人間牧場

〇未利用資源海草ヒジキの収穫と加工(その2)

 昨日の夕方富岡海岸に行き、未利用資源のヒジキを手製の魚網袋に2袋収穫しました。防寒をして出かけたものの、昨日の海岸は波も高く時化ていたため少し体に堪えましたが、風邪を引くこともなくなく幸いでした。持って帰ったヒジキは早速倉庫から移動式くどとハガマを取り出し、中庭に据えました。ヒジキを少し大きめのたるに水を張って水洗いし、ハガマの中へ山のように入れ、裏山から取ってきた薪を手斧で小切りして、火をつけ茹で始めました。田舎ゆえ焚物にする枝木はその気になればいくらでも確保でき、エネルギー費も要らず大助かりです。昨日は少し風が強かったので、勢いよく燃えたものの類焼させては大変と注意を払い、慎重に焚き火を続けました。

自作の海草収穫網袋
自作の海草収穫網袋

 ハガマの温度が上がるとヒジキはだんだん底に沈んで行くので、その上に新しいヒジキを加えその都度蓋をして、更に熱を加えるため薪を追加して、2時間ばかし燃やし続けました。辺りがすっかり暗くなった午後6時に火の始末をして残り火の温度で火蒸しをしておいたので、今朝は間もなく夜が明けるので、外に出て様子を伺い、柔らかくなっているようであれば、ハガマから茹でたヒジキを取り出し、残っているヒジキを再びハガマに入れて二釜目の茹でる作業をする予定です。はてさてヒジキは美味く茹であがっているでしょうか。

移動式かまどでヒジキを炊く
移動式かまどでヒジキを炊く

 ヒジキはこのように採集や茹でるのにかなり手間と時間がかかる厄介な海草です。ましてやこれを乾燥させて保存食として活用するとなると、これまた一手間も二手間もかけねばなりません。ましてや寒ヒジキと言われるように、この時期の戸外は北西の季節風が吹いて、中々大変です。それでもヒジキはこうしておけば保存食として年中食卓を賑わせれるし、第一海草は健康にいい自然食なのです。
 私は10年前退職をしてサンデー毎日になったことをいいことに、ワカメや天草やヒジキといった未利用資源を収穫加工して、妻とともにわが家の食を豊かにしてきました。一方果樹やコンニャクやフキ・ツワブキといった山のものも加工して結構楽しんでいます。家族みんなが喜んで食べるこうした未利用資源を利用して、これからも大いに楽しい生活をしようと思い、今日も早速仕事に取り掛かります

 「家の外 かまどにはがま 持ち出して 海草ヒジキ 茹で保存食」

 「そこら辺 探せば焚き木 楽々と エネルギー費 要らずに加工」

 「また一つ 未利用資源 活用し 食を豊かに 楽しく生きる」

 「ああ今日も 楽しからずや 田舎流 次は何を しようか迷う」

 

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人間牧場

〇野良生えの夏みかん

 人間牧場の入口には、樹齢100年以上の天を仰ぐような、大きなヤヤモモの木があります。このヤマモモは私が子どものころから、その大きさが変わらないので樹齢は定かではありませんが、地元の人の話によると2回も雷が落ちて黒焦げになったため、中は木霊が宿っているような空洞があります。地元の人はこの大木の下の広場に、小さな瓦焼きの祠を置き、道祖神として祀っていて、折に触れお供え物をして祈りを捧げているようです。

野生の夏蜜柑
野生の夏蜜柑

 時折人間牧場にやって来る腕白な子どもたちは、この木によじ登って遊んでいますが、私もヤマモモの木の周辺の草刈りは、私の仕事として毎年4~5回草刈機で刈っていますが、その直ぐ近くの茂みに今年の夏ごろ夏みかんと思われる実が20~30個なっているのを見つけました。察するに小鳥が夏みかんを食べた折、夏みかんの種も一緒に啄ばんで、この茂みに糞をしたものが発芽したようです。こうした光景は至る所にあるのですが、実生は得てして先祖返りするのでその木には沢山の太いトゲが木の表面をまるでカラタチのように覆っているのです。

 夏に確認した実はその後晩秋になると色づき、今は枝もたわわに見えるのですが、果実が果汁を溜め込むとその重さで日に日に木が傾き、下を通る軽四トラックの屋根をこするようになってきました。古いロープで他の木に誘引して縛りつけておきましたが、いつの間にかそのロープも重さに耐えかねて切れてしまい、相変わらず垂れ下がって、実の中には擦られて傷がついているものもあるようなので近々に針金で再び誘引使用と思っています。
 はてさてこの夏みかんの実は食べられるのか?、これがみんなのもっぱらの関心事ですが、多分先祖返りの原種ゆえ酸っぱくて食用にはなりにくいので、マーマレードの原料にしてはどうかと、密かに思っています。昨年はわが家の甘夏ミカンを使ってマーマレードを作ってみんなに大層喜ばれたので、人間牧場産の地産地消には最適だと密かに思っています。

  「鳥の糞 そこから夏柑 芽を吹いて 今では立派 成木実をつけ」

  「夏蜜柑 果たして味は どうだろう 興味津々 色づき始め」

  「夏蜜柑 この実使って マーマレード これぞ地産 地消とするか」

  「実るほど 頭を垂れる 夏柑は 誘引しても 元の木阿弥」

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人間牧場

〇いい文化的スキルアップの二日間

 この二日間、外孫が風で熱を出したため、午後出張のついでに朝早く伊予インターから松山インターまで高速道路を使って、道後緑台のマンションへ出かけました。娘は県病院へ勤めているため、また娘婿は愛媛大学へ勤めているため、仕事を休むことができないので、止む無く私が午前中孫朋樹の面倒を見ることになったのです。前日は午前8時過ぎにマンションへ到着し、しばらくして熱が38度ある孫を吉田小児科へ連れて行きました。吉田小児科はこれまでにも何度か頼まれて孫を連れて行ったことがあるので、朝一番の予約どおり9時から診察をしてもらいました。

友論荘のパステル画展
友論荘のパステル画展

 娘は助産師らしく前夜から朝までの体調や食欲などを詳しく観察したメモを診察券に挟んでくれていたので、受付も造作なく熱を計って早速診察を受けましたが、どうやら喉風邪のようで心配した流行性感冒ではなかったようでした。先生が「熱があるので学校は休ませた方がいいでしょう」と言ったので、とりあえずマンションに帰ってベッドに温かくして寝かせました。孫は自室でゆっくり眠っていたので、私は松山市立河野小学校へ権現温泉を通る裏道を抜けて向かいました。昨日の朝もやはり熱が下がらないので宜しくと電話が入り、二日続けてのマンション通いとなりました。昨日も昼前に県公連の専門委員会に出席するべく、孫のことが気になりながらマンションを出ました。

新雪を被った石鎚山の遠望
新雪を被った石鎚山の遠望

 途中友輪荘の前を通ったついでに、新聞に出ていた砥部町広田の人のパステル画展示を急ぎ足で観賞しました。体調が思わしくない中でこんな綺麗な絵を描く努力は凄いものだと感心し、住所録に自名を記して生涯学習センターへ向かいました。生涯学習センターのロビーでは、わが町の元町議会議員だった大石寿淑さんの、四国八十八ヵ所切り絵展が開かれていました。県公連の専門委員会まで少し間があるので、切り絵展を見学し同じように住所録に記名して会場となる会議室へ入りました。

四国八十八ヵ所切り絵展
四国八十八ヵ所切り絵展

 会議は公民館の振興策について9人の委員が、顔を突合せ熱心な議論を展開しました。公民館の専門委員会は毎年この時期に参加をしていていますが、公民館を取り巻く現状は市町村合併の影響もあって、右肩下がりの感じがしています。公民館のコミュニティセンター化の流れも気になるところですが、人がどうであれ私設公民館「煙会所」や「人間牧場」を使った私の社会教育実践姿勢は今も変わらず、これからも生涯をかけて活動と運動を草の根的やろうと心に決めています。年末発行した私が会長を務めている公友会誌に、「ラベルとレベル」について寄稿したように、剥がしようのない公民館経験者のラベルと、公民館経験者ゆえのレベルアップを図りながら、公民館へいささかの恩返しをしようと思っています。

専門委員会
専門委員会

 昨日は生涯学習センターのある松山市上野町辺りからは、西日本最高峰の石鎚山が雪を被って綺麗に見えました。路側帯に車を止めてその美しさを遠望しましたが、一瞬一瞬、その場その場を生きていることを感じながら生きなければ、日々が何げなくあっという間に過ぎて行きます。前の日は中江藤樹や二宮尊徳、昨日はパステル絵や切り絵と、短い時間ながら文化に触れることができました。また昨日は物議を醸した東京都知事だった猪瀬直樹著「金次郎は何故薪を背負っているのか」という本を、専門委員会同席した愛媛大学名誉教授讃岐幸治先生にいただき、夜のうちに大半を熟読し、自分のスキルをアップすることができました。いい二日間でした。

 

 

 

 

 

 

  「熱出した 孫の面倒 高速を 使い二日も 通い手助け」

  「パステル絵 続いて別の 切り絵見る 世の中偉い 人がいるもの」

  「新雪を 被った石鎚 遠望す 心引き締め 生きよう決意」

  「大学の 先生くれた 本を読む 裏の裏知る 手がかりアップ」 

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人間牧場

〇夫源病という病気

 最近は一億総病人といわれるほど、国民が何らかの病気にかかっているようです。それを物語るように、毎年毎年大学を出たり国家試験を経て沢山の医師が誕生しているのに、未だに医師不足だと嘆いています。しかし一方で身の回りには私たちが子どものころにはなかった病院や薬局が、コンビニエンスストアーの数を上回るほどあちらこちらにできて、畑や田圃のあちこちには農作物ならぬ病院の看板がまるで雨後の筍のように林立しているのです。

 最近の病気の特徴は、かつて贅沢病と言われていた糖尿病や、一見健康人間と見紛うのに心が病んでいるうつ病などがどんどん増えているようです。昔インスタントラーメンが出始めの頃、大学生が毎日インスタントラーメンを食べたため肝機能障害を起こし、お医者さんが「インスタントラーメン症候群」という病名をつけた話を聞きましたが、病気は世相を映す鏡のようです。糖尿病やうつ病が多いのも、やはり豊かさと混迷の世相を反映していて、益々混迷の度合いを深めています。

 最近「夫源病」なる病気がお目見えしました。夫の言動が妻の病気の原因だと言うのです。夫は外妻は内というのが、昔の家庭の構図でした。ところが妻も外で仕事をするようになるとそれぞれの生き方がまるでボタンの掛け違えのようになり、夫婦の絆があや糸のようになるのです。ところが定年を迎えるとそうした夫婦が、毎日一緒に一つ屋根の下で暮らすようになり、お互いがお互いをうっとうしく思うのです。

 男性は私を含めてわがままです。特に三度三度の食事はもっぱら妻の仕事と思っている、古いタイプの夫はその度合いが強く、そのことが妻のストレスの大きな原因になっているのが夫源病なのです。冷めた夫婦は夫源病に耐え切れず、年金も離婚をしても半分もらえる現代ですから、離婚を決意する人も多いと聞きます。いやはや何としたことでしょう。かくいう私もひょっとしたら離婚の危機かも・・・。人事ではありません。「夫のために余生を尽くすのはもうこりごり」と思っている夫源病を患っている女性に、どんな妙薬があるのでしょうか。恋病と夫源病は医者にも治せない厄介な病気かも知れませんね。

  「最近は 夫源病なる 病名の 新たな病気 あるのだそうな」

  「何故私 夫のために 尽くすのか 妻の言い分 分る気がする」

  「妻さえも 信じられない 世の中に 残り少なく なったというに」

  「わが妻は そんな病気に かからない 信じています 愛してますよ」

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人間牧場

〇親父の認知症

 前日の夕方、辺りが暗くなり始めた午後6時過ぎ、親父がコートを着て外出用のバックを提げて玄関に現れ、いきなり「これから病院へ行くぞ」といい始めました。親父はどうやら昼と夜を勘違いしたらしいのです。耳の遠くなった親父にそのことを説明しても「連れて行ってくれ」と言い張りましたが、やっと納得させ隠居へ連れて行って寝かせました。
 親父はこのところ便秘気味で、下剤を飲んでいますが一向に回復せず、先日も下灘診療所の看護婦さんが手を差し込んで取ってくれました。その折少し下血したのが心配で、「県立中央病院へ連れて行って検査をしてくれ」と頼むのです。

 下灘診療所の先生に電話すれば必ず往診に来てくれるので、その必要はないと説得しても聞く様子もなく、暖かい日を選んで連れて行くことにするからと、話していた私の話を覚えての騒動だったようです。昨日は連休明けの火曜日なので、病院は混んでいるものと思いつつ、親父を助手席に乗せて7時40分に自宅を出発しました。親父は久しぶりの沿線の風景を感慨深げに見ていました。体の不自由な人が止める駐車場へ案内してもらい、車椅子に親父を乗せて病院へ入りました。久しぶりの病院は連休明けとあってかなり混んでいました。受付をすませ2階の内科受付へ回されましたが、1時間待っても一向に予約が取れず、結局は1階の急患に回されそれからさらに1時間待たされました。1階急患診察室の前の待合所は、玄関から吹き込む風で冷たく、少し寒気がすると言いましたがどうすることも出来ず、結局は10時30分に診察が始まりました。

 症状を伝えましたが、先生は「ここは急患専用なので、往診に来てくれる先生がいるような患者さんは来て欲しくない」と不機嫌極まりなく、とりあえず内診のあとレントゲンを取ることになりました。親父は足がおぼつかないので、洋服を脱がせたりレントゲンの寝台に寝かせるのも一苦労で、結局レントゲン技師さんから私に手助けして欲しいといわれ、検査室で行動をともにしました。その後レントゲンの結果は先ほどの先生の元へラインで送られていて、再診をしてもらいましたが、レントゲンに異常はなく一件落着となりました。
 車に乗せて帰宅の途に着きましたが、少し長い病院での診察や検査時間に疲れたようでしたが「死ぬまでにもう一回総合病院で診て欲しい」との願が叶い、「もう病院へは行きたくない」と言いつつホッとした様子でした。

 夕方「炊飯ジャーが壊れてご飯が炊けない」と、私を呼びに来ました。隠居へ行って見ると、炊飯ジャーの蓋が壊れていました。早速近所の高村電器店へ出かけて、同じようなタイプのタイガー炊飯器の在庫があったので、1万5千円で買い求め親父のダイニングにセットしました。早速の私の対応が余程嬉しかったのか、2万円のお釣5千円を私にやるというのです。年金暮らしの親父にお使い賃をいただくほど困っていないので断わりましたが、「取っておけ」と気前のいい話をしてくれました。
 95歳になって認知が進んだといいながら、まだ自分でご飯を炊いて食べることだってできるし、足が弱ってもどうにか歩いたり、デイサービスに週二回出かけれるのですから、まだよしとしなければなりません。私の今年の目標の中に「親孝行」を挙げていますが、はてさて・・・・。

  「高齢の 親父認知が 少しずつ 進んで昼夜 逆転現象」

  「死ぬまでに も一度病院 連れて行け 頼む親父を 車に乗せて」

  「受付を 何度も通過 結局は 病院内を たらい回しされ」

  「レントゲン 写真を見せて 悪くない 言われ安心 したよう親父」

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人間牧場

〇マサカリ担いだ私

 「マサカリ担いだ金太郎」という古い歌があります。しかし時代は移って「マサカリ」といっても「それ何?」と言われるのが現代です。農家や漁家は別として、多分こうした古い道具を持っている家庭も殆どないのでしょうが、わが家では親の代から受け継いできた大小のマサカリが何本かあって、特に人間牧場を造ってからは、かまどや風呂やストーブに使う薪を作らなければならないため、マサカリはチェンソーやナタ、鋸と並んで重宝している道具なのです。

 前日人間牧場で、大きなクヌギの木2本を伐採しました。その後餅つきの手臼を頼まれていて、小切りにしていた木をそのままにして帰っていたので、昨日は午後2時に帰宅後思いついて片付けに行きました。広場にうず高く積んでいたクヌギを軽四トラックの荷台に乗せ、木陰まで運びました。腕首から太もも程度の大きさを目安に、それらを余り乾燥させない環境の場所で寝かせるためです。こうしないと乾燥し過ぎて役に立たなくなるのです。余った小さい枝木は倉庫下へ積み上げました。暇ができるとチェンソーでかまどに入る程度の長さに三分割する予定です。

 さて40cmほどに小切りしたお墓の隅に置かれていたものは、どうしようか考えた挙句、トラックに積んで自宅へ持ち帰り朝な夕な体力づくりのつもりで、薪に割ろうかと考え、トラックの荷台に積み込み、持ち帰って倉庫の前の広場へ、一輪車で運びました。生のクヌギの木はかなり重く筋トレには最適な労働でしたが、積み込みと荷降ろしで少し汗をかいてしまいました。その後5~6本試し割をしましたが、生木のためマサカリでズバズバと面白いように割れました。この分だとその気になれば2~3日で片付くようです。

薪割り仕事が始まりました
薪割り仕事が始まりました

 この冬初めての薪割りはとても順調に進み始めましたが、人間牧場の梅林には大量のクヌギの小切りが置かれています。乾燥すると割れにくくなるので、この10日ほどでそれらを全て、一人で処理しなければなりません。少し気が重いようですが、筋トレだと思ってやるつもりです。幸いそれらを収納する薪小屋もしっかり用意できているので、造作もないことですが、梅林から上の道へ上げるのはどなたかにお手伝いしてもらわなければならないかも・・・・。このブログを読まれた方で、腕力と体力、そして暇のできるボランティアしたい方は名乗りをあげてください。お願いします。

 

 

 

  「クヌギの木 家まで運び 薪に割る 生木ズバズバ 面白いよう」

  「これは何? 聞いても答え 返らない マサカリさえも 知らない世代」

  「エコという 言葉は知って いるけれど 薪は知らない 薪割りもっと」

  「筋トレの つもり薪割り 朝夕に 一石二鳥 知恵さえ出せば」

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人間牧場

〇クヌギの木の伐採(その3)

 林業のスペシャリスト中島さんと、酪農家亀本さんの二人が2台の、よく切れるチェンソーを使って、クヌギの木の大木を切り倒してくれました。二人の作業を横目で見ながら、私は1mの竹定規で切ってもらった枝を、二人の作業がはかどるように片付けながら、放り揚げてお墓の上の舗装した広場まで運びました。切ったすぐの原木はとても重く、厚着をしていたこともあって大汗をかきましたが、まるでアリが荷物を運ぶような格好でした。

車状に小切りするクヌギの木
車状に小切りするクヌギの木

 主幹の部分は余りにも大きいので、シイタケの植菌には向かないし、動かすのがやっとなので割り木薪を作るため、1mの小切りを更に3つに切り分けてもらいました。切り倒してもらうだけと思っていたのに、こんな細かい作業までやってもらって大助かりでした。
 大きな方のクヌギの木の伐採が終ったところで一服しお茶を飲みましたが、汗をかいた体が冷えるので、中島さんは休憩時間を利用してチェンソーの目立てをしていました。チェンソーの目立ては始めて見るので、私もホームセンターで棒ヤスリを買い求め、やってみようと思っていますが、はてさて上手くいくかどうか分りません。

沢山できた梅林に置かれた割り木用のクヌギの輪切り
沢山できた梅林に置かれた割り木用のクヌギの輪切り

 二本目のクヌギの木は、一本目に比べたら小さく、枝切りのため木に登ることもなく切り倒し、根元はやはり割り木薪にするため小切りをしてもらいました。結果的には2時間半ほどの作業で、枝木の片づけまでしてもらい無事怪我もなく終了し、お二人は道具類を片付けて帰られました。私も前日に続いて12時からシーサイド公園で餅つきの手こねボランティアの予定が入っていたので、道具類を片付け、周囲の掃除をして人間牧場を後にしました。それにしても山仕事に馴れているとは言いながら、お二人のコンビネーションと腕前には脱帽でした。中島さんは同級生の旧姓徳山貞子さんと親類だったりして、世の中の狭さや縁の不思議を大いに感じました。

日本のクヌギの木を切って明るくなった東側
日本のクヌギの木を切って明るくなった東側

 私にとっては2日続きのクヌギの木の伐採でしたが、これで春先のシイタケ植菌のための準備が整いました。早速これからホダ木を乾燥を避けるため木陰に移し、中島さんと亀本さんが小切りしてくれたクヌギの木をマサカリで割らなければなりません。また枝木は私が更に小切りをして薪にする予定です。割り木は木が生でないと割れないので、これから10日間が勝負のようです。私もスケジュールを見計らって、しっかりと汗を流したいと思っています。昨日切った2本のクヌギの木で一年分のかまどとピザ釜、それに水平線の家のストーブの薪は確保できそうです。綺麗に割れたらかまどの下のインテリアにも使いたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「小切りして くれたクヌギの 木を使い 薪割り励む 心新たに」

  「約10日 生木の間 しかできぬ 薪割り多分 苦労が多い」

  「クヌギの木 二本で一年 分できる かまどピザ釜 それにストーブ」

  「オフなれど シーズン考え 作業する 尊徳田の草 思い出しつつ」

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人間牧場

〇クヌギの木を切る(その1)

 昨日は水仙まつりのダイガラ餅つきが終った午後2時30分に、親友井上さんと2人で、井上さんの持ち山へクヌギの木を切りに出かけました。井上さんの4WD軽四トラックに同乗し、2年前人間牧場の薪にするクヌギの木を切りに出かけた見覚えのある場所でしたが、そこまで行く農道には夏草の名残でしょうか、背丈ほどもある草が生い茂り、歩いてはとても分け入ることができないほどになっていました。井上さんはかまわず草を踏み潰すようにドンドン進みました。

 回転場の茂みに車を止め、井上さんが大事に育てている杉山の中を歩いてくぬぎ山へ入りました。井上さんは林研グループに所属して、杉の苗木を自分で挿し木して育て、それを植林しているのです。昨日入った杉山は、「いつどのようにして枝打ちしたのだろう?」と思うほど、梢の近くまで綺麗に枝打ちされ、美林の片鱗を覗かせていました。クヌギ山に到着すると井上さんは慣れた手つきで、チェンソーのエンジンを始動させ、次々と頃合なクヌギの木を根元から伐採し始めました。馴れているのでしょうか、倒れる方にチェンソーの刃を入れて半分ほど切ったら、今度は反対側から再び切ると、勢いよく音を立てて下へ向かって切り倒されました。

 余りの見事な技術にあっけにとられて見ていましたが、私の手伝いは植林した杉の近くにあるクヌギの木が杉の木を傷めないよう、クヌギの中ほどの枝にフックをかけ、ロープで引きつけて倒すのです。7~8本そういう作業を繰り返し、目論見どおり杉の木を痛めることもなく作業を終えました。
 井上さんは私が教育委員会で社会教育の仕事をしていた頃の青年団長で、若い頃から何かにつけて気心の知れた間柄で、色々な人生の相談にも乗って来ました。今は地域事務所のトップになっていますが、後3ヶ月で定年を迎えるのです。

クヌギの木を伐採する井上さん
クヌギの木を伐採する井上さん

 井上さんは山仕事が好きで暇さえあれば自、分の持ち山に入ってただ黙々と山の仕事をしているようです。笑いながら「金にもならない山仕事」と言っていますが、確かに井上さんのやってることは今日や明日の稼ぎにはなりません。ましてや美林を作っても多分自分の代でそれがお金を産むようなことはないでしょう。でも千年杉とまでは行かなくても百年杉を育てるような目論見には私も大賛成なのですが、人を育てることを第一にしている私とでは、少し開きがあるような気がするのです。
 井上さんと一緒に切った木は、少し分けてもらって人間牧場へやって来る子どもたちと一緒にシイタケの種ゴマを打ち込み、シイタケを生やしたいと思っています。シーズンオフといわれる冬のこの時期、私の活動はもう既に来年度の活動に向けて動き出しているのです。

 

 

 

 

 

 

  「クヌギ山 通じる山道 夏草の 名残りか背丈 踏み潰し行く」

  「冬寒い 山谷こだま チェンソー 響き渡りて クヌギ伐採」

  「驚いた 木を切る技術 いつの間に 次から次へ 面白いよう」

  「このクヌギ 春には車 積み込んで シイタケ菌を トントン打ち込む」

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人間牧場

〇四国に雪が降る

向かいの山も薄っすら雪化粧
向かいの山も薄っすら雪化粧

 昨日北海道佐呂間町に住む井田貴子さんから、私の携帯電話にメールが入りました。「今年も宜しくお願いします。」に続いて、「松山は雪景色のようですが・・・。」とびっくりマークがついていました。多分井田さんは昨日の朝のNHKニュースで雪が降っている松山の様子が紹介されていたのを見て、心配してメールをくれたのではないかと思うのです。私も馴れない手つきで、「松山も雪です。みんな震えています。でも日中は8度くらいで、そちらに比べたら春です。」と返信メールを送りました。井田さんも私の住んでいる四国の気候風土を知っているし、私も井田さんの住む佐呂間町は、周囲100キロのサロマ湖の氷が全て凍る厳しい寒さのことを、この目この肌で感じた経験を持っているのです。

薄っすら雪化粧したわが家の夕観所の屋根
薄っすら雪化粧したわが家の夕観所の屋根

 昨日は日本列島に今年一番の寒波が襲い、日本列島が冷蔵庫に入っているようなこの冬一番の寒さでした。ゆえに朝起きてブログを書き終え、外が明るくなって書斎の窓から向かいの山を見ると、薄っすらと雪化粧しているのです。そして外に出ると時折小雪がちらついていました。このところ日課になっているジョギングに孫二人を伴って出かけましたが、孫たちはこの寒さをものともせず、元気に走ってくれました。見れば牛の峰連山や山奥はかなりの雪で、白く朝日に輝いていました。家の中中に入って朝食を取りながらテレビを見ていると、伊予インターチェンジより南西では、雪のため通行止めのようでした。

 こんな日は高速道路も、多分山の中を走る国道56号線も雪なので、そこを迂回して雪の降らない積らない海岸国道を走る車が増えるのです。昨日はそんな事情かいつになく町内がざわついているようにも感じました。
 寒いので「猫はコタツで丸くなる」という「雪やこんこん」の歌ではありませんが、親父はコタツに丸くなって一日中コタツの番をしているようでした。気が滅入るのか時々本宅へやって来て、「このままだと死にそうだ」などと私に言っていました。今年の寒さが異常なのか、歳をとると寒さが堪えるようになるのかは分かりませんが、私も近頃時々寒さが堪えるようになってきました。薄着が厚着になり、ついついストーブの近くによって暖をとるのです。

 子どもは風の子でしょうか。私たちが寒い寒いと言っているのに、降りだした雪を見て外に飛び出し、「おじいちゃん雪を捕まえた」と、素手で持って来て見せてくれました。四国に住む子どもたちにとって、雪は滅多に目にすることのないものです。ましてや手にとってまざまざと見ることなど殆どないのです。「今度雪が沢山降ったら雪だるまを作りたい」と楽しそうに言っていました。いやはや私や親父と比べて孫たちとの落差は何とした事でしょう。
 四国は暖かいといってもまだまだ冬の寒さはこれからが本番です。もう少し風邪を引かないように体を鍛えて、寒い冬を乗り切りたいものです。

  「驚いた 南の四国 雪積もる 北の国から 気遣いメール」

  「列島が 冷蔵庫の中 入ったよう 親父と私 ブルブル震え」

  「孫たちは 元気に外に 喜んで 雪を掴んで 家持ち入る」

  「冬寒さ まだまだ続く 風邪等を 引かぬようにと 鍛える決意」

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人間牧場

〇新しいプログラムは成功するか

 私はこの2年間、愛媛新聞カルチャースクールで、「街中の人間牧場移動塾」という講座を開いて来ました。毎月第一火曜日を講義日と定め、約2時間講義をするのですが、受講生が6人と人数は少ないものの、少ないからと言って手を抜くことは出来ず、しっかりと予習をして私にしては珍しく、レジメを作って話をして来ました。月に1回ですが相手が同じ人に2年間=24回の講義をするのは、かつて愛媛大学法文学部総合政策学科の非常勤講師として年間30回×2時間=60時間の講義をしたと同じくらい、多少の苦痛を味わいながらの仕事なのです。

 愛媛新聞からは次年度も続けて欲しいと頼まれていますが、私にはここに来て少し荷が重過ぎるような感じがするので、この際講座に終止符を打ち終ろうと思っています。その代わりとして人間牧場を使った新しいプログラムを考えています。今のところ15組~20組くらいな親子を対象にして年に4回か6回くらい、日帰りの体験ツアーのようなものを模索中です。昨日愛媛新聞社の担当者が人間牧場を訪れ、その可能性について現地を視察して帰られましたが、人間牧場のロケーションには感心していました。
 今年はそんなこともあろうかと、カルチャースクールを3ヶ月に1回体験メニューを試験的に入れてみましたが好評だったので、たとえカルチャースクールのプログラムが実現しなくても、中高年のおばちゃん相手に楽しいツアーを企画してみたいとも思っています。

 活動には始める活動、続ける活動、高める活動がありますが、はじめることは勿論のこと、続けていて高まっていることを、止めることはかなり勇気がいるものです。しかし形あるものを一度壊して無にしたりゼロにしないと、新しい何かが生まれないことも事実です。そういう意味から言うと私にとって今は潮目の時期で、潮の行方を見極めながら進化してみようと、この歳になりながら考えています。私一人でできること、色々な人を巻き込まないとできないことがありますが、人に余り迷惑をかけずに、最大の効果を生み出すにはどうすればいいか、いよいよ知恵の見せ所といった感じです。
 そういえば、わが家の地下室倉庫には大量の、お祝い事のお皿や漆器類が使われずに眠っています。これらを使った郷土料理も妙案かも・・・・。

  「始めるも 難しいけど 止めること さらに難し どうするお前」

  「壊したり ゼロに戻らす 勇気持つ さすれば必ず 道は開ける」

  「このままじゃ 閉塞感は 破れぬと 進化の道を 求めて止まず」

  「ここに来て 知恵を巡らす チャンス来る 後は尊徳 一歩前のみ」

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