人間牧場

〇二つのことで感心な息子

 わが息子を誉めるのは一の馬鹿かも知れませんが、いつも感心していることが2つあります。まず一つはわが家のトイレの掃除です。わが家には1階に1ヵ所、2階に1ヵ所、隠居に1ヵ所、私設公民館煙会所に1ヶ所と合計と4ヶ所もトイレがありますが、1階と2階のトイレは大体1週間に1回程度息子がピカピカに掃除をしてくれているのです。同居を始めるため家を設計士をしている息子の設計で大改造した折、「トイレは文化だ!!」という息子の言葉に諭されて、わが家には似つかわしくないような立派な全自動のトイレを設置しました。金を出すのは親、使うのは自分たちという少し身勝手な息子の発案による大改造に、思わぬ出費がかさんでしまい気を揉んだ妻の財布心配を他所に、トイレに入れば自動的に蓋が開き、用を済ませるとウオッシュレットで洗ってくれ、自動的に流れるトイレは息子が言う「トイレは文化だ」通りの快適さです。

 大改造を終えて息子たちと同居を始めて3年になりますが、その間息子は自分の発案した1階と2階のトイレ掃除を自ら買って出て、掃除をしてくれているお陰で未だにまるで新品のようなトイレを保持しているのです。最近はトイレの掃除も随分様変わりしていて、拭き掃除の後はゼリーのような香料洗剤を便器に貼り付け、水が流れる度にゼリーが溶けるようになっているのです。「そこまで凝らなくても」とトイレのグレードアップに難色を示していた妻も最近はすっかり気に入って、友人たちに「トイレは文化ですよ!!」などと説得しているのですから世の中は分からないものです。1階のトイレは孫たちも朝夕私たちと共用で使っていますが、幼児ながら汚すこともなく使ってくれています。

 もう一つの感心は、私が採集した蜂蜜を、使っていない畳半畳ほどの小さな自家用サウナを利用して、精製しているのです。昨年私が採集した蜂蜜は20升余りでした。これをパレットに移してサウナに入れ、花粉を取り除いて純度を上げ、水分を飛ばして糖度を85パーセントまで上げるのです。気の遠くなるような作業ですが、息子はインターネットで様々なことを勉強しこの方法に辿り着いたようです。精製した蜂蜜は大小の小瓶に入れて、自家用にしたりお裾分けするのです。これも妻から言わせれば「そこまでしなくても!!」なのですが、「人間牧場産蜂蜜」などと書いたラベルまで作って貼る懲りようです。
 もう間もなく蜜蜂が動き出す春が来るというのに、去年採集した蜂蜜はまだ精製過程なのですが、出来るほど色々な人に差し上げているので、在庫は余りないようで、目下蜂蜜の精製を楽しむといった感じですが、私がミツバチに何度も刺されて孤軍奮闘して採集した蜂蜜なので、いやはやありがたいことで、息子を誉めてやりたい心境です。

  「わが息子 この三年間 一・二階 トイレ掃除を 怠りなしに」

  「妻さえも 今では人に 言い触らす トイレは文化 心が変わる」

  「採取した 蜂蜜せっせ 精製す 瓶詰めラベル 相当凝って」

  「わが息子 誉める親父は 一の馬鹿 それでも誉める 価値ある二つ」

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人間牧場

〇孫たちの氷の実験

 私が講演などで話す内容の中に、最近好んで使うのが「氷の実験」という話です。冷蔵庫から取り出した小さな氷を水を入れたコップに入れると、氷は浮き沈みします。「さて皆さんこの氷の浮いた部分と沈んだ部分の不文律は何対何ぼでしょう?」と聞くのですが、聴講者の中には何人か知識人がいて、手を挙げて答えてくれますが、まず殆どの人は奥ゆかしいのか手が挙がらないのです。広辞苑に「氷山の一角とはおおよそ七分の一の浮いた部分をいう」と書かれてます。この数値で計算したアバウトな数字だと浮いた部分は1、沈んだ部分は9なのです。じゃあ「南極や北極に浮かぶ大きな氷山は何対何ぼ?」と聞くと、見たこともなから分からないと答えるのですが、広辞苑に書いてることが正しければ、氷は小さくても大きくても9対1なのです。

孫2人が氷の実験で作った氷
孫2人が氷の実験で作った氷

 これを人間に例えて話します。人間は本能的に生まれながら、生きているシグナルを発するオギャーオギャーと泣く言葉、お乳をあてがうと飲む食欲、糞と小便をひる排泄という三つの健在能力を持っていますが、その後読む、聞く、見るという三つの学習能力が加わり、大きな氷へと知識を膨らませて行くのです。この備わった知識を書く・喋る・実践することによって、知恵に変えれば人間は七分の六の潜在能力を浮上させて、顕在化することができるという話です。
 一緒に入る風呂の中で2人の孫たちにこの話をしてやりますが、4歳と6歳の孫にはまだチンプンカンといったところです。ところが「氷の実験」ということだけは覚えていたのか、この数日外で何やらゴソゴソ始めていたようでした。

 外庭でバケツや遊び道具に水を張り、このところの寒さで自然氷を作ろうという算段のようでした。昨日の朝は戸外は放射冷却現象の影響で一面に真っ白い霜が降りました。孫たちの目論見どおり昨日の朝は、薄い氷ながら見事に実験は成功して氷ができ、孫たちは大喜びでした。残念ながら4歳の孫奏心はインフルエンザにかかって熱があるので、氷に触ることはできませんでしたが、いやはや孫たちもやるもので、「見て見て、氷ができた!!」と誰彼となく見せて大喜びの朝でした。子どもは好奇心旺盛です。好奇心の中から新しい発見をして成長して行くのです。

  「寒いのに バケツの中に 手を入れて 氷取り出す キャーキャー言いつ」

  「風呂の中 氷の実験 話したら 孫は早速 実験開始」

  「何故水が 氷になるの? 不思議がる 当たり前ゆえ 答え戸惑う」

  「孫一人 インフルエンザ 熱を出し 折角氷 できたというに」

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人間牧場

〇わが家にもインフルエンザが・・・・

 今年わが家で一番最初にインフルエンザの風邪を引いたのは、意外や意外日赤松山病院に看護師として謹めている次男の一生でした。「医者の不養生」という言葉がありますが、医療機関に勤めているのに何故と思うのは無理からぬことです。でも本当は病院が一番病気の元なのです。「病院へ行く時は必ずマスクをしなさい」といわれる所以はそこにあって、息子は救急専門の部署なので、病人が様々な病気をダイレクトに持ち込んで来るので頷くところです。

 健康な時は「風邪くらい」と軽々しく思いますが、熱が出たり時には上げ下げするような重症になると、自分の体でないような錯覚にうなされます。風邪は万病の元と言われるように、特にインフルエンザは抵抗力のない高齢者や子どもたちは肺炎を引き起こすため、用心をしなければなりません。わが家にも孫2人と95歳の親父がいるので、インフルエンザの予防注射をしたり、外出から帰るとうがいや手洗いに余念がないようです。

 3日前、6歳の孫希心がおたふく風邪にかかりました。耳の辺りが痛いというのでかかりつけの小児科で診てもらい検査したところ、おたふく風邪と診断されました。おたふく風邪はうつるので保育園はお休みです。ところかその明くる日今度は4歳の孫奏心が風邪気味で熱が39度まで上がり診てもらったところ、インフルエンザと分りました。聞くところによると保育園ではインフルエンザが流行り始めているようです。息子の勤めている病院も病原菌の巣ですが、保育園もまた色々な病気の巣のようなもので、友だちから友だちへと伝播して行くのです。

 昨日孫たちは自室に寝かされ隔離状態でした。私たち夫婦といっしょに毎日入るお風呂も、昨夜は熱があるようなので、自重させました。目下のところ少し風邪気味だった妻は回復して私と親父、それに息子夫婦だけが、「馬鹿は風邪を引かない」の例えどおり元気に過ごしています。冬の寒さはまだまだこれから当分は続きます。風邪を引かぬようにするには、風邪菌をもらうような場所にはできる限り近づかないようにしなければなりませんが、仕事柄今日も講演に出かけなければなりません。毎日欠かさずやっている風邪を引きにくい体力づくりと規則正しい生活に心がけたいものです。

  「わが家でも 息子や孫が 次々と 風邪にかかって 危険信号」

  「風邪くらい 怖い病気は ありません 空気感染 あっという間に」

  「私馬鹿? 鈍感なのか 風邪引かず そろそろ危ない 予感ありあり」

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〇1月の五行歌

 毎月1回駄作の五行歌を作って送るだけなのに、毎回締切日を忘れて代表の見山あつこさんから督促でない暖かいお諭しのメールが届き、恐縮しながら欠席歌を送っている駄目人間の私の元へ、今月も1月の歌会報告書が届きました。今回は正月前に作った歌なので、正月を過ぎると頓珍漢な感じがしますが、記録のつもりで書き留めておきます。

  一年の計
  大晦日にあり
  あれやこれやと
  思い巡らす
  これも幸せ

 講評に次の言葉が添えられていました。
 ☆そういわれればそうですよね。「今年はこれがうまくいかなかったから来年こそ、」「この好調を引き続き来年も・・・・」と、大晦日の反省と諦めが翌年の豊富に繋がるってことが多いですよね。充実した一年を過ごせた大晦日は幸せなことでしょう。
 いやはや言い得て妙なる講評です。私は毎年「一年の計は大晦日にあり」と考え、一年の計画を立てています。最近は若いころのようなやる気の夢は思っても果たせないので、身の丈に合ったささやかな夢にしていますが、それでもお陰で新しい年の正月元旦から、清新な気持ちでその年をスタートすることができるのです。

 あれから早くも40日があっという間に過ぎました。立てた目標には一年をかけるもの、日々の暮らしの中で気をつけることなど色々ですが、それなりに推移をしています。特に気になる病気にもなっていないことは何よりですし、家族も多少風邪を引いたりしてはいますが、円満に暮らしています。出席歌一席の見山あつこさんの次の歌のようなグローバルな考えも持ちたいものだと、しみじみ思いました。
  新年の願は二つ
  世界中の
  命あるものすべてに
  安らかな眠りと
  爽やかな目覚めを

  「他の人の 五行歌読む度 まだまだと 自分の駄作 恥じらいながら」

  「自分流 これも大事な 生き方と 恥を忘れて 次の作品」

  「安らかな 眠りと目覚め なるほどと 感心しつつ 一席学ぶ」

  「わが歌は ホメラレモセズ 駄作にて 誉められるような ウタツクリタイ」

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〇ジャガイモの種芋購入

 昨日は朝から晩まで一日中粉雪が舞い、この冬一番の寒さとなりました。背後に聳える牛の峰から明神山にいたる山の中腹より上は真っ白に雪化粧して、咲き終わろうとしているスイセンや咲き始めた菜の花も、どことなし寒さに震えているようでした。こんな日は部屋の中でコタツの番をするのが一番楽なのですが、サンデー毎日とはいいながら薮用があって、昨日も朝から晩まで家を留守にしました。出かける前折角乾いたヒジキをサナから外し、妻の用意してくれたビニール袋に入れて小屋に収納してから出かけました。

 所用を終わって松山から帰宅する途中ホームセンターへ立ち寄り、ジャガイモの種芋を買い求めました。祖母が存命中に聞いていた「ジャガイモは椿さんが終ってから植える」という言葉を思い出したのです。伊予路に春を呼ぶという椿さんの縁日は昨日始まり、今日と明日の三日間行なわれていますが、この寒さが一段落すると、祖母の言葉通りジャガイモの植え付けをしようと思っています。一週間後の来週土曜日には人間牧場の農場でも、ジャガイモの作付けのためのプログラムが計画されていているため、来週はまた忙しくなりそうです。

 昨日買い求めた種芋は男爵3kg、北あかり5kg、出島2kgでした。この品種構成は昨年の収穫成果と食卓人気、つまり食べて美味しかったからです。わが家の倉庫には芽の出始めた昨年収穫したジャガイモがまだ残っていますが、これから2ヶ月でそれらを食べ尽くす予定です。ジャガイモとタマネギは保存して万能野菜として大いに活用しているし、親類や知人にお裾分けして喜ばれているのです。妻は残っているジャガイモで今年最後のコロッケを作ろうかと話していました。わが家にも本格的な春の訪れが近づいてきました。

  「椿さん 終れば植えよ ジャガイモを 祖母の言葉が 脳裏をかすめ」

  「春間近か 雪降るさなか ジャガイモの 種芋求め 準備おさおさ」

  「昨年の 成果を元に 今年も 豊作期待 力こぶ入れ」

  「倉庫では 残りジャガイモ 芽を出して 春が来たよと 知らせるように」

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〇普通の人?、それとも変わった人?

 私の周りに集まる人の中には変わり者が多いようです。かく言う私も普通の人から見れば少しだけ変わっているから、変わった人たちが集まるのかも知れません。「変わった人」と思われる人は得てしてしっかりした自分流の信念を持ち、「オンリーワン」を貫いているのです。まあ私流に言わせると私たちが変わっているのではなく普通で、私たちを変わった人と思う人たちが変わっていると思えば納得がいくのです。

稲葉眞光さんの名刺
稲葉眞光さんの名刺

 一昨日の夕方親友稲葉眞光さんがわが家へ夕方、自分で作った里芋を持ってやって来ました。稲葉さんの本業は自動車の板金修理屋さんです。わが家も車を傷めるとその都度稲葉さんに連絡して修理をしてもらいますが、3年前講演先鳥取県大山手前の蒜山で大雪に見舞われ、ガードレールにぶつけた自損事故の時は、稲葉さんの友人である東広島の稲井さんまで巻き込んで、大掛かりな輸送作戦を展開してくれました。稲葉さんは自分の名刺に双海町の夕日をあしらっていますが、その名刺に「瀬戸内の食文化を世界遺産にアグリJAPON」とキャッチフレーズを書いているのです。稲葉さんのこの名刺を見る限り稲葉さんは変わった人のようです。

 稲葉さんの夢は自分の作った作物を売り、近い将来は農業で飯が食えるようにすることだそうで、色々なことに取り組んでいます。双海町の農家から農地を借り受けたり、農地を手に入れたりして夢の実現に着々といったところですが、月に1回の軽トラ市にもアイディアを出して色々と実験を繰り返しているようです。私がいつも言っている「遊びの農業は楽しいが、飯を食う農業は厳しい」を実感しながら、人から見れば他愛ない夢を追いかけているのです。ビワの種で杏仁豆腐を作って、鳥取県からやって来た藤原さん一行に振る舞って試食させたり、まあ楽しい人です。

 昨年は天草取りも挑戦しました。近々農場にコンニャクイモを植えたり、タラの芽を増やしたいと言ったり、夢の扉を叩くことは止まるところを知りません。昨日は夕日丼ぶりの器を作る話で大いに盛り上がりました。稲葉さんは秘策を思いついているようで、その成果が楽しみです。人は様々な夢を持って生きています。夢なき民は滅びるとといいますが、夢を持って生きていると明日が来るのがとても楽しみです。私も稲葉さんに負けず劣らずこの歳になっても、見果てぬ夢を追いかけています。さあ次はどんな夢に挑戦しましょうか。

  「やって来る 私の親友 変わり者 私言わせりゃ 我々普通」

  「夢語り 夢を追いかけ あれやこれ 失敗超えて 次も失敗」

  「夢を持つ だから人生 楽しいと お茶を飲みつつ 相槌を打つ」

  「遊びゆえ 楽しい農業 飯のネタ これは厳しい ゆえに追い込む」

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人間牧場

〇コンニャク作りの道具を作る

 ヒジキの収穫も振り返ってみれば暖かい気温に恵まれて無事終わり、あとは寒波とともに吹き始めた北西の季節風の手助けを得て、乾燥仕上げのみとなりました。ヒジキ湯がきに使った叔母から貰ったかまどと大釜を、倉庫の一角を片付けて収納しようと思っていますが、折角大釜を外に出しているので、この際コンニャク作りをやろうと考えています。昨年年末に親友西岡栄一さんを講師に迎え、人間牧場でコンニャク作りの実習をやりましたが、私一人でやったことがないので、今度は自分ひとりでやって、コンニャク作りを自分のオリジナルなものに何としてもマスターしたいのです。

 昨日はコンニャク作りのレシピをネットで調べ、幾つかの事例をプリントアウトしました。西岡さんに教えてもらった時の、ミキサーやボール等いわゆるコンニャク作りの七つ道具類を、頭に浮かべて準備をしていますが、コンニャクを練る時柄長のシャモジが欲しいと思い、倉庫から杉板を持ち出して作り始めました。ついでにヒジキを湯がく時、途中でひっくり返す作業に必要な分厚く大きな柄長シャモジも必要だと考え、4個作ることにしました。もとより設計図もなく思いつきな上、生まれつき不器用なため、鋸とナタとカンナ程度の日曜大工道具で作るのですから、大した物はできないのです。

 鋸で板を適当な長さに切り、ナタで粗方削ったところをカンナで仕上げて行くのですが、思ったより難しく、1時間ほどで似て非なるものが粗方出来上がりました。寒くて外に出ることができない、器用な親父の目には触れませんでしたが、妻は出来上がった長柄シャモジを見て、「器用ねえ」とお世辞を行って誉めてくれました。
 さあ道具は揃いました。前もって群馬県にある下仁田コンニャク処ぜいたく庵から、ネットで買い求めている凝固材貝殻焼成カルシウムもあるので、あとはお天気の回復を待っていざ出陣です。私は子どものころからコンニャクが大嫌いで、余程のことがない限り食べません。ゆえに今回のコンニャクはとりあえず家族のために作るので、毒味は家族の人体実験です。いいコンニャクができるといいのですが・・・・。

  「大釜や かまどを使い コンニャクを 作る道具を 前もち作る」

  「そういえば 長柄シャモジが 便利だと 杉板使い 器用に作る」

  「お父さん あなた器用と 妻誉めて 有頂天なる まるで子どもだ」

  「道具より 入るは素人 分ってる 自分で食べない コンニャク作り」

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人間牧場

〇三寒四温どころではない気温上昇

P1060373 異常気象というのでしょうか、この2~3日は一年中でもっとも寒い大寒だというのに、気温がグングン上がり、夏日になったところもあるというから驚きです。冬の寒さにじっと耐えて暮らしてきた寒さの苦手な私たちにとって、気温の上昇は嬉しいことですが、まだ伊予路に春を呼ぶ椿さんも来ていないのに、この暖かさはまさに異常なようです。気温は寒くても上下しないと対策もあるのですが、天気予報では最高気温・最低気温とも前日と対比して、10度も下がると報じていることが本当であれば、気温の落差が人間や自然界に与えるストレスは相当なものだと、95歳になった親父の健康を気遣っています。

 気温が上がっているため北西の季節風が吹かず、風を当て込んで干しているヒジキの乾きが悪く、いつまで経っても片付かず、戸外に出したり入れたりを繰り返していますが、早く気温が真冬の常温に戻り風が吹いて欲しいと願っています。
 昨日畑の隅を少し耕しましたが、地中では早くも作物が春の営みを始めているようです。昨日はカルチャースクールの下見を兼ねて人間牧場へ出かけましたが、道沿いの水仙も満開ながら、早くも花の話題は閏住の菜の花に移っているようで、先日の土日には水仙と菜の花のコラボレーションを見に大勢の人が訪れたようでした。閏住の菜の花畑の直ぐ近くにある妹の店も、菜の花効果にあやかって、小さいながら冬だというのに賑わいを見せているようです。

咲き始めた閏住の菜の花
咲き始めた閏住の菜の花

 先日の愛媛新聞単眼複眼という投稿コーナーに面白いLOVEスイセンの話題が紹介されていました。話題の提供者は松山市の中川さんという人ですが、キャプションには「伊予市双海町下灘の海を見下ろすスイセン畑でたくさんの花が咲き、ほんのり甘く爽やかな香りが漂っていました。ハート形に植えられたものもあり、目を引きました。今年は開花が少し遅いようです(19日撮影)」と書かれていました。
 双海町に住みながら、わが家の人間牧場近くの畑の斜面に沢山のスイセンが咲いているものですから、今年はまだ一度も下灘のスイセン畑へ行っていないことに気がつきました。菜の花を愛でる前にもう一度名残のスイセンを見に行こうと思っています。

 

  「スイセンと 菜の花コラボ いい季節 花は心を 和ませてくれ」

  「大寒の ころというのに 夏日とは 異常気象に 翻弄されて」

  「新聞や 雑誌近頃 さりげなく 双海紹介 隔世の感」

  「春来ぬと 目にはさやかに 見えねども 地中の根っこ 確実伸びて」

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昨日の愛媛新聞4面で紹介された菜の花の話題
昨日の愛媛新聞4面で紹介された菜の花の話題
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人間牧場

〇わが孫誉めるは一の馬鹿(その2)

 冬の寒さに負けないような体を作ってやろうと、育爺の年寄りの冷や水で3ヶ月前の11月初めから、孫2人と私の3人で早朝ジョギングを始めました。退職して間もなくは早朝ジョギングをしていた私も、いつの間にかジョギングがウォーキングに替わって久しいため、最初は孫と一緒に走れるだろうか少し不安でした。孫2人も賛同し息子夫婦も同調してくれたので、とりあえず1日と始めたものの、69歳の私は4歳と6歳の孫について行くことができず、2~3日は「おじいちゃん早く早く」とせかされていました。また孫2人も時々つまずいて転げ半泣き大泣きを繰り返し、時には膝小僧に血が滲みましたが、カットバンを貼ってなだめたりすかしたりしながら、何とか続けています。

 孫は私に似て朝起きは比較的いい方で、朝起きて着替えをする時にはジョギングモードで、まだ外が薄暗い6時40分にわが書斎へやって来て、「おじいちゃんお早う、ジョギングに行こう」と誘われます。私も玄関先の下駄箱の上に置いている、毛糸の帽子と手袋を身につけて、元気良く出発するのです。コースは自宅~憩いの家~川向こう~一本橋~たけます医院~双海中学~自宅のそんなに長くはない道程ですが、心臓破りの坂とか、新幹線の坂などと勝手に名前をつけた場所を私のペース配分に合わせて走っています。
 3ヶ月が経つと孫たちは車が来る交差点では言われなくても一旦停止し、「右・左・右」と左右を確認して渡れるようになりました。

 兄の6歳になる希心は後2ヶ月で卒園し、小学校へ入学しますが、体が大きいため体力も抜群で、私が全力疾走しても絶対叶わないほどの馬力なので、毎日トップで帰ってきます。
 昨日の朝はジョギングを始めて100日となったため、息子が中学時代の駅伝やマラソン大会で区間賞を取ったり入賞した時に貰っている金メダルのお下がりを貰ったようで、首にぶら提げてご満悦のようでした。
 冬場のジョギングなので適当に汗をかきますが、昨日は大寒の時期としては珍しいほど、気温が高かったため、毛糸の帽子も手袋もはめずに走りましたが、ジョギングを始めてからこれまで、雨で走れなかった日は1度か2度程度で、まあ孫たちは100日も良く頑張ってくれました。勿論私も良く頑張りました。お陰ですこぶる元気に風邪も引かず頑張っています。おっと、早くも孫たちがジョギングの準備ができたようです。
 そうそう、私たちのジョギングに触発されたのか、保育園ではマラソンを始めたようです。先日下の道を園児が元気に走っているのを見ました。欲目でしょうが孫2人はジョギングの成果でしょうか、ダントツの速さで走っていたようなので、畑から大きな声で声援を送ってやりました。

  「3人で ジョギング始め 100日が 早くも経って それぞれ元気」

  「ひょっとして 孫のお荷物 かも知れぬ 育爺ぶって 格好はいいが」

  「百日の 達成記念 孫たちは 父親譲り メダルを貰う」

  「ジョギングの お陰か風邪を 引くことも なしに何とか 今日も元気だ」

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人間牧場

〇昨夜は一人寝伸び伸びと?

 昨日は妻が親しい友人3人と道後温泉へ一泊旅行に出かけました。一泊旅行といってもそれぞれが、仕事や家事を片付けて午後5時ころに出発し、明くる日の今日昼過ぎに帰って来るという、短かくて慌しいものなのです。妻は仕事から少し早く帰ると、手際よく親父と私の夕食を作り、普段着に少し毛が生えたような服を着て、薄化粧のまま私の自家用車に友人を乗せて出かけて行きました。鬼(妻)のいないうちに洗濯ならぬ何かをしようと思いがちですが、流石にこの歳になると妻が僅かの間いなくなるだけで、煩わしいことだらけです。

 夕食は妻が作ってくれたものを、ご飯だけはジャーからただよそうだけで、若嫁がお茶を入れてくれて食べました。食べたものを片付けるといつもは妻と孫二人の四人で入る風呂に、三人で入りました。孫もどこか勝手が違うようで、孫から「おじいちゃん、おばあちゃんがいなくて淋しいやろう!!」なんて殊勝なことを言ってくれました。風呂を上がるとすることもないので書斎に入り、11時過ぎまでパソコンを打ちました。その後テレビを12時まで見て私としてはいつもと同じように早々と床に就きました。普通横に寝ているはずの妻がいないので、布団は広々していたものの、いやはや習慣とは恐ろしいもので、どこか落ち着きませんでした。

 今朝は天気予報では雨だと聞いていましたが、そのためかストーブに備え付けられている温度計は室内で12度でとても暖かい朝です。昨晩孫たちと約束したのは雨が降っていなければ、普段より1時間遅れの7時30分にジョギングに出かけ、朝ごはんは若嫁が用意をしてくれるようで、孫と一緒の食事になりそうです。今日は大鍋に蒸してある最後のヒジキを午前中片付け、昼からは漁協女性部のシーサイド公園での節分祭の餅つきボランティアに参加する予定です。一人は自由だが妻のいない自由は何かと不自由です。妻の一時間でも早いご帰還を首を長くして待っている朝を迎えています。

  「普段だと 布団の中に 妻がいる 湯たんぽ代わり 昨夜いなくて」

  「自由だと 思ってみたが 不自由で 何かにつけて 島倉千代子」

  「おじいちゃん おばあちゃん留守 寂しかろう いきなり孫に 同情されて」

  「気がつけば 自立してない 自分いる どうしたものか 右往左往す」

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