人間牧場

〇竹で葺いた屋根

 人間牧場のウッドデッキから見ると、眼下に瀬戸内海や水平線、青い空が180度の視界をとなって目に飛び込んできます。このコスモス(宇宙)と呼ぶに相応しい空間こそ、人間牧場の人間牧場たる所以であり主張なのです。その視界を遮るように邪魔をしているものが、電柱と電線、それに杉の木とローケーション風呂の屋根です。最初はそれらが気になって仕方がありませんでした。やって来る来訪者もそのことが気になるらしく、時々ご指摘を受けますが、朝日新聞に勤務しその後鳥取県議会議員になった砂場さんは、「電柱や電線は心の目で消せばいい」と言いました。視界を遮る杉の木を見たある人は、「ふるさとのこの松切るな竹切るな」と高浜虚子の句を引用し、緑を大事にしている私の心を誉めてくれました。

息子の発案で竹で葺いたロケーション風呂の屋根
息子の発案で竹で葺いたロケーション風呂の屋根

 はてさてロケーション風呂の屋根は如何なものか?と疑心暗鬼になっていましたが、人間牧場の建物を設計したわが息子は、屋根に真竹を半分に割り節を丁寧に取って交互に並べて葺いてくれました。当時は資金もそんなに余分がなく始めたので、竹で屋根を葺くと竹代だけでも有に10万円はするのです。私は費用、息子は意味を主張し真っ向から対立しましたが、結局私が折れて屋根は竹で葺きました。
 あれから8年が過ぎました。何がなく訪れる度に見ている光景なので、それほど気にもせず見ていますが、やって来る来訪者の中には竹で葺いた屋根を誉めてくれる人もいて、私ではできなかった発想と行動に、わが息子ながら感心しているのです。

 さてロケーション風呂の竹で葺いた屋根はどのくらい寿命があるのでしょうか。最初息子が「切り時のいい竹なので10年くらいは持つかも知れない」と言っていたこと思い出しました。8年が過ぎた今にして思えば、「もうそろそろか」と、屋根の様子を注意深く見ているのです。
 環境に優しいとか、景観に配慮した考えは頭の中では分っていても、お金がかかるものですから、中々取り組みにくいものです。でももしロケーション風呂の屋根がトタンだったらどうだったのだろうと思うと、10万円の費用もさることながら、やってよかったと思うのです。
 はてさてそろそろ10年、屋根の葺き替えのための10万円の費用を、これから工面しなければならないようです。

   「ロケ風呂の 屋根竹で葺く 10万円 息子押し切り やってよかった」

  「景観は 金で買えない ものゆえに 気配りしつつ 大事にしつつ」

  「10年の 寿命間もなく やって来る 新た10万 用意算段」

  「10年は あっという間に やって来る 残りの余命 目算しつつ」

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人間牧場

〇人間牧場で良樹塾の終了式(その2)

 昨日はコープえひめの第一線で働く20人の中堅職員が集まり、人間牧場で良樹塾の終了式が行なわれ、私と私がお手伝いを頼んだ年輪塾の浜田さんと二人で、その対応に追われました。食事の準備は骨が折れるものです。ましてや今回はピザを人数分焼くとあって、浜田さんには前日の仕込みもあって、随分迷惑をかけてしまいました。でも傍で様子を見た限りでは、ピザもかまどご飯も味噌汁もまあまあ満足してもらったようで、少しホッとしています。
 食事が終ると終了式を前に大川さんがファシリテーターとなり、一年間を振り返った3分間スピーチが行なわれました。その内容は羅列すると概ね次のようなことが語られていました。

車座になって
車座になって

 ・色々な講師の話が聞けた。
 ・日々の仕事に忙殺されていたが、仕事と自分を外から冷静に見つめることができた。
 ・数字の見方を学ぶことができた。
 ・命がけで取り組む経営者の視点が印象的だった。
 ・自分が変わらねばならないと思った。
 ・心の引き出しを多くするよう努めたい。
 ・目標を持ちコツコツ積み重ねることの大切さを学んだ。
 ・既に学びを実行に移している。
 ・自分の学びを後輩に伝える義務がある。
 ・組織を動かすのは結局人だから人を育てなければならない。
 ・できたこと、できなかったことを検証しながら一歩前へ進みたい。

時には熱っぽく
時には熱っぽく

 最後に「若い皆さんへの期待」というテーマで30分間、私のスピーチが組まれていました。私は高知県馬路村魚梁瀬杉の切り株の上に腰を下ろし、思いつくままお話をさせてもらいました。沖合いに浮かぶ周防大島出身の、旅する巨人宮本常一の「記録しないと記憶されない」という言葉を引用して、メモを取らない姿勢に少し苦言を呈しました。馬路村の友人木下さんを引用し、思ったこと、気がついたこと、浮かんだアイディアを自分宛のメールに送り、スキルをアップして輝いて生きていると紹介しました。
 また最近の人は知識の習得を、インターネットに依存して本を読まないと、これまた苦言です。そこで自分に投資するつもりで、私の書いた「夕やけ徒然草」を買って読んではどうかと、手前味噌、裏が味噌の提案しました。予想を超えて自分に投資してくれました。

 最後に大洲青少年交流の家の松岡所長さんからいただいた彫刻文字、近江聖人中江藤樹の「知行合一」と、私が常々求めている「恩」について話しました。この1年間色々な知識を学んだけれど、それを知識として終らせることなく行いと合一することによって、大きな成果が得られると締めくくりました。
 大川さんも坂村真民さんの「鈍刀を研く」という言葉を引用されました。切れない刀は幾ら研いても切れないかも知れないが、研く行為によって鈍刀を磨いている自分の心が磨かれると、味わいある言葉で締めくくられました。塾と熟は違うけれど、未熟を半熟にし、半熟を完熟にする塾は、これからのコープえひめにとって大きな力になることでしょう。

  「苦言言う これも私の 仕事かも それを受け入れ 初めて前へ」

  「投資せず 成果求める 人多し 努力必ず 報われるもの」

  「鈍刀を 幾つ磨いた ことだろう 気がつきゃ自分 心磨かれ」

  「ああやっと 人間牧場 らしくなる ここで育って あちこと散らばり」

良樹塾終了式の記念写真
良樹塾終了式の記念写真
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人間牧場主

〇戻ってきた一枚のハガキ

 先日愛媛県金融広報委員会から頼まれて、大洲市立平野小学校の6年生にお話しに行きました。僅か50分の講演でしたが、実に楽しい授業でした。何よりも嬉しかったのは26人全ての児童が後日カモメールの暑中見舞い用のハガキにて、感想を寄せてくれたことです。早速私は26人の児童にハガキを書きました。書いたといっても多少忙しかったことを理由にズルをして、夕焼けトロッコ列車に乗った時撮影した7月24日の、双海の夕日を絵葉書風にあしらい、ショートなメッセージをパソコンで入れて全員共通のハガキを出したのです。多分届いているだろうと郵便局を信じていました。

戻ってきたハガキ
戻ってきたハガキ

 ところが、数日後一枚だけ宛名が不完全で配達できません」と、赤インクの横文字スタンプが押されて手元に戻ってきました。そういえば他の児童は番地まではっきり書いていたのに、この児童だけは大洲市平野町だけでした。そんなに広い都会でもないので届くだろうと鷹を食っていましたが、やはり大洲の郵便局は都会だったようです。
 どうしたものかと思案していたら、先日亀本さんの紹介で大洲市役所の森岡さんが、私の自費出版している「夕やけ徒然草」という本を分けて欲しいと、わが家まで取りに来られました。森岡さんの自宅は大洲市平野町なので、迷惑ながら調べてほしいと頼みました。森岡さんは明くる日から東京へ出張中だったにもかかわらず、律儀にも出張先の東京からその子どもの住所を調べ、昨日電話をかけてくれました。

 聞けばこの子どもは双子らしく、兄弟の一方には私の書いたハガキが届いているので、このままほおっておくと、双子のもう一人の子どもを悲しませることになったようなので、結果的には森岡さんに相談して遅ればせながら番地まで調べてハガキを出せたことで、少しホッとしているところです。その子どもには全て手書きでハガキを書きました。何故ハガキの到着が遅れたのかも、相手を傷つけないように気配りをして書きましたが、いやはや随分遠回りをしてしまいました。私は毎日ハガキを書いていますが、子どもから来るハガキも多いので、子どもにハガキを出すことも多いのです。子どもから来るハガキは殆どみんな鉛筆で書いています。でも嬉しい反応に一喜一憂しながら、ハガキのやり取りをしています。

  「講演で 出かけた学校 児童から ハガキ続々 汗かき対応」

  「都会でも ないと思しき 大洲から 住所不備だと ハガキ戻りぬ」

  「友だちに 住所調べを 依頼する わざわざ東京 電話連絡」

  「子どもゆえ 心に傷を つけぬよう 気配り書いて ポスト投函」

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人間牧場

〇丸太輪切りの板に彫られた恩という文字(その2)

 先日私が運営委員長を務める国立大洲青少年交流の家から電話が入り、松岡所長さんに頼んでいた木彫りの置物とでもいうべきものが、できたから取りに来るようにとのことでした。運よくその明くる日大洲市立平野小学校の6年生へ、お話しに行く機会があったので、講演に先立ち立ち寄りました。所長さんはあいにく出張で留守でしたが、所長室へ置いている木彫りをいただいて帰りました。
 松岡所長さんは書と木彫りが上手く、時々訪ねる青少年交流の家の所長室には、所長さんが彫った木彫りの書があちらこちらに置かれていました。それらは全て素人の私の目で見ても玄人はだしで、その出来栄えに感心するばかりでした。

丸太の輪切り板に彫られた「恩」という文字
丸太の輪切り板に彫られた「恩」という文字

 前に出かけた折、大洲にゆかりの近江聖人中江藤樹の言葉である「知行合一」という言葉を彫ってある作品をいただきました。折角いただいたのだから書斎に飾っておくだけでは勿体ないと、エコバッグに二宮金次郎の銅像と一緒に忍ばせ、講演に行く先々で青少年交流の家や松岡所長さんの話とともに、中江藤樹の話や「知行合一」の意味について話をしているのです。
 今回私が松岡所長さんにお願いしていた文字は「恩」という一文字です。欅の木と思しき直径25cmほどの輪切りの板に、「恩」という文字が彫られ、文字は黒色で、朱色の落款まで入れた手の混んだものでした。人間牧場のテーマが「恩」なので、近いうちにこの木彫りを水平線の家のどこかに掲額として飾りたいと思っています。

 「恩」とは人から受ける感謝すべき行為です。恵みや情とも訳せますが、心はあくまで「恩を着る」、つまり受けた恩をいつまでも有難く思うことであり、間違っても恩を施したことについて、ことさらに有難く思わせる、「恩を着せる」であってはならないのです。「着る」と「着せる」は「せ」が一字入っただけで、とんでもない意味に早変わりします。
 私のこれからの生き方は、「恩返し」です。間違っても「恩を仇で返す」ことのないよう、しっかりと恩を心で受け止めたいものです。

  「頼んでた 恩という文字 彫ったから 取りにおいでと 電話連絡」

  「大好きな 恩という文字 一字だが 様々出来事 思い浮かびて」

  「これからの 私の人生 恩返し 大したことは できないけれど」

  「おじいちゃん これは何だと 聞く孫に 父さん子ども 名前に心」
   (息子の名前は一心、孫の名前は希心、奏心です)

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人間牧場

〇夷険一節(いけんいっせつ)

 人間牧場を造ってから早いもので、9年目の夏を迎えています。5年計画で次々造った諸施設も年々充実し、すっかり自然に溶け込んできましたが、ほころびも目立ち始め、水平線の家やロケーション風呂の外壁はキツツキ(赤ゲラ)の被害に遭って、あちらこちらに穴が空いていますし、塗ったペンキもこの8年間で少し色あせてきました。このままほおっておくこともできず、近々無色系のペンキを塗ろうと息子と相談していますが、自分たちでこの作業を安上がりに進めるため、足場をかけずに梯子を使って塗ろうと目論んでいます。ペンキ代も要ることから多少二の足を踏んでいるのです。

 人間牧場は私のわがままな人生の最後のわがままで造ったものなので、施設の維持管理や保守作業を誰に助けを求めるでもなく、一人でやらなければなりません。「草刈り作業くらいは手伝うよ!!」と仲間は呑み会や研修会の度に言ってくれますが、手伝いに来る人は年輪塾生第1号の浜田久男さんくらいなもです。浜田さんは年に何回か連絡を取り合って,水平線の家の掃除やワックス塗りに、「修行」と称してやって来ます。今では阿吽の呼吸そっ琢で、かゆい所に手が届くほど手伝ってくれるのです。
 人間牧場を造る時、煙会所で散々迷惑をかけた妻は、「造るのはいいが私を巻き込まないで!!」と釘を刺されているので、忙しい妻を巻き込むことはできません。幸い人間牧場を設計した息子が狸が石を投げるくらいに時々手伝ってくれますが、「人間牧場は将来お前のものだ」と言いつつ、余り当てにしていないのです。

 「夷険一節(いけんいっせつ)」という言葉があります。自分の運命が平穏であろうと険しく厳しいものであろうと、節操を変えずその職責を全うする、つまり物事をなすに当たって志がしっかりしていることのようですが、少なくとも人間牧場構想の実現は誰がどうであれ、私が志を持って始めたことなので、人を当てにせず、しっかりとやって行きたいと思っています。
 4年前千本桜の森づくり事業で人間牧場の隅に植えた標準木の枝垂桜も根を張り大きく成長し始めています。また水平線の家の隅に植えもしないのに雑草の如く生えた2本の杉の木も、家の屋根を越えるまでに伸びました。この8年間、桜や杉の木に比べ私の成長はどうだったのだろうかと思って考えますが、いささか心もとない感じもするのです。これから先も桜や杉の木に負けないよう進化したいものです。

  「難しい 夷険一節 服膺し これから先も 進化の道を」

  「杉・桜 日々成長の 足跡が 私はどうか 負けているかも」

  「八年も 経つと施設は 老化する しっかりメンテ 自分の力で」

  「部屋の中 並んだ本が 日焼けする 自然の紫外 意外ときつい」 

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人間牧場

〇7月の五行歌

 昨日松山五行歌会の見山あつこさんから7月の歌会の結果が送られてきました。私の今月の作品です。
  母が逝ってから
  十三年目の夏
  都会で暮らす弟に
  帰って来いと
  法事の日どり

 講評欄に次のような言葉が添えられていました。
 ☆「帰って来い」と言ってもらえる弟さんは幸せです。兄弟愛が溢れています。日本の夏、お盆の情景も浮かびます。節目の法事にみんなが集まる喜びも感じられ、日本の風習の大切さを再確認しました。
 母が逝って早いもので13年が経ちました。気丈に一人で暮らしてきた親父も最近「もうわしも長くはない」と気弱な言葉を漏らすようになりました。それもそのはずあと1ヶ月で親父は95歳になるのです。老々介護という言葉がありますが、息子の私もあと2ヶ月で69歳になります。親父の面倒を見るのは長男たる私の役目です。法事は兄弟姉妹でやろうと計画しています。都会で暮らしている弟にも案内をしました。

 出席歌の一席は葵空さんの次の歌でした。
  ときに同じ表情
  ときに悲しみをわけあう
  ずっと向き合って
  お互いをうつしあう
  海と空になりたい

 欠席歌の一席は不徳竹さんの次の歌でした。
  年金支給日
  お父さん
  長生きしてね
  と妻が言う
  わかっとる!!

  「歌会の 締め切り寸前 送る歌 人の作品 見つつ反省」

  「自分流 いいと納得 して作る だけどやっぱり もっと勉強」

  「今月も そろり締め切り 近づいて 慌てふためく どうやら癖に」

  「作品を 二つ送れと 督促の メール届いて 慌てふためく」 

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人間牧場

〇わくわく生活体験「夕焼け村」事前説明会

 市町合併して10年近くが経つと、合併前の双海町時代から継続しているものも姿形が随分変わってきました。イベントはその際たるもので、下・上灘で行なっていた夏祭りも下・上灘交互の開催となったり、逆にトライアスロン大会が増えたりして今日を迎えていますが、これまで地域事務所を中心にやっていたイベントも、全て中央集中管理方式となり、本来イベントはローカルであるべきなのに?と、首を傾げたくなるような出来事が次々と起こり、これも仕方のないことと私たちの非力さを嘆きながら諦めているのです。

 それでも双海町はまだましな方で、まちづくり学校双海人などの活発な活動のお陰で、それなりの情報発信を続けているのです。まちづくりはできないことをいくら嘆いても前には進めません。できないことをできるようにするのがまちづくりの知恵の出しどころなので、そのことを弁えたとえ予算がゼロであっても、ゼロから出発して始めること、続けること、高めること、止めることを念頭に、大いに頑張っているのです。
 双海町時代から続いているものに、子ども教室があります。現職のころからその実行委員会の委員長をやっているので、請われるまま辞める勇気もなくその職に留まっていますが、そのプログラムの内容に限っては、常に新しさを求め、マンネリではなく伝統の領域を続け・高めながら現在に至っています。

わくわく生活体験「夕焼け村」事前説明会
わくわく生活体験「夕焼け村」事前説明会

 その活動の一環としてやっているものに、20年の歴史を持つ通学合宿「夕焼け村」があります。異年齢の子どもたちがふたみ潮風ふれあいの館という宿泊施設に1週間滞在して、学校へ通いながら炊事・洗濯・掃除・買い物などの日常生活を体験するのです。今年も30人の申し込みがあり、昨晩その事前説明会が地域事務所であり私もあいさつをするため出かけました。
 保護者に付き添われ、夏休み中の子どもたちが集まりました。子どもたちの殆どは顔見知りで、私に手を振ってくれたり、「進ちゃん」と話しかけてくる子も沢山いました。

 実行委員の皆さんも沢山集まり、保護者と子どもに別れて事前の説明は順調に行なわれ、第一歩を踏み出しました。夕焼け村は夏休みの最終日である9月1日から9月7日まで行なわれます。中学生や高校生など、子ども教室で育ったジュニアリーダーも沢山参加して、大学生のスタッフもそろい頼もしい限りです。
 私も第一日目に夕日の話をレクチャーしなければなりません。次代を担う双海の子どもたちを育てるために働くことは、長年お世話になったふるさと双海への私の恩返しでもあるのです。

  「夏休み 親子集まり 説明会 手間暇かけて 大事に育て」

  「親元を 話す訓練 夕焼け村 教育基本 巣立ちすること」

  「進ちゃんと 愛称呼んで 手を振って 集まり来る子ら 愛おしくなる」

  「夏休み 子ども真っ黒 日焼けして それぞれの夏 それぞれ暮らす」

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人間牧場

〇下灘という同じ地名

 昨日は弟の息子のお嫁さんのお父さんが、4~5日の患いで急逝したとの知らせを受けて、宇和島市津島町までごあいさつに出かけました。昨晩が通夜今日が葬儀のようでしたが、あいにくスケジュールが立て込んでいるので、失礼とは思いながらの訪問です。県内なら常日頃から講演などに出かけているため、おおよその土地勘は分るので、カーナビの手助けを頼ることもなく、双海、長浜、八幡浜、宇和と海岸線から山道に入り、宇和から高速道路に乗って津島町安らぎの郷まで高速道路無料区間を走りました。

 私が訪ねようとした甥の嫁さん生家は、今は平成の合併で宇和島市となっていますが、旧北宇和郡津島町下灘です。私の町にも同じ地名の下灘というのがあって、漁協も下灘漁協、学校も下灘小学校なのです。ゆえに甥は下灘小学校や下灘中学校卒業ですが、甥の嫁さんもまったく場所は違うものの下灘小学校と下灘中学校の卒業なのですから、余程ご縁が深かったのでしょう。
 かつて下灘公民館へは漁協女性部の招きで講演に出かけたことがあるので、弟から「学校のすぐ近く」と聞いていたので人に聞くこともなく、門前に葬儀用の提灯が飾ってあったので、直ぐにその家を探し当てました。

 ごあいさつをしながら案内されて亡くなったご主人の棺の前に進み、棺に入れられたご遺体と面会し、線香を手向け合掌しました。聞けばご主人は62歳の働き盛りの年齢だそうで、心筋梗塞で入院しカテーテルを施したお陰で快方に向かっていた矢先の訃報でした。真珠母貝の養殖を生業とした漁師さんでしたが、湾内に浮かぶ真珠養殖筏には、自分が手掛けた真珠の母貝が育っていることを思うと、さぞ心残りだったろうと察するのです。86歳のおばあちゃんや奥さんの嘆き悲しみは目に余る光景でした。労働力を失った家内労働養殖漁業は、多分存続できずは廃業しなければないのではないかと思うと、胸に迫るものがありました。

 しばらくの間家族の皆さんと雑談した後お茶をいただきお暇しましたが、近くにある下灘小学校の中庭には、統合して今はなき下灘中学校の来歴石版石碑が見えました。帰る途中見た下灘漁協も真珠養殖漁業の不況のあおりで、倒産の憂き目に這い再建半ばと聞いています。かつては真珠養殖の好景気に沸いた漁村も、過疎や高齢化という極めて厳しい暗雲が垂れ込めているようです。下灘という同じ名前の地名だけに人事とは思えない感じを持ちながら来た道を引き返し、家路を急ぎました。

  「下灘と いう同じ名の 土地訪ね 訃報の門を くぐりて合掌」

  「62歳 まだまだ若い 急逝を 先に逝ったと 母親涙」

  「ご縁とは 不思議なものと 思いつつ 同じ名前を なぞりながらも」

  「繁栄の 跡が見られる そこかしこ どこか寂しい 漁村の風景」

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人間牧場

〇孫たちとカヌー遊び(その2)

 昨日も暑い一日でした。息子は昨日の土曜日仕事が休みなので、昼からカヌーで遊びたいので手伝って欲しいと頼まれました。昼食を済ませこの春先から洗濯干し場に置いているカヌーを引っ張り出して、軽四トラックの荷台に逆さまにして積み込みました。その時間に合わせ列車でやって来た孫尚樹も内孫希心・奏心とともに、海水浴のできる服装に着替えさせ、若嫁の運転する車に乗せて出発しました。目指す場所は砂浜の綺麗な高野川海岸です。国道横の海岸に通じる急な坂道を四輪駆動にして慎重に降りました。
 インディアンカヌーは二人ならば簡単に移動できる重さなので、荷綱を解いて何なく渚まで運びました。孫たちにそれぞれライフジャケットを着せ、息子が舳先、私が艫に座り櫂で漕ぎ始めました。昨日は海もべた凪ぎで、高野川の漁港突堤を中心に渚付近を行ったり来たりしながら、カヌーツーリングを楽しみました。

カヌー遊びは楽しい
カヌー遊びは楽しい

 孫たちにも櫂の手ほどきをしてやりましたが、4歳や5歳の孫たちにはまだまだムリのようでした。孫たちはむしろ透き通って見える海中や浮き草となって流れている藻、クラゲ等に関心を寄せて、楽しんでいました。カヌーは少し危険な遊び道具です。浮力は十分あるのですが、プラスチック製で軽いため安定性が悪く、船底に座っていないとあっという間に沈してしまうのです。孫たちは嬉しくなると私や息子の注意も忘れて立ち上がろうとするのです。ライフジャケットを着用しているものの、ハラハラでした。
 孫たちはその後、渚で海水浴や藻を拾ったり砂遊びに講じていましたが、私と息子は近々カヌーでアジ釣に出かけることを企んでいて、その試験として息子が用意した錨の効き具合のテストや、走行練習をしました。カヌーには購入した時ついていた櫂が3本ありますが、少し痛んでいるため2本の真新しい櫂を用意しました。1本はカーボン製の軽いもので、何年か前にカヌー大会に出場した折、入賞賞品として貰ったもので、もう1本は木製ながら北極まで歩いて行った冒険家河野兵一さんから手渡しでいただいた、思い出に残る一品です。2本とも私にとってはお宝なので書斎の鴨居に置いて大切に保管してきたものです。

 2時間ばかりカヌー遊びを楽しみ、軽四トラックにカヌーを積み込んでわが家へ帰って来ました。海の近くに住ながら、海で遊ぶことの殆どなかった私にとって、海はやはり楽しいものだと実感する一日となりました。夏はまだかなり残っています。もう1~2度孫たちをカヌーに乗せてやりたいと思っていますが、直射日光の強い砂浜で傘一本の木陰で、私たちを見守っていた若嫁から、今度はテントを持って来ようと提案があり、大いに笑いました。
 帰宅後孫たちと一緒に風呂に入り、賑やかに潮抜きをしましたが、息子は早速サビキや釣竿を用意して次の作戦を立てているようです。勿論私も何年か前カヌーでクーラーいっぱいのアジの釣果を経験しているだけに、その日のくるのを楽しみにしています。

  「孫たちと カヌー遊びに 講じたる 夏の一日 楽しくもあり」

  「貰い受け 大事に保管 していたが 櫂は使わにゃ 甲斐もないから」

  「さあ次は アジ釣り挑戦 したい夏 息子と二人 よからぬ相談」

  「二時間も 傘一本の 炎天下 若嫁フーフー すっかり忘れ」 

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人間牧場

〇朝のラジオ体操

 夏休みに入り、過疎の町とはいいながら朝から夕方まで、セミの声と一緒に子どもの歓声が聴こえるようになりました。わが家の2人の孫たちは、近所の上灘保育園に通っているため、基本的には夏休みは殆どないのですが、孫たちは早朝6時30分から、近所の空き地に子どもたちが集まってラジオ体操をしているので、母親が貰ってきたスタンプカードを首にぶら提げて、眠い目をこすりながらラジオ体操に出かけているようです。

子どもたちの朝のラジオ体操
子どもたちの朝のラジオ体操

 どんな手合いでラジオ体操をしているのだろうと、今朝は散歩がてら孫と一緒に行って見ました。年長と思しき隣の子どもが持参した携帯ラジオのスイッチを入れると、懐かしいラジオ体操の歌が流れてきました。ラジオ体操は夏休みになると今も全国を巡回しているようでした。ラジオ体操は第1と第2がありますが、特に第2は体操の仕方は様になっておらず、体操というよりは軟弱踊りといった感じでした。

 体操が終ると昔は班長さんの印を押していましたが、今はスタンプでした。それでも子どもたちはスタンプが増えて行くのが楽しみなようで、一列に並んで押してもらい、三々五々引き上げて行きました。朝起きとラジオ体操参加は、40日もある長い夏休みのある子どもたちにとって、とてもいい習慣だと思うのですが、体操の仕方を誰かが少し教えてやった方がいいと思うのも、年寄りの冷や水でしょうか。

 小学生は夏休みですが、わが家の孫たちは体操から帰ると急いで朝食を済ませ、歯磨きをして身支度を整え、保育園へ向かいます。夏のこの頃は保育園の運動場に設えた小さなプールで、毎日のように水泳ならぬ水遊びを楽しみます。そのため夏だというのに夏風邪を引き、鼻水を垂らしています。「腕白でもいい、逞しく育って欲しい」は昔の話で、今はどこもかしこも冷房が効いて、少し外で過ごすと直ぐに熱中症になったり、下痢をしたりするひ弱な子どもになっています。もっと逞しく育ててやりたいと思うのですが・・・・。

  「6時半 カードぶら提げ 孫たちは ラジオ体操 1・2・3と」

  「体操と 言うよりまるで 踊りかな どこかで誰か 教えてやらねば」

  「冷房の 効いた暮らしで 軟弱に なった孫たち 直ぐに咳・熱」

  「えっ、今も ずっと続いて いる体操 ラジオを前に みんな並んで

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