のような小雨が降っていましたが、重信川にかかる大橋をわたる頃になると雨は止み、妻が持たせてくれた傘が恥を書きそうな雲行きでした。観光港前の馴染みの駐車場に車を置いて高速船に乗り込みました。いつものことながらこの高速船は松山と広島を僅か1時間10分で走る優れものながら、船賃は飛行機並みで、片道6900円もするのです。私の場合はシニア割引制度があって、免許証を提示すれば20%も安くなるのです。それでも往復1万円は割高で、時間に余裕がある人は片道半額のフェリーを利用しますが、時間は2時間30分かかるのです。

呉港の大和ミュージアム周辺
呉港の大和ミュージアム周辺

 今日の瀬戸内海は穏やかで波風も殆どなく、芸予の島々を左に右に見ながら進みました。音戸の瀬戸にはループ式の橋が架かっていますが、最近その橋と並行して高速道路の新しい橋が架かっていました。高速船やフェリーで何度もこの細い運河のような瀬戸を通過しましたが、清盛ゆかりの音戸の瀬戸を通る度に、平清盛が沈み行く夕日を扇で止めたという逸話を思い出すのです。
 高速船は途中呉の港に立ち寄ります。ここは戦前は海軍、戦後は海上自衛隊の重要な港となっているのです。周りには平和な世の中ですが潜水艦や軍艦が何隻も係留されていて、また近くの造船所のドッグでは10万トン以上の山のような大きな船が造れています。また呉港には大和ミュージアムや潜水艦を屋外展示していて、船の上からもそれらの幾つかを見ることができるのです。

会場に飾られた私の講演会演題
会場に飾られた私の講演会演題

 宇品に着くと、紙屋町行きの市内電車に乗りました。今日の会場は袋町にあるエンジェルパルテというホテルなので、電車を降りてゆっくり歩いて会場へ行きました。玄関で今回口をついてくれた宇田さんが温かく迎えてくれました。早速控室に入り、私の講演の後で講演する予定の山本みずきさんと二人、別室へ案内され、用意してもらった美味しい昼食をご馳走になりました。山本さんは福岡県にある筑波女学園の生徒会長を務める高校三年生で、既に慶応大学法学部に進学が決っているという才媛でした。若い人との交流は何かパワーを貰ったような力強さを感じました。
 13時に開会し13時10分から時間通り90分間「地域おこしの智恵」というタイトルで、話をさせてもらいましたが、いやはや終始和やかな雰囲気の講演会となりました。私は講演会が終ると放免だとばかり思っていましたが、30分の山本さんの話が終ると、司会を交えて3人の鼎談が予定されていて、その間受付で参加者が買った私の自著本にサインを求められ、名刺を交換したりサインをしたり、汗だくのとなりましたが、乱筆ながら何とかその場をしのぎ、名刺も持っていった80枚近くの名刺がまったく空になる盛況ぶりでした。

  「雨上がり 傘が恥かく 春の朝 高速船は スイスイ走る」

  「歳をとる つまらんことと 思いきや シルバー割引 顔がほころぶ」

  「広島は 訪ねる度に 街の顔 変わり驚く 百万都市だ」

  「原爆が 落ちて壊滅 したけれど 助ける人なし 自助努力にて」

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人間牧場

〇久しぶりに三崎半島を訪ねる(その②)

 三崎13里といわれる細長い半島も、整備された道のお陰で私たちの町からでも、ほんの1時間半足らずで行くことができるのです。昨晩は午後7時から三崎町の青少年補導委員会から講演の依頼があり出かけました。三崎中学校に勤める浅野先生とは、先生がかつて国立大洲青少年交流の家で3年間勤務していた頃知り合いました。以来最も近しい友人として交遊を暖め、わが年輪塾のメンバーにも名を連ねているので、私の友人たちとも仲間となって、日々研鑽を積んでいるのです。浅野さんは自分の出身地旧三崎町二名津平磯に喜久家プロジェクトという古民家を使ったマンパワーの交流施設を弟さんとともに立ち上げ、農業体験のできる国際交流を行なっているのです。ブログ記事も毎日のように書いていて、お互いがリンクしながら研鑽を積んでいるのです。

 夕食でもご一緒にと誘われていたので、フェリー乗り場近くの喫茶店で美味しいチャンポンをご馳走になりながら二人で、久しぶりに四方山話に花を咲かせました。伊方町役場三崎総合支所の2階会議室で開かれた昨日の研修会には、50人近くの人が集まっていました。三崎へは何度も足を運んでいるので顔見知りの人も多く、アコウ樹の下で偶然出会った町見郷土館の高島さんが連絡したという塩成の緒方二三子さん、喜久家に逗留している外国人等まあ賑やかな顔ぶれが集まりました。
 演題は浅野先生がつけた「ミラクル高校生! ~地域を変える風~」でしたが、1時間10分間思いつくままに話をさせてもらいました。浅学な私の話でも皆さん熱心に聞いていただきました。

 昨日は満月で、帰るころ見上げた三崎半島の夜空に、丸いそれは綺麗なお月様が印象的に見えました。浅野先生の弟さんからデコポン等を一箱お土産にいただき、月明かりの夜道をほのぼのとした気持ちで引き返し、無事10時頃自宅へ到着しました。
 私は行く先々に心許しあえる老若男女を問わない友だちが沢山いて、とても幸せな人間です。昨日は中学校2年生の生徒さんがお母さんと一緒に私の話を聞きに来てくれました。帰り際声をかけ名刺を渡しましたが、私にとっては忘れれられない出会いとなりました。また田村さんは伽藍山の農地を借りてサツマイモを栽培し、地域づくりに一生懸命取り組んでいて、企業組合さだみさき自然塾を立ち上げたと、永井さんという若い人を紹介してくれました。私にとってはこれらの人をつなぎ合わせて、小さな力を大きな力にしてあげるサポートも欠かせなボランティア活動のひとつなのです。さあ浅野さんたちともう一分張り頑張りましょうか。

  「半島の 見上げた空に 真ん丸い 月が微笑み 仲間を照らす」

  「あの人も この人さえも 知っている 軽く会釈し 話聞き入る」

  「少子化と 高齢化同時 進行す 田舎は何故に 疲弊するのか」

  「私など 田舎暮らしを 楽しんで 今日も元気に 家族とともに」

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人間牧場

〇人間牧場へリーダー養成塾の修了生がやって来ました

 東京にある財団法人地域活性化センターから、「全国地域リーダー養成塾『中国・四国ブロック情報交換会』を人間牧場で開きたいので終了生の前で話をして欲しい」と依頼の文章が届きました。修了生の一人である松本宏さんが絡んでの企画なので喜んで場所を提供し、喜んでお話をすることにしました。参加者は13名ほどでしたが、前日ウエルピア伊予で開かれたえひめ地域づくり研究会議のフォーラムとジョイントしていたため、前夜その交流会に参加していたこともあって、全員との面識もありいい研修の機会となりました。

 私は前日妻に頼んで用意してもらっていた、かまどご飯と味噌汁の食材、それに調理用の水を軽四トラックに積み込み、自宅を午前8時前に出発しました。昨日は少し北よりの風が吹いたいたものの、春の到来を思わせるようないい天気に恵まれました。人間牧場に到着するなり早速先日灰を取り除いて掃除をしていたストーブに、杉葉を使って火を焚きつけ薪を入れて暖をとりました。ストーブは次第に勢いを増して、部屋中がすっかり暖かくなりました。やがて地域おこし協力隊の富田さんやまちづくり学校双海人の校長である浜田さんも姿を見せ、掃除や炊事の準備を手伝ってくれました。

話をする私
話をする私

 やがて松本さんと米湊さんに連れられた修了生たちと、主任講師の明治大学の小田切先生たちがやって来ました。私は味噌汁やご飯を炊く準備をしながら、1時間余り地域づくりの心構えについてお話をさせてもらいましたが、参加している修了生は北は北海道から南は九州鹿児島まで、意識の高い人ばかりで多いに盛り上がりました。
 ご飯を2釜、味噌汁を一鍋作り11時30分から、まさに一汁一菜の質素な食事会となりましたが、皆さん美味しいを連発しお代わりをしてくれ完食でした。妻の用意してくれた鱧やワカメ等の食材も完璧で、ギノー味噌さんからいただいた味噌を味噌汁にしたり配ったりさせてもらいました。

全国から集まった地域どくりリーダー養成塾修了生の皆さん
全国から集まった地域づくりリーダー養成塾修了生の皆さん

 12時過ぎに皆さんは人間牧場を下りましたが、私と浜田さんは残って沸かしたお湯で食器やは釜、鍋を丁寧に洗い後片付けをしたあと、薪割を終えて放置している薪をピザ釜裏の倉庫に積み上げる作業をしましたが、人間牧場・年輪塾塾生第一号の浜田さんはいつもながらの手助けで、大いに片付き大いに助かりました。
 その後、浜田さんと私は西岡さんからいただいていたブルーベリーの苗木を、ウッドデッキ下の斜面にスコップで穴を掘り植栽をしました。この場所は赤土の強酸性土質と思われるので、立派に根付いて欲しいと願っていますが、小鳥の食害に会わないようにしたいものです。ああ機能も充実したいい一日でした。

(追伸、北海道鵡川町から、徳島県佐那河内村から、山口県周防大島町からそれぞれ参加した研修生がいて、知人友人の消息を聞き、世の中の狭さと人の縁の不思議を多いに感じました)

  「集まりし 心ある人 前にして 熱入れ話す 思いつくまま」

  「へえ~ここが 人間牧場 感心し そこここ見つつ 話聞き入る」

  「かまど飯 味噌汁炊いて さあどうぞ ここじゃあこれが 最高贅沢」

  「かまど飯 味噌汁全て 順調に 炊けるようなる これも裏技」

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人間牧場

〇愛媛大学教育学部長三浦先生と人前で対談をしました(その3)

 私がまだ駆け出しの公民館主事だった頃、「連帯を育む教育はいかにあるべきか」というテーマで、鼎談をやるからその1人として参加して欲しいという誘いがありました。2人でやるのが対談、3人でやるのが鼎談くらいしか知らない浅はかな私でしたが、何にでも面白そうだからと首を突っ込みたくなる性格から、前後の見境もなく引き受けてしまったのです。鼎談の相手を聞いて驚いたのは、愛媛県小中学校長会長と国立愛媛大学教育学部長でした。愛媛県公民館連絡協議会主事部会長とはいいながら、何の肩書きもない平の主事の私が何故鼎談者の一人に指名されたのかは今も闇の中ですが、一日がかりの鼎談の模様はテープお越しされて、分厚い箱入りの本になって今も書斎書棚の隅に汗顔ながら残っているのです。

 鼎談が始まる前、教育学部長さんが私に、「若松先生はどこの学府をご卒業ですか?」と唐突な質問をされました。私は人の値打ちを学歴で測っていることに少し苛立ちを覚え、「はい私は公民館大学に在学中です」と学歴詐称のような言葉を返しました。学部長さんは首をかしげ、「はてそんな大学何処にありましたかしら?」と、軽くいなされました。
 やがて鼎談とお礼に設けてもらった食事会が終わり、会場を後にして玄関を出ると、学部長さんが追いかけてきて私に、「若松さん私はあなたに何処の学府を出ているか等と、大変失礼なことを申しました。私は職業柄、その人の値打ちをついつい学歴で推し量るような癖になっていました。あなたの言うように人間は学歴ではなく学習歴だと思うのです。お許し下さい」と深々と頭を下げられました。
 何の学歴もない私は以来ずっと、学歴を問われる所へは行かないようにしていますが、今もほろ苦い経験として脳裏に焼きついているのです。

 偶然ですが、人間こそ違え愛媛大学教育学部長さんと私との対談が組まれました。色々悩みましたが、三浦先生の書かれた文章を新聞の四季録というコラムで読んでいたし面白そうなので、自分の低脳や浅学も省みずあっさり引き受けてしまいました。
 結果は三浦先生の素晴らしい誘導で、何とか恥をかくこともなく約一時間の対談を無事終わることができましたが、大いに汗顔で、中身を反芻して文章にまとめることだけは記録に残るからするまいと、心の中に終いこみました。
 それにしても三浦先生は実に人間的に味のある方で、一回会っただけなのにもう100回も会ったような感じのする、また会いたいと思う人でした。

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