人間牧場

〇アシスト事業成果発表会

 昨日は午後から松山市道後にある身体障害者福祉センターで、地域づくり人養成講座とアシスト事業の発表会を兼ねた研修会が持たれ、私もアシスト事業の審査員として関わっているため、発表のコメンテーターとして、前田眞さんとともに参加しました。
 発表会には前年度採用された6団体と、今年度決定通知を受けた6団体の関係者、それに地域づくり人養成講座の受講生が集まっていたため大盛況でした。参加者の中には発表に望んだまちづくり学校双海人関係者10人や、今年度女性が決定している双海町ジュニアリーダー関係者もいて、双海町の人たちがやたらと目立った雰囲気でした。

まちづくり活動アシスト事業成果発表会
まちづくり活動アシスト事業成果発表会

 発表は、1.まちづくり学校双海人、2.里山づくり炭焼き隊、3.ふれあいステーションきくま、4.こもねっと、5.今治市認知症介護者家族の会、6.三津浜クリエーターの6団体が持ち時間10分間を使って発表し、その都度前田さんが講評し、私は残った時間で感想と指導助言を行ないました。発表は一年間の活動報告ですから10分では話し足りないほど盛りだくさんで、助成の効果は十分過ぎるほどで、発表のテクニックも個性があっていい雰囲気でした。発表のタイムキーパーがしっかりしていたため、少し時間に余裕ができたらしく、担当者から「少し長めにコメントして下さい」と耳打ちされ、30分の時間を与えられました。私の話は次の講演までの時間つなぎなので、言われた時間通りにお話をしました。

 講演は愛媛大学農学部の笠松先生が、「農山漁村における生業と地域づくり」と題して一時間ばかりお話されました。笠松先生は私が関わっている農学部の農山漁村地域マネジメント特別コースの担当でもあるのですが、話を聞くのは初めてなので興味深く聞きました。
 これからどう生きるか?というまとめの話は私も同感で、環境収容力・環境容量の中で生業と暮らしを組み立てる生き方は私が常日頃考えて生きている生き方の、理論であり論理のようでした。身近な生産+身近な消費(地産地消、農的暮らし、自然エネルギー、食糧とエネルギーの自給自足)、消費と抑制(低収入&低支出、化石燃料の低減)、人と人、人と環境のつながり(知恵、技、掟の見直しと伝承、地域の自立)については、私も少し研究して整理をしておきたいと思っています。

 オフライン交流会は、隣の友輪荘に会場を移し、60人を越える参加者で久しぶりに熱気に包まれました。お酒を飲まない私は食いっぱくれた昼食替わりに腹を満たし、全ての人に酒注ぎに徹したお陰で、手持ちの50枚の名刺が瞬く間になくなり、4~5人の人には恥をかいてしまいました。
 わが町のまちづくり学校双海人のメンバーも多いいに盛り上がり、ここにありの存在を示していたようです。私は松前町で人に会う約束があったので、6時半に切り上げ次の会場へと車を進めました。そういえば昨日6月22日は息子の誕生日でした。妻は息子に誕生日のプレゼントをしたようですが、若いと思っていた長男息子も、昨日で40歳の大台に乗ったようです。昨日は日本のシンボル富士山が三保松原を含めて世界遺産登録決定した、日本国民にとって嬉しい一日でもありました。

  「発表会 思考色々 凝らしてた 中には下手糞 これもまたいい」

  「おらが町 双海人は 完璧な 発表でした 流石頷く」

  「30分 少し長めの コメントを 要求されて それなり話す」

  「わが息子 40歳の 大台に 富士山遺産 登録した日に」

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人間牧場

〇スモモを狙うカラスとの戦い

 昨日は一日中雨、しかも台風崩れの温帯低気圧の影響で、西日本ではかなり激しい雨が降りました。今朝はその雨も上がって、久しぶりに朝日が昇ろうとしていますが、山を背にした急峻な地形に住んでいると、台風や大雨の度に土砂崩れ等を心配して暮らさなければなりません。最近は天気予報も精度が良くなり、前触れもなく降る雨は仕方がありませんが、大雨が予想されると側溝の点検や掃除を余念なくやっているため、今回のようにかなりの雨が降っても被害もなく、まずはホッとしていますが、これからは梅雨の末期だし地盤が緩んでいるので、気を抜かないように乗り切りたいと思っています。

初収穫したスモモ
初収穫したスモモ

それでも気になって、昨日は雨が降る中昼前、人間牧場へ様子を見に行きました。下浜トンネルを通る細い道を登って行くと、池久保川の水量が増し、ゴーゴーと音を立てて流れていましたが、やがて到着した人間牧場界隈は雨と霧で、海も空もまったく視界がきかず、ウッドデッキも雨に濡れていました。
 ロケーション風呂の横に植えているスモモの木に、カラスが2~3羽止まって何やら啄ばんでいるようでしたが、私の存在に気付いたのかカラスは雨の中を一目散に飛び立って、どこかへ逃げて行ってしまいました。よく見ると先日まで青かったスモモの実が赤く熟れ始めているようで、カラスは私たち人間様がいないことをいいことに、どうやらスモモを食べていたようです。

 雨が小降りになったのを見計らって、スモモの木の所まで降りて行き、手の届きうる枝で熟れているスモモをとりあえず50個ほど、採果袋を使って収穫しました。スモモの木は雨に濡れていたので、私の洋服も少し濡れましたが、思わぬ収穫で食べるのが楽しみながら、カラスが目をつけたようでは、人間牧場は日ごろ無人のため、全滅の被害に遭うのです。早速帰りに農協の事務所に立ち寄り、脅し用の赤や金銀色のビニールテープを4巻き購入して帰りましたが、昨日は雨、今日は出張のためビニールテープを張る暇がなく、悶々とした気持ちになっています。
 妻も孫も若嫁もスモモが大好きなようで、昨日は大変喜こんで食べてくれましたが、イノシシは地上戦ながらカラスは空中戦なので、私の勝ち目は薄く白旗を上げるのも時間の問題のようです。

  「一年を かけて実った スモモさえ カラス先取り 白旗雲行き」

  「美味しいと 孫妻嫁が 食べてるが カラスのおこぼれ 人間哀れ」

  「ビワの実が まだ残ってる そのうちに スモモの味を カラスが覚え」

  「空中戦 人間様は 苦手ゆえ カラスの勝利 今年も 当選確実」

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人間牧場

〇久しぶりにまとまった雨が降る

 昨日は夜来から今朝方まで、止むことのない時にはかなり激しいと思われる雨が、一日中降りました。今年は春先から小雨気味で、夏場を控え水不足が心配され、既に2~3日前から松山市では減圧給水に踏み切ったり、節水を呼びかけたりしていましたが、まさに恵みの雨の影響で、松山市の水がめである石手川ダムの水位も徐々に回復し、今朝の新聞報道によると前日同時刻から23.2ポイントも水位が上昇し、貯水率は97.0%となっているようで、ひとまず水不足は解除されました。毎年のことですが梅雨前線の活発な影響とはいいながら、僅か一日で水不足が解消される自然の持つ復元力には、ただただ驚かされるばかりでなく、人間の無能や無力を感じずにはいられないのです。

 今年は早くも2つ目の台風が本土を覗っているようです。今回の雨のように適当なお湿りで慈雨と感じるような雨ならまだしも、台風を伴った大雨には要注意です。妻は裏山が崩れて大被害に遭った過去の教訓を生かして、梅雨に入ると決ったように私と息子の長靴、それに雨合羽を用意して、いつでも対応できるようにしています。昨日の大雨は幸い土砂崩れもなく推移していますが、双海町は地すべり地帯だけに、いつ何時被害が出るか分らないので、危機管理能力を高めてわが家や人間牧場を災害から守りたいと思っています。
 今朝は大雨の後なので、21日お大師さんの縁日で赤飯のお接待を配るついでに、人間牧場の様子を見ておこうと思っています。

 孫たちは雨が降ったら何故か喜びます。多分朝の登園時、私の軽四トラックの助手席に乗ることが楽しいようで、今朝も「おじいちゃん、今日は保育園にトラックで行こう!!」と誘われました。車で行けばものの2~3分で行ける近い距離ですが、孫たちにとってはまるで冒険にでも行くようにはしゃいでいます。大家族で暮らすようになって2年余り、孫たちと育爺の関係もすっかり板につき、大家族で暮らす幸せを噛みしめています。
 今朝孫奏心が長靴を履く時、お母さんに教えてもらったのか、長靴を逆さまにして確認し、「おじいちゃんもムカデが入っていたらまた刺されて、救急車に乗らんといけんよ!!」と指導してくれました。どこにそんな知恵があるのか、「参った参った」の、笑い声聞こえる朝でした。

  「雨はいい だけど降り過ぎ 気にかかる 長靴合羽 妻は用意す」

  「渇水の ダムが満水 近くなる 自然は偉い ほとほと感心」 

  「長靴を トントン叩けと 孫注意 赤面しきり 今朝の玄関」

  「ああ今日も シトシト雨が 降っている 穏やかな朝 穏やか心で」

 昼過ぎ、雨脚が強くなったので、裏山の側溝の掃除に出かけました。長靴を履いて傘を差し、麦藁帽子という軽装で出かけたため、巾鍬で側溝をさらう作業を30分ばかり続けた結果、側溝は綺麗になり雨水の流れはよくなりましたが、ずぶ濡れネズミになってしまいました。台風が温帯低気圧に変わったものの、雨はかなり降り続いていて、各地で被害が出始めているようです。親友木下さんの住む馬路村魚梁瀬では、相変わらずいつものことながら、かなりの雨量のようですが、当の本人は毎度のこととやり過ごしているようです。(笑い)

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人間牧場

〇季節を彩る花々に心癒されて

裏庭に咲くジュウヤクの花
裏庭に咲くジュウヤクの花

 昨日は台風4号の影響で朝から南西の風が吹き、梅雨特有の蒸し暑い一日でした。会う人会う人から「蒸し暑いねえ」と幻滅気味の言葉が飛び交っていましたが、家の周囲に目をやると、わが家は自然豊かな田舎ゆえ、家の周囲には沢山の野の花や花木が咲き乱れているのです。今最も多く咲いているのは、よく薬草として使うジュウヤクの花で、手に付着すると臭い香りのする草ながら、「見て見て」といわんばかりに今が盛りと、可憐な花を咲かせているのです。野の花は一見目立ちませんが、植えることもなく、水をやることもなく、自然サイクルの中で生えて咲くゆえ、どこか清楚で見ていても飽きない不思議な魅力があるのです。

クチナシの白い花
クチナシの白い花

 ふと目をやると、いつの間にか庭の隅にくちなしの花が咲いていました。昔島根県大根島から籠背負子を背負って売りに来た、行商人のおばさんから買った小さな苗を、庭の隅に植え込みましたが、いつの間にか大きくなって、かなりの数の捩れたつぼみをつけていて、花はまだ走り花のようでした。クチナシの花はとても匂いがよく、そっと鼻を花に近づけると、何ともいえない香りがして癒された気分になります。クチナシは花が終わると黄色い実を生らせますが、この実は天然染料として料理によく使うため、わが家では重宝しています。お正月のおせちに煮る栗きんとんや沢庵の漬け込み、かき餅の色付けにと妻がよく使うのです。
 渡哲也がが歌って大ヒットした「くちなしの花」という歌を口ずさむ私は、もう古いタイプの人間だと、納得しながらAmのハーモニカでこの歌を吹いて、一人余韻に浸りました。

玄関先を飾る額アジサイの鉢植え
玄関先を飾る額アジサイの鉢植え

家の裏には鉢植えのアジサイが咲き始めました。退職時に友人からプレゼントされた鉢植えなので、枯らさないようこの8年大切の育ててきましたが、今年も可憐な花を咲かせて楽しませてくれています。アジサイの花の一鉢を玄関先へ運び飾ってみました。仕事から帰った妻が「まあ綺麗ねえ」と誉めてくれましたが、折角咲いたアジサイの花ですから、せいぜい楽しみたいと思っています。
 道端の草花にも目をやり愛でる、ユックリズムな余裕と優しい心を持って日々を暮らしたいと、常々思っていますが、日々の忙しさや目の前の事象に心を奪われ、現実は中々上手く行かないものです。今朝は朝から外はかなり激しい雨が降っています。水不足もこれで幾分解消されそうですが、雨音を静かな心で聞くのも久しぶりです。「ああ私は今日も生きている」、そんな清々しい朝でした。

  「気がつけば 家の裏には 沢山の ジュウヤクの花 綺麗に咲きて」

  「クチナシの 白い花咲く 裏庭で 鼻近づけて 花匂い嗅ぐ」

  「退職時 友人くれた アジサイを 枯らすことなく 大事に育て」

  「花綺麗 雨音さえも 感じ取る 朝を迎えて のんびり過ごす」

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人間牧場

〇夕日の楽しみ方

 梅雨の季節は滅多に夕日を見る機会がないと、勝手に思い込んでいますが、今年のような空梅雨模様の年は、結構夕日を楽しむことができるのです。そんな夕日を目当てに県内外から多くの人が、私の口車に乗って夕日見学にやって来るのです。その人たちから決ったように聞かれるのは、「夕日はいつが一番綺麗ですか?」という質問です。普通なら「空気の澄んだ秋のころ」と答えるのでしょうが、へそ曲がりな私は、「あなたが来る日が一番綺麗」とおどけて見せます。幾ら「双海の夕日は日本一だ」と自慢しても、見ない人には分らないのですから、当然と言えば当然の答えなのです。

 

愛媛新聞地方版で紹介された本谷の夕日
愛媛新聞地方版で紹介された本谷の夕日

 ある人は「どこから見る夕日が一番綺麗ですか?」とも聞きますが、海抜ゼロのシーサイド公園から見る夕日も、日本一海に近かった下灘駅から見る夕日も、また唐崎夕観所や高台にある潮風ふれあいの館から見る夕日もそれぞれ趣があるので、幾つかの夕日スポットと、日没予定時間を自分が作った「夕日の時刻表を基に説明をしています。
 3日前の新聞に、「棚田と夕日愛好家魅了」「伊予市・双海隠れ撮影スポット」という記事が紹介されました。大久保本谷地区の棚田に落ちる夕日が、海岸線を走るJR予讃線の列車とともにフレームに収まる姿は、度々夕日夕焼けフォトコンテストの作品として「紹介されますが、場所を知らない人は案外多いようです。

 誰もが見る夕日スポットで夕日を見るのもいいのですが、自分だけの夕日見学スポットを持つことも楽しいものです。その点私には季節限定ながら、人間牧場とわが家というとっておきの場所を二つも持っていて、その気になればいつでも綺麗な夕日を観賞することができるのです。
 季節の巡りは早いもので、盛夏も来ないあと2日後に迫った夏至の日、太陽は最も北寄りのコースを通り、夏至の日を境に西よりにコースを変え、日没時間も午後7時24分から毎日1分程度短くなって行くのですから不思議です。季節と暦のズレは余程気をつけていなければ、分らないことが多いのですが、夕日を愛し夕日を追っかけていると、暦の流れがよく分るのです。

  「新聞に 夕日スポット ご紹介 早速友人 電話で道を」

  「私にも 隠れた夕日 スポットが とっておきゆえ ひとり占めする」

  「気がつけば 間もなく昼の 時間さえ 短くなりて 秋へと向かう」

  「今日もまた 夕日見学 やって来る 遠来の友 期待してるが」

とっておきのおわが家から見える夕日
とっておきのおわが家から見える夕日
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人間牧場

〇蜜蜂社員5千匹の社長は私

 人間牧場も裏山も、10個の蜜蜂の巣箱は今のところ順調なようで、蜜蜂たちは自分の巣箱の位置を忘れることもなく出入りし、忙しく働いてくれています。先日私のブログに、蜜蜂の巣箱をアパートに例えて書いたところ、友人から面白い表現だと書き込みがありました。そこで蜜蜂の働きぶりを見て思うことは、会社の経営です。私は蜜蜂会社のオーナーです。オーナーの私は、まず自分の能力に応じた10個の巣箱を用意しました。そしてその巣箱を蜜源や日当たり等を考慮して、人間牧場と裏山に置きました。私は本社たる自宅にいて色々と段取りをしますが、社員は社長の私と蜂蜜を精製する工場長たる息子の、たった2人だけです。私は蜜蜂の飼い方や作業手順を教えてもらえる井上登師匠というコンサルを持っています。どうすれば働きバチという社員を沢山集めることができるか、どうすれば良質な蜂蜜を採集することができるか、様々な智恵を教えてもらい、それをマニュアルにしながら、一年間の作業を組み立てて実践するのです。

屋外の気温が30度を超え、暑いのか巣箱の入り口でたむろする蜜蜂たち
屋外の気温が30度を超え、暑いのか巣箱の入り口でたむろする蜜蜂社員たち

 10個の巣箱は支社か営業所のようなものです。巣箱の中をデジカメで時々覗いて営業状態を調べていますが、巣箱の中には無数の働き蜂の社員が蜂玉を作って群がり、営業所長である女王蜂の支持に従って、巣作りから巣の管理、蜂蜜の収蔵まで、本社社長の支持などまったく気にもせず、蜂蜜収蔵の営業成績を上げるため、社長の私が昼寝をしようが出張していようが、一日中休むことなく働いてくれているのです。まるで10個の営業所が営業成績を競うように・・・・・。
 私の営業所への口出し介入は、営業所開設時の日本ランキンリョウヘンの設置と蜜蝋塗り、それにスムシ対策とスズメバチ対策くらいなものです。今年はキンリョウヘンと蜜蝋のお陰で、遅い早いの差はあっても、営業所は全て順調に営業を始めています。問題はこれからの巣の管理です。スムシは蜂の天敵なので、小まめに掃除をしてやらなければなりません。またスズメバチも秋口になると巣箱の前で待ち構えて、辺り構わず社員たる蜜蜂を食い殺してしまうのです。

 仮に一箱に500匹のミツバチがいるとすると、社長たる私は10箱×500匹=5000匹の社員を抱えていることになります。いやはや5000匹の社員とは大企業です。しかし社長だからと威張る訳には行きません。営業所の中身は女王蜂たる営業所長次第で、営業成績も晩秋のころ巣箱を開けてみなければ、どれほどの蜂蜜がつまっているのか正直何も分らないのです。去年は目標の5升を大きく上回る10升の営業成績を収めました。今年もその程度欲しいのですが、余り欲を出すとロクなことがないので、昨年の目標の5升に少し上乗せをした程度に設定をしています。
 本社社員の息子は、糖度や純度にこだわったり、瓶詰め作業やラベルのデザイン等に情熱を燃やしていますが、はてさてどうなることでしょう。高知県馬路村の親友木下彰二さんの仲介で、蜜蜂の巣箱をひとつ貰って始めた養蜂も、早いもので6年目を迎えました。井上登師匠の指導で、今では5000匹の社員を抱える立派な蜜蜂会社に成長していますが、今年こそはミツバチに刺されないようにしたいと、自戒の念を込めて会社経営に当たろうと思っています。

  「ミツバチが 社員であるなら 五千匹 私は会社の 立派な社長」

  「夜昼を 問わず休まず 働いて 蜜を集める 働き蜂たち」

  「10箱の 巣箱はいつも 闇の中 女王蜂たる 蜂の指図で」

  「蜜蜂は 周囲2キロを 飛び回り 営業続け 蜜を集める」 

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人間牧場

〇夜神楽見学会(その2)

 第一部の夜学を終えた私たち一行は、ほたる行燈のほの暗い明かりを頼りに、500mほど先の熊野神社を目指して、飛び交う幻想的なほたるの光を見ながら、矢落川に沿って歩きました。遠くで神楽の始まりを告げる太鼓の音が聞こえ、急な階段を登って熊野神社の境内に入ると、かがり火が焚かれて幽玄の世界が広がっていました。私は毎年のように、もう何度もこの場所を訪れて、愛媛県指定の無形文化財である藤縄神楽を見ているため、境内に集まった人の中には顔見知りの人も沢山いて、あいさつを交わしながら拝殿の中の空いた座布団席に座って、見学させてもらいました。
 神官の衣装をまとい神楽を演じる石岡さんは、長い取り組みの中ですっかり神楽の中心人物として活躍している姿を見て頼もしく思いました。

かがり火の焚かれた夜神楽会場の熊野神社境内
かがり火の焚かれた夜神楽会場の熊野神社境内

藤縄神楽にはめくりに示されるとおり、色々な演目がありますが、藤縄神楽の特徴はどの場面でも演技者が目の回るような回転をするのです。私は勝手に藤縄神楽を回転神楽だと思っています。神官が刀を持って回る舞や、月と日輪の書いた漆塗り皿を落とさずに回す舞は、神業に等しい妙技でいつも感心して見ています。
 昨年に続き今年も鬼の面を被ったダイバンに声を掛けられ、境内から拝殿に呼び上げられ、塗り皿を二つ持って回転の舞を披露する羽目と相成ってしまいました。お客さんのやんやの拍手喝采を浴びて、調子に乗って何回も回転して、ムカデ騒動の後の体調もあって少し目を回しましたが、三崎に住む友人浅野先生が連れて来られていた、外国人の女性も飛び入り参加して、ダイバンと一緒に転げるハプニングもあり、大いに盛り上がりました。

神楽の舞
神楽の舞

 

藤縄神楽は奥ゆかしい正調演目もさることながら、希望すれば参加者誰もが舞に参加できるため、とても身近に日本の伝統文化を楽しむことができるよう、心を配っているようです。ゆえに人気があると納得し、今年も回転舞を披露したお礼に、お餅を沢山いただきました。午後9時から新装なった旧田処小学校の2階にて交流会が開催されるため、私たち一行は早々に引き上げましたが、「来年もまた来て下さい」と沢山の人から惜しみない拍手と声を送られました。
 朝から昼過ぎまでの雨や、夕方からの濃い霧も止み晴れて、空には綺麗な三日月が顔を覗かせていました。ほたるも綺麗でした。交流会は手作り郷土料理が沢山並び、私は山崎の美味しい豆腐を殆ど一丁ペロリと食べてしまい、勧められるままアルコールゼロのビールを飲み過ぎ、酒に酔った松本さんと富田さんを途中で降ろし、12時近くにやっと自宅へ到着しました。九十九折の山道を走ったため、妻は車に酔ったようでしたが、何はともあれ楽しい一夜でした。

  「拝殿に 呼ばれ上がって 舞披露 グルグル少し 調子乗り過ぎ」

  「外人の 女性がダイバン 蹴飛ばして 拝殿笑い 大きな渦に」

  「見上げれば 三日月煌々 路照らす ほたる一緒に ついて飛ぶなり」

  「ゼンマイや 筍山菜 並びたる 田舎接待 嬉しくなりて」

藤縄神楽を演じる私
藤縄神楽を演じる私(松本撮影)
大杉年輪塾での交流会
大杉年輪塾での交流会(松本撮影)
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人間牧場

〇雨でも来客がある人間牧場

 昨日は朝から天気がぐずつき気味だったので、少し朝早く起きてジャガイモを掘り始めました。4畝を掘り終わるころにポツポツと小雨が降りだし、急いで彫り上げたジャガイモを東屋の木陰に入れ終ると、雨の勢いが増し始めたものの、間一髪で掘り上げたジャガイモを濡らさずにすみました。その後収穫していた最後の梅の実を梅干用に12キロ漬け込み、更に残った梅の実で梅酒を作るため、昨年漬け込んで地下室に保存していた梅酒の8L広口瓶を4個取り出し、梅酒を搾って一升瓶に6本取り、空いた瓶に3kgの梅と砂糖2.5kgを交互に入れ、大豊作ゆえに長かった今年の梅の収穫作業と、漬け込み作業をやっと無事終えることができました。

福嶋さんからいただいたお米
福嶋さんからいただいたお米

 昼前から雨脚が少し強くなり梅雨特有の霧が出ましたが、13時に人間牧場へ中予地方局久万高原森林林業課の福嶋さんご夫婦が見えられるので、長靴を履いて軽四トラックで出かけました。福嶋さんには6月7日、久万高原町で開かれた森研グループの総会で講演に招かれ、その折人間牧場へ一度お越し下さいと案内していたため、早速来牧が実現したのです。福嶋さんは穏やかな方で、双海町にも高校時代の同級生がいて、また下灘小学校のイチョウの木や池久保のヤブツバキの樹勢回復のための、プロジェクトにも骨を折ってもらっていて、池久保公民館付近で待ち合わせできるほど、双海町の地形をよく知っていて驚きました。さらに奥さんは消費者団体の活動にも参加していて、私の友人についても詳しく、二度三度の驚きでした。

 雨が降るし、海と空の見分けも付かないほど濃い霧が立ちこめていたので、何をすることもできず結局3人で、思いつくまま世間話をしましたが、福嶋さんは上畑野川で自分が作ったミネアサヒという品種のお米を、15キロもプレゼントしていただき大感激でした。早速近々人間牧場で行なう集会で、かまどを使って炊いて、参加者に振舞いたいと思っています。私はお土産の用意もせずに出かけたので、少し心苦しい気持ちになりました。
 海の傍で生まれ育ち海を見て暮らしている人間には、久万高原町のような山村は一種の憧れがあります。逆に久万高原町のような山間地に住んでいる人にとって海は、憧れかも知れません。いつか天気の良い日に家族でお越しくださることを願っています。

 その後午後3時に、高知県四万十市西土佐に地域おこし協力隊でやって来ている三木さんという女性が人間牧場へ来て見学し、その後一緒に大洲市柳沢田処大杉年輪塾へ同行する予定でしたが、私の準備が間に合わず、結局三木さんの案内は地域事務所の松本さんと富田さんにお任せすることにしました。三木さんとはその後大洲市田処の活性化センターで再会し、夜11時まで交流の輪を広げました。
 雨が振っても人間牧場へ来る人あり、雨も風情があってまたよしといった感じでした。

  「雨降りて 海・空境 区別なく コスモス牧場 わが意を得たり」

  「海人は 山恋しくて 山人は 海に憧れ それぞれ趣き」

  「山間で 作ったお米 手土産に 夫婦揃って 牧場訪問」

  「いいですね 感心しきり 見学者 お世辞ではない お世辞の言葉」

高知県四万十市地域おこし協力隊の三木さん来牧(松本撮影)
高知県四万十市地域おこし協力隊の三木さん来牧(松本撮影)
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人間牧場

〇蜂に刺されて救急車(その4)

 蜂に刺されて救急差で運ばれながら、私はその日のスケジュールが気になっていました。午前中は大洲市田処の亀本さんがわが家へ味噌と夕日徒然草という本を取りに来る手はずになっていたし、何よりもシーサイド公園で11時に、鳥取県から遠路やって来る藤原さんと、待ち合わせをしていたのです。困ったと思いながら家に置いて来た携帯電話で、清水さんに電話をかけて藤原さんに、緊急事態の発生を電話をするよう若嫁に妻を通じて頼んでもらいましたが、亀本さんとは会う時間を詳しく打ち合わせをしていなかったため、ハプニングのゴタゴタで連絡が取れていませんでした。

 日赤での処置を終え自宅へ帰ると、家の玄関先に豆腐と酪連の飲み物が置いていました。とっさに留守の間に亀本さんがやってきていることを察知して、お断りの電話を入れました。亀本さんとは今日会う予定なので一件落着しましたが、鳥取県からやって来る予定だった藤原さんへの連絡はずっと気がかりでした。幸いにも明くる日の昨日、午前10時に同じ場所で出会えるよう清水さんが連絡を取ってくれていたのでホッと一息でした。
 昨日はその藤原さんが予定通り10時にシーサイド公園へ見えられました。清水さんが連絡を取ってくれていた地域事務所の松本さんと、地域おこし協力隊の富田さんも一緒になり、ジャコ天の店入口の休憩所を借りて、じゃこ天とお茶をご馳走になりながらお話をしました。藤原さんの話によると、10月ごろ藤原さんがコーディネートしている鳥取の地域おこし塾の一行を、わが双海町へ連れて来るのでその受け入れをして欲しいと言うのです。

じゃこ天店前の休憩所にて
じゃこ天店前の休憩所にて

その話は四人でトントン拍子に進み、あいにく持ち合わせていなかった私のスケジュールが開いていれば、10月1日~2日で実行することがすんなり決まりました。その後訪問するであろう場所をスケジュールをなぞるように、JR下灘駅、人間牧場、潮風ふれあい公園(宿泊と交流場所)、わが家の煙会所と海舟館、翠小学校と矢継ぎ早に早足で巡り、12時を少し過ぎたところで、シーサイド公園にてお暇しました。
 昨日はもう一件前日キャンセルしてしまっていた人生相談を受けていて、私は昼食も取らず再び人間牧場へ軽四トラックで向かいました。うつ病になったご主人を伴って、奥さんと二人でやって来ましたが、60歳のAさんは人間牧場のウッドデッキに気持ち良さそうに座り、色々なことを話してくれました。カウンセリングや人生相談など私の範ちゅうではありませんが、止むにやまれぬ事情があるようで、行き掛かり上今後も相談に乗ってあげたいと思っています。昨日は2件の未処理を解決した忙しい一日でした。

  「ハチ刺され 予定変更 明くる日に 回して対応 ゼロに戻りて」

  「二日間 思わぬ足止め した友を 町内案内 足早説明」

  「うつ病の 主人伴い やって来た 奥さんともども ウッドデッキで」

  「スケジュール ゼロに戻りて ホッとする 急がし一日 多分に今日も」

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人間牧場

〇百足に刺されて救急車(その2)

 私が救急車に乗るのはこれが3回目です。1回目は指先を怪我して血が止まらなくなり、自宅から消防署出張所まで車で駆けつけ、伊予市の病院へ運んでもらいました。2回目は教育長時代裏山が台風の風雨で崩れ、その処理のためチェンソーを使って倒木の処理をしていて、チェンソーが跳ねてスネの下を切る大怪我をして県病院へ連れて行ってもらい、約2週間入院しました。前2回のことを考えれば、「まさか百足に刺されたくらいで」と、救急車を呼ぶのをためらいましたが、背に腹は替えられずお世話になりました。
 そんなことを意識朦朧の中で思いながら、救急車の中のベッドの上で寝かされ、車窓に流れる見覚えのある看板や樹木を見ながら、救急車は朝のラッシュの車の群れを縫うように走りました。

私の乗った同型の救急車
私の乗った同型の救急車

妻はあらかじめ、救急車に乗るときこの日の当直医院に指定されている日赤松山病院に、看護師としてたまたま勤めている息子に、手助けの電話をかけたようです。藁をもすがる気持ちだったのでしょうか、タイムリミットギリギリの8時25分に、日赤松山病院玄関先に到着しました。救急車の車のベッドから病院の移動式ベッドに移されて処置室の中へ入れられました。息子は準夜明けだったようで運よく在宅でしたが、私たちよりひと足早く病院に到着して、私の乗った救急車の来るのを待ってくれていました。
 救急隊員が病院の看護師さんに詳しく病状を引継ぎながら、とりあえず点滴と採血が行なわれ、2階の内科へ回されました。平日木曜日だと言うのに外来の患者さんも多く、私の順番は中々来ないと思っていましたが、急患ということもあっ診察置室に入り医師の診断を受けました。既往症や病気暦等を聞かれるままに答え、肩に大きな皮下注射を打たれステロイドというアレルギーを抑える薬を点滴管に差し込んで、処置室で30分ばかり流しました。

 その後全身に広がっていたジンマシンも少し収まり治まり、呼吸困難も解消されて診察の結果が良かったため、入院することもなく薬をいただいて帰宅することになりました。その間ずっと付き添ってくれていた看護師の息子にも、勿論一部始終の面倒をかけた妻にも大感謝です。
 息子が病院から自宅まで送ってくれましたが、安静にするようにと医師から言われていたので、爽やかな夏風が吹き込む居間に布団を敷いてもらい、午後は少しのんびりと身体を横たえました。その間うつらうつらしていると、枕元の携帯電話や自宅の電話の呼び出し音が鳴り、度々起こされてしまいました。
 そのうち保育園から母親に連れられて帰って来た2人の孫たちが、寝ている私の腫れた手を見て、「おじいちゃん痛かった?」「早く直ってね」と優しい声を掛けてくれ、元気が回復したような気分になりました。やはり同居とはいいものです。聞きつけた松山に住む孫尚樹からも見舞いの電話が入りました。

  「救急車 これで乗るのは 三回目 まさか百足で 救急車とは」

  「病院は 病気ならぬと 有難さ 分らぬものと 思いつ感謝」

  「看護師に なってる息子 付き添いて あれやこれやと これにも感謝」

  「今日だけは お前優しい これからも こんな優しさ 欲しいと妻に」 

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