人間牧場

〇カタクチイワシのお裾分け

 私の家は元漁師です。親父は既に漁師を辞め、跡継ぎになるはずだった長男の私も、体の都合で漁師から地方公務員に転職したため、曾祖父・祖父・父と3代に渡って続いた漁師は廃業となりました。家にはそこここにその頃の名残があって、特に別棟の倉庫を改造して造った海の資料館海舟館には、親父と私が集めた珍しい資料が展示されていて、来訪者は一応に驚きながら見学して帰ります。わが家は鯛網漁師なので、めでたい席には欠かせない当時高価だった鯛は飽きがくるほど存分に食べて育ちました。ゆえに魚でも低価なイワシやアジ・サバ等の方が好きという、何とも庶民的な人間に育っているのです。

 今日の午前中、3月8日に迫った今治市上浦町での長寿社会寿フェスティバルにおける講演の打ち合わせに、南海放送パーソナリティの小林真三さんが見えられ、シーサイド公園のイベントホールでお話をしての帰り、じゃこ天のお店に立ち寄り四方山話をしていると、共栄網から届いた取れたての寒ホータレ・カタクチイワシを一箱いただきました。この時期のカタクチイワシは頬が垂れ下がるほど美味しいことから、ホータレと呼ばれているのです。早速自宅へ持ち帰ると、若嫁の所へ本多さんの奥さんが来ていて、二人にお裾分けをしてあげました。妻は午後と夜仕事があるので、昼食後早速イワシの頭と内臓を取り除きました。イワシは足が早いので、悪くならないうちに処理するのがコツなのです。

 早速今晩はイワシの煮つけと刺身を頂く予定です。明日はこのイワシを冷蔵して天ぷらにしてもらおうと思っています。イワシの処理が終わったころ、今度は下灘の従兄弟からメバルを釣ったので取りに来るよう電話が入りました。もうそろそろメバルのシーズンですが、頂いたメバルは驚くような大きさで、刺身でも十分いけますが、イワシの刺身があるので、鱗と内蔵、それにえらを取って綺麗に水洗いし冷蔵庫に収めました。明日はメバルの煮つけが食べれると、今から楽しみです。
 田舎暮らしはこんなに美味しいものが沢山手に入り、幸せの極みです。今日は妻が3時のおやつにサツマイモを土釜でホッこら焼いてくれました。美味しかったです。

  「ホータレを 一箱貰い 調理する 今日は刺身と 明日天ぷら」

  「寒イワシ 脂が乗って 見るからに 美味そうだと 思いつ調理」

  「メバルまで 頂き贅の 極みなり 今日も明日も 幸せ実感」

  「土釜にて サツマイモ焼く 香ばしい 香り室内 漂い食欲」

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人間牧場

〇人間牧場は梅の花が満開

 「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」は、ご存知学問の神様として知られる菅原道真の有名な歌です。「春になって東風が吹いたなら、その風に託して配所の大宰府へ香りを送ってくれ。主人のこの私がいないからといって咲く香りを忘れるな」という意味ですが、今年も人間牧場の梅畑の梅が綺麗に咲きました。この梅は花を観賞するために植えたものではなく、実を食用として採集するために植えているので、これまでは殆ど花を愛でることもなく人知れず咲き、人知れず散っていました。推し量るにこれまでの私には、花を楽しむ余裕がなかっただけのことなのです。

人間牧場の梅畑
人間牧場の梅畑

 昨日私は人間牧場へ杉の木の枝打ち作業に出かけました。こちらでは東よりの風を「こち」とも言いますが、普通は「くだり」が吹くと言います。このところの気象は異変とでもいうのでしょうか、真冬のなのに西高東低ではなく北高南低の気圧配置で、等圧線が横縞型になって日本列島の南を南岸低気圧が次々と通り過ぎ、そのため東京や関東以北に思わぬ大雪を降らせているのです。このところ毎日のように天地を揺るがすような「大くだり」の風がふいています。「くだり」の風は北西の季節風より寒さが堪えるようで、菅原道真の心寂しい心境を慮るようでした。

P1060515 枝打ち作業を終えて樹間から、今まで見えなかった直ぐ下の梅畑がよく見えるようになりました。見るとまあ綺麗な梅の花が咲いているではありませんか。更に目ではなく鼻を澄ませると、何ともいえない梅の花の甘い香りが漂っていました。春来ぬと目にはさやかに見えねども、梅の木も道端の雑草もちゃんと春の季節到来を知っているのです。こんな綺麗な梅の花をひとり占めするのは勿体ない話ですが、近々今月末にやって来る北海道オホーツク寒気団の船木さん一行にも自慢して見せてあげたいと思っています。

 人間牧場の自慢の種がまた一つ増えた感じがしました。この花が3ヵ月後には青梅となるのですが、どちらかというと花より団子ならぬ花より梅の実だった了見の狭さをを少し反省をしながら、まだ蕾の梅の一枝を切り取って、自宅へ持ち帰り一輪挿しに挿して楽しみました。長い人生をあくせくと生きて来ましたが、どうやら私は日本人であることや自然豊かな田舎に住んでいること、季節を楽しむことをいつの間にか忘れていたようです。「そうだ私の目と心で生きていることを実感するような原風景を写真で再現してみよう」と思い始めました。安物のデジタルカメラゆえどこまで迫れるか分りませんが、とりあえずとっておきの100枚を目指そうと思っています。

  「梅畑 いつの間にやら 春が来て 満開花を メジロ嬉しく」

  「うわー綺麗 思わず梅の 花を見て 心で叫ぶ 心境変化」

  「この寒さ ものともせずに 種蜂は 早ブンブンと 蜜を集めに」

  「牧場の 界隈自慢 デジカメで 撮ってストック 100枚程度」

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人間牧場

〇下灘駅にやって来たフランス人記者

 数日前香川県高松市の高松駅前にある全日空ホテル総支配人の一色さんから電話が入りました。聞けばフランス人の記者が政府の招きで来日し、日本を取材旅行していて近々下灘駅を訪ねる予定なので、同行説明をして欲しいということでした。早速窓口となっている香川県丸亀の夢中人代表尾崎美恵さんから詳細なスケジュールのFAXと電話が入りましたが、地域事務所の松本さんに電話を入れ珍しい機会なのでお誘いをしました。一色さんの話によるとフランス人のクロード・ルプランさんは雑誌の編集長をしていて、フランス国立東洋言語文化研究所を卒業していて日本語が堪能だと聞いて一安心でした。

フランス人記者とともに(冨田さん撮影)
フランス人記者とともに(冨田さん撮影)

午後5時30分の約束でしたが、私はこの日人間牧場でコンニャク芋の植え付けと、杉の木の枝打ち作業に出かけていたので、少し早い5時に下灘駅に到着しました。おっつけ松本さんと地域おこし協力隊の冨田さんもやって来ました。間もなく県庁職員や通訳、それに尾崎さんとクロードさん一行も小さなマイクロバスで到着しました。流暢な日本語で聞かれるまま駅界隈のことをお話しましたが、尾崎さんからクロードさんが出版した英文の一冊の本を見せてもらいました。そこには下灘駅の写真と列車地図が英文で既に紹介され載っていました。

 どういう経緯で下灘駅を紹介したのかは定かでありませんが、若い頃この駅に列車に乗って降り立ち、感動したようでした。今回の来日の際も下灘駅を再訪するのが楽しみだったようで、既に売り切れている前回の本のようなものを近々出版する予定のようでした。
 この日はあいにく曇り空で未明には雨になる天気予報だったので、自慢の夕日は見れませんでしたが、マッチ箱のような小さな列車が駅の構内に入る姿を興味深げに、同行のもう一人の記者さんとカメラを向けて撮影していました。「記者が汽車を撮る!!」なんで面白い光景でした。
 下灘駅は何もない、ゆえにシンプルで魅力があるのかも知れません。20年前この駅に魅せられて夕やけプラットホームコンサートを多くの反対を他所にやった、あの頃が懐かしく蘇りました。

  「外国の 記者がわざわざ 駅取材 何もないから シンプルでいい」

  「有名な 外国記者と 聞いていた 色々聞かれ 色々答え」

  「異文化に 触れて心に 火が灯る 国は違うが 想いは一緒」

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〇わが家の家庭菜園でジャガイモ植え

 わが家の家庭菜園で、このところの寒波襲来で延び延びとなっていた、毎年恒例となっているジャガイモの種芋植えを行ないました。2週間前にホームセンターで男爵3kg、北あかり5kg、出島2kgの種芋を買って帰りましたが、この2週間東京に大雪を降らせた大寒波の影響で、本尊山や牛の峰山周辺は毎朝雪で真っ白になるほど冷え込み、畑にも白い霜が降りるなどしたため、躊躇をしていたのです。その間畑に生えたハコベ草などの雑草や残菜を取り除き、石灰や牛糞などを畑にばら撒き、耕運機を入れて中耕したり黒いマルチをかけて準備をしていました。

家庭菜園のジャガイモ植え終える
家庭菜園のジャガイモ植え終える

 農作業の遅れを心配する、はやる気持ちをおさえていましたが、この2日間天気が安定したようだし、土も乾いたようなので寒波の心配はあるものの、思い切って農作業をやることにしました。自分の頭の中で立てた作付け計画に沿って、男爵、北あかり、出島の順に植えましたが、昨年の秋北海道佐呂間町のパンプキン武田温友さんから、送ってもらった男爵芋の一部を食べずに段ボール箱に入れ、ローカの隅で保存していたものも植えました。ジャガイモを植えた上に保温と在りかを示す籾殻を撒き、ジャガイモ専用の肥料を周りに撒いて作付け完了です。

 今年は仕事の都合で一昨日と昨日の二日間にわたって作業を行いましたが、何とか終えることができホッとしています。去年はジャガイモが大豊作で、近所にお裾分けをして「美味しい」と喜ばれました。毎日の食卓に頻繁にジャガイモを使う妻の反応も上々で、少し得意になっていたので、今年もせめて妻の鼻を明かしてやろうと虎視眈々です。
 季節を感じるように種芋には早くも芽が動いていて、北海道の武田さんから食用に頂いた芋は、芽がまるでモヤシのように延びていました。

 天気予報によると、先週と先々週東京や関東以北に大雪を降らせている、南岸低気圧が次々と発生して、日本列島すれすれを幾つも通過していて、その影響でしょうか昨晩から雨が降っているようで、ジャガイモ作付け後のお湿りは恵みの雨と受け止めています。もう1ヶ月もすれば植えたジャガイモが芽吹き始め、芽欠きや土寄せ、施肥や除草等を繰り返して、ジャガイモに白や紫の花が咲き終わる5月末か6月始めに収穫するのです。
 今年もジャガイモが大豊作であるよう祈っています。

  「春先に 作付け予定 ジャガイモを 少し遅れて 今年も植える」

  「中腰で 植えたお陰で 少しだけ 腰が痛くて 歳を感じる」

  「種芋に 三千円も 投資する 投資効果は 食卓にあり」

  「植えた芋 雨のお湿り 頂いて 順調育て 祈るばかりに」

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〇ポン菓子作りの研修

 先日上灘漁協女性部の松本洋子部長さんからお声がかかり、「2月15日の午後シーサイド公園の加工場で、ポン菓子作りの研修をするので参加して欲しい」と言われました。土曜日は人間牧場で子ども体験塾のジャガイモ植えが予定されているので、それが終ったら参加する旨伝えていました。ところがその日は講師の先生は、東京が大雪で飛行機が飛ばなくなったため、明くる日に延期する旨の連絡が入りました。私はあいにく明くる日は、午前と午後人間牧場へ来訪者があるので、その合間を縫っての飛び飛び参加となってしまいました。

購入したポン菓子製造機
購入したポン菓子製造機

 今回漁業女性部がどこかの助成事業を受けて購入するポン菓子製造機は、結構高価で優れもののようで、色々な素材を使って一枚一枚加工できる特徴を持っているようです。指導に東京から見えられた吉村文明さんという人は、ポン菓子機販売会社の社長さんでした。ポン菓子とはお米などの素材を熱と圧縮気圧で膨らませて作るもので、今回の機械は素材を選ばず何でもありのようでした。研修には顔馴染みの20人ほどの人が集まって、熱心に受講や実演、それに試食をしていました。第一印象は中々面白い機械のようでした。

試作したポン菓子の数々
試作したポン菓子の数々

 私が熱を込めてシーサイド公園を造って以来、もう20年近くが経過しました。その間じゃこ天や夕やけソフトなど、取り組んだ特産品開発のお陰で、すっかり有名になったものもありますが、それらに続く第二・第三の特産品作りを目指してこれまでにも今も、様々な取り組みが行われています。しかし次なる物は中々生まれにくいのです。こうした特産品開発はプロセスだけでは駄目で、結果が求められるのです。結果を出すためには新しい発想とひた向きな情熱に加え、消費者が興味を示し、食べて美味しいものでないと、儲けにはつながらないのです。試行錯誤をしていますが何とか製品でなく商品にしたいものです。

  「ポン菓子を 作る機械を 購入し 特産開発 思いを込めて」

  「じゃこ天や 夕やけソフトに 続こうと みんな熱心 嬉しいことだ」

  「リーダーは 次の次なる アイディアを 持っていないと 引っ張れないと」

  「作る次 どうして売るか 商売は 山また山を 越えるが如く」

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〇雪の九重町脱出劇(その4)

 福元屋で朝食と支払いを済ませ、玄関先や谷底の様子をデジカメで撮ったりしながら待っていると、役場の佐藤さんという若い素敵な女性職員が、午前7時きっかリ宿まで迎えに来てくれました。宿の女将さんに別れを告げて雪の坂道を上がると、雪かきに余念のないご主人に出会いました。今度の雪は余り記憶にないほど近年にない大雪のようだと話をしていました。
 役場の公用車は小回りの効く軽四箱バンタイプでした。後ろの席に座り早速5時間後の11時に到着するよう時間的余裕を持って佐賀関へ向け出発しました。

大雪が積った福元屋の玄関先
大雪が積った福元屋の玄関先

 雪道に行く手を阻まれ、立ち往生した何台もの車に行く手を阻まれ、またノロノロ運転の車に行く手を阻まれ苛立ちを感じながら、運転する佐藤さんに身を委ね色々な世間話に花を咲かせながら、国道210号線を走りました。高速道路は全て雪による通行止めが続いていたので、早く走る手立てもなく、いつか来た見覚えのある風景を思い出しながら車窓を眺めていましたが、竹薮の竹は春先特有の重い雪に頭を下げ、並行して走る線路沿いに覆い被さるように垂れ下がっていました。大分市内に近づくにつれ道の雪も少なくなって車のスピードが上がり、このままだと何とか船に間に合うようだと、少し安心して午後開かれる研修会の打ち合わせを携帯で行ないました。

 ところがその後思わぬ落とし穴が待っていて、国道10号線に入ると一転、雪装備していない車で渋滞しまったく動かなくなってしまいました。佐藤さんは自分のスマートフォンを使って友人のナビを受けながら、この難局をどうしたら脱出して時間通り目的地に着けるか、気を揉みながら国道を逆走して進み、やっとの思い出佐賀関に到着しましたが、10分ばかり前に船は時既に遅しで出航した後でした。佐藤さんに「遅れてすみません」と謝られましたがとんでもない話で、佐藤さんにはどれ程の心配や苦労をかけたことでしょう。一人で来た道を引き返さなければならない佐藤さんの身を案じながら、佐賀関港でお別れしました。

雪を掻き分けて
雪を掻き分けて

 佐賀関には私の親友渡邊又計さんがいます。佐賀関のフェリー乗り場から電話をかけてましたが、運よく自宅にいたため早速出会い、渡邊さんの車で近くの道の駅へ出かけ、美味しい関アジ、関ブリの定食を食べながら積もる話をしました。渡邊さんは再雇用も終えて、今は私と同じサンデー毎日の日々を奥さんと二人で、畑仕事に精を出しているようでした。渡邊さんは趣味でカメラやパソコンをやっています。私のブログも毎日のように読んでいて、何度か私のブログ1年分をCDにダビングして送ってくれたりするほどの技術を持っているのです。積もる話は山ほどあって、あっという間に時間が過ぎ、フェリーの時間が近づいたので港まで送ってもらい分かれました。私にとっては午後の会議に間に合わなかったものの、むしろ人間性を回復するいいカルチャーショックだったようです。佐藤さん、そして渡邊さんありがとうございました。

 

  「雪深い 山坂越えて 辿り着く 港辺りは 大風吹いて」

  「船に乗る 時間に遅れ 午後会議 欠席連絡 むしろ良かった」

  「雪道を 難儀をしつつ 港まで 送ってくれた 女性見送る」

  「ハプニング 出会いのお陰 親友と 久々積もる 話ができた」

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人間牧場

〇九重町野上公民館でのまちづくり講演会(その2)

 九重町は平成の大合併をせず単独で残っている町です。そのため人口は1万人余りの熊本県と県境を接する小さな山あいの町ですが、高速道路が入っていて大分や別府は勿論のこと博多や佐賀、熊本にも近くすこぶる便利な町なのです。聞き及べば一時流行った公民館から公民館職員を引き上げる方法が取られていましたが、最近になって再び公民館職員が配置されたそうで、公民館がコミュニティセンターに衣替えする風潮に逆行する流れの中で、嬉しい朗報を聞きました。あいにく公民館職員は東京へ出張していましたが、役場職員OBがまちづくり協議会のお世話をしていて、何か始まりそうないい予感を感じました。

 この日の講演会は田舎らしく平日の夜に開かれました。しかし田舎の夜の、しかも雪が20cm以上も積もる悪天候では、危なくて来たくても来れない人が多いのです。私が控室で会長さんや事務局長さんと話をしている最中も、ひっきりなしに欠席の電話がかかって来ました。急遽会場の椅子を講義方式から座談方式に席を並べ替えたりして準備をしましたが、集まったのは20人弱でした。主催した会長さんも事務局長さんも盛んに人数の少なさに恐縮していましたが、私は10人もあれば地域づくりはできるので、気にすることなく時間通り講演を始めました。用意したマイクを使わず、意識して地声で約2時間意見交換も含めて喋り続けましたが、皆さん熱心に聞きながらメモを取る姿がとても印象的でした。

 地域づくりにとって人数は余り問題ではなく、やる気の人たちがどうアクションを起こすかが重要なのです。質問に答えて運動と活動の違い、すなわち戦略と戦術の違いについて話をしました。町を美しくするというのは戦略です。掃除をしたり看板を立てたり、花を植えるのは戦術です。地域づくりの大切さは論を待ちませんが、「なぜ、どうして」の理論体系がしっかりしていないと、地域住民を正しい方向に誘導することはできないのです。
 今田舎では高齢化と過疎化、それに少子化が同時に進行し、縮む社会へと突き進んでいます。こんな地域は諦めると完全にゴーストタウンになる危険性があります。行政は地域の自立や共同と参画の必要性を声高に言っていますが、やるのは地域住民だと、財政難や人手不足を理由に何の手立てもせず放置しています。遠のく行政サービスの中で住民は不安を隠せず、細々と生きています。行政の無策を批判しても何の解決もできません。要は私たちが田舎暮らしに自信を持って楽しみながら生きることなのです。

  「雪のため 来たくて来れない 人ありて 次から次へ 電話が入る」

  「人数は 少ないけれど やる気の人が 多く集まる」

  「熱心に メモをしながら 講演に 聞き入る姿 いやはや嬉し」

  「田舎では 色々問題 あるけれど 楽しく生きる それが第一」

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人間牧場

〇出張先の大分県九重町から無事帰って来ました

 昨日と今日の二日間は、出張先の大分県で、思わぬ大雪にたたられ、午後予定されていた私のスケジュールも船に乗り遅れたためキャンセルとなってしまいました。一度自宅に戻ってから急いで松山へ出かけて交流会に形だけ参加して顔を見せ、只今疲労困憊の面持ちで自宅へ帰って来ました。何はともあれ多くの方々のお骨折りで無事大雪の中から無事生還したため、妻も喜んで迎えてくれました。ゆえに今夜は短文のブログ文章で終わり、これから風呂に入っていつもより早目に床に就きたいと思います。旅の報告は明日にでも・・・・。お休みなさい。
 追伸
 東京へ出張中と聞き及んでいた大分の縄田さんから、心配のメールが届いていました。

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人間牧場

〇久しぶりの史談会出席

冨田さんがFace bookにアップした写真
冨田さんがFace bookにアップした写真

中々日程が合わず、二ヶ月に1回行なわれる双海史談会の定例会に出席できず、前回も叔父と叔母の法事と重なり、一旦は申し込みをしてたのにキャンセルしてしまい、心苦しく思っていますが、昨日の夜は別の呑み会の誘いを断わり出席しました。例会には寒い時期なのに、松尾の竹田さんも毎回出席していて、頭の下がる思いがしています。昨日は新会員として日本常民文化研究所特別研究員の萬井良大先生も参加していて、自己紹介がてらスピーチを聞きましたが、萬井先生が愛媛新聞カルチャースクールで開講している、「ほんとうは面白い伊予の中世」は、聞いて見たいようなお話でした。

新しく入会した萬井先生
新しく入会した萬井先生

 昨日は長年取り組んできた祠堂調査の完結に向けて、木曽会長さんのお骨折りで印刷が進んで、このほど出版ができるようだと報告を受けました。人の上に立つ人はこうでなければならないと、あらためて敬意を表した次第です。
 昨日は双海町の土地台帳に記載されている小字について、コピーして配布してもらった資料を元に、多いに話が弾みました。萬井先生や双海町の土地調査に長年携わってこられた岩岡さんや大森さんの解説も興味深い話が沢山ありました。

 私が教育長をしていた現職の頃、2年間で双海町誌の改定版を編集した時の担当が、派遣社会教育主事だった現事務局長の中尾先生でした。職責上編纂委員長を私が務めましたが、史談会の主力メンバーとして活躍した方々が、中心になって立ち上げた史談会ですが、初代会長として指導を受けた中嶋都貞さんも既に亡くなられ、少し淋しい感じもします。でも史談会は知らないことを沢山学ばせていただいているのです。知的集団だけに私などのような者は門外の気もしますが、枯れ木も山の賑わいです。これからもしっかり参加してカルチャーショックを受けたいと思っています。

  「日程が いつも重なる 史談会 呑み会誘い 断わり参加」

  「人の上 立って頑張る 会長の 真摯な姿 見習いたいと」

  「新会員 一人入って 厚み増す 中世歴史 プロの先生」

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人間牧場

〇白い割烹着の女性

 ある女性の科学者がトレードマークのような白衣を着ずに、白い割烹着を着て実験した様子が人気を呼び、最近巷では白い割烹着がえらい人気のようです。割烹着の元は日本女性の和服に合わせて作ったエプロンだそうですが、和服の上にさりげなく見につけている白い割烹着はとても清楚で、亡き母や祖母も愛用していた古い時代を知っているゆえに、どこか懐かしく郷愁を誘うのです。

 私が酒を愛していたころは、ホームグランドだった松山市内には、行きつけの居酒屋が何軒かあって、一次会が終れば親しい仲間を誘って、必ず二次会に繰り出しその居酒屋へ順番に立ち寄って、他愛のない話に花を咲かせたものです。その居酒屋に白い割烹着の似合う女将さんがいる店が3軒ありました。「美杉」「いよじ」「六五呂」というお店です。いずれも間口の狭いカウンターと、奥まった所に四畳半が一部屋あるだけの小さな居酒屋でしたが、金の持ち合わせがなくても付けで飲ませてくれる安い店でした。

 「美杉」は二番町、「六五呂」は北京町、「いよじ」は市駅前にあったため、一次会の流れで立ち寄りましたが、この三軒の店で、白い割烹着を着た女将を相手に、どれ程の夢や愚痴を語ったことでしょう、私が体の都合で酒を止めたため自然にそのお店から遠ざかりましたが、「美杉」と「いよじ」は女将さんの高齢と経営難でお店をたたみましたが、「六五呂」はまだ続けているようなので、近々に一度覘いてみようと思っています。

 先日妻が、白い割烹着をつけて料理をしていました。鼻歌交じりの楽しそうな妻の白い割烹着姿に、忘れて久しい居酒屋の女将の白い割烹着姿を、妻には失礼ながら重ねてしまいましたが、妻の割烹着姿も絵になり、少しだけ惚れ直しました。日本人の暮らしが洋風化し、和服を着る機会も白い割烹着をつけた姿を見る機会も、どんどん減って来ましたが、やはり日本の食文化や着物文化には白い割烹着がよく似合うようです。

  「居酒屋の 女将の白い 割烹着 目に焼きついて 思い出しつつ」

  「酒に酔い 夢・愚痴何度 語ったか 白い割烹着 女将相手に」

  「割烹着 妻の姿に 惚れ直す 居酒屋遠く 思い出彼方」

  「白割烹 清潔感が 漂いて 作る料理も 美味しく感じ」

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