人間牧場

〇二人のワカモノが私設公民館煙会所にやって来る

 いつも何かと双海町のまちづくりを共有している前田眞さんから先日、「若者の相談に乗って欲しい」と依頼があり、6月4日の夜2人のワカモノがわが家へやって来ました。この日はあいにく双海史談会の定例会とダブってしまい、止む無く事務局の中尾先生に欠席電話をして、二人の来宅を待ちました。今はカーナビがあるので、まったく知らないわが家へも粗方来ることができるのですから、便利な世の中になったものです。それでも双海中学付近で進入口が分らず傘を差して迎えに出ました。

煙会所にて
煙会所にて

 八幡浜元気プロジェクトの浜田さんは、一度お目にかかったような気がするのですが、同行の岩本さんはgacebookの友だちながら会うのは初めてで、松山大学の学生でした。わが家のゲストハウスに案内して火のない囲炉裏を囲んで、妻が入れてくれたお茶を飲みながら小1時間余りお話をしました。説明によると8月16日と17日の両日、国立大洲青少年交流の家で、Knockn Rollえひめというイベントをやるそうです。私の役割依頼は17日の午前中「活動実践者プレゼン」をして欲しいとのことでした。直感的に16日・17日はお盆だし、しかもワカモノを200人も集めることができるのかという疑問でした。

 それでも二人が持参のパワーポイントを私に見せながら、理想を語る姿を頼もしく思いながら、彼なのパワーに圧倒されて、後先も考えず出演を承諾してしまいました。この手の集会には私もこれまで何度か関わりましたが、理想と現実のギャップに遭ってあえなくギブアップしているので、心では期待をしながら余り期待をしないふりをしてお手伝いしようと思っています。
 早速彼らのfacebookに、私設公民館煙会所での座談の様子がその日のうちに写真アップされ、ホットなコメントが流れていました。私と彼らにはいかんともし難い年齢差があります。でも古希を迎えた私には心の若さがあるので、多分大丈夫だと安堵しながらその日が来るのを楽しみにしています。愛媛県青年団連合会が去年消滅して意気消沈していただけに、久々の朗報でした。

  「ワカモノが わが家を訪ね 色々と 夢を語りつ 楽しひととき」  

  「ワカモノは いつの時代も 夢語る 羨ましいと 耳を澄まして」

  「現実と 夢のギャップに 悩まされ 多分挫折を 味わうけれど」

  「よし乗った 見境もなく 承諾し 2ヵ月後には 再開楽し」

 

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人間牧場

〇送られてきたTシャツ

 今年のゴールデンウィークに、ふたみシーサイド公園の砂浜で開催されたTシャツ展に、私も協力のつもりで一枚出展しました。出展料は一枚四千円と少し割高感があるようでしたが、Tシャツにデザイン絵や文字を刷り込んだり、出来たTシャツを砂浜に展示したり、展示会終了後Tシャツを送ったりする作業等を考えれば相応な費用だと、送り返されたTシャツを見て納得するのですが、来年も続けるのであれば少し工夫が必要なのかも知れません。

和紙袋で綺麗にラッピングして送られてきたTシャツ
和紙袋で綺麗にラッピングして送られてきたTシャツ

 私は自分の名刺を丸ごとTシャツに刷り込むことを思いつき、参加費ともに名刺を持参してお願いしました。私の名刺は山口県在住の「わたなべえつこ」さんが書いてくれた似顔絵入りですから、名刺をプリントしたTシャツを着ると、居ながらにして文字通り名刺が、動く広告塔となる算段です。送り返されてきたTシャツは綺麗な和紙の袋に入れられて、丁寧にもミシン縫いでお洒落な包装でした。地域おこし協力隊の冨田さんが家までわざわざ届けてくれたようで、受け取った私も大満足でした。

胸に名刺をプリントしたTシャツ
胸に名刺をプリントしたTシャツ

 開けてTシャツを取り出すと、両半袖の肩の部分は物干し紐に吊るして、砂浜の風に当てた痕跡でしょうが、少し汚れのように残っていました。これも少し工夫が必要かも知れませんが、まあTシャツなので洗濯して清潔にさえすれば余り気にならない程度の汚れのようです。
 さてこのTシャツを私は講演等に役立てようよ思っていて、昨日も男女共同参画センターとJALシティホテルでの2つの集会に持参しましたが、その時間もなく、お披露目をすることができず、次の機会を狙っています。

 裏が味噌の名刺といい、移動電光掲示板といい、私の動く広告塔としての小道具は留まるところを知りません。このTシャツも多分大受けすることでしょうが、恥も臆目も忘れこの歳になっても、自分のふるさと双海町の知名度を上げるために、いささかなりの手助けをしています。効果はてき面で、昨日も午後に講演した愛媛県農山漁村女性起業家リーダー研修会での講演が終わり帰宅すると、早速それらのことについて何人かから、メールで感想が寄せられていました。さあこのTシャツをどんな方法で使い、どんな効果を生み出すか、だって4千円の投資の元を取らねばならないのですから・・・・。投資効果やいかに。

  「Tシャツ展 参加作品 ラッピング 手元に届き 少し驚く」

  「Tシャツを お披露目しよう 思ったが 時間がなくて 次の機会に」

  「私には 町を宣伝 する道具 余りに多く 持って歩けず」

  「四千円 投資したので 元を取る そんな覚悟で 使ってみたい」

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人間牧場

〇6月の五行歌

 季題や季語、それに俳句のような5・7・5などという縛りのないのも魅力である五行歌を嗜み、松山五行歌会に入会していますが、毎月1回代表の見山さんから提出の督促が来る劣等生ながら、毎月初めにその結果が送られてくるのを楽しみにしています。
 その中で私が一番気に入った今月の歌は出席歌の部三席塚田三郎さんの次の歌です。
  どこも悪くないのに
  体調不良
  「加齢ですな」
  と医者はいう
   先生、それって治ります?

 いやあこの歌は面白いです。病気でもない加齢による体力減退、直るはずもないのに、お医者さんに治りますか?と尋ねるところが山葵が効いて、私が毎日2本のブログの末尾にそれぞれ4首ずつ書いている、笑売啖呵など及びも付かない出来栄えです。ちなみに私の今月の出題歌は次の一首でした。
  教養いえいえ
   今日用です
  教育いえいえ
        今日行くです
  それだけでし・あ・わ・せ

 私の歌に次の講評が添えられていました。
 「☆パソコンを使っていると、時に予想しなかった漢字変換になります。この歌はそうではなく、作者の頭の中で生まれた同音異義語なのでしょうが、頭の体操を楽しんでおられるようで面白いですね。教養も教育も子どもたちには明日のためですが、高齢者にとっては「今日」を楽しく生きるため、そんなメッセージが伝わって来ます。」
 言い得て妙なる講評の文章に納得しました。ちなみに今月の第一席は次の二首でした。私はまだまだ。
  障子を破って        濃青の水面に
  騒いでいる         辺の桜が
  双子のやんちゃ坊主     おじぎをして
  笑っているママは      一風ごとに
     出産間近    (まあこ) 小波をたてる   (不徳竹)

  「いや実に 楽しい五行歌 今月も 結果届いて 思わずにっこり」
  「人の歌 私の知らない 世界観 なるほど納得 それじゃ私も」
  「駄作ゆえ 講評書くのに 一苦労 察して余る 言い得ていつも」
  「督促の 来る前出そう そういつも 心誓うが 加齢のせいだと」

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人間牧場

〇天に向かってブツブツ言うな

小雨に煙る今朝の本尊山
小雨に煙る今朝の本尊山

 わが家にも人間牧場にも、いつの間にか初夏がやって来ました。昨日までは比較的長い上天気が続き、日本列島では真夏を思わせるように真夏日を通り越して猛暑日が連日続き、観測史上初めてという高温記録もあちこちで観測されました。この暑さで、まだ暑さに慣れていないのでしょうか、熱中症で救急車搬送されたり亡くなったりした人も出たようです。わが家も95歳の親父を抱えているので、今年の夏は熱中症にならぬよう気をつけなければならないと、家族で話し合っています。

雨の中菜園を見回る私
雨の中菜園を見回る私

 

順調に育っている孫たちの農園
順調に育っている孫たちの農園

前日の九州地方に続き昨日は、私たちの住んでいる四国も入梅したと気象庁から発表がありました。週間天気予報を見ると、昨日辺りから雨マークのようだったので、親父は何を思ったのか、私が4日間家を空けていた間、乾いた家庭菜園に自家井戸から引き込んでいるホースで、水をやってくれていて大助かりでした。梅雨に入る前にジャガイモ掘りをしたかったのですが、とりあえず人間牧場のジャガイモ堀とサツマイモ植えは晴れ間の間隙を縫って終えることができました。

 一昨日4日間の旅の疲れも抜けきらぬまま、人間牧場の梅園で梅の実の収穫をしましたが、昨日も時折小雨の降る中その作業を続行しました。梅の木が雨に濡れると滑り易くて危ないので、午前中で収穫を中止し一旦帰宅しましたが、午後から天気が回復したので再び続行して、まだ多少残ってはいるものの今年は裏年ということもあって、とりあえずキャリーに6箱、つまり120kgの梅の実を収穫することができました。今日から暇を見つけて梅を選別し、梅干しと梅酒を漬け込む作業を開始する予定です。

 「天に向かってブツブツ言うな 雨の日には雨の日の仕事がある」、これは私の持論であり生き方です。これから雨が続くであろう約1ヵ月半は雨を肯定的にとらえ、やらなければならないことを先延ばしすることなくきちんとやりながら、暑い夏を迎えたいと思っています。
 恵みの雨で孫たちが菜園に植えたトマト、キューリ、トウモロコシも息を吹き返して元気の育っています。トマトもキューリも実がつき始め、いよいよ発収穫の時を迎えます。

  「梅の実の 取り入れやっと 終わりたる 裏年ゆえに 少し複雑」

  「入梅と 聞いて今年も 早半分 時の流れの 早さ実感」

  「雨の日も その気になれば また楽し 雨しかできぬ 仕事探して」

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人間牧場

 

梅取りのための百姓ルック
梅取りのための百姓ルック

〇梅の収穫・ジャガイモ堀り・サツマイモ植え

 5月も忙しくてあっという間に終わってしまいつくづく時の流れの早さに驚きます。昨日九州地方が入梅したと気象庁から発表がありました。そろそろ人間牧場の梅の実の収穫をしなければと、天気予報を気にしながら考えていますが、昨日は4日間続いた大分や島根への遠出も終って一段落ついたので、キャリーや収穫袋を軽四トラックに積んで梅の実の収穫に出かけました。人間牧場の梅の木は剪定をしない自然流栽培のため、木に登らなければならず、毎年の事ながらかなり難儀な農作業なのです。特に梅の木は茨のようにやたらとトゲがあって、体中傷だらけになるのです。そのため妻が用意してくれた手負いや出始めた薮蚊対策として、蚊取り線香に火をつけて腰につけ、地下足袋を履いた百姓おじさんルックで作業をするのです。

P1120137 午前9時から始めた梅取り作業で午前中3箱60キロを収穫しました。前日までの長旅の疲れを心配して、午前中で終わる予定だったためお弁当を持って行かず、妻が用意してくれたおやつ手度だったのですが、子ども体験塾畑の残ったジャガイモ掘りとサツマイモ植えを、雨が気になることから急に思いつき、公民館の赤石さんに携帯で連絡して作業をすることにしました。赤石さんはサツマイモのつると道具を持って午後1時過ぎにやって来ましたが、掘り残していた男爵とメークインはかなりの豊作で、特にメークインは1キロの種芋ながらかなりの量を収穫することができました。掘ったジャガイモは今年のキャンプでカレーの具材として使う予定です。また今年の2月に植え付けに参加してくれたお母さんたちにプレゼントしようと相談もまとまりました。

ジャガイモ掘り
ジャガイモ掘り

 ジャガイモを掘った跡地には再び耕して畝を立て、マルチを掛けてサツマイモを植えました。既に24日の作業で植えたサツマイモはその後続いた好天にもめげず、順調に活着しているようでした。二人でする作業にしてはかなりハードでタイトな仕事量でしたが、大汗をかきながら3時間ばかりで梅雨の雨前までに作業を終えホッとしています。
 赤石さんとこの6年間タッグを組み様々な作業をやって来ましたが、赤石さんは北九州育ちで農作業の経験がまったくなく、最初はどうなることかとハラハラしましたが、今では一丁前の畑仕事や作業もできるようになり、子どもたちに感動を与えるための活動や作業を黙々とやっています。赤石さんは自認する雨男なのですが、晴れ男の私の方が強運を持ってリードしているため、まあそれなりに順調にプログラムを消化しています。さあ暑い夏がやって来ました。青少年の健全育成も、人間牧場の活動もかき入れ時です。頑張ってやりましょう。

サツマイモの作付けが終った芋畑
サツマイモの作付けが終った芋畑

 

 

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人間牧場

〇出雲大社に参拝(その4)

 自宅を午前6時30分に出ていよ上灘から松山経由で観音寺まで列車に乗り、合流した高知県馬路村の木下さんの車で瀬戸大橋を渡り、米子経由で玉造温泉、出雲の畑を見学し、やっと午後4時過ぎに出雲大社の近くにある老舗旅館「すたに」へ到着しました。宿の主人の案内で「亀」という、皐月の咲き誇る庭が一望できる一人部屋に落ち着きました。木下さんと青砥さんは2階の部屋のようでしたが、島根県出身の勝手知ったる青砥さんが車を駐車場へ置いて帰ってきたので、3人で揃って出雲大社へ参拝に出かけました。ほんの数日前天皇家のご婚儀が発表された渦中だけに、どこか喜びや賑わいが感じられたのは私だけでないようでした。大きな鳥居をくぐり長くて広い松林の参道をゆっくりゆっくり拝殿前まで歩きました。

出雲大社にて
出雲大社にて

 出雲大社へはこれまでにも何度か来ていますが、伊勢神宮と同じく日本を代表する格式の高い荘厳な大社だけに、そこここに見るべき物があり、特に古事記や風土記に書かれた神話の国出雲でもあるので、心が洗われるような清々しさを覚えました。この日は土曜日の夕方ということもあって、いつになく参拝客も多いようで、そこここで神々への畏敬の念を持った祈りの仕種を見るに付け、日本人の礼儀の正しさに感心させられました。出雲大社は広大な敷地なので全てを見学することはできず、ましてや社殿内や本殿へは立ち入り禁止の聖域も沢山あるので、お参りをしたあと門前町を少し見学して、早々に旅館へ戻り、結婚披露宴の会場となる割烹看雲楼へと歩いて向かいました。

新郎新婦入場
新郎新婦入場

 看雲楼は格式の高い老舗の料亭ですが、新婦安井未紀さんの実家と聞き及んでいて、50人余りの小さな宴席ながら心のこもった料理の数々が並び圧巻でした。驚いたことに桜で有名な東温市の高岡さんご夫妻も見えられていたり、島根県庁の顔見知りの面々も沢山いて、すっかり打ち解けた披露宴となりました。ちなみに結婚式はごく内輪で出雲大社の神前で厳かに行なわれたようで、披露宴の会場でその様子もDVDで見せていただきました。
 新郎新婦が入場して最初のあいさつを新婦がしてビックリしました。また余興で高知県馬路村の木下さんがマジックを、私もサプライズ指名されて落伍の一席を披露する等、四国パワーを爆発させ花を添えました。その夜は披露宴に続き近くのスナックを借り切って、仲間たちが二次会を開きました。私たちも誘いを受けて参加しましたが、夜11時頃まで楽しいお喋りをしました。

  「日本の 代表神社 こりゃ凄い 何度行っても 度肝抜かれる」

  「賽銭を 入れて二礼し 厳かに 拍手しながら 健康感謝」

  「割烹で アットホームな 披露宴 隣の人と 差しつ差されつ」

  「新郎と 新婦を前に 落伍する サプライズ余興 指名のままに」 

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人間牧場

〇親友の結婚披露宴に出席するために(その2)

 高知県庁の青砥さんが運転し私が助手席へ、そして車の持ち主のである馬路村の木下さんを後部座席に乗せた一行は、快晴の中瀬戸大橋を順調に走りました。木下さんも青砥さんも顔見知りなので、車の中は何かと賑やかで、積もる話に花を咲かせました。見覚えのある幾つもの谷を越え山を越え、トンネルを抜けて蒜山高原サービスエリアまで行き、伯耆大山の絶景を目の前に昼食を取りました。そばの好きな私につられて、木下さんと私は蕎麦と野菜の丼セットを注文、青砥さんはおこわセットを選び、それぞれ満腹の手合いでした。

 招待されている南さんの結婚披露宴は午後5時30分受付開始、午後6時からなので3人で相談し、玉造温泉と縁結びの神様出雲大社を見学することにしました。島根県出身の青砥さんの案内で、米子経由で玉造温泉街を見学しました。天下に名だたる玉造温泉だけあって、久しぶりに訪れましたが、そぞろ歩きができるよう街の真ん中を流れる川周辺もしっかりと整備され、すっかり綺麗になっていました。また願い石などの縁結び物語づくりも抜け目なく、いい雰囲気でまちづくりが進められていました。

 またそこここに小さいモニュメントブロンズ像も配置され、それらをスマートフォンや携帯電話で自動シャッター撮影で自分や恋人とともに写せるカメラ置きも、真似したいアイディアでした。今話題の化粧品を売る店にも立ち寄り、木下さんはきめ細かな泡立ち石けんで顔を洗わせて貰い、私は野菜ソムリエに青砥さんが配合してもらったスムージーを飲ませてもらいましたが、中々の味でした。
 ただ惜しむらくは水辺に花がないことでした。私だったら水辺に映えるアジサイや花菖蒲を植えて世話をすれば、この時期多くの観光客が呼べるのにと、色々な思いついたアイディアを3人で紹介し合いました。また夏祭りイベントを20日間以上もやるのであれば、両岸にかかる沢山の橋に公募で名前を付け、順番に橋を主役会場に変えていくアイディアも面白いと思いました。

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人間牧場

〇佐賀関半島と三崎半島を結ぶ旅の果に

佐賀関のフェリー乗り場
佐賀関のフェリー乗り場

 大分県佐賀関と愛媛県三崎を結ぶ航路は、僅か70分で結ばれる短い距離です。佐賀関も三崎もアクセスが不便ですが、自家用車やバス電車を利用すればとても便利で、私はもう何度も利用しています。いつもの事ながら佐賀関の東洋一高い煙突に驚き、日本一細長い三崎半島の長さにも驚きながら渡る豊後水道は、関サバ、鼻アジで有名な海峡です。海の上を国道197号が走っているため、フェリーの名前も国道フェリーと呼ばれていて、大分側にも愛媛側にも国道197号が走っているのです。

 

会場を走る国道197号線
会場を走る国道197号線

 フェリーから見える三崎半島には風力発電の風車が無数に乱立し、原風景を損ねているような感じもしますが、福島原発の事故以来世はまさにエネルギー革命の時代なので、新エネルギーを風力に頼ることもやむを得ないのかも知れません。四国の三崎半島から九州の佐賀関半島は渡り鳥の飛行ルートで、渡り鳥の生態系に少なからず影響しているという話もあちこちで漏れ聞きますが、エネルギー政策や人間のエゴの前にかき消されているような感じがします。

 

 三崎半島はかつて陸の孤島といわれた時代がありました。その頃は不便ゆえ人も数多く住んでいました。三崎半島に頂上線が開通して便利になったのに、今では便利さが過疎に追い討ちをかけ、高齢化や少子化の影響で、地域存亡の危機に直面しています。三崎半島唯一の大企業である四国電力伊方原子力発電も今は止まったままで、脱原発のうねりも気になるところです。私の住んでいる旧双海町下灘地区は伊方原発から直線距離にして30キロ圏内ですが、市政もそのことに気付いていても気付かないふりをして、何の対策も取っていないと、地域住民は声なき小声でヒソヒソ話をしています。

 嘆かわしいこれら昨今の複雑な世情は微妙に絡み合って、将来への不安となっているようです。前夜九州九重の今永さんと田舎再興について意見を戦わせたテーマと、ダブって複雑な気持ちで旅を終えました。さあ今日はこれから親友南さんの結婚式に出席するた、め島根県出雲へと一泊二日の旅に出かけなければなりません。南さんのふるさと西ノ島も出雲地方も、九州や四国の田舎と同じような悩みを抱えた地域だけに、またまた少し気の重い旅になりそうです。

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人間牧場

〇大分県別府明礬温泉での楽しい一夜(その2)

 のんびりゆっくり明礬温泉を楽しみ、旅の汗を流して私だけが浴衣がけになり、午後6時30分から岡本屋で4人が食談会を行ないました。テーブルには沢山の料理が並び、普通だとお酒を飲みながらといったところでしょうが、私は酒を飲まないし、それぞれも車で帰らなければならないため、ノンアルコールのビールで乾杯をして始めました。宿が用意してくれたヤマモモの食前酒も、多少といえどアルコールが入っているので、私が少しいただきましたが、とても美味しい味でした。

P1000025 美味しい地獄蒸しの豊後牛や野菜蒸しも最高で、話を肴に加えて大いに話が盛り上がりました。そのうち縄田さんの親友である岡本屋の若女将さんも姿を見せ、明礬温泉の活性化についても議論をしました。どの地域も活性化は大きな課題で、情報過多の中でいかに特徴を出して生き残って行くか、知恵の出しどころといったところでした。皆さんは明くる日の仕事もあるので9時過ぎに引き上げましたが、温泉の好きな私は再び乳白色の露天風呂に入りました。東京から来たというお客さんといろいろなことについて、袖すりながらお話をしました。竹垣の向うの女湯から女性の楽しそうな声もももれ聞こえましたが、そのうち「あっ、ホタルが飛んでいる」と少しざわついていました。

P1000027 男風呂にも薄暗い明かりに照らし出された皐月の花と、優雅に飛び交う2~3匹のホタルがノスタルジックな雰囲気を醸していました。私もこれまで仕事柄全国いたるところの温泉を楽しみましたが、温泉とホタルのコラボレーションは初めてとあって、裸のまま少し興奮してしまいました。
 明礬温泉の上には九州自動車道でしょうか高速道路のとてつもなく大きな橋脚がかかっています。まるで天空に架かる夢の橋のようにも見えました。ただ一晩中ひっきりなしに行き交う車の騒音が心なしか耳について網戸で寝たこともあって中々寝付かれませんでした。

 

 

  「酒もなく アルコールゼロの ビール飲み 酔った雰囲気 だけを楽しむ」
  「地獄蒸し 豊後の牛を トマト風 タレつけ食べる 絶品でした」
  「天空に 架かった橋を 仰ぎつつ ついウトウトと 旅の疲れが」
  「温泉と ホタルのコラボ 東京の お客感激 私も勿論」

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人間牧場

〇5本指の靴下

 最近温かくなって風呂から上がって寝るまでは、居間で靴下を履かず素足で過ごせるようになりました。ローカを歩く時は妻が買ってくれたお揃いの、イグサ風夏用スリッパを使用しますが、居間は畳なので素足で歩くと心地良い畳の感触が伝わってきます。
 そういえば最近私は、出張する時以外は妻が買ってくれた5本指の靴下を履いています。血は争えないのか亡くなった私の祖母は外反母指が酷く、晩年は歩くのにも支障をきたすほどでしたが、私も左足に外反母指の症状が表れ、その症状は歳とともに酷くなってゆくようです。

妻の買ってくれたイ草スリッパと愛用の五本指靴下
妻の買ってくれたイ草スリッパと愛用の五本指靴下

 祖母のような重度の外反母指ではありませんが、靴を履くと少し違和感があり、そのため靴もできる限りつま先の広い物を選んで買うようにしています。歩くのに支障がないのでこのまま手術等せずに放置しようと思っていますが、何故か気になっています。妻はそんな私のために10年前頃から5本指の靴下を買ってくれるようになりました。私は若い頃からアウトドアー派なので、農作業や活動の折長靴や地下足袋をよく履きますが、特に靴先が二つに分かれている地下足袋には5本指の靴下は便利で重宝しています。しかし指が5本に分かれているだけに破れる度合いも多く、時々破れた穴を見落として履いていて、妻に注意されることもしばしばです。

 靴下は少々破れていても地下足袋を履けば何の支障もないので、貧乏性の私は穴が開いても捨て切れず使おうとしますが、妻は「恥ずかしいから止めて」と時々注意をするのです。妻は穴の開いた靴下を針仕事で繕うこともせず、無造作にゴミ箱へ捨てますが、昔母親が裸電球を中に入れて破れて靴下を繕っていた姿を知っているだけに「勿体ない」という気持ちが頭を持ち上げるのです。
 今や靴下は使い捨ての時代です。妻が使っている薄いシルクのストッキングだって、ちょっと電線が入ると、惜しげもなくゴミ箱行きです。物を大切にするなんて言う考えを持った昭和生まれの私は古くなったのでしょうか。

  「靴下を 毎日履いて 暮らしてる 素足の昔 どこか懐かし」

  「五本指 外反母指の 私には しっくり足に 馴染んでいます」

  「長靴や 地下足袋使う 私には 五本指ある 靴下重宝」

  「ちょっとだけ 穴が開いたら もう捨てる 昭和生まれは 勿体ないと」

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