人間牧場

〇マムシ発見!!騒動

 昨日の朝もいつものように、ウォーキングパラダイスと呼んでいる道を散歩していました。山道や杉や桧の林を歩き終えて、双海中学校横の農道まで帰った所で、道の真ん中に何やら茶色の生き物がうごめいていることに気がつきました。「もしやヘビでは!!」とヘビの大嫌いな私は一瞬たじろきました。見るとかなり大きなマムシのようでした。人通りの少ない農道といえど、これほど人家に近い場所に、「マムシが出るなんて怖い」と思いつつ、どうしたものか見守っていました。そこへ犬を連れて散歩している顔見知りの人が通りかかりました。犬が目敏く見つけ吼え始めました。その人は何を思ったのか私に、犬をつないでいる縄を「持っといて」と渡し、近くに小走りに出かけて少し長めの竹切れを持って来て、辺り構わずマムシを叩き始めました。

 一瞬の出来事だし、その人の見事な手さばきに感心しながら見ているとその人は、やがて血を吐き動かなくなったマムシを竹棒の先で拾い上げ、近くの水が流れる水路へ何食わぬ顔で捨てに行ってくれました。一件落着とはいいながらいやはや心臓がドキドキしました。私は田舎に住んでいるし畑作業等をするのでヘビに出会うことはありますが、マムシはそんなに見ることはありません。見ても山道で車に引かれて煎餅みたいになったものなので、怖くはないのですが、目の前にマムシが現れると話は別です。私の心の中に恐怖感のようなものが芽生え、もし今朝のような助け船となる人がいなかったら、私はどうするのだろうと思いながら、散歩を終えてわが家へ帰りました。

 ふと、私が現職中シーサイド公園の人工砂浜を掃除していたころ、大雨の後大水が出て砂浜に沢山のごみが漂着した時、その漂着ゴミの中に紛れ込んで、生きているマムシが一匹流れ着いて大驚きをしたことを思い出しました。砂浜にはいろいろなものが流れつきますが、海は海水ゆえまさか生きたマムシが流れ着くなんて、誰も思わないはずです。危うく噛みつかれ災難に遭うところでしたが、難を逃れたマムシの話題は今も私の記憶の中に鮮明に残っているのです。
 また講演で訪れた奄美大島瀬戸内町の、役場裏に設置したハブ保管水槽の中に、住民から買い上げたハブがうようよしている姿を見た記憶も心の隅に残っています。
 生き物を殺す殺生は、余り好きではありませんが、人間に危害を加えるマムシはほおっておくと大変なことになるので、人の協力を得て殺してしまいました。今朝のマムシ殺傷処分事件は、事件にならない事件として、「これにて一件落着」となりました。

  「時ならぬ マムシ騒動 驚いて 犬もワンワン 私もブルブル」

  「いや凄い 田舎の兄ちゃん 竹棒で マムシ叩いて 水路にポイと」

  「学校の 横の農道 こんなとこ マムシ出るとは 思いもよらぬ」

  「漂着の ゴミに混じって 流れ着く マムシしたたか 思い出しても」

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人間牧場

〇愛媛県警察少年サポーター研修会

 私はボランティア活動の経歴がそうするのか、色々な役職を頼まれます。年齢的にはそろそろ役職を頼まれても、固辞しなければならないのですが、お金や責任を伴わない本当のボランティアの役職であれば、社会への貢献でもあるので「まあいいか」と、断わる理由も見つからず引き受けています。そのひとつに愛媛県警察少年サポーターというのがあり、再任されたこともあって昨日はその研修会に出かけて行きました。
 午後2時から愛媛県警察本部10回大会議室で行なわれた研修会には、「駐車スペースがありませんので、お車の乗り入れはご遠慮いただきますようお願いいたします」と、案内状に書いていたので、近くの有料パーキングに止めて歩いて出かけました。

 2年前に親しかった県警本部長だった岸本さんが東京へ帰ったため、県警本部には知り人もいなくなり、立ち寄る部署もなく一階で受付を済ませ、エレベーターで10階まで一気に上がりました。出席者は各警察署毎の少年サポーター17名と、警察側から7人が参加していました。会議が始まる前、隣に座った水沼さんは元学校の先生で親しくお話をしました。また大洲の山口さんも2年前に顔見知りとなっていたので声を掛け合いました。伯方の馬越さんは観光推進協議会の会長をされていて、息子が伯方署勤務の時のことを覚えていて、名刺交換しながら観光の話をしました。察するに参加したどの人も、私と五十歩百歩といった感じの立場のようで、少し安心して研修に入りました。

 少年課長のあいさつや犯罪被害者支援室長の被害者支援についての説明があった後、愛媛県児童相談所の田井野牧子さんの「人生はパズル」という講演を聞きました。「相談所や施設から見る少年及び家庭の問題点」という副題がついていて、一時間の話は参考になる話でした。田井野さんの話を聞きながら、ふと児童相談所に永らく勤めていた、親友の大野哲治さんのことを思い出しました。大野さんとは21世紀えひめニューフロンティアグループを結成して、もうかれこれ30年ほど一緒に活動していますが、大野さんから何度も田井野さんが話していたことと、同じようなことを聞かされました。社会や時代の歪に翻弄されながら生きなければならない青少年のことや、親としての素養を身につけないまま生きている親たちのことを思うと、少し空しい気持ちになるのです。

 「子どもは身近な大人をモデルとして成長する」と言われていますが、私たち大人は果たして「信頼できる大人なのか?」と尋ねられたら、どう答えられるだろうと思いました。
 愛媛県内の少年犯罪は数字の上では減少傾向にあるし、少年サポートーの出番も殆どないことは、むしろ喜ばしいことかも知れません。しかし少年サポーターという役職をいただいた限りは、その役職の名に恥じない切磋をしなければなりません。今年もふるさと双海町の子どもたちに、子ども体験塾の活動を通じてふるさと教育をしっかりやりたいし、請われればサポーターとしてお役に立ちたいと思った研修会でした。

  「子どもらは 身近な大人 見習って 生きるのですから しっかりせねば」

  「研修会 話聞きつつ 友思う 同じ話を 幾度か聞いた」

  「出番なし これに越したる ことはない 少年犯罪 減少傾向」

  「今の子が やがて大人に なるのです 因果は巡る 社会の法則」

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人間牧場

〇わが家の農作業道具考

 私の家には親父の趣味が多彩なため、色々な道具類が取り揃えています。中には100Vながら鉄を削る中国製の旋盤まであって、庭の隅に親父が建てた小さな倉庫には、所狭しと道具類が置かれています。親父は綺麗好きで几帳面なため、それらの道具類を整理整頓していますが、親父に比べれば私は息子ながら、どちらかというと反対の気風で、道具を使えば使いっぱなしで整理整頓ができず、若い頃から親父に「使ったら元の場所へ戻せ」と口癖のように叱られてばかりでした。「痩せは直っても癖は治らない」の諺どおり、私68歳、親父94歳なった今でも、時々親父から注意を受ける始末です。それでも親父の注意やお叱りが頭にこびりついていて、最近は随分片付けが上手くなったと自画自賛しているのです。

 昨日の昼、先日年輪塾で出かけた高知県四万十市からの帰路、道の駅みまに立ち寄った際、ネギの苗を二束買い求めて帰りましたが、ネギに加えホウレンソウの種を蒔くため三つ鍬で畑を耕し、畝を立てようと平鍬を探しましたがどうしても見つかりませんでした。親父に聞いても使わないので知らないと、そっけない返事です。仕方がないので少し広めの地掘り鍬で代用して畝を立て、ネギの苗もホウレンソウの種も無事植えつけることができました。
 「巾鍬は一体どこで使ったのか」と気になって、記憶を辿りながら思い起こせば、先週人間牧場でサツマイモ畑を耕運機で中耕して、マルチをかけた際、家から持参した巾鍬を使ったことに辿り着きました。

母の代から50年以上にわたって使っている平鍬と三つ鍬
母の代から50年以上にわたって使っているわが家の平鍬と三つ鍬

 昨日は21日、お地蔵さんの縁日のお接待のため、妻が炊いた赤飯を知人友人、近所に配った折、足を伸ばして人間牧場へ行って見ると、玄関先に無造作に巾鍬が置かれていました。要は置き忘れていただけのことでした。親父に見つかると始末が悪いと言われそうなので、とりあえず軽四トラックに積み込んでわが家まで持ち帰り、鍬類の置いてある場所へ戻しました。
 わが家には家庭菜園での農作業用に幾つもの作業方法によって、使い分ける鍬類が沢山ありますが、私がよく使うのは13年前に亡くなった母が、愛用していたものが殆どなのです。とりわけ三つ鍬と平鍬は土に打ち込む角度といい使い勝手といい私にピッタリで、農作業でこれらの鍬類を使う度に、母の手のぬくもりが蘇ってくるのです。
 鉄類は使えば使うほど光り輝きますが、三つ鍬も平鍬も親子二代半世紀50年に渡る長年の農作業で、そろそろ暇を出したいほど鉄が痩せてきました。下灘の宮内周蔵さんという鍛冶屋さんが手打ちした道具は、まさに「いい仕事してますね」と誉めてあげたい道具なのです。

  「平鍬が ないといっては 大騒ぎ 使い忘れて 親父に叱られ」

  「半世紀 親子二代が 使ってる 地元の鍛冶屋 打ちし鍬持つ」

  「道具類 大事に使えば 元以上 錆びることなく 黒光りする」

  「使ったら 元に戻せと 口癖の ように指導の 言葉未だに」

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人間牧場

〇声が出ない!!、致命傷かも!!

 2~3日前から喉の調子が悪く、声が出にくくなっています。異変に気がついたのは年輪塾へ参加をする土曜日の朝でした。いつものように朝4時に起きて布団体操を10分ばかりやって書斎へ入り、パソコンでブログを書き始めると、少し咳が出始めましたが別段体調が悪いということもなく、「お父さんご飯よ」と妻が呼びに来てくれ、言葉を交わすと声が殆ど出ず会話にならなくなって、初めてのどの異変に気がつきました。「お父さん風邪かも知れない。薬を飲んだら」と勧めてくれましたが、風邪薬を飲むと眠くなるからと断わって軽い食事の後、荷物をまとめて伊予市まで妻に送ってもらいました。
 合流した松本さんや浜田さんが、「ちょっと声がおかしい」といち早く察知してくれましたが、私「大したことはない」、松本・浜田「若松さんが声が出なくなったら何の値打ちもない」などと笑いのネタとなりました。

 高知では3分間スピーチ程度の話だったので、その場はうまくしのぎましたが、明くる日帰宅してから今日まで、妻の用意してくれた風邪薬を飲んだお陰で幾分声は出るようになりましたが一向に治らず、講演が間近に迫っているので気が気ではないのです。このところ朝晩の気温差があって、体調を崩したのかも知れないと思いつつ、喉の異変で体力の衰えを感じました。
 私は殺しても死なないほどタフな人間です。それは常日頃から妻が食事に気を配ってくれるし、体調維持のために毎日散歩や体操を心がけているからです。特にインナーマッスルという言葉に出会ってから、その思いは強くなりました。私は年に2~3回程度ぎっくり腰になっていました。ぎっくり腰になる度に行きつけの整体院に駆け込んで直してもらいましたが、その時ぎっくり腰になるのは背筋や腹筋が弱っているからなるのだと、腰痛体操を勧められました。

 忙しさもあってそんな助言も上の空でしたが、5年前ぎっくり腰が酷くなり、5日間も動けなくなりました。以来インナーマッスル、つまり内側の筋肉を鍛えることを思いつき、毎朝夕僅か一回10分~15分程度ですが、布団体操をやるようになりました。腹直筋、腹斜筋、大腰筋、腹横筋などのインナーマッスルを鍛えたお陰で、あれから五年ぎっくり腰になることもなく、整体院へはこの五年一度も行かないのです。まあ筋肉のコルセットとでもいうべきもので体調を維持しているのです。
 私たちは得てしてアウターマッスル(外側の筋肉)を鍛えようとダンベル等を使って運動し、中には高いお金を出してジムに通ったりしていますが、インナーマッスルはテレビを見ながら、あるいは布団の上で簡単にできるのでお勧めです。私は人間牧場と家庭菜園の農作業でアウターマッスルはできるので、むしろインナーマッスルに重きを置いて体力保持に努めようと思っています。
 さて喉のインナーマッスルトレーニングは、一体何をすればいいのでしょう。まさか「咳・声・喉に浅田飴」か「龍角散は真面目な喉のお薬です。いい薬です」を信じて浅田飴や龍角散トローチをいつもなめる訳にもいきませんね。

  「覚えたぞ インナーマッスル 内筋と それじゃどうする これが難し」

  「声出ない 私にとっては 致命傷 使い過ぎたと 笑いのネタに」

  「喉や声 鍛えるために 歌手たちは どうしているか そこが聞きたい」

  「浅田飴 龍角散の トローチを 幾らなめても 声は治らず」 

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人間牧場

〇年輪塾学習会の後の宿泊交流会(その4)

 私たちは土佐清水市中央公民館での学習会を終え、宿泊交流会の会場となっている四万十市西土佐を目指して、それぞれの交通手段で出発しました。私たち一行はカーナビに道案内を頼んだため、その後国道とは名のみの、とんでもない九十九折続く山道を走ることになりました。四万十の下流域中村から中流域の江川崎までは、何度も通り熟知しているはずなのに大失態で、交流会の始まる午後6時になっても私たちの車だけが到着せず、皆さんに心配をかけてしまいました。

 四万十市に隣接する四万十町の十和を経由して午後6時10分に、会場となるヘルスセンターに到着すると、既に酒盛りが始まっていました。テーブルの上には中脇裕美さんが和田修三さんに頼まれて作ったという、土佐流皿鉢料理が沢山並んでいました。極太の鮎塩焼きや山菜野菜の天ぷら、イタドリの和え物、野菜サラダ、そうめんなどどの味も超逸品で、酒を飲まない私はもっぱら食事に専念し満腹となりました。地元の地域おこし協力隊の三木さんや中脇裕美さんも加わり、お国自慢も飛び出して賑やかな交流会が、高知らしく延々と続きました。途中馬路っくクラブの木下さんがリクエストに応えてマジックを披露、酒の勢いも借りて最高に盛り上がりました。

四万十川はどこへ・・・
四万十川はどこへ・・・?
四万十川はどこから・・・?
四万十川はどこから・・・?

 私は寄る年波もあり早々自室に引き上げ風呂に入った後、テレビを見たり本を読んだりしなが、西土佐の夜長を楽しみました。同室の松本さんが帰ったのは11時ころでしたが、電気を消し疲れたいびきをかきながら眠りにつきました。
 明くる日はいつものように朝4時に目が覚めましたが、身支度を整え外が明るくなった5時頃に宿舎を出て散歩に行きました。四万十川に架かる西土佐大橋を渡り役場付近まで行って歩いて引き返し、カヌー館周辺の公園を一人でのんびり散策していると、散歩している見知らぬおばちゃんから、「もしや愛媛県双海町の若松さんじゃあないですか?」といきなり声を掛けられ、びっくりしました。聞けば西土佐の集会所や文化ホールで私の講演を2~3度聞いたことがあるというのですから驚きです。立ち話をして再び歩き始めましたが、朝の約一時間余りの散歩で万歩計は1万歩近くになっていました。

川岸に見える星羅四万十周辺
川岸に見える星羅四万十周辺

 みんなで朝食を取った後解散し、それぞれのふるさとを目指しましたが、天気予報どおり西土佐を出る頃から雨が降り始め、三間の道の駅を経由して伊予農協へ妻に迎えに来てもらった頃には、少し強い雨になっていました。松本さんの車にカメラを忘れ、いつものようにお粗末な結末となり、松本さんの奥さんの実家で心春ちゃんと再会できた幸運にも恵まれ、今回の二日間の旅を締めくくりました。

 今回は新しい出会いは少なかったものの、仲間との交流が深くなり、ジョン万次郎にもまた一歩近づきました。出会いや小さな旅は日ごろの疲れを癒し、新しい活力を与えてくれます。さあ次はどこを目指しましょうか。

カヌー館周辺の案内マップ
カヌー館周辺の案内マップ

「西土佐の 夜を挟んだ2日間 出会い重ねて 楽しからずや」

「風誘う 風に誘われ 風になる 一万歩き 心爽やか」

「散歩する 見知らぬ人が 声かける いやはや驚き こんな所で」

「振り出した 雨もまたよし2日間 次にはとんな 出会い待ってる」

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人間牧場

〇年輪塾第三回目の学習会(その2)
 日本を変えたジョン万スピリッツ2

足摺岬に建つジョン万次郎の銅像
足摺岬に建つジョン万次郎の銅像

 四国の最南端足摺岬には灯台と四国霊場八十八ヵ所のお寺があります。その中ほどに今回の集合場所となっている、ジョン万次郎の銅像がありました。私はこれまでにも度々この地を訪れ銅像を見ていますが、高知県には室戸岬に中岡新太郎、桂浜に坂本龍馬、足摺岬にジョン万次郎の銅像がそれぞれ建っていて、これ以外にも多くの偉人や歴史上の人物の銅像があるようで、その一部始終がジョン万次郎の銅像の横に紹介されていました。今回は年輪塾のテーマが奇しくもジョン万次郎であるだけに、出会いも一入で、各地から集まった年輪塾参加のメンバーは、銅像を見上げながらしばし紹介文を読んで納得したようでした。

白亜の足摺岬灯台
白亜の足摺岬灯台

 そのうち全員揃ったところで、高知県の今回の世話役である和田修三さんの案内で、足摺岬の灯台見学に出かけました。高知県馬路村から参加していた木下さんは、ヒザの不自由な西田和子さんの手を引いて優しいところ見せてくれました。足摺岬は高知県でも一・二を争う観光地ですが、高速道路が延伸したとはいえ、さすがに遠く、かつての賑わいは殆どなく、土曜日だというのに散閑としていました。ツバキも既に散っていましたが、黒潮の恵みとでも言うのでしょうか、断崖絶壁のあちこちには早くも、夏の花である白百合が可憐に咲いていました。眼下に見える穏やかな太平洋の海の色も紺碧で、沖合いを貨物船が何隻か航跡を残して走っていました。

黒潮踊る太平洋
黒潮踊る太平洋

 白亜の灯台はやはり足摺岬のシンボルで、初夏の晴れ渡った青い空に、すっくと立っている姿は何ともいえない姿でした。お寺へもお参りして元来た道を引き返し土佐清水の市内にある中央公民館2階のホールを借り受け、本番の年輪塾を開講しました。過去2回に引き続き講師を務めてもらっている青野博さんから一時間ほど、①江戸幕府の鎖国政策と海外事情に関する情報収集、②ペリー来航時に万次郎の果たした役割、③万次郎のアメリカでの足跡とアメリカでの万次郎に対する評価について、レクチャーを受けました。その後参加者からクジ順に沿って、一人3分ずつスピーチを行い、青野講師が様々な角度から指導のレクチャーをしてもらいました。最後は私が前回質問した④万次郎の宿命と運命についてまとめも講義を受けました。

 私が前回の年輪塾で青野講師に送った質問は次のとおりでした。
 「万次郎が漁に出て、漂流したのは1841年、私も122年後の1963年(昭和38年)1月、愛媛県立宇和島水産高校の実習船愛媛丸に乗船して遠洋航海の帰路途中、伊豆半島沖で大時化に遭い、死を覚悟しました。万次郎の人生は漂流によって宿命が運命に変わりました。私もこの航海が宿命から運命に変わったような気がするのです。万次郎の運命と宿命についてみんなで議論したいと思っています」。

                           平成24年12月15日 第2回ジョン万塾

  ①14歳までの万次郎は漁師の長男、貧乏、僻地漁村という宿命を背負っていた。
  ②漂流、鳥島漂着、捕鯨船救助、ホイット・フィールド船長との出会いが宿命を運命に変えた。
  ③漂流から帰国までの9年と帰国後隠居までの20年は自らの力で運命を切り開いた。
  ④隠居から71歳の生涯を閉じるまでは、家柄もなく、学歴もなく漁師出身のなり上がり者として自由  
   平等とはいながら、大都会東京社会の冷遇で宿命の28年の晩年を送ったのではないか(私の推測)

  「ジョン万を ただひたすらに 研究す 講師のち密 だだただ感心」

  「宿命を 運命にした きっかけは 漂流流れ 着いた鳥島」

  「足摺の 岬に立ちて 紺碧の 海を見ながら 先人思う」

  「歴史上 生きた人とは いいながら 自分ダブらせ 生き方学ぶ」

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人間牧場

〇面白い話と難しい話

 昨日は日本銀行松山支店の3階会議室で午後2時から、金融広報アドバイザーの研修会があり出かけて行きました。前半1時間は松山はいくガイドローゼン千津さんという方の「もし正岡子規がスマホを持っていたら!? ~松山はいくコースにみる松山の歴史&文学ふしぎ~」という講演を聞きました。名前からして「国際結婚?」と思いきや案の定、アメリカ人ナサニエル・ローゼンさんというチェロストの奥さんでした。千津さんはご存知俳人として大活躍の、夏井いつきさんの妹さんだそうで、夏いいつきさんと顔見知りなこともあって、親しく話を聞いたり名刺交換をさせてもらいましたが、中々の博学で聞きごたえのあるお話でした。正岡子規に若松進一を置き換えると、私はこれほど進んだ文明の世の中に生きているのに、まだスマホの恩恵に浴しておらず、時代遅れだと思いました。

 後半一時間は事務連絡と白塚重典日本銀行松山支店長さんの「最近の金融政策の運営について」というお話でした。金融広報アドバイザーをしている私としては基本的に分からなければならない話だし、興味のある話でしたが、量的・質的金融緩和、デフレ脱却、消費者物価上昇率、マネタリーベースの目標、波及メカニズム、フィリップス曲線、アベノミクス、政府・日銀の共同声明、高齢化・人口減少への対応が急務、長期金利、為替レート、株価、経常収支、景気・物価の見通し、中心的なシナリオ、民間エコノミスト予想との乖離、当面の景気面ポイント、世界経済の見通し、当面の物価面のポイント、まとめというパワーポイントで表示された、全て理解できるほど優秀でないだけに、理解し難い専門用語も沢山あって、コンセンサスならぬ混線さすの様な感じもしましたが、門前の小僧習わぬ経を読むので、難しがらず何度も聞けば少しは理解できるようになるだろうと、メモを取りながら熱心に聞かせてもらいました。

 面白い話と難しい話のコラボレーションは、私に異文化ギャップを味合わせてもらい、久しぶりのカルチャーショックでした。この年齢になると好きなことはどんどん興味を示すものの、嫌いなものは得てして門前払いをしてしまいがちですが、新聞の政治や経済も読まなければと心を新たにしました。
 今日から2日間は、私が塾長を務める年輪塾高齢の学習会が高知県土佐清水市と、四万十市を会場に行なわれる予定で、間もなく待ち合わせ場所の伊予農協前へ、妻に送って行ってもらう予定です。足摺岬に建つジョン・万次郎の銅像にも久しぶりに出会う予定だし、講師の青野博さんの講話や塾生との再会も楽しみです。こうして少しずつ老いの坂道をブレーキを踏みながら下れる幸せを、噛みしめながら生きています。

  「軟と硬 織り交ぜながら 生きている ショック療法 ボケる暇なし」

  「マネタリー アベノミクスと 言われても 中身も知らず 頓珍漢です」

  「ジョン万の 銅像会うを 楽しみに 今日は土佐行き 仲間とともに」

  「四時間も 走って四国 まだ不便 それゆえ文化 残っています」

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人間牧場

〇孫たちの遠足と弁当

 遠足と言えば戸外へ出るため、決ったように気になるのはお天気です。天気が悪く雨になると「園長先生が雨女だから!!」などと揶揄されたりしますが、昨日は何の疑いや心配もなく、前日から好天予想が立ちました。孫たちにとっては今年最初の遠足なので楽しみなのか、夕方からその話で持ちきりでした。
 私「明日の遠足はどこへ行くの?」、孫希心「松山総合公園」、孫奏心「お母さんと一緒に地域事務所の前からバスに乗って行く」などと大はしゃぎです。二人ともいつもは「急がんと遅れるよ」とせかされれているのに、昨日は余程楽しみだったのか朝早く起きて準備に余念がありませんでした。

お母さんの作った弁当に手を出す孫希心
お母さんの作った弁当に手を出す孫希心

 お母さんも昨日は少し早起きをして、台所でお弁当の準備をしていたようです。やがてお弁当ができたと言うので息子たちのダイニングへ、見学がてら入ると、台の上にそれは見事なメルヘンタッチの弁当が出来上がっていました。孫たちもその弁当を見て満足そうで、ちゃっかりつまみ食いをして叱られていました。孫の希心は少し嗜好が変わっていて、大人の私たちが好んで食べる梅干や、フキの佃煮がなぜか好物で、前日私が人間牧場の畑から採集してきて皮を剥き、妻が灰汁抜きをして炊いた梅干し入りのフキの佃煮を、入れるように注文があったそうなのです。私が子どものころはフキも梅干しも、余り好きでなかったのに何故?と、家族みんなが首をかしげて不思議がっているのです。

 孫たちはお母さんに連れられて遠足に出かけ、午後3時頃に大汗をかいて元気に帰って来ました。「僕は今日園長先生と二人でバスの一番前に座ったんよ」と希心、「お弁当が美味しかった」と奏心、二人の孫それぞれに楽しい思い出ができたようでした。
 孫希心は保育園の年長さんで、来年はいよいよ小学校へ入学です。私たち爺や婆は普通に育って欲しいと願っていますが、親は人より少し上を目指すものです。息子と若嫁を足して2で割ると子どもだと思えばいいので高望みはしませんが、折角私たち爺婆と同居しているのですから、せめて心の優しい子どもに育ててやろうと、当たり前のことですが靴を並べること、あいさつをすること、言葉遣いを注意することなどに気を配って、少しだけ誉め、悪いことをしたらお仕置きを繰り返しています。3歳の孫奏心は早くも反抗期で、何かにつけて私と遣り合っています。これも同居の楽しみの一つです。孫って良いものです。

  「孫たちの 遠足天気 絶好調 リュックに弁当 行ってきますと」

  「朝早く 起きて弁当 作る嫁 中々出来栄え 孫つまみ食いする」

  「先生と バスの一番 前の席 座ったんよと 思い出話」

  「おじいちゃん 割ることして 叱られる 爺の役目は これくらいなもの」

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人間牧場

〇四年ぶりの耕運機再始動

 人間牧場の農場に、サツマイモのつるを植える季節が今年もやって来ました。10日後には子どもたちがやって来るので、何かと準備をしていますが、一番の仕事は畑の中耕です。これまでは担当者だった木曽さんや松原さんが、自分の耕運機を持参して中耕してくれていましたが、二人とも他部署に異動したため思うに任せず、結局は前任の松原さんに無理を言って、先週の金曜日に中耕する予定でしたが、あいにく雨に見舞われ中止となりました。代替日を探すものの相手や私の予定もあり、結局別の方法を考えることになりました。
 人を当てにし過ぎると多少もやもやが募ります。そこで考えたのが古い耕運機の再始動です。人間牧場の倉庫には古い耕運機が眠っています。私の友人で大洲市田処に住む亀本幸三さんが人間牧場用にタダでくれたものですが、最初は巧く始動していたものの故障で動かなくなっていました。亀本さんにそのことを告げると、早速持ち帰って修理をしてくれ動くようになっていたのですが、今度はガソリンが漏れ始め、こに4年間使わずに倉庫に眠ったままでした。

四年ぶりに始動した耕運機と中耕した畑
四年ぶりに始動した耕運機と中耕した畑

 昨日は草を刈ったり宮領先生とのトラブルで作業手順が狂ったため、倉庫の耕運機の修理を思い立ち、引っ張り出してパッキンに水道工事用のシールを巻いて応急の修理をしたところ、何とか油漏れは収まりましたが、素人の修理ゆえ動くかどうかは心配でした。5~6回始動の紐を引っ張ると、四年ぶりにエンジンの軽やかな音が蘇りました。
 さてこの耕運機を急な斜面からどのようにして下の農場まで降ろすか、たった一人の力では不可能なようにも思いました。ふと私の友人で大洲市長浜町豊茂に住んでいた菊地邦求さんが、二年前耕運機の下敷きになって亡くなったことが頭を過ぎりました。菊地さんの二の舞になっては大変と、倉庫からロープを取り出し、安全策を講じながら慎重に畑まで無事降ろすことができました。思いついたついでに、試運転のつもりで中耕を始めましたが、中々の出来栄えに嬉しくなりました。

 中耕した畑は赤土で芋の作付けには最適ですが、中耕の度に多少石が出てきます。それらの石を丹念に拾い上げました。耕運機の作業も炎天下なので麦藁帽子を被っていても久しぶりに大汗をかいてしまいました。一通りの中耕を終えたところで担当の赤石公民館主事さんに電話を入れました。赤石さんは昨日休みを取って人間ドックに行っていましたが連絡がつき、今日は耕運機の手配をしなくてもいいと伝えました。
 今日は予定通り中耕した畑、にビニールのマルチをかける作業をする予定です。親父の調子が少し悪く気にかかっていますが、何とか作業を進めたいと思っています。
 晴耕雨読とでも言うのでしょうか。最近は天気がいいことを理由に寸暇を惜しんで人間牧場へ出かけ、農作業に汗を流しています。昨日は中耕作業が一段落した余勢を借りて、梅林の下草を刈りました。そこには立派なフキも沢山生えていて、摘み取ってじゃこ天のおばちゃんたちに、帰る途中立ち寄りお裾分けをしてあげ、大層喜ばれました。気温が急上昇したため人間牧場界隈には既に薮蚊が出始めました。そろそろ蚊取り線香にお役にも立って貰わねばと思っています。そうそう、4日前空き家だった蜜蜂の巣箱一つに入居が確認されました。これで人間牧場の巣箱は、6つ全てに入居したようでホクホクです。家の裏の巣箱は2つしか入居せず、少し心配ですが・・・。

  「四年ぶり エンジン始動 耕運機 何とか中耕 間に合いました」

  「大汗を かいて晴耕 力こぶ 人に頼らず 何とかできた」

  「油漏れ 応急修理で 止まったが やはり中古 私と同じ」

  「薮蚊出て 体の周り うろうろと 蚊取り線香 そろそろ準備」

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人間牧場

〇久しぶりに県庁と地方局へ行きました

 現職を退くと県庁や地方局のような官公庁に行く機会が減り、余程のことがない限り前を通っても、「何かご用」と言われそうで顔を覗かせません。そういえば今年度に入ってから、県庁や地方局へはまだ一度も足を踏み入れてないなあと気がつき、昨日は仕事がらみもあって、あいさつのつもりで県庁と地方局へ行きました。かつての友人たちもそれ相応の年齢になって、それ相応の重職についているため、権力の象徴として個室が与えられている人も沢山いますが、格式の嫌いな私はどうも敷居が高くて、ついついドアの前で入るのを躊躇してしまうのです。
 昨日は中予地方局の7階大会議室で開かれた、松山地区生活研究協議会のリーダー研修会の講演を頼まれ出かけました。少し早く到着したので、この春地方局長に就任した松森さんを訪ねました。松森さんはまちづくりセンターで主任研究員をしていた頃知り合いましたが、今は私などとは格の違いとでもいうのでしょうか、会うことすら躊躇するのです。昨日は出張中だったようなので秘書の方に名刺をお渡しして出ようとすると、隣の部長室から「若松さんお元気ですか。どうぞ中へ」と勝田部長さんから気軽に声がかかり、お茶を飲みながらお話をさせてもらいました。いやはや驚きました。

 リーダー研修会は午後2時からでしたが、会場の入口付近のソファーに腰をかけ、産業振興課長の藤田さんと久しぶりにお話をすることができました。藤田さんもかつて、まちづくりセンターの主任研究員だった頃知り合いましたが、藤田さんには特別親しくしてもらい、双海町の山の上で開いたフロンティア塾に毎回参加し、特に私が執筆し21世紀えひめニューフロンティアグループが出版した、「今やれる青春」という本には巻末へ寄稿までしてもらっているのです。今も変わらぬ謙虚さに、ただただ感心しながらお話をさせてもらいました。
 研修会にはかつて私が愛媛県青年団連合会の会長をしていた頃、副会長として活動をともにしたことのある、東温市の藤井由紀恵さんも参加されていて、懐かしく話をさせてもらいました。藤井さんは生活研究協議会の県の会長を永らく務めたり、どぶろく特区で地域づくりをやっている立派な方で、何年か前県政発足記念の表彰を一緒に受賞して以来の出会いなので、懐かしさ一入でした。帰りにはどぶろく特区で造ったどぶろくをお土産にまでいただきました。

どぶろく由紀っ娘物語
どぶろく由紀っ娘物語

 講演は「心豊かに生きる」と題した話をしましたが、参加者の中には顔見知りも多く、アドリブながら楽しい話をすることができました。昨日のように、失礼ながら田舎のおばちゃんに話をするくらい楽しい事はありません。生き方を共有し、話に共感・共鳴してくれるのです。時には笑い転げ、時には吹くハーモニカの音色に合わせて口ずさんで歌ってまでくれるのです。
 世の中が混沌とし、田舎に生きる人たちは、足腰が痛い、年金が減る、過疎だ高齢化だ、学校がなくなるなどと、不満をタラタラいいながら人生を過ごしていますが、そんなに今を嘆き将来を不安がっても、何にも変わらないのです。どうせだったら田舎暮らしに満足し、田舎を見せびらかせて生きる方が得策なのです。私はその見本のような生き方をしていると、自負し生きています。空気は美味い、食べ物は美味い、水も空気も美味い。安全で安心な野菜は作って美味しく食べているし、魚だって沢山貰うのです。夫婦や家族や近所や友人といった、人間関係もすこぶるよく、たまに都会へ出かけれる、これ以上何の不足があるでしょうか。
 今日も朝が待ち遠しく、いつものように早朝4時に目覚めて一日がスタートしました。間もなく朝日が昇ります。

  「久方に 県庁訪ね 人に会う それぞれ出世 個室いただき」

  「何をしに 来たのと問われ 後ずさり しそう心に わだかまり持つ」

  「久方に 会った女性に どぶろくを 土産に貰い 在りし日思う」

  「水美味く 空気も美味い 食べ物の 田舎暮らしに 満足しつつ」

 

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