人間牧場

〇今年も通学合宿夕焼け村が始まりました

 約40日の長い長い夏休みも終わり、昨日から新学期始まり子どもたちは、夏休みの思い出や宿題を沢山抱かかえて元気に学校へ通い始めました。8月31日は例年のことながら、双海町の社会教育の重要な位置を占める通学合宿夕焼け村が始まる日でした。公募に応じた38名の小学校4年~6年生の子どもたちが潮風ふれあいの館に集まり、寝泊りしながら学校に通うのです。夏休みをあえて外し2学期の最初に日程を入れることへの異論も多少ありますが、恒例でもあるので集まった子どもたちは何の違和感もなく楽しそうに参加して活動しているようです。

夕食のカレー
夕食のカレー

 

食事を作ってくれた婦人会の皆さんに感謝して
食事を作ってくれた婦人会の皆さんに感謝して

 双海町子ども教室の実行委員長をしているので、私も例年このプログラムの一翼を担うべく、第一日目に夕日の話を子どもたちにしてやるため、夕方5時頃出かけて行きました。子どもたちがはがまで炊いたご飯に、婦人会の方々がボランティアで作ってくれたカレーをかけたり、野菜サラダやフルーツポンチなどを食堂に並べて、食事の準備をしている最中だったしたので、その後一緒に食事会に参加することにしました。全て美味しくすっかり顔見知りとなっている子どもたちと、笑顔で会話を交わしながら楽しいひと時を過ごしました。この日は外で他の団体がバーベキューをしていて、夕日の話の会場とダブっていて少し心配しましたが、早々に引き上げてもらい安心しました。

 この日の日没は午後6時34分だったので、25分までに全員外に出てもらい、長いコンクリート製電柱を使ったベンチに腰を下ろしてもらい、約40分夕日にまつわる話をしてやりました。毎年同じような夕日にまつわる話をしていますが、毎年同じように思える夕日夕焼けのロケーションはまるっきり違うため、今回もそれなりの話をしてやりました。今年は今年の夏の気象を象徴するように、西の空は雨こそ降らなかったもののどんより曇っていましたが、目に見えるものと目に見えないものとがあることを、ハーモニカを吹きながら印象的に話してやりました。

 明くる日の愛媛新聞地方版にその模様が載りました。赤石主事さんが新聞社へ取材の依頼をしていたようで、これも大事な情報発信の一つなので、掲載記事を切り取ってスクラップしておきました。子どもたちが親離れして一週間共同生活をすることは、とても意義深いことです。例え短い期間でも親子が離れると親は子の、子は親の存在を認識するものです。思春期を迎えつつある子どもにとっても、過保護気味な親にとっても、親子の距離を離すことによる気付きは大きいものと思われます。今晩あたりまた様子を伺いに覗いてみようと思っています。

  「今年も 夕焼け村が 始まった 日焼けの子ども 元気に参加」

  「今年も 多くの人に 支えられ 双海の子供 スクスク成長」

  「親と子を 離す作戦 目に見えぬ お互い存在 気付いて欲しい」

  「新聞に 小さな記事が 載りました これも大事な 情報発信」

壁に貼られた谷川俊太郎の詩
壁に貼られた谷川俊太郎の詩

  

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人間牧場

〇公友会夏の勉強会

 昨日は夏の総決算と呼ぶに相応しい忙しい一日でした。前日大分県佐伯の「さいき立志塾」に招かれ、夜のフェリーで豊後水道を渡り、八幡浜を経てわが家に帰ったのは午前1時頃でした。風呂に入り身辺を整理して床に就いたのは午前1時30分頃でした。それでも長年の癖は直らず午前4時に目が覚めて起床できるのですから、自分で自分を誉めてやりたいような心境です。日課のブログ書きとハガキ書き、それに朝のウォーキングを済ませて朝食後、松山に向けて自家用車で出発しました。

楽しかった公友会夏の勉強会
楽しかった公友会夏の勉強会

 昨日は昼を挟んで午前と午後の4時間、私が会長をしている公民館OBの会公友会夏の勉強会に出席しました。数日前事務局である県公連の事務局が入っている生涯学習センターへ、講演に出かけた折事前打ち合わせを兼ねて訪ねた時、参加者が19人と聞いていたので、そのつもりで出かけました。讃岐先生や県公連菅前々会長、岸尾前会長、公友会佐伯前会長も元気な姿で出席してもらい、嬉しい限りです。夏の勉強会といっても、とりたててテーマがある訳でもなく、総会を兼ねた会合なので、私が少し長めのあいさつを兼ねたレクチャーを行い、事業報告と決算報告、それに参加者の近況報告を行なった後懇親交流会となりました。

P1000544 OB会ですから、寄る年波には勝てず皆さんこぞって、昨年より確実に1歳歳を重ねていましたが、近況報告を聞く限り皆さんは想像以上にお元気で、それぞれの地域で公民館で培ったボランティア精神を発揮され、地域づくりにいささかなりとも貢献されている話を聞き、とても嬉しくなりました。公友会の存在がただ昔を懐かしんで酒を飲むだけでは芸がありません。そのことを肝に銘じ恩返しの精神を忘れることなく、また少しでも進化をするよう目標を持って生きて欲しいものです。

 来年度の研修会は、菅前々県公連会長の発案で人間牧場でやることが全会一致で決りました。何年か前人間牧場でやったことがあるので、来年度は二度目の開催になるようです。昨夜そのことを妻に話すと、早速色々な歓待のプログラムを語ってくれました。私にとっては妻の協力が何よりも嬉しいことでした。さあ来年度に向けて更なる進化を遂げるべく、今日から努力しなければなりません。一番は何といっても健康です。また自分の身辺を整理して人間力のグレードも高めなければなりません。また一つささやかながら新たな目標が設定され、生きる希望が湧いてきました。「ごきげんようさようなら」です。

  「この夏の 総決算と いうほどに 忙しき最終 31日」

  「公友会 公民館の OB会 昨年よりも みんな歳とる」

  「一分と 言うのにみんな 五分越え 近況報告 大いに語る」

  「来年は 人間牧場 行きたいと 全会一致 私もその気」

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人間牧場

〇大分県佐伯市立志塾に招かれて(その2)

 川野義和さんの運転する公用車に乗せてもらい、早速佐伯市を目指しました。臼杵から佐伯までは既に高速道路が開通していて、今年度中に大分から鹿児島まで高速道路全線が開通予定だそうで、沿線では急ピッチで工事が行われていました。山肌の石灰岩を荒々しく削った津久見を抜けると40分ほどで佐伯市街に着きましたが、私たちの車は懐かしい見覚えのある番匠川沿いを上流へと走り、旧本匠村へ入って美和さんのお母さんたちが経営する特産加工場兼食堂へ案内されました。

愛の里工房の皆さんと(左端が美和さん、私の横が文子さん)
愛の里工房の皆さんと(左端が美和さん、私の横が文子さん)

 サプライズながらここで昼食を取るようでした。車が到着するとお店お中から美和さんのお母さんである、高橋文子さんと従業員さんが愛想のよい笑顔で出て来て出迎えてくれました。お母さんが代表を勤める愛の里工房では、先日みのもんたのTV番組「噂のケンミンショー」でも紹介されるほど、すっかり有名になっている「雪ん子寿し」やごまだし」などを製造販売していますが、70歳を越えているとは思えない元気な姿で出迎えていただきました。

 積もる話にも熱が入り、出された自慢の心のこもった雪ん子寿し定食を久しぶりに食べましたが、絶品に舌鼓を打ちました。食事をしながらお母さんたちの夢の話を沢山聞きました。メンバーは求めに応じ全国のデパートで開かれている、大分うmいもの展に参加しているようですが、年齢のことを考えるとハードなようで、そろそろこの食堂で客商売をしようと思っていると吐露されたので、私の小さな知識や知恵で少しだけアドバイスをしてあげました。それにしてもおばちゃんたちのやる気パワーと夢のある話にすっかり圧倒されてしまいました。再会を約束して次の予定時間に背中を押され店を出ましたが、姿が見えなるまで笑顔で手を振ってくれたおばちゃんたちの姿が今も心に残こっています。
 (この続きは明日のアメーバブログ・その3にて)

  「見覚えの ある川沿線の 上流を 目指し車は 本匠村へ」

  「20年 ぶりに再会 したおばちゃん 雪ん子寿しで 歓待してくれ」

  「嬉しいね 日本列島 あちこちに 私を待って くれる人あり」

  「この店を 繁盛させたい 夢語る 私も知恵を 出して手助け」

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〇怪我をした孫希心

 3日前の夕方、孫希心の通う学童クラブの先生から若嫁に、「足を捻挫か骨折した恐れがあるので迎えに来るように」との電話が入ったようでした。孫奏心を迎えに行く役目を私が引き受け、若嫁は心配な面持ちで迎えに行きました。帰ると直ぐに近くのたけます医院へ診察に出かけましたが、足の親指を骨折しているようでした。聞けば室内サッカーでボールをキックした折転げたようで、帰宅後はダイニングの机にもたれて、「痛い痛い」と泣いていました。食事の時間前でしたが余程疲れたのか涙を出しながら机を枕に寝入ってしまいました。

ラジオ体操から帰宅したステッキ姿の孫希心
ラジオ体操から帰宅したステッキ姿の孫希心

 夏休みも元気に過ごし、もう終わりだというのに登校などもどうなるのだろうと心配しましたが、明くる日の朝は父親が用意した登山用の2本のステッキをついて、目と鼻の先の夏休みラジオ体操広場へ出かけるほど回復していました。お医者さんから少しおとなしくしているように言われたそうですが、大人の目の前では病人ぶっていたものの、私たち大人の心配をよそに見ていない所ではトイレに行ったり遊んだりして、回復の早さを見せ付けてくれました。怪我3日目の昨日は歩くのにも違和感がなく、学童クラブへも元気に出かけたようで、まずはひと安心といったところです。

 孫希心は8月31日が誕生日なので、昨日は夕方母親に連れられて、誕生日プレゼントを買いに出かけたようで、足の痛みなどすっかり忘れ夕方ルンルン気分で帰って来ました。早速買ってもらった遊び道具に、頼まれた私が電池を入れてやり、楽しそうに遊んでいました。秋は運動会の季節です。例年だと夏休みが明けて間もなく運動会が行なわれていましたが、残暑の中で熱中症にならないようにとの配慮でしょうか、今年度から運動会の開催が10月にずれ込んだようで、それまでには怪我も治り自慢の俊足力も回復することでしょう。何はともあれ大したこともなくひと安心でした。

  「骨折を したというのに 明くる日は 軽快歩く 凄い回復」

  「ステッキを 二本着きつつ 朝ラジオ 体操出かけ まずは安心」

  「一年生 今年最初の 夏休み 大した怪我も なしに終って」

  「秋来れば 運動会が 待っている 今年見学 行こうと相談」 

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人間牧場

〇ロケ風呂竹屋根の葺き替え工事終わる

 新築以来腐りもせず、雨漏りもせずどうにか持っていたロケーション風呂の竹屋根が腐り始めたため、設計した息子から張り替え工事を計画したいと申し出がありました。費用や手間のことを考えれば別の方法もあるのでしょうが、息子は最初からエコ的な発想にこだわって竹葺き屋根にしていました。設計した息子は「10年間は持つ」と言っていたので、10年目を迎えた今年の春、もうそろそろと注意をして見ていましたが、ここに来て「そろそろ葺き替えたほうが良いのでは」と息子から工事の提案がありました。

 息子は竹の切り時が盆月なので、中山の友人に頼んで真竹を手配し、お盆頃その友人の手助けを得て切り出した竹を出入りの建築屋に持ち込み、準備を進めていました。息子は竹の見分け方についてはまだ未熟で、中には新竹過ぎて使い物にならないようなものもあったようだし海側に面した見えない部分の片屋根はスレートに変更し、3日ほどの作業で何とか葺き替え工事を終えることができました。出来上がった屋根を2~3日前に見に行きましたが中々の出来栄えでした。

 葺き替える前の古い朽ちた竹材は建築屋さんがダンプに積んで持ち帰り処分してくれましたが、新竹で使えない竹はロケ風呂横の斜面に山積みされていて、片付ける必要があるので昨日の作務修業に合わせて焼却処分することにしました。あいにくの小雨模様でしたが風もなく、竹の表皮は油分がかなりあるのでよく燃え、鎌で小切りしながら火の中へくべ、2時間ほどですっかり綺麗に処分することができ、ホッつと一安心といった感じです。もしこれまで同様竹葺き屋根が10年後まで持つのなら、私の代はこれで終わりですが、人間牧場の負を受け継ぐ息子のために、何としても元気で10年後の葺き替えを見届けてやりたいものです。

  「10年は 持つと言ってた そのとおり 竹葺き屋根は 雨も漏らずに」

  「わが息子 友人手伝い してもらい お盆の頃に 竹切り作業」

  「10年後 見届けたいと 健康を 自分に誓い 今日も鍛える」

  「残材を 焼却処分 鎌振るう 跡形もなく 綺麗片付く」

葺き替え工事後の竹の残材
葺き替え工事後の竹の残材

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹の焼却処分
竹の焼却処分
綺麗に葺き上がった竹葺き屋根
綺麗に葺き上がった竹葺き屋根
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〇上野地区公民館の高齢者教室に招かれて

 伊予市には旧市街に4つ、中山と双海にそれぞれ1つ、合計6つの地区公民館があります。昨日はその中の一つである上野地区公民館の高齢者教室に招かれ出かけて行きました。合併で同じ市内になったといいながら、農山漁村地域の双海町とは、生活環境や暮らしも随分違っていますが、高齢者の置かれている立場はどこも一緒で、目まぐるしく変化する社会の中で、体と将来への不安を抱きながら暮らしているというのが正直なところのようです。

上野公民館
上野公民館

 演題は「心豊かに生きる」でした。皆さんにまず手持ちの資料のメモ欄に一本の横棒線を引いて貰おうと思いましたが、殆ど全員メモを取る様子もないので、自分の後ろの黒板に板書をするように私が書きました。左端にゼロ歳、右端に100歳と書き、全国には100歳以上のお年寄りが5万人を越え、愛媛県内にも800人ほどいることを話し、100歳まで生きることが夢でない時代であることを認識してもらいました。昔は生きたくても生きられぬ時代でしたが、今は生きたくないのに生きなければならない時代であることも付け加えました。

 さてこの自分の人生という横棒線に、自分の今の年齢と自分の目標とする死ぬ年齢を書き込みますが、皆さんにインタビューのマイクを向けて「何歳まで生きるご予定ですか?」と尋ねましたが、80歳とか100歳とかただそのときの思いつきで答える人が多いように思いました。これは上野地区の人だけではなく、自分の命は明日が分らないという人間本来の姿なのかも知れません。しかし結果的に100歳まで生きたのと、100歳まで生きようと思って生きるのとでは随分生き方が違うのです。

 日本は平均寿命が男性80歳、女性86歳と世界一の長寿国になったけれど、平均寿命と健康寿命には6~7年もの差があることを考えれば、「健康で長生き」、つまり寝たきりにならない生き方を考えなければならないのです。そんな四方山話を面白おかしく笑いを交えながら、90分間話させてもらいました。午後1時30分という午睡の時間ながら、また人の話を30分も聞くと農のシャッターが下りるという年齢ながら寝る人もなく終ることができました。

 帰り際、「楽しい話だった。ためになる話だった。また来てや」と声をかけられ拍手をいただいて会場を後にしました。帰宅後参加した人の一人からメールが届き驚ろきました。この日集まった人の殆どは、私と同じように学校でパソコンを習っていない世代です。でもこの人は独学でしっかりと習っているのです。メールには私の話への感想が述べられ、帰宅後生活設計をやってみたようでした。講演を聞いた全ての人の心を揺り動かすことは不可能です。でも一人でも私の話に耳を傾け、実践しようとしてくれたのですから、これはもう感動ものです。昨日はいい一日となりました。

  「高齢者 50人ほど 集まって 私の話 入れ歯ガクガク」

  「聞いたけど 右から左 抜けて行く これも年齢 仕方がないか」

  「帰宅する メールが入り 読んでみる 驚きました 教室参加者」

  「一人でも 私の話 真に受けて 早速実践 嬉しい限り」

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〇今月今日の私の自画像

 「自分で自分の写真を撮る」ことは多少恥じらいがあります。ましてやそんなに二枚目でもなく(いや、もっとない)、顔に自信のないコンプレックスを持っているとなればことさらで、写真に写る機会があればいつも、目立たないような隅位置に陣取って来ましたが、2~3年前からその考えを改め、せめて月に1度程度は自画像を撮ろうと心に決めて、折に触れてデジカメの自動シャッターを使って自画像を撮り、記録のつもりでブログにアップしています。

これからの人生で一番若い今朝の自画像
これからの人生で一番若い今朝の自画像

 今朝も何を思ったのか自画像を撮ろうと急に思いつきました。カメラを木になるカバンから取り出し、机の横に置いているプリンターの上に置き早速撮ろうとすると、パジャマのままであることに気がつき、慌てて普段着に着替えました。3日前に1ヶ月に一度の散髪を終えていますが、今朝は髭も剃っていないので不精な顔つきです。こうして思いつくまま不定期ながら1ヶ月に1枚程度顔写真を撮ると、先月と今月の差は余りないように見えるのに、3年前とは明らかに顔相が少し違って見えるのです。

 私が自画像を撮っていることを妻は知っているので、冗談交じりに「お父さんはいつ死んでも遺影には困らない」と言われていますが、季節の変わり目とでもいうのでしょうか、一昨日も昨日も近所にご不幸があって、仕事の都合で葬儀には参列できず、不義理ながら友人に香典を預けなければならなくなりましたが、争議に参列する度に遺影について考えさせられるのです。その話をすると「縁起でもない」と妻は時々言いますが、さて私もそろそろ遺影に使う自画像を撮っておきた気がしています。

 今朝の自画像は自分の書斎でブログを書いている「在りし日」の若松進一です。「在りし日」と書いたのは、写真を撮った時間がたとえ数10分前であれ、その時はもう過去のものになっているからです。自分のこれまでの人生はさておいて、これからの人生では今が一番若いという事実もあるのです。老いの下り坂をブレーキをかけながら生きている自分をどう見つめながら生きるのか、これまで働いていた遠心的視点が、求心的視点に変わってきたことを実感した朝でした。

  「自画像を 臆目もなしに 月一で 撮ってはブログ 記録に残す」

  「ご近所で 葬儀続いて 少しだけ 自分行く末 思って暮らす」

  「遺影用 そろそろ準備 しておこう 縁起でもない 妻に怒られ」

  「遠心が 求心変わり 始めたと 実感しつつ 日々を生きてる」

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〇孫の小旅行

 長かった夏休みもいよいよ秒読み段階になってきました。今年一年生で初めての夏休みを迎えた孫希心は、学童クラブのお世話になっているので、弟奏心が保育園に登園する時間と一緒に弁当を持って、地域事務所2階の部屋へ通勤しています。先日の木曜日には学童クラブの一日遠足で、松野町のお魚館までチャーターバスで連れて行ってもらい、ガラス細工や昼食で楽しい小旅行を楽しんだようでした。

列車で小旅行の親子
列車で小旅行の親子
新調された上灘駅の看板
新調された上灘駅の看板

 日曜日には上灘駅から列車に乗って松前の母親の実家へ、息子に連れられて出かけることになりました。普通は車で出かけるのですが、母親が体調を崩している実家の、孫にとってはおじいちゃんおばあちゃんの世話に先に出かけていたため、私が上灘駅まで送って行き、そこから短いながら北伊予駅まで列車の旅です。孫たちは列車が大好きで、マッチ箱のような一両編成の列車に乗り込み、はしゃぎながら手を振って去って行きました。

 今この路線は愛ある伊予灘線と命名され、夕焼けビール列車や伊予灘物語という観光列車が走っています。そのため駅舎も少し化粧直しが施され、ホーム側から見ると改札口に「上灘駅」という欅の板の看板も設置されていました。昇降客で賑わったり蒸気機関車が走っていた頃の、かつての賑わいはありませんが、それでも並行路線ながら廃線になることもなく今日を迎えていることを喜ばなければなりません。

 私は時々県外出張の際この上灘駅舎から列車に乗ります。列車に乗っている人は高校生であったり病院へ通うお年寄りが殆どで、車内はがら空きですが、松山駅まで各駅に止まる鈍行列車は、まさに「ふるさとの訛懐かしい~」で、車窓に広がる伊予灘の海や家並みも時間が止まったように懐かしく、昔の思い出が蘇ってくるのです。JRのキャンペーンロゴではありませんが、「そうだ!!、列車に乗ろう」と思います。スピード優先、車優先、便利優先の社会の中で忘れかけていた人間優先、のんびり優先を少し思い出させるローカル線です。

  「孫たちが 親に連れられ 列車旅 窓の向うで 手を降り交わす」

  「ローカルな 駅舎・列車 人まばら ゆえに長閑で のんびり優先」

  「この駅も 人で溢れた 昔あり 今は無人で 人影もなく」

  「忍び寄る 秋風ススキ 撫でながら 今日も明日も レールは続く」

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人間牧場

〇地元の裏盆盆踊り

 昨日の夜は、地元灘町の盆踊りがありました。私が青年団活動をしていた若い頃は、町内の沢山の集落で盆踊りが行なわれていて、連日連夜仲間と一緒に各集落の盆踊りに出かけて、踊ったり酒を飲んだりして青春を謳歌したものでした。今は下浜と池久保、それに灘町の三ヶ所になってしまい、その三ヶ所も踊り手が少なく風前の灯といった感じで、時代の流れを感じずにはいられません。

盆踊りを踊る孫希心
盆踊りを踊る孫希心

 わが家は集落の付き合いは息子に代替わりしていて、今年は順番による自治会の組長を息子が初めて引き受けています。ゆえに若嫁は息子に代わって組長の仕事をけなげにこなしています。毎月の組費の集金や回覧に加え広報の配布、組長会や公民館活動への参加など、組長の仕事も結構忙しいようです。昨日は朝から櫓を組んだり慰霊祭の準備があるので、孫たちを家に残して朝早くから手伝いに出かけて行きました。

みんな楽しそうでした
みんな楽しそうでした

 準備が終って昼前に一旦帰り、夕方戦没者や新盆を迎えた人の慰霊祭があるので出かけましたが、息子や孫それに私も午後7時から始まる盆踊りに参加するため、灘町公民館横の空き地へ出かけました。私も区長をした折、踊り子を確保するのに苦労した経験があるので、「枯れ木も山の賑わい」とばかりに参加して皆さんと一緒に踊りました。若嫁はかき氷夜店の担当でした。地域おこし協力隊の冨田さんや川口さん、それに漁協女性部の松本部長さんたちも参加してくれていました。

 ひょうきんな二人の孫も盆踊り初デビューで、みんなの後ろで輪に加わり見よう見真似で私と一緒に、楽しそうに踊っていました。盆踊りはどこか懐かしい日本の原風景で、絶やして欲しくないものの一つですが、いつまで続くか心配です。私が現職のころにまちづくりの一環として製作した「双海音頭」さえも、今は懐かしい感じがするほどです。それにしてもよそ者と思われる地域おこし協力隊の冨田さんや川口さん、漁協女性部の皆さんたちの支援を惜しまない活動には頭の下がる思いです。同じ町内に住みながら参加しない住民がいることに恥ずかしい感じもします。今一度ふるさとの元気を取り戻すために、参加する気風を復活して欲しいと願っています。

  「盆踊り 今年も細々 でも参加 年に一度の 顔にも出会い」

  「孫デビュー 前に吊られて 踊ってる いやはや嬉しい 光景でした」

  「かき氷 おひとつどうぞ 勧められ 暗がり見ると 若嫁笑顔」

  「戦没者 新盆写真 並べられ どこな悲しい 裏盆慰霊」

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人間牧場

〇目にはさやかに見えねども

 昨日は久しぶりにシーサイド公園に出かけました。今年の夏は雨が多くて蒸し暑かったものの、太陽の照りつける日が少なく、日照時間は記録に残るほど少なかったようです。例年だと昨日と今日は土日なので夏休み最後の海水浴で賑わうはずなのに、砂浜に海水浴客の姿はそんなに多くありませんでした。
 このところ日照時間が少なく、雨が多かったせいで野菜が品薄となり高騰しているようで、普通の年だとキウリ一山100円なんて時期なのに、1本百円もするようです。

珍しいカマキリ
珍しいナナフシカマキリ

 そんなこともあって、わが家の家庭菜園でシシトウ、ピーマン、ナス、キウリを適当に収穫してじゃこ天のお店と鮮魚店のおばちゃんに持って行ってあげました。両方とも大層喜んでくれ、お礼につみれと作ったばかりのにぎり寿司をいただき、わらしべ長者の存在をいかんなく発揮しました(大笑い)。
 わが家では雨が足繁く降るお陰で、野菜が水不足で枯れることもなく大豊作で、特にシシトウとピーマン、それに長ナスは追肥のお陰で沢山実をつけ、近所へお裾分けして喜ばれているのです。

 わが家では目下のところカブト虫やクワガタの話題が持ちきりで、玄関先に置いた虫篭には色々な種類のクワガタが孫と息子によって飼われています。息子は地域づくりの一環として中山の友人とクワガタを増やし、ワンダーランドを造ろうと意気込んでいて、昨晩も子どもたちを集めて教室を開いたようでした。孫はまだ小学一年生と保育園年中ですが、既にカブト虫やクワガタの交尾のことを知っていて、親は時々その質問に戸惑う場面も見られるようです。孫にとっては避けて通れない性教育の場面です。

 昨日珍しい虫を見つけました。田舎のことゆえしょっちゅう庭先や家庭菜園で珍しい小動物を見つけますが、孫から「おじいちゃん、これ何という虫」と聞かれる度に、知ったかぶりで説明をしてやりますが、昨日のクロアナバチといい、この歳になっても知らないことがいっぱいあるようで、インターネットで調べたりしながら、孫の成長とともに少しだけ心もとない進化を遂げているのです。長いと思っていた孫の夏休みもあと一週間となりました。背中に汗疹を出す程度で今年の夏も、どうにか家族全員乗り切れるようです。

  「野菜類 お裾分けして 喜ばれ わらしべ長者 色々お返し」

  「クワガタを 増やして田舎 活性化 目論見だけは 見上げたものだ」

  「孫たちは クワガタ交尾 はや知って 親に質問 親は戸惑う」

  「汗疹出る 程度で夏を 乗り切った 秋の気配を 早くも感じ」

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