人間牧場

〇若嫁の奮闘

 若嫁の母親が腰の大たい骨を転んで骨折し、緊急入院したため、若嫁の暮らしがにわかに忙しくなってきました。今までは週4日松山で喫茶店を営む実家へ、半日程度パートで働きに行き、週末3日は家族とともに比較的穏やかな暮らしをしていました。友人と一緒に始めていた幼児英語教室もできなくなり、毎日目の回るような忙しさのようです。
 子どもが今年から1年生になったので、まずその世話と何年かに1回回ってくる組長の仕事もあり、今回の母親の骨折入院が忙しさに追い討ちを掛けているのです。

 若嫁は入院1ヶ月、リハビリ1ヶ月の週間スケジュールを図表に書いてダイニングの壁に張り出しました。こうすれば息子や私たち夫婦も、孫たちにも一日の過ごし方が共有できるのです。喫茶店の営業は基本的に日曜日が休みだけで、昼から夜9時まで開店しているため、店員さんとスケジュールを組んで、母親のやっていた仕事を分担するのですが、その差配や日々の準備はお父さんと若嫁がしています。若嫁は自宅の食事作りや、時にはお父さんのおかず作りもしなければなりません。わが妻も95歳の親父の介護世話もあるので、孫たちの面度を全て見ることもできないのです。

 幸い自由度の比較的多い私が、児童クラブや保育園へ孫を迎えに行ったり、風呂に入れたり、寝かせたりなどの手助けを言い訳程度手伝っているのですが、私は戸惑うばかりだしスケジュールもかなり入っていて、余り役に立っていないというのが正直なところです。
 先日若嫁の母親が入院している病院へ、妻と一緒に見舞いに出かけましたが、手術も無事終わり順調に回復しているようで、今後は近くのリハビリ専門の病院へ転院して、リハビリを受けるようだと若嫁から説明を受けました。中心となっていたひとつの歯車が故障すると、全ての歯車がかみ合わなくなるものだと実感しながら、とりあえず後一ヶ月、負荷のかかり過ぎた若嫁の歯車を上手く回してやりたいと、みんなが思っている今日この頃です。

  「若嫁の 母親腰の 骨を折り 緊急入院 若嫁大変」

  「私にも 少しはできる こともある 思ってみても 役にも立たず」

  「歯車は ひとつ狂うと 皆狂う 傷んで分る 家庭歯車」

  「さあ今日も みんなで支え 合いましょう こんな時こそ 真価を発揮」

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人間牧場

〇孫たちの躾

 私の机の前に日めくりカレンダーと、月めくりカレンダーが掛けています。日めくりは毎日めくらなければ意味がないのに、面倒くさいのか時々10日間も忘れてそのままになって、慌てて10枚も破らなければならない時もあるようです。その点月めくりカレンダーは1ヶ月に1回めくって、後へ回すだけなので、忘れることもなく毎月の曜日や予定が読み取れ、重宝この上なしといった感じで使っています。月めくりカレンダーには、今月の標語の欄は墨書き文字が大書していますが、これまでの半年次のような言葉が書かれていました。

書斎の壁に掛けられた月めくりカレンダー
書斎の壁に掛けられた月めくりカレンダー

 1月 日々感謝していれば自然と心豊かに生きられる
 2月 信頼と尊敬がよりよい人間関係をつくる
 3月 勉強とは自分が成長するための土台を作ることである
 4月 今自分ができることに全力で取り組もう
 5月 知るだけでなく実行することが大切である
 6月 子どもは自由に育てる中にも厳しい躾が必要である

 もう既に今年も早半年が過ぎようとしています。私はこの月々の標語を噛みしめながら、ワンランクアップの日々を目指して暮らしていますが、今月だけは自分のことではなく子ども、とりわけ孫の躾について色々と考えさせられた一ヶ月でした。5歳と6歳の孫と同居しているため、何かにつけて子どもの躾が気になります。今月の標語のとおり子どもたちは自由に伸び伸び育ててやりたいと思う反面、靴を揃えることやあいさつをすることなど、子ども時代にしか学べないことを、毎日のように注意をして反復させているのです。お陰様で靴もきちんと揃えられ、あいさつも元気に出来るようになりました。

 子どもは時々悪いこともします。その時はおじいちゃんの頑固さを目いっぱい出し、心を鬼にしてお仕置きをしてやるのです。その場合怒ると叱るの違いを弁えながらやっていますが、お仕置きの最たるものは悪いことをしたら、煙会所の暗い部屋をお仕置き部屋として入れてやります。これまでにも何度か泣き叫ぶ孫を入れてやりましたが、余程怖かったのか悪いことの予感があれば、お仕置き部屋の話をすると、直ぐに立ち直ることができるのです。
 育爺の存在は好かれることも大事ですが、嫌われることも大事です。毎日一緒に入る風呂では、頭も体も丹念に洗ってやりますが、頭を洗う前には必ず孫たちは「お願いします」と私に洗ってくれる感謝を述べてくれるようになりました。躾とはよく考えて造られた漢字で、分解すると「身」+「美」=躾となります。いい躾のできる育爺になりたいものです。

  「半年が あっという間に 過ぎて行く 日めくりめくり 時の早さを」

  「月めくり 書いた言葉を 反芻し ワンランクアップの よすがにしつつ」

  「よくできた 漢字と感心 する躾 身を美しく これから先も」

  「ああ今日も かくてありなん 明日もまた かくてありなん 思い巡らす」

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人間牧場

〇野獣からスイカを守る網囲い作業(その2)

 昨日は松山市役所と愛媛大学の人たちが、来月5日に人間牧場で開催予定の研修会の打ち合わせにやって来るので、午前中家の東屋で蜜蜂の巣箱の重箱を作ったり、設置したり、また晩生ジャガイモを掘ったりの農作業をしましたが、汗をかいたのはスイカを網で囲う作業でした。スイカ畑の四方に鉄パイプを9本打ち込み、前もって山から切り出していた竹棒を縛りつけて行きました。昨年までは年老いた親父が何かにつけて差配し、手伝ってくれていましたが、今年からは口も手も出さなくなり、私一人の作業なので中々はかどりませんでした。

スイカの網囲いができました
スイカの網囲いができました

それでも2時間ほどでその作業を終えいよいよ網張りです。漁師さんからいただいている目の荒い流し網を倉庫から取り出し、縦網で周りを囲い、最後に上に網を被せ網でスイカ畑をスッポリ覆ってしまいました。これでハクビシンとカラスへの備えはできましたが、はてさてこれで野獣の食害からスイカを守れるかどうか、少し不安な気持ちも漂っています。様子を見に出てきた親父が、「これで大丈夫だ!!」と太鼓判を押してくれましたが、ハクビシンやカラスに聞いた訳でもないので、これからは折に触れ見回りたいと思っています。

 スイカは一昨日ハクビシンの被害に遭った3個を除けば、今のところ順調に育っています。4株植えた親株から枝分かれした新芽が四方八方にどんどん伸びて、今年の雨は適当なお湿り程度で長く続かないため、スイカの花の歩留まりもいいようで、4本の親株に既に30個近くの実がついていて、小指大のスイカの真新しい実も見られることから、多分目標どおり一株10個、合計40個は収穫できるものと思われます。既に竹棒に番号と実の留まった日付を紙片に書き入れて、30本ばかり立てています。聞くところによると大玉は35日、小玉は30日すれば食べられるとのことなので、あと10日もすれば食べられるようです。

 スイカは私の大好物です。6月22日は長男息子の誕生日だったので、妻は今年初めてスイカを買って来て家族全員で食べましたが、味は甘くて美味しかったものの、まだ少し高値感がして贅沢な感じもしました。今年は味や出来はさて置いて、自分で作ったスイカの味をしっかり堪能し、来年につなげたいと思っています。スイカを作り始めると不思議なことに、近所の人の畑が気になるものです。今まで何げなく見ていた近所の人の畑にもスイカが作られ、私と同じように被害に遭わないよう、網囲いがされているようです。私より上手だとか下手だとか思いながら散歩するのもまた楽しいものです。

  「菜園の スイカ野獣に 狙われて 早くも被害 早くも対策」

  「網囲い したがどこかで この様子 花唄交じり ハクビシン見てる」

  「目標の スイカ40個 できるかも その前提は 野獣に勝つこと」

  「後10日 すればスイカが 食べられる 今年の夏は 楽しみ増えて」

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人間牧場

〇泣きっ面に蜂

 昨日の朝、いつものように家の裏庭の蜜蜂の巣箱を見回っていると、一つだけ活発な出入りをしている巣箱の前にかなりの蜜蜂がたむろしていました。もうそろそろ掃除をしなければと思っていたころだし、ひょっとしたら巣が随分下まで成長したのかも知れないので、下へ重箱式の巣を増設しようと思い立ち、倉庫の中から製材でもらって収納している杉板を取り出し、寸法を計って切断、釘を打って急ごしらえで重箱を作りました。寸法が少しでも狂うと重箱式は重ねられず、あちこちに空間ができてしまうので、採寸には注意をして望みました。やがて出来上がって設置しようとすると、窮屈過ぎて中々入りませんでした。加えて作業をしている場所が斜面なので多少手間取ってしまいました。

蜂に刺されて腫れた顔
右目横を蜂に刺されて腫れた顔

 すると蜜蜂が騒ぎ始め、ブンブン飛んで攻撃を仕掛けtきました。こんな場合は注意をしなければさされて痛い目に遭うのです。案の定右目の横と左手の腕にチクリ二刺し刺されてしまいました。普段は頭から防虫ネットを被り、分厚いゴム手袋をして作業をするのですが、作業は直ぐ終るだろうと安易な考えで無防備作業をしたため、受難となってしまいました。私は蜂に刺されても余り痛みはないのですが、1日くらいすると腫れてくるのです。昨日は松山工業高校の評議委員会と金融後方委員会の送別会があり、腫れたらどうしようかと少し暗い気持ちになったものの、昨日は腫れも少なかったのですが、今朝になって少し腫れが大きくなり、目も少しおぼつかないようでした。

 蜂に刺された時はフキの汁がいいとか、ニンニクやヨモギがいいとか、田舎ですから色々なことを教えてもらいますが、いずれも余り効いたためしはないようです。虫刺されの薬も塗りましたが、一番よく効くのはアロエを割ってドロドロの汁を塗るのが一番いいような気がしています。
 ただでさえ男前の顔が少し悪役の顔になっています。妻は昨年ムカデに刺さアナフラキシーショックで救急車で日赤まで運ばれた経緯があるので、気が気ではないようで、すっかり心配をかけてしまいました。蜂に刺されたくらいで蜜蜂を飼うのを止める訳には行きません。6年目の今年も昨日の失態を教訓に完全防備で望みたいと、早速妻は少し薄手の合羽を用意してくれました。蜜蜂の師匠の話によると、蜜蜂は愛情のある人には刺さないそうです。多分私はまだ愛情が足らないのかも知れません。

  「泣き面に 蜂とはよくぞ 言ったもの 私度々 先礼受ける」

  「私など 蜂の世界じゃ まだ無名 一刺し二刺し お前は誰だ」

  「防虫の 網も被らず 作業する 刺されからは 泣き面に蜂」

  「愛情が あれば刺さぬと 師匠言う 修行足りなく 足元見られ」

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人間牧場

〇次男息子の慶事(その2)

 ホテルの一室にはフカフカの座布団が床の間に向かってそれぞれ4つずつ置かれ、決められた順番に座り、結納の儀式は息子の親父である私の「本日はお日柄も良く・・・・・」というあいさつで始まりました。その後目録を相手女性のお父さんに渡し、お父さんのあいさつを受けて袴料という目録を頂き、略式ながら結納の儀式を目出度く終えることができました。

緊張な面持ちの二人
緊張な面持ちの二人

 正装した次男と和服姿の相手の女性はいつになく緊張した面持ちで、結納の儀式をこなしてくれましたが、最後に息子が相手の女性の白い指に婚約指輪を入れるころにはすっかり打ち解け、満面の笑みを浮かべてとても嬉しそうでした。勿論両家の母親は若い二人よりも感動した様子で二人を見守り、お仲人さんからの祝辞にじっと聞き入っていました。そのうちお祝いの桜茶がホテルから振る舞われました。

 しばらく歓談した後、飾った結納の品々を元に戻して箱に収め、風呂敷に包んで別室の祝宴会場へ移りました。結納の祝宴は女性側の家が取り仕切るようなので、相手のお父さんがあいさつし、ご指名を受けた私が乾杯の音頭を取って祝宴が始まりました。お目出度い席なのでお目出度い食べきれないほどの料理が並べられ、和やかな祝宴は2時間ばかり続きました。二人のこれからの暮らしや11月の結婚式の段取り等、話は山ほどあって、2時間があっという間に過ぎました。

 一件落着といった感じで結納の儀式や祝宴を無事終えましたが、妻の心配は早くも三男の縁談の話に及び、帰宅の途中の車の中はその話で持ちきりでした。幾つ歳を重ねても親の悩みは尽きないようです。帰宅して少し耳の遠くなった親父に、次男の結納のことを話してやると、親父も大層喜び、「後は末っ子の結婚じゃなあ」と、自分のことも省みず心配している言葉を返してくれました。何はともあれわが家にとって、昨日は次男の慶事でとてもいい一日でした。

  「縁結ぶ 婚約指輪 白い手に 入れて桜茶 ほのかに香る」

  「結納の 祝宴和やか アルコール 抜きでもどこか 酔った感じで」

  「わがことの ように喜ぶ 親父見て 嬉しくなりて 目頭熱く」

  「半年後 結婚式が 楽しみだ それまで親父 元気でいてと」

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人間牧場

〇子ども体験塾のキャンプ

今朝の翠小学校(冨田さん配信)
今朝の翠小学校(冨田さん配信)

 天気予報では昨日と今日の土日は雨、毎度のことながら「ああやっぱり雨男を自認している赤石さんが絡んでいるので」と、少しパロディーな雑談も飛び出す中、今年も子ども体験塾のキャンプがスタートしました。今年は公民館の職員が一名減ったり、アシスト事業の発表会が重なったりしたため、赤石さんが重い荷物を背負った形で準備や運営をしてくれましたが、幸い会場となっている翠小学校の全面的協力や、実行委員会のメンバーである各学校の教頭先生、それに食事の世話をしてくれる前野さん山口さん、それに集まってくれた何人かの高校生ジュニアリーダーの皆さんの協力で、大いに盛り上がったキャンプとなりました。

スタードームキャンプ(中尾先生配信)
スタードームキャンプ(中尾先生配信)

 

子どもたちが作った段ボールの家(本多さん配信)
子どもたちが作った段ボールの家(本多さん配信)

 梅雨の真っ最中にキャンプをすることは無謀なことです。それは百も承知で、あえて雨の中のキャンプという非日常こそ感動の原点だと、学校の体育館の中にスタードームを二つ張り、段ボールアートで子どもたちが寝部屋を作りました。あえてキャンプの常識であるテントを張らず、まるで難民キャンプかホームレス村のような感じでしたが、子どもたちは大人の心配をよそに、楽しそうに夢中になっていたようでした。昨日は翠小学校のビオトープを使った環境学習も、相撲場を使った相撲大会も、雨の降るまでの束の間を使ってやることができたと、松山の集会から帰って直ぐに参加した私に、赤石さんから報告を受けました。

 昨日は楽しみにしていた望遠鏡を使った夜の星空観察は残念ながらできませんでしたが、福岡地域事務所長さんが用意してくれた様々な映像がパソコンを使って映し出され、初めて見る天体の不思議を堪能したようです。私も30分弱の時間、子どもたちを相手に即興で、レクレーションの指導をしてやりました。昨晩はかなり激しい雨が降ったようで、体育館の屋根を叩く雨音と暗闇で眠れない一夜を過ごしたことでしょうが、子ども体験塾の基本は自立する子どもを育てることなので、例え一泊二日でも親元を離れて生活させることは、大いに意味のあることなのです。わが家の一年生になった孫希心も今年初めて参加し、不安な生活をしているようでした。夜10時ごろ自宅へ帰ると、息子が「希心は元気でやってたかい?」と尋ねました。親にとっても子どものいない心配な一夜だったようです。

  「雨降りに キャンプ計画 気が知れぬ だけど子どもは 思い出一杯」

  「雨男 今回もまた 雨連れて 笑っているが 雨もまたよし」

  「段ボール 切り貼りつなぎ 家作る まるで難民 キャンプのようだ」

  「二年目の スタードームが 鎮座する 体育館で 夢見つ雑魚寝」

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人間牧場

〇今日21日はお接待の日です

 毎月やって来る21日は、わが家の40年近く続いているお接待の日です。この日は前の晩妻が用意した赤飯を朝一番に炊いてパックに詰め、親類や近所へ配るのです。21日は弘法大師空海の命日とされていて、今年は四国遍路が開かれて1200年という意義ある年のようです。
 今時何故そんなことをするのか、不思議がる人もいますが、わが家がこの地に土地を求め家を建てて住み着いたのは、今から40年前です。田圃だった場所を埋め立て造成して敷地を整え家を建てる時、入口の路傍にお地蔵さんが無造作に置かれていました。信仰心の厚い祖母や父母は見るに見かねて、進入路を整備する時道の上に小さな祠を親類の左官さんに頼んで造ってもらい、お祀りをするようになったのを機にお接待を始めたのです。

 お接待は最初母がやっていましたが、その後妻が引き継ぎ、今ではすっかりわが家の恒例行事となっていますが、縁日には親父の作った幟を立てたりしていたものの、その幟も風雨にさらされて破けてしまったため、今は3月21日の縁日だけにしています。このお地蔵さんは首から上の病気に霊験があるそうで、頭も顔も悪い私はお地蔵さんに時々手を合わせているので、顔も頭も普通の人並みをどうにか維持しているようです。(大笑い)
 さて今朝も妻はいつもより少し早起きして、2升炊きのガス釜で赤飯を炊いています。その匂いが私の書斎までかすかに匂って、縁日の朝であることを知らせてくれています。いつものことですが、毎月一回ながら38年間もよくぞ続けてくれたと感謝の気持ちでいっぱいです。

 これまで、妻は5期15年に渡って地元の民生委員をやったことがあり、その折独居老人の元へ毎月安否確認のつもりで、私が赤飯を配り続けて大変喜ばれた時期もありました。また今は一人暮らしの従兄弟の家にも持って行きます。今朝も赤飯を届けて久しぶりに近況を話し込みました。この歳になると親類の人との交流も途絶えがちになりますが、お陰様で赤飯を仲立ちに一ヶ月に1回親類との交流も生まれ、これも弘法大師様のお陰だと喜んでいます。
 これから先何時まで続くか分りませんが、せめて妻が赤飯の炊ける元気な間は続けて行こうと思っています。今日は赤飯のお礼にと色々なものを貰って帰りました。目出度し目出度しの午前中でした。

 

 

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人間牧場

〇蚊帳の外

 「蚊帳の外」という言葉があります。みんな知っているのに自分だけ知らないことや、自分だけはせだにされていることを言うのでしょうが、先週土曜日、私が塾長を務める年輪塾の学習会が大洲市を会場に行なわれました。この日は前もって私の都合が悪く出席できないことを、塾頭である清水さんにだけ告げていました。私は講演等で年中出歩いていて、講演の予定など早いところは1年前からスケジュールが入るのです。年輪塾のあるその日は例年大洲市田処のほたる祭りで、この20年ほど亀本さんや西田さんとのからみもあって、欠かさずほたる祭りには妻を伴い仲間を誘って出かけていましたが、義理もあって今回はどうしても断わり切れなかったため、止む無くの欠席と相成ったのです。

 年輪塾は清水塾頭が管理してくれている年輪塾ネットで、情報のやり取りや交流を日常的にやっています。ゆえに年輪塾への参加申し込みや資料の提供、日常の話題などはメールでやり取りをしています。それらを拝読する度に少し自責の念に駆られ、また年輪塾が終って感想が寄せられる度に少し胸が痛みました。まさに蚊帳の外の淋しさです。リーダーたるものはいかなる時も言い訳などできるはずもありませんから、今回は言い訳のメールも書かず、時の流れに身を任せて、通り過ぎるのを待っているのです。
 蚊帳の外にいて気がついたことがあります。それは年輪塾を開塾して7年目になりますが、いつの間にか年輪塾は私がいなくてもしっかりと自立した学習ができているという事実です。

 組織の最初は強烈なリーダーシップがないと成り立ちません。しかし何時までもリーダーが中心になって引っ張り過ぎると、組織疲労を起こして崩壊へと向かうのです。年輪塾は未熟期から半熟期を経て完熟期を迎えつつあることを実感しました。年輪塾は塾長の私と、塾頭の清水さん、筆頭塾生の浜田さん、大番頭の米湊さん、それに小番頭の松本さんの5人でこの7年間運営して来ましたが、私の立ち位置は徐々にお飾りのようなものになりつつあるということも事実なのです。
 さりとて蚊帳の外の人がいつも口癖のように言う、「知らなかった」「聞いていない」などの言葉を吐くつもりはなく、「口は出さない」「責任は取る」くらいな覚悟はできているつもりです。

 まちづくりに関わる活動や運動に関わり始めたのは、18歳で青年団に入ってからでした。気がつけばもう50年を越えて活動や運動をしているのです。妻から「お父さんいつまでするの?」と言われる度に「死ぬまでだ!!」とうそぶいていますが、一方では70歳の大台を間もなくを迎えるに当たって、「もうそろそろ」という迷いもちらついています。人間牧場を活動拠点として自費整備した時決意した「死ぬまで」は、決して緩いでいませんが、時には「蚊帳の外」に出て自分自身や組織を外から見つめ直すことも必要だと実感しているこの頃です。
 さあもう一分張り頑張ってみましょうか。

  「蚊帳の外 出てみて分る こともある 組織は本来 自立を目指す」

  「蚊帳の外 メール読む度 少しだけ 関われなかった 心の痛み」

  「七年で 年輪塾も 完熟し 私の存在 なくても自立」

  「蚊帳の外 時荷は出るも 意味がある 蚊に刺されたが 抗体できる」

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人間牧場

〇瀬戸内海に浮かぶ中島へ講演に出かけました

 昨日は2日間降り続いているシトシト雨の中、松山市の沖合いに浮かぶ旧中島町の中島小学校へ講演に出かけました。この小学校の新谷校長先生は、かつて合併前の中島町教育委員会で派遣社会教育主事をしていたり、県教委で社会教育の仕事をしていたこともあって、今でもとても親しくしていただいています。数日前自筆の丁寧なお便りまで頂き、その中に私の親友古野セキエさんや豊田渉さん、それに現職のころ一緒に教育長をやった金本房夫先生も「あなたの話を聞きに来るかも知れない」と書いていました。私の漫談調の話を聞かれるのはやばいと思いましたが、結局は話の中身を考える暇もなく昨日は出かけてしまいました。

立派な中島小学校
立派な中島小学校

 予め駐車場の件で豊田さんに電話して教えてもらったとおり、伊予鉄高浜駅前の船着場にある駐車場に少し早目に車を止め、雨が降って肌寒く感じるので切符を売り出す10分前まで、車の中でカーラジオを聞きながら時を過ごしました。やがて切符の発売が開始されたようなので待合所へ行くと、豊田さんが見えられました。豊田さんは私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループのメンバーで、20年間も続けた無人島キャンプの立役者であり、忘れられない古い付き合いの親友なのです。この春定年退職し、再雇用で中島BGセンターへ勤務しているようですが、この1年間電話で声は聞いていますが、出会うこともなかったので、久しぶりに再会を喜びながら約45分かかる船の中で大いに話し込みました。

 大浦の港には校長先生自らが車で出迎えに来てもらい恐縮してしまいました。校長室で四方山話をしていると、そのうち古野セキエさんや金本房夫先生も見えられ、校長先生や豊田さんも交わり楽しい話に花が咲きました。そのうち体育館へ案内され講演会が始まりました。中島小学校は旧中島東小、中島南小、天谷小が統合して開校した比較的新しい学校です。開校当時104名だった児童数も本年度は64名となり、児童の減少に歯止めがかからない苦悩を抱えていました。参観日の後の講演会でしたが、殆どの父兄が残って熱心に私の話に耳を傾けてくれました。はてさて私の「親へのメッセージ」という話は皆さんの心に響いたでしょうか。
 新谷先生の見送りを受けて高速船で帰って来ましたが、船の別れはいつものことながらどことなく淋しいものです。わずか20分ほどの船旅でしたが、同行してくれた豊田さんと島の将来のことについてもすっかり話し込んでしまいました。小雨に煙る海の向うに、青春時代仲間と夢をたぎらせた無人島由利島がかすかに見え隠れしていました。

  「懐かしき 人の顔々 うち揃い 校長室にて 四方山話」

  「500頭 イノシシ捕獲 したという 話を聞いて 島も大変」

  「耕して 天に至った みかん山 作り手もなく カズラの山に」

  「由利島だ 小雨に煙る 海の上 見つけ懐かし 青春思い出」

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人間牧場

〇えっ、首相の一句

 昨日パソコンをいじりながら遊んでいると、阿部首相の作った俳句が載っているのを見つけました。もう初夏なので少し前の春先に作ったと思われるこの一句を、あるエコノミストは「時代錯誤もはなはだしい」「庶民の暮らしを知らない殿様感覚」などと痛烈に批判していて、ずる賢いのか口には出さな私もある部分「同感、同感」と相槌を打ちました。さてあなたはどう思うでしょう。
 アベノミクスという流行語まで生まれた阿部首相主導の経済政策は、円高や景気回復で一定の効果を上げていることは、色々な経済指標を見ても明らかです。しかし私たち庶民の暮らしとなると別問題で、まさにあるエコノミストが断罪している言葉のとおりかも知れませんが、私は評論家でもないし評論家になるつもりもないのでこの辺で収めたいと思います。

 阿部首相が作った一句は「給料の 上がりし春は 八重桜」ですが、私のような年金暮らしの高齢者にとってこの春は、50円のハガキが2円値上げされたように、給料ならぬ物価値上がりの春でした。買い物の殆どを妻に頼って暮らしている私でさえ感じる物価高は家計を直撃し、景気回復などどこ吹く風といったところです。私がいつも疑問に思うのは、人口が2005年を境に増加から減少に転じ、世界一の長寿国となって高齢化率もどんどん上がっているのに、何故所得向上の成長戦略を取り続けなければならないかという点です。勿論社会は成長しなければなりませんが、このまま成長戦略をとり続けると確実に日本国家の経済は破綻してしまうのです。詳しいことは分かりませんが国債発行、つまり借金に依存してまで公共事業を何故やらなければならないのか、選挙に迎合する政治の貧困を嘆くのです。

 日本のGNPはアメリカ、中国に次いで第3位ですが、ブータン王国で有名になったGNH(国民幸福総量)というわが国の指標は、ミシガン大学の世界価値観調査では43位、イギリスのレスター大学世界幸福地図では90位という低さです。
 貧しい時代と思われていた江戸時代末期や明治初期日本を訪れた多くの外国人が、「日本人ほど幸福に見える国民はいない」と賞賛した日本人の姿など今は殆ど見られず、海外から帰国した時、東京の地下鉄の車内等で見る人々の姿は、「ともかく表情が暗く、疲れているように見え、また他者に対し無関心ないし閉じているという印象を持ってしまう」と、ある人がある雑誌に書いていた文章に納得しながら、時折出かける東京で感じつつ帰って来るのです。経済も大事だけれど心の豊かさも大事だと実感した首相の一句でした。

  「阿部首相 国の舵取り まかされて 胸張り一句 成果強調」

  「この国の GNPは 高いけど GNH 低い驚き」

  「江戸末期 明治の初期は 貧しくも 心が豊か 見習うべきだ」

  「増加から 減少転じた 人口や 高齢化する この国憂う」  

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