人間牧場

〇会社の浮き沈み

 昨日突然自宅へ、「在宅なら是非お会いしたい!」と、昔町の広報を担当していた頃、広報を印刷する会社に勤めていたAさんから電話が入りました。子ども教室の閉講式が終って帰宅後、少し遅い食事をしていたところだったので、「在宅なのでどうぞどうぞ」とお話しました。1時間余りしてAさんはわが家へやって来ました。印刷会社の双海町役場広報担当や、その後会社の役員をしていた頃と比べると、歳をとったせいか少しスリムになっていましたが、相手が私を見ると同じように感じるだろうと思いつつ、昔話に花を咲かせました。聞けばAさんが勤めていた頃の会社は、松山市内でも一・二を争うような大きな印刷会社でしたが、その後社運が傾き社長や会長は、私財までも失う不運に見まわれたようでした。風の噂でその話は幾らか聞いてはいましたが、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いだっただけに、社長や会長の末路が気になりました。

 Aさんはその後その会社を退職して1~2別の会社を渡り歩き、今も印刷に関連のある別の会社で働いているようでした。いただいた名刺の肩書きには〇〇会社プロデューサーと書かれていました。私に是非目を通して欲しいと持参した、ある街の写真集を見て、Aさんが私に何を言いたいのか、おおよその検討はつきましたが、自由人になった私にはもう、Aさんの要望に応えるだけの地位も能力もないので、そのことだけはお話をしました。
 Aさんは私より5つくらい年下ですが、少しやつれたように見えるその姿に、企業戦士として生きてきた苦悩の半生を垣間見る思いがしました。と同時に会社の経営の難しさを思うのです。私が広報を担当していた頃の印刷業界は、建設土木業界とともに最も華やいだ時代でした。週末には社員がゴルフコンペ旅行に海外まで行き、33ナンバーの県知事に匹敵するようなデラックスな車を乗り回し、わが者顔で走らせていました。また著名人の集まりにも上席が用意され、私などの下々は近付けないような雰囲気でした。

 パソコンが普及するにつれて、ペーパー印刷業界は一気に構造不況業界へと転落し始めました。ペーパーレスの現代を思えば、今も将来も印刷業界が上向く気配は残念ながらないのです。この会社は多額の負債の85パーセントを債権放棄してもらい、経営陣が退陣し何とか生き残っていますが、天国と地獄は裏表だとしみじみ思うのです。
 Aさんは私の書斎で1時間ばかりお話をして帰られましたが、羽振りの良かった社長さんや会長さんとは親しく声をかけてもらった間柄だっただけに、寂しい気もしました。社長さんや会長さんのように一花を咲かせた訳でもなく、無位無官の身で生きている自分の今を思うと、失うもののない自分の身軽さに多少なりとも拍手を送るのです。栄枯盛衰は人の世の習いといえど、会社を持続発展させることは容易なことではありません。わが家も人ごとではなく、しっかりと次の世代に受け継がさなければなりません。

  「33の 車に乗って さっそうと 格好良かった 末路は寂し」

  「気がついた 時には遅し 音しない 大きな落し 物の大きさ」

  「私には 失う物など ないだけに 気を引き締めりゃ 奈落は回避」

  「書棚から 当時の広報 引き出して 懐かしく読む あの日あの時」

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人間牧場

〇ほこりを被った亡き叔父の書いた色紙額

 2~3日前所用で地域事務所を訪ねました。かつて多いときには100人もいた旧双海町役場も、合併して伊予市役所に統合されたため、8年経た今は完全に支所化されて、一週間後から始まる来年度からは課も廃止され、10人ほどが細々と、出先の仕事をする程度に縮小されるようです。
 今は耐震基準に合わず危険施設として、立ち入りが禁止されている旧町民会館に、鍵を開けてもらって入りましたが、私の一番最後の職場であった旧双海町教育委員会事務室や、私専用だった教育長室も固く門戸を閉ざしていて、ここで多くの仕事をしたのかと思うと感無量といった感じがしました。

偶然見つけた叔父の書いた色紙
偶然見つけた叔父の書いた色紙

 旧結婚式場として、その後は図書室として使っていた部屋に入りましたが、ここでも生活改善運動の一環として、昔は頻繁に公民館結婚式が厳かに行なわれ、2階の大ホールで私は、536組にも及ぶ結婚披露宴の司会をしているのです。耐震危険施設なのでいずれ取り壊される宿命にあるのでしょうが、何とも勿体ない感じがするのです。その部屋を出る時、土間の真ん中に無造作に置かれているほこりを被った小さな色紙額を見つけました。額の中にはどこか見覚えのある書の色紙が入っていました。良く見ると「旅は道づれよはなさけ ちりもつもれば山となる 楽あれば苦あり わらうかどには福来たる」と書かれ、落款朱印は「寿松」と押されていました。

 額も壊れほこりまみれになっていたので、「実はこの額は双海町民生委員総務をしていた私の叔父の、森脇松太郎が書いたものですが、叔父も既に3年前故人となっているし、ここにこうして置くのは忍びないのでいただきたい」とお願いし持ち帰りました。誇りはティシュペーパー等で拭き取れないほど積っていたので、帰宅後濡れた雑巾を固く絞って丹念に埃を取りました。額は既に傷んでいるので新しいものに取り替えなければ、飾ることもできないのです。
 叔父は趣味で郵便局に勤務する傍ら、長年書をたしなんでいましたが、その腕前はかなり高い方でした。私が出版した自著本「夕日徒然草」の表紙題名も、晩年病弱だった叔父に無理を言って書いてもらったこともあって、この色紙が懐かしかったのです。

 この色紙にはご存知「旅は道づれ・・・」と「ちりも積れば・・・」と「楽あれば・・・」、それに「笑う角には・・・・」の人によく知られた、四つの言葉が欲張って書かれています。いずれも注釈しなくても一目瞭然の言葉なのですが、平たく平仮名を多く使って書いているところに味があるようです。
 拾い上げた場所が場所なので、普通であればこれはもう完全にごみ状態で、処分されても可笑しくない代物です。偶然にも私の目に留まったばっかりに、縁のある私の元へ届きました。せめて私一代でも叔父の思い出を思い出しながら、大切に保管したいものだと思いました。

  「無造作に ほこり被って 床にある 色紙の額を 拾い手に取る」

  「見覚えの ある書体だと よく見れば 亡き叔父書いた 色紙ビックリ」

  「雑巾を 固く絞って ほこり拭く 壊れた額の 中から色紙」

  「今頃は どこにいるのか 亡き叔父の 顔が笑って 語りかけ来る」

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〇パソコン画面が開かなくて冷や汗をかきました

 このほど書き終えた3本の原稿の校正ゲラが、ネットメールで送り返されてきました。2本は難なくパソコン画面に表示され、校正を終えて送り返せたのに、シリーズで書いているえひめ地域政策研究センター発行「舞たうん」のPDFゲラ原稿が、どうしても画面に呼び出せないのです。仕方なく担当の方に電話をして、今度はFAXで送ってもらいましたが、FAXの文字が読みづらく、原稿と読み合わせすることもできず再度「何らかの方法で送って!」とお願いしました。担当の河野さんはこの度の異動で出向を解かれ古巣へ帰るとの情報が入っていたので、忙しいのに悪いと思いつつ、私のパソコン操作の未熟さから、すっかりお手を煩わせてしまいました。

 河野さんの職場同僚にはパソコンに詳しい人がいて、おっつけ入ったメールを、電話で指示されるまま操作をすると、あっという間に原稿ゲラが画面に表示され、一文字だけの訂正で校正を無事終わました。これで依頼されていた今年度の全ての文字書き原稿は、やっとのことで一区切りを終えることができました。
 私にとって読む、聞く、見るによる潜在能力の拡大は、大事な学習のひとつとして、いつも気にしながら暮らしていますが、潜在能力を顕在化する書く、喋る、実践するという三つ行為は、これまた大切な営みなのです。とりわけ書くことは、若い頃町の広報を1ヶ月に2回、1年で24回、10年で240号も出した実績があって、嫌いではないもののいかんせん浅学菲才ゆえに、深くも広い文章を書くことはできないのですが、それでも書かないと進化しないと思い、恥を承知でかき続けているのです。

 幸い毎日2本のブログ書きが修行となって、文章は随分早書きできるように訓練され、内容は別として殆どの依頼原稿は、締め切りより幾分早く書き終えて、提出できるようになりました。私に依頼される原稿は400字詰め原稿用紙50枚以上の長いものもあれば、500字や700字といった短いものもありまちまちですが、特に長いものは書きたい項目を何本か考え、思いつくまま書いてつなぎ合わせて修正する方法を取っているため、どうにかお茶を濁すことができるようです。
 書いたものは記録として残るだけに、引用も盗作になるから勝手にはできないし、いい文章を書こうと腕まくりし過ぎると、かえって墓穴を掘ってしまうのです。喋ることも難しいが書くことは、もっと難しいと思うのも無理からぬことのようです。
 パソコンさえろくに使えない浅はかな私が、今はパソコンのワードを使って原稿を書き、メールに添付して書き終えた原稿を送り、校正等のやり取りを一喜一憂しながらやっていますが、原稿を書く作業よりパソコン操作の方に頭を使わなければならない愚かさを、今回も露呈してしまいました。

  「送られた 校正原稿 届かずに 右往左往で 半日過ぎる」

  「原稿を 書くより大恥 かきました いやはや苦手 パソコン操作」

  「原稿は 持てる能力 試される 浅学菲才 今頃気付く」

  「腕まくり しても結果は 同じこと 書いた原稿 今度も悲し」 

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〇道後温泉祭り

 私が愛媛県青年団連合会の課長をしていた若い頃、東京の日本青年館で開かれた、全国青年問題研修会に他の30人の青年を連れて行った折、自己紹介で「愛媛県」と言えば「愛知県に間違われ、「松山」と言えば埼玉県東松山と間違われたものでした。仕方がないので「道後温泉の近くです」といえば、殆どの人が「いい所」とか、「夏目漱石の坊ちゃんなど有名な」と言葉が繋がりました。「愛媛県」より「松山」より、「道後温泉」は当時から、ひょっとしたら今でも有名な存在のようなのです。

浴衣法被の孫尚樹
浴衣法被の孫尚樹

 自分の町を紹介するのに、そんな有名な「道後温泉」をこれまで随分枕詞に使かわさせてもらいましたが、いざ道後の込み入った話になると、国宝の道後温泉本館くらいなもので、まったく知る知識がないことに今頃になって気がついています。聖徳太子も時の皇族も入浴し、正岡子規や夏目漱石などの文人墨客に愛されているにもかかわらず、全国的に観光地としては三ツ星の世界だというのにこの醜態です。
 娘家族は道後温泉の近く道後緑台に住んでいますが、一昨日五歳の孫尚樹が道後温泉商店街を道後温泉祭りで踊り子となって練り踊るというので、妻に誘われノコノコと出かけて行きました。

 6時過ぎ娘のマンションに到着し、一緒に夕食をご馳走になりながら、浴衣と法被に着替える様子を見ました。いやはや子どもの浴衣に法被姿は可愛いものでした。孫尚樹はこの日のために3日間も踊りの練習に出かけたそうで、少しだけ恥ずかしそうに踊りを披露してくれました。そのうち仲間が迎えに来て出かけるので、私たち夫婦も歩いて出発地となる道後温泉時計台の下まで出かけました。
 やがて午後7時になると孫たち子ども連が先頭を切って踊り始めました。道後温泉音頭は実にゆっくりのんびりしたリズムで、商店街を寝るのに時間もかかる有様でした。

商店街を練り踊る孫たち
商店街を練り踊る孫たち

 私と妻は2時間もかかるという踊りに飽きて、途中すぐ近くの椿の湯で40分ばかり温泉を楽しみました。道後温泉の湯質は天下に名高い源泉かけ流しのお湯で、肌にしっとりまとわりつき、すっかり湯上り気分となりました。温泉を出て孫たちの後を追いましたが、いつの間には大人の沢山の連が出て、本館前で踊りが披露されていました。
 私たちは早々にお暇して家路を急ぎましたが、道後温泉祭りすら今まで一度も見たことがなかったので、孫の出演も絡んで妻は満足の手合いでした。

 

 

 

 

  「どちらから? はい愛媛県 松山の 近く言っても 愛知?埼玉?」

  「わが町は 道後温泉 すぐ近く いいとこですねと 言葉繋がる」

  「近くでも 知らないことが 多過ぎる もう少し勉強 せずばなるまい」

  「五歳孫 浴衣に法被 凛々しくて 爺婆馬鹿に なりて輪の中」

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〇春の花を楽しむ

 春浅いこの時期は、冬の名残り花と春早咲き花が同居して、多くの花々を楽しめる最もいい時期なのかも知れません。私たち現代人の暮らしは、食べ物にしても衣類にしても、何故か先取りをしがちです。夏の食べ物のはずのスイカが店頭に並び、初がつおは5月なのに、かつおは年中食べられる有様で、何が旬なのか、何が俳句の季語なのかまったく分らないのです。しかしそれは社会の現象であって、それらに惑わされずに、自分がその気になって身の回りを見渡せば、多少の異変はあっても自然は季節とともに動いていることに気がつき、その気になればそれらを存分に楽しむことができるのです。

椿の花散りし山道
椿の花散りし山道

 昨日人間牧場へ作業をするため出かけました。山道を通ると昨日の木々を揺すった、春の嵐で落ちたと思われる椿の花が、細い山道のあたり一面に落ちていました。私の車とすれ違った上から下りて来た私の同級生は、そのことにまったく気付かないのか、椿の花を蹴散らせてクラクションあいさつをして下って行きました。侘び寂も知らない私ですが、それでも車を路側帯に止めて、落ちた椿の花をいとおしく愛でました。椿は花が首から落ちるので、縁起が悪いと言う人もいますが決してそうではなく、花の落ちた道を歩くのも風情があっていいものです。この時期私の住んでいる地域の野山には、ヤブツバキが今を盛りとして咲いています。人知れず咲き、人知れず散るヤブツバキを愛でるのもまた一趣です。

 

 

 

 

 

 

綺麗に咲いたスモモの花
綺麗に咲いたスモモの花

 

人間牧場は梅の花が終わり、梅に変わってスモモの真っ白い花が満開に咲き誇っていました。いやあ思わず見とれてしまうほどの見事さで、家族に見せ、ブログにアップするため、早速持参したデジカメでその全容を写真に収めました。この花は意外と早く散るので、人間牧場を訪れた人しか見れませんが、もし花を見たい人はどうぞご自由にお越し下さい。
 ふと気がつくと、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが、活動の一環として3年前に始めた千本桜の森づくり事業の標準木として植えた、枝垂桜が花を付け、花見ができる程ではありませんが、可憐な花を咲かせていました。落ち葉を集め腐葉土を作るために作っている、囲い周辺には綺麗な黄色い菜の花も咲いて、人間牧場はただ今この上ない桃源郷といったところです。

咲き始めた枝垂桜
咲き始めた枝垂桜

 風に誘われ、花に誘われ、のんびりゆっくり春を楽しむのも風流です。冬の寒さをしのいだ種蜂も、花々の蜜を集めるため元気に飛び始めました。 ♭春が来た 春が来た どこに来た  山に来た 里に来た 野にも来た♭ 水平線の家の書棚に置いているハーモニカを取り出し、背もたれ椅子をウッドデッキに出して寝そべり、「春が来た」という歌を思いつくまま吹きました。 すると、お彼岸で墓参りに来た近所の人が、「長閑でいいですね」と声を掛けてくれました。そして「一曲リクエストしていいですか」と私に尋ね、「みかんの花咲く丘」を吹いて欲しいと頼まれました。「下手糞ですが」と前置きし吹くと、とても喜んでくれました。田舎に長閑な春がやって来ました。

 

 

 

  「春が来た 野にも山に 花が咲き 陽気誘われ ハーモニカ吹く」

  「あと何回 春の花々 見れるかな? 思えば愛し どの花見ても」

  「山道に 落ちし椿の 花見つけ 踏まないように そろりそろりと」

  「花を見て ああ綺麗だと 感動する 優しい心 俺の取り得と」

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〇自ら労して自ら食うは人生独立の本源なり

 車に乗ればつけたカーラジオから、部屋にいるとつけたテレビから、国会中継で予算委員会の模様が聞こえたり映し出されたりしていますが、只今の話題は何といってもTTPの問題のようです。安倍総理が渡米してオバマ大統領と交わした約束文書を盾に、聖域なき関税撤廃から国益を守ると大見得を切れば、もしその約束が守れない場合はどうするのかなどと、国益より政党益や自己益がからんで、賛成と反対の議論が戦わされています。今回のTTP問題はその中心が農業問題で、ただでさえ40パーセント以下に下がった農業の自給率や、過疎と高齢化、所得低下の渦中にある農業を、守ってゆくことは容易なことではありません。

 日本の農業問題は、日本が高度成長の波に乗って工業化の道を進み始めた頃に遡ります。田舎から工業地帯へ大量の労働力が移動し、田舎は過疎、都会は過密といった現在の構図ができ上がったのです。日本人の暮らしが豊かになり、食生活が欧米化すると米中心だった食生活が、パンや肉に変わりました。食べなくなった米余りをを解消するため、政府は減反政策という後ろ向きの農政を始め、米を作らない農家に否応なしに減反を補助金で押し付け、今もその政策は水面下で続いているのです。
 農業の現場である田舎に暮らして、農業の現実を目の当たりにすると、今に日本の農業は潰れるという危機意識を実感せざるを得ない所まで来ているようです。

 TTPは輸出入に頼る経済界が賛成し、自給率を堅持する農業団体が反対という利害関係の構図になっていますが、自由貿易か保護貿易か、中立的な私たち消費者も正直なところ見えてこない部分があって、夏の参議院議員選挙をにらんだ与野党の、冷めた駆け引きだけでは終らせたくないと思っていますが、はてさてどんな方向に進むのでしょうか。
 明治の思想家で教育者である福沢諭吉は「自ら労して自ら食うは人生独立の本源なり」という言葉を残しています。料理ならいざ知らず、食材を自ら労して確保することは容易なことではありません。私も多少の菜園を持って食材を自ら労して作っていますが、自給できているのはジャガイモとタマネギ、サツマイモ、夏野菜と冬野菜くらいなもので、リンキャベのキャベツもリンゴもその殆どを買い求め、食べて健康を維持しているのです。

 それでも私などはまだましな方で、梅酒や梅干し、蜂蜜やブルーベリー、甘夏みかんなどの山の幸に加え、海の幸であるワカメや天草なども採集して確保し、一年中その恩恵に浴しているのです。そんな自給暮らしに今度コンニャクが加わりそうです。昨日何げなくパソコンネットを動かしていると、コンニャクの作り方がヒットしました。人間牧場ができて畑の隅に植えていたコンニャクイモが大きく成長し、昨年の秋に彫り上げて倉庫にしまっていますが、そろそろコンニャク作りを楽しもうかと思い始めています。私はコンニャクが好きではなく殆ど食べませんが、妻は大好物なのです。たかがコンニャクを作ったからといって、独立の本源等と大きなことは言えませんが、それでも気持ち的にはそういう方向に向いていることは確かです。昨日近況を尋ねるため携帯電話をかけた高知県馬路村の親友木下さんも、今年から田圃を借りて米つくりに挑戦したいと、私と同じようなことを言っていました。

  「コンニャクを 作る準備を 始めたる 独立本源 進む気概で」

  「TTP 田舎者には 分からぬが 先生たちは 躍起になって」

  「春が来た 自ら労し 食うもの作る 安心安全 お裾分けする」

  「雨風に 当らず部屋で 外を見る 評論批評 ばかりを恥じる」

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〇高知県日高村を訪ねる(その2)

 

屋形船の船着場
屋形船の船着場

 高知県日高村は、村といいながら高知県の県庁所在地高知市に程近い所に位置する、人口五千人ほどの村です。村の中央を今ではすっかり有名になった奇跡の清流といわれる、仁淀川が蛇行して流れています。昨日は昨年の9月10日に日高村の酒蔵ホールで開かれた、高知県主催の講演会に招かれて以来の訪問でしたが、今回は妻と一緒に出かけました。
 講演は仁淀川の緩やかな景色を楽しむ屋形船が発着する船着場のある、小高い丘の上の屋外での開催となりました。私も最近は珍しい集団や場所へ招かれて講演をする機会が増えていますが、お寺の本堂や酒蔵もその一つながら、今回のように庇はあるものの、船着場での講演もまた初めてのことであり珍しい出来事でした。

 屋外の講演は天気に左右されるばかりでなく、用意されたマイクの声が外に拡散してしまうため、参加者の耳には聞きづらい難点があります。ましてや昨日は私の熱気ある話が影響したのか、途中でマイクが壊れてしまうハプニングもありましたが、まあ何とか聞き取れないほどではありませんでした。
 私は昨日珍しいこの船着場講演会を記録に留めておこうと、デジカメを持参しましたが、船着場の写真を2枚撮っただけで内臓バッテリーの電源がなくなったことを知らせる、赤い警報が点滅し、残念ながら充電もできず記録に留めることはできませんでした。担当者に帰宅後届ていたお礼のメールに、返信発信したついでに、写真の提供を頼みましたが、撮影しているかどうか心配です。

奇跡の清流仁淀川の清らかな流れ
奇跡の清流仁淀川の清らかな流れ

 私への講演依頼は昨年7月18日、高知県仁淀川町ゆの森で開かれた仁淀川流域観光協議会主催の講演会で、私の話を聴いた日高村の担当者からのお声掛けによるもので、相変わらず口コミの大切さを実感しました。講演はほぼ満席でしたが、皆さん熱心に2時間弱の話を聞いてくれました。
 講演後の名刺交換も最近はすっかり様変わりして、女性が圧倒的に多く、ついつい嬉しくなりました。特にNPO法人日高わのわ会の森下さんはじめ何人かのメンバーに取り囲まれました。やはり女性が輝けば町や村が輝くのかも知れないと思いました。
 講演が終わったので、昼食のお誘いをお断りし、迎えに来た妻と合流し高知の日曜市を散策すべく向かいましたが、昨日は日曜日ということもあって、相変わらず伊野町付近での車の渋滞が酷く、市内に着いたころには午後1時を回っていました。折角だからとカツオを食べにレストランに入り、遅い昼ご飯を堪能し、川之江経由の高速道路を通って、夕方自宅へ帰りました。久万経由・高知経由・川之江経由の350キロもの道程を何の造作もなく日帰りで旅ができる高速交通時代の恩恵を受けました。

  「船着場 近くの庇 会場に 講演会とは 粋な計らい」

  「熱込めた 私の話 手に持った マイク根を上げ オーバーヒートす」

  「講演が 終われば名刺 交換す 女性沢山 俺ももてるな」

  「石鎚を ぐるりと廻る よう走る 350キロ あっという間に」

日高村講演会風景
日高村講演会風景
日高村講演会で講演する私
日高村講演会で講演する私

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(日高村の西尾さんからメールにて、2枚の写真を送ってもらいました)

 

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〇岡山県からの視察研修(その2)

 双海町に派遣されている地域おこし協力隊の富田さんから、「土曜日に岡山県から2~3人双海町へ視察研修にやって来るので、話を聞かせてあげてくれませんか」と連絡がありました。「多分土曜日は午前中双海中学校の卒業式がに列席するだけなのでいいですよ」と話い、「人数は何人くらいですか?」と訪ねると「たぶん2~3人程度です」ということだったので、「それだったら午後2時に私の家の煙会所でやりましょうか」と相談がまとまり、私自身に予約を入れました。
 卒業式から帰るとすぐにスーツを着替え、前日収穫していたワカメを茹でて干すため、ワカメの水洗いをやりました。そのうち妻が仕事から昼休みになって帰って来たので、少し遅めの昼食を済ませて一休みしているところへ、視察研修の一行が富田さんに連れられてわが家へやって来ました。

 私設公民館煙会所はこの日肌寒さを感じるだろうと、扇風機風の温風ヒーターを30分前に点けていたので、さほど寒くは感じませんでしたが、来客の数が子どもと富田さんを合わせると9人もの人数で、慌てて座布団を増やしました。それから1時間余り、火の気のない囲炉裏を囲んで私が思いつくまま双海町のまちづくりについてレクチャーしました。参加者は岡山県高梁市吹屋周辺の人たちで、地域おこし協力隊のメンバーも佐藤さん、長野エドウィン・タケルさんもいましたが、皆さん熱心にメモを取りながら討論を行ないました。
 エドウィン・タケルさんの二人の子どもがいるため、母屋からお菓子を持って来て差し上げましたが、囲炉裏の灰をいじくったりしながら何とか静かに私の話を聞いてくれました。

 前日の広島県広島市からの来客には人間牧場を、この日の岡山県高梁市からの来客には私設公民館煙会所をと、目的に合わせて違った研修を用意しましたが、いやはや大忙しです。夕方地域おこし協力隊の佐藤さんがお土産を忘れていたと言って再びやって来ました。お土産は素敵なコーヒーカップと地元産の紅茶でした。察するに視察者の中に陶芸家の田邊典子さんという女性がいたので、コーヒーカップは多分彼女の作品ではないかと思われますが、早速妻は熱湯でコーヒーカップを煮炊きして、紅茶を入れてくれましたが、少し重ためのどっしりしたいいカップで、紅茶の味も最高でした。お茶請けは勿論前日丸井さんや矢川さんからいただいたモミジ饅頭風のお菓子を妻と二人で味わいました。

 追伸
 この日の昼ころ地域事務所の松本さんが奥さんと一緒に、年末に生まれた生後2ヶ月余りの子どもを連れ顔見せにやって来てくれました。松本さん似の素敵な赤ちゃんでした。居合わせた妻も抱かせてもらって嬉しそうでした。

  「相次いで 視察研修 やって来る 昨日牧場 この日わが家で」

  「失敗を 話して欲しいと リクエスト 一段ランク 上なる人だ」

  「子どもまで 視察メンバー 受け入れて お菓子でなだめ 私の話」

  「他人の子 いつの間にやら スクスクと 大きくなりて 妻も驚く」

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人間牧場

〇今日は高知へ

 今朝は早立ちで、6時前に高知へ向けて間もなく出発します。行き先は高知県の中央に位置する日高村です。講演が行われる場所は日高村の屋形船仁淀川発着場とか?。今日は日曜日で仕事が休みの妻を伴おうと思っています。帰宅は夜遅くになる予定です。急ぎのご連絡は携帯電話でお願いします。

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〇私の朝晩のストレッチ体操

 「身体は年齢に関係なく鍛えられる」と信じて、健康を維持するため毎日一万歩を目標に歩いていますが、何やかにやと忙しいことや、天気を理由に一万歩の目標は、中々続かないようです。それでも目標を持っているお陰で少しの時間があれば歩くよう努力しています。
 私は毎年2~3度ぎっくり腰になる悪い癖を持っていますが、ぎっくり腰になると行きつけの整体院で2~3回、一回5千円の治療費を払って揉んでもらっていますが、整体院の先生から布団の上でできる腰痛防止体操とでも言うべきストレッチを教わりました。①足裏を合わせて座り、両膝を畳につくようにして前かがみになる。②両足を開いて座りお相撲さんの股裂きのようにできるだけ広げる。③仰向けに寝て両膝を折り合わせる。④両膝を片方ずつ交互に左右に振る、⑤仰向けに寝て伸びをしたままで、足を少し上げ腹筋をしたまま50数える。⑥下向きに寝て腕立て伏せを10回する。⑦下向きに寝て腕を一杯伸ばし1分間背筋を伸ばす。⑧赤ちゃんがハイハイするような形で一分間じっとする。まあこんなところでしょうか。

 これくらいなストレッチで腰痛は治るまいと、鷹を食っていましたが、気がついてみると私はこの3年間、一度も腰痛にならず整体院へ出かけていないのです。私に腰痛体操を教えた整体院は少なくても私だけでも年間3回×5千円×3回=4万5千円の収入減になっているはずなのです。昨年あるスーパーで整体院の先生にばったり出会いましたが、先生に「その後腰の具合は如何ですか?」と尋ねられましたが、「先生に教えてもらった腰痛体操を毎日やっているお陰で、腰の調子がいいです」と言うと、「それは良かった」と喜んでくれました。小さなことですが、私にとって朝晩の布団や畳の上でできるストレッチは、時にテレビを見ながらでもできる簡単なものだけに、いい効果を生んでいるようです。

 「健康は人間が自分に贈る最高のプレゼントである」はけだし名言で、自分の健康は自分以外にプレゼントできないのです。妻が作る毎日の食事も好き嫌いなく食べればいいのでしょうが、身勝手な私は肉を殆ど食べなかったり、コンニャクが嫌いだったり様々です。人のようにサプリメントに頼ることはしないと心に決めているので、今のところ何の問題もなく健康を維持できていますが、人間はいつ何時病気になるかは知る由もありません。しかし「鍛える」ことはできるとささやかな鍛え方を実践しているのです。
 最近物忘れと物覚えが悪くなってきました。多分脳が退化し始めているのでしょうが、体と同じように脳も鍛えないと、物忘れしもの覚えしないようです。脳の鍛え方について少し専門家の意見を聞きたいと思っていますが、私が心がけている読む・聞く・見る、書く・喋る・実践するの6種類も、脳を鍛えるのに役立っているのかも知れないと、手前味噌ながら考えています。心の健康・体の健康、どちらも大事です。

  「腰痛が 元で始めた ストレッチ お陰なことに 陰を潜める」

  「ストレッチ 教えた整体 客足を 奪ってしまい いたし返しだ」

  「物忘れ 物覚えとも 悪くなる 鍛えなければ ボケてしまうぞ」

  「身体だけ 鍛えていても 駄目ですよ 心鍛えて もっと健康」

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