人間牧場

〇海水温変化の影響(その2)

 愛媛県は養殖漁業が日本一です。特にリアス式海岸を有する宇和海ではマダイやハマチ、ヒラメ、トラフグ等の養殖が盛んですが、マダイ、ヒラメ、トラフグの高温側生息限界水温は29℃付近で、現状水温に+1.3℃だと、100年後には生息不適となるようです。ブリやハマチについては長期的には生息可能水温ですが、高水温による疾病の多発が予想されるとか、カタクチイワシについても水温上昇で産卵可能時期が広がるため、抱卵による商品価値の低下も予想されるそうです。

ハリセンボン
ハリセンボン

 先日私の町の漁師さんが私の所へ、見たこともないような魚をバケツに入れて持って来ました。私が水産高校出身で魚のことにある程度詳しいことを知っているので、いつも珍しい魚が獲れると、見せに来て意見を求めるのです。その漁師さんの話によると、「60年間漁師をしているが、近頃これまでに見たこともないような魚が獲れるようになった」と言うのです。昨日水産会館で聞いた水産研究センター栽培資源研究所主任研究員西川さんの話はそれを裏づけするような話でした。

 最近熱帯・亜熱帯性のナルトビエイが海水温の上昇により関東以南の内海域に大量来遊し、アサリやタイラギ、バカガイなの二枚貝が大量食害に遭ったり、亜熱帯性であるハリセンボンやエチゼンクラゲも来遊し、漁業の妨げとなっているようです。事実私たちの町の海岸にも子どものころには見ることがなかったハリセンボンが大量に発生し、亜熱帯性のため越冬できなかったハリセンボンの死骸が砂浜に打ち上げられているのを見かけるのです。また暖海性のアイゴが瀬戸内海でも確認されるようになり、三崎半島では藻場がなくなる磯焼け現象の原因が、アイゴの食害によるものだとも指摘されています。

 宇和海の赤潮は今はもう慢性的になり、養殖漁民の悩みの種になっています。冬季水温の上昇で低水温期に死滅していた赤潮の原因であるカレニア・ミキモトイ赤潮細胞が越冬可能になったことも、ゆるがせない事実のようです。
 人知れずいつの間にか海の中で起きている海水温度の変化や悲鳴は、多発する自然災害にも大きな影響を及ぼしているようです。私たち人間一人ひとりもこうした自然の発する警鐘に耳を傾け、便利さや成長を少しだけ抑制し、我慢して生きて行かねばならないようです。

  「見たことも ないような魚 獲れだした 漁師の危惧は 何を意味する」

  「ハリセンボン 子どものころは 見なかった 今は砂浜 ゴロゴロ死骸」

  「赤潮が 漁民育てる 養殖魚 斃死をさせて 難儀な話」

  「多発する 自然災害 原因は 地球温暖 人間仕業」

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人間牧場

〇講演冥利に尽きました

 「若松さんお久しぶりです。私は元役場の・・・・。」「ついてはわが町の高齢者の前でお話をしてくれませんか。」「とにかく楽しいお話をしてください。」と一本の電話がかかってきました。「元役場」という記憶の糸をたぐり、名前と顔が一致して思い出せないまま、「あなたの予定に合わせるので」と言われては断わることもできず、予定表を見て「7月16日の午前中なら・・・」と即決しました。「演題はどうしましょうか?」「そちらのご意向はどんな話を望まれますか?」「はい地域やみんなが元気になるような、とにかく楽しいお話をしてください」「分りました、じゃあご希望通り『地域を元気に』くらいで如何でしょう」「決めてから言うのもおこがましいのですが、貧乏所帯ゆえ講演料はそんなにありませんので・・・」「はいはい結構です」とまあ、いつものような会話で商談(講演依頼)が成立しました。

会場は満席でした
会場は殆ど満席でした

 「会場は来見集会所です。10時からなので少し前にお越し下さい」とは言われていたものの、カーナビにも載っていない小さな集会所へ、どうすればたどり着くのか、講演依頼文書も来ない小さな集会なので少し心配しましたが、何とかなるだろうと鷹を食って、とにかく日時だけは間違わないようにとスケジュール表に書き込みました。こんないい加減な口約束で講演に出かける私も、相当いい加減な人間なのです。幸い近所に住む友人西川さんから電話が入り、案内してもらい事なきを得て、20分前に会場へ到着しました。立派な集会所のホールは集まった人で既に満席で、隣の控え室に案内され、元役場と電話をかけてくれた方や市会議員、そして懐かしい佐伯さんも駆けつけてくれ、楽しい会話となりました。

 「1時間半ほどでお願いします」と促されて会場へ入り、マイク片手に90分お話をさせてもらいましたが、まあ会場は私の話で大爆笑となりました。講演の途中会場の真ん中で携帯電話の着メロが突然鳴り出して、講演を中断するハプニングにも見舞われましたが、これが田舎の良いところです。質問タイムも結構盛り上がり、ハーモニカの演奏サービスまでしてしまいました。帰りに親友の佐伯さんから段ボールいっぱいのトウモロコシとキューリをお土産にいただき、会場を後にする時、「必ずまた来てください」とみんなで大きな拍手で送ってくれました。いやあ講演冥利に尽きるとはこのことでした。
 昨日親友の佐伯さんに、「若松さん、あんたは笑顔のセールスマンじゃなあ」と言われました。言われてみればそうかも知れません。他の人のように難しい話を難しく語れず、分かりやすい話を分かりやすくしか語れない浅学菲才な人間ですが、これからも求められれば「笑顔のセールスマン」をやろうと思っています。

  「電話だけ 派遣申請 などもなく 迎える方も 行く方さえも」

  「講演の 途中いきなり 会場で 着メロ鳴って 話を中断」

  「大爆笑 あなた笑顔の セールスマン うまい表現 これからそれに!!」

  「また来てね 大きな拍手 送られて ほのぼの帰る 朝来た道を」

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人間牧場

〇年老いた親父こもごも

 昨日は雨が降ったりやんだりの天気でした。梅雨の末期なので天気がぐずつくのは当たり前ですが、時折陽も差して梅雨明けが近いことを予感しました。この時期になると太平洋高気圧が張り出し始め、蒸し暑い南西の風がバクつくように吹いて、しばらくの間休止していた息子の風力発電風車も、時折うなり声を上げて回っていました。そんな不安定な天気の中昨日は親父は庭に出て、庭木の剪定をしていました。年齢が年齢だけに脚立に上がると危ないので、上がらないよう注意をしていますが、松の剪定は私にはできないため、業を煮やして始めたようでした。ただでさえ杖がないとおぼつかなくて歩けないのに、まあ凄いことです。脚立に登って剪定をしていました。

95歳の軽業師
95歳の軽業師

 先日私が見よう見真似でやったわが家で一番大きなクロガネモチの剪定も、親父には気に入らないようで、3m以上もある長い脚立を持ってくるようせがまれていますが、流石にこの脚立の上に上がることは無謀だし危険なので断わりましたが、少し機嫌を損ねてしまいました。
 今日は週に2度のディサービスに行く日です。前日予告をすると朝4時頃から準備をして、迎えの車を待つので、午前6時ころに行くことを告げるのですが、これも「前の日から言ってくれ」と少々ご機嫌斜めのようです。ひところ衰えが目立っていた親父ですが、気温が上昇したこともあってかなり元気を回復してきました。後1ヶ月余りでまた一つ歳を重ね96歳になるようですが、月に一度は散髪にも歩いて出かけるほど元気です。

 昨日は愛媛大学農学部の笠松先生が、今週土曜日に迫った人間牧場での講義の打ち合わせにやって来ました。ゲストハウス煙会所で1時間余り話をして帰られましたが、笠松先生が帰られた後、「お客さんに海の資料館海舟館を見せてあげたか」と、聞きにきました。自分が説明をしたかったようでしたが、一時が万事このように少しハラハラしたり、少しズレていたりしていますが、これも寄る年波のせいだと認識し、家族みんなが在宅介護を心がけています。昨日市役所から親父宛に身障に関するアンケートが届きました。目の薄くなった親父には記入することもできないので、私が親父の身になって代筆記入をしました。10ページにわたる事細かなアンケートは、健常の私でさえいぶかしいほどの多くの設問でした。少しお役所仕事だと感じながらも、とりあえず書き終えて投函しました。

  「小雨降る 庭で松の木 剪定を 親父脚立 登って軽業」

  「ことごとく 言うことなすこと 頓珍漢 歳をとったら 俺もそうなる」

  「来客に 見せて説明 させたいが それもできない 年齢なりて」

  「アンケート 届いて代弁 記入する 相手が誰か お役所仕事」

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人間牧場

〇講演の反応は様々

 私は退職前も退職後も、県内はもとより県外からも声がかかって、講演や講義、コーディネーターなどをして欲しいと頼まれて出かけています。慣れというのは恐ろしいもので、若い頃のように話に行く前に話の構想を練ったりレジメを作る訳でもなく、ごく自然体でしかもアドリブで90分も話をするのですからいい加減なものです。それは相手を軽く見たりするものでは決してないのですが、講演の反応は様々で、時には参加者の心情を壊して不快の念を与えてしまうことだってあるのです。その折は主催者を通じて申し出があり、お断りの電話や手紙、面談したりして、浅学や不徳の致すところを侘びながら深く反省するのですが、その度に話は難しいとふと原点に戻り、思いを新たにするのです。

 話は文字書きと違ってビデオや録音をしなければ証拠は残りません。「言った」「言わない」で揉めるのは本位ではないし、それ程高飛車で傲慢な人間ではないので、素直に謝まらなければなりません。それが大人の責任であり、時には説明責任も果たさなければならないのです。証拠がどうであれ言ったことはしっかりと受け止めなければならない、これが私の基本姿勢です。
 講演は一般社会人を対象に行われることが多いのですが、ある人の言葉を借りれば「小学生は45分、中学生は50分、高校生は1時間、大学生は90分が集中して聞ける時間」のようです。ちなみにその人の言葉を借りれば「一般社会人は30分型」だそうです。そんな人に90分話して、眠らずに話を聞けという方がどだい無理な話なのですが、何故か講演は90分が圧倒的に多いようです。

 「どんな立派な話も寝たのでは何にもならない」は私のけだし名言です。そのため興味をそそったり笑いを誘うような楽しい話をするのですが、そのために失態をしてしまう恨みもあるようです。昨日一昨日行った高松から一本のメールが入りました。研修会で聞いた私の話が面白く、できれば近いうちに人間牧場へお邪魔したいという肯定的な反応でした。これはもう講演冥利に尽きるもので、そんなメールが入ると俄然嬉しくなり、昨日は一日中浮き浮きした気分で過ごすことができました。嬉しい反応メールは私にとって「おひねり」のようなものかも知れません。
 「話芸を磨く」ために始めた落伍も、落伍のネタ本「夕日徒然草」の著作も日常の訓練です。地域おこし協力隊の冨田さんに自炊して作ってもらった自著本の電子書籍化も、私にとっては修行の大切な道具なので、毎日持ち歩いています。

  「逆鱗に 触れてお詫びの 手紙出す まだまだ修行 足らぬ戒め」

  「良かったと 嬉しいメール 届く度 これはおひねり 私の肥やし」

  「30分 頭のシャッター 降りる人 相手に何と 90分も」

  「もう少し 話芸を磨く 修行する 道は半ばだ これから先も」

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人間牧場

〇アジサイの挿し木

 春先の梅やスモモの花以外、これといった花のない人間牧場へ花を植えようと思い立ち、何の花にするか色々考えました。その結果手入れが簡単で、花期の長いアジサイにしようと考え一昨年のこの時期、20株ほどのアジサイ苗木を伊予農業高校へ頼んで取り寄せ植えました。草刈機で再三再四草を刈るウッドデッキの下の斜面なので、草刈りの邪魔になってどうしたものかと、考えながら今年の初夏を迎えました。まだ植えて2年しか経っていないアジサイですが、今年は初めて沢山の花を付け、その美しさを存分に楽しませてくれました。

トロ箱に挿し木したアジサイ
トロ箱に挿し木したアジサイ

まだアジサイの株立ちは小さく草に埋もれるため、目印に竹棒を立てていましたが、人間牧場へやって来る悪ガキな子どもたちがその竹棒を、チャンバラごっこに使うため引き抜いてしまい、結果的には4~5本は草刈機の餌食となって根元から刈り飛ばしましたが、想定内の出来事と受け止めて今年ももう少し補植しようと、秋山先生を通じ伊予農校に問い合わせましたが、残念ながら手に入れることはできませんでした。仕方がないのでアジサイを植えている近所の人に、剪定の時期「少し枝を下さい」とお願いしていたところ、一昨日枝をわざわざわが家まで持参してくれました。

 昨日は早速発泡スチロールのトロ箱に鹿沼土を入れ、小さく小切りしたアジサイの枝を挿し木してみました。昨年も少し挿し木をしましたが、水やリを忘れて半分は駄目にしてしまったので、今年はしっかりと水をやり管理をしようと思っています。
 アジサイは土壌のペーハーによって花の色が変わると言われていますが、今回挿し木したのはガクアジサイのようです。慌てることもないので少しずつアジサイの花を増やして、花見ができるようにしたいと思っていますが、目標の5年後が楽しみです。妻から「いつまで生きるの?」と笑われました。アッハッハです。

  「一昨年 植えたアジサイ 早今年 綺麗な花を 楽しみました」

  「トロ箱に 鹿沼土敷き いただいた 枝を挿し木し 水をたっぷり」

  「5年後を 目標掲げ やっている いつまで生きる 妻に言われて」

  「植えぬ木は 育たぬものと 心得る 人間牧場 新たな伝説」

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人間牧場

〇面の収集

従兄弟から貰った中国面
従兄弟から貰った中国面

 私は若い頃、面の収集に凝ったことがありました。大分県本匠村へ講演に出かけ、当時公民館に勤めていた川野義和さんの家に泊めてもらった折、河野さんのお父さんが自分で彫った立派な能面を頂き、その能面に魅せられたのが発端でした。その後石見神楽や出雲神楽のふるさとである島根県へ旅した折も、魔除けの神楽面を頂き、何かにつけて面を買い求めていました。その収集熱もいつの間にか冷めていますが、当時収集した面の数々は親父の手によって、家の横に造っている海の資料館「海舟館」の板壁に行儀よく飾られています。

 今朝書斎の書棚を整理していると、隅に4体の面を見つけました。3体は日本古来の能面ですが、一体は竹でできた珍しいものです。この面は数年前製材業を営んでいる従兄弟の西下芳雄さんから頂いたと記憶していますが、髭を蓄えた古老の面の裏側を見ると、何と筍なのです。筍は柔らかいので乾燥して彫ったものと思われますが、それにしても筍で面を彫るなんてさすが歴史の古い中国だと感心しました。

  最近尖閣諸島の国有化問題以来日本と中国の関係が悪化しています。日本には日本の考えがあってのことでしょうが、先の太平洋戦争で日本は中国へ進出し中国を戦場に大きな禍根を残していることはまぎれもない事実です。戦後70年経ってもまだその傷跡を拭うことはできないのです。書棚の面の横に中国の古書の大学を置いています。中江藤樹や二宮尊徳等の先人に大きな影響を与えたとされるこの本も、また四国遍路を1200年前に開いた弘法大師空海も中国の大きな影響を受けているのです。

 そのことを思えば中国の存在の意義を今一度見直し、良好な関係を復活しなれば、お互いの国が不利益をこうむるのです。政治家は「いつでも会話の扉は開いている」と言っていますが、歴史認識なしに扉を叩いても扉は容易に開かないのです。日中国交正常化、戦略的互恵関係などの言葉はよく使われますが、私たち国民を正しい方向に導くのも政治家の仕事であることを忘れないで欲しいと願っています。
 今日は朝から雨が降っていて農作業ができません。この一週間忙しかったので大学でも読みながらのんびり過ごすと思っています。

  「あららまま 書棚の隅に 面四つ 中に筍 使ったものも」

  「凄いなあ こんな発想 するなんて 中国人の 偉大さ思う」

  「面食いじゃ ないけど面を 数多く 収集したが 今は熱冷め」

  「今日辺り、四つの面を 海舟館 移し板壁 飾ろう思う」

筍に彫ったと思われる面の裏側
筍に彫ったと思われる面の裏側
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人間牧場

〇香川県地域支援指導者セミナー(その2)

P1000254 昨日の講演は香川県教育委員会生涯学習課の社会教育主事溝渕さんからの依頼でした。溝渕さんの本業は高校の先生ですが、かつて国立大洲青少年交流の家へ4年間出向して勤務したことがあり、その折知り合いました。現在は行政職員社教主事としてとして県教育委員会へ勤めていますが、主催する第1回地域支援指導者セミナーの講師として私を呼んでくれたのです。大洲で勤務していた頃の同僚に親友の三崎中学教員の浅野先生もいたので、早速講演前に浅野先生に電話を入れ、その模様を話しました。

P1000256 昨日は13時から軽い打ち合わせを行い、40人ほどの県内各地から集まった参加者を相手に、2時間30分のプログラムをこなしました。1時間を私の講義、1時間を7班に分かれてワークショップ、後の30分を発表とまとめに当てましたが、溝渕さんにお願いしてタイムキーパーを務めてもらったものの、結局討議や発表に時間を要して足らなくなり終わりの時間を10分間延長をさせてもらいました。終了後名刺交換したり、溝渕雅子さんの勤めるオフィスへ手土産を届けたりして、高松を出たのは午後5時前となりました。

 それにしても昨日のセミナーは楽しい雰囲気でした。研修は「今こそ地域の力再発見」と銘打っていましたが、教育現場といいながら地域づくりは私の十八番なので、熱を込めて話したり討論に加わりましました。参加者に女性が多かったことも幸いし、地域の活性化や人づくりについて短い時間なので突っ込んだ話はできませんでしたが、次に繋がるような期待の持てる研修会となりました。今朝メールをのぞいて見ると、参加者から私への質問が何人かから届いていました。早速返信しておきました。

  「講演と ワークショップを 組み合わせ 二時間半が あっという間に」

  「結局は 自分を磨く ことですと 体験踏まえ 話を結ぶ」

  「不燃人 可燃人に しなければ 地域格上げ できずに終る」

  「ああ今日も よき人たちに 恵まれて やる気触発 次への期待」

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人間牧場

◯列車の中で

 海を渡る連絡船は、台風が来ると欠航しますが、余程のことがないと列車は止まりません。台風の進行方向と同じと思われる高松へ向けて、今朝も松山から特急いしづちに乗って間もなくの発車を待っています。 車内に乗りこんだ乗客の殆どはみんな無口で下を向き、スマートフォンや携帯電話に夢中で、台風や大雨のことなど知らんふりといったところです。 列車が発車しました。車掌さんが車内放送で高松到着の時間を9時44分と言っています。これから到着までの約2間半を存分に楽しみたいと思います。楽しい。

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人間牧場

〇台風一過

今朝の茜空
今朝の台風一過の茜空

                              いやはや自然とは凄いものだと、今回の台風騒動を見て実感しました。台風の被害にあった人や地域は数知れず、謹んでお悔みやお見舞いを申しあげますが、何よりも痛ましいのは長野県南木曽町で起こった土石流に巻き込まれ尊い子どもの命が奪われたことです。わが家も2度にわたって土石流に遭っているだけに、またその片付け途中にチェンソーで足を負傷した傷跡を見る度に、忌まわしい過去が思い出されるのです。

 反面昨日講演に出かけた高松では、既に渇水期に入って取水制限をしていただけに、乗り合わせたタクシーの運転手さんが言うように恵みの雨で、水源となる香川用水や早明浦ダムの貯水が台風が恵みの雨になったようです。昨日は台風が鹿児島に上陸し四国の南岸を進み、紀伊半島に上陸したようです。半島の突端付近の古座川町に住んでいる弟の所へ台風見舞いの電話をかけましたが、被害もなく一夜が過ぎたようです。

 今朝起きて家の周りの様子を見て回りましたが、雨も風も大したこともなくホッとしています。ただこの3~4日間、梅雨特有のぐずついた天気が続いたため、農作物に少し病気のようなものが出て、元気がないようです。インゲン豆も土についた先端が腐ったり、雨で食べ物にありつけないカラスやハクビシンがトウモロコシやトマトを狙って出没し、少し色の付いたトマトまで食い荒らされているようです。

 今日予定されていた講演は午後高松で、帰りは西条でそれぞれ行われる予定で、漁業関係の会議が17日に延期になったくらいで、私のスケジュールには余り影響が出ませんでした。何はともあれ台風8号が去り、「警報が出ると学校が休みになるかも知れない」と期待していた子どもたちにとって、少しだけがっかりの台風でしたが、久しぶりに東の空の赤い雲を見て幸せな気分になりました。さあ台風一過の今日も一日頑張りましょうか。

  「雨と風 何事もなく 通り過ぎ 台風8号 大事至らず」

  「ぐずついた 梅雨の影響 野菜たち どこか元気が ないよう見える」

  「今朝の空 茜の雲が 見えました 台風一過 ホッと一息」

  「警報が 出ずにがっかり 子どもたち 臨時休校 期待していた」

 

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人間牧場

〇台風の名前

 今回沖縄~九州~四国~紀伊半島~東海と、日本列島を沿うように北上し震撼させた台風は8号でした。ところがパソコンで色々台風情報を調べていると、台風には別名が既についているとのことでした。その名前は「ノグリー」だそうです。誰がどんな目的でつけたのかも分らず調べてみると、台風委員会という太平洋や東南アジア地域14カ国の国々が集まってリスト方式で決める取り決めのようなのです。それぞれの国が10個名前を用意して140個の中から順番に決めるようで、今回の名前は勧告提案の中から選ばれました。「ノグリー」とは韓国語でタヌキだそうです。8号という番号方式だと中々覚えられないというのが真意のようですが、番号方式に馴れている私としては逆にリスト名は覚えにくいような感じがします。そういえばアメリカで猛威を振るうハリケーンにもこのリスト方式が使われ、「カトリーナ」などの略称が使われているようだと、今頃になって気がつきました。

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