人間牧場

〇九州屋久島の旅から帰って来ました。報告は疲れているので明日にします。

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人間牧場

〇今日から3日間、鹿児島県屋久島へ旅行に出かけます。報告を楽しみにしていて下さい。

 お急ぎの御用の方は私の携帯へお電話下さい。

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人間牧場

〇木登り練習

 私たちが子どものころは、誰に教えてもらうでもなくいつの間にか、木登りをして遊んでいました。それは多分海沿いの漁村で育ったものの、裏山に自生しているヤヤモモやアケビ、ビワ等の山の幸を、空腹を満たそうと取るため、自然に身についた生活の智恵だったように思うのです。当然こわごわ登った木枝が折れて土面に落下し、すりむいだり青あざができたりはしょっちゅうでしたが、病院に行くこともなくヨモギを揉んで貼り付けたり自然治癒力に助けられ、痕跡は今も残っているものの、いつの間にか治癒していました。

最初は不安そうでへっぴり腰でした
最初は不安そうでへっぴり腰でした

 今の子どもはそんな遊びをしなくても、食べ物も遊び道具も身近に沢山あり過ぎるほどあって、戸外では遊ばないし、木登りは危険だと周りの人もきつく注意をしているのです。当然子どもたちは木登り未経験のまま成長するため、大人になっても木登りのできない人は意外と多いようで、木登り遊びの伝承さえできない社会となっているのです。「腕白でもいい。大きく育って欲しい」という言葉は、何十年も前に流行った丸大ハムのTVコマーシャルですが、私は木登りをするような子どもに育てようと思って、3人の男の子を育てたため、3人の子どもはみんな木登りができますが、4人の孫にも育爺として木登りを教えてやろうと思っています。

 孫朋樹は今年小学5年生になりますが、人間牧場へ度々連れて行って木に登らせたため、木登りがすっかり得意となって、わが家の柱だって上手に登ることができるのです。昨日は五歳の孫尚樹を連れて人間牧場へ出かけました。草刈りの休憩時間を利用して登り易そうな枝ぶりの、柿の木に登らせようとしましたが、最初は怖がって中々上手くできませんでした。そのうち練習を積んでどうにか登れるようになりました。
 私が再び草刈りを始めてしばらくすると孫は、樹齢100年を越える大きなヤマモモの木に挑戦し、登り始めたようでした。そのうち木の枝の上で「登れたぞ。ヤッホー」と大きな声で叫んでいました。いやはや子どもの順応性の早さには驚かされるばかりです。

大きな樹齢100年を越すヤマモモの木に登ってご満悦の孫尚樹
大きな樹齢100年を越すヤマモモの木に登って得意の孫尚樹

 今年も子どもたちが子ども体験塾で、人間牧場へやって来る予定ですが、木登りもメニューに入れたらどうだろうと思いました。私たちが子どものころは嫌でたまらなかった薪割だって、今の子どもたちには楽しいメニューの一つとなっているのですから分からないものです。
 孫尚樹は「今度はもっと木登りが上手になって、あの木のてっ辺まで登りたい」と意欲を示していました。テレビのコマーシャルではありませんが、いつの時代も子どもたちには、「腕白でもいい。逞しく育って欲しい。」ものです。安全は何よりも優先しますが、安全な冒険をもっともっとさせてやりたいと思いました。

  「木登りが できぬ親子が 増えている いつの間にやら 世の中変わった」

  「木登りは 危ないからと 親が言う 危ないことは 何もさせない」

  「教えると ほらこんなにも 上手くなる 得意になりて ヤッホーなどと」

  「遊びとは 一体何か 考えよう 子ども風の子 もっと戸外で」

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〇一週間で消えるもの

 今私の住んでいる伊予市では、市長選、市議選、県議選の真っ最中で、夜が明けてから夕暮れまで、それぞれ29人の候補者が入り乱れて選挙カーを走らせ、ボリュームを上げて連呼し、とにかく賑やかです。連呼は「立候補のごあいさつ」と「ご支援を宜しく」ですが、候補者の中には街中を歩いていると、突然選挙カーを止め、降りて握手を求められたりして、驚いたり恐縮したりすることもあるようです。
 わが家から一番近い地域事務所前の駐車場広場横には、トリプル選挙のためいつになく多い候補者の写真を刷り込んだポスターが、掲示板に掲示されています。いずれの顔ぶれもイケメンで、いいイメージを売ろうとする現われか、普通見かける顔とは随分違ったおすまし顔のようです。

地域事務所前に掲示されている候補者のポスター
地域事務所前に掲示されている候補者のポスター

 この掲示板や貼られたポスターを、製作するのにどれほどのお金が掛るのだろうと思うと、無駄な気もしますが、時々地域事務所に所用でやって来る人たちが、立ち止まって見ている姿を見ると、それなりの効果はあるようです。しかしあと今日を含めて6日もすると、無用の長物となって撤去される運命にあるのです。
 「今が過去になる前に今を記録する」、これはできそうでできないことです。このポスター掲示板に貼られたポスターの中から、少なくとも市長選1人、市議選2人、県議選1人の候補者が落選の烙印を押されるのでしょうが、当選と落選は天国と地獄ほどの差があると、落選経験者が語るほど厳しいものです。願わくば候補者全員が当選して欲しいのですが、そういう訳にも行かない社会のルールがあるのです。

 そんな意味もあって地域事務所へ行った折、掲示板に張られた候補者のポスター掲示風景を、一枚デジカメで撮影しました。特定の候補者の写真ではない風景なので、選挙違反にはならずむしろ選挙啓発のつもりでブログ記事に添付してみました。多分この写真は10年後、50年後貴重な写真になるかも知れないと、一人ほくそ笑んでいますが、1週間後には跡形もなくなる宿命のようです。
 私はこの週末、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが主催する「世界遺産を巡る旅」で、鹿児島県屋久島へ出かけるため、昨日の夕方既に不在者投票を済ませました。今日あたり親父を連れて不在者投票に出かけようと思っています。トリプル選挙だけに代理記載を頼まなければならない親父の投票は多少骨が折れますが、私の一票も親父の一票も、一票に変わりはないのです。

  「十年後 五十年後に この写真 貴重な資料 なると確信」

  「一週間 すればこれらは 撤去され 何事もなく 日々は過ぎ行く」

  「宜しくと いきなり握手 求められ おついしょ笑顔 お互い交わす」

  「手を振ると 手を降り返す 笑顔にて 喜びの声 マイク通して」 

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〇「あらし山」の風の便りとともに清見タンゴールが届く

 人間牧場で6年前に開塾した、年輪塾の塾頭を務める清水和繁さんから、昨日段ボールの宅配便が一箱届きました。宛名ラベルを剥がし開けて見ると、中から「あらし山」の風の便りというハガキサイズのメッセージが出てきました。
 「父が病に倒れて九年目の春が来ました。作れなくなった所の樹を切り、植えた桜は満開の花を咲かせてくれ、父が遺してくれた園地は『あらし山』になりました。この園地で桜の咲く頃の清見タンゴールは我が家の宝物です。果実に白いコートを着せて厳しい冬を越させ果皮がデリケートでひと苦労ですが、毎年、桜の花が咲くのを楽しみにしています。」と書かれていました。

清水さんから届いた「あらし山風の便り」
清水さんから届いた「あらし山風の便り」

 早速段ボールに詰まった清見タンゴールを取り出し、台所で半円八つ切りにして小皿に盛り、書斎の机の上に置いて手で皮を剥きながら食べました。清見タンゴールという洒落た名前の通り、この時期の果肉の味はトロピカルで、口中にたっぷりな果汁が充満して、他の雑柑とは違った味を存分に楽しみました。
 三崎半島からは毎年、先端に位置する旧三崎町に住む親友塩崎満雄さんから清見タンゴールが、中ほど旧瀬戸町に住む親友緒方二三子さんから瀬戸金時というサツマイモ、また旧三崎町平磯に住む親友浅野農園からは、清見タンゴールジュースが時々届きますが、いずれも清水和繁さんと同じように作り手の苦労が偲ばれる贈り物だけに家族一同喜んで味わっているのです。

 清水さんは農協マンですが、松山での暮らしが長く、仕事を続けながら土日には実家と農地のある八幡浜市日土に帰って、休日百姓をしています。二居住地移動生活といえば格好がいいように見えますが、勤務しながら先祖伝来の農地を守って農業をすることは、肉体的にも精神的にも軟いことではありません。それをこなしている清水さんは立派というほかはありませんが、さてその農地を次の世代に受け継げるかどうかとなると、これはもう別な次元の話となるのです。清水さんが風の便りにさりげなく書いている「あらし山」という言葉にその意味が隠されているように思うのです。
 私の住んでいる地域も含めて、今農村ではかつてない危機に直面しています。戦後の厳しい時代を生き抜いた「宝の山」は、まさに「荒らし山」となりつつあるのです。

 全国に聴こえた名だたるみかん産地、八幡浜でさえあらし山になるのですから、私たちの町のような名もないに等しい地域のみかん山などは、押して計るべきといったところで、担い手・作り手・跡継ぎ手のいなくなったみかん畑は荒れるにまかせ、3年もすればカズラと雑草に覆われてみるも無残な姿となり、イノシシの住処となるのです。今話題のTTP問題などよりはるかに重要で深刻な農村問題だと思うのですが、農民も農協も行政も見てみぬふりをして、あらし山を呆然と眺めているようです。
 このままだと日本の農業・農村は一体どうなるのでしょうか。人事ながらわがことのように、心配の種は尽きぬと、清水さんから届いたあらし山の風の便りを詠みながら、美味しい清美タンゴールを食べました。

  「この頃に なると宅配 あらし山 箱の中から 風の便りが」

  「八つ切りの 果実皿盛り いただきぬ 果汁いっぱい トロピカル味」

  「TTP よりも深刻 荒らし山 田舎イノシシ 住処になりて」

  「国民が 毎日みかん 一個ずつ 食べてくれたら 消費上向く」

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〇千本桜の森づくり事業の千本目の桜

 高齢化や農村地域の疲弊で、愛媛県内の山や畑が荒れていることに心を痛め、私たちにできることは何かと、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンテアグループは、おこがましくも考え、荒れた山や畑に日本を代表する桜を植えてはどうかということになり、3年前「千本桜の森づくり事業」なるものを考え付きました。1地区100本の植樹を10ヶ所植えようという計画を綿密に立て、金もないのにやる気だけが先行し新聞で募集したところ、10ヶ所以上から希望がありました。早速大野事務局長が中心となり、現地に足を運んで現場を見たり代表の方と相談したりして、それぞれの地区に計画を立ててもらいました。そして金は後からついてきて、えひめ地域政策研究センターの助成、関奉仕財団の助成などをいただきながら私たちの手出しも加えて、植え始めたのです。

植樹のために集まった人たち
植樹のために集まった人たち

 3年前千本桜の1本目は、人間牧場へ標準木として枝垂桜を植えました。手身近な場所に標準木があると、どの程度育っているかおおよその目安がつくと思ったからです。人間牧場の桜はもし何かがあって標準木が枯れたら大変と、代役木も2本(一本は枝垂桜、もう1本は河津桜)植えていているので、多分大丈夫だと思うのです。南予や中予、東予と計画通り苗木を植えて行き、3年目の今年やっと目標どおり千本目の桜を植えることができたことは、何よりも嬉しいことです。
 千本目の桜を受け入れてくれたのは、今治市菊間町松尾地区でした。この地区へはかつて私が、まちづくりをしていた20年前から、菊間町役場に勤めていた渡部さんとひょんなことから知り合いとなり、講演に出かけてから度々訪れている地域で、知り人も沢山いるのです。

千本目の桜を植えた歌仙の滝
千本目の桜を植えた歌仙の滝公園

 松尾地区には歌仙の滝という公園があって、地元の人が管理をしていますが、その周辺に桜を植えて、かっての賑わいを取り戻そうと立ち上がっていた矢先で、愛媛新聞社に勤めていた渡部さんとも親しくなり、渡部さんが中心になって計画が進められました。
 昨日は前日から近づいた爆弾低気圧の影響で、海も山も大風が吹いて、冬に逆戻りしたようなあいにくの一日でしたが、私と大野さんが朝早く起きて出かけたところ、70人を超す多くの地元の人が集まり、植樹に参加してくれました。
 地元の代表者に続いて私もあいさつをさせられました。トラックの荷台に上がって、まるで選挙の演説のように、千本桜のいきさつや、これからのことをお話させてもらいました。

 桜は順調は育てば、10年もすれば桜の木の下で花見ができるほどに成長します。10年後にこの桜の木の下で花見の宴をやるのも一趣です。3年間で植えた千本の桜全てが枯れずに育つとは思いませんが、田舎の山や畑に桜の花が咲き競うのを、夢見て暮らすのもいいことだと思うのです。お互い長生きして10年後桜を見ようと誓い、松尾集会所で地元のおばちゃんたち手作りの豚汁とおにぎりをいただき、楽しいお喋り会をしてお暇しました。
 10年後私はどんなおじいさんになっているのでしょうか?。願わくば自分のこの目で千本桜を訪ねて見たいものだと思っています。

  「一本目 二本三本 数増やし あちらこちらに 桜沢山」

  「千本目 背丈の桜 植え終わる 三年間で 大願成就」

  「十年後 私はどんな 爺さんだろう 元気で桜 見たいと思う」

  「木は育つ 私は縮む 競争も できないままに 時は流れる」

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〇今日からわが伊予市は選挙戦突入

 県議会議員泉圭一さんの市長選出馬に伴う辞職で、5日に告示された県議会議員選挙を加え、今日伊予市長と伊予市議会議員のトリプル選挙が今日告示され、いよいよ選挙戦に突入です。市長選挙には元県議会議員の泉圭一さんと元市議会議員の武智邦典さんの2人、市議会議員選挙には新旧合わせて22人が立候補する予定です。今回の選挙は前哨戦が長く、年末頃からそれぞれの候補者が草の根の選挙戦を展開し、少し冷めた市民とは対照的に、思惑も絡んだ異常な雲行きで、警察も選管も選挙違反のないよう目を光らせているようです。

 今日は告示日だというのに爆弾低気圧の通過後、わが町では北西の季節風が吹き荒れ、戸外はゴーゴーと音を立てて大風が吹いているようで、各候補者たちは眠れない朝を迎え、選挙の準備に追われていることでしょう。今日から一週間は小さな町に選挙宣伝カーのスピーカーが鳴り響き、賑やかになることでしょうが、県議会議員1人、市長1人、市議会議員20人しか当選しないので、少なくとも22人は当選の美酒に酔いしれますが、4人は落選の悲哀をなめ県土従来を期すことでしょう。

 選挙に出る実力もないし出る気もない私は、これから1週間スピーカーの声を聞きながら過ごしますが、選挙戦を前に先日愛媛新聞朝刊に、「海・山・まちの未来図 伊予市長選・市議選を前に」という連載記事が3回にわたって掲載されました。記録のつもりでスクラップ、スクラップブックに収納し、スキャナーに取り込んでパソコンに保存しました。あえてコメントをせずにブログに添付しておきます。

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  「トリプルと なった今度の 選挙戦 何が争点 新聞連載」

  「世の中は 夢と現実 違い過ぎ 期待はするが 期待もしない」

  「政治家は 言うことやること 違い過ぎ やらないことを 検証せずに」

  「よい人を 選べというが 基準値が 見えてこなくて 迷ってしまう」

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〇真っ赤な椿の花が届く

 わが家の家の周りや、人間牧場には瀬戸内海に面した北向きの半日陰の気候が適しているのか、ヤブツバキの花が至る所に見られ、気温の上昇とともにその花を散らしています。人知れず咲き人知れず散るヤブツバキは、野生種ゆえに派手さこそありませんが、私が大好きな花のひとつなの、折に触れ咲いた花を愛でたり、落ちた花びらさえも愛おしく、思わず車を止めて眺めたりするのです。
 近所にツバキの会に入会している奥さんがいます。ご主人は元京都府警の警察官でしたが、退職と同時に近所に土地を構え、新しい家を建てて引っ越して来られましたが、畑のような広い敷地には至る所にツバキの花を植え込み、引っ越して5~6年だというのにあっっという間にツバキ園を造っているのです。

近所の奥さんから届けられた日光(じっこう)という名前のツバキ
近所の奥さんから届けられた日光(じっこう)という名前のツバキ

 奥さんは多趣味で俳句やお華、お茶などをたしなまれいわゆる洗練された京言葉の似合う風流人です。無骨で無芸大食程度の私なので、住んだり活動したりする世界が違うと思いきや、同じ組内ということや私のウォーキングパラダイスの途中に家や菜園があることもあり、四六時中顔を合わせ他愛のない会話を繰り返しているのです。先日はウォーキングの途中で出くわし、ウォーキングを止めて咲いているツバキの花を見ながらお茶とお菓子をいただきましたが、いやはやツバキには詳しくて、私の思考回路が少し混乱したような雰囲気でした。

 昨日の夕方自宅のチャイムが鳴りました。玄関先に出てみるとツバキの鉢植えを持った奥さんが立っていました。「ツバキが綺麗に咲いたので差し上げます」と真っ赤な2輪の花の咲いた鉢植えを持参してくれました。私がお茶のお礼にと人間牧場で採れた蜂蜜の小瓶を2本差し上げたお礼のつもりだったのでしょうが、歳相応の年齢とはいえ、女性に予期せぬ花を貰うことなど殆どないため、少し嬉しくなりました。
 鉢には白いセルロイドに「日光(じっこう)」と名前が書かれていました。早速書斎に持ち込み書斎のレースのかかった丸い机の上に置いて、先日奥さんから聞いたツバキの花の話を思い出しながらまざまざと見つめました。いやはや品のある見事なツバキでした。

 桜が咲けば桜が一番と思い、アジサイが咲けばアジサイが一番と思うほど、私は顔に似合わず花が大好きで、菜の花や桜、アジサイ、水仙、酔芙蓉などの花を町内のあちこちに植え込んできました。今や水仙も菜の花も酔芙蓉も愛媛を代表する風物詩になって多くの人が花をめでにやって来るのです。
 ふと自分の家の花を思うと、あれ程気狂いのように育てた皐月類も、仕事に夢中になり過ぎて全滅させてしまい、少し自戒の念に駆られますが、それでも100メートル以上にわたって間もなく咲くであろう平戸つつじの帯だけは残っているのですからまんざら捨てたものでもないようです。
 これからも近所の人と花談義をしながら余生を楽しみたいものだと思っています。

  「ご近所の 奥さんツバキ 持って来る いやはや嬉し 花プレゼント」

  「人は皆 花に心を 動かして 思わず心 和み幸せ」

  「日光と 書いてじっこう 読むという 凡人私 それさえ知らず」

  「そこここに 風流人は いるもので 目と鼻の先 いいとこ見っけ」

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人間牧場

〇さあ今年度も頑張ろう

 今年の冬はことのほか寒かったので、「待ちに待った」という表現がピッタリの春がやって来ました。桜や桃の花が咲き、日本列島が一年中で一番輝く季節かも知れません。私にとって身近に季節を感じる場所は660坪のわが家と8年前に造った人間牧場界隈です。いずれも維持して行くのにはそれなりの苦労がありますが、サンデー毎日を自認する、退職後の私の暮らしには丁度良い程度の広さで、この8年間それなりに思いを込めて整備や維持管理をしてきました。お陰様でどちらもすこぶる充実した活動拠点となっているのです。

 自宅に隣接した場所に約1反の家庭菜園・果樹園がありますが、野菜作りもすっかり慣れて年々増え、10指に余る種類を作って、食べきれない分は近所や仲間にお裾分けして喜ばれています。しかし失敗も多く折角蒔いた種の芽が出なかったり、時期を逸したりを繰り返しながら、これで飯を食う訳でもないので、意の向くまま気楽やっています。これまで家の敷地内の草取りや家庭菜園の世話は、もっぱら親父の仕事でしたが、間もなく95歳になる親父の老化がこの1~2年急速に進み、余り当てにならなくなってきたのです。当然その分私の仕事量が増えるのですが、年寄りの亀のような仕事量はこれまで大いに役立ち、感謝しても感謝しきれないほどなのです。

 今年の春先、ブルーベリーの鉢植えを、思いきって露地に植え替えました。ブルーベリーは特に夏季の時期の毎日の水遣りが大変だったので、私も親父も大助かりですが、ブルーベリーは強酸性の土壌を好むため、果たしてわが畑の露地に馴染むかどうか心配していますが、今のところは順調に芽を出し、早くも花が咲き始めているようです。
 一方人間牧場の維持管理も、家庭菜園以上にこれまた大変で、一昨日行って見ましたが、早くも雑草が青々と伸び始めているようで、そろそろ草刈りの時期が来たことを実感させられました。人間牧場へは年間を通して沢山の人が研修にやって来ます。来た人に不快の念を与えないようにするには、早めに草を刈ったり、掃除や整理整頓をしなければなりません。

 一昨日は廃品になったスチールロッカーを友人から二つ貰い受け、ピザ釜横の作業小屋の中に運び込みました。トラックに積んだロッカーを一人で運び入れるには少々難儀をしましたが、これでピザ釜でピザを焼く時に使う小道具類は、清潔にしっかり収納できるようになりました。気になっていたことが一つ片付き、一安心といった感じです。作業小屋にロッカーを入れるとこれまで使っていたスチールの棚がやけに邪魔になり始めましたが、近々年輪塾の使う人たちがやって来る予定なので、相談して使い易いように配置換えをしたいと思っています。気になっていたことが一つ片付き、新しい年度に向けてまた一歩を踏み出しました。

  「春が来た 来たのはいいが 忙しい 日々好日と 思って生きる」

  「丁度良い 程度の作業 用意して ポジティブ生きる しんどいけれど」

  「スチールの 古いロッカー 貰い受け 整理整頓 一つ片付く」

  「ああ今日も 何とはなしに 過ぎて行く こんなものだと 思いつ生きる」

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〇ゴボウの種蒔き

 関東や東北では昨日、列車も止まるほどの雨風を伴った大嵐が吹き荒れたようですが、こちらでは幸い雨はたっぷり一日中降りましたが、名残の桜花を散らすほどの風も吹かず、南下した寒気の影響で朝晩は少々寒かったものの、わが家の借景である本尊山周辺には山桜の花が沢山咲いて、山全体が衣替えをしているように見えました。雨が降る3日前、ゴボウの種を蒔く型枠を造り、大量の土を入れて準備をしていた場所へ、ホームセンターで前日買って来たゴボウの種を蒔きました。
 ホームセンターの園芸コーナーにはゴボウだけでも、驚くほどの種類の種が置かれていました。幸い顔見知りの農家の人が居合わせたので、「ゴボウの種を買いたいのだがどんな品種がいい?」と尋ねると、「瀧の川」という普通の品種がいいと教えてくれたので、早速2袋400円弱で買い求めました。

 前日降った雨水をたっぷり吸った土は多少落ち込んで目減りしていましたが、じゅるいこともなく作業を始めました。まず小さな手鍬で土の表面に5本の筋溝を作りました。ゴボウの種袋の封を剪定バサミで切り、用意した種蒔き専用のお皿に取り出し、種を蒔いて行くのです。種は多過ぎても少な過ぎてもいけないので、目を細めながら、2袋分の種を上手く振り分けて慎重に蒔いて行きました。種を蒔き終わると丁寧に薄く土を被せてましたが、蒔いた場所が分るようその上に籾殻を筋上に撒きました。籾殻は水分を吸うため、種が発芽する時に必要な水分を自然に補給できるし、土壌改良にもなるのです。型枠床は高床式栽培のようなものなので、腰に負担をかけることもなく楽な作業となりました。

種蒔きと施肥の終ったゴボウ苗床
種蒔きと施肥の終ったゴボウ苗床

 最後の仕上げは牛糞肥料を籾殻と籾殻の間に、筋状にふって行く作業も造作なく終わり、発芽を促すため少しだけ化学肥料をパラパラと撒いて、ジョロに水を汲んできて、たっぷり散水をして道具類を片付け、全ての作業を終えました。これからは気温も上昇するので、一週間もすれば発芽するものと思われますが、折角蒔いた種を野鳥に食べられないようにしなければなりません。今日にでもテグスかテープを張って食害に会わぬようしたいと思っています。
 私は何故かゴボウが大好きです。正月等はゴボウと田作りイワシで田作りを沢山作って食べます。鷹の爪のピリリと効いた田作りに加え、ゴボウを肉と煮込んだものをソバやうどんに乗せて食べる素朴な田舎料理も、捨てがたいものがあります。今年はゴボウ料理を妻に作ってもらい、せいぜい楽しみたいと思っています。

 「大好きな ゴボウの種を 蒔きながら 舌で覚えた 料理しみじみ」

 「幕板で まるで高床 苗床を 作ったお陰 作業楽々」

 「気がつけば 家庭菜園 このところ 度々ブログ 書いて楽しむ」

 「菜園の 作業のお陰 顔日焼け 元気そうだと 仲間に言われ」

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