人間牧場

〇今が過去になる前に

 昨日から11月がスタートし、今年もあと2ヶ月足らずとなりました。昨日は年賀状の発売も始まり、「えっもうそんな時期!!」と毎年のことながら、時の経つ早さに驚いてしまいました。69歳になったというのに妻が驚くほど、私のスケジュール帳は結構充実していて、年末までにまだ九州へ2回、岡山へ2回、山口・広島へ各1回出かける予定が入っているようで、行く先々で広がるご縁を大事にしながら生きて行こうと思っている今日この頃です。

 忙しいと自分の日々の暮らしが疎かになってしまうきらいがありますが、その点をしっかりと埋めてくれるのは毎日書いているブログです。毎日朝1時間、夜1時間をたっぷりとって書斎のパソコンの前に座り、主に前日の出来事と日ごろ感じていることを、徒然なるままにといえば格好はいいのでしょうが、思いつくままに書いています。お陰様で読者も増え、時にはコメントも入って一人悦に入りながら、自己満足をしているのです。まあ他愛のないことながら、私にとってブログはささやかな生きがいのようなものなのです。

 ブログの取り得は記録性と記憶性です。私のような年齢になると昨日今日の出来事でさえ忘れてしまいます。昨日はどんなことをしたのだろう?。きのうは何を食べたのだろう?。昨日は誰と会ってどんな話をしたのだろう?。昨日は何を思って一日を過ごしたのだろう?。この「何」や「?」を思い出し知れを文章に書くことで、老いへのスピードが少しは遅れるだろうと思っていますが、ブログの最大の特徴は頭の中から完全に消えている記憶を蘇らせてくれるのです。

 自分のWriting Calendarに書き込んだ項目を日付で検索すると、いとも簡単にブログを書いてきた少なくとも9年間の出来事は、PC画面に再現され、記憶を辿ることが出来るのです。いやはや便利な世の中になったものだと、つくづく感心するのです。他人から見れば「そんなものにどんな価値があるの?」と言われそうですが、人がどう思おうと私にとってはかけがえのない大きな自分の財産なのです。
 「今」は一瞬にして過去になります。「今を記録する」、これは記憶が定かなゆえに人間が得てして忘れがちな視点だと思うのです。

 去年の昨日11月1日は松前町神崎の晴光院というお寺さんでお話をしています。去年の今日11月2日はスィーサイド公園で漁協女性部に来た来訪者にまちづくりについて話をしています。「さてその時どんな話を誰にして何を感じたか」、検索して呼び出した画面には写真まで添付され、記憶が鮮やかに蘇ってきました。ブログは私の体内にはないもう一つの外なる記憶装置だと思っています。もう一度そのことをしっかり意識して、記憶と記録の関係を考えてみたいものです。今が過去になる前に・・・・。

  「パソコンの 苦手な私 何故でしょう ブログだけには 情熱燃やす」

  「今が過去 なる前せっせ 文字にする 記憶薄れる 年齢ゆえに」

  「去年今日 私は何を してたのか 月日検索 直ち呼び出す」

  「私には 自分の記憶 以外にも 記憶装置を 持っております」

 

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人間牧場

〇珍しいハガキが届く

 昨日まで千葉県にある市町村アカデミーへ出かけていて、夜遅く自宅へ帰って食事をしながら、留守だったこの二日間に届いていた手紙類を見ました。手紙類の中に葉っぱのハガキに、荷札をくくりつけた珍しいものが目に留まりました。この一風変わったハガキを送ってくれた送り主は、先週の土曜日松山市道後のみゆき会館で開かれた、第3回ハガキ祭りを主宰した兵頭淳志さんです。
 兵頭さんとはこのハガキ祭りに講演を依頼するため、人間牧場へやって来てからの出会いですから、そんなに古い付き合いではないのですが、その真摯な態度には好感が持て、私のパトロンの一人であるギノー味噌の田中正志社長をお互いがよく知っていることもあって、ご縁が急速に深まった感じです。

兵頭淳志さんから届いた珍しい葉っぱのハガキ
兵頭淳志さんから届いた珍しい葉っぱのハガキ

 私はハガキ祭りのことを私のブログ「shin-1さんの日記」で紹介しました。その記事の中に「ハガキは紙が不自由だったころは葉っぱだったのでは?」と書いたところ、その通りだと薀蓄ある言葉が電話で寄せられ、ハガキ祭りの日に私は所用でひと足早く帰りましたが、「たらよう」という木の葉っぱに文字を書くイベントもやったようでした。「たらよう」の木の葉っぱに文字を刻んだのが、ハガキの始まりだと私に伝えたくて、兵頭さんはわざわざ送ってくれたのです。
 私は「たらよう」という木は知りませんが、泰山木の葉っぱの小型と匂いのする葉っぱ月桂樹を足して2で割ったようなトゲのある葉っぱでした。早速インターネットで調べてみようと思っています。

 最近私は自分を普通の人間だと思っているのに、普通でないと思うのか、私の身の回りにはこのように普通でない人から色々なハガキが届くのです。それもそのはず20年間続けた無人島に挑む少年の集いでは、無人島に私設郵便局を開設したり、石や流木に手紙を書いて出すことを子どもたちに教えたりしたのです。ゆえに私の所へはうちわのハガキ、杉やヒノキの板ハガキ、スイカの形をしたハガキなどなどが舞い込んで、配達する郵便局員を驚かせています。
 一日に3枚のハガキを毎日書いている私にとって、やはり「ハガキは嬉しい活力素」です。昨日も出張先の千葉県で持って行った10枚のハガキを書いて、海浜幕張駅前の郵便ポストに投函して帰りました。声をかける、あいさつをする、ハガキを書くくらいなら誰でも毎日、その気になればできるのですから、私もしっかりとそのことをささやかながらこれからも、やりたいと思っています。兵頭淳志さんありがとう。

  「珍しい 葉っぱに荷札 つくハガキ 家族みんなが 珍しそうに」

  「世の中にゃ 達人いると 感心し 葉っぱのハガキ 早速ブログ」

  「たらようと 言う植物は 知らなんだ 植木祭りに 出かけて買おうか」

  「人に会い 人に感化の 人生を 今後も続け いい人なりたい」 

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人間牧場

〇一泊二日の出張帰り(その2)

 昨日と今日は一泊二日で関東方面へ出張していて、午後7時過ぎ無事自宅まで辿り着きました。今日は少し疲れているので、ムリをせず、あめーばブログを一本書いたところで、今日はワードプレスはこの辺で終わりにします。悪しからず・・・・。お休みなさい。

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人間牧場

〇聴こえることと聴こえないこと

 老域に達した親父の健康が気がかりな日々が続くようになりました。一昨日の夜10時30分頃、隠居からやって来た親父が、「何か変な音が聞こえて寝れない」と言うのです。それもそのはず早々と夕方5時過ぎに夕食を済ませた親父は、午後7時には床についているのですから、寝れないのが本当だと思いつつ、その時間に仕事から帰ってきた長男息子と隠居へ行きました。親父が言う変な音は私と息子には聞こえませんでしたが、察するに多分季節の変わり目なので、気温の変化に順応でき、ず精神的疲労が蓄積しているようでした。
 この1ヶ月間、親父は近所の特養施設へディサービスに行くようになりました。母亡き後の13年間外にも出ず、もっぱら家庭菜園の世話をする程度の暮らし方をしていた親父にとってみれば、これはもう青天の霹靂ともいうべき出来事で、迎えに来てもらう朝9時から送ってもらう午後4時までの長時間の束縛は、相当なストレスになっているような気もするのです。

 今日は一週間に2回のデイサービスに行く日です。昨日の昼親父に「明日は風呂に入るので下着を持って行くように」と伝えたところ、そのことが気になったのか下着を出したり入れたりして準備をしていたようですが、今朝5時に私の書斎の外に下着のままやって来て、「今日はよういかん」と寒さに震えて断わりました。親父を隠居に連れて行き布団の中に寝かせ、温かくしてやると少し安心したようでした。
 親父は95歳の高齢ながら、まだ自分の洗濯もするし、夕食のおかずは妻が用意しているものの、ご飯を自分で炊いて食べます。薬だって自分でちゃんと管理して服用できるのですが、自分で感じる体力の減退に不安と苛立ちを感じて生きているようです。

 親父は最近耳が極端に遠くなり、こちらの言うことが聴こえないような感じがします。だのに何故聴こえなくてもいい物音が聴こえるのでしょう。音声反対症候群とでも病名をつけたいような親父の体の変調は、これからも次第に進むものと思われます。幸い私も自由人の身となって少し余裕が出来つつあるので、親父の在宅介護に本腰を入れなければならないようです。
 私を育ててくれた親ですから大事に介護してやるのは当然だし、やがて自分も行く道だと、頭では分っていても、いざ親の介護が自分の身に降りかかると、一種の拒否反応が過ぎるのも紛れもない事実です。親父はもう他の老人のように、夜間徘徊するような体力はありませんが、ふとわれに返り、自分が親父と向かい合う心の建て直しをせねばと思った朝でした。

  「聴こえない ものまで聴こえ 寝れないと 息子の介護 少し不満か」

  「頭では 分っていても 親介護 中々大変 心入れ替え」

  「老人が 老人介護 する時代 長生き良し悪し 親父の言葉」

  「保育園 行くの嫌だと ぐずる孫 それに似ている デイサービスも」

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人間牧場

〇ハガキと名刺・ブログとface book(その6)

 ハガキや名刺はアナログな代物なので、私のような古い人間にでもその使い方や効用は理解できるのですが、それさえも奥の深い達人がいるものです。3日前久しぶりに出会ったハガキの達人半田正興さんは、自分に届いたハガキを、菓子箱の切れ端を利用して表紙を作り、背表紙内側に両面テープを貼って、50枚くらいをまとめて「ご縁本」として持ち歩いているのです。第3回ハガキ祭りにその綴りを持参していて、一番前の講師席で、横に座ったご縁で見せていただきましたが、これなら私にでもできるかも知れないと直感したので、早速今日にでも試作品を作ってみようと思っています。またハガキ祭りに参加した人の中には複写ハガキを使っている人が多いようでしたが、私は自分の書いた文字に、「字が汚い」という一種のコンプレックスを感じて生きてきた人間なので、自分の書いた文字が複写して手元に残るというのは、かなり抵抗があるようなので、幾ら流行の好きな私でも使う気にはならないと門前払いをしています。

 さてハガキと名刺に比べ、ブログとface bookは私にとって厄介なデジタル代物で、未だに五里霧中、猫に小判といったところです。それでも自分という人間の生きている証や記録と記憶、それに情報発信の一つのツールだと思いながら、重い荷を背負いて遠き道を行くが如く取り組んでいます。
 この歳でブログとface bookを使えるのは上出来と、仲間からはお世辞をいただいていますが、ブログは毎日2本書くのがやっと、face bookに至っては最近始めたため見るのがやっとといった感じで、人様の記事を読んだりPC上で交流することも殆ど叶わず、目下のところ自分の世界に閉じこもっているような気持ちです。プリンターの関係でブログをプリントアウトする作業も中断していて、何とかしなければと思う焦りのような気持ちで毎日を過ごしています。

 もうひとつ気になっているのが携帯電話です。私は合理主義者を装っていて、ミエ・ムリ・ムダからは極力遠ざかって生きています。それは多分35年間もやっている金融広報アドバイザーという、ボランティア活動から受けた影響のせいのような気がするのです。金融広報委員会から3年刻みで委嘱の更新を、もうそろそろと思いつつ甘んじて受け続けていますが、別に必要もないのに携帯電話を、世の風潮だからと持っている人がかなり多いように思うのです。最初は私も抵抗しましたが、結局今ではまるで肌守りのように、肌身離さず持ち歩いていて、少し滑稽な気もするのです。
 今世の中はアイフォンのような端末機種が主流を占めるようになり、小学生はおろか4~5歳の幼児までもが見よう見真似で使いこなせる時代なのです。私など携帯電話すら使いこなせないのにです。妻がもうそろそろ観念して新しい端末に変えたらと進めてくれますが、さてどうしたものか・・・、心は揺れ動いています。

  「世の中にゃ その道極めた 達人が 五万と入ると 感心しきり」

  「アナログを 自認してるが それさえも まだまだ奥が 深く至りぬ」

  「携帯は えっまだそんな 驚かれ 机の下で こっそり見てる」

  「古いもの 私自身も その部類 今には廃品 捨てる運命」

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人間牧場

〇名刺にハガキ・ブログにface book(その4)

 私の携帯とPCに相次いで二人の友人からメールが入りました。一人は長野県に住む友人Aさんからです。Aさんは役場の職員でしたが、この6月に町長選に出馬するため6月末で役場を退職した旨のあいさつでした。Aさんとは高知県馬路村で開かれた地域づくりの全国大会で知り合い、そのご縁で講演に招かれたり、お互いの地域の特産品を送ったり送られたりする親しい間柄となって、お互いがお互いを刺激しながら付き合ってきたのです。私の友人にはAさんのように、地域づくりの関係者が多いためでしょうか、首長や議会議員に立候補する人が多く、選挙の度にその行方が気になるのですが、当選すればワンランクアップの肩書きを名刺に刷り込めるものの、落選すれば折角長年かけて積み上げてきた肩書きが、まるで積み木崩しのように跡形もなくなり、むしろ今まで見えなかった社会の冷たい視線を感じながら、ひっそりと生きて行かねばならないのです。私は「当選すれば天国、落選すれば地獄、くれぐれも頑張るように」と激励とも思えるメールを送りました。

 私は妻から、「選挙に出るんだったら別れましょう」と三行半を突きつけられているので、それが怖くて度々誘いや勧めがあったけれども、妻との離婚が怖くて選挙には出ませんでした(大笑い)。ゆえに積み木崩しを経験することもなく今に至っていますが、人間の値打ちは肩書きではないと胸を張ってみたところで、社会は肩書きで人の値打ちを判断する悪しき習慣があるようです。
 私にメールをくれたもう一人は、偶然でしょうかAさんと同じころ高知県馬路村で知り合った馬路村役場職員の木下さんです。彼は1100人の小さい村ゆえに、何でもこなさなければ生きて行けないからそうなったのかも知れませんが、いわゆる何でもできる好夢員でありマルチ人間です。若い頃の私とそっくりなポジティブ人間ゆえに、気が合い家族ぐるみの付き合いをしていますが、彼からのメールでは、10月21日付で総務課長になったというのです。幾ら小さな村の小さな役場といいながら、常識で考えると総務課長といえば課長職の最上級の職席ですから、48歳の年齢から考えればこの上ない出世?なのです。

 早速私も馴れない手つきで、携帯電話を使ってメールを返信しました。その文面は「有頂天にならず頑張るように」との誡めでしたが、おっつけ電話が入り、総務課長が教育長になって総務課長の席が空いたからだと笑っていましたが、出世に浮かれる様子は微塵もなく、むしろ勇み足にならぬよう誡めるほど、やる気満々のようでひとまず安心した次第です。
 彼のアイディアたっぷりの八面六臂な活躍も、話題の名刺もしばらくの間封印しなければならない部分もあるようですが、彼の名刺には否応なしに「総務課長」なる肩書きがつき、自分のプロフィールにも書き加えられることでしょう。
 先日私のところで、ちょっとした騒動が持ち上がりました。役場職員は退職すれば地元の自治会長や神社仏閣の役職が堰を切ったようにやって来るのです。今まで役場職員だったため免除されているのですから当然なのですが、役場で同僚だった友人は「役を受けなければならないのならこの町を離れる」とまで断言し、聞く耳を持たず固辞し続けているのです。また私が会長をやっているOB会の世話役も次の人に回そうとすると、それさえも「会を辞める!!」とまで言い張り、受けてくれないのです。彼の殺し文句は、「あんたは役が好きだからできるが・・・」でした。頭を殴ってやりたいような心境になりました。皆さんはどう思いますか?。私は「〇×▲□・・・・」です。

  「名刺には 肩書きもなく ひっそりと 歳を加える 田舎のおやじ」

  「当選を すれば肩書き ワンランク アップするから 選挙は魅力」

  「課長職 なればなったで 一苦労 過ぎてしまえば 値打ち変わらず」

  「役受ける くらいだったら この町を 離れるという どんな神経?」

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〇ラッキーな一日(その2)

 私にとって昨日はラッキーな一日でした。それは私の恩人とも言える広島県向島に住む半田正興さんに出会えたからです。恩人と言っても別に半田さんから何かを貰ったりお世話になった訳ではありません。私が仲間とともに21世紀えひめニューフロンテアグループを結成し、学習手段としてフロンティア塾を思いつき、10年で40回の学集会を行ないました。その12回目を平成6年2月12日~13日に開いた折、講師で招いた親友の平井悦夫さんから、半田さんが書いて出版した「はがきはうれしい活力素」という本をいただきました。その中には「一日三枚のハガキを書いたら人生が楽しくなる」と書かれていました。私は半信半疑ながらその言葉を信じて明くる年の正月1月1日から毎日3枚のハガキを、盆も正月も病に臥せっていても毎日休むことなく今日まで書き続けているのです。

講演する私の恩人半田正興さん
講演する私の恩人半田正興さん

 これまでにも半田さんには一度だけお会いしたことがあります。いつだったか記憶は定かではありませんが、確か私が広島へ講演に出かけた折、半田さんは会場まで来られて私の話を聞きいてもらいました。ハガキの達人だけあって直ぐには害の便りが届きました。今もそのハガキは肌身離さず、私のお宝として木になるカバンに入れて全国へ持ち歩いているのです。昨日私に続いて講演した半田さんの演題は、「はがきに花を咲かせたい」でしたが、隣から出火して自宅を類焼した際、家裁道具全てを焼失させ、私が今も持ち歩いている「ハガキはうれしい活力素」という本も全てなくしたそうでした。
 富士山頂はがきのびとの集いの話、想い想われるはがきの世界、一人新聞でさらに愉しい世界、ときめい読書会の起ち上げを話題に、朴訥とした口調の話し方はとても印象的でした。

何と演台に座布団を敷き話す坂田道信さん
何と演台に座布団を敷き話す坂田道信さん

 坂田さんの話は「ハガキ道に生きる」でしたが、むしろ精神論に重きを置いた話でした。体調が思わしくないのかステージの演台上に座布団を置き、その座布団にもたれて、絞り出すような甲高い声で話されましたが、私の健康的な姿を上とするなら半田さんの姿は中、坂田さんの姿は大変失礼ながら健康的には下といった感じがしました。
 昨日は私のパトロンであるギノー味噌の田中正志社長さんもメンバーの一人として見えられていました。田中さんは奥さんと息子さんの3人で来ていましたが、いつもながらの偉ぶらぬその態度や、トイレ掃除をする会の会長さんとして日ごろ活動している実践、それに人脈の広さにはただただ感心するばかりです。昨日も「裏が味噌」の名刺を片手に思い切り宣伝させてもらい、いただいた300g入りの「伊予の麦味噌」を参加者全員に配りました。名刺もたくさん交換し、とてもラッキーな一日でした。

  「台風が 去ってラッキー 人に会い 話が聞けて ラッキでした」

  「世の中にゃ 恩人と呼ぶ 人多く 偶然ながら その人に会う」

  「20年 コツコツ書いた ハガキだが 元はといえば この本でした」

  「演台に 座布団置いて 身を委ね 話す姿は 始めて光景」

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人間牧場

〇雨の恵みのシイタケ収穫

 わが家の裏山には、大洲市田処に住む親友の亀本さんからいただいた、シイタケの原木が10本ばかり置かれています。シイタケは春と秋の年二回生えて収穫できるのです。気温が20度を下回る今頃は丁度その時期で、気付きませんでしたが、妻が「お父さん、あれシイタケが生えてるんじゃない?」と指差すダイニングの窓から見える方向に、確かにシイタケらしきものが生えていました。
 傘を差して近くへ寄ってみると、大きな傘のしいたけが10個ばかりありましたが、シイタケの収穫は孫たちの楽しみの一つなので、夕方保育園から孫たちが帰るのを待ちました。

しいたけを収穫し得意な孫たち
しいたけを収穫し得意な孫たち

 夕方雨の中を孫たちは元気な声で「ただいま~」と玄関先に帰って来たので、長靴のまま小降りになった雨の中を、二人の孫を連れて転ばないよう注意をしながら原木置き場まで行き、立派なシイタケを収穫しました。孫たちはさも自分がシイタケを見つけ収穫したような声で威張り、母親に渡して「今夜はシイタケを食べたい」とせがんでいました。
 若嫁は収穫したシイタケの半分を、小切りにしてフライパンの中に入れ、砂糖と醤油と味醂で味付けし、仕上げに白ゴマを振りかけて、付け焼き風の一品を作ってくれました。食欲をそそるいい匂いが部屋中に立ち込めました。私たちにも一皿シイタケの付け焼き料理を孫たちが持って来てくれましたが、中々の味でした。

カニに餌をやる孫たち
カニに餌をやる孫たち

 シイタケを採って帰る時、大水が溢れている清水の水場で、何やら動くものを見つけました。よく見ると親指に沢山毛の生えた立派なモズクカニが一匹、水に流されまいと石垣にしがみついていました。気付かれないように甲羅の上から掴むと、カニは親指を裏側まで伸ばして抵抗しましたが、そこは子どものころから遊びの中で覚えたカニの捕まえ方なので、用意したバケツの中へ入れて一件落着です。孫たちは珍しそうにカニを見ていましたが食べる気にはならず、今日辺り逃がしてやろうと思っています。
 こんな自然いっぱいと思える田舎に住んでいても、孫たちにとってはむしろ逆の不自然の中で暮らしているので、シイタケを採るのもカニを捕まえるのも、ハラハラ・ドキドキ・ジーンなのです。シイタケの匂いが嫌だった子供時代、カニに思い切り指を噛まれてべそをかいた少年時代、そんな子供時代や少年時代を、孫たちにも思い切り味あわせてやりたいものです。

  「台風の 雨の恵みで シイタケが 生えて嬉しい 収穫味わう」

  「シイタケの 照り焼き作り お裾分け いやはや美味い ご飯のおかず」

  「水場にて カニを捕まえ 持ち帰る バケツ囲んで あれやこれやと」

  「田舎だが 自然どころか 不自然が 多いと納得 どう乗り越える」

 

 

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人間牧場

〇情報の逆輸入

 先日わが家では、知人の農家にお願いして極早生ミカンを20箱ほど分けてもらい、全国各地の知人友人に送りました。私がミカンを送る相手はミカン産地でない人たちなので、極力珍しい時期に、極力美味しいものをと思って、毎年手に入れますが、今年もマルチ栽培、つまりみかん畑に真っ白いマルチをかけて作ったこだわりのミカンです。マルチをかけると水分が制限され、真っ白いマルチで太陽の光が乱反射し、美味しいみかんが仕上がるという作戦です。手間がかかるため価格は少々高いのですが味は抜群なようです。

 ミカンが届くと、早速「届きました」と丁寧に電話やメールや私信葉書が来る人もいますが、余りこだわらない人は私と同じように届いたとも届かないとも連絡のこない人もいますが、相手の人となりを知っているので、送り主の私もどこへ送ったか忘れるほどなので、毎回やり過ごしているのです。
 一昨日私の友人松本さんからface bookに、「観賞用カボチャの武田さんって、もしやパンプキン武田さんのことですか?」と書き込みがありました。私もまだface bookを始めて間がないため、「えっ」と思ってパンプキン武田で検索すると、私が送った箱入りミカンの写真が文章とともに紹介されていました。

愛称パンプキン武田さんのブログで紹介された私の送ったミカン
愛称パンプキン武田さんのブログで紹介された私の送ったミカン

 いやはや驚きです。私の送ったミカンが瀬戸内海と津軽海峡を越え、オホーツク海沿岸の佐呂間町に住む武田さんの元へ確かに届いているようです。武田さんは役場の課長さんをしているため忙しそうで、長の出張から帰って届いたミカンとご対面したようです。武田さんが自信のブログで書いているように、北海道の人から見るとミカンは冬の食べ物のようです。ミカンは冬コタツに入って食べるものというイメージは当然のことです。私の住む四国・愛媛では瀬戸内海に面していて、気候温暖で時折雪が舞うものの、雪が積もることなど殆どありません。そのため品種改良の進んだ今ではハウスミカンも含めると、年中柑橘系の果物が採れるのです。果物の大好きな私にとっては、まさに天国に住んでいるようなハッピーさです。

 同じ佐呂間に住む船木さんからは、まちづくりグループ寒気団の様子や早くも寒波の便りが届きました。また漁師の井田さんからも近況メールが寄せられています。サロマ湖が完全氷結する厳しい寒さはもうそこまで来ているようです。寒さの苦手な私は年中ミカンの実る、南西の地域に住むとを幸せを感じていますが、佐呂間に住む親友たちもまた、冬の寒さに負けない防寒をしてそこに住む幸せを感じながら生きているようです。人それぞれ生きる条件は違っても、幸せと感じながら生きることが何より幸せのようです。

  「もしかして? face bookに 書き込みが いやはや驚き 海峡越えて」

  「ああそうか ミカンは冬の 食べ物と 思うは当然 今頃気付く」

  「極早生の マルチのミカン 全国に 届けてホッと 秋も深まる」

  「台風の 進路の向こう 北海道 日本列島 細くて長い」

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人間牧場

〇人間牧場での収穫祭

 ⑦足湯のサービス
 人間牧場にはロケーション風呂と呼ぶ五右衛門風呂があります。私や息子は時々人間牧場へ出かけて風呂を沸かして入浴を楽しんでいます。ロケ風呂の押し上げ窓から見える瀬戸内海や、豊田漁港の眺望は絶景で、風呂に入りながらこの景色をを見るのもおつなものです。
 今年の収穫祭は、あいにく雨にたたられてしまいましたが、赤土の畑で芋を掘って汚れた足元を綺麗にすることと、冷えた体を温めるため、今年も灯油ボイラーでお湯を沸かし、半分ほど入れて足湯のサービスをしてやりました。子どもたちは靴下を脱ぎズボンを脛まで上げ、各班に別れ行儀よく風呂釜の回りに車座になって座り、足湯を楽しんでいました。足湯の効果は「頭寒足熱」という言葉のように、頭を冷やし足を暖める健康効果があります。少し熱めのお湯に足を浸すと体中がポカポカして気持ちが良く、疲れが取れるのです。脱衣場は土のついた足で多少汚れはしましたが、車座になって話す会話も楽しく弾んでいました。

足湯のサービスに子どもたちも大満足
足湯のサービスに子どもたちも大満足

 ⑧この日はあいにくの雨でウッドデッキを活動に使えず、水平線の家の25畳の板間しか使えないため、40人の子どもにジュニアリーダーを含めると50人の人でごった返しました。結局室内で予定していた配膳や昼食は小雨だったので屋外での立食パーティに変更して、不自由な思いをさせてしまいました。テントを張るか雨除けのブルーシートを張るか悩みましたが、結局狭い場所で圧し合い押し合いとなってしまいました。また先日浜田さんと二人で板間を綺麗に掃除をして、ワックスをかけていた板間は、ブルーシートを敷いたものの、土泥と消しゴム印を彫ったカスで台無しとなってしまいました。みんなが帰った後私は、いつものように小道具類を片付け、一人で掃除機をかけたりトイレの掃除を1時間ばかりかけてやりました。来た時よりも美しくするためには、子どもたちにも掃除の習慣を身に付けさせなければなりません。何かと考えさせられた収穫祭の細々でした。

子どもが帰った後の板間を掃除しました
子どもが帰った後の板間を掃除しました

 天は私たちに味方してくれるのでしょうか。反省文をかき終わって全てのプログラムが終了した頃、天気が回復しウッドデッキも乾いたので、恒例のウッドデッキでの集合写真はバッチリ撮ることができました。子ども達は元気に手を振りながら、山道を下って行きました。
 前々日下見にやって来た宮栄館長さんと赤石主事さんが、歩くコースで大きなスズメバチの巣を見つけたそうです。ウォーキングコースを変更することも考えましたが、大栄の岡田博助さんに依頼して蜂の巣を取ってもらったようです。蜂の巣は除去しても、スズメバチの残党がかなり残っているものと思われ注意をしていましたが、雨の影響でしょうかスズメバチに追いかけられたり刺されることもなく、無事終りました。
 振り返ればこのように、子ども体験塾のために実は多くの人たちが関わっているのです。これは長年積み上げてきた成果なのですから、これからも更に上積みして子どもを育てる、ふるさと教育の土台にしたいと思っています。

ウッドデッキで記念撮影
ウッドデッキで記念撮影

「車座で 足湯楽しむ 子どもたち 話も弾み ポカポカ気分」   

「潮が引く ように帰った 部屋の中 一人掃除の 雑巾かける」   

「帰る頃 天も味方し 晴れ間見え ウッドデッキで 集合写真」   

「スズメバチ 事前に退治 したお陰 何事もなく 行事を終える」

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