人間牧場

〇早くも立冬

ノジギクの花
ノジギクの花

 暦の上で今日11月7日は二十四節気の一つ立冬で、2月4日の立春までが冬の季節です。地球温暖化の影響で四季の国日本も、季節の変わり目が曖昧で、二季の国になったような感じがしますが、それでも季節は巡り自然に目を転じれば、四季の野の花が咲いて四季の移ろいを感じさせてくれるのです。

 秋も深まるこの時期は朝起きて畑に出てみると、まるで雨上がりのように露がいっぱい降りて、畑の野菜類はさも恵みを受けたように喜んで見えます。今朝もその畑から瑞々しい大根の葉っぱを、5~6枚ちぎり取り、水洗いしてジュサーにバナナやリンゴとともに入れ、妻は緑色鮮やかなスムージーを作ってくれました。

ツワブキの花
ツワブキの花

 野菜の不足がちな昨今ですが、わが家ではこの時期葉物野菜が豊富で、無農薬の安心安全野菜をこうしていただいているお陰で、すこぶる健康な日々を暮らしています。今朝広島県竹原市に住む親友竹本英子さんから、今年も自然薯が送られてきました。多分昨年もこの時期送られてきた自然薯を美味しく食べました。

 今朝散歩をしていて道端で綺麗なツワブキとノジギクの花を見つけ、思わず立ち止まって見とれてしまいました。誰に見せるでもなくひっそりと咲く野の花は、私に季節の移り変わりを的確に伝えてくれます。野の花に心が動くようになったのはこの10年足らずです。それまではあくせくと暮らす日々でした。

 散歩から帰ってブログを書き始めていると、旧中島の怒和島に住む田中正利さんから電話が入りました。田中さんとは3日前、愛媛大学で開かれた松山市まちづくり協議会交流会で久しぶりに出会いましたが、年齢もほぼ同年代だけに意気投合し、今後の交流へと発展しそうな雲行きです。

 たった今朝だけでも人や自然とこうまで向かい合って生きれるものなのかと、あらためて生きていることを実感させられました。ただこうした日々の出来事は水の如く空気の如くとどめなく、何げなく流れて行くものですから、記憶にも記録にも残りません。せめてブログ記事の隅にこうして移ろいだけでも・・・・。

  「立冬と 聞いて季節の 移ろいの 速さ感じる 暦の上で」

  「野の花は 誰に言われる 訳でなく 季節を知りて 人知れず咲く」

  「今年も 広島親友 自然薯を 宅配便で 届けてくれた」

  「隣席 座った縁で 付き合いが 復活しそう 嬉しい予感」

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人間牧場

〇理想の妻の条件

 私は昭和19年生まれの古い人間です。ゆえに亭主関白的な要素が多分にあって、妻をまるで私の従属物のようにこき使ってきました。時々これでは駄目だと自分自身を誡めるのですが、心と行動と言葉がバラバラで、娘や息子に時々注意されても「うるさい」と一括一蹴する始末です。私が現職の頃人づくりの一環として、海外派遣でオーストラリアとニュージランドへ研修生を連れて行った折、ホームスティで外国の男性が家庭で夕食後、何のわだかまりもなく進んで食器を片付ける姿にショックを受け、私も帰ったらやろうと決意したものの、結局は自分の使った食器を流し場まで持って行くだけは、何とか実行するようになりましたが、未だに食器を洗うことなどもせず、それら全てを妻に押し付けているのです。

 先日ある会合で理想の妻の条件が話題になりました。心許し合える知人友人との会合だったので、私たち夫婦のことを知っている友人が、「理想の妻の条件を満たしているのは若松さんの奥さんだ」と唐突に言われ、「ドキリ」としました。確かにわが妻はかゆい所に手が届くくらいわが家や私のことをよくやってくれていますが、面と向かってわが妻にそんなことを言えるほど器用な人間ではないので、「フムフム」と聞き流しながら理想の妻の条件を、妻の顔や日ごろの行動を思い出しながら思いつくままに考えてみました。

 ①よく気がつき笑顔があって明るい
 ②世情にまあまあ明るい
 ③料理が上手く手早い
 ④数字に強く経済観念がある
 ⑤人付き合いがいい
 ⑥病気もせず元気でよく働く
 ⑦親の面倒をよく見てくれる
 ⑧私のやることを理解して支援してくれる
 ⑨車の運転が出来る
 ⑩?

 まあこんなところでしょうか。いやはや驚きです。100点満点ではありませんが90点に近づく高得点で、50点以下どまりの私に比べれば、まるで月とすっぽんといった感じです。「わが妻誉めるは一の馬鹿」だと「ハッ」と気がつき、これ以上はコメントしませんが、昭和46年に結婚以来43年間、多少の波風や夫婦喧嘩はあっても、子育てもそれなりにやり、落ち着くところへ落ち着いて、それなりの幸せを噛みしめることができ、これからの余生を生きれるのですから、これ以上望めば罰が当たります。ここだけの話ですが、これからも妻に感謝しながら少しだけ手助けをして、楽をさせてやりたいと思っています。

  「理想妻 あんたの奥さん 言う友の 話を聞いて 指折り数え」

  「結婚を してから今まで 40年 余り経ったが 波風立たず」

  「何よりも 笑顔で日々を 過ごす妻 これさえあれば 幸せ気分」

  「私など 減点亭主も いいとこだ 気付いているが 直すに直せぬ」 

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人間牧場

〇孫とのチャンネル争い

 わが家には私たちの居間に一台、息子たちの台所に一台、そして息子たちの居間に一台の計三台のテレビがあります。これまで私がチャンネル争いをするのは妻とだけでした。ところがつい最近になって、私たちの居間のテレビにビデオデッキがついていて、妻が孫の好みの漫画等を録画しているため、孫たちが自然に私たちの居間へ来て、テレビを見るようになり、その頻度は徐々に高まっているのです。

 私が見る番組はニュースか大相撲くらいなものですが、その時間は孫たちもリラックスできる自由時間とあって競合し始めました。これまで孫たち二人は、チャンネルのリモコンを操作できなかったので、私の言いなりになっていましたが、誰に教わったのか最近リモコンの操作を覚えたため、私は白旗を揚げざるを得なくなりました。妻もそのことを気遣って私の見方をしてくれていますが、私も妻も可愛い孫たちに甘く、最後は孫と一緒に孫の好きな番組を見るハメになるのです。

 しかしチャンネル争いに負けたことは損ばかりではありません。最近流行の妖怪ウォッチなど、子ども社会の出来事が分ったり、流行語も分かるようになってきました。子ども体験塾や子育て講演会などをなれ合いとしている私にとって、子どもを取り巻く社会の出来事や変化を知っておくことはとても大事で、孫たちの目線でどんどん入ってくる情報を、目下教えてもらっている状態です。一つのテレビに祖父母と孫が向き会い、色々な話をしながら視聴するのも悪くはありません、妻にも孫にもテレビを乗っ取られた私は、おずおずと自分の書斎へ引き篭もり、誰にも邪魔されないパソコンの前に座って、今宵も一人ぼっちの時間を過ごしています。

  「わが居間の テレビ妻・孫 奪いとる 私のおり場 僅かに書斎」

  「孫と爺 一緒のテレビ 見て話す ほほえましいが 物足りなくて」

  「流行を 孫に教えて もらってる 70年生きても 孫には負ける」

  「近頃は リモコン操作 マスターし 一つ上行く レベルに達し」

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人間牧場

〇10月の五行歌

 先月の五行歌歌会の報告書が見山あつこさんから届きました。出席歌、欠席歌に並んだ会員の秀作に比べれば、私の作品は相変わらずの駄作で、「〇×▲□・・・・」といった感じですが、まあこれも仕方がないと諦めて目を通しました。それでも私の作品には五席という赤い文字がおまけでついていました。

  「台風接近!!」
  警報が出て
  避難の心配をしているのに
  傍で孫たちは
  「学校休み」と嬉しそう

 講評には次の文章が添えられていました。
 ☆「自分も子どものころは、学校が休みになるのが嬉しかったことを覚えています。」「親は大変だけど、陽気ですよね。」「災害が多くなったから心配事も増えましたね。」「でも、ケータイの普及でシステム的に警報とか、早く察知できるので便利です。」「東京では地震情報が鳴り過ぎて、逆に『またか』と思って動かなくなるそう。」危機意識、防災意識は、まだまだ足りないよう。子どもたちにも台風の本当の怖さはまだ伝わっていないのでしょう。見せないようにしている感も否めない気もいたしますが、後で悔やむことのないように努力し対ですね。

 ちなみに出席歌の一席、欠席歌の一席は次ぎの歌でした。
  うまいなあ~
  おいしいねえ~
   今夜喧嘩を仲裁してくれたのは
  汁がしたたる
  一個の梨
        (見山あつこ作)

  同一年代を
  一括りにすること
  私はきらいだ
  人には人の
  多様性があるはず
        (大橋克明作)

  「先月も 五行歌会 欠席す 結果通知は 五席入選」

  「上手いなあ 人の作品 見るにつけ 感心落胆 いつも同居し」 

  「私のは 歌というより 川柳に 似てる気がする 笑売啖呵」

  「私流 少し胸張る ゆえなるか 上達もせず 今に至りて」 

 

 

 

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〇劇団イリュージョン秋の公演観劇

 昨日は朝から小雨模様の1日でした。この時期は文化祭などのイベントが各地で開かれているので、関係者の天気に対するやきもきは、私も長年経験があるので、それはもう大きなストレスだったに違いありません。「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」と、どうにもならない天気との向かい合いを自分に言い聞かせてきましたが、この時期は秋特有の北東の風が、北西の冬風に変わる時期でもあり、昨日は夕方から今年初めてと思う、北西の風が強く吹いて木々を揺らし、寒さの苦手な四国の人間にとっては、これから来年の3月までの約5ヶ月間は、寒さに震えなければならないのです。

img660 昨日は松山余土中学校での講演が終わると直ぐに、送迎をしてくれた妻と落ち合い、近くの中華料理店で昼食を取り、松山城を仰ぎ見る堀の内の松山市民会館へ向かいました。今月16日に結婚する次男からチケットを貰っていた、劇団イリュージョンの秋の公演を見るためです。次男は高校生の時に劇団のオーディションを受けて入団し、以来20年近くも学んだり働いたりしながら劇団員として活動して来ました。日赤の看護師をしているため、今は第一線から退いていますが、振り付けも手掛けているようで、パンフレットには次男の顔写真も紹介されていました。

 市民会館中ホール入口で、次男のフィアンセとお母さんと落ち合い、右より中段の席を確保し並んで座り、午後1時30分の開演を待ちました。次男も今回は裏方に徹しているようで、顔見せ程度の出会いでしたが、劇団主宰の井上佳子さんとも出会い、間近に迫った結婚のお祝いの言葉までいただきました。昼夜2回公演の昼の部は全て席が埋まり満席でした。私たち夫婦は毎年のように出かけていますが、二人はすっかり驚いた様子で、目をパチクリさせながら見ていました。劇団イリュージョンのストーリーは主宰者であり演出家でもある井上佳子さんの、地球環境に対する思い入れが強いストーリーになっていて、いつもの事ながら考えさせらる内容でした。息子の人生にとってこの20年の演劇活動は、感性や人間性を養うのに大きな影響を受けているようで、嬉しい限りです。来年は劇団結成30周年とか・・・。

  「今年も 北西の風 吹く季節 何事もなく 寒さ迎える」

  「私など 観劇そぐわぬ 男だが 毎年見てると 意識変わりて」

  「わが息子 演劇活動 感性や 人間養う 大きな影響」

  「もう直ぐに 結婚相手 なる親子 並び演劇 見れる幸せ」

 

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〇私の出番が来た隠居のトイレ掃除

 わが家の同一敷地内にある一戸建ての隠居は、母亡き後親父が一人で暮らしています。味噌汁の冷めない距離なので、妻は母亡き後殆ど1日も欠かさず、親父の元へ夕食を運んでくれていますが、時の経つのは早いもので、それももう13年を越えました。9月1日に96歳の誕生日を迎えた親父はまあそれなりに元気に暮らしていますが、最近は衰えも目立つようになり、一週間に2回のデイサービスの日も忘れるようになり、一事が万事手が入り始めました。私は実の息子なので親父には親孝行をしたいと思っていますが、男ゆえ身の回りのことに気がついても殆ど口ばかりで、ゴミだしと声掛けくらいなもので、親父の身の回りの世話はもっぱら妻の世話に委ねています。

息子が設計したわが家のトイレ
息子が設計したわが家のトイレ

 昨日親父の隠居へゴミを出すため覗いてみると、トイレが少し汚れていました。妻が仕事に出かけているうち、親父がデイサービスに出かけているうちに、トイレの掃除をしてやろうと思い立ち、妻に掃除の七つ道具も用意してもらってやってみました。わが家のトイレ掃除は息子たち家族が同居を始めてからずっと、トイレを設計した息子がしてくれています。親父の隠居のトイレは親父に任せていたため、私の出番はないと思っていましたが、ここにきて一週間に一度程度、私の仕事にしなければならなくなったような雲行きです。一時間ばかりの掃除で隠居のトイレはピカピカになりました。デイサービスから夕方帰った親父に、「トイレを掃除しておいたよ」と告げると、「ありがとう」と感謝の言葉が返ってきました。

 私は家の横にある私設公民館煙会所のトイレと、人間牧場のトイレを行きががり上掃除をしていますが、これに隠居のトイレ掃除を加えると、かなりハードになりますが、中江藤樹の「知行合一」を学んでいる私としては、これも親孝行の一つだと、心の誡めにしようと思っていす。
 「トイレは汚い場所」という私たち日本人の感覚はもう古く、「トイレは清潔な場所」「トイレは思考の場所」と考えれば、まさに「トイレは文化」なのです。親父の隠居を初めて水洗便所にした時、ウォッシュレットのボタン操作を誤り水浸しになった笑い話も、今は遠い昔話となりました。わが家のトイレは中に入ると便器の蓋が自動的に開き、用便がすんでウォッシュレットが終って立ち上がると自動的に汚物が流れ、トイレから外へ出ると蓋が自動的に閉まる優れ物です。トイレはやはり文化だと思いますが、隠居のトイレ掃除はいよいよ私の出番のようです。

  「煙会所 人間牧場 二つとも トイレの掃除 私励行」

  「さらに増え 隠居のトイレ 掃除する 知行合一 学ぶがゆえに」

  「親孝行 口で言っても いざやると 覚悟必要 心入れ替え」

  「ウォッシュレット いきなりトイレ 水浸し 笑い話も 今はいずこか」

 

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〇大根の初収穫

 わが家の家庭菜園に210日から220日頃播いた大根は、2度の台風接近による吹き戻しの風の影響を受けたものの、その後スクスクと成長して、早いものはもう腕首ほどに成長しています。自分の芸名に「夕日亭大根心」とつけているほど、大根大好きな私にとっては、これほど嬉しいことはなく、そろそろ試食してみたくなり、畑の中で一番大きくなっていると思われる大根を選んで、引き抜いてみました。わが家の大根は総太り系なので、地上に出ている部分が太ければ地中も成長していて、立派に育っていました。

初収穫した大根
初収穫した大根

 早速裏の水場で土分を洗い流しましたが、大根の葉っぱの瑞々しい緑と真っ白い根の部分がとても美しく、いかにも美味しそうでした。妻に渡すと早速一緒に掘って、芋ごり洗いした里芋と一緒に煮物にしてくれ、昨日の夜の食卓へ出してくれましたが、大根は口の中へ入れるととろけるような食感でした。私たちが子どものころはこの時期になると亥の子という風習があって、神棚に大根とイノス(ユズ)を供え、五穀豊穣と家内安全を祈る風習がありました。今はすっかり廃れましたが、復活したいと思っています。

 わが家ではこの2~3年、ユズ大根という漬物に凝っています。大根を短冊状に切り塩と砂糖と酢で味付けをして、その中へユズの皮を千切りにして入れ、ユズの汁を絞り込み、鷹の爪を2~3本刻み入れ、タッパーに入れて一晩寝かせるだけで、浅漬け風なピリ辛ユズ大根の漬物が出来上がるのです。熱々の新米ご飯に添えると食が進みます。これ以外にも大根サラダやおでんにも具材として使いますが、昨年は余った大根を切り干し大根にして一年中楽しみました。大根の美味しい季節になりました。勿論焼き魚に添える大根おろしも、焼き魚の脇役に甘んじていますが、大根はわたしの大好きな食べ物で、最近は大根の葉っぱまでスムージーにして楽しんでいます。

  「大根の 美味しい季節が やって来た 試しに一本 引き抜き調理」

  「私には 大根心と いう芸名 ついているほど 大根凝って」

  「亥の子には 大根イノス 神棚に 供え豊作 安全祈願」

  「大根の 葉っぱもミキサー スムージー 無農薬ゆえ 安心安全」 

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〇世界遺産を巡る旅(その6)

 世界遺産を巡る旅の3日目は日光東照宮です。その前に鬼怒川ライン下りをやりました。宿舎であるホテル三日月の直ぐ傍に乗船場があって、私たちのツアーは3隻の船に乗船しました。ライフジャケットを着用し、急流では水しぶきで濡れないよう、ビニールシートをその都度みんなで持ち上げるのですが、一番前の席に陣取った私は、少しタイミングが狂うと容赦なく水しぶきがかかって来ました。船頭さんは操船の櫓を漕ぎながら茶目っ気たっぷりなお喋りをして、みんな大満足の手合いでした。

鬼怒川ライン下り
鬼怒川ライン下り

 鬼怒川の両岸の紅葉も真っ盛りで、川に架かった大つり橋を下から眺めながら約40分の船旅が終わると、いよいよ日光東照宮へ向けて出発しました。私たちのツアーは特別拝観のため、緋の袴を着た日光東照宮の巫女さんが親切丁寧に案内してくれました。陽明門は現在修復修理中で残念ながら見ることは出来ませんでしたが、陽明門の幻の壁画を見ることができてラッキーでした。また今回は一般見学では出来ない将軍着座の間にて、お払いを受けました。ツアーを代表して私が将軍着座のお席にて玉ぐし奉奠の栄誉をいただき、感無量でした。

日光東照宮
日光東照宮五重塔

 日光東照宮は何年か前一度訪ねたことがあります。また一昨年栃木県の招きで宇都宮へ講演に出かけた折は、日光を目指したものの残念ながら観光客が多くて混雑し、結局行かず終いだったので期待も大きく、今回は世界遺産を巡る旅ということもあって、思う存分楽しむことができました。
 直会のあと東照宮近くのドライブインで、少し遅めの昼食として湯葉づくしの豪華な日光葵御膳を食べ、満腹の手合いでした。日光から羽田までは心配された渋滞もなく、世界一の電波等スカイツリーを横目に見ながら羽田に到着し、19時15分発ANA599便に乗り、無事20時50分松山空港に到着し、迎えに来た妻の車で自宅へ帰り着きました。トラブルもなく思い出に残るいい旅ができました。

 

  「鬼怒川を 水しぶき上げ 川下り 船頭さんの 櫓がギュギュしなる」

  「つり橋を 下から見上げ 川下り 両岸紅葉 今が盛りと」

  「東照宮 将軍着座の 御席で 玉ぐし奉奠 光栄浴す」

  「3日間 世界遺産を 巡る旅 何事もなく 思い出残し」

言わざる・見ざる・聞かざる
言わざる・見ざる・聞かざる厩舎
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人間牧場

森の中の朝日の出
森の中の朝日の出

〇世界遺産を巡る旅(その4)

 ホテルビィレッジは草津温泉の中心地湯畑から車で5分余りの郊外にあります。周囲を森で囲まれた環境抜群のホテルでの夕食はバイキングでした。日曜日だったこともあり二つもあるバイキング会場は満席で、和洋混じった料理に13人の仲間は同じ席を囲んで、舌鼓を打ちながら談笑しましたが、食べ放題と言われてもそれ程食べることもできず、ましてやアルコールも飲まない私には多少難儀でしたが、24時間開放の温泉だけは別格で、夕食を済ませて少し眺めのお風呂を楽しみました。

 温泉は湯畑から引き湯している源泉かけ流しといったところですが、草津温泉は湯温が高く、中には43度の湯船もありました。テレビ旅番組で紹介していた通り、タオルを頭の上に被り、熱いかけ湯を桶で20杯以上被り、「草津よいとこ一度はおいで~」などと、鼻歌交じりでいい汗をかきました。
 その夜はホテルの無料マイクロバスで湯畑のライトアップを見に行きました。ライトに照らされた湯畑の湯煙はとても幻想的で、湯畑の周りを硫黄の匂いを嗅ぎながら散策しましたが、湯畑の石柵には草津温泉を訪れた歴史上に名を残していている有名人の名前が刻まれていて、それらを見るのも楽しみにひとつのようです。

 明くる朝私は河野さんと二人で、ホテル周辺を散策しながら散歩を楽しみました。ヴィィレッジ周辺にはマンションやスキー場、ゴルフ場まであり、かなり大きな開発がされているようでした。散策途中森の向うから真っ赤な朝日が印象的に見えました。この朝日が今夕には双海の夕日となって瀬戸内海に沈むのですから不思議としか言いようがありません。思えば人間は地球上の何処かで同じ太陽を見ながら暮らしているのです。朝食もバイキングでした。ツアーも二日目になると、顔も知らなかった同じツアー客とあいさつや声をかけれるほどになり、「何処から来ましたか?」などと会話も進み、私もちゃっかり双海の宣伝をさせてもらいました。

真っ赤に色づいたリンゴ畑
真っ赤に色づいたリンゴ畑

 ホテルを出発して朝の湯畑を見学しました。夜のライトアップした湯畑を見ているので、左程の感動はありませんでしたが、それにしても湯畑は壮観で飽きぬ風情でした。ツアーには買い物場所がつきもので、浅間酒造で試飲したり、お昼は原田農園で特選牛と松茸の特選網焼き膳を食べました。また農園裏手には真っ赤な色の実を付けたリンゴ園が広がり、リンゴ大好きな私は食べ放題の試食コーナーで色々な品種のリンゴを沢山食べました。中にはお土産にリンゴを買い求め宅配便で送っている人もいるようでした。

 

 

  「早起きし 少し寒いが 周辺の 落ち葉踏みしめ 散策散歩」

  「昼と夜 同じ湯畑 趣が 違って見える 楽しからずや」

  「ツアーでは お土産店に 立ち寄って 試飲試食で 腹が太りて」

  「土産等 買わぬ私は 持て余す トイレ休憩 これも勉強」

ホテル裏の綺麗な紅葉
ホテル裏の綺麗な紅葉
ライトアップした湯畑周辺
ライトアップした湯畑周辺
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〇高山社跡(その2)

 高山社跡は高山社の創始者・高山長五郎が養蚕法の改良をを行なった高山社発祥の地です。高山家は中世からの旧家でしたが、長五郎は先祖伝来の屋敷を壊して蚕室を建てて研究を行い、試行錯誤の中から「清温育」という優れた養蚕飼育法を確立したのです。長五郎は飼育法をこの場所で指導し、多くの社員・生徒を育てました。また卒業生の中から優秀な者を全国へ養蚕指導員として派遣して清温育を全国に広めたのです。藤岡町に本社を移した後は「高山分教場」として機能しました。(藤岡市教育委員会発行のパンフレットより)

絹産業遺産群高山社跡
絹産業遺産群高山社跡

 高山社の創始者高山長五郎が生まれたのは文政13年(1830)で、その後18歳で名主となりました。明治6年に高山組を組織し養蚕の指導を行いました。明治19年高山長五郎は56歳でこの世を去りましたが、日本の養蚕に大きな功績を残しています。高山長五郎の清温育とは、蚕の飼育が天の虫と言われるほど当たり外れの大きかった時代に、収穫量の安定と品質の向上を格段に進歩させました。この養蚕法は温度、湿度、空気の流通を調整し、細かい部分まで飼育管理を徹底する指導法です。温度調整は、暑い時期は部屋を開放して温度を下げ、寒い時は火力を用いて部屋を温め、湿度調整は、湿度が高いときは、火力で空気を流通させて乾燥を促し、乾燥している時は窓を閉じて空気流通を断ち、桑葉が乾かないように気を配るのです。また管理は新鮮な桑を与え、盛食期や脱皮後の桑の与え方、脱皮後の桑の与え方など、脱皮時の管理方法についてきめ細かく指導したようです。

 今回世界遺産に登録されたのは、富岡製糸場と田島弥平旧宅、荒船風穴、それに今回訪ねた高山社跡を含み絹産業遺産群ですが、長屋門、蚕室などは最近まで人が住んでいて現代建築材が使われ、桑貯蔵庫などを含めた構造物は建築物的な価値よりも、高山社の与えた教育的影響が評価されたようです。登録されてまだ4ヶ月足らずなので、諸施設の改修はこれからといったところのようでした。いつの日か絹輸出で日本が大いに発展する基となった富岡製糸場も訪ねてみたいものです。

  「日本の 近代化には 絹なしで 語ることなど 出来ぬ時代が」

  「高山社 跡の存在 知らなんだ 行って驚く 日本あちこち」

  「いつの日か 富岡製糸 行きたいと 新たなのぞみ またひとつ増え」

  「登録に 保存行政 追いつかず そこここミスが 目だって見える」

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