人間牧場

〇磯遊び

 私たちの町では春になると、ほぼ東西16キロの海岸に沢山の人がやって来て、ヒジキやワカメといった海藻類に加え海岸線に自生するツワブキを食用として持ち帰って食べるのです。海草類は漁協が持っている共同漁業権内なので、勝手に取ることはできないのです。さどい人は月夜の晩に根こそぎ持ち帰る人もあって漁業者も頭を痛めていますが、おかず程度に取って帰るくらいなら大目に見てくれるので、思い思いの出で立ちで取っている人をよく見かけますが、特にヒジキは収穫後の処理が大変だろうなあと思いつつ、やり過ごしています。

磯遊び1 海岸でそうした行為をすることを磯遊びといいますが、上を走る国号の喧騒を逃れて幾つかの海岸へ降りる階段を下ると、そこはもう別世界が広がっていて、冬の日差しの少ないこの時期ながら潮風に乗って磯の香りがプーンと匂って、思わず深呼吸をしたくなるのです。
 このほど午後の休日を利用して、仲間4人を誘い磯遊びをしました。私は子どものころからこんな遊びを楽しんでいますが、他の4人は初めてとあって興味深々でした。私は彼らにまず滑りこけないように注意をしました。海岸は石ころがゴロゴロして、またまるで洗濯板のような地面にも青海苔等の海草がへばりつき、よく滑るのです。注意散漫になると長靴でも転げて尾てい骨を思い切り打つのです。

 磯遊び2今日は1時間ほどの磯遊びでヒジキを収穫しました。それをキャリーや網袋に入れわが家の庭に持ち帰りました。さあそれからが大変です。陽のある間にヒジキを溜めた桶で水洗いして砂や小石を取り除き綺麗に洗ったら大釜にてんこ盛りにして下から火を思い切り焚くのです。薪はあらかじめ準備をしていたものと、裏の林から拾い集めた杉や桧の小枝を延々3時間燃やし続けるのです。磯遊びをした仲間は用があってそれぞれ散って帰りましたが、後はサンデー毎日の私が、暗くなった午後7時過ぎまで懐中電灯の光を頼りに火の始末をしました。
 わが家では、前日に収穫したヒジキの後始末も残っていて、それらをサナに干し仕上げをしていますが、このところ気温が高いものの風がまったく吹かないため、ヒジキが乾かずヤキモキしています。

磯遊び3 今日は私が収穫して茹でたヒジキを処分するのに一日がかりでした。ヒジキは茹でると匂いと灰汁が出るため、ゴム手袋をして作業を進めましたが、灰汁が指先の爪の間に入り込みタダでさえ無骨い手が見苦しくなりました。まあ女性の手を握るような歳でもないのでわれ関せずといったところです。予想より早く今年のヒジキの磯遊びのシーズンを終えました。次は3月の大潮ころにワカメ、5月ころに天草のシーズンを迎えます。
 海沿いに暮らす私にとって、ヒジキもワカメも天草も未利用資源です。またそれらを加工するエネルギーも野山にゴロゴロしている木や枝葉の実利用資源です。未利用資源と未利用資源を組合せれば、労働対価として新しい価値を生んで行くのです。ただしその行為は道具と技術、それに汗が絶対条件として必要です。この4~5日とても楽しい健康的な汗を思い切りかきました。

  「未利用の 資源求めて 磯遊び 柔らか日差し 全身浴びて」

  「磯遊び したこともない 友誘い 波打ち際で 色々体験」

  「3時間 火を焚きヒジキ 大釜で 暗くなるまで じっくり湯がく」

  「さあどうだ 田舎暮らしの 楽しさを 見せびらかせて 健康的に」

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人間牧場

〇炊いたヒジキのおすそ分け

 前日の昼過ぎ富岡海岸で採取したヒジキを、午後4時過ぎに大釜に入れてかまどに火を焚き始めました。かまどに使う薪はあらかじめ準備をしていたものに加え、裏山の林から調達した杉枝で、エネルギー費ゼロの算段です。ヒジキは3時間火を燃やし続けなければならないため、薪の量も半端ではなく、また火の番も20分おきに薪を入れなければならないので、前日は暖かかったものの、やはり陽が落ちると寒さが増して、水仕事なので鼻水をすすりながらの作業となりました。

 外に夜の帳が降りた午後8時前に火を止め、残り火で蒸すのですが、火事にならないよう懐中電灯の明かりを頼りに火の始末をして作業を終えました。昨日の朝はあいにくの雨模様でした。早速大釜の様子を見ましたが、蓋を開けるとまだヒジキは蒸せて湯気が残っていました。午前中近所の上灘保育園へ外出するので、かまどの上に覆いを被せ雨が入らないようにして出かけました。昼からは雨も小康状態となったようなので、大釜から使い捨ての薄い手袋をしてヒジキを取り出し、サナ6つに広げ、雨の当らない夕観所にアルミ脚立を伸ばして陰干しし、残りのヒジキは妻が用意してくれたナイロン袋に小分けをしました。

 大釜を金タワシと水で洗いそこら辺を片付けたので、ヒジキを軽四トラックに積んで知人友人のところへお裾分けして配りました。地域おこし協力隊の本多さんとは、ヒジキを取りに行く約束をしていたものの、お互いのスケジュールが合わず残念だったので、お裾分けを届けてお詫びをしましたが、願わくばヒジキの加工体験もして欲しいので、可能なれば今日あたりと目論んでいますが、多分取るのは取っても大釜で湯がく作業は結局私かもと思ったりしています。
 ヒジキのお裾分けは大釜とおくどを先日頂いた下灘の叔母にも、また先日そば打ち体験や金属柵設置でお世話になった西岡さんや公民館関係者にも配りました。

 もう一軒は少し遠いのですが、いつも色々なものをいただく伊予市の水口マリ子さんにも届けました。水口さんは大層喜んでくれて、この時期には珍しい沢山のトマトや小松菜、黒豆惣菜までいただき、かえって恐縮してしまいました。私の地産地消や未利用資源の利用法は、まずこれが前提です。多少難儀はしますが体を動かすだけでヒジキがこれ程の人に配られ、喜ばれるとしたら、これはもうとてつもない大きな喜びです。勿論わが家でもまだ湯気の残る湯がきたてのヒジキを使った料理が食卓に上り、家族みんなが美味しいと喜んで食べてくれるのです。加えてヒジキはサナに干して干しヒジキとして保存され、一年中のわが家の食卓を賄ってくれるのです。日々の生活をみんなと楽しむ、この前提がなければ田舎暮らしは不平や不満、不安だらけで味気ないものです。ヒジキを使った郷土料理の伝承にも挑戦です。ヒジキ飯、ひじきの白和えもそろそろ食卓に上るころです。今年はヒジキの粉末をふりかけにしようとも・・・、ああ夢は広がります。

  「湯がきたて ヒジキあちこち お裾分け これも大事な 私の仕事」

  「お裾分け した相手から あれこれと 頂きさらに ご縁深まる」

  「一年分 乾燥ヒジキ ストックし 食卓豊か これ田舎流」

  「さあ次は 郷土料理を 普及する 美味いぞヒジキ 次々仕掛け」

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人間牧場

〇いただいたかまどと大鍋を使ってヒジキ湯がき

 春が近づいているのでしょうか、「春に3日の日和なし」といわれるように、このところ寒くなったり暖かくなったり、雨が頻繁に降るようになりました。こんな気候の時は、晴れた日にきっちり戸外でできる作業をしておかないと、「明日があるさ明日がある」などと甘く考えていると、作業サイクルが遅れてしまうのです。そんなこともあって、最近は少しスケジュールが空いた時を選んで戸外作業に汗を流しています。

家の庭で朝夕割った薪をトラックに積んで人間牧場へ運ぶ
家の庭で朝夕割った薪をトラックに積んで人間牧場へ運ぶ

 一昨日は家の庭で割った薪を、人間牧場まで運んで薪小屋に積んだり、人間牧場で割った薪を寸暇を惜しんで、同じように薪小屋に収めました。薪を積み終わると雨がポツポツ降り始め安堵の胸を撫で下ろしました。帰り道の道路脇に3年ばかり放置されているエンジュの木があったので、軽四トラックに積んで持ち帰り、チェンソーで小切りしマサカリで割りました。エンジュの木は少し朽ちていて、中からカブト虫の幼虫が出てきましたが、かまわず割って倉庫の庇部分に積み上げ乾燥しました。

 

大釜でヒジキを湯がいています
大釜でヒジキを湯がいています

 地域事務所に行った折、松本さんにネットで調べてもらったところ、今度の大潮は1月30日頃と聞いていたので、昨日は金属柵を張る作業が思ったより早く午前中で終ったので、昼食後下見のつもりで富岡海岸へ出かけると、もうかなり潮が引いているようなので、思い切って海岸に降りてヒジキを収穫しました。未利用資源を生かすため地域おこし協力隊の面々と、近々やろうと相談がまとまっていたので、電話をかけたところ、あいにく出張予定のようだったので、一人での作業となりました。午後3時過ぎには早くも潮が満ち始めたため、それ程の収穫はできませんでしたが、帰宅後先日叔母から貰ったばかりのくどと大釜を使い茹で始めました。

 勿論エネルギー費はタダとばかりに裏山の杉葉や杉枝、それに先日割ったばかりのエンジュの木の薪を使いました。最小はいぶかしかったものの、火種ができれば火力があり、午後4時過ぎに火を入れてから3時間、焦がさないよう水を差しながらすっかり暗くなった庭の隅で、少し寒さを感じながら火を焚き続けました。昨日はヒジキの上に麻袋を乗せて湯がいたので、多分夜の間に残り火で、蒸し上がっているものとと思われます。くどや大釜を貰った叔母にもお礼に差し上げたいと思っていますし、また先日そば打ち体験でお世話になった西岡さんにもおこぼれを考えています。

 今朝は新聞配達に来た人の話によると、既に雨がポツポツ降り出したようです。今日は孫が通う保育園の餅つき大会なので、手伝いに出かける予定ですが、雨が降ったらどうなるのでしょうか。折角楽しみにしている孫たちにとっては、少し気がかりですが、気温も暖かいので何とかどこかでやれるでしょう。
 このところ体調もよく、戸外の作業も順調だし、暇を見つけた原稿書きや頼まれた原稿も無事提出でき、充実した日々を送っています。親父の体調と妻の妹の体調を気にしながら・・・・。

  「このところ 春に三日の 日和なし 地で行くように 雨が頻繁」

  「大潮が 近づきヒジキ 磯遊び したいけれども 折り合いつかず」

  「夕方の 寸暇惜しんで 火を焚いて ヒジキを茹でる 暗くなるまで」

  「今日辺り 湯がいたヒジキ お裾分け 汗さえ出せば 日々は充実」

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人間牧場

〇春遠からじ

 今年は例年になく、どここことなく水仙の花が綺麗に咲いています。毎年この時期になると下灘の水仙畑が、冬の風物詩としてマスコミに取り上げられますが、水仙は花の少ない冬場に咲くので、人知れず人気を集めているようで、下灘のコミセン付近に車を止め、カメラを提げて街中を歩く見知らぬ人の姿もよく見かけるのです。昨日は伯母の家へ行ったついでに人間牧場へ出かけ、薪割りした薪を2時間程片付けましたが、鉄道の斜面や農道斜面には水仙の花が所狭しと咲いて、それは見事でした。この分だと2月に入ってもまだ水仙の花は楽しめそうです。

JR予讃線沿いに咲く水仙の花
JR予讃線沿いに咲く水仙の花

 ご存知閏住の菜の花畑も菜の花が咲き始めました。まだ大寒なのに今年はどういう訳か、この2~3日気温の高い日が続き、昼間には14~15度まで気温が上がっているようです。親友の船木耕二さんや井田貴子さんの住む、北の海オホーツク海沿岸では流氷が接岸したとかしないとか言っているのに、四国・愛媛県・伊予市・双海町・閏住ではもう菜の花です。寒さに弱い私には暖かい気候はこの上なく天国のようです。来月末には船木さん一行が私のところへ研修にやって来ますが、多分万回の菜の花を見て驚くことでしょう。

 「そうだ今日辺り、水仙の花を切花にして北海道へ送ってあげようか!!」と今朝思いつきました。下灘のわが畑の斜面にはまだ沢山の水仙の花が咲いています。手渡しで花を持って行って喜ばれたことはありますが、宅配で送ったことがないので、はてさてどのようにすればいいか迷っていますが、段ボールを加工すれば何とかなるかも知れません。実は昨年北見の市川さんから沢山のハーブ茶が届いて、楽しませてもらっているので、お礼にとふと思った次第です。
 春はもうそこまで来ています。人間牧場の梅の花もそろそろほころび始めました。昨日畑の草取りをしましたが、土中ではもう根が活発に動いて芽吹きを待っているようでした。

  「水仙の 花あちこちに 咲いている 北の国では 流氷話題」

  「菜の花も そろそろ咲いて 春間近 寒暖激しく 体に堪え」

  「水仙の 花を送ろう 思いつく さてどのように すればいいのか」

  「冬は夏 いいと思うが 夏はまた 冬の冷たさ 思ったりする」 

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人間牧場

〇主人と一緒の墓に入りたくない妻がいる

 朝のテレビ番組「ごちそうさん」が面白くて、BSは7時30分から、地デジは8時から放送があるので、妻は仕事に行く前に見ています。私も最近妻につられて見ていますが、それにつられて孫たちも母親に、保育園へ行く準備が遅れるとせかされながら見ています。孫たち二人は番組の歌をしっかり覚えて、機嫌が良い日などは主題歌を鼻歌のように楽しく歌っています。

 8時15分からNHKの朝の番組が始まりますが、有働アナがごちそうさんの番組を引っ張るので、ついつい見てしまうのです。昨日は「夫の墓に入りたくない妻」というこれまた興味をそそるような内容に、思わず目と耳を傾けてしまいました。私のような古い人間は死んだら夫婦が一緒のお墓に入るのは当然と思っていますが、いやはや世の中には変わった人がいるものです。

 ところがアンケート調査によると、20年前と今とでは様子が違っていて、半分近くの女性が夫と一緒のお墓に入ることをためらっているというのです。その原因は何といっても夫婦の中の悪さです。定年後稼ぎのなくなった夫のために食事を作ったり、洗濯をしたりすることで一生を終えたくない自由願望の妻にしてみれば、死んだ後まで一緒は耐え切れないというのです。

 ましてや先祖代々の墓にはいじめられた姑も、老介護をした舅や顔を見たこともない一族郎党が葬られているのですから、考えただけでも寒気がするそうで、願わくば自分の両親のお墓に入りたいというのも無理からぬことです。もう一つ今はペットの犬や猫と、同じ部屋の中で家族同様に暮らしているのに、ペットと一緒のお墓に入りたいけれど、お寺ではそれはできない相談だと断わられるのです。

 そのため夫に内緒で自分だけのお墓を準備している人もいるのだそうです。お墓は得てして人里離れた寂しい場所にあります。また夫は田舎出身の人が多く、死んだら田舎の墓地に納骨されることだってあるのです。お墓参りの嫌な人には、お墓参りをしてくれる代行業だってあるし、お金を出せば納骨堂で永代供養をしてくれるのです。便利になった反面これでいいのか?と世間の変化に戸惑いする感じるのは、私一人ではないはずだと、思わず苦笑いしてしまいました。

  「死ぬ前に 死んだ後まで 考える 夫の墓には 入りたくない妻」

  「夫とは 一緒嫌だが 犬や猫 一緒納骨 望む人あり」

  「日本も ここまで来たか 墓事情 何をよすがに 生きたらいいか」

  「妻だけは 一緒の墓と 信じたい 世の中夫 寂しく疑う」 

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人間牧場

〇21世紀えひめニューフロンティアグループ総会

 私は昭和51年、総理府派遣の第10回青年の船に班長として乗船し、アメリカ・メキシコで大きなカルチャーショックを受けました。帰国して余韻覚めやらぬ明くる年、土地を購入して自宅を建設し、その横に青年のたまり場煙会所を建てたのです。以来37年間煙会所は私の目論見どおりたまり場となって、多くの人を迎え現在に至っていますが、煙会所を建てて間もない昭和56年、私が中心になって青年活動で知り合った仲間と、21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティアグループを結成し活動を始めました。今は当時の活気ある活動は見られないながらも細々ながら続いているのです。

 私が町の教育長に就任していた2年間だけ大野さんに代表を委ねましたが、退職後再び代表に就任し現在に至っているのです。そのグループの総会が25日の土曜日、今治市新谷の河上さん宅で行なわれました。集まったのは10人ほどでしたが、去年一年間を総括し今年の活動について話し合いました。例年総会は煙会所で開いていましたが、今治に会員が3人もいるので、河上さん宅で総会を開くのがすっかり恒例となってしまいました。
 この日私は、子ども体験塾が2時過ぎまであったため、片付けや知人に会う約束もあって、4時過ぎに軽四トラックで、奥道後~水が峠~今治の道を選んで走りました。折から振り出した久しぶりの雨の中、河上さん宅へ到着したのは午後6時を回っていました。

 三々五々集まったメンバーと、河上さんの奥さんが作ってくれた美味しい料理に舌鼓を打ちながら、楽しい食談会となりました。33年前のグループ結成時には若かったメンバーも、リタイアしていい歳となっていることが一目でわかるような風貌です。
 私たちはこの三年間で千本の桜を県下各地に植える、千本桜の森づくり事業を、関奉仕財団の財政的支援を受けてやってきました。目標どおり桜の植樹は終りましたが、今年は自分たちにつながる場所へ、少し大きな枝垂桜を植えようと計画しています。また世界遺産を巡る旅も昨年までに広島原爆ドーム、安芸の宮島、石見銀山、姫路城、奈良京都の神社仏閣、熊野古道、飛騨高山合掌造り、屋久島と巡り、今年は日光東照宮を予定しています。

 今年は次なる世代を育てるために、人間牧場などを利用して若者を育てる活動もしようという相談もまとまり、いつになく活発で建設的な意見が沢山出ました。私たちにはかつて無人島キャンプをしたころのような馬力もなく、もう若くはありませんが、今まで支えてもらった人や社会に万分の一でもお返しをしようという気持ちだけは今も健在です。
 この33年、こんな小さな名もなき集団を空中分解することもなく続けられたことを誇りに思うし、これからも力の限り恩返しをしたいと思っています。私は代表ゆえにグループを愛し、グループを正しい方向に導かなければなりません。そして何よりもグループのために一歩踏み出し実践することが大事です。さあ今年も頑張りましょう。河上さんご夫妻おご馳走さんでした。明くる日の予定があって私は泊まらず帰宅の途に着きましたが、水が峠のトンネル工事のため、かなりの時間午前0時過ぎに足止めされ、自宅に到着したのは午前1時頃となってしまいました。

  「ボランティア グループつくり 色々な 活動三十三年 楽し思い出」

  「ふさふさの 髪もなくなり 事務局長 ハゲの哲学 笑い話に」

  「1年に 一度集まる 総会は お酒も入り 賑やかでした」

  「代表は グループ引っ張る 力持つ 気概を持って 今年頑張る」

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人間牧場

〇子ども体験塾でのそば打ち体験(その2)

昔の道具も登場しました
昔の道具も登場しました

 ブルーシートの上に座って陣取った子どもたちは、棒切れを使ってそばの茎を叩き始めました。乾燥したそばの実が勢いよく落下しました。子どもたちがやることなので、順調とまでは行きませんが、まあ何とか脱穀を終え、トウミやミといった子どもたちにとっては見たこともないような古い道具を使い、ごみや軽いそば殻を飛ばし、石臼や製粉機で、粉引き作業も体験することができました。ここまでの行程が終って始めてそば打ち体験となるのです。

麺棒で延ばす作業
麺棒で延ばす作業

 持参したエプロンをかけ、用意してきた三角巾を被って狭い室内に入り、西岡さんの指導でボールにそば粉と水を適量入れ、パサパサのそば粉が米粒のようになるまでひたすら両手で混ぜました。直ぐにでもそばが打てると思っていた子どもたちにとっては、かなりじれったい作業でしたが、西岡さんの指導の下、ひたすら作業を続けその後残りの水を入れてこね、やっとの思いで生地を作り、少しの間ビニール袋に入れて寝かせました。

うち粉も馴れた手つきで
うち粉も馴れた手つきで

 生地の下準備ができるまでスタッフやジュニアリーダーたちは、大きなかまどでお湯を沸かしたり、西岡さんの奥さんと嫁さんが炊いてくれた二釜もの炊き込みご飯で、おにぎりを作りました。なにせ50人を越える参加者におにぎりを2~3個作るのですから半端な数ではないのです。西岡さんはその間にそばつゆを作り、人数分の茶碗に注ぎ分けて準備をしてくれました。今回は薬味がないので、そばの畑から大根を一本いただき、皮を剥いですり大根を作りましたが、子どもたちには馴染みがなかったようです。

そば茹で
そば茹で

 生地を綿棒で平たく伸ばす作業も力が必要で骨の折れましたが、テレビの映像で見ている場面だけにみんな熱を入れて一生懸命広く伸ばし、布巾をたたむようにたたんで、平たい菜切り包丁で、西岡さんの息子さんがにわか作りで造ってくれた定規で、細長く短冊状に切りました。子どもの腕力では下まで包丁が入らず、まるでイカのゲソのようないびつな物や、きし麺のような太いものもありましたが、これもご愛嬌で、思わず笑みがこぼれました。

 切った生そばは沸騰した大釜2つで次々と茹でました。普通は3分程度で茹で上がるようですが、前述の通りの不ぞろい極太もあるので、4~5分程度に伸ばし、タイムキーパーの翠小学校長先生が、カウントダウンして茹で具合を管理してくれたお陰で、いい具合に茹で上がり、冷水で洗って打ち上げました。そばは引きたて、打ちたて、湯でたてと三つの条件が揃えば文句なしといわれていて、お昼の時間になって腹が空いている子どもたちは、食べたくてソワソワし始めました。包丁を使ったり、お湯や焚き火もあって怪我をしないよう注意を払いましたが、事故もなく無事その行程を終えました。
 この続きは、明日のアメーバブログ「Shin-1さんの日記」(その3)にアップしますので、ご一読下さい。

 

 

 

 

  「様々な こんなはずでは ない体験 やったお陰で 何とかそばが」

  「引きたてと 打ちたて加え 湯がきたて 三つ条件 美味いはずです」

  「これは何? イカのゲソ風 そばを見て 大笑いする これも体験」

  「包丁や かまどの火湯気 危ないと 注意のお陰 何事もなく」

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人間牧場

〇食後に2錠のお薬を飲んでいます

 「若松さん、少し前立腺が腫れていますね!!」と、11月の健康診断のエコー検査の折、エコー検査技師から言われ、エコー検査の結果を基に内診する先生にもその旨伝えられました。そしてその日のうちに泌尿器科へ回って診察を受けました。お尻から指を突っ込まれたり、超音波の検査をされましたが、お薬を50日分出され飲みみ続けて今日に至っています。そろそろ薬の切れる昨日、再び予約日ということで病院へ出かけて行きました。

 昨日は金曜日とあって、県病院から市駅に通じる道路は相当混んでいて、病院の駐車場へ入るのに30分も待たされ、あいにく予約時間に遅れるところでした。手続きを済ませてオシッコの検査の後、前回診察を受けた2階の診察室へ向かいました。いつものことながら県民全てが病気でないかと見紛うほどの人で、ロビーは溢れていました。中待合室で順番が来るのを待っていましたが、10時30分の予約時間を過ぎても、中々私の名前は呼んでくれないのです。

 私より前に入った人は余程深刻なようで、奥さんと娘さんが付き添いで診察室へメモを持って一緒に入られ、根掘り葉掘り質問していて、診察なのか相談なのか説明なのか分かりませんが30分も時間がかかってしまいました。その次の人は検査結果が出たようなのでと呼び込まれ、消沈していることがありありの手合いでした。
 結局私の診察が始まったのは1時間後となってしまいました。私はいたって簡単で、医師「その後どうですか?」、私「薬が効いたのか、夜はトイレへ一回程度です」、医師「もう少し薬で様子を見ましょう。次回は4月に来て下さい」、「先生ありがとうございました」と、まあものの5分以内でした。

 家の近くの薬局で薬を貰い、これから3ヶ月、食後に2錠ずつ薬を飲まなければなりませんが、イギリスの経済学者ペティの「健康は労働から生まれ、満足は健康から生まれる」という言葉を噛みしめて生きているだけに、毎日薬を飲むことの煩わしさは、健康でないと満足して生きることができない感じがして、少し憂鬱気分です。健康は人間が自分に贈る最高のプレゼントと思っているものの、やはり加齢によって予期せぬ病気も近づいてきます。まあ病は気からですから、余り深く考えずこれまでどおり、楽しく生きようと思っています。

  「お薬と 注射が嫌い この顔で 特に薬は まるで毒薬」

  「食事後に 毎日薬 二錠ずつ 健康くらい 妙薬はなし」

  「病院と 薬局近くに できたけど 検査は総合 病院目指す」

  「病院に 行く度 何故か憂鬱に さりとて行かねば どうにもならず」

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人間牧場

〇まちづくり学校双海人でのワークショップ

 昨日の夜、地域事務所で今年最初のまちづくり学校双海人の学集会が開かれました。今月の話題提供はこのから運行が予定されている、観光列車「伊予灘ものがたり」の運行について、JR四国伊予灘ものがたり企画室の担当者から話を聞くのです。この話は既に新聞発表されているので、おおよそのことは知っていましたが、運転区間や運転時刻、車内の座席配置など、知らない部分が多かったため、興味のある話を沢山聞くことができました。

伊予灘ものがたりパンフレット
伊予灘ものがたりパンフレット

 しかし、この観光列車が双海町を含めた沿線地域の活性化に、どれ程の効果が期待できるかは、予想通り期待薄かも知れないと、思うようになりました。JR四国側は地域に期待するのはやって来るお客さんを温かくもてなして欲しいということと、上灘・下灘駅のトイレを市の予算で改修して欲しいということぐらいででした。そんな半信半疑の中で、説明を元に3班に分かれてワークショップを開きましたが、私の班は地域がJRに求めるものについて意見を出し合いました。

 地域の要望
 ①列車運行を地域の活性化に活かしたい。
 ②通過するだけにして欲しくない。
 ③双海の食材を車内の料理に使って欲しい。昼の弁当も予約して欲しい。
 ④昼間の2号双海編の車内で特産品のお土産を販売させて欲しい。

 地域ができること
 ①双海町の観光パンフレットを配布して欲しい。(50部×120日=年間6000部)
 ②案山子を使って上灘駅のディスプレイをする。
 ③オープニングや記念日にじゃこ天一座の踊りを披露する。
 ④下灘駅は何もしないことが一番だが、キャッチフレーズなどでPRする。

 その他色々な意見が出ましたが、伊予灘ものがたりという列車は、レトロモダンの列車に揺られ、すべての人の五感に響く、珠玉の鉄道の旅であって欲しいと願っているし、このことを通して沿線地域の知名度が少しでも上がることを期待しています。私もいずれ乗ってみたいと思っています。地域の元気をどうつくって行くか、地域力が試されているようです。

  「二億円 かけた列車が この夏に 伊予灘沿線 ゆっっくり走る」

  「お互いが いいとこばかり 求めると 期待はずれに 終ってしまう」

  「お互いが ない知恵絞り 手を結ぶ 外から来る人 シビアに見てる」

  「二十年 前にこのこと考えた 馬鹿な話と 一蹴された」

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人間牧場

〇金融教室の感想文届く

 先日金融広報委員会の派遣で出かけた松山市河野小学校の和田瑞穂教頭先生から、少し厚めの封書が届きました。中には女性の細やかさが覗える先生の私信礼状が入っていて、手作りの便箋には私が子どもたちの前で話している様子と、思わず吹いてしまったハーモニカを吹いている写真まで入れて、いやはや恐縮しました。

和田先生から届いた私信と感想文
和田先生から届いた私信と感想文

 当日の参加者は5・6年生120人ほどと聞いていましたが、同封されていた全員手書きの感想文には、私の話を聞いた感想がリアルに書かれていました。嬉しくなり全てに目を通し読ませてもらいましたが、何故か5年生は横書き、6年生は縦書きでした。全てを紹介できないので、送られてきた偶然にも一番上にあった5年松組の七海ちゃんと、6年彩海ちゃんの名前に双海と同じ海という字がついていたので、その感想文を紹介します。

 阿部七海ちゃんの感想文
 1月15日は、河野小学校に来て、人間の四つの願望のことや、努力することについて、いろいろ教えてくださって、ありがとうございました。
 人間は、一人じゃ生きられないことや、昔の歴史人物がどれだけ努力していたのかというお話は、特になるほどと思いました。
 若松先生のお話は、おもしろくて、とてもわかりやすかったです。また先生のお話が聞きたいです。
 金ゆう教室のときに、一度ふりかえってみて、私は今までやろうとせずにあきらめたり、とちゅうで投げだしたりしたことが、何回もありました。
 わたしの生き方は、努力がまったく足りなかったので、これから昔の人のように、たくさん努力していきたいです。
 いろいろなことを教えてくださってありがとうございます。

高市彩海ちゃんの感想文
高市彩海ちゃんの感想文

 高市彩海ちゃんの感想文
 わたしは、金融教室で若松先生にいろいろなことを教えてもらいました。「お金を使うことの大切さ」、「目標を立ててめざすこと」の大切さなどのさまざまなことを教えてもらいました。若松先生は一年で百万ためることを決めて、それを十年間続け、一千万ためることができたと言っていました。わたしはこの事を聞いてとてもビックリしました。若松先生はニガテな音楽で使うハーモニカもふけるようになり、今ではテレビやラジオにもたまにでると聞きました。わたしはこのことを聞いて、目標を立てて目指す事だと思いました。なのでわたしも目標を立てて目指すことを大事にしながら生活したいです。

 いやはや驚きの反響です。私は自称「感動と夢を売るセールスマン」です。感動は言葉ではいくらでも語れますが、語って相手に感動を伝えるためには、ジーンとするような感動経験が必要です。また夢もいくらでも語れますが、夢をドリームで終らせず実現した成果がないと、人は信用しないのです。人間が生きて行く上で必要なものは幾つもありますが、感動や夢も必要なもののような気がします。河野小学校に出かけ僅か45分間では、伝えきれないだろうと思われますが、どうしてどうして、子どもの心の扉を開くことができました。和田先生に感謝です。

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