人間牧場

〇新米が届く

 昨日の夕方、親友の西岡栄一さんが突然、30kgのお米の袋を担いでわが家の玄関先にやって来ました。西岡さんはつい最近スズメバチに襲われ、8ヶ所も刺されて病院で手当を受けたそうですが、今は元気を回復しているようでした。今年は私もムカデに刺されアナフラッキシーショックで呼吸困難となり、救急車で運ばれた苦い経験があるので、人毎とは思えないのです。西岡さんは腰の具合も悪いと聞いていましたが、30kgの米袋を軽々と担ぐ当りはさすが日ごろ鍛えたお百姓さんって感じで、逞しく思いました。

 

西岡さんから届いた新米
西岡さんから届いた新米

 西岡さんは役場を退職してから農業を手広くやっていますが、お米も沢山作っていて、先日までの渇水や思わぬ大雨でかなり苦労があったそうですが、稲刈りも一段落したので今年もこうして新米を届けてくれたのです。
 早速刈りだち、つき立ての新米を今晩当たり妻に炊いてもらって、味わおうと思っています。この時期は新米に加え秋刀魚も北国の親友から届き、加えて梨やブドウといった果物も美味しい季節なので、ついつい食欲が進むのか、妻の体形も若干肥え気味といった感じで、何とか痩せたいと思う女心でしょうか、昨夕も食事が終ってから一緒にシーサイド公園周辺までウォーキングに出かけました。

 明後日は母親の13回忌で兄弟が集まる予定なので、新米をと思っていますが、法事の料理は既に料理屋さんに頼んでいるし、うどんも振舞う準備が妻の手によって進んでいるようで、試食は少し後になりそうです。今年取れたお米のことを新米と言いますが、初めて仕事につく人のことも新米というようです。初々しく輝いて見える姿は炊き立ての新米ご飯と同じようなことからこの呼び名がついたのかも知れませんが、新米の美味しいご飯に梅干しを乗せ、シンプルに漬物とお味噌汁で秋の味を楽しみたいと思っています。

  「新米の 入った袋 軽々と 担いで親友 玄関先に」

  「新米の 炊きたてご飯 梅干しと 漬物それに 味噌汁あれば」

  「新米と 新米因果 関係は 分らぬ私 やはり新米」

  「新米が 出回る季節 なりにけり 食欲の秋 妻太る秋」

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人間牧場

〇愉快な仲間たち

 私には40年を超えて連れ添っている妻さえも驚くほど、沢山の仲間がいます。その仲間たちも私と同じように、毎年確実に一つずつ歳を重ねているので、少し元気が足りず多少物足りなさを感じていますが、多分その人から見れば私も、ギラギラと輝いて生きててた昔と比べれば、どことなく物足りなさを感じているに違いないのです。でも歳をとると友だちの誰もが思慮深くなり、視野の狭くなった私に多くの示唆を与えてくれるのです。

年輪塾の愉快な仲間たち
年輪塾の愉快な仲間たち

 そんな愉快な仲間の中で今一番輝いているのは、私塾年輪塾のメンバーです。昨日は今じゃすっかりアジト?になった松山市駅近くの「ふじ」という居酒屋に集まり、5人だけの「打ち合わせ会」と称した呑み会をやりました。酒を止めて13年になりますが、お茶一辺倒の呑み会にもすっかり慣れて、刺身、しめ鯖、鶏から揚げ、フライドポテト、焼きそばなど、次々出てくる夕食兼料理に舌鼓を打ちながら、大いに盛り上がった話をしました。

 テーマは11月16日に迫った年輪塾のジョン万次郎公開セミナーの進め方についてです。奇しくも11月16日はジョン万次郎が帰郷した記念日に当たります。松本さんが作って持参した資料案を基に、お酒を飲みながらみんなで意見を戦わせました。5人寄れば文殊の知恵です。今回も色々な話が出て多いに盛り上がりました。宮本常一、二宮尊徳に続く第3期目の先人を、ジョン万次郎に選んでからこの2年、ジョン万次郎のふるさと土佐清水へ2回も足を運び、ジョン万次郎研究家青野博さんの指導の下、様々なことを学んできました。いよいよ今回は最終章のまとめの学習会です。

 私はこれまでにも10年で40回の、フロンティア塾など多くの学習を試みてきましたが、年輪塾も塾頭や小番頭、筆頭塾生のお陰で、何とかここまで進めてきました。フロンティア塾が10年間学習したように、年輪塾もとりあえず一つの目安を10年と私的には定めていますが、後4年をどう乗り切るか、いよいよ真価が問われそうです。私にとってジョン万次郎は元漁師という境遇もダブルため特別な思いがありますが、元慶應義塾大学教授の川澄哲夫先生を招いた公開セミナーを、今から楽しみにしています。

年輪塾公開セミナーのチラシ
年輪塾公開セミナーのチラシ

 「気の合いし 仲間居酒屋 集まって 時の経つのも 忘れ談笑」

 「飲み放題 3千500円 元は取る 私は飲まぬ ゆえに折り合い」

  「一番の お勧めしめ鯖 絶品で 板長さんの 確かな腕前」

  「この二年 ジョン万勉強 したゆえに どこか大きな 気風漂う」

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〇切手を貼って投函せず手渡された一枚の葉書

 今朝双海地区公民館の赤石主事さんが、仕事に行く前にわが家へ一枚の絵葉書を持ってやって来ました。赤石さんとはこの5年、私が子ども教室実行委員会の委員長をしていることもあって、地域事務所の松本さんとともに最も親しく、最も濃密に付き合っている人の一人です。私が13年間公民館主事として、また中央公民館長として2年間、合計15年間公民館も深く関わっていたり、今も県公連の専門委員をしていることもあって、公民館に対する思い入れは人一倍持っているつもりなので、公民館職員の育成は本業をリタイアしているとはいえ、私の大きなテーマでもあるのです。つまりいい公民館活動なしではいい地域づくりはあり得ないし、職員の良し悪しで公民館の良し悪しも決まるのですから、当然いい職員を作るために力コブが入るのです。

 赤石さんは北九州出身のある意味よそ者です。愛媛大学で学んだきっかけで伊予市役所職員となり、幾つかの職場を経験した後、双海地区公民館の公民館に5年前配属されました。その時から私との付き合いは始まりましたが、やる気がみなぎっているものの若さゆえ、未経験者ゆえ、またよそ者ゆえ少しから回りしながら年数を重ねてきました。その間知り合った愛媛県内の公民館主事仲間も増えて、福島の子どもたちを愛媛に迎える活動にも中心メンバーとして参加し、自立・自律の気風を養いながら現在に至っています。
 前向きなそうした生き方が評価され、県公連から指名主事に抜擢されて、様々な広域的な活動に参加しているようですが、5年前の比べると雲泥の差だと目を細めるのは私一人ではないと思うのです。

 公民館主事は土日が殆どなく、夜の集会も多い職場です。子ども三人はまだ小さいゆえ、子育てや家庭との葛藤もあると思うのですが、私がそうであったように、小学生の自分の子どもも参加させたりして一生懸命社会教育に同化しようと頑張っています。
 公務員は辞令一枚でどこへ異動するか分りませんが、私がそうであったように、その場所で命をかけて働き、新しい職場に異動しても前の職場を忘れることなく、竹が節を重ねるような生き方をして欲しいと願っています。その見本は彼の身近にいる松本さんかも知れません。
 この5年で赤石さんは随分成長しました。自分の成長は仕事の成果に繋がります。これからも多くのことを学んで欲しいと願っています。

 そうそう、赤石さんが今朝わが家に持参した絵葉書は、夕焼け村のへの協力お礼状でした。短い文面には、「夕日のお話が双海町の子どもたち全員に行き渡るまでこれからもご講演をお願い致します」と書かれていました。お世話になった人にお礼状を出す、たった一枚の葉書ですが、たかが一枚されど一枚です。葉書は受け取る人をハッピーな心にしてくれます。これからも感謝とチャレンジ精神を忘れることなく頑張ってほしいものです。

  「手渡しで 届いた葉書 お礼状 感謝の気持ち 伝わり嬉し」

  「何につけ どうせやるなら 前向きに やれば成果は ついて来るなり」

  「五年間 思いを込めて 仕事した 自分気付かぬ 成長ありあり」

  「石の上 五年も座ると マンネリに なるから余程 性根を据えて」 

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〇先月の五行歌会

 そこここに人恋しい、秋の気配を感じるようになりましたが、先日松山五行歌会代表の見山あつこさんからぬくぬく通信が届きました。いつものことながら忙しさにかまけ、欠席歌を送ったことすらすっかり忘れていて、一瞬どんな歌を送ったのか思い出せませんでした。先月の私の歌は相変わらずの駄作ながら、16番にエントリーされて、嬉しくも久々に赤文字で「二席」となっていました。一度だけ一席をいただいたことがありますが、私にとってはそれ以来のほんの小さな小さな快挙です(笑い)。二席になった私の先月の歌は次のとおりです。

  この家の
  畳の上で
  死にたいと
  親父真顔で
  私に話す

 ☆印の講評欄には次のような批評が書かれていて一読、納得してしまいました。
 ☆多くの場合、最後は病院のベッドの上でというのが今の現実、家で家族に看取られて最期を迎えたいというお父さま願い、叶うといいですね。「畳の上で死にたい」という言葉で、施設の方がベッドの上に畳を敷いてあげた!という笑い話のようなエピソードもあるとか、「終活」や「エンディングノート」といった言葉に、心揺さぶらされる世代には、他人ごととは思えない歌の内容です。

 ちなみに出席歌の一席は見山あつこさんの次の歌でした。さすが視点が違いますね。
  缶ビールの空き缶に
  ナデシコ一輪
  挿してある
  男所帯の
  そこだけピンク

 ちなみに欠席歌の一席は堀口路傍さんの次の歌でした。
  こどもたちのみらい
  なんて
  明るい響き
  虹色の
  音符が跳ねる

  「久々に 二席の朱文字 目に入る 駄作ながらも 入選嬉し」

  「何しても そこここ奥は 深いな~と 納得しつつ 人の歌読む」

  「気がつけば 親父素材の 歌多い 自分人生 重ねて哀れ」

  「今日辺り 次の駄作を 作ろうと 思っているが 直ぐに忘れる」

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〇東京オリンピック2020年開催決定

 昨日の朝テレビを見ていると、いきなりビッグニュースが飛び込んできました。アルゼンチンのヴェノスアイレスで、日本時間8日午前3時45分から開かれているIOC総会で、イスタンブールとマドリード、それに東京が争っていた2020年の、夏のオリンピック開催都市が東京に決ったのです。第1回目の投票で東京は42票と過半数に届かず、またイスタンブールとマドリードが同数だったため、最下位投票の結果イスタンブールが勝ち上がり、東京とイスタンブールで決選投票した結果、東京60票、イスタンブール36票と、圧倒的多数で東京が選ばれたのです。

 東京は前回破れているため、並々ならぬ決意で臨んだようで、オリンピック誘致に多額の資金を投入し、不退転の決意で望んでいました。外国訪問の途中で安倍総理大臣もアルゼンチン入りしたり、著名なアスリートたちが様々なロビー活動を行ったようですが、高円宮久子様が被災地復興のお礼を述べたりしたことも好意的に受け止められたようです。
 しかし直前になって福島原発の汚染水漏れがIOC委員にどう反応するか、注目されていました。しかし直前に日本政府が責任を持って対処するための、予算投入などの対応が評価され、嬉しい結果となりました。

 1964年に開かれた東京オリンピックは、高度成長真っ只中の、私が高校を卒業した昭和39年でした。物の3cといわれたカーやカラーテレビ、クーラーが普及し始めていましたが、私たちの住んでいる田舎ではまだまだ戦後の貧しかった時代背景を引きずっていて、中学校を卒業した私たちと同年代の若者は、金の卵と持て囃され、集団就職列車に乗って都会の雑踏の中へ消えて行きました。それでもカラーテレビに映し出された東京オリンピックの光景に一喜一憂しながら、女子バレーや体操、重量挙げなどの快挙を眺めたものでした。
 7年後の2020年に、56年ぶりに開かれる東京オリンピックは、願わくばこの目で見たいものだと思っていますが、気力や体力が持つかどうかも気がかりです。3兆円の経済効果があると、早くも取らぬ狸の皮算用をしていますが、次のオリンピックまでに、外国人に物笑いされぬよう日本人がしっかりとした成長を遂げなければならないようです。

  「tokyoと 言った瞬間 歓声が 極まり泣く人 嬉し光景」

  「40年 前に東京 開かれた オリンピックは テレビ観戦」

  「札幌や 長野に続き 4度目か パラリンピック もっと楽しみ」

  「7年後 果たして私 生きてるか 縁起でもない 妻に諭され」

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〇福岡県筑紫野市に招かれて(その2)

 人とまちが輝く地域社会を目指して、公民館がまちづくりの拠点になろうと開かれた推進大会の講師として招かれた私は、「公民館とまちづくり」というテーマで、90分熱弁をふるいました。私にとって公民館は主事として13年間、教育長兼中央公民館長として2年間、合計15年もの長きに渡って携わっているし、まちづくりも産業課や企画調整室、地域振興課で20年間も心血を注いでいるので、まさに十八番の話なのです。でもその35年を90分で話すには少し時間が足らなく、話し足たりない部分が数多くあり、質問タイムも食って終ってしまいました。それでも帰宅してメールを開くと、参加した3人の方から感想のメールが届き、嬉しい反応に安堵しているところです。

周防大島大橋の下をくぐる
周防大島大橋の下をくぐる
思い出の雄由利島と雌由利島を取り持つように走る貨物船
思い出の雄由利島と雌由利島を取り持つように走る貨物船
防予汽船フェリーの甲板にて自画像
防予汽船フェリーの甲板にて自画像

 今年は何故か九州各地へ招かれる機会が多く、これから先11月には北九州市と長崎県へそれぞれ講演に行く予定です。退職して9年目の夏を迎えているというのに、未だに衰えぬ人気(笑い)に私も妻もただただ驚いているのです。今回は筑紫野市へ招かれたついでに、二日市温泉を楽しみ、隣の菅原道実ゆかりの天満宮や国立民族博物館へも足を伸ばそうと思っていましたが、あいにくの雨に見舞われ、加えて9月第1土曜日はわが町の恒例の夕焼けプラットホームコンサートの開催日でもあり、少し気を揉んだのか後ろ髪を引かれたのか、結局博多から新幹線に徳山まで飛び乗って、山陽本線を柳井港駅まで乗り継ぎ、10分間の待ち時間に間に合って、防予汽船のフェリーで瀬戸内海を渡りました。小雨に曇る周防大島大橋をくぐり、民俗学者宮本常一ゆかりの周防大島を右手に走りながら、過ぎ越し人生を感傷的に思いました。

 山口県と広島県と愛媛県の境をなす瀬戸を抜けると、左手に豊田渉さんのふるさと二神島、右手に20年間無人島キャンプで熱い心をたぎらせた由利島を見ました。由利島も今はダッシュ島として乗っ取られてしまいましたが、小雨に煙る由利島は今も私の思い出の島でもあるのです。
 旅の途中新幹線の車内など、夕焼けコンサート会場で準備をしている松本さんと、携帯電話で連絡を取り合いましたが、九州地方の雨は四国愛媛県伊予市双海町には及ばず、何とか開催できたことは嬉しい限りです。今朝メールを見ると私の友人から、「夕焼けコンサートであなたの顔を捜したが見つからなかった」と少し不満の感想が2~3寄せられていました。
 季節は移り、先日の台風崩れの温帯低気圧による長雨の影響か、残暑も余り感じることもなく、穏やかな初秋を迎えています。そろそろ秋蒔きの季節だと、雨に濡れた畑を見ながら、はやる心を抑えている今日この頃です。

  「35年 勤め骨身に 染み込んだ 公民館と まちづくり語る」

  「筑紫野市 近く道実 社あり 温泉さえも 見向きもせずに」

  「新幹線 電車に船を 乗り継いで 意外と早く わが家へ帰る」

  「今頃は 夕焼けバック コンサート しているだろう 思いながらも」

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〇福岡から帰りにお寿司を食べました

 家から車で1時間以上もかかる防予汽船の船着場三津浜港まで、妻に迎えに来て貰ったので、途中回転寿司屋に立ち寄って、寿司でも食べようという相談がまとまりました。私は外食が嫌いなため、願わくば家で食べたかったのですが、準備や後片付けをしなければならない妻のことを思うと、それもありかなあと思ったのです。
 寿司屋はそそそろ終わりに近づく9時頃でしたが、土曜日とあって待ち時間が出るほどの盛況の中を、運よく椅子を確保することができ、空腹と安堵感も手伝って私が8皿、妻が7皿+茶碗蒸しを食べました。いやあ美味しいかったです。

 今日は予約どおり帰れないと思っていたので、予約通知どおり、ブログ書きを休養日として、これ以上書かずに終りたいと思います。お休みなさい。

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〇今夜から福岡県へ出帳します

 福岡県筑紫野市の存在は知っていますが、まだ行ったことがありません。今回は公民館連絡協議会推進大会の講師としてお招きを受けています。「博多からJRに乗り、すぐ近くの二日市という駅で降りてください」と、文書をいただいているので、ネットで少し調べて今夜出かける予定です。帰宅予定もはっきりしない気ままな旅ですので、お急ぎの方は携帯でご用件をお願いします。そのようなことなので明日のブログは久しぶりにお休みとさせていただきます。

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〇よっこらしょ!!と何とか一人で(その2)

 軽四トラックに積んだステンレス製の櫓は高さ1mですが、ほぼ1m真四角で頑丈なステンレスの鋼材を使っているため、3人がかりでも持ち上げるのも困難なほどの重量です。積み込む時は従兄弟夫婦に手伝ってもらい、荷台の囲いを降ろして何なく積み込みましたが、持ち帰って降ろすには、私一人の力ではどうにもならないのです。あいにく手助けする人もなく、知恵を絞れば何とかなると、一度自宅へ立ち寄って息子が転勤の度、荷物を運ぶために使っている、少し大きな座布団を2枚、倉庫から持ち出して人間牧場へ向かいました。

ステンレス製の立派な櫓
ステンレス製の立派な櫓

 人間牧場までの山道は前日の大雨であちらこちらに落石が見られ、落石を見つけるその度に車を止めて、落石を取り除き進みました。人間牧場では4WDにギアーを切り替え、既に置いているステンレス製タンクの傍へ後付けして車を留めました。荷縄を解き、トラックに傷をつけないよう大きな座布団を敷いて、一寸ずりをしながら慎重に降ろしました。少し難儀をしましたが作戦は成功し、怪我をすることもなく予定の場所に降ろすことができました。タンクと並べて置いた姿を見ながら、さて足元土台をコンクリートでどのように設置するか、思いをめぐらせました。

ステンレス製の水槽
ステンレス製の水槽

 基礎の掘り方やコンクリート練り込み工事は、体力的にさして難しいことではありません。しかし幕板を張り、コンクリートを練り込んで、仕上げを水平にするには水平器などが必要であり、余り自信がないのです。やはり土木業者に頼む方が無難なかも知れないと、少し弱気になっています。まあとりあえず水道屋さんにも相談してどうすればいいか、禍根を残さないようじっくりと考えたいと思っています。
 降って湧いたステンレスタンク設置工事に一喜一憂しながら、当分はワクワク・ドキドキしそうです。

  「三人で 積んだステンの 鋼材を たった一人で 知恵だし降ろす」

  「今年の 目玉工事に なりそうな タンクの設置 これから大変」

  「地震にも 強い工事を しなくっちゃ 自分一人じゃ 自信がないな」

  「昨日今日 相次ぎ従兄弟 手助けを さりげなくして 有難きかな」

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〇記録的な豪雨に見舞われる

 昨日の朝、私の住んでいる双海町は記録的豪雨に見舞われました。記録を聞いていないので記録的と表現するのがぴったりするほど、バケツをひっくり返したような大雨でした。この土地に住んで40年が経ちましたが、これまで経験したことのないような豪雨で、降る雨と裏山に染み込んだ雨水に加え、容量を超えて染み込まなくなった雨水がいたるところから噴出し、庭も畑も一面池のようになりました。わが家は裏に急斜面な山があるものの、水道さえ切れば下へ流れて行きますが、下の田圃等はそろそろ稲刈りをする準備のために、水を切って干し揚げていたものの、一辺に満水となって稲穂は水を含んで風雨に晒され、お辞儀をしたように稲穂を地面につけていました。聞くところによると、このままだと4~5日もすれば稲穂から芽が出る可能性だってあるようです。

 私は妻が用意してくれた雨合羽を着て麦藁帽子を被り、降りしきる雨の中を、鍬を持って庭や畑のあちこちを見回り、行き場を失って溜まった雨水を逃がすために水切りをして、少しでも下へ流そうとしました。また雨の度に心配になる、裏山に通じる農道を上って、かなり長い側溝の掃除をしました。日ごろは水の流れない側溝も、昨日ばかりはまるで小川のように音を立てて流れていました。
 一段落して自宅近くへ帰ってみると、隣の大野さんの家の裏山の側溝から溢れ出した水が、わが家の畑に流れ込んでいました。上に上がって水元をたどると、亀田さんの裏山が少し崩れて濁った水が出始めていました。大野さんと二人で懸命に水道を広げながら切って、何とか水を掃かせましたが、保育園前の市道も柳の谷から流れ出た雨水でまるで川のようになっていました。

 そうこうしている内に雨は少し小ぶりになりましたが、もう1時間もこんな雨が続いたら、大変な災害になっただろうと安堵の胸を撫で下ろしました。テレビで天気予報を、パソコンで雨雲の行方を見ながら不安な一日を過ごしましたが、台風が温帯低気圧になって前線を刺激した雨は、夕方になると東に去り、西の空が明るくなり久しぶりに太陽の顔を拝みました。
 昨日も栃木県では竜巻が発生し、前日ほどではないにしても各地で、異常気象による被害が相次いだようです。わが家も雨が上がった後突風が吹いて、閉め忘れていた煙会所と海舟館の間の扉が風で閉まったショックで、ガラスが割れてそこら一面に飛び散りました。竜巻被害に比べると大したことはありませんが、それでもわが家にとって、怪我をしなかったことは幸いですが、被害甚大でした。
 今日は曇っていますが、時折雲間から残夏の太陽が顔を覗かせ、天気は回復傾向にあり、妻も若嫁も空を気にしながら、溜まった洗濯物を目いっぱい干して、久しぶりの太陽の光を楽しんでいるようでした。

  「記録的 豪雨といえる 大雨が 降ってあちこち 水浸しなる」

  「雨合羽 長靴履いて 鍬を持ち 水道切るは 何年ぶりか」

  「突風に あおられ庭の ガラス戸が 一枚割れて ガラス飛び散る」

  「太陽は やはり恵みと 早速に 妻嫁揃い 洗濯物干す」

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