人間牧場

〇松本さんと私のコラボサンドイッチ講演

 いつもの事ながら昨日は忙しい一日でした。鳥取市中山間地域人材育成事業「とっとりふるさと元気塾」の一行が外部成功事例地との交流研修のため、17人の団体が親友藤原さんに連れられやって来て、昼食から夜の交流会まで息の抜けない研修となりました。シーサイド公園2階のレストランで美味しい夕日丼で会食した後、午後一番は松本さんが「双海町の地域づくり活動」についてレクチャーし、その後人間牧場へ移動して私がこれまでの活動について話しをしたのです。

 私はいつも活動をともにしているのに、松本さんの話を聞いたことがないので、私にとっても興味があり楽しみにしていました。松本さんは沢山の資料をスライドショーにまとめて、「さすが」と感心するほど要領よく分りやすく説明してくれました。メカに弱い、いつもアドリブで話す私には到底真似のできない芸当です。松本さんも次に話す私を意識して、双海町のまちづくりが辿ってきた経緯には極力触れず約一時間話をしてくれたため、二人の話の連携やコラボレーションはまさに阿吽の呼吸だったようでした。

夕日のミュージアムで講演する松本さん
夕日のミュージアムで講演する松本さん

 松本さんが双海町の「今」を語ってくれたので、私はまるでサンドイッチのように過去と未来を語ろうと思いました。双海町のまちづくりの黎明期や、失敗談などは数え切れず、幾らでも何時間でも話せるのですが、相手が聞きたい雰囲気を読み取りながら話すのは容易なことではありません。私の持っている話術・話芸を使って心の縛りを解きほぐし、私にもできる、私もやらなければという気持ちのさせることこそ未来戦略の第一歩なのです。二人の話をまな板に乗せ、夜の交流会はお酒の力や日ごろ一緒に活動している仲間の力も借りながら、どうやらやる気を創造することが出来たようです。

 それにしても松本さんの発表能力はかなり高いレベルに達しているようです。この調子で遊び心を加え、実践で磨いて行けば、どこへ出ても恥ずかしくないものに仕上がることでしょう。人間には私がそうであったように、遠心力を求める時期と求心力を求める時期があります。松本さんは速いスピードで遠心力を求めてきました。いつの時期になるか分かりませんが、潮目の時期を迎えなければなりません。遠心力から求心力に替わるその時期こそ大切なチャンスであり、チェンジであり、チャレンジなのです。多くの人はこの潮目の時期を出世や管理職という、目に見えない幻影に惑わされてしまい、気がつけば何も残らない抜け殻になって定年を迎え、はかない人生を終えるのです。拳拳服膺、そのような人間にはなって欲しくないと、思った一日でした。

  「馴染みだが 長い話を 聞きそびれ 始めて聞いた 新鮮話」

  「スライドを スクリーン写し 講義する 私にゃ真似の 出来ない芸当」

  「跡継ぎも できたそろそろ 身を引くか 引き際大事 自分で決める」

  「遠心と 求心狭間 潮目あり 見まがうことなく 考え対応」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇笑いを楽しむ

 昨日は月に一度の愛媛新聞カルチャースクールの講義日でした。毎月1回といいながら1年半も1回2時間の講義を続けていると、話のネタもなくなるだろうと妻は心配してくれていますが、私の体の中の引き出しにはまだまだ余力が残っていて、何とか今年いっぱいは持ちそうな気配です。
 今月は第一火曜日が10月1日と早く、その準備に多少慌てましたが、「笑いを楽しむ」というテーマで次の三枚のレジメを用意してお話をしました。今回は笑い雑感や笑いの力について講義した後、テキストとして使っている「夕日徒然草」の中から、人間牧場で話したリクエストの多い秀作を20作選び、時間の許す限り読み聞かせしようと臨みましたが、前年ながら時間切れで5つも話が残ってしまいました。

  「『月一で 話す話題に 事欠かない?』 妻の心配 どこ吹く風で」

  「私には 話の引き出し 多いため 今年いっぱい ネタはありそう」

  「新蕎麦が 出回り始める この時期に なると新ネタ 仕込みに入る」

  「今日もまた 藁って暮らそう そう思う 今のところは 悩みもなしで」

img487

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

img503

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

img540

 

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇小説「恍惚の人」から学ぶこと

 何年か前の若い頃、有吉佐和子の「恍惚の人」という小説がベストセラーになりました。長編なので余り詳しく読む時間もなく、全ての内容を記憶するほど熟読はしませんでしたが、高齢者介護に奮闘する家族の姿を思い出しながら、まさか自分たち家族がその当事者になりつつあろうとは、夢にも思っていなかったし、やがて老いの坂道を下る私たち夫婦も息子たち夫婦にとって、重い荷物になるであろうことを実感するのです。

 先日JA農協より「まるえびより」という情報誌がわが家に届きました。最近まったく知らない顔の若い女性農協職員が、家までわざわざ足を運んで届けてくれるのです。非農家ながら家庭菜園でいささかの野菜や果樹を作っているので、毎回楽しみに読んでいますが、介護コーナー福祉課通信に、「恍惚の人」についての記述がありました。この小説が世に出たのはもう40年も前のことですが、医療の進歩による長寿社会に、高齢者福祉は置いてきぼりになっているのでは?と書かれていました。

 その中で小説に組み込まれた「家族のたどる4つの心理的ステップ」についてコメントが紹介されていました。主人公茂造は妻の死をきっかけに認知症が急激に進行し、①家族は戸惑い、主たる介護者の長男の妻昭子は、どう接してよいか分らず、②混乱し心身ともに疲れ果ててしまう。しかし茂造の肺炎を機に昭子に、③割り切りとあきらめが芽生え、前向きに介護に取り組む決心をし、④認知症を理解するに至るのです。そして茂造は光るような笑いを取り戻し、息子と嫁と孫に看取られて、静かに人生を戻っていったのです。

 最終的には一番身近な家族がどう解決していくかですが、最近の世情は在宅介護ではなく、施設介護の道へと進んでいて、人生の最後を長年住みなれた自宅ではなく施設で終える人が増えているようです。わが家にも少し認知の出た95歳の親父が暮らしています。「この家の畳の上で死にたい」という親父の思いを遂げさせようと、家族で介護を続けています。あれほど嫌がっていた特老のデイサービスにも週二回通うようになって、少し光が見えてきていますが、これから先も介護には、中心となる妻や私を含めた家族の覚悟が必要なようです。

  「40年 前に小説 読んだけど 人のことだと やり過ごしてた」

  「日本も 高齢社会 わが家も 恍惚の人 囲んで暮らす」

  「行く道と 思えば身近 人事じゃ ないと夫婦で 少し頑張る」

  「気がつけば 周りはみんな 高齢者 あの人この人 いつも間にやら」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇いやはや驚きfacebookの反響

 友達の勧めや娘婿の協力支援もあって、9月18日からパソコンを使って始めた私のfacebookに、まだ10日ほどしか経っていないというのに、友達承認依頼やメッセージ書き込みが、「殺到」という表現がぴったりするほど舞い込み、反響の大きさに多少戸惑っています。私のfaceは人様のような美人や男前の顔写真でなく人を食ったような似顔絵で、また自己紹介の欄に〇〇大学卒なんて載せる学歴も記載できず、何の変哲もないものですが、地域づくりに長年関わっているため多少の知名度もあるためでしょうか、知人友人は勿論、知らない人からもオファーがかかっているようです。

 

私のfacebookのトップ画面
私のfacebookのトップ画面

 私はfacebookを使い、この10日間で2本の情報を発信しました。一本は双海町の日本一と自認する今が旬の夕日の写真です。恋人岬のモニュメントに沈む夕日の写真は、沢山の方々から賞賛や感想のメッセージをいただきました。もう一本はシーサイド公園の斜面に咲く世にも珍しい、1日に3回変色する酔芙蓉という花の話題でした。これもタイムリーな意外性が珍しかったのか「いいね」の拍手やメッセージが届き、その都度ショートなコメントを送り返しましたが、私の友達が果たして何人出来たのかも、詳しい使い方も分らぬまま今朝も対応をしているのです。

 娘婿がfacebookを始めるにあたって言った、「100人×100人は10,000人」という言葉の意味に、今頃になって少しだけ気付き始めたお粗末な私なのです。facebookを始めて良かったのは、何といっても音信不通の状態だった知人・友人・親友・先輩・同僚・後輩から懐かしい音信が届いていることです。中には20年間も音信が途絶えていた人からの嬉しい知らせもありました。地域事務所の松本さんからコメントには必ず相手の名前を書き込んだ方はいいとか、地域おこし協力隊の富田さんからブログとリンクした方がいいとか、様々なアドバイスをいただいているので、修正しながらとりあえず使い方に馴れるよう努力したいと思っています。

 アナログ一辺倒だった私に、現職を退職した9年前から、ネットメールとブログというデジタルが加わり、今回facebookという情報ツールがまた一つ加わりました。サンデー毎日ゆえに手間暇は何とか努力すれば作れそうなので、皆さんの足手まといにならぬようにしたいと思っています。
 家庭に居ながらにして情報が届く便利な時代になってきましたが、もう一方で「情報は怖い」ことも認識しなければなりません。インターネットはなりすまされたり、犯罪にまきもまれる事だってあるのですから、素人ゆえに余り深入りせず、程ほどにしたいと思っています。

  「皆さんの 勧めもあって 始めたが facebookの 反響大きく」

  「アナログを 自認の私 首かしげ 両目パチクリ 分らぬままに」

  「また一つ 情報ツール 加わって やるべきことで 忙しくなる」

  「20年 音信途絶えて いた人が facebookで 元気確認」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇早起きは三文の得

 私は毎朝4時に起床します。「歳をとると朝が早い」と言われそうですが、私はもう50年間もその習慣を守り続けているので、どうやら歳のせいではなさそうです。そもそもは高校を卒業して家業である漁業の後を継いで漁師になった頃から、この習慣は日常化しました。下灘の漁師さんの朝は早く、午後1時頃には豊田漁港を出航して、佐田岬半島沖の漁場へ全速力で向かうのです。若かったこともあり当時は母に起こしてもらうような手合いでしたが、自覚したのか20歳を過ぎた頃には母親や、目覚ましの手助けがなくても早起きできるようになりました。

 その後体調を崩し転職して、役場に勤めるようになってからも早起きの癖は治らず、35年間の地方公務員生活の間も早起きして、広報を書いたり読書をしたりしながら、三文の得を受け続けてきました。シーサイド公園の掃除を朝5時から8時まで、12年間休むことなく続けられ、そのことが認められて国土交通省の観光カリスマ百選に選定されたのも、基はといえば若い頃身につけた早起きの習慣のお陰なのです。
 退職して8年が過ぎ、9年目を迎えていますが、私の60歳定年によって始まった老後の生活も、相変わらず午前4時起床の癖を持続していて、毎日ハガキ3枚と毎日ブログ2本を書き綴って、得を得ているのです。

 早起きは気持ちがいいものです。新聞配達のおじさんと毎朝会話を交わしながら新聞を受け取り、夜が白々明ける頃になると、小鳥のさえずりが窓越しに聴こえてきます。そのうち起きた孫たちが「お早う」と言いながら書斎へやって来ます。妻が「ご飯ですよ!!」と呼びに来るころには、朝の日課であるブログとハガキを書き終え、私の一日はやっと人並みなスタートを切るのです。
 今朝はいつものように家庭菜園に出て野菜にたっぷり水をやりました。小松菜やコカブはもう間もなくワキ菜にして食べられそうです。

 私の早起きの癖は孫たちにも伝播して、案外早く起きるようです。妻は私より毎日1時間遅く起きますが、その分夜遅くまで家事を行い、私より歳がひとつだけ年下だというのに、未だに近所の歯科医院に勤めて、甲斐性のない主人である私を経済的に助けてくれているのです。私の早起き三文の得をお裾分けしてやらねば、妻の立つ瀬がないようでもあるのです。何はともあれこれから日一日と気温が下がって、季節は晩秋・初冬へ向いますが、そろそろウォーキングパラダイスをウォーキングするトレーニングで、早起きの三文を健康に置き換えようと思っています。

  「早起きは 三文得と 言い聞かせ 50年間 生きてよかった」

  「私より 毎日遅起き する妻に お裾分けする 一文くらい」

  「一日は たかが三文 言うけれど 50年続けば 大判小判」

  「最近は 少し寝るのを 早くした 睡眠十分 今日も健康」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇菜園の朝晩の水やリ

 人間はよくよく身勝手なもので、このところのように雨が降らない上天気が10日も続くと、近所の人に会えば必ず「一雨欲しい」と嘆き節を聞くのです。それもそのはず今の時期は冬野菜の種蒔きの時期で、折角蒔いた種も身近に水のない菜園では、水の確保に難儀をしたり、芽が出ても太らないと嘆いているようです。
 幸いわが家の菜園は家の横にあって、親父が庭の隅にある井戸から配水パイプを引いているし、裏山から泉が流れているので、満遍なく豊富に水をやることができるのです。

親父の作った水場
大根にホースで水をやる

P1050021 しかしその水を朝晩播種して芽が出た野菜類にやる作業は、少々骨が折れます。朝4時に起床し、畳の上でエクササイズの体操をしてからやわら書斎に入り、メールの処理やブログを一本書き終えると、太陽が昇るまでに外へ出て、水場の水をジョロに入れいつもの順番どおり、大根、カブ、チンゲンサイ、ニンジン、ワケギ、春菊などに水をやるのですが、何度も畑と水場を行ったり来たりする作業で、十分汗をかくほどの運動量になるのです。ホースで水をやることもできますが、ホースの水だと水圧が強過ぎて折角生えた芽を痛めてしまうのです。

 野菜もやっと双葉から本葉になり、今朝はホースを使って水をかけました。楽チンですが端々に水がかからないようで、やはりもうしばらくは難儀でもジョロで水をかけたいと思っています。水をやる、肥料を施す、目に付いた虫を取る、雑草を引き抜く、こんな単純な作業をこれまでは目に見えない部分で、親父がやってくれていたのかと思うと、私の作業等まだまだ取るに足らない苦労です。95歳になり足腰の弱った親父は、もう菜園に手も口も出さなくなりました。少し寂しい気もしますが、先日の夕方休みで家にいた長男息子がジョロで水をやる作業を初めて手伝ってくれました。私と親父が衝突したように、多分これからは私と息子の犬も食わないバトルがあることでしょう。

 

 

 

  「このところ 朝晩ジョロで 水をやる お陰で野菜 順調育つ」

  「もう親父 家庭菜園 口も手も 出すこともなし 寂しかりけり」

  「大根の 芽を切る虫に 食べられて 所々で 歯抜けのように」

  「安心と 安全第一 心がけ 農薬使わず 目と手作業だけ」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇松山工業高校の運動会

 保育園・幼稚園と小学校には孫が通い、小・中・高校は学校評議員をしているため、講演依頼でスケジュールが詰まっている日を除けば、9月の殆どの土日は運動会で潰れています。幸い松山工業高校の運動会は平日のため、昨日は免許証更新講習と抱き合わせて出かけました。
 運転免許証更新が終って松山工業高校に到着したのは午前11時でした。玄関先にいた駐車場係の先生に「学校評議員」であることを告げると、玄関先の指示された駐車帯に駐車し、運動場へ向かいました。毎年出席しているので来賓席の場所も分っていて、歴代校長先生と一緒に雑談をしながら観戦しました。

応援合戦
応援合戦

 家を出る時妻が、「お父さんいつまで松山工業高校へ行くの?」と、すっかり呆れた様子で問いかけました。それもそのはずです。息子が工業高校へ3人全てが在籍していたため、8年間もPTA役員(常任理事1年・副会長1年、会長6年)を歴任し、そのご後同窓会まさご会の会長も数年こなし、長男息子が17歳から今日まで23年間も松山工業高校へ通っているのです。その息子も40歳になりました。妻の「いつまで?」と思うのも最もなことなのです。学校評議員の就任要請がある度に、「もうそろそろ」とお断りをするのですが、強く断わる勇気もなく今日を迎えているのです。

1年生全員による恒例の松工体操
1年生全員による恒例の松工体操

 運動会の呼び物は何といっても各科対抗の応援合戦です。各科の櫓に張り出された絵や文字もその時代を反映して楽しいのですが、1科5分以内の応援のパフォーマンスは音楽とダンスを織り交ぜて見応えがありました。午前中最後の演技は毎年楽しみにしている松工体操です。1年生全員が日ごろの特訓を活かし力強く一糸乱れず演技する姿は感動もので、これぞ松工といいたい出来栄えでした。一部の父兄からはまるで軍隊みたいで今の世情には合わないという、批判めいた意見もあるようですが、実業高校なので私的にはこれくらいの体力や特徴がないと意味がないと思うのです。

 校長室で同窓会の役員さんや歴代の校長先生と、美味しい昼食弁当をご馳走になりながら、教育談義をしました。校長室には輝かしい部活の実績を示すように、何本もの優勝旗が飾られていました。特に今年はソフトボール部が全国制覇の快挙を成し遂げており、サッカー選手権の行方も期待されています。
 私は午後から小さな会議が入っていたので、昼食を食べてお暇しました。あと何年行けるか分りませんが、息子たち3人はこの学校の恵まれた環境で学び、そのご縁で私まで長い間深いつながりがもてたことを幸せに思うのです。万分の一でもそのお返しがしたいと思う今日この頃です。

  「お父さん いつまで行くの? 聞かれたり 長くなったと しみじみ思う」

  「歴代の 校長先生 同窓会 役員さんとも 毎度お馴染み」

  「この学校 ゆえの体操 感動す 批判はあるが 私的には」

  「魚亀の 昼食弁当 いただいて 意見を交わす 校長室で」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇世にも珍しい色変化する酔芙蓉の花

 今年も道の駅ふたみシーサイド公園の斜面に、酔芙蓉の花が咲いています。夏の花といえばヒマワリや朝顔、百日紅の花が有名ですが、晩夏から初秋にかけて咲く花は意外と少なく、この時期に咲かせる花はないものかと色々考えていた頃、私の友人で当時県庁に勤めていた池内清美さんから、高橋治著「風の盆恋歌」という新潮文庫をいただきました。「風の盆恋歌」は越中富山市八尾町を舞台にした小説ですが、その中に「酔芙蓉」という花が紹介されていて、調べてみるとその花は、朝真っ白で、昼ピンク、夕方赤くなるというのです。これは夕日の美しい双海町に似合う花だと直感し、国道のバイパス工事と一緒にシーサイド公園を造る時、その花を植えようと思いましたが、森林組合を通じて探しても当時は中々苗木が手に入らず、注文を受けてから苗を育てるため、三年間待って欲しいという返答でした。

朝咲く白い花
朝咲く白い花

当時国道の沿線緑地帯に植える花の樹種は、伊予土木事務所の担当者から、まちづくりで花いっぱい運動の先頭に立っていた私に一任すると依頼があった頃なので、仕方なく国道の山側斜面に出来た階段式花壇には、普通の芙蓉を植えることにしたのです。土木事務所の担当者は、「ツツジや山茶花なら分るが、芙蓉は草みたいなものだ」と揶揄されたものの、願望を貫き芙蓉を城の鼻全体の花壇に植えて、「芙蓉の小路」と名前をつけたのです。
 以来芙蓉は花を咲かせ今日に至っていますが、芙蓉の花の欠点は、害虫毛虫の食害に弱いこと、それに花期が終われば新梢を全て切り落とさなければならないのです。最初の3年間は地元の人に協力を求めても中々出来ないため、私の家族全員が手伝ってくれました。今は駅前から城の鼻周辺の人たちがボランティアで世話をしてくれるようになり、嬉しく思っています。

昼ピンクになった花
昼ピンクになった花

 

 酔芙蓉はその後苗が届き、私たちが植えましたが、今年も朝真っ白、昼ピンク、夕方真っ赤な蕾と彩を変えて咲き続けているのです。初秋になり北東の風が吹き始めると酔芙蓉の花もいよいよ終わりに近づいてきますが、まだ名残の花が咲いており、澄み切った青空や青い海、茜色の夕日などとともに、変化する酔芙蓉の花を楽しむことができるのです。
 今日は台風の余波でしょうか、朝から秋特有の北東の風が吹いて、前日まで30度を越えていた残暑も一転、温度が急激に下がって、陰だと一枚羽織らなければ肌寒く感じるほどになりました。季節はいよいよ秋本番です。

夕方真っ赤になって萎む花
夕方真っ赤になって萎む花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「酔芙蓉 一日三回 色変える まるで酒飲み 男のようだ」

  「酔芙蓉 太陽のよう 色変えて 最後は真っ赤 夕日のように」

  「酔芙蓉 写真に撮って フェイスにて 紹介したら コメント届く」

  「酔芙蓉 思い返せば 色々な ことがあったと 今更思う」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇人間牧場で2週続けての勉強会

 現役時代に、親友の高岡さんとともに夢工房というグループを立ち上げ、多い頃は2ヶ月に一度20人ほどの仲間が、松山駅近くの四十雀という居酒屋へ集まって、勉強会と呑み会をやっていました。今でも狸が石を投げたように1年に1回程度は集まりますが、退役組が多くなるとどこか、傷をなめあうような思い出話や、近況報告的話が中心になって、出会っても中々心がときめかないのです。
 仕方がないと諦め声がかかれば大河に身を委ねていますが、現職組の奮起を促しながら、時代を先取りするような生き方をしたいものだと、再起動を夢見ています。

 そんな夢工房の仲間の一人である、西予市明浜町に住む原田さんから、「何人か人間牧場へ連れて行くので、少し話を聞きながらアドバイスが欲しい」と連絡がありました。スケージュールを確認し連休明けの昨日午後1時に、下灘コミセン前で待ち合わせの約束をしました。午前中人間牧場へ愛妻弁当を持って出かけ農作業をしていると、松本さんから「明浜支所の西村さんから、先日新聞に載った地域おこし協力隊員の川口さんにもお会いしたいと連絡がありましたが、あいにく川口さんは大阪出張中で、富田、本多の両名も読み聞かせ隊の活動中で手が放せないので、とりあえず私が皆さんをコミセンで迎えて、人間牧場へ上がります」とのことでした。

 少し早めに昼食弁当を食べ、千本桜の森づくり事業の標準木として植栽している枝垂桜の添え木が少しいびつになっているのを、脚立を使って補正し直し周辺の草を刈りました。一段落した午後1時過ぎ松本さんの案内で、明浜町の人たちがやって来ました。驚いたことに6人の3人までが先々週の土曜日、ピザ焼き実習のためにやって来た人たちでした。最近地域おこし協力隊員として明浜に赴任したという松本仁紀さんと、一年後閉校になるという小学校跡地の活用策を模索するためコーディネーターとなった川崎昇さんを中心に、2時間ばかり熱のこもった議論をしました。学校跡地の利活用は中々骨の折れる仕事だけに、特に川崎さんは真剣でした。

人間牧場へやって来た明浜町狩江の人たち
人間牧場へやって来た明浜町狩江の人たち

 川崎さんの持参した資料には「、狩江小学校跡地を活用した都市と田舎の交流事業」で、取り組みた予定の夢のプランの概要が書かれていました。その事業を推進する「かりとりもさくの会」も立ち上がっているようで、悩みは多いものの先々が楽しみです。
 私は若い頃から狩江地区へは何度も足を運んでいて、知り人も多く地区の実態はよく知っていますが、風光明媚で文化度も進取の気性も持ち合わせたいい地域なので、これからも浅学菲才で役不足ながら、折に触れお手伝いをしてあげたいと思いました。原田さんは知人の祇園丸というチリメン加工をしている方からお土産を言付けてくれました。ありがたいことです。お礼に冷蔵庫で保管していた蜂蜜を言付けました。
 夕方川崎さんと西村さんから嬉しい感想とお礼のメールが届きました。

  「驚いた 二週続けて 牧場へ やって来る人 数人おりて」

  「学校が 閉校なる前 どうするか 知恵出し合って ふるさと守る」

  「少子化と 過疎・高齢化 深刻で また学校が 一つなくなる」

  「日本の 田舎どうなる 縮み行く イノシシだけは 密度が高く」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇愛媛新聞20面で川口さん紹介記事

 双海町には2年前、富田さんという地域おこし協力隊員がやって来られ活動していますが、今年から本多さんと川口さんも加わり、現在3人の地域おこし協力隊の隊員が3地区に配置されています。先発の富田さんが輝かしい活動をしているため、本多さんや川口さんもそれ相当の影響を受けているようです。地域づくりには「よそ者・若者・ばか者」という3つの人材が必要だといわれていますが、3人はよそ者として今のところ存分な働きをしてくれています。

新聞一面のリード文
新聞一面のリード文

 一昨日愛媛新聞の20面にえひめ現場ルポ「時代を歩く」で、川口沙矢香さんの奮闘ぶりが新聞全紙を使って紹介されました。一面には目次欄の横に、「現場ルポ・地域おこし協力隊奮闘・20面」と、写真付きで次のようなリード文が載っていました。
 「東京から伊予市双海地域に『地域おこし協力隊』として移り住んだ29歳の女性が、地域活性化に向けて住民と奮闘している。土にまみれて農業に精を出し、土砂降りの中でイベントの司会をこなすなど、若さを前向きな精神で地域に新たな風を吹き込んでいる。」

新聞20面の新聞スクラップ
新聞20面の新聞スクラップ

 スクラップした新聞記事は大きいため、私のエプソンプリンターでは全てをスキャンできませんでしたが、中々読み応えのある記事でした。その記事のリード文に地域おこし協力隊についての紹介が次のように載っていました。
 「総務省が2009年に制度化。地方自治体が1年以上3年以下で都市部住民を地域おこし協力隊員として委嘱し、過疎化や少子高齢化が進んでいる地域に移住してもらい、疲弊した地域の活性化を目指す。同省は活動費や報酬などを年間400万円を上限に支援する。隊員は09年度に全国で31自治体89人だったが、12年度には207自治体617人に増加、隊員の多くが、地域おこし支援や農林水産業に従事している。12年には協力隊を題材にしたテレビドラマも放映された。県内では現在、今治、伊予、西予、宇和島の4市と上島町で計27人が活動中、任期を終えて定住した人も6人いる」。

 はてさてよそ者である地域おこし協力隊員が、地域の期待に応えて活動し地域を活性化できるか、また任期を終える3年後に定住できるか、かなりハードルは高いようです。長年地域づくりに関わっていますが、地域の活性化は生易しいものではないからです。1年目の目標、2年目の目標、3年目の目標を掲げて常に意識し、スキルをアップしていかなければ、3年はあっという間に終ってしまうのです。地域おこし協力隊員の力量も試されますが、逆に地域の力量もまた試されます。地域は得てして人の足を引っ張る人罪が多いようです。人在だけでなく人材や人財を人間力として活用し、足を引っ張るのではなく、手を引っ張れるような気風を持ちたいものです。私もその一助になりたいです。

  「とりあえず よもくれ団子 作ろうと 活動一緒 取り組み奮闘」

  「3年後 同じ市民に なれるかな? なれたらいいと 協力惜しまず」

  「脱都会 田舎暮らしの 楽しさを よそ者視点 ばい菌撒いて」

  「3年は あつという間に 過ぎて行く 試されている 吾ら力量」

[ この記事をシェアする ]