人間牧場

〇お父さん、いつまで行くの?

 「お父さん、いつまで工業高校へ行くの?、僕が卒業してもう二十年を過ぎたというのに!!」とは、同居している長男息子の私に対する言葉でした。そう言われてみると、私が愛媛県立松山工業高等学校へ行くようになったのは、長男息子が工業高校の建築科を志望して推薦入学試験で合格してからでした。それまで子どもの学校行事やPTA活動は殆ど妻に任せていたのに、何を思ったのか長男の高校進学を機に入学式やPTA総会に出席したことが失敗(失敗といえるかどうか?)の始まりでした。いきなり総会でPTA常任理事になり、その明くる年は副会長、そして3年目にはこともあろうか会長にまでなったのです。それで終るはずでした。ところが長男に続けとばかりに次男が機械科に、三男が機械科にそれぞれ続いて入学し、PTAと消防団と暴力団といわれる足抜けのできない泥沼組織に迷い込み、何と6年間も会長を続けることになったのです。

松工の卒業式
松工の卒業式

三男卒業後も、PTAOB会であるまさご会の会長や、100周年記念事業顧問に加わり、今も学校評議員として学校関係の末席を汚しているのです。そんなこんなで松工の入学式や運動会、文化祭、卒業式などの案内が来るものですから、その都度自責の念に駆られ「もうそろそろ」と思いつつ、この歳になっても相変わらず道に迷ったふりをして、のこのこ出かけているのです。
 3月1日は県内県立高校の卒業式で、私も礼によって案内状が届きました。運よくその前日から北海道のオホーツク寒気団船木さんの率いる地域づくりの仲間たちが、人間牧場や煙会所へやって来る予定だったので、さてどうしようか迷っていたところ、「出席して欲しい」旨の電話が学校から入り、出席をすることにしたのです。

P1060622 9時30分までに学校へ来るように言われたので、皆さんと松山市駅前でお別れし、学校へ到着し校長室で馴染みの皆さんと面談し卒業式に臨みました。かつては33クラスあった学校も少子化のあおりで27クラスとなり、今年の卒業生は300人でした。奇しくも今年でその卒業生の人数が3万人を越えたそうです。卒業生が3万人も日本の各地で活躍しているとことは素晴らしいことです。実業高校らしく皆勤者も3分の1を越え、キビキビした卒業式の様子を見て頼もしく思いました。実にいいほのぼのとした卒業式でした。
 先日ご好意に甘えてお願いしていた木になるカバンの金具もできたようで、あいにくカバンを持参しなかったため、次回に持ち越してしまいました。学校に関わるよう頼まれているので、再起動してもう少しガンぼろうと思っています。

  「お父さん いつまで行くの? ハッとする 息子の言葉 胸にズキリと」

  「20年 越えて松工 関わって ある意味幸せ 少しお役に」

  「三万人 卒業生が いるという 数の多さに 驚きながら」

  「もうそろり 一線退く 潮時か 辞めるは自分 しっかり決める」   

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人間牧場

〇私設公民館煙会所での楽しかった交流(その4)

 前の晩遅かったとは言いながら、昨日の朝もいつもどおり朝4時に目がさめました。早速起きていつもどおり、エクササイズの柔軟体操を行ないました。書斎で2本のブログを書いた後、煙会所に入ってとりあえず炭火を起こしました。昨晩の火種が灰を被らせていため残っていたので、炭箱から炭を取り出して残り火の上に置いてしばらくすると、炭がパチパチと音を立てて起こり始めました。手持ち無沙汰なので毛糸の帽子を被り手袋をはめていつもどおりのジョギングコースを走りました。孫希心がインフルエンザと水疱瘡を発症しているため、この2日ほどは一人でのジョギングでした。

雪と氷に閉ざされている北海道の人を温かく迎えてくれた名残の水仙
雪と氷に閉ざされている北海道の人を温かく迎えてくれた潮風ふれあい公園の私が植えた名残の水仙

 ジョギングから帰ってみると囲炉裏の火は勢いを増していました。妻は既にご飯と味噌汁の準備をしていて、約束より少し早い午前7時10分に一行を迎えに潮風ふれあいの館へ出かけました。一行は既に起床していて、中には散歩を終えた人までいました。おっつけ浜田さんも松山から駆けつけ、3台の車に分乗してわが家へ到着です。囲炉裏を囲んで妻の作ったご飯と味噌汁、それに漬物程度の軽い朝食会をやりました。皆さん深酒をした訳でもないのでスッキリしていて、食後のコーヒーやお茶で朝のひと時を、少しだけのんびり過ごしました。

 皆さんからお土産を沢山頂いているので、妻は甘平という柑橘を、息子は手作りの蜂蜜の小瓶を用意してくれ、手荷物にならない程度のお土産を持たせました。
 私はこの日、午前9時30分から学校評議員をしている愛媛県立松山工業高等学校の卒業証書授与式に出席する予定があって、どうしても外せないため、皆さんを松山市へ送るついでの便乗となってしまいました。皆さん一行の次の目的地は徳島県勝浦町で、昼の高速バスで徳島へ向かうとのことでした。昼までは浜田さんのご案内で、松山城や道後温泉付近の散策を計画させてもらいました。私が同行できないのは少し心残りでしたが、市駅前の駐車場に車を止め、一行は坊ちゃん列車等市内電車を楽しんでもらったようでした。

 オホーツク寒気団の船木さんが中心になってやって来た9人の一行の中には、女性が5人もいて何かと賑やかでした。特に北海道から来た佐呂間と北見の二人の女性は私にとっては北海道で何度も出会った顔見知りの方なので、大いに話が弾みました。こうして全国の地域づくりの仲間と交流できることは、私にとって何よりの幸せです。「人は人によりて人となる」という通り、私は人に教えられ導かれてここまで辿り着きました。年齢ゆえもう交流や出会いの機会も今まで程多くはないと思われますが、これからもいい出会いを重ね、退化の速度を遅くするばかりでなく、少しだけ進化をしたいと思っています。

  「今回も 多くの人に 教えられ 退化と進化 速度少しだけだが」

  「火を囲み ご飯味噌汁 舌鼓 これが本当の お・も・て・な・し・です」

  「今頃は 何をしているか 旅先で 行方気になり 電話かけるも」

  「妻・息子 私の友を 大事して 甘平・蜂蜜 土産に持たせ」

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人間牧場

〇全国からやって来た地域づくりの愉快な仲間たち(その2)

翠小学校校舎前にて
翠小学校校舎前にて

今回船木さんたち地域づくりの仲間一行の目的地は、双海町とお雛様飾りですっかり有名になっている徳島県勝浦町のようです。双海町では一泊二日の予定なので、まず飛行機でやって来た一行を出迎えた後、翠小学校~人間牧場~下灘駅~閏住の菜の花畑~シーサイド公園~潮風ふれあいの館(チェックイン)~私設公民館煙会所(交流場所)~潮風ふれあいの館(宿泊地)というルートで案内をすることになりました。
 まず前もって連絡して了解を取り付けていた翠小学校を訪ねました。校長先生の案内で学校を見学させてもらいましたが、いつもの事ながらノスタルジックな雰囲気を醸す懐かしい学校に、みんな感動していました。

人間牧場ウッドデッキにて
人間牧場ウッドデッキにて

 ここで私の車に乗り換え3台で人間牧場へ向かいました。昨日の人間牧場はすっかり春の陽気で、少しもやがかかっていましたが、ストーブも焚かないのに暖かく感じました。みんな人間牧場の眺望に満足し、北見の市川さんから私の落伍のリクエストまであって、「赤字になったら黒いボールペン」という夕日徒然草の演目を即興で演じ、拍手喝采を受けました。午後4時を過ぎたので急いで人間牧場を後にして、下灘駅へ向かいました。西の空に夕日と思しき光景が触りだけ見えましたが、自慢の夕日は残念ながら見ることができませんでした。
 その後閏住の菜の花畑と妹の店くじらに立ち寄り、三歳醤油や海産珍味をお土産に買っていただきました。御礼に妹から甘平という今流行の柑橘をいただきました。

閏住菜の花畑にて
閏住菜の花畑にて

 夕暮れ迫る頃シーサイド公園に戻り、砂浜や恋人岬などをしばらく散策し、ここでも残念ながら夕日を見ることはできませんでした。店じまいして帰ろうとしていた漁協女性部の人たちとも言葉を交わし、松本洋子部長さんからお土産にじゃこ天をいただきました。このじゃこ天は今朝の朝食食卓に炭火で焼いて出そうと妻と話し合っています。
 ひとまずこのようなルートの見学を終え、浜田さんと私が宿泊先の潮風ふれあい公園までお連れしました。松本さんが既にチェックインと、明くる日の朝が早立ちなので支払いまで済ませてくれていて、いつもながらの微細な気配りは大助かりでした。
 私と浜田さんは急いでわが家まで戻り、夜の交流会場である私設公民館煙会所の囲炉裏に火を起こし始めました。予め炭をつぎ、杉板を割った焚きつけ用の薪も準備していたので、少し煙が出ましたが、予定通り囲炉裏の自在におでんがいっぱい入った大鍋を掛け、伊予がすり座布団を一畳に3枚ずつ敷き、食器を運んでお客さんを迎える準備はすっかり整いました。

  「翠小 次に人間 牧場と 自慢の施設 訪ねて歩く」

  「春が来た 様な陽気に 誘われて 双海散策 お客とともに」

  「是非やって 落伍上演 声かかる 即興得意 座布団座り」

  「まだ雪や 流氷残る 北海道 同じ日本と 見紛うほどに」 

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人間牧場

〇散髪して男前を上げました

 私は大体1ヶ月に1回の割合で近所の顔見知りの散髪屋へ出かけて、四方山話に花を咲かせながら散髪をします。これはもう若い頃からやってきたことなので、変えようもない習慣です。現職の頃は散髪をするのを月初めと決めていましたが、退職して10年近くにもなると流石にそんな流儀もこだわりもなくなり、今では妻に、「お父さんそろそろ散髪に行ったら」とか、「今度出張する前に散発に行かないと」などと諭されて、始めて自分の頭の髪の毛が伸びたことに気付く有様です。

散髪をして気恥ずかしそうな自画像
散髪をして気恥ずかしそうな自画像

「歳をとるほど清潔にしておかないと」とは妻の弁です。あれ程綺麗好きだった親父でさえ、年老いた最近は少し掃除を怠るようになり、そのことを誡めにしながら生きていますが、年金暮らしの私といえど、散髪代3400円が惜しい訳ではないのに、なぜか1ヶ月が早く感じるのもやはり歳のせいかも知れません。そんなこんなで「お父さん今日は北海道から船木さんたちが来るのだから散髪をしてね」と、北海道の来客と私の散髪とは、何の関係もないと思いつつ、昨日は雨も降っていて、孫たちを保育園へ軽四トラックで送ったついでに朝一番で散髪屋へ出かけました。

 奥さんに促されていつもの座席シートに座り、前面の大きな鏡に写った自分の顔をまざまざと見ながら少し増えた白髪や、心持ち薄くなった頭、しわの幾つかに思いをめぐらせました。散髪屋の奥さんがいつもお世辞たっぷり誉めてくれるように、歳の割には白髪も少なく、顔の艶もよく元気なように見えますが、やはり歳は争えないと納得しています。
 忙しいと思っているのか、まだ老人クラブへの入会誘いもありませんが、私の同年齢の人たちの中には、既にゲートボールに出かけお年寄り活動をしたり、老人クラブの会長さんまでしている人もいるようです。散髪が終り男前の上った自分の容姿を見て、「ようし、もうひと分張り頑張ろう」と思いを新たにしました。聞くところによると伊予市街には1200円で散髪をしてくれる安いお店もできているようですが、私は義理もあるので当分は馴染みの散髪屋で男前を上げようと思っています。帰宅後妻が「ええ男になったじゃない!!、惚れなおしてあげる!!」と歯の浮くようなお世辞で誉めてくれました。いつもながら誉めてくれるのは妻だけです。(トホホでした。)

  「一月半 伸びた頭を 気にしつつ 散髪出かけ 男前上げ」

  「何グラム 減ったか知らぬ 頭だが 随分軽く なった気がする」

  「散髪屋 鏡に写る 自分顔 歳相応に 老けてきました」

  「男前 なったじゃないと 妻誉める まんざらでもなく 少しすまして」

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人間牧場

〇自然は凄い

 あれ程寒かった今年の冬も、たった2~3日ですっかり暖かくなり、昨日は3月下旬並みの陽気だと、テレビのニュースで報じていました。私たち人間は寒ければ厚手の洋服を着るし、ストーブを焚いて暖をとりますが、それはほんの小さな身の回りのことで、外気温を下げたり上げたりする気温のコントロールはできっこないのです。そのことを思えば人間の知恵や力は大したことはなく、むしろ化学万能な世の中に見えても、自然の力の偉大さにはいつも感服し、自然に逆らうことなく自然の恵みを受け入れながら生きれるよう、宮沢賢治流「雨ニモマケズ」を実践したいと思っています。

自然が作ったカズラの芸術品
自然が作ったカズラの芸術品

一昨日人間牧場へ東京からお客さんがやって来ました。寒い時期なので早めに出かけ、ストーブに火を入れてお客さんを迎える準備をしました。予定の時間まで少し間があったので、剪定ハサミと鎌を持ち出し、人間牧場周辺のカズラ切りをやりました。カズラの芽はまだ動いていませんが、この時期に根元から切っておかないと、あっという間に木々に巻きつき、枝葉を茂らせて木々を枯らしてしまうのです。カズラの根はでんぷん質が多く葛餅の原料となりますが、大きいのは腕首ほどもあって、鋸でないと切れないようなものまであって、少し難儀をしましたが、少しの間に10本ばかり切りました。

 カズラの茎はカズラ細工にして編めば立派なインテリアにもなりますが、それ程の余裕も趣味もないため無造作に切っていると、根元にまるで人為的に綱を編んだような、カズラの自然芸術品を見つけました。孫たちに見せてやろうと思い、1mほどに切り取ってわが家へ持ち帰りましたが、さも自分が作ったような顔をして、家族みんなに見せびらかしてやりました。ツル系の植物には天気と同じように一定の法則があるようです。普通時計回りとか反時計回りと表現していますが、カズラは私たちが縄をなうのとはどうやら反対のようでした。それにしてもこれが自然の成せる技かと感心するような出来栄えでした。

 見渡せば私たちの身の回りには、人間が理解も説明もできないことがいっぱいあります。木と木が地上でくっついたり、木に宿ったヤドリ木が地上空中で平気で生きていたり、穴を開けて植えたシイタケの植菌から、美味しいシイタケができたり、まあ不思議なことだらけです。凡人の私はこれらを見て、ただただ感心するばかりで説明はできませんが、極力不自然を止めて自然に逆らわず生きていくことこそ肝要だと思った次第です。土を掘り返してみると、地上では芽の動いていない植物も土の中では、春の訪れを知っていて、早くも盛んに根を伸ばしています。ああ自然は偉いなあでした。

  「春近し 牧場周辺 カズラ切る 根元に自然 不思議を発見」

  「人間が 編んだようだと 切り取って みんなに見せる 自慢しながら」

  「土掘れば 草は早くも 新根出し 春が来たぞと 教えてくれる」

  「不自然は 自然の反対 人間は 逆らうことなく 従順生きろ」

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人間牧場

〇人間牧場へ地域おこし協力隊がやって来ました

 先日中予地方局の前神さんから、「25日に総務省の若松さんを知っている人が愛媛にやって来るので、人間牧場へお邪魔したいのですがいかが?」と連絡を受けました。この日はさしたる急ぎの用事もないので、「何をしにくるの?」とも聞かず、「いいですよ、いらっしゃい」と阿吽でOKしました。「内子から回るので若干時間が前後します」と言う言葉に、少し昔のことを思い出しました。私のやったまちづくりが少しずつ形になり始めた頃、急に視察が多くなった時期キがありましたが、それは「松山から1時間圏内の有名な内子へ来たついでに双海町へやって来る」のだと分ったのです。ゆえに私は視察の以来が電話である度に、「あなたは内子へ来たついでに双海町へ来るのですか?」と問いただして相手を困らせていました。相手は笑いながら双海町へ行くついでに内子へ行きます」と答えてくれました。

人間牧場へやって来た地域おこし協力隊
人間牧場へやって来た地域おこし協力隊

 内子が先か双海が先かはどっちでもいいことなのですが、最近は双海町を第一視察目的地に選んで来る人も随分増えてきました。今回の総務省の方は果たしてどっちだったのでしょうか?。
 前神さんと松本さん、それに市役所の担当の方が同行した一行は双海町の地域おこし協力隊の冨田さん、本多さん、伊予市、中山の地域おこし協力隊のメンバー4人でした。10分ばかり遅れて到着しましたが、主目的は地域おこし協力隊の活動状況と今後のあり方を現地で聞き取り調査することのようでした。
 私は1時間前にストーブに火を入れ部屋を暖かくして対応しましたが、地域おこし協力隊の置かれている立場も微妙で、三年間という縛りの中では中々いい方向が見出せないし、任期が終る3年後の定住や自立となると、これまた大きなテーマのようでした。

 平成の大合併で双海町という自治体がなくなって早くも10年目を迎えようとしています。合併時に描いた新しい街への期待は裏切られ、むしろ地域は縮む社会へと移行しています。10年前の活気を取り戻すことはもう不可能ですが、何とかしなければ地域は消え行く運命にあるようです。求められて最後に私の持論であるまちづくり会社の設立に向けて、少しだけお話をさせてもらいましたが、行政の方向が見えてこないジレンマも感じながら、このまま右肩が下がって行くような一抹の寂しさを拭うことはできないのです。
 よそ者といわれる地域おこし協力隊の人は存分な働きをして、私たち土着の馬鹿者にいい刺激を与えてくれています。もう間もなく任務が終る冨田さんの、来年からの身の振り方も気になるところです。

  「開いてるかい? 開いてますよと 返事して 迎える準備 ストーブ火を入れ」

  「何をしに 来るか分らず まあいいか 来てみて分る お粗末私」

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人間牧場

〇子ども体験塾で桜のカズラ切りをしました(その2)

 先週の土曜日に行なった子ども体験塾は、午前中のお魚調理実習と試食に続いて、海岸国道378号沿線に植えられている、桜の木のカズラ切りに挑戦しました。保健センターで合流した父兄の方も参加して、灘町商店街からシーサイド公園横を、亀の森まで一列になって歩道を歩き、20分ほどで現場に到着しました。早速鎌やハサミを持って、桜に巻きついたカズラを切り始めました。道具が悪いのと腕が未熟なため、子どもたちはかなり難儀をしていましたが、それでもバイパス工事で使われなくなった旧道に、蔓延っているカズラを一生懸命切ってくれました。

桜のカズラ切り
桜のカズラ切り

 私たち大人は木に登ったり、カズラを力を入れて引き抜いたりしましたが、この日は少し肌寒かったものの天気もよく無風だったので、作業は大いにはかどり、1時間ほどの作業で10本ばかりの桜や杏に巻きついたカズラを取り除くことができました。私たちの町の海岸線には、もう20年にわたって桜を植え続けていますが、国道の草刈りは土木事務所が業者に委託して、年に一度するものの、桜の手入れは誰もする人がいないのです。心を痛める人もまばらで、ましてや手を入れる人など殆どいないのです。

亀の森の道祖神にて
亀の森の道祖神にて

 私は自分の軽四トラックに鎌と剪定ハサミを常時積んでいて、気がついたり暇があればカズラを切っていますが、一人の力では追いつかないというのが正直なところです。もう間もなく桜前線が日本に上陸します。桜の花を愛でる人は多いのに、桜を育てようとする人は中々見つからないのです。こうして一本でも二本でも誰かが桜に心を動かし、手足を動かすことが肝心だと、昨年から子ども体験塾でカズラ切りを始めていますが、子どもたちの心に桜を愛して欲しいというメッセージは届いたのでしょうか。
 仕事が終って亀の森の道祖神の前にみんなを集合させ、みんなで作業が安全に終ったことを手を合わせてお祈りしました。これも小さな親切です。

 

  「ハサミ持ち 桜巻きつく カズラ切る 子どもの力 大勢ゆえに」

  「来月は 桜前線 上陸す カズラを切った 桜も咲くぞ」

  「植える人 いるが育てる 人もなく カズラに巻かれ 苦しそうです」

  「俺植えた 自慢する人 多いのに 育てた自慢 するは少なし」

体験塾桜3

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人間牧場

〇高知県中土佐町生涯学習フォーラム(その2)

img611 昨日招かれた高知県中土佐町生涯学習フォーラムの、私の出番は10時から11時まで、1時間の基調提案と、11時から12時30分までの1時間30分のパネルディスカッション司会でした。私はこれまでこの程度の役割は何度もこなしているので、どおってことはないのですが、特にパネルディスカッションに、インタビューダイアローグ手法を取り入れて欲しいという、主催者からのたっての要望もあったので、フアシリテーターとしての進め方を、あらかじめ事前にメールで企画書という形で事務局へ送っていました。事務局の市川さんが、その企画書を基に微細な進行コンテを作成してくれていたので大助かりでした。

 基調提案は開会式の町長さんのあいさつで少し押し気味に始まりました。私は今回のテーマが「であう、つながる、広がる個(ひと)から地域(まち)へ」なので、ふるさと教育の必要性と一人の人間としてのライフステージについて話しました。
 1、ふるさとって何だろう(ふるさとが語れなかimg612った三つの過去)
   ・ふるさとは遠きにありて思うもの(室生犀星のふるさと)
  ・この町に住んでいるからこの町のことは何でも知っていると思っているよがり
  ・ふるさとのためにこれまで何をしてきたか
  ・ふるさとは一体誰が守るのか
  ・ふるさとの未来はどうあればいいのか、ふるさとのために何をなすべきか
 2、人間は四つの願望を持って生きている
  ・幸せになりたい
  ・お金持ちになりたい
  ・健康で長生きがしたい
  ・望みを叶えたい
 3、個(ひと)とは
  ・長くもあり短くもある人生をいかに生きるか
  ・思うようにならないけれど思うように生きれる人生
  ・人は学ぶことによって進化する
 4、地域(まち)とは
  ・地域の財産
   人・モノ・風景・人情・建物・自然・景観・子ども・年寄り・技・情報・動植物

 ディスカッションはフアシリテーターとして、インタビューダイアローグという手法を採用したため、5人のパネラーの意見を残文に引き出すことができました。5人5様それぞれインタビューに的確に答えてくれました。

  「仕事終え ホッと一息 同じ道 一人ほのぼの 家路を急ぐ」

  「いただいた 土産のイチゴ 食卓に 孫や皆に お裾分けする」

  「今回も 人の出会いを 重ねつつ 少しだけだが 進化の後が」

  「どの町も 合併十年 はや経つが 強調された メリット未だ」

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人減牧場

〇春を探しに高知県へ(その2)

今日は一日高知県へ出かけます。予定では少し遅くなります。春の話題を楽しみにしておいて下さい。これから準備をして行ってきます。(只今朝4時です)

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人間牧場

〇人間牧場も春間近かです

 このところ朝の気温は氷点下0度程度、日中の気温も10度以下の寒い日が連日続いて、寒さに弱いお年寄りは外に出ることも出来ず、亀が首を縮めるようにひっそりと暮らしています。それでも季節は動きつつあり、人間牧場の梅の花は満開、スモモの木の花芽も、千本桜の森づくり事業の標準木として植えている枝垂桜の花芽も日増しに少しずつ膨らんでいます。
 昨日ふと気がつくと、水平線の家の玄関先に置いている蜜蜂の巣箱の入口付近で、早くも蜜蜂が飛び交い始めていました。この巣箱は人間牧場唯一の越冬した種蜂なので、すっかり嬉しくなり刺激をしないようにそっと巣箱の底の掃除をしてやりました。

新芽を出した川津桜
新芽を出した川津桜

 よく見ると人間牧場のあちらこちらに自生しているツワブキの株間には綿帽子を被った新芽が出てきました。そういえば道の駅の野菜直売所には早くもツワブキが並び始めたようですが、私はもう少し太ってから収穫しようと思っています。
 ツワブキの近くで百合の鮮やかな黄緑色の新芽を見つけました。まさに春の息吹といった感じです。昔は祖母がこの百合根を堀り上げて臼で突いて潰し、片栗粉にして砂糖を加え熱湯で練って、風邪を引いた時等食べさせてくれましたが、今はそんなことをする人もいないようです。
 つい最近は何でも早いことが求められるような早生時代です。特に極早生は重宝され高値で取引されますが、例えば野菜を早く出荷するには自然に逆らって不自然な気候を作らねばなりません。そのために莫大なお金を掛けて施設を作り、燃料で温度を上げなければなりません。いわば極早生は不自然が作るものなので、リスクも高いのです。

 「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」、これはすっかり有名になった交通標語ですが、まさに言い得ているようです。テレビでは早くも早咲きの桜の話題が出始めました。桜は流石に加温はありませんが、寒河江ではサクランボまで加温をして1個千円以上もする高級品を作るのだそうで、いやはや驚きです。
 人間牧場に昨年植えた早生系の川津桜が早くも新芽を出していました。まだ植えて間がないので花はつけていませんが、来年は早春のこの時期に花を咲かせてくれるでしょう。いつの間にか人減牧場界隈では耳を澄ませると、遠く近くでウグイスがまだ下手糞な初鳴きを披露し始めました。もう直ぐ春~ですね。ちょっと気取ってみませんか。

  「春ですね 寒い中にも そこここに 息吹感じる 生きてる証拠」

  「よく見ると 川津桜の 新芽出て 春が近いと つぶやくように」

  「早咲きも 遅咲きもまた 意味がある 自然一番 不自然二番」

  「メバル釣れ 貰った釣果 見ていると 海の中にも 春が来たよう」 

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