人間牧場

〇人間牧場での収穫祭

 ⑥電気柵のお陰
 この2年間、人間牧場の芋畑はイノシシの標的に遭って全ての芋を持ち去られ、収穫ゼロでした。折角植えたサツマイモをどのようにしたら、イノシシに食べられないようになるかは、人間牧場の畑にサツマイモを植えてから8年間、ずっと考え続けたことでした。漁師さんから魚網を貰って周囲に張り巡らせたり、空き缶を吊るしてイノシシじゃらしを試みたりしましたが、結局一時しのぎで完全に撃退することは出来なかったのです。「どうしたらイノシシの知恵に人間の知恵が上回るか」考えたのは2つでした。その一つはサツマイモの作付けを止めることです。つまりイノシシに白旗を揚げることです。これは何としても避けたいと思い、もう一つの妙案である、文明の利器といわれる電気柵を周囲に張り巡らせる方法を実行することにしました。

 公民館の宮栄館長さんにお願いして電気柵を張り、バッテリーの電源を夜だけ通電させるのです。電気柵を乗り越えない保証はどこにもありませんが、とりあえず芋のつる植えが終わり苗が活着した、6月下旬に周囲を囲っている魚網の更に外側に電気柵を張り巡らせました。
 ところがこの電気柵にも問題があって、雑草が繁茂する夏場なので、電線の下草が直ぐに伸びて、少し油断すると草丈が伸び、カズラだって巻きつき放電してしまうのです。そのため私は人間牧場へ出かける度に草刈機を使って、草を何度となく丁寧に刈り管理をしました。そのお陰でしょうか1週間前まではイノシシの被害にも遭わず、順調に推移しました。

 イノシシは嗅覚が鋭いので、もうそろそろと思った頃に出没するので、一週間前から厳戒態勢に入りました。その頃になると芋畑と目と鼻の先にある人間牧場の入口付近の道沿いには、イノシシが出没して土を掘り返し、見るも無残な姿になってしまいました。私はスコップでその土を道の両側に跳ね上げましたが、残暑とも思える厳しい暑さの中で大汗をかいて、手の平には3つも豆を作ってしまいました。
 そんなこんなんの緊張感はあったものの、電気柵と宮栄館長さんのお陰で被害に遭うこともな、くサツマイモの収穫祭をすることが出来たのです。しかし今年の夏の暑さは異常なほどで、1ヶ月も雨が降らず日焼け気味で収穫は今一でしたが、それでも芋飯を食べたり、お土産に2個ずつ持ち帰りました。

 さて来年はどうするか、思いの分かれるところでしょうが、来年は2月ころにジャガイモを植え、短期決戦で5月に収穫祭をしてはどうかという案も浮上しています。子どもをお客さんにだけにはしたくないものの、結局は子どもたちの置かれている忙しい立場を考えれば、それも無理からぬことかも知れません。昔はジャガイモを狙うイノッシシはいませんでしたが、今は灰汁の強いコンニャクイモ以外は全て狙われるので、ジャガイモになっても電気柵のご厄介にならなければならないのかも知れません。人間と野生動物の共生は最早夢のまた夢かも・・・・。ああ煩わしい世の中になったものです。

  「電気柵 やはり最後は 文明の 利器に頼って 難を逃れる」

  「電気柵 お陰でイノシシ サツマイモ 食べず収穫 3年越しで」

  「電気柵 何度草刈り しただろう それでも成果 あっただけでも」

  「電気柵 今度ジャガイモ 植えたとて 世話にならねば 笑顔も見えず」

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人間牧場

〇人間牧場での収穫祭

 ⑤ジュニアリーダーの存在

 現職の教育長時代に就任していた子ども教室実行委員会の会長を、合併で双海町という自治体がなくなった後も辞める理由もなく、むしろ進んで今日まで続けています。それは双海町という町の子どもたちにふるさと教育の必要性を強く感じているからで、私にとっては知らず知らずの間に、すっかり生きがいとなっているようです。子どもに対する社会教育はエンドレステープのようなもので、毎年同じようなことを巻き返し繰り返ししながら、週間化しなければなりません。そういう意味では私の会長としての役割もアリかな?と思いつつ、人間牧場というフィールドを持っているだけに、リアルに深く関わっているのです。

子ども体験塾に参加したジュニアリーダーたち
子ども体験塾に参加したジュニアリーダーたち

 社会教育には問題を知らせ提起する事業、学びの援助事業、学びの組織化事業、成果のフィードバック事業の4つがありますが、何故学ぶのか、どう学ばせるのか、学んだことをどう生かすのかというサイクル的視点がなければならず、例え子どもといえど何のために学ぶのかを考えながら学ばせ、学んだことを生かすようないざなわなければ成長しないのです。子ども教室はそのことを念頭において、子ども教室で学んだことを中学生や高校生、大学生になって生かせるようにしようと、ジュニアリーダーの育成に力を入れてきました。その甲斐あってジュニアリーダが随分育ち、活発な活動を展開してくれるようになりました。今回は収穫祭なので芋印を作ることを思いつきましたが、ジュニアリーダーのしっかりした誘導で、危険な刃物を使う作業も、まったく怪我人もなく上手く彫ることが出来ました。

 今年はジュニアリーダー会が発案したスタードーム作り事業が、えひめ地域政策研究センターの助成事業に採択され、20万円の支援を受けました。スタードーム作りでキャンプ活動も大いに盛り上がり、夏の軽トラ市や通学合宿にも活用しましたが、間もなく行なわれる秋の公民館祭りにも披露するようです。
 教育は自律と自立の人間を育てることが目的ですが、人や社会のために役立つ人間を育てることも目指さなければなりません。部活や勉強などが忙しい中・高生や大学生にとって、子ども教室に参加する暇はそんなにはないと思われますが、活動の中で学びながらジュニアリーダー同士の交流により、自分自身が人間としてワンランクアップすれば、何にも変えがたい大きな力が身につくことでしょう。

  「教わった ことを教えて また成長 ジュニアリーダー 目論見どおり」

  「彫刻刀 危ないからと 取り上げる これは間違い 使えるように」

  「兄ちゃんや 姉ちゃんのよう なりたいと 思う気持ちが 育つようにと」

  「ふるさとを 愛する心 育てたい 少しずつだが 成果現われ」   

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人間牧場

〇人間牧場での収穫祭

 ④収穫祭のプログラム
 今回の人間牧場での収穫祭には、徒歩で片道50分、往復1時間40分の山道移動時間が必要です。いつものことながら子ども体験塾では、現代の子どもが比較的馴れていない「歩く」という行為を、どう意味あるものにするか、いつも知恵を絞っています。山道にチェックポイント設けてクイズラリーをしたり、野草を探して歩いたり、今回は不燃・可燃物ゴミを拾う競争を班対抗で行なうなど、ウォーキングを楽しむようなプログラムで効果を上げています。この日はあいにくの雨で、日ごろ使っているウッドデッキが雨で濡れて使えないため、水平線の家の板間25畳に子どもたちを入れたため、少し窮屈な思いをさせてしまいました。

それなりに揃えられて履物
それなりに揃えられて履物

 玄関先の土間は脱いだ靴が所狭しといったところでしたが、すっかり人間牧場での活動に馴れている子どもたちが、靴をきちんと並べれるようになったことは大きな成果です。学校できちんと靴を並べられる子どもが家で何故靴を並べることが出来ないのか、本音と建前の違いを感じながらも、子ども体験塾ではその辺の学校でも家庭でも出来ない教育をやろうとしているのです。
 この日の中心プログラムは雨だったこともあって、芋印を作ることをメインにしようと考えました。しかし危険な彫刻刀を小学校低学年の子どもたちに使わせるのは多少心もとないので、ジュニアリーダーに注意を促すよう依頼し、消しゴム印を彫らせることにしました。間もなく年末の年賀状作りが始まりますが、僅か1時間ほどのこのプログラムは子どもたちの関心が高かったのか大いに受け入れられたようでした。

 この日は北海道佐呂間町に住む私の親友武田温友さんが送ってくれた、観賞用カボチャをジャンケンチャンピオンゲームでゲットさせてやりました。多少数は不足気味でしたがみんな喜んでリュックに入れて持ち帰りました。また先日ジュニアリーダーの力を借りて作成した「こども什の約束」について、20分ほど時間をかけて、私が分り易く話をしてやりました。「こども什の約束」はこれからも折に触れ、しっかりと教えてやり、実践させたいと思っています。
 歩く移動時間、芋掘り作業時間、食事時間、研修時間、遊びの自由時間(ゲーム・歌声など)を組み合わせた体験プログラムを終えると、子どもたちには毎回感想文を描かせていますが、さてどんなに受け入れられたのか、読むのが楽しみです。

ふたみのこども什の約束
ふたみのこども什の約束

  「あいにくの 雨だが何とか プログラム 消化しきって まずまず成果」

 

  「子どもには 守るべきこと 什にして 教え導く ふるさと教育」

  

  「まず歩く これも大事な プログラム 工夫をすれば 歩く楽しさ」

  

  「芋印を 彫刻刀で 彫る作業 ジュニアリーダー 正しく導く」

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人間牧場

〇収穫祭話題あれこれ

 ③水の確保
 人間牧場での活動には水がつきものです。最近はトイレまで水を大量に使うので、水の確保はとても重要です。人間牧場の水は地元池久保の西嶋さんが農業用に大きな水槽で確保している、毎日流入する新鮮な水を無理を言って分けてもらっています。その水を水平線の家の屋根裏に置いたステンレスタンクに貯め、落差で水圧を確保し流し場とトイレに使っていますが、ドラム缶一本分のこの水ではいつも水不足気味で、使った食器の後片付けもままならないのです。人間牧場にはロケーション風呂という五右衛門風呂の小屋を持っていますが、そこで使う水を確保するためウッドデッキの下に、ステンレス製の小さなタンクを設置していますが、これも風呂に水を大量に使うと不足気味なのです。
 そんなこともあって飲食を伴う行事には、用意したポリタンク3個を使ってその都度浄水道の水を汲み、軽四トラックの荷台に積んで運んでいます。今のところその労働は左程苦にはならないのでこれからも続けたいと思っています。昨日は総参加人数が60人近くになったので、ポリタンクの水は私が2個、赤石さんが3個用意して運びました。

出番を待つステンレス製水タンク
出番を待つステンレス製水タンク

 私は人間牧場を造るに当たって極力費用をかけないよう、再利用できるものは再利用しようと思いました。ゆえに2つのステンレスタンクは親類の従兄弟からいただき、風呂を沸かす灯油ボイラーも水道設備工事会社から使い古したものを無償でいただきました。その従兄弟が65歳を機に廃業することになったため、お願いしていた適当な大きさのステンレスタンクをゲットすることが出来ました。早速そのタンクを乗せる土台を廃業した従兄弟に頼んだところ、昔の仲間がステンレス製のこれまた立派な土台を無償で造ってくれたのです。早速土台を置く基礎工事を始めるべく地元の土木業者に収穫祭に間に合わせるべく仕事を頼みましたが、台風による大雨で災害が発生しその対応に追われているため、今回は間に合いませんでした。
 来週には基礎工事をやると土木業者から連絡が入っているので、その後水道工事をしてもらい、これで長年の水不足はどうにか解消できそうですが、人間牧場は慢性的な水不足だったゆえに、水の有難さを実感し続けた8年間でした。水もトイレも文化のバロメーターです。水を湯水の如く使おうとは思いませんが、活動に必要な水だけは確保したいとアグリとカルチャーの両方を目指す人間牧場だけに、余計思うのです。

  「この8年 水の不足に 悩まされ ゆえに大事と あらため気付く」

  「活動に 水はつきもの その度に ポリタン積んで トラック走る」

  「従兄弟から 貰い受けたる ステンレス タンク三つ目 そろそろ設置」

  「金かけず 質素倹約 するために 知恵を使って 様々工夫」

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人間牧場

〇何と贅沢な丹波黒豆の枝豆

 伊予市三谷に住んでいる親友の水口マリ子さんから電話が入り、「丹波黒豆の枝豆が食べごろになったので、剪定はさみを持ち、長靴を履いて軽四トラックで取りに来ませんか!!」とお誘いがありました。例年のことなので、もうそろそろと手ぐすねを引いていたので、「明日の朝一番で行きます」と何はさて置き返事をしてしまいました。水口さんのお家は稲の苗を主体にした苗屋さんで、野菜の苗も製造販売しているので、春4月の20日ころ夏野菜の苗を、10月10日ごろ冬野菜の苗を大量にいただくばかりか、正月前にはおせちに入れる黒豆の煮つけまで届いて、野菜を中心としたわが家の食生活の、屋台骨を支えてくれているのです。

 そしてお祭り前のこの時期になると、何と贅沢な丹波黒豆の枝豆をいただくのです。8時に自宅を出て8時30分に水口種苗店の事務所に到着しました。まり子さんにいつもと変わらぬ笑顔で迎えていただき、早速マリ子さんを助手席に乗せ、田圃の中の道を走って、JR予讃線近くの黒豆畑へ到着しました。
 「さあお好きなだけ鋏で摘み取って下さい」といい、田圃に入って大きく成長した茎の根元を切りましたが、茎が太過ぎて尋常な力では中々切れませんでした。それでも二人で10分ばかり会話を交わしながら切り取った枝豆を、トラックの荷台に積み込み、荷縄をかけて一件落着です。

 マリ子さんを事務所の前で降ろし、裏道を通って国道に出て自宅に帰ってきましたが、さあそれからが大変です、近所や親類、知人友人に当たりかまわず配って回りました。その数有に20人ほどでした。うっかりわが家の分を忘れるほどでしたが、それから昼まで茎から枝豆のさやをむしり取る作業をしました。
 昨晩はまちづくり学校双海人の例会が地域事務所であって、帰宅は9時30分を過ぎていましたが、妻は私のむしり取った枝豆を茹でてくれていて、夕食と一緒に食べましたが、久しぶりに美味しい枝豆を食べました。

 今日は朝から差し上げた人に出会う度、「昨日貰った黒豆の枝豆は飛び切り美味しかった。ありがとう」とお礼を言ってもらいました。まるで自分が作ったように嬉しくなりましたが、大豆は畑の牛肉といわれるほどタンパク質の多いヘルシーな食べ物です。昨日茎からちぎった枝豆を妻は、小袋に入れて冷凍庫に入れたようだし、残りの枝豆を明日当たりまた食べさせてくれることでしょう。
 マリ子さんは別れ際、もう一回取りにおいでと誘ってくれました。聞けばマリ子さんの家では丹波黒豆を1ht以上も栽培しているそうです。いやはや驚きでした。この美味しい枝豆を肴にビールが飲めたら、さぞ美味しかろうに・・・・・。

  「あの丹波 黒豆何と 枝豆に して食べるとは すごく贅沢」

  「その昔 殆ど毎日 呑んでいた ビール今では 枝豆見ても」

  「ああ美味い 今頃友は ビール当て 枝豆食べつ ほろ酔い機嫌」

  「枝豆は 地上植物 ゆえ湯から 湯がいて食べる 聞いて納得」 

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人間牧場

〇ハーロウィンの弁当

 「明日はアンパンマン列車に乗るのだから、早く夕ご飯を食べて、早く風呂に入って、早く寝るのよ!!」と、昨晩はみんなにせかされ、孫二人はアンパンマン列車に乗る楽しみな夢をみながら前日の夜は眠れぬ夜を過ごしたようです。
 昨日は7時20分に、集合場所の上灘駅まで行かなければならないので、まず若嫁が一番乗りで起きて来て、キッチンでお弁当作りをしていました。そのうち孫二人も起きて二階から着替えて下りてきました。いつもだと私の書斎へ「おじいちゃん、お早う」とあいさつに来るのですが、昨日はアンパンマン列車のことが気になるのか、母親の作る弁当が気になるのか、書斎の前を通り過ぎキッチンに入ったようでした。

若嫁の作ったハーロウィンがテーマの弁当
若嫁の作ったハーロウィンがテーマの弁当

 そのうち若嫁の作った弁当が出来上がったようなので、デジカメを持って写真を撮りに行きました。実は先日、上灘地区市民運動会のために若嫁が作った弁当の写真を、私のブログと最近始めたfacebookにアップしたところ思わぬ反響があったため、今回はfacebookには載せないものの、記録のつもりで私のブログで紹介しようと思いついたのです。
 若嫁の作った弁当は、味はさて置いてかなりカラフルで、子どもたちにとってはまるで「夢の玉手箱」のような感じがするのです。ここだけの話ですが、妻の作るオーソドックスな弁当とは比べ物にならないのです。ここだけの話ですが、妻も料理には腕と味に自信があって、しかも手際がいいことだけは、夫の私が保証します。

顔を描いた観賞用カボチャ
顔を描いた観賞用カボチャ

 若嫁に聞いたところ、今回の弁当のテーマはハーロウィンだそうで、そういえばうまく作っていると納得しました。孫たちはお母さんの作ってくれた弁当をリュックに詰め込んで出かけて行きました。聞くところによるとアンパンマン列車の目的地は今治市菊間駅だそうで、瓦公園で弁当を広げたり遊んだり、年長さんは記念の瓦に絵付けをするようです。
 ところで、先日北海道佐呂間町の武田温友さんから、今年も沢山の観賞用かぼちゃが届いたことを紹介しましたが、孫がその観賞用カボチャを保育園に持って行くと言うので2個やりました。若嫁はそのカボチャにハーロウィンよろしく、マジックで似顔絵を書いて持たせたようで、これが偉い人気となり孫希心は差し上げるのが勿体ないと、また家へ持って帰り玄関の下駄箱上に飾っているようです。

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人間牧場

〇人間牧場でまちづくりの研修会

 先日まちづくり推進協議会設立準備委員会の招きで松山市垣生公民館へ講演に出かけました。垣生公民館には友人だった西原花子さんが勤めていたこともあって、もう何10回と足を運んでいるので、役職員の顔ぶれは替わっているものの、知人友人や顔見知りも多く、最も心許せる公民館の一つなのです。
 今松山市では新しいまちづくり推進協議会を立ち上げるべく、各地で研修会が開かれています。その準備委員会のメンバーが人間牧場で、研修会をしたいと申し出がありました。私の日程の空きを見つけ、平日ながら10月16日に行なうことで合意し、簡単な研修プログラムを作ってFAXを送り、支所長さんと何度か電話で打ち合わせをして昨日を迎えました。

 運悪く昨日は26号台風が日本列島を襲いましたが、スピードを速めて北に進んだたため、中止などの大事には至らず、予定通り午前9時に垣生公民館を出発したようで、待ち合わせ場所の下灘コミセン前に到着したと電話が入ったのは30分近くも前の9時30分でした。私は昼食準備をしなければならないので、食材と飲料水を軽四トラックに積み込み、午前8時には人間牧場へ到着し、掃除機をかけたり足湯サービスのための風呂を沸かしたり、またかまど用の薪を薪小屋から運んだりしながら、案内を頼んでいた地域事務所の松本さんに既に到着していると電話を入れました。

研修会
研修会

 昼食に出すじゃこ天はあらかじめ予約をしていたので、双海人の浜田さんに依頼し持って来てもらいました。皆さん方一行が到着したのは30分以上も早く、早速研修①に入り松本さんが用意してくれたパソコンを使って講義を1時間ばかりしてくれました。私と浜田さんはその間、かまど小屋でご飯を2釜炊き、味噌汁を鍋いっぱい作りました。勿論お味噌はギノー味噌からいただいた美味しい麦味噌です。最近は私と浜田さんの息もぴったりで、ご飯の水加減もよくおこげを少し作る余裕もあるほど、火加減も上々に炊き上がりました。松本さんの講義が終わり私の手が取られたので、味噌汁の味付けは浜田さんに任せましたが、ハモの味噌汁はいつになく上々の出来栄えでした。

集合写真
集合写真

 かまどで炊いたご飯と味噌汁、それに妻が用意してくれた漬物、じゃこ天一枚、柿とリンゴのデザートというシンプルな料理も、みんなでワイワイ言いながら食べると美味しいものです。2升のご飯も鱧の味噌汁も殆ど完食状態で、いい賄ができたようで皆さん満足の手合いでした。
 午後は私がまちづくり推進協議会の薦め方について講義②のレクチャーしながら、皆さんの意見を引き出しました。みんな積極的に絡んでいただいたお陰で、午前中30分間、昼食30分間を稼いだため、終了を1時間早め、午後3時にお開きになり、集合写真を撮影して帰られました。
 外は台風の吹き戻しの風が強く吹きつけ、観音開きの自慢の窓は閉めたまま研修をしましたが、それ程寒くもなく、休憩時間に足湯のサービスをしたりして、座布団での窮屈な研修にもかかわらず和気藹々の手合いでした。

 

 

 

  「17人 垣生の一行 やって来る 3人対応 朝から忙し」

  「かまど飯 ハモの味噌汁 悦に入り 二人でヒソヒソ 準備進める」

  「火加減も 水加減までも 上出来に 出来て嬉しい 美味い美味いと」

  「少しだけ 心配したが 台風の 影響もなく 何とかこなす」

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人間牧場

〇わが家のトイレ掃除

 わが家では長年「さしすせそ」は、女の仕事として位置づけられていました。「さしすせそ」とは、さー裁縫、しー躾、すー炊事、せー洗濯、そー掃除のことです。家業が漁師だったため男は船に乗り漁に出るもの、女は陸で家事全般をするものと、子どものころからしつけられました。ゆえにその癖が未だに治らず、妻も多少不満があっても、同居の親の体面上私に家事全般を殆ど手伝わせもせず、私はぬくぬく楽をしてこの歳を迎えているのです。男女同権・同格の時代背景で育った息子たちは、平気で厨房に入り、子育てにも積極的に関わっている姿を見て、世の中変わったものだと、女性と靴下が強くなったという言葉に、納得する今日この頃です。

 わが家は息子たち家族と同居するため、2年前に風呂場を除く水周りの大改造を行ないました。私たちが資金を出すものですから、設計の仕事をしていることをいいことに、息子たちのダイニング等は、何もそこまでしなくてもと思うほど大改造し、私たちが使っていたときとは比べようもない、夢のようなシステムキッチンが誕生しました。若嫁は料理を作るのが大好きで、息子の設計したダイニングに満足して使っています。その時一階と二階のトイレも大改造しました。男女別々だったトイレの仕切りを壊し、様式水洗トイレにしました。お金が要るものですから質素に育った妻は、何もそこまでしなくてもと最初は妻も少し抵抗しましたが、「お母さんトイレは文化だ」と説得され、しぶしぶ同意しました。

 新しくなったトイレは、戸を開けて中へ入ると自動的に蓋が開き、用を足してボタンを押すとお尻を洗ってくれ、ペーパー処理をして立つと自動的に汚物が流れ、外に出ると蓋が自動的に閉まるのです。何とまあ便利で快適なトイレでしょうか。息子の言う「トイレは文化」という意味がやっと理解できた妻は、知ったかぶりで「トイレは文化よ」と友達に喋っているようで、少し滑稽な気もします。
 二階のトイレは息子たち家族専用ですが、一階のトイレは孫たちも使うため、トイレが出来てからこの二年余り、トイレの掃除はもっぱら息子のボランティア清掃に委ねなれています。息子は綺麗好きで一週間に一度は床を含めてトイレの大掃除をしてくれます。トイレの掃除をした後は便器に菊の花のようなゼリー状の香料を貼り付けているためでしょうか、トイレはいつもピカピカでとても気持ちよく使っています。

 息子と同じ男なのに、私はわが家のトイレの掃除など殆どしたことがないのです。妻から時々「息子を見習ったら!!」と冷やかし半分に言われますが、私はトイレの掃除までする気持ちは今のところありません。でも私に子どものころ「男はかく生きよ」と諭してきた親父だって、母亡き後自分の隠居で「さしすせそ」をやり、立派に自律しているところを見ると、やがて私もその立場になれば出来そうな気もするのです。
 とりあえず人間牧場のトイレの掃除から始めようと思っています。今のところ人間牧場水平線の家のトイレの掃除も、息子がやってくれています。私も活動に使った帰りにはブラシで簡単に掃除をしていますが、息子に掃除のテクニックを学び、将来に備えたいと思っています。

  「リフォーム時 何もそこまで 言っていた 妻が今では トイレは文化」

  「快適な トイレは何故か 清々しい 息子のお陰 そう思いつつ」

  「お利口な 便器入ると 蓋開け 終れば流し 蓋まで閉めて」

  「その昔 新聞紙で 拭いていた 今は懐かし 記憶に赤面」

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人間牧場

〇鉄道の日記念イベント

P1050227 小さな無人駅「下灘駅」のプラットホームを使って、夕焼けコンサートを始めたのは、今から28年も前のことでした。その以前から下灘駅は駅員さんが暇を見つけて、プラットホームから投げ釣りをするほど海に近く、いつしか誰言うでもなく「日本で一番海に近い駅」という愛称がつき、カメラマンの間で密かに人気を博していました。その後映画寅さんシリーズ第19作、「殿様と寅次郎」の舞台となったり、青春18キップのキャンペーンポスターに3回も登場するなど、話題は尽きませんでしたが、予讃線海岸周りの線路と並行して走る道路が国道に昇格して378号となり、道路は一気に改良が進みました。と同時に列車の昇降客は激減、内子を通る内陸線が開通して本線になると、海岸周りは一日十数本しか通らないローカル線化し、並行路線は廃線という悲しい運命が待ち受けていました。

みちえとさくらちゃんの腹話術
みちえとさくらちゃんの腹話術

 そこで思いついたのが、駅のプラットホームを舞台にするという私の奇抜なアイディアでした。しかも夕日を前面に押し出し、鉄道存続運動は隠し味にしたコンサートは思わぬ大ヒットとなり、下灘駅には開業以来始めてとなる千人もの人が集まったのです。
 以来夕焼けトロッコ列車を走らせたり、様々な情報発信をしながら多くの人の想いを集めて今日を迎えていますが、28回続く夕焼けプラットホームコンサートは勿論のこと、駅にスポットを当てた取り組みのお陰で下灘駅は無人駅ながら多くのファンを集め、人気度抜群の知名度を誇っているのです。

 

ザ・芝居小屋
ザ・芝居小屋

 昨日は明治5年新橋と横浜を結ぶ日本初の鉄道が開業した(10月14日)日で、鉄道の日記念と銘打って「ザ・芝居小屋」という小さなイベントが地元の人たちによって開かれました。午後2時からのイベントに妻と3人の孫たちと連れだって出かけました。内容は子ども詠み語り隊、人形げきやおたこぐみ、ぶちっとおはなしお届け隊、権利擁護劇団あど防、腹話術・みちえとさくらちゃんの5本立てでした。
 子ども読み語り隊の黒山の大蛇と、腹話術・みちえとさくらちゃんの2本を楽しく見せてもらいましたが、昨日は昼間の気温が30度近くまで上がって真夏日になり、孫たちは大汗をかきながら暑い暑いを連発するものですから、熱中症にでもなったら大変とばかりに、ドーナツや鱧かつバーガー買って早々にお暇しました。

ざ芝居小屋 今ではすっかり有名になったJR下灘駅は、地元の人たちの熱意によって年中様々な花が咲いています。今は酔芙蓉の花が見ごろで、とても綺麗に咲いていました。私たちも一花咲かせようと残暑厳しい頃草を刈り、菜の花の種を少し蒔きましたが、残念ながら1ヶ月近くも雨の降らない猛暑に負けて菜の花の芽は出ませんでした。
 地域づくりは失敗するから成功を夢見て頑張れると、少々落胆はしたものの次の作戦を目論んでいます。これが身の丈、これが自分たちに出来るささやかな挑戦なのです。

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人間牧場

〇健康で長生きがしたい

 先日69歳の誕生日を迎えたばかりの私に対して、少し前にやり始めたface bookのお陰で、今年は沢山の方々から祝意をいただき、今までと少しだけ違った誕生日となりました。誕生日を迎えると決ったようにこの1年間、健康で暮らせたことを自分自身と寄り添うように生きてくれている妻に感謝し、これからも健康でありたいと願うのは、私だけではないと思いますが、これまでのように漫然と健康を考えるのではなく、健康は自分の努力なしでは勝ち得ないことを強く意識するようになりました。

 今朝の新聞に70代の約4割がスポーツ同好会やフィットネスジムに所属していることが報じられていました。その数の多さに驚きますが、70歳代といえば仕事の第一線から退き、時間とカネの余裕があることも後押ししているようです。スポーツ同好会やフィットネスジムに所属して健康のために暇を割きお金をかけて、毎日汗を流している人に比べれば、健康維持のためにお金もかけない私などは、明らかに体力的数字は劣っていると思われますが、私には幸い体の健康もさることながら、多くの人と交流することから生まれる心の健康は抜群で、むしろ心身のバランスが取れていると自負しながら生きているのです。

 私は体の健康にお金をかけず、1日1万歩を目指すウォーキングと、朝晩のエクササイズ、それに暇を見てやっている家庭菜園や人間牧場での労働によって健康が保っています。これらはタダでできる健康維持だし、気分転換にもなるのです。私の健康を陰で支えてくれているのは妻の食事療法です。質素で粗末ながら魚と野菜をふんだんに使って体によい物を手間暇かけて作ってくれるのです。ややもすると見過ごされがちな食事の大切さを、最近は特に思い始め、安心安全、薄味、バランス、雰囲気、感謝などに思いを巡らせ、少々高いエンゲル係数を気にしながら食べています。

 もうひとつ忘れてならないのは脳と心の健康です。脳は使わないと退化します。私にとって毎日三枚のハガキ書きと毎日2本のブログ書き、それに人の前で話す講演活動は脳の活性化に有用なようで、多少物忘れはするものの、意欲を持って学ぶことの多い毎日です。また私はまちづくりや青少年活動というボランティア活動にも積極的に参加し、無償ながら心の健康とう代償をいただいているのです。男の平均寿命が75歳を越えました。しかし男の健康寿命は70歳といわれています。つまり平均寿命と健康寿命の差である5年間は要支援、要介護が必要となっているのです。健康で長生き、しかも夫婦で長生きは中々難しいテーマですが、体力の健康、脳力の健康、心力の健康を含めた人間力の健康を、金をかけずも追求したいと思っていいる今日この頃です。

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