人間牧場

〇妻たちの同窓会

 私より一つ歳下の妻は今年数え年で古希を迎えます。私が昨年古希の同窓会をしたように、妻たちも金曜日の夜松山道後山の手ホテルで、八幡浜市愛宕中学校時代の同級会が行なわれたようです。妻はまだこの歳になっても近所の歯科医院にパート勤務をしているため、金曜日は仕事を終えてから午後6時からの同級会に出席し、かつての仲良し同級生4人で道後にぎたつ会館に泊まり、土曜日の仕事に間に合うように朝帰りをしました。

足湯を楽しむ妻と同級生たち
足湯を楽しむ妻と同級生たち

 その後友人たちは八幡浜へ里帰りやお墓参りを済ませ、日曜日の朝妻が八幡浜まで迎えに行き、佐田岬半島を見学する予定でしたが、ご存知の台風接近で早々と昼過ぎにわが家へ引き上げて来ました。別に予定のないので、わが家の煙会所や海舟館を見学したあと、人間牧場が見たいというので急遽連れて行きました。大阪と福山、それに八幡浜に住んでる3人は一応に急峻な地形や狭い道、それに人間牧場からの眺望に驚いた様子でした。

 遠来の妻の幼馴染ゆえ、ロケーション風呂を沸かし、足湯のサービスをしてあげ、大いに喜んでくれました。同級生とはいいもので、積もる思い出話に花を咲かせていました。妻を除くと3人とも既に連れ添いは他界していて、寂しさと気楽さが同居しているような感じがしました。その後宿泊先の潮風ふれあいの館に夕方チェックインを済ませ、4人で自炊のすき焼きパーティを準備していました。私も招待されたため急遽出かけてご相伴に預かりました。

 今朝妻が伊予市駅まで送って解散の予定でしたが、台風接近で公共交通機関が動かないハプニングに見舞われ、何と何と潮風ふれいあの館にもう一泊するそうです。仕事や親父の介護などがある妻以外はさしたる仕事もなく気楽な人ばかりなので、妻は今日も亭主の私をさて置いて楽しい語らいをするようです。今朝は妻から伊勢海老の味噌汁が出来たから食べに来るよう連絡があったので、これから出かけようと思います。私も予定していた講演会が台風接近で中止との連絡を受けたので、今日は休養日となりました。目出度し目出度しです。

  「この3日、妻はせっせと 外泊し 私のことなど ほったらかしで」

  「妻も古希 二人合わせて 140(歳) 何とか元気 歳を重ねて」

  「50年 前の出来事 ありありと 話弾んで 楽しそうです」

  「お気楽な 同級生たち 台風の 接近理由 連泊しそう」 

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人間牧場

〇息子たちの挑戦

 私の息子は建設設計関係の仕事をしています。勤め先が松山市内の設計事務所だし、毎日仕事が終っての帰宅は夜10時頃なので、同じ屋根の下に住みながら時には2~3日も顔を合わさない事だってあるし、今どんな仕事をしているのかさえも余り知る由もないのです。息子は何年か前から松本さんたちと、伊予市街のまちづくりに首を突っ込んでいるようで、時々周りの人から「親が親なら子も子だ」と言われるものの、活動のフィールドが違うため滅多にまちづくりの話もしないのです。

息子たちが試作した焼き栗
息子たちが試作した焼き栗

 最近息子がどこかから仕入れてきた中山産の栗を、朝夕を利用して焼いているのに気付きました。聞けば中山の友人と二人で中山栗の普及をするため、焼き栗作りに挑戦しているようでした。栗は普通茹でるか皮を剥いで栗ご飯にするのが一般的な食べ方ですが、天津甘栗のように焼いて食べる方法もあるのですが、栗を焼くとなると現代の暮らしでは中々取り組めないのです。息子たちは敢えてそのことに挑戦しているようでした。最初は生の栗を直接焼いていましたが、黒焦げになって大失敗を何度も繰り返した挙句、最後に行き着いたのは圧力釜で栗を茹で、仕上げを炭火で焼く方法のようでした。

 昨日は伊予市外で「百円市」という小さなイベントが計画されたようで、息子も朝早く起きて栗を圧力釜でかなりの量を茹で、七輪と竹炭を私の軽四トラックに積んで出かけたようです。朝松本さんがその様子をfacebookにアップして紹介していました。百円ショップだし栗が出回って珍しくもないこの時期なので、果たして売れるかどうか少し心配をしていましたが、何と何と完売し夕方意気揚々と引き上げて帰って来ました。百円なのでそれほどの売り上げではないと思われますが、試作から販売まで、これでもかと言うほど栗を試食したようで、「多分この近くでは栗を食べた量は僕が一番多いかも知れない」と笑って話していました。

 地域づくりはやっている自分たちが楽しむことが何よりも大切です。たとえ失敗しても挑戦する活動の中から、何か得られるものがあるものです。息子は中山の友人とクワガタやカブト虫の養殖にも挑戦し、クワガタランドなるものを作りたいと、今年の夏は子どもたちを集めて教室も開いたようです。建設設計の仕事とクワガタや栗は何の関係もないのですが、異業種の人と深く関わること、そのことが人生の勉強になることを思えば、もう少し温かく見守ってやりたい気がしています。松本さんがfacebookで「親の顔が見たい」と笑い話を書き込んでいましたが、いつの間にか息子は一番似たくない私に何処か似てきたようです。

  「焼き栗に 挑戦している 息子見て あきれ返って ものが言えない」

  「子が子なら 親も親だと 納得し やってる姿 傍で静観」

  「売れないと 思っていたが 完売し 意気揚々と 息子引き上げ」

  「親の顔 見たいものだと 書き込みが 嬉し恥ずかし 合わせる顔が」

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人間牧場

〇超大型台風がやって来る

 NASAから送られてきた上空400kmからの宇宙写真が、テレビの天気予報で紹介されていました。今回南の海上を北上している台風19号は、最大成長時には中心気圧が900hPaという、信じられないような大きさで、台風の目はまるでブラックホールのようにも見えました。今朝5時の時点では930hPaと多少衰えていますが、それでも930hPaですから驚きです。

126年台風19号 一週間を挟んで2度も台風が同じようなコースを辿って日本にやって来ることは特別であり、また今までは九州や四国が台風銀座と止呼ばれていたのに、台風とは無縁で安全と思われていた首都圏を直撃するのですから、これはも異常としか言いようがありません。台風の風雨に慣れていない都会人の狼狽ぶりを田舎人の私たちが見ると、首を傾げたくなるような光景です。
 台風は秋の果物である稔りを迎えたリンゴやブドウ農家にとっては、まさに招かざる客なのです。丹精込めて作った農作物が一瞬にして落下するのですから、農家の人は台風19号の行方に一喜一憂していることでしょう。 

 小さなわが家の家庭菜園ですら、18号の直撃は免れたものの、一日中吹き荒れた北東の吹き戻しの強烈な風にあおられ、ブロッコリーやキャベツ、大根は軒並み倒れて心が痛んだことを思うと、農家の心配は他人事とは思えないのです。幸い野菜類は自然治癒力で元気を回復しつつありますが、今度の台風も18号と同じようなコースを辿っているので、最小の被害は覚悟しなければならず、今日はもう一度菜園を見回り、出来る予防策だけは講じたいと思っています。

 昨日は大洲から帰宅後、小松菜とカブ菜、ピーマンやシシトウを収穫し、近所やじゃこ天のおばちゃんたちにお裾分けをして喜ばれました。私の野菜つくりのもう一つの楽しみは作った野菜を近所や知人・友人にお裾分けをしてあげることです。この地域は漁家が多いので、野菜は多少作っていても買うことが多いようで、とても喜んでくれます。お陰様でわらしべ長者のように野菜が魚に変わり手元に返ったりして喜んでいます。貰ったり差し上げたり、これも田舎ならではの長閑にして温かい暮らしなのです。

  「一週間 挟んで台風 やって来る 気が気じゃないぞ 農家の人は」

  「わが家さえ 吹き戻し風 まとも受け 家庭菜園 多少の被害」

  「近頃は 台風銀座 言われつも 進路変更 温暖化せい」

  「文明の 世にはなったが 自然には 未だ勝てずに 災害日本」

 

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〇夕日に魅せられて

 何はさて置き、夕日のことになると夢中になる私を見て、妻は私のことを「夕日気違い」と呼んでいます。私はこれまで、そう言われても仕方のないくらい夕日にこだわって生きてきました。若い頃に金もないのに、島根県宍道湖嫁ヶ島に落ちる夕日を見に出かけたのを皮切りに、大阪四天王寺の夕日、新潟出雲崎の夕日、北海道留萌黄金岬の夕日、西伊豆の夕日、和歌山県白浜の夕日、長崎県崎戸の夕日、西表島の夕日など、全国の名だたる夕日を見る旅に出かけたものでした。

恋人の聖地百選モニュメントのハート型穴から見える夕日
恋人の聖地百選モニュメントのハート型穴から見える夕日

 その結果、双海町の夕日もオンリーワンになりうると確信し、夕日を地域資源にしたまちづくりを、まさに「夕日気違い」となって推進した結果が、今のわが町の夕日に繋がったのですから、悔いなき人生といっても決して過言ではないのです。そんな過ぎ越し人生の集大成は、何といっても下灘駅とふたみシーサイド公園から見る夕日です、下灘駅は夕日のまちづくりの出発点となった所だし、ふたみシーサイド公園は空想の世界を現実世界にした造形場所です。

 下灘駅は自宅から8キロほど離れていて、直ぐに出かけることは出来ませんが、ふたみシーサイド公園は自宅から1キロほどしか離れていないためわが庭のようなもので、思いつけば直ぐにでも出かけることができるのです。昨日は家の前に聳える双海町のシンボル本尊山が、夕焼けに赤く染まったのを見て急に思いつき、夕日を見に出かけました。昨日は超大型台風が近づく前の静けさでしょうか、空も海も道具立てには満点で、手持ちのデジカメで幾つかのアングルで写真を撮影しながら、夕日の美しさを思う存分楽しむことができました。

 夕日は見る位置によって様々な表情を見せてくれます。またその表情を記録と記憶に留めるべく写真に撮るポイントを探すのは、短い時間ゆえにまた忙しくも楽しいひと時です。昨日はあちらこちらに夕日を見ながら恋を語っているのでしょうか、若いカップルの姿が見られました。一組のカップルと対話しながら夕日について薀蓄を話してあげると、感心しきりに話が弾みました。昨日は夕日が最後の一瞬まで見える最高のひと時でした。昨日見送った夕日が今朝は朝日となって昇ってくるのですから自然とは素晴らしいものです。

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〇皆既月食

 昨日の夜は3年ぶりに皆既月食が見えるとあって、周辺ではその話に話題が集まっていました。わが家でも二人の孫がそれぞれ小学校と保育園で聞いてきたのか、「今晩はお月さまが地球の陰に隠れる」といって騒いでいました。夕食を終え風呂に入って、月食が始まる午後7時半を待ちました。昨日は4日前日本列島を襲った台風18号も去って、外気温が少し冷たく感じられるような夜でしたが、孫たちには「風邪を引かないように」ジャンバーを着せ、玄関先の庭に出て一緒に観月をしました。

皆既月食の真っ赤なお月様
皆既月食の真っ赤なお月様
皆既月食のメカニズム
孫に説明した皆既月食のメカニズム

 孫たちは私に、「どうしてお月さまが赤くなるの?」とかを質問していましたが、まだ小さいゆえに小難しい話は理解すべきもなく、私の説明にも「ふーん」と軽くいなされてしまいました。それでも東の空にポッカリと浮かんだ、いつもとは違う赤味を帯びたお月様に感心したようでした。昨日は少し雲がありましたが、まあ何とか皆既月食の様子を見ることができました。それにしても宇宙に関しては知らないことばかりで、まさに神秘の世界です。あの月へ人間が宇宙船アポロに乗って、行って帰ったのですから、兎の餅つきくらいしか知らない私には信じられないのです。

 3年前に次の月食が3年後だと聞きました。3年くらいは生きていると思い込み、3年後の昨日元気に皆既月食を見ました。次の皆既月食は4年後だそうです。果たして元気で皆既月食を見ることができるでしょうか?。加齢とともにその日への不安を感じるようになっています。お月様をはじめ太陽や他の星たちが光年という光の速さで地球からの距離を言っているのに、人間は4年、10年、長くてもたかだか100年を論じているのです。宇宙の物差しと人間の物差しは単位が違い過ぎます。ゆえに1日24時間を有意義に過ごさねばと、皆既月食の月を孫たちと一緒に見ながら思いました。

  「散歩する 途中みんなで 立ち話 月食見たと 身振り手振りで」

  「あの月に 人間行った 信じれぬ 月は兎が 餅つきですよ」

  「満月の 月が赤味を 帯びている 孫がどうして? 質問するが・・・」

  「4年後は 元気で皆既 月食を 見れるかどうか 心もとない」 

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〇旅のつれづれ(その9)

 最近はまるで同行二人のように、愛媛大学名誉教授の讃岐幸治先生からいただいた、二宮金次郎の銅像を手提げ袋に入れて持ち歩くことが多くなりました。加えて大阪梅田駅近くの古書街で、1万円の値札の付いていたものを値切り倒して、5千円で買った中国の古書「大學」に加え、国立大洲青少年交流の家の松岡孝治所長さんが輪切り木板に掘ってくれた、中江藤樹の「知行合一」も手提げ袋に入れているので、木になるカバンとともに、両肩にずっしりきて少々堪えますが、3点セットなので辛抱強くやっています。

 今回の九州福岡宇島行きにも、講演に使おうと思って持って行きましたが、参加者や事務局の皆さんが教育関係者にもかかわらず、二宮金次郎像が大學の本を読んでいることを知っている人は少なく、しかも書いている大學の一節にどんな意味があるのかも、意外と知られていないのです。私は年輪塾のお陰で二宮金次郎が読み、中江藤樹が大きな影響を受けたといわれている、大學を学ぶことができました。しかし二宮金次郎が大學を読んでいることを知っているだけでは、何の役にも立ちません。二宮尊徳の教えを自分の人生に映しながらどう実践し、どう人に伝えるかです。これからも銅像と本と木彫りの3点セットで・・・・。

 

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○あっという間の10年

 退職してから10年 双海町の教育長を最後に、現職をリタイアしてから10年が経ちました。過ぎてしまえばあっという間の10年でしたが、私にとってはこの10年、さしたる病気もせず、また講演などで全国各地へ出かけたり、人間牧場で仲間とともに年輪塾や子供体験塾を開いたりして、ふるさと教育を楽しくやっり、それなりに充実した日々を送っています。 先日徳島県佐那河内村の原村長さんが人間牧場へ見えられ、「現職をリタイアして10年にもなるというのに、全国各地からお座敷がかかるということは驚嘆に値する」と褒めていただきました。 今日も九州からオファーがかかり九州までのこのこと出かけ実に楽しい一日でした。そういえば私の場合は相手様に、「呼ばれないと行かれない」のですから、原村長さんが言われるように凄いことだと思いました。私はインターネットの自分のホームページで、プロフィールや講演ジャンル等を紹介していますが、その画面を見たりブログ記事を読んだりして呼ばれることもありますが、圧倒的に多いのは講演先で私の話を聞いた人が紹介しアメーバー的に口コミで広がっているのです。年間100日を越えるオファーに感謝しつつ・・・・・。

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〇今日は一日九州へ出張です

 台風の接近で、交通機関に麻痺が残っているかも知れませんが、今日はこれから九州へ出張です。歳をとったせいでしょうか、最近は起きようと尾思った時間に、目覚まし時計の手助けを借りることもなく、午前3時半、ほぼ予定通り目覚め、外出着に着替えて書斎で出発時間の午前5時を、アメーバブログを一本書き終えて待っています。松山まで自家用車で行き、松山駅から岡山・小倉経由で福岡県宇島という指定された駅を目指しますが、到着は12時頃のようです。帰宅は未明か小倉若しくは岡山で一泊するかも・・・。

 元気に行ってきます。

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〇9月歌会の結果

 先日見山あつこさんから、毎月届く松山五行歌9月歌会の結果が送られてきました。私が先月欠席歌の部に投歌したのは次の歌でした。
  自分の目
  時には鳥の目
  虫の目と
  器用に使い
  いろいろ思う

 講評には次のような寸評が書かれていました。
 ☆物事を一方的に見るのではなく、いろいろな方向や角度から見つめることは大切ですね。歌を書くようになって、自分を見ているもうひとりの自分がいるということに気づいたという方もいますが、素晴らしいことです。「時には鳥の目/虫の目と」作者は言います。あなたはどんな目がほしい?「私は猫の目、うちの猫ちゃん、私たち夫婦のことをどんなふううにみているのかな?」という人も・・・。

 なるほど言い得て妙なる寸評です。私は自分の目のことを思って歌を作りましたが、これは単眼でした。考えれば私の身の回りにいる家族や動物たちも、私をしっかりと見ているのです。特に一番長い時間をともに過ごしている妻は、私のことをいつもどんな目で見ているのでしょうか。時には頼りない夫と見ていたり、喧嘩でもしたものなら、憎らしいと思って見ているのかも知れません。私もこの際妻に対する優しい眼差しを持ちたいものと、寸評を読んでハッと気がつきました。

 私の歌は久々に入選末席の五席の称号をいただきました。孫の運動会では3人が走って3等というのがありましたが、ひょっとしたら私の5等も、5人走ってビリの5等だったのかも知れないと、自分で自分の作品を読み返しながら心の中で笑ってしまいました。ちなみに出席歌の一席はよーこさんの次の歌でした。味わい深い歌に感動しました。
  生きる意味なんて
  わからないけど
  お月さまが欲しいと
  手を伸ばしてた娘と
  今年も並んで見る幸せ

  「わが歌に 五席称号 書いてある 五人で五席 ドゲではないの?」

  「虫の目と 鳥の目二つ 書いたけど 寸評猫の 目もある教え」

  「どうすれば 立派な歌が 作れるか 浅はかだけど 考え込んで」

  「閃いた だけど一瞬 直ぐ消える 思い出せない やはり歳だな」

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人間牧場

〇ハズ虫の大行進

 昨日は台風の接近で南寄りの風が吹き、温かい一日でした。前日70歳の誕生日を迎えたのを機に、少し性根を入れて健康のための努力をしようと、心のネジを締め直し、1日1万歩を目標にしているウォーキングを、少し大股でやりました。私のウォーキングコースは山道坂道が多いので、大股で歩くと汗が出る程の運動量になり、携帯電話についた歩数計の履歴を見ると、昨日は11,745歩でした。一歩50cmで計算すると6km弱歩いた計算にになるのですから、まずまず納得のいく運動量です。

ハズ虫の行進
ハズ虫の行進
食べ尽くされ茎だけになったハズの葉
食べ尽くされ茎だけになったハズの葉

 ウォーキングコースのあちこちにはススキの穂も出揃い、山栗やコナラのドングリも落ちて、秋本番を実感しましたが、足元の山道には無数のハズ虫が尺取虫のように、何匹も並んで大行進をしていました。ハズ虫が何の幼虫なのか知る由もありませんが、黒い縞模様の体と頭とお尻がオレンジ色のハズ虫は、機用に体をくねらせ、行く当てもない行進をしていました。周りを見ると既に食べ尽くされ、無残にも葉茎だけ残されたハズ草が秋風に淋しく揺れていました。

 何年か前、ハズ虫が異常発生し、下灘駅の構内レールの上を、無数のハズ虫が大行進しているのを見ました。小さいとはいえど生き物の命ですから、容赦なく踏み潰して通る列車の車輪を、非道だとも思いましたが、このハズ虫がやがて蛾の成虫になれば、農作物に被害を与えることを考えると、これも世の定めだと静観するしかありませんでした。わが家や人間牧場にはハズが沢山生えていますが、ハズ虫が来る前に草刈をしているので、ハズ虫が発生することは余りありませんが、秋の深まりとともにこれらのはず虫は、命を連鎖して短い一生を終えることでしょう。

 

 

 

 

  「ウォーキング コース道端 ハズ虫が 並んで行進 尺をとりつつ」

  「ハズ虫は 大きくなったら 何になる 蛾だと思うが 未だ分らず」

  「ハズの葉を 茎だけ残し 食べ尽くし 並んで行進 どこへ行くのか」

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