人間牧場

〇旅のつれづれ(その9)

 最近はまるで同行二人のように、愛媛大学名誉教授の讃岐幸治先生からいただいた、二宮金次郎の銅像を手提げ袋に入れて持ち歩くことが多くなりました。加えて大阪梅田駅近くの古書街で、1万円の値札の付いていたものを値切り倒して、5千円で買った中国の古書「大學」に加え、国立大洲青少年交流の家の松岡孝治所長さんが輪切り木板に掘ってくれた、中江藤樹の「知行合一」も手提げ袋に入れているので、木になるカバンとともに、両肩にずっしりきて少々堪えますが、3点セットなので辛抱強くやっています。

 今回の九州福岡宇島行きにも、講演に使おうと思って持って行きましたが、参加者や事務局の皆さんが教育関係者にもかかわらず、二宮金次郎像が大學の本を読んでいることを知っている人は少なく、しかも書いている大學の一節にどんな意味があるのかも、意外と知られていないのです。私は年輪塾のお陰で二宮金次郎が読み、中江藤樹が大きな影響を受けたといわれている、大學を学ぶことができました。しかし二宮金次郎が大學を読んでいることを知っているだけでは、何の役にも立ちません。二宮尊徳の教えを自分の人生に映しながらどう実践し、どう人に伝えるかです。これからも銅像と本と木彫りの3点セットで・・・・。

 

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○あっという間の10年

 退職してから10年 双海町の教育長を最後に、現職をリタイアしてから10年が経ちました。過ぎてしまえばあっという間の10年でしたが、私にとってはこの10年、さしたる病気もせず、また講演などで全国各地へ出かけたり、人間牧場で仲間とともに年輪塾や子供体験塾を開いたりして、ふるさと教育を楽しくやっり、それなりに充実した日々を送っています。 先日徳島県佐那河内村の原村長さんが人間牧場へ見えられ、「現職をリタイアして10年にもなるというのに、全国各地からお座敷がかかるということは驚嘆に値する」と褒めていただきました。 今日も九州からオファーがかかり九州までのこのこと出かけ実に楽しい一日でした。そういえば私の場合は相手様に、「呼ばれないと行かれない」のですから、原村長さんが言われるように凄いことだと思いました。私はインターネットの自分のホームページで、プロフィールや講演ジャンル等を紹介していますが、その画面を見たりブログ記事を読んだりして呼ばれることもありますが、圧倒的に多いのは講演先で私の話を聞いた人が紹介しアメーバー的に口コミで広がっているのです。年間100日を越えるオファーに感謝しつつ・・・・・。

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〇今日は一日九州へ出張です

 台風の接近で、交通機関に麻痺が残っているかも知れませんが、今日はこれから九州へ出張です。歳をとったせいでしょうか、最近は起きようと尾思った時間に、目覚まし時計の手助けを借りることもなく、午前3時半、ほぼ予定通り目覚め、外出着に着替えて書斎で出発時間の午前5時を、アメーバブログを一本書き終えて待っています。松山まで自家用車で行き、松山駅から岡山・小倉経由で福岡県宇島という指定された駅を目指しますが、到着は12時頃のようです。帰宅は未明か小倉若しくは岡山で一泊するかも・・・。

 元気に行ってきます。

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〇9月歌会の結果

 先日見山あつこさんから、毎月届く松山五行歌9月歌会の結果が送られてきました。私が先月欠席歌の部に投歌したのは次の歌でした。
  自分の目
  時には鳥の目
  虫の目と
  器用に使い
  いろいろ思う

 講評には次のような寸評が書かれていました。
 ☆物事を一方的に見るのではなく、いろいろな方向や角度から見つめることは大切ですね。歌を書くようになって、自分を見ているもうひとりの自分がいるということに気づいたという方もいますが、素晴らしいことです。「時には鳥の目/虫の目と」作者は言います。あなたはどんな目がほしい?「私は猫の目、うちの猫ちゃん、私たち夫婦のことをどんなふううにみているのかな?」という人も・・・。

 なるほど言い得て妙なる寸評です。私は自分の目のことを思って歌を作りましたが、これは単眼でした。考えれば私の身の回りにいる家族や動物たちも、私をしっかりと見ているのです。特に一番長い時間をともに過ごしている妻は、私のことをいつもどんな目で見ているのでしょうか。時には頼りない夫と見ていたり、喧嘩でもしたものなら、憎らしいと思って見ているのかも知れません。私もこの際妻に対する優しい眼差しを持ちたいものと、寸評を読んでハッと気がつきました。

 私の歌は久々に入選末席の五席の称号をいただきました。孫の運動会では3人が走って3等というのがありましたが、ひょっとしたら私の5等も、5人走ってビリの5等だったのかも知れないと、自分で自分の作品を読み返しながら心の中で笑ってしまいました。ちなみに出席歌の一席はよーこさんの次の歌でした。味わい深い歌に感動しました。
  生きる意味なんて
  わからないけど
  お月さまが欲しいと
  手を伸ばしてた娘と
  今年も並んで見る幸せ

  「わが歌に 五席称号 書いてある 五人で五席 ドゲではないの?」

  「虫の目と 鳥の目二つ 書いたけど 寸評猫の 目もある教え」

  「どうすれば 立派な歌が 作れるか 浅はかだけど 考え込んで」

  「閃いた だけど一瞬 直ぐ消える 思い出せない やはり歳だな」

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〇ハズ虫の大行進

 昨日は台風の接近で南寄りの風が吹き、温かい一日でした。前日70歳の誕生日を迎えたのを機に、少し性根を入れて健康のための努力をしようと、心のネジを締め直し、1日1万歩を目標にしているウォーキングを、少し大股でやりました。私のウォーキングコースは山道坂道が多いので、大股で歩くと汗が出る程の運動量になり、携帯電話についた歩数計の履歴を見ると、昨日は11,745歩でした。一歩50cmで計算すると6km弱歩いた計算にになるのですから、まずまず納得のいく運動量です。

ハズ虫の行進
ハズ虫の行進
食べ尽くされ茎だけになったハズの葉
食べ尽くされ茎だけになったハズの葉

 ウォーキングコースのあちこちにはススキの穂も出揃い、山栗やコナラのドングリも落ちて、秋本番を実感しましたが、足元の山道には無数のハズ虫が尺取虫のように、何匹も並んで大行進をしていました。ハズ虫が何の幼虫なのか知る由もありませんが、黒い縞模様の体と頭とお尻がオレンジ色のハズ虫は、機用に体をくねらせ、行く当てもない行進をしていました。周りを見ると既に食べ尽くされ、無残にも葉茎だけ残されたハズ草が秋風に淋しく揺れていました。

 何年か前、ハズ虫が異常発生し、下灘駅の構内レールの上を、無数のハズ虫が大行進しているのを見ました。小さいとはいえど生き物の命ですから、容赦なく踏み潰して通る列車の車輪を、非道だとも思いましたが、このハズ虫がやがて蛾の成虫になれば、農作物に被害を与えることを考えると、これも世の定めだと静観するしかありませんでした。わが家や人間牧場にはハズが沢山生えていますが、ハズ虫が来る前に草刈をしているので、ハズ虫が発生することは余りありませんが、秋の深まりとともにこれらのはず虫は、命を連鎖して短い一生を終えることでしょう。

 

 

 

 

  「ウォーキング コース道端 ハズ虫が 並んで行進 尺をとりつつ」

  「ハズ虫は 大きくなったら 何になる 蛾だと思うが 未だ分らず」

  「ハズの葉を 茎だけ残し 食べ尽くし 並んで行進 どこへ行くのか」

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人間牧場

〇本の移動

 息子たちと同居するため、元応接室だった部屋を書斎として使うようになって早3年余りが経ちました。最初10畳の広さは広過ぎると思っていましたが、使われていない娘のピアノがデンと置かれていたり、壁半分全て備え付けの書棚がありますが息子と共用のため、いつの間にか私の書棚ケースも行き場を失って移転、加えて来客用の座椅子や机も入りまあ手狭な感じで、最近は来客の殆どはゲストハウスである私設公民館煙会所へ案内しなければならない始末です。

 買ったり貰ったりした本類も相当溜まって縦積みされているので、本の移動を思い立ちました。移動といっても本の行き先は人間牧場です。読み終えた本、読んでいる途中の本をキャリー3箱に入れて軽四トラックの荷台に積み、人間牧場へ出かけました。人間牧場を開設した10年前、殆どの本は水平線の家の壁面一面に設えた書棚に移動させましたが、あの広くて大きな書棚さえいつの間にか本で満杯で、もうこれ以上は無理なようで、70歳を迎えたのを機に要らない本は処分しようと思っていますが、中々捨てきれないというのが本音のようです。

 息子が「紙ごみ」と悪評するブログ記事のプリント綴りも今は休止していますが、はてさてどうしたものか思案で途方に暮れています。それでも殺風景だった人間牧場の中心施設である水平線の家の壁面書棚に、本類が並んでいるだけで、知的空間のようになるのですから、本の威力は凄いものです。とりあえず昨日は持って行った本を隙間に詰め込んでお茶を濁しましたが、これからは暇をみつけて整理整頓しようと心に誓いました。自費出版した本も「町に吹く風」「昇る夕日でまちづくり」「今やれる青春」「ミレニアム2000年その日私は」「夕日徒然草・地の書」「同・水の書」「同・火の書」「同・風の書」「同・空の書」「同・心の書」と10冊目となり、多少倉庫に眠っています。そろそろ上り潮が下り潮に変わる潮目時かなと、感じた朝でした。

  「本類に 囲まれ暮らす 幸せも そろそろ整理 整頓時期か」

  「デジタルの 時代といえど やはり本 知的感情 くすぐりながら」

水平線の家の本棚
水平線の家の本棚
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〇今日は朝から何かと忙しい

 私が毎日日課のように書いているアメーバブログは、半年前から始めたfacebookへ、自動的にアップされるようになっていますが、時々エンストを起こしてfacebookへ信号を送れなくなるのです。私はその修理方法が分らず、その都度私にブログのいろはを教えてくれたし、今も指導してくれている娘婿にメールを入れて、遠隔操作で修理をしてもらっています。この一週間もどういう訳か送れなくなり、急遽娘婿に助け船を出して直してもらいました。お陰さまにて今朝のアメーバブログ記事はfacebookにアップされたようです。

 ところがところが、今朝のアメーバ記事は、今日10月3日が私の誕生日ということもあって、自画像つきで書いたため、早速誕生日の祝意メッセージが次々と入り始め、今朝はその対応に追われています。気がつけば今日私は、70歳の大台となりました。自分ひとりで今日の日を迎えたような大きな顔をしていますが、私が今日あるのは多くの人のお陰だと、しみじみ思っています。と同時にこれから年齢を加えながらどう生きればいいのか、自分自身の健康のこと、高齢になった親父のこと、家族のこと、町の将来のことなどなど、沢山のことに思いを巡らせました。

 アメーバブログとワードプレスブログにそれぞれ、合計2本のブログ記事をこの10年間、殆ど毎日のように書いていますし、毎日3枚のハガキも20年を越えて書いているので、差し当たりこの日課だけはこれから10年間続けて行こうと思っています。若い頃ある人から「平凡道を非凡に歩め」という言葉をいただきました。平凡なことでも毎日続けると、人が真似のできない非凡になるというのです。毎日2本のブログも毎日3枚のハガキも、いわば誰にでも出来る平凡です。でもこれを10年間続けると、平凡が非凡に変わるのだと、自分に言い聞かせ実感しながら生きています。

 私はさして強くもなく、さして賢くもありません。ましてや格別の地位も財産もない、どこにでもありふれた田舎者の人間です。ゆえに高望みをするべきもなく今を生き、これからもささやかに生きて行こうと思っています。幸い私には多くの仲間や知人友人がいます。また自分にとってかけがえのない双海町という愛する町もあります。さらには心許せる家族もいて、これ以上の幸せはないのです。幸せとは幸せと感じる心だと意識した2014年10月3日、誕生日を迎えた朝でした。

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〇二枚の作品が届く

 私は水産高校の先輩である玉井恭介さんの勧めで、4年前に松山五行歌会に入会しました。入会しているといっても歌会にはまだ一度も出席せず、幽霊会員のような人間だし、義務付けられている月一の作品提出も滞りがちで、再々督促のメールをいただく劣等性なのです。玉井さんは既に退会しているので、私は五里霧中といったところですが、自分のグレードアップのつもりでもう少し続けてみようと思っています。

 昨日代表の見山あつこさんから、一通の封書が届きました。開けてみると今年の8月、高島屋7階で作品展があった折出品していたものでした。これまでは玉井さんが私の歌に挿絵を添えて仕上げてくれていましたが、今回は見山あつこさんが作ってくれていて、見事な出来栄えだったので、「作品展が終れば欲しい」とお願いしていたことを、見山さんは覚えていて送ってくれたのでした。有難いことです。

  親父のように      大好きだった
  なりたくない      酒が飲めなくなった
  思っていたのに     しょっちゅう通った
  いつの間にか      飲み屋の前を
  声まで似てる      無言で通り過ぎる

 たった五行の歌だのに、また思いつきのような私の駄作なのに、挿絵が入るだけで空想の世界が広がるから凄いと思いました。前作歌には親子が手をつないでトンボを取る様子、後作歌には居酒屋の赤提灯がそれぞれ画かれていました。妻に見せると、「まあ上手に画いている。自分の部屋に飾ったら」と提案がありました。額を探して飾ろうと思っています。乱雑で殺風景なわが書斎を少しイメージチェンジしようと思っています。

  「高島屋 展示をしてた 作品を 送りし人に 感謝をしつつ」

  「歌駄作 だけど挿絵が 秀作で 私の歌も グレードアップし」

  「わが部屋に 飾れと妻が 提案し どこに飾るか 思案しながら」

  「一枚は 老いた親父の 玄関に 飾ってみたい 思い巡らす」

親子がテーマの作品
親子がテーマの作品
お酒がテーマの作品
お酒がテーマの作品

 

 

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〇花のある暮らし

道端に咲いていたコスモスの花
道端に咲いていたコスモスの花

 私は顔に似合わず(大笑い)花が大好きです。まちづくりに関わって花への思いは一層深くなり、これまでにも菜の花や水仙などを皮切りに、様々な花づくりに関わって、双海町を花の町に大変身させました。それまでの双海町は「花より団子」でしたが、今では「団子より花」の人が沢山増えて、既に町内各地で来春に向け、種蒔きや草刈などの世話が水面下で行なわれているようで 昨日散歩をしていて道端にコスを見つけました。

玄関に活けられたコスモスの花
玄関に活けられたコスモスの花

 コスモスはこれからが盛りの花ですが、清楚で気品漂う花です。近くに寄って一つ一つの花を見たり、群生を遠目で見たりして存分に楽しみました。通りかかった顔見知りの人が「進ちゃん何をしているの?」と唐突に聞くものですから、「花を見ています!!」というと、「綺麗ですね。誰が植えたのでしょうか」と言いつつ、通りすがって行きました。

酔芙蓉の花
酔芙蓉の花

 シーサイド公園と国道の間の細長い斜面に植えていますが、夏からこの時期まで、約1ヶ月綺麗な花を咲かせ楽しませてくれますが、現代人は忙しいのか、この花を愛でるような人は殆ど見かけないのです。花に心を動かすような人間になりたいと、人間牧場へもシダレ桜や川津桜、アジサイを植え込み始めましたが、梅やスモモとともに季節によっては、まるで桃源郷のような感じさえするようになってきました。家の周りを見渡すと、雑草と思える秋の野の花も暮らしに彩りを添えてくれています。

  「コスモスの 花が道端 咲いていた 車を止めて 一人楽しむ」

  「玄関に コスモス活けて 彩りを 添える女の 二人いる家」

  「酔芙蓉 私がつけた 名前だが 夕日花とは うまい表現」

  「朝白い 花が昼には ピンクなる 夕方真っ赤 酒に酔うよう」

夕方酒に酔ったように赤くなる酔芙蓉の花
夕方酒に酔ったように赤くなる酔芙蓉の花
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〇北の国北海道からカボチャが届く

 「お父さん、今年も北海道からカボチャが届いたよ!!」と妻が言うので玄関先へ出てみると、宅配便で段ボール箱が届いていました。妻は「北海道佐呂間町・武田温友」と書いている送り状を見ただけで、「武田温友=カボチャ」と分るのですから、わが家ではすっかりお馴染みなのです。孫2人も昨年のことを覚えているのか、「カボチャを早く開けよう」とせがむので妻が開けると、中からまるで魔法の箱のように、新聞にくるんだ観賞用のカボチャが、次から次と出てきました。その数何と20個以上で、孫たちは目をパチクリして見ていました。

宅配便で送られてきたカボチャ
宅配便で送られてきたカボチャ
珍しい観賞用のカボチャ
珍しい観賞用のカボチャ

 孫たちは現代っ子らしく、ハーロウィンパーティ等でカボチャのことはよく知っているので、その中から自分のお気に入りのカボチャを探し出し、「頂戴、頂戴!!」と大騒ぎでした。一去年まではこれらのカボチャを、道の駅のじゃこ天の店店頭に飾っていましたが、珍しさも手伝って一つ減り二つ減りと無くなってしまうので、昨年は人間牧場で開いた芋掘り収穫祭に持って行って展示し、最後は参加した子どもたちにゲームで差し上げるアイディアを思いつき、大いに盛り上がったので、今年もそうしようと思っていますが、1年生の孫は学校へ、年中の孫は保育園にそれぞれ持って行って、先生や友達に見せたいと張り切っているようです。

 カボチャは漢字で「南瓜」と書きます。ゆえに南方系の植物のはずなのに、何故か北の国北海道から毎年届くのです。送り主の武田温友さんは別名「パンプキン武田」と名乗るほどのカボチャ博士で、私も佐呂間町へ講演に出かけた折武田さんと知り合い、その後の交友で武田さんがカボチャで町おこしをしていることを知りました。100キロを越すジャンボカボチャを作ったり、送られてきたような観賞用カボチャを作り、町をあげてのカボチャカーニバルは北海道の季節の話題にもなっているようです。カボチャは畑で作るものですから、武田さんの日ごろのカボチャを栽培する熱意ある農作業の様子が目に浮かぶようです。

 佐呂間町には講演等で何度も出かけ、船木耕二さんや井田勝人・貴子さん、眞如智子さんなど、その後交友を深めている人が沢山いますが、武田さんとの交友はまた違った味があるのです。人間は何であれ夢中になると活き活きとするものです。私は武田さんのように取り立てて人に自慢するよなものはありませんが、それでも私設公民館煙会所や人間牧場を利用して多くの全国の人と交友を楽しみながら余生を送っています。これ以上の趣味の入り込む余地はないほど忙しい日々を、充実して送れる幸せを噛みしめていますが、武田さんから学ぶことは多いのです。

  「南瓜は 南の作物 思いきや 北の国から どっさり届く」

  「宅配の 段ボール箱 新聞に 包んだカボチャ 次々と出て」

  「観賞用 食べてみたいと みんな言う 玄関先で 話題をさらう」

  「活き活きと 輝き生きてる 人を見て 私もあやかり 活き活き生きる」

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