人間牧場

〇人間牧場で良樹塾閉講式(その2)

 食事と後片付けを終えて12時30分から良樹塾の閉講式が行なわれました。この日参加した23人の塾生一人ひとりに大川相談役から終了証書が手渡されました。その後一人2分程度でこの一年間の振り返り発表が行なわれました。今回の修了生はコープに入って20年程度の中堅職員なので、今回の学習は自分を見つめ直すいいきっかけになったようで、聞いていて嬉しくなるようなやる気の発言が相次ぎました。

大川さんから修了証書授与
大川さんから修了証書授与

 私の与えられた講話の時間は約30分ほどでした。私は用意もせずインスピレーションで話すため話したことをいちいち覚えていませんが、概ね次のことを話したようです。
 ①1年にひとつ刻む木の年輪と木・林・森
 ②文化とは何か
 ③記録と記憶
 ④目指す人と目指される人
 ⑤真ん中から始まる遠心力と求心力

私の話
私の話

 ⑥自分というもう一人の自分と向かい合って生きる
 ⑦知識(読む・聞く・見る)と知恵(書く・喋る・実践する)
 ⑧人と出会うことの意味
 ⑨組合員の存在と生協理念をいつも忘れないこと
 ⑩未熟⇒半熟⇒成熟⇒完熟を目指す

 ⑪物売りと事売り(物語づくり)
 ⑫5分間の話の引き出しをどれだけ多くするか
 ⑬夕日を金にする新しい視点の発想
 ⑭自分の知らない世界がまだいっぱいある(自分を磨く砥石と自分への投資)
 ⑮夢はドリームではなくターゲット

 午後2時30分に集会を終え解散の運びとなりました。浜田さんと川口さんに手伝ってもらい後片付けや掃除をしながら3人で色々なことを話しましたが、身も心も胃袋も満ち足りて、準備をしてくれた妻への感謝の一日でした。

 

 

  「2分です 言われてみんな それぞれに 順次感想 意見を述べる」

  「30分 言われて私 それぞれに 心に残る 5分引き出し」

  「常日頃 時間と数字 追われてる この日ばかりは のんびりゆっくり」

  「少しだけ 人の心に 火を灯す 今日より明日 しっかり生きろ」

全員で記念撮影
全員で記念撮影
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人間牧場

〇気がかりな親父の体調

 この3~4日、近所の人が相次いで3人亡くなりました。近所の人ゆえ、母が亡くなった時葬儀に来てもらっているので、葬儀に参列したかったのですが、スケジュールが立て込んでいて、今日の葬儀に出席できないため、90歳を越えたおばあちゃん宅へは昨夜午後7時からの通夜式に出席させてもらいました。もう一人の80歳のおばあちゃん宅へは妻に代理を頼みましたが、この家では喪主を務めるご主人はあいにく入院中だったようで、通夜や葬儀に病院から帰ったそうですが、通夜式で再び体調が悪くなり、救急車で入院しました。ところが心労がたたったのかおばあちゃんの後を追うように病院で亡くなったそうです。したがってその家ではおばあちゃんとおじいちゃんの葬式二つを相次いで出すという悲しみに襲われました。

 昨日通夜式に出席するため喪服を着て出かけようとすると、玄関先にいた親父が、「黒い背広を着てどこへ行くのか?」と聞くので、「ちょっとそこまで」と言って家を出ました。葬式や通夜、それに法要等に出かける時は、余り親父に言わないで出かけるようにしています。言うと「わしもそろそろ迎えが来る」とか、「いよいよわしの番」などと落ち込むからです。確かに95歳まで生きて、自分より若い人がどんどん他界すると、そんな考えをするのも無理からぬことでしょうが、年末から余り体調が思わしくなかった親父が、ここに来て少し元気になったような気がしています。戸外が暖かくなったせいでしょうか、最近は外に出て庭木の剪定までしてくれるのです。「庭木の剪定をしてくれて助かるけど、じいちゃんは自分のことだけをして、余り無理をしないように」言うのですが、聞く耳を持ず今日も脚立に登って剪定をしていました。

 親父は最近便秘が酷く、一週間もお通じがない時があります。その都度下灘診療所へ電話をかけ、先生や看護師さんに往診をしてもらい、適切な診療をしてもらっています。年寄りゆえ病院へ連れて行くと、病院の待ち時間や長い診療時間で体調を崩してしまうので、往診は大助かりです。有難いことに親父は診察代もタダだし、年寄りを在宅介護する私たちにとって、診療所の先生や看護師さんはまるで神様のような存在なのです。
 気がつけば親父の介護をする私も間もなく70歳、妻も69歳でまさに老々介護といったところです。子どものころから貧乏ゆえに苦労を重ねてきた親父なので、しっかりと介護をしてやりたいと、家族で話し合っていますが、歳を重ねる毎に幼児化して行く親父の介護は、徘徊するほどの元気がない分まだ助かります。いよいよ性根を据えて介護をしなければならないようです。

  「相次いで 二人の葬儀 出す家の 心情察し 言葉も出ない」

  「喪服来て 出て行く息子 どこへ行く 声かけられて ちょっとそこまで」

  「少しだけ 体調良くなり ハサミ持ち 脚立に登る 選定するとは」

  「九十五 介護の私 六十九 老々ですねと 声を掛けられ」

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人間牧場

〇春菊の花が満開

 昨日は前日午後から降り始めたシトシト降りの雨が昼まで降り続き、いいお湿りで家庭菜園の夏野菜類も活き活きと育っています。友人の玉井恭介さんからハガキが届き、両親が住んでいた家をリフォームして転居したようです。早速電話を入れると、転居した家にの横には、松山市内ながら100坪ほどの畑があるようで、最近は老後の楽しみにしていた晴耕雨読の生活をして楽しいと話していました。

綺麗に咲いた春菊の花
綺麗に咲いた春菊の花

 その家庭菜園にツワブキと山蕗を植えたいので苗が欲しいと頼まれました。苗は人間牧場へ行けば沢山あるので、近々持って行ってあげようと思っています。
 昨日は畑に植えているキャベツの青虫取りをしました。温かくなって虫たちも生きるために必死で、キャベツは青虫の餌食になっているようでした。二宮尊徳の水車の話を反芻しながら、自然とともに自然に逆らって生きるためやむを得ぬことだと目をつぶり、沢山の青虫を手で取って処分しました。

 

95歳の親父が作った滑稽な案山子
95歳の親父が作った滑稽な案山子

畑の隅に名残の春菊がまだ残っています。春菊は野菜ですがその名の通り菊の花に似た綺麗な花が咲いていました。手持ちのデジカメで写真に撮りましたが、今年はもう少しこのまま置いていて種を取り、秋蒔き用に使おうと思っています。大根も白菜も種を取らずに処分しましたが、せめて引き抜いて乾燥させたワキギと春菊くらいは自家製苗と種として使いたいものですが、果たしてうまく行くかどうか?・・・・。

 ジャガイモの薄紫の花も咲き始め、そろそろ収穫の時期を迎えます。カボチャやズッキーニも目の覚めるような黄色い大輪の花を咲かせ、早いものは実を結んでいるようです。スイカは前日の大風に揉まれて無残な姿になりましたが、そろそろ敷き藁をして本格的な育て方をしようと思っています。ああ美しい、されどああ忙しい季節です。そうそう何を思ったのか95歳の親父が思わず吹き出しそうな滑稽な案山子を、畑の隅に作りました。

  「人知れず 菜園に咲く 野菜花 朝日を浴びて 見て欲しいねと」

  「今年こそ 菜園野菜 種を取り 全て自家製 やってみたいが」

  「春菊を 今年の冬は よく食べた 花まで愛でて これ以上なし」

  「唐突に 何を思うか 老いた父 案山子を作り 畑の隅に」 

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人間牧場

〇加齢とともに基礎代謝は減り続ける

 私たち人間は毎年ひとつずつ確実に歳を重ねます。殆どの人はそのことを嫌がっていますが、嫌がってもそのことは変わらないのです。多分それは私がよく口にする宿命なのです。生まれた場所や日付も生んでくれた母親も変えようがない宿命ですが、毎年ひとつ歳をとる宿命を運命に変えるにはどうすればいいか、これが人間が人間たるゆえんであり知恵なのです。

 若いころはお酒を飲んでも、重労働をしても体力があって回復が早かったのに、歳をとると酒の量が減ったのに体に堪えるようになり、その上強い運動や重労働をすると明くる日どころか、4~5日後まで体のあちこちが痛くて疲労が残ってしまうのです。また食べるものも若い頃のような大食いもできず、無茶をすると体のどこかにその影響がもろに出て、体調を崩してしまうのです。

 同じ物を食べても体内に分解されず残ってしまうのは基礎代謝が加齢とともにできにくくなっているからです。体に必要なものですが、取り過ぎると成人病になるといわれている、糖分、塩分、脂分、酒分、煙分はその典型で、多くの加齢人が病気と付き合っているようです。歳をとると運動不足にもなりがちです。口から入った食べ物や飲み物を基礎代謝で消費できない分は運動によって代謝しなければならないのです。

 私も嫌々ながらもう少しで70歳になります。基礎代謝の衰えを気にしながら、大切な食生活はもっぱら妻に依存して、運動を怠ることなく体力保持に努めたいと思っていますが、お金を出さずにタダでできる一日一万歩目標のウォーキングや、朝起きると畳の上でやっているエクササイズをこれからも無、理をしない範囲で少し負荷をかけて頑張ってみたいと思っています。

  「基礎代謝 加齢とともに 減って行く 補う方法 自分で努力」

  「糖・塩・脂 特に気をつけ 食べている 食べた分だけ 歩いて消費」

  「宿命を 運命変える 気構えで これから先も 生きて行きたい」

  「健康は 自分に贈る プレゼント サプリメントで できるはずない」

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人間牧場

〇母は海の中にあり

 余り日常的に使わない漢字をパソコンで文字変換する場合、音読みや訓読みなどで調べて使っているものの、未だ書けなかったり読めなかったりする知らない漢字は多く、変換に時間がかかることも多いのです。漢字の語源は中国にあるようですが、漢字を見ながら「何でこんな漢字ができたのだろう」と不思議に思うことがあります。例えば海という字を分解すると漢字の中に母という漢字が入っています。ある知識人は鯨のように哺乳類の祖先が海にあると説明していますが、「母は海の中にあり」という言葉も何となく分るような気がするのです。ところがフランスの諺には逆に、「海は母の中にある」というのがあるそうです。

 昨日散歩の途中で野イチゴを採って帰り、妻や若嫁、孫に大層喜ばれましたました。昨夕何げなくブログにイチゴのことを書いていると、イチゴという文字が勝手に文字変換して、「苺」と出ました。知っている漢字とはいえ、苺という漢字の中にも母という漢字がありました。草冠に母で苺と書いている語源は一体どういう意味があるのでしょう?。勿論毎日使っている毎という漢字にも母は使われていますが、その意味も知りたいものです。
 人間は誰しも母のお腹に宿って生まれてきます。私にも既に14年前亡くなってはいますが母親がいます。生きている時は余り思わなかったのに、亡くなると時々母が恋しくなり、時には夢を見たりします。

 昨晩母が夢に出てきました。昨日は仏壇に供えているシキビが少し古くなったため、人間牧場へ行ったついでに、剪定ばさみで切って持ち帰り、若嫁に替えてもらいました。夢に出てきたのはそのせいかも知れませんが、最近母の夢を見るようです。昨日は年老いた親父のことが気がかりのような夢でした。
 季節は移り随分温かくなったため、少し冬篭り気味だった親父も冬眠から覚めた動物のように、家の周りを動き回るようになりました。昨日は何を思ったのか、雑草をドラム缶焼却場で焼いたり、スイカやトウモロコシをハクビシンに食べられないよう案山子を作っていました。首をかしげるような仕草に苦笑しましたが、今年も暑い夏を乗り切って欲しいと、夢の中で母は私に言っていたようでした。

  「色々な 漢字を見つつ なるほどと 思うことあり 昨日は海を」

  「日本では 母海の中 フランスじゃ 海母の中だと 知識人言う」

  「亡くなった 母ちゃん また夢に 老いた親父の 心配してた」

  「採ってきた イチゴ漢字に 変換す 苺に母の 匂い感じる」

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人間牧場

〇風速25mの突風被害

 昨日の朝は南西の風が強く吹いていました。4月の下旬からわが家の庭で元気に泳いでいたイワシ幟(本当は鯉幟ですが、100円ショップダイソーで一匹100円で買った鯉幟を15匹連ねて泳がせている様子が、まるでイワシの群れのようだったので、若嫁が命名しました)をそろそろシーズンも終ったので、息子と二人で片付けました、息子が屋根に上り、私が電話線電柱に登って、滑車を取り外したり、ロープ類や鯉幟を片付けたりと、慌しい朝の時間を過ごしました。

 日課の散歩から帰って朝飯を終えたころから風を伴ったかなり強い横殴りの雨が降り始めました。前もって野菜の支柱縛り等をしていましたが畑の中では、折角順調に育っているスイカやトウモロコシが、右往左往して雨風に揉まれ、かわいそうな気もしましたが、どうすることもできませんでした。先日工事を終えた水タンクの囲いや蜜蜂の巣箱も気になったので、軽四トラックで人間牧場へ行きましたが、案の定心配した通り水タンクの屋根が吹き飛ばされて無残にも地上に落下していました。

 蜜蜂の巣箱も風で飛ばされそうになっていたので、立っていられないほどの雨の中、雨カッパを着て石を乗せたり補強のための縄を閉め直したりしましたが、風は益々強くなり、種蜂として頑張ってきた玄関先の巣箱が横倒しになってしまいました。行き場を失った蜜蜂たちは巣にしがみついていたので、急いで準備をしてトイレの前の畳一畳ほどの部屋の中にブルーシートを敷いて持ち込み、新しい巣箱を置いて巣を壊し追い込みました。この巣は既にスムシの被害に遭っているのをデジカメで確認していたので、仕方なしの荒治療でした。

 痛んでいても現役の巣なので、沢山の蜜蜂が出てきましたが、新しい巣に入ったかどうかも分らぬまま、古い巣箱と新しい巣箱を元の場所に戻し、取り出した巣を用意したナイロン袋に入れて作業を終えました。はてさて蜜蜂たちはどんな結末を迎えるのでしょうか。
 風速25mの南風は止む気配がなく夕方まで吹き続け、海も大荒れで海水を空中に舞い上げ、小さな風の渦が幾つも見えました。自然の力の凄さと、人間の無能さをあらためて知りましたが、昨日は傷心の一日となってしまいました。幸い蜜蜂に刺されることもなく人身に事故がなかったことは救いでした。今日は会議出席予定なので、帰宅後持ち帰ったミツバチの巣の片づけを行ないたいと思っています。

  「横殴り 25mの 風雨あり 畑の野菜 翻弄されて」

  「水囲い 屋根が吹っ飛び 巣箱まで 無残な姿 悲しくなりて」

  「部屋の中 右往左往の 蜜蜂を 両手ですくい 巣箱に入れる」

  「冬を越し 頑張ってきた 蜜蜂に ごくろうさんと 言いつつ作業」

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人間牧場

〇灘町一丁目の歩け歩け大会参加

 昨日は私の住んでいる灘町1丁目公民館主催の「歩け歩け大会」が行なわれました。今年はわが家へ25組の組長と公民館役目が順番で回ってきたので、息子も息子嫁も回覧を回したり、組費を集金したり何かと大忙しのようです。今年からこれらの近所付き合いは、息子たち夫婦に代替わりさせたので、私的にはご隠居さんになりましたが、それでも色々な行事への参加はしなければならないのです。昨日の大会には予め申す込んでいたので、わが家は息子家族と私を含めた5人で参加しました。

 昨日は長期天気予報だと雨でしたが、一日ずれて好天に恵まれました。10時に地域事務所前に集まった100人ほどが、町内~シーサイド公園付近の海岸国道歩道を歩き、第一の目的地である三島神社へ行きました。三島神社は200段近くの石段が続く難所ですが、子どもたちを含めた総勢100人近くの人たちが階段の数を数えたりしながら元気に登りました。三島神社でお祈りをしたり一服したあと、最終目的地は潮風ふれあい公園へ向かいました。一年生の孫希心は友だちと遊びながら歩いていましたが、4歳の孫奏心はずっと私と手をつないで歩きました。

 到着すると公園の藤棚の下にゴザやブルーシートを敷き、少し早めの昼食会が行なわれました。子どもたちには少し遅めの子どもの日のプレゼントとしてお菓子類が配られ、全員にかなり豪華なお花見弁当が配られ、思い思いの場所で楽しく会話をしながら弁当を食べました。最近は皆さん何かと忙しく、隣近所に住みながら疎遠になりがちで、約100人の参加者の中には、一年ぶりに顔を合わせたり声をかけ合う人もいて、嬉しい出会いとなりました。外は初夏真っ盛りで、海からの爽やかな風が心地よく、昼食後解散して歩いて自宅まで帰りましたが、少し汗ばむほどでした。昨日は携帯電話内蔵の万歩計が1万6千歩を記録していました。お陰様で昨晩はぐっする休むことができました。

  「一年に 一度の大会 参加する 孫の手を引き 初夏の一日」

  「元気かい? 久方ぶりに 顔合わせ 安否確認 声をかけ合う」 

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人間牧場

〇季節の贈り物

 私には全国に沢山の仲間がいます。公務員もいればお百姓さんや漁師さん、会社員等職種も様々です。また住んでいるところも違うため、その土地ならではの珍しい物が年中あちらこちらから届くのです。私も呼応してみかん類を中心に郵便局の宅配係の人が驚くほど送っていますが、物を介しての交流も楽しいものです。一昨日北海道佐呂間町に住む井田勝人さん・貴子さんご夫妻から、ホタテの稚貝が今年も送られてきました。早速塩湯でしたりバター焼きしたりして、オホーツクの海の幸を楽しませてもらいました。

水口マリ子さんから送られてきたそら豆
水口マリ子さんから送られてきたそら豆

 珍しいものが送られてくると、皆さんにお裾分けするのも楽しみの一つです。思いつくまま近所や親類に配ると、まるでわらしべ長者のようにお返しを頂きかえって恐縮してしまうのです。
 いい友人とは一体どんな人をいうのか、徒然草にそのことが書いているそうです。いい友には3つのタイプがあるそうです。①物をいただく人、②くず師(病気を治してくれる人)、③知恵のある人だそうです。そういえば②のくず師を除けば、私には①の人も③の人も指折り数え切れないほどいい友がいて、私はある意味幸せ者なのです。

 でも私はそう思ってみても、私が相手にそういう人であるかどうかは分からないのです。物を差し上げるのにお金を使うことは余り好ましいことではありません。自分の家で採れた野菜を差し上げたり、お裾分けをする程度にしないと私たちのような貧乏人は、付き合いが長続きしないのです。私にどれ程の知恵があるかも疑問です。知識と知恵は違いますから、肩肘張らず自分流に生きれば、自分の知恵は必ず相手の心の扉を開くのです。さあ相手にとっていい友人と思われるような人間になるため、もう一分張り頑張りましょうか。

  「生きたまま 宅配便で オホーツク ホタテの稚貝 届き感激」

  「美味いねえ 箸を進めつ 送り主 顔思い出し 感謝の心」

  「いい友に なるため努力 するならば 相手にとって 私必要」

  「そら豆の 皮剥く孫の いじらしさ 飛び出す豆を 面白がって」 

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人間牧場

〇フレイルって何?

 私のような古い人間は、時代の進歩が余にも早過ぎて、中々ついて行けないというのが正直なところです。色々な会合に出席すると横文字言葉が多く、分ったような顔をして座ってはいますが、帰宅するとメモを取り出して、インターネットで調べたりして、一応納得はしますがそれさえも直ぐに忘れてしまうから厄介です。
 昨日テレビを見ていると、あるお医者さんが「フレイル」という言葉を盛んに使っていました。どうやらメタボリックシンドローム(肥満型成人病)、ロコモティブシンドローム(運動機能低下、アパシーシンドローム(無気力)に次ぐ第4の健康用語のようで、意味は「老化の度合い」のようでした。

 人間は年齢を一応の目安に若いとか年寄りとかを判断しますが、最近は健康状態も年齢だけでは判断がしかねるのです。年齢が若くても成人病になるし、お年寄りでもニコニコ・ピンピンしている人はいっぱいいるのです。メタボもロコモもアパシーも最近は若い人でも病んでいて、国民全てが何らかの病気にかかっているといっても、けっして過言ではない時代なのです。
 政府は国民の健康はさて置き、本音は年々膨れ上がる医療費を何とか低く抑えようと、官民上げて健康運動に取り組んでいますが、これだけ高齢化すると高齢者の医療費がタダということもあって、「長生きをしてください」という敬老思想だけではこの財政難の、難局を乗り切ることはできないのです。

 フレイルという言葉はまだ馴染みが薄く、聞いただけでは理解されませんが、老化の度合いは体力と知力のバランスが大事ですから、高齢者自身もしっかりと受け止め、老いのスピードを緩やかにするための、体力と知力の維持訓練をしなければなりません。
 かく言う私も若い若いと思っていたのに、間もなく前期高齢者です。人は確実に毎年一つずつ歳をとるし、体力も知力も老いて行くことを覚悟しなければなりません。95歳になる親父を見て、27年後の自分の姿を連想しながら、「あんなにはなりたくない」と思いながらも、「やがてあんな姿になるのか」と自覚しながら生きています。
 「フレイル」これはこれから私の、永遠のテーマとして自覚しました。

  「テレビ見る フレイル新語 メモを取る 老化の度合い 人様々に」

  「これからの 私の人生 フレイルが 死ぬまでテーマ ため息交じり」

  「親父見て あんな姿は 嫌だけど あんな姿に なるのか俺も」

  「横文字が 理解できない 歳になる  時代遅れに なってしまった」

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人間牧場

〇やっと終った水槽設置と水槽囲い工事

囲い工事を終えた水槽
囲い工事を終えた水槽

 3年越しというのでしょうか。従兄弟からステンレス製水槽を貰ったのが3年前でした。その後どう取り付けるか思案しながら昨年末まで人間牧場屋外に放置していたタンクの土台を、同じ従兄弟にステンレスで作ってプレゼントしてもらい、土台基礎工事を大栄建設にお願いしました。春先藤岡工業に吊り込み設置と水道管接続工事をしてもらい、やっと一段落しましたが、工事をして貰った藤岡工業専務さんから、天日にさらすと水温が上がるので、日除けをした方がいいと助言を受けていました。

工事を終えた記念写真
工事を終えた記念写真

私は早速その手はずを整えて製材業を営む従兄弟に頼んで端材をいただき、準備を着々進めていました。しかし人間牧場の設計をした息子から待ったがかかり、内枠をステンレスで作ると言うのです。年金暮らしで資金力の乏しい私ゆえに反対しましたが、結局息子の力に押し切られ、息子の友人である西田鉄工所にお願いして先々週工事を終えました。
 連休中息子は休みを返上して私と5月6日に工事に取り掛かりました。日差しの強い好天に恵まれ粗方の作業を終えていましたが、天井を囲う作業だけが残っていて、昨日の作業と相成りました。

 天井に使う材木を積み込んで、保育園に孫奏心を送ってから人間牧場へ出かけ、一人黙々と作業を行いました。設計士の息子に文句を言われないようするのは容易なことではありませんが、何とか半日ほどで仕上げることができました。思ったより時間も労力も費用もかかりましたが、これで一件落着であとは屋根の部分の防水をどうするか、息子と相談して仕上げようと持っています。人間牧場はこれまで利用者が多いと再三水不足を生じて、時にはトイレや風呂が使えないハプニングに見舞われましたが、これで多分水不足は解消することでしょう。
 水は文化です。水は大事に節水して使うことは勿論ですが、水がなければ活動もできないのです。さあ水を使ってしっかりと活動をしましょう。

  「従兄弟から 貰った水槽 三年を かけて念願 やっと実りて」

  「さあこれで 水の心配 せずに済む 心配の種 また一つ消え」

  「親子にて 共同作業 水囲い これもささやか 幸せ一つ」

  「水槽の 工事を終えて デジカメで 記念写真を 自動シャッター」

目の覚めるような緑の山々
目の覚めるような緑の山々
海岸線の眺望も抜群でした
海岸線の眺望も抜群でした
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