人間牧場

〇公友会秋の勉強会(その2)

秋の勉強会に参加した15人の仲間たち
秋の勉強会に参加した15人の仲間たち

 公友会は元愛媛県公民館連合会の傘下で活躍したOBの集まりです。メンバーは40人ほどの小さな団体ですが、かつて公民館の第一線で活躍した人たちが年に一度総会を兼ねて集うので、会うのが楽しみな人たちばかりです。現役は伊予市双海の松本さんと今治市朝倉の藤原さんだけで、あとは私を含め毎年確実に一つずつ年齢を重ねるロートル組なのです。ゆえに亡くなったり、参加したくても身体が不自由で参加できない人も何人かいて、追々細りな感じは否めませんが、それでも若いOBも何人かいて、公民館の研修会で講師を務める等、頼もしく恩返し活動をしてくれている人もいるのです。私はその人たちのことを、「公友会10人衆」と呼んでいますが、私を含めて松本さんや宇和島市の谷本さんたちはそうした活動に積極的で、理論と実践を兼ね備えています。

 

海鮮料理を囲んで
海鮮料理を囲んで

 私の開会挨拶で始まった勉強会は、県公連事務局長さんの司会で総会行事をこなし、参加者全員が近況報告を行ないました。時間の都合上一人2分という約束で始めましたが、一言居士の皆さんは堰を切ったように喋り始め、少し時間を超過してしまい、食事は午後1時近くからになりました。料理は純日本料理で水軍焼きとも言われている大きな鯛のホウロク焼きにはみんな目をパチクリさせながら箸を進めました。瀬戸内の新鮮な魚料理はとても美味しく、みんな満足の手合いでした。
 公共交通機関が少々不便な場所にあるため、今治駅で朝倉の藤原さんがワンボックスカーで送迎してくれましたが、車で来た人はお酒を飲めないとあって少、々盛り上がりに欠けましたが、私を含めウーロン茶でも楽しい話をしました。

紅一点の井出サツミさん
紅一点の井出サツミさんと最高齢者の和田義雄さん

 私は車だったので持参していた、一昨年この席で愛媛大学名誉教授の讃岐幸治先生からいただいていた、二宮金次郎のブロンズ像や、中江藤樹の「知行合一」という言葉を彫り込んだ板を持参していて、今の教育に欠けている倫理や道徳について参加者に吹きかけました。お陰で議論百出といった感じでした。来年の勉強会は中予地方で行ないますが、勉強会らしく卓話を取り入れたらと思っています。
 岐路は讃岐先生も私の車の助手席に乗り、松本さんと3人で松山駅に到着するまでの1時間半ばかりを楽しく過ごしました。
 来年はみんなまた一つ歳をとっての再会となりますが、心と体に老いのブレーキをかけながら、元気な姿でお目にかかりたい、また少しでも進化しておきたいと心を新たにしました。ああ満足のいくいい会でした。

  「あの人や この人のこと 話しつつ 一年ぶりの 再会喜ぶ」

  「一年が あっという間に 過ぎて行く 歳をとったか そんな心境」

  「来年も 会おうと硬い 約束を したが果たして 何人守る?」

  「来年も 少し進化し 出会いたい 老いのブレーキ かけつつ歩む」

この日一押しだった真鯛のホールク焼き
この日一押しだった真鯛のホーロク焼き
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〇孫希心がスズメバチに刺されました

孫希心が刺されたスズメバチ
孫希心が刺されたスズメバチ

 昨日は午後2時過ぎに松山市番町地区の敬老会を終えて帰宅し、玄関先へ入るといきなり、息子から携帯電話が入りました。孫希心が潮風ふれあい公園でスズメバチに刺されたので、病院へ連れて行って欲しいと言うのです。間もなく「痛い痛い」と泣き叫ぶ希心が母親に連れられて帰って来ました。見ると足のくるぶし辺りに刺された後があり、既に熱を持って腫れ上がっていました。とりあえず庭に植ええているアロエの葉っぱをちぎって二つに割り、それを刺された患部に押し当てましたが、アロエのトゲが少し痛いのか、身体をこわばらせて、自動車の助手席に座ったまま泣きじゃくっていました。

 息子が調べたところによると、昨日の救急病院は松山市の済生会病院だそうでした。時計を逆算すると幾らスピードを上げて走っても、病院到着は3時半くらいになるなあと思いつつ、若嫁と孫奏心を乗せ若嫁の車を私が運転して、病院へ向かって走りました。伊予市から松前町東レ前の県道を走り、飛行場横から裏道を通ったお陰で、3時10分頃には済生会病院に到着しました。玄関先の駐車場に車を止め、私が希心を背負って中へ入りました。受付を済ませ形成外科に回されましたが、急患が多く30分ほど待たされました。その間孫希心は幾分痛みも引いたのか、注射をするのは嫌だとかぐずっていましたが、なだめながら順番を待ちました。

 やがて処置室へ呼び込まれて手当てを受けましたが、私がムカデに刺されてアナフラキシーショックになった時と、同じような処置を患部にしただけで、注射をすることもなく患部に黄色いシップを貼って、包帯をして放免となりました。連絡をしていたので、日赤に看護師として勤めている次男一生も顔を覗かせてくれました。一生にジュースを買って貰い希心の笑顔も戻り、帰る途中には疲れたのか二人ともウトウト眠っていました。道中若嫁から聞いた話では、友だち3~4人が公園でボール遊びをしていて、ボールが茂みに入ったので取りに入ったところ、スズメバチの巣があったらしく、追いかけられて黒い服を着ていた希心だけが刺されたようです。いやはや軽い災難でしたが、希心は夕方一緒に風呂に入るほど回復し、今日は由並小学校の運動会に、就学前児童として招待され出番があるので出かけるようです。何はともあれ大したこともなく回復してホッとしています。

 子どもは突如として病気や怪我に見舞われます。運の悪いことに病気や怪我は土日や深夜突発的に発生します。病院へ駆けつける前の応急処置はとても大事なことなので、家族で十分話し合っておくべきだし、置き薬や長年の経験も生かされます。今回はアロエという生きた妙薬を患部に押し当てただけで、随分治りが早かったようだと、若嫁も同居人である私の機を見て敏なる対応に感心したようです。
 今年は私のムカデ騒動といい、今回の希心のスズメバチ騒動といい、自然が豊かな田舎に住んでいるが故の難儀に翻弄されましたが、これもあれもよくあることだと、大事に至らなかった小事にホッと胸を撫で下ろしています。

  「孫希心 ボール追いかけ 薮の中 蜂に足首 刺され泣き面」

  「まず患部 アロエを割って 塗りつける 応急処置で 痛み治まる」

  「済生会 病院までの 裏道を 急ぎ何とか 到着したが」

  「孫希心 背なに負ぶって 処置室へ 注射も打たず 一丁あがり」  

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〇八幡浜市磯崎公民館へ出かけました

 私は愛媛県金融広報委員会の金融広報アドバイザーをしていることもあって、時々消費者講座に招かれて県内のあちこちへ出かけます。対象は一般成人が殆どですが、時には子どもに話して欲しいとか、民生委員さんや高齢者相手にお話をすることもあるのです。分類的には貧乏人に属する浅学菲才な私が、お金の話をするのですから、誰が見ても滑稽としか言いようがありません。しかし清貧に生きる実学を話すのもこれまた意味があると思いながら、請われるまま出かけているのです。

磯崎公民館での消費者講座
磯崎公民館での消費者講座

 昨日は愛媛県南予地方局県民生活課の消費者講座の一環として、八幡浜市磯崎公民館へ出かけました。磯崎は佐田岬半島の付け根に位置する瀬戸内海側にあって、目と鼻の先に伊方原子力発電所があります。佐田岬半島に行く時必ず通りますが、海を見下ろす小高い丘の上に建っている、江戸末期の偉人二宮敬作の銅像を横目に見ながら走るだけで、磯崎地区へ足を踏み入れることは殆どないのです。
 国道378号から少し入ると、磯崎小学校の校舎や体育館が見えますが、ご他聞に漏れずこの小学校も閉校の憂き目に遭って、今は学ぶ子どももなく寂しく昔の面影を留めていました。

 公民館に着くと支所職員の女性が温かく迎えてくれました。聞けば保内町川ノ石に住む岡村久美子さんが磯崎保育所の園長をしていた頃、一緒にわが家へ泊まりに来たことがあるそうで、立ち話ながら懐かしい話に花が咲きました。少し早めに会場へ着いたので、準備をする人たちや県民生活課の課長さんたちと雑談を交わし、時間が来るのを待ちましたが、中には私の話を聞いたことがあるとか、顔を覚えているとか言われましたが、「その時どんな話をしましたか?」と話を向けると、「話を覚えているほど利口ではないので」と変わされました。

 やがて「心豊かに生きる」という演題で90分ばかりお話をしました。30人ほどの高齢者は聞き慣れているのか反応もよく、大いに笑いに笑ってくれました。私が田舎者なので波長が合うとでもいうのでしょうか、話す私もしっかりと落ち着いて話すことが出来ました。
 「田舎には田舎を卑下して生きる人、田舎に未来がないと嘆く人が多いようですが、私をご覧なさい。田舎に住んでいますが、田舎を見せびらかせて活き活きと輝いて生きていますよ」と大見得を切ってやりました。豊かな心があれば田舎暮らしは楽しいですね。

  「貧乏な 私がお金の こと話す どこか滑稽 ゆえに楽しい」

  「何年か 前に私の 話聞く 何を話した? 聞けど返らず」

  「胸を張り 田舎暮らしは 楽しいと 見せびらかして 元気に生きる」

  「集まった 高齢人に 話する 気がつきゃ俺も 同じ狢だ」

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〇よもくれ団子の試食観月会

 昨日は中秋の名月でした。大きな災害を日本各地にもたらした台風が北の果に去ってから、日中は幾分残暑が残っているものの、朝晩は一枚羽織らなければ寒く感じるほどひんやりして、絶好の秋日和です。この日を選んでまちづくり学校双海人の特産品開発グループでは、よもくれ団子の試食を兼ねた観月会を催すことになりました。前夜保健センターの調理室を借りて試作した100個余りのよもくれ団子を、実験と保存のために冷蔵と冷凍保存しておいたものを、シーサイドの調理室で蒸気蒸ししたり、袋田さんからいただいた新米コシヒカリでおにぎりを作ったり、それぞれの役割をこなして準備を進めました。

富田さんがfacebookに載せたよもくれ団子クラブの面々
富田さんがfacebookに載せたよもくれ団子クラブの面々

 私はススキを準備する担当だったので、あれこれ文句をいいながら夕日を鑑賞したりして、午後6時30分の開会を待ちました。観月の場所は二転三転しましたが、結局明り取りの関係で恋人岬の付け根の石張り広場で行ないましたが、どこからが団子の試食で、どこまでが観月かも区別がつかないままのまずい運営で、少し心残りのする集会となりましたが、それでも前日作ったみたらし、よもぎ、ひじきの3種類の団子をみんなで試食しながら、アンケートに意見を記入して回収箱に収めました。
 そのうち中秋の名月が雲間から出て、伊予農校生による出し物や、私のハーモニカ、それに俳句ライブを行い、団子を俳句に入れて作った松本さんと井上さんの句を優秀と認め、私が持参した小瓶の蜂蜜を副賞として差し上げました。

投げ込み流家元の私が活けたススキ
投げ込み流家元の私が活けたススキ

 団子は試食しましたが、商品として販売するにはまだまだ改良の余地がありそうです。「今日の団子は何点くらい?」と意見を求められましたが、私は「10点」くらいと厳しい意見を言いました。団子は柔らかいとか硬いとかいう美味しい以前の反応が多く、これでは自信を持って販売することはできないのです。販売してお金をいただくということはそれなりの意味があります。また食べたいという意識になるような商品にするためには、まだ幾つもの段階をクリアーしなければならないことが多いようです。
 特産品がその地域の顔を持つように認知されるまでには、失敗や反対等様々な苦労があるものです。でもそれを乗り越えて行かないといい特産品は生まれません。みんなで努力してみる価値はあるようです。

 

 

 

 

 

 

  「団子食べ お月見をする イベントも どこかちぐはぐ これもまたよし」

  「柔らかい 少し硬いと 味よりも 食感ばかり 意見続出」

  「浜辺にて 月の砂漠を ハーモニカ 吹けどもみんな 団子に夢中」

  「さて一句 ひねるが駄作 ばかりなり それでも商品 蜂蜜二瓶」

月の光とカクテル光線で照らされた恋人岬で熱演の伊予農校生
月の光とカクテル光線で照らされた恋人岬で熱演の伊予農校生
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〇団子は救世主になれるか!!

 私が現職のころ、シーサイド公園で製造販売を始めたじゃこ天が軌道に乗り始めたので、次なる商品を考えようと、世にも珍しい名前の「よもくれ団子汁」という食べ物を作りました。これは私たちが子どものころから食べていた郷土料理でした。まな板の上に頭と内蔵と鱗を取った生イワシを置き、包丁で骨ごと叩くのです。その後叩いたイワシの身はカガスに入れてつなぎに多少の小麦粉を入れ、味付けをしてつみれを作り澄まし汁に浮かせて、豆腐とネギを入れただけのシンプルな漁村特有の料理なのです。冬になると母がよく作ってくれましたが、フーフーいいながら熱々の団子汁を食べると、汗をかくほど身体が温まりました。

団子作りの実習
団子作りの実習

 じゃこ天用すり身を使った団子汁は冬イベントの度に、じゃこ天のおばちゃんたちが作って売っていますが、大鍋で作る団子汁は絶品で、私の発案で「よもくれ団子汁」と名前をつけました。「よもくれ」とはこちらの地方の方言で、ふざけたことを言う人のことをいいます。さしずめ名付け親の私はよもくれ男の代名詞のような人間で、いつも親父ギャグを連発してよもくれ男を自認しているのです。
 道の駅であるシーサイド公園もじゃこ天や夕焼けソフトクリームなどを世に出しましたが、第3の特産品開発が未だに出来てなく、最近は経営的にも苦戦を強いられているようですが、何か救世主になるような特産品は出来ないものか、まちづくり学校双海人でもあれこれ考えてはいますが、ハモカツバーガーやラヴじゃこ天は世に出したものの、次なる妙案は中々浮かばないのです。

作業風景
作業風景

 そこでクラブ活動を機に特産品開発に乗り出しました。それは「よもくれ団子」です。団子は日本人が昔から日常的に食べている食べ物ですが奥が深く、「何故団子なの?」と言われそうですが、夕日が日本全国にあるように団子も日本全国にあるのです。ゆえに美味い団子を作れば必ずヒットするとにらんで、早速試作に取り掛かりました。奥が深いゆえ職人さんの指導を仰がなければ、一歩前へは進めないのです。
 試作は地域おこし協力隊の川口さんが引き継いで世話をしてくれていますが、完成はまだまだ先になりそうです。軽トラ市で売ったり、失敗を重ねていますが、この失敗を乗り越えて何とか地元特産の商品にしたいものです。みたらし、ヨモギ、ヒジキなどに加えアオサやクロメ、チリメンみかんなども加わるとバリエーションは無限だけに面白いと思っています。

 昨日の夜は、急遽思いついて中秋の名月と団子を組み合わせたお月見会を計画し、まちづくり学校双海人のメンバーに集まってもらい、500円の会費で試食してもらおうと相談がまとまり、製品を試作をしました。私も保健センターの調理室へ出かけ2時間ばかりお手伝いをしましたが、今晩のお月見会が楽しみです。私の役割はススキの準備とハーモニカを吹くことぐらいしか能がないので、人の迷惑にならないようぼちぼちやろうと思っています。
 「団子で1千万」も夢ではありません。「夢はドリームでなくターゲットである」を信じて頑張りたいものです。

  「いつの世も 楽し儲ける 手立てなし 努力をすれば 必ず成果」

  「製品は できても商品 難しい ハードルの次 更なるハードル」

  「ありふれた 団子素材に 特産品 一千万円 目標掲げ」

  「老いてるが まだまだ役に 立つようだ 足手まといに ならぬようにと」 

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人間牧場

〇facebookを始めました

 この2~3日、私の携帯電話に意味不明のメールが頻繁に入り始めました。私は携帯電話では相手から入ったメールへの返信以外殆どメールをしません。しないというよりはやり方を余り知らないとう方が正しいのかも知れません。「1千万円差し上げます」から始まり、「付き合ってください」などなど様々です。貧乏人の私は1千万円も欲しし、男ですから格好いいお姉ちゃんと付き合ってみたいという、金欲性欲が頭を持ち上げそうになるものの、そこは自制心の強い私ゆえ、そこから先へ進んで自分の貯金通帳の暗証番号を教えるようなヘマはしませんが、何とも奇妙で煩わしい情報化社会になったものだと、気分が滅入るのです。

 私はパソコンでインターネットをやっています。これもやりたいというよりは仕事柄、相手と交信しないと仕事が成り立たないから、仕方なくやっているのですが、私のGメールにも迷惑メールが沢山入ってきます。今は自動的に迷惑メールは選り分けられ、ゴミ箱に捨てられるように、娘婿がセットしてくれているお陰で随分助かっていますが、時々必要なメールまで紛れ込んで、ゴミ箱に捨てる失態だってあるようです。
 最近私の身の回りの仲間が、ツイッターやフェイスブックで交信している話題をよく口にします。その話題の輪に入れない私は、やはり時代遅れだと自認していましたが、娘婿が私のためにフェイスブックを使えるよう立ち上げてくれました。そのことをすっかり忘れていた私のメール、にフェイスブックの情報が入り始めたものの、迷惑メールと勘違いしてゴミ箱行きにしていました。

私もフェイスブックを始めました
私もフェイスブックを始めました

 3日前母の13回忌の法要でやって来た娘婿に、そのことを話したところ、フェイスブックの様々な注意を受けながら、フェイスブックが使えるようにしてくれました。今まではフェイスブックといいながら、顔も名前も伏せていたのに、顔は私の似顔絵、名前も若松進一と入力したところ、どこでどう間違ったのか名前が進一若松と逆さまになりました。急いで娘婿にメールで知らせて、手直ししてもらいましたが、人間牧場からの眺望写真もフェイスブックに載せてもらい、一応体裁は整いました。
 いやはや驚きです。まるで堰を切った川の流れのように、友達が友達を連れて入ってくるのです。娘婿が言っていたfasebookの友だちは100人だとすると友だちの友だちは100人×100人=10000人という事実がやっと飲み込めました。

 Googleで自分の名前を検索すると、自分のfacebookのプロフィールや写真が出てくる事実を、私はしっかりと肝に銘じなければならないようです。親友の松本さんから、「自分が公開しなくても、友だちに自分の写真が勝手に公開されたり、自分になり済ませて情報が勝手に独り歩きする」と、注意を促されたことの意味も少し分りました。
 先日人間牧場へ研修にやって来た人が、私の「講義の様子をfacebookに載せましたので、見てください」と連絡がありました。自分では自分が人様の前で講義をしている写真は中々撮れないものの、facebookをやってない私には探しようもありませんでした。
 皆さんが言うようにfacebookは色々な問題点をはらんでいますが、ブログのようにしっかりと使いこなせるようにしたいものです。

  「私には フェイスブックを 使えない 友の話題に ついて行けない」

  「友だちの 友だち増える いいことに 違いはないが 危ないことも」

  「このところ 妙なメールが 舞い込んで どうしたものか 自己責任で」

  「似顔絵を 載せた途端に 堰を切る いやはや凄い 情報やり取り」

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人間牧場

〇台風18号日本列島上陸

 大型の台風18号は昨日16日の午前8時頃、愛知県豊橋市付近に上陸、関東・甲信・東北を猛スピードで横断して太平洋に抜けました。上陸前から広い範囲で大雨となりましたが、気象庁は8月30日に運用を始めた大雨別警報を、井県・京都府・滋賀県に出して注意を呼びかけましたが、死者3人・行方不明者5人・重軽傷者70人・床下床上浸水1500棟という災害の爪跡を残したようです。
 台風から遠く離れたわが四国伊予市双海町も、一昨日から台風の影響で雨風が強くなり始めましたが、15日の日曜日には心配しながらも、双海中学校の運動会が中止や延期した学校をよそに強行されました。時折降る小雨を気にしながらの運動会でしたが、何とか予定通り出来たようです。私も双海中学校の学校評議員をしているので案内を受け、母の13回忌法要の合間を縫って見学に行きましたが、生徒数90人ほどの小さな学校ゆえに、みんなが主役になる運動会は素晴らしいものでした。

 

双海中学校の運動会
双海中学校の運動会

 昨日は夜来から強風が吹き荒れ、外に置いていた発泡スチロールのトロ箱が、風でゴロゴロと飛び交う音で目が覚め、眠りの浅い朝を迎えました。テレビをつけると朝から殆ど一日中、台風18号関連のニュースで持ちきりでした。特に町全体が冠水した京都福知山の市街地の惨状や、旅番組などで見慣れた京都嵐山にかかる渡月橋は、今にも橋を乗り越えそうな濁流に洗われ、見るも無残な姿をさらけ出していました、秋の観光シーズンの幕開けだっただけに、観光地は出鼻をくじかれた格好だったようです。
 それにしても3・11の東日本大震災以来頻発する、度重なる自然災害の数々は目を覆うばかりです。ゲリラ豪雨や竜巻などの数々は、日ごろ気をつけていても防ぎようがなく、長年築き上げた財産等に目もくれず、唯一自分の命を守ることを最優先する以外生き延びる道はないのです。近畿を中心に50万人以上の人に避難勧告や避難指示が出たようですが、それらの人もまず命だけでも助かったことを良しとしなければなりませんが、人間はそうは言っても一瞬の内に失われた家財を前に、なすすべもない憤りを感じるのも事実なのです。

台風18号の風を受けて勢いよく回るわが家車庫屋上の風力発電用風車
台風18号の風を受けて勢いよく回るわが家車庫屋上の風力発電用風車

 昔は台風と言えば四国や九州が通り相場で、室戸台風や枕崎台風などの記憶が蘇りますが、最近は首都圏などにも被害が及ぶようになってきました。台風が来る度に雨戸等を飛ばないように釘で打ち付け、台風に備えた昔が懐かしいと、九州の人が言っていましたが、これも温暖化の影響でしょうか。
 今回の台風は左程大きくはなかったのに、日本列島の太平洋側の海水温度が高かったため、衰えるどころか発達し続け、南から湿った温かい空気が大量に流れ込み、北の寒気とぶつかって積乱雲が発生し、各地に大雨を降らせたようです。すっかり忘れていた210日や220日を象徴する大雨でした。
 福島第一原発の周辺でも大量の雨が降り、7ヶ所のせきの弁を開けて、溜まった雨水を海に排出したそうです。いずれの排水も放射性物質の濃度は基準以下だったそうですが、どこまで信じていいのか、漁民の怒りももっともだと同乗するのです。はてさてあれ程時化た海も山も、今朝は台風一過の穏やかな秋晴れです。台風被害に遭った人たちにとっては、傷心の秋晴れのようですが・・・・・。

  「台風を ものともせずに 運動会 終ってみれば やってよかった」

  「耳慣れぬ 特別警報 近畿圏 50万人 避難勧告」

  「風車羽根 風にあおられ 今までに ないほど回り 発電充電」

  「台風と 言えば四国や 九州と 決っていたが 次代変わりて」

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人間牧場

〇母の13回忌法要(その2)

 私の家のお寺は下灘にある臨済宗東福寺派の長楽寺です。先年住職が亡くなり、跡を継いでいる息子さんも病気がちで、仏事一切は慶徳寺の山口住職が兼務をしているため、13回忌法要は山口住職に頼みました。山口住職さんは、私が度々講演に出かけた大分県本匠村(合併して現佐伯市)出身であったり、双海史談会のメンバーであったりするので、何かと入魂な間柄で、昨年は達筆な人柄を見込んで「恩」という字の掲額を書いてもらいました。また住職の奥さんは双海町更生保護女性会の会長さんでもあり、子ども体験塾の実行委員のメンバーでもあるので、共々の間柄なのです。

 法要の読経が終ると、和尚さんは私のリクエストに応えて「絆」をテーマに即興で説教をしてくれました。孫たちも読経の後のしびれが切れた時間でしたが、みんな静かに聞いてくれました。ある女性が震災で行方不明になった母親の捜索を何日もした挙句、瓦礫に埋まって手だけしか出ていない姿の中で、「この手は私の母です」と取りすがり、掘り出したら本当にお母さんの遺体だったそうです。顔や姿形ならいざ知らず、手を見ただけで自分の母親だといえる人が果たしてい何人いるだろうと、涙の出るような感傷感動的な話をしてくれました。私も日ごろ人前でお話しする機会があるだけに、とても参考になるお話でした。

 

13回忌法要のお墓参り
13回忌法要のお墓参り

 読経と説教が終ると全員揃って、住職さんとともにお墓参りに出かけました。親族揃ってのお墓参りは久しぶりだし、未来ある孫たちにも仏事全般を体験させたことは何よりも大きな収穫でした。人はどこかから産まれ生き、どこかへ去るのでしょうが、先祖に思いを馳せながら連綿と続く人間のルーツを、一瞬ながら垣間見ることが出来たのです。
 和尚さんと「跡取り」について色々な雑談をしました。わが家には親父・私・息子・孫と4人の長男が現在もひとつ屋根の下で暮らしています。親父は祖父から跡取りとして育てられたようです。その親父は私を跡取りとして育てました。私も少々心もとないながら長男を跡取りとして育てています。お陰様でまだまだ独り立ちできないながら、家族で同居の道を選んでくれました。その息子に託すのは長男孫の教育です。こんな文明の発達したの世の中で、跡取り教育などとは古臭いと思われますが、戦後日本人が忘れてしまった跡取り教育をもう一度復活させなければと、人はどうであれわが家では思っている今日この頃です。

  「説教を しびれ切らせて 聞く孫に よくぞ聞いたと 頭撫でやる」

  「手見ただけ これは私の 母ですと 言える人間 いるのだろうか」

  「わが家には 跡取り4人 ちゃんといる これでひとまず わが家安泰」

  「海見える 墓地にお参り やがて俺 親父とともに ここに埋まる」

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人間牧場

〇修行と称する大掃除

 ことのほか暑かった今年の夏も終わり、人間牧場にも爽やかな秋風が吹き始めました。昨日は西予市明浜町から7人のお客さんを迎えて賑やかでしたが、これでやっと一段落したので、浜田さんの提案で一行が帰ってから、水平線の家の板間掃除をすることにしました。私と浜田さんは1年に二回程度のこの掃除を「修行」と名付けてやっていますが、修行といいながら宗教的な意図はまったくなく、施設を美しく保ち使う人に心地よく感じてもらうための、ささやかな掃除というシンプル作務なのです。

水平線の家板間の掃除とワックス塗り作業
水平線の家板間の掃除とワックス塗り作業

 掃除はまず板間に置いたすべての物を、ウッドデッキに出す作業から始めます。広いと思っていた畳25畳の板間もいつの間にか小道具類が増え、少し狭さを感じていますが、流石に全てを外に出すと広く感じるもので、置物の幾つかを処分して広く使えるようにしたいものです。
 荷物を出したら箒と掃除機で板間のゴミを掃除し、前回使った刷毛と小皿を棚から取り出して、ワックスで刷毛を柔らかくしながら、二人の持分を決め板目に沿って塗り始めました。板間を這うように塗っていく作業はかなりハードで、大汗をかきました。こうしてワックスを塗っておくと板間が汚れにくくなるのです。

 昨日は30度を越す夏日だったため、ワックスの伸びが良く少量のワックスですみました。少しの間ワックスが乾くまで風を入れました。私はその間、下の芋畑に下りて電気柵周辺の草刈りをしました。公民館の宮栄館長さんや赤石さんの見回りのお陰で、今年は何とかまだイノシシの被害に遭っていませんが、これから先はイノシシのシーズンだけに気になるところです。電気柵の下を草刈機で撫でるように草を刈り、再び大汗をかいてしまいました。浜田さんと二人で馬路村産魚梁瀬杉の切り株を所定の場所に置き、修行作務を終えました。

 来月初めの10月2日には、鳥取県鳥取市から藤原さん一行20人ほどが人間牧場へ研修のためにやって来ます。また子ども体験塾のメンバー40人もお祭り前収穫祭にやって来る予定で、人気沢山といったところです。水平線の家の掃除ができたので、ススキの穂が出揃う月末頃にもう一回今年最後の草刈りをしたいと思っています。
 加齢とともに体力的には衰えつつありますが、七年間も続いている浜田さんの修行と称する助っ人には、ただただ感謝するばかりです。

  「修行だと 言って板間に ワックスを 汗をかきつつ 二人塗りつ」

  「手間暇を かけて掃除を した後の 清しい気持ち これぞ本懐」

  「夏終わる 感謝の心 込めながら そこここ掃除 秋はそこまで」

  「掃除終え 二人でゼロの ビール飲む 蜜蜂入り 上の機嫌で」

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人間牧場

〇ハモの骨切り講習の成果はまだまだ先のようです

 先日愛媛新聞カルチャースクールの生徒さんたちを招いて、下灘コミセンの調理室をお借りし、若松下灘漁協組合長さんを講師に迎え、ハモの骨切り講習会をやりました。今までは誰に教えてもらうでもなく、親父のやっていたのを、見て見よう見真似でやっていたので、本格的なハモの調理は見るのは初めてとあって、組合長さんの見事な腕前に感心をしていて、記憶が薄れない近いうちに真似をして、練習しようと思っていましたが、肝心の暇とハモを手に入れることが出来ませんでした。

 ところが昨日の夕方、親類の伯父さんからあがりのハモ(漁獲して船の水槽に泳がせるものの、水温が高く死んだもの)を取りに来いと連絡がありました。急いで軽四トラックで取りに出かけましたが、何とその量たるや沢山で、トロ箱二つもいただきました。ハモを貰って帰宅したのが午後6時でしたから、それから鱧を三枚に下ろすのに、何と3時間もかかってしまいました。氷に埋めているハモを捌くのは容易なことではありません。目釘を打ち、砥石で研ぎ澄ました包丁で捌いていくのですが、捌いても捌いても一向に片付きませんでした。

 組合長さんは料理講習で腹開きをしていました。開いたハモの背びれを丁寧に取り除いていましたが、そんな丁寧な作業をしていたら深夜までかかるとあって、昨日も相変わらず自己流の背開きで作業を進めました。頭と内蔵と骨を取り除き、水洗いした身を一本一本骨切りするのですが、時間が進みにつれ手も少し疲労したのか骨が十分に切れなかったり、時には切り過ぎて短冊のようになって、〇□▲×+÷=と気分が滅入って、講習の成果を試すどころか投げ出したくなりました。

 骨切りしたハモを行儀よくアルミパレットに並べ、途中友人宅にお裾分けで配ったこともあって、片付け終ったのは午後10時を回っていました。妻はタッパにラップをかけたり、ジップ袋に小分けをして冷凍保存していましたが、私の鱧料理の腕前は結局上がらず終いでした。この次は活き締めしたハモを素材に、近いうちにもう一度ハモ料理に挑戦しようと思っています。
 今日は西予市明浜からピザ釜講習の一行が人間牧場へやって来ます。妻の提案でハモのスープを作りふる舞ってあげたいと思って、今朝から準備を進めています。今日も台風の行方を気にしながら暑い一日になりそうです。

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