人間牧場

〇次男一生の結婚披露宴(その2)

 私もかつて結婚披露宴の司会を、537組という驚異的な数をこなしているので、披露宴2時間30分のストーリーはおおよそ分っていますが、私が手掛けたころの披露宴と根本的に違うのは、媒酌人が姿を消したことと、お義理的な著名人の長い祝辞がなくなったことです。昔は必ずといってよいほど媒酌人がいて、新郎新婦を「〇〇大學を優秀な成績でご卒業され~」とまるで歯の浮くように誉めたたえていました。最近は見合いなどといった型どおりの結婚より、婚活や恋愛で結婚する人が多いため、媒酌人があいさつして披露宴が始まることが少なくなりました。

孫たちも正装して勢揃い
孫たちも正装して勢揃い

 また披露宴に政治家が多数詰め掛けて長々と祝辞を述べることもなく、主賓祝辞も2人程度となり、家と家より、結婚をする二人が主役になる披露宴になって爽やかさが増してきました。次男息子は高校生の時代から20年を越えて演劇団イリュージョンで活動しているため、プロモーションビデオが上映され、また病院の友人が凄いパフォーマンスを披露して、両方とも参加者の爆笑や度肝を抜かれました。わが家の親族は次男の活動や人となりを知っていますが、新婦側の親族は大いに驚いたようでした。わが家や親類の孫たちにとっては、2時間30分の大人のショーは少し退屈だったかかもしれません。

息子のプロモーションビデオ上映
息子のプロモーションビデオ上映

 それでも屋外ウッドデッキでのフルーツやケーキをふんだんに使った、お洒落なケーキパーティには子どもたちも大満足で、そこら辺を走り回って、フーセンを飛ばしたりしながら大はしゃぎでした。勿論私たちも次々と出てくるお洒落な料理に舌鼓を打ち、お酒を飲めない私も満腹の手合いでした。会場の雰囲気も最高で、さすがに人気ナンバーワンだけあって見事な演出に感心しました。わが家には警察官をしている三男がまだ一人身なので、親類の人から「早く結婚しろ」「次はお前の番だ」などと、随分攻め立てられていたようでした。

花束贈呈
花束贈呈

 結婚披露宴の最後には、新婦が両親に宛てて手紙を朗読し少しウルウルさせられました。両母親には花束を、両父親にはささやかなプレゼントを貰いました。花嫁の父親にはホテルの宿泊券、私には温泉の60枚綴りの入浴券を貰いました。最後の締めは両家親族を代表して、父親である私のあいさつでした。何も考えずその場で思いつくまま少し短めのあいさつをしましたが、まあこの程度のあいさつでビビルほど小心者でもないので、参加者にはいたって講評で、お世辞でしょうが「いいあいさつでした」と、沢山の方々から賛辞をいただきました。総じて思い出に残る爽やかな結婚披露宴でした。

  「2時間半 孫にとっては 集中力 少し途切れて 少しあくびを」

  「親父ゆえ 締めのあいさつ するハメに 用意もせずに 思いつくまま」

  「母親に 花束貰い 私には 温泉好きと 入浴券を」

  「まだ一人 三男独身 妻は気に してるが本人 あっけらかんと」 

 

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〇冬の足音が近づいて来ました

 この2~3日は北西の季節風がかなり強く吹いて、秋を通り越し一気に冬支度となりました。朝の散歩をする人もめっきり減って、出会う人たちも身を縮めて歩いているような感じで、「今朝は寒いですねえ」などと声を掛け合い、足早に歩いていました。北の北海道に住む友人からは、雪や低温の便りどんどん届いていますが、北海道から比べれば寒いといっても10度そこそこなので、我慢できないほどではありません。

 庭の隅に植えている山茶花の花が咲き始めました。晩秋から冬枯れのこの季節は花の少ない時期なので、赤い山茶花の花は見るだけで心を和ませてくれます。これからしばらくの間はダイニングの掃き出し窓から、食事をしながら山茶花の花を楽しみたいと思っています。昨日の夕方山茶花の花の根元で、同じような花ながら西洋ツバキの花も咲いていました。植えた訳ではなく、小鳥の糞から芽吹いて大きくなったものと思われますが、とても綺麗でした。

 「赤富士」とは夕日に染まった富士山の景色をいいますが、多くの画家が描いたり、写真家が写真に撮っています。昨日の夕方私の家の直ぐ目の前に聳える町のシンボル本尊山が、夕日に映えて赤く見えました。このところの冷え込みで本尊山周辺も山が色づき始め、特にハゼモミジの赤い色が目立つようになってきましたが、日々の暮らしの慌しさの中で忘れていた光景に、思わず見とれてしまいました。冬は私たちの住んでいる双海にも、駆け足でやって来たようです。今朝も少し肌寒さを感じながら新聞配達のおじさんを迎えました。

  「庭の隅 真っ赤な花の 山茶花が 咲いて心を 和ます晩秋」

  「山茶花の 根元に椿 二輪咲く 小鳥の仕業 思わずしゃがむ」

  「夕焼けに 本尊の山が 染まりたる ハゼのモミジも 彩り添えて」

  「寒いねえ 朝のあいさつ そこそこに 足早過ぎる ウォーキングする人」

山茶花赤本尊山

 

 

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〇机の引き出しから出てきた印鑑

 サインで決済する外国人とは違い、私たち日本人の暮らしにとって印鑑は、なくてはならない大事な道具です。重要な決済以外は印鑑さえ押せば、それがたとえ三文印であっても処理が出来て、双方が納得安心するのですから、考えてみれば可笑しな話です。私は印鑑証明が必要な時に使う実印の他、貯金通帳を作る時登録している準実印以外に、書類に押す印や講演等で持ち歩いている印、それに自著本にサインを求められた時使う落款のような印を目的に応じて使い分けています。

石彫りの篆刻印(左)と木彫りの彫刻印(右)
石彫りの篆刻印(左)と木彫りの彫刻印(右)

 昨日机の下の引き出しを掃除をしていると、面白い印が二つ出てきました。一つは私が代表をしている21世紀えひめニューフロンティアグループのメンバーで出かけた韓国旅行の折、みやげ物店で買った木彫りの印です。印の周りに彫刻をしていて、定かではありませんが10年前当時5千円くらいだったと記憶しています。かなり大きな「若松」という丸印なので、日常的に使うこともなく引き出しの隅で眠っていましたが、この際持ち歩いている私の愛用の木のカバンに似合うようなので、これから講師用として使いたいと思います。

 もう一つは篆刻印です。立派なケースに入ったこの印は、双海町出身で大阪に住む当時中年だった女性が、趣味の篆刻で石に彫ってプレゼントしてくれたものです。私の自著本サインに押したゴム印を見て、少し軽少と感じたようで、思いを込めて彫ってくれました。これは「若松進一」と彫ってあるので、私以外には使えないので私一代って感じです。字の余り綺麗でない私のサインでも、この印を落款のようにサインの下に押すと、見栄えがするのですから大したものです。最近はサインを求められることも少なくなりましたが、これからはこの印を毎日三枚書いているハガキにでも押そうかとも思いますが、はてさて受け取った人はどう思うでしょうか。

  「引き出しの 中から印が 二つ出た これを使って これから生きよう」

  「三文印 使っていても 印は印 相手信用 可笑しな話」

  「篆刻と 木彫り彫刻 二つ印 凡人ゆえに 過ぎたるものと」

  「印なくも 私の文字は 真似できぬ 下手か上手か 分らぬがいい」  

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〇歳をとるということ

古希を迎えた私の自画像
古希を迎えた私の自画像

 「古来稀なリ」という古希を迎えると、何か年寄りになったような気分になるから不思議です。それもそのはず、私と同じような年代の人は既に、老人クラブに入会したりグランドゴルフに通ったりして、高齢を謳歌しているようで、私にもそうしたお誘いがじわじわと近づいているようですが、まだまだと見栄を張るかのように突っぱねています。昨日黒山登山に出かけ、往復2時間の山道を歩きましたが、他の三人の若い人に負けないほどの健脚に、少し自信のようなものを感じ、自宅に戻って妻にそのことを話すと、「それを年寄りの冷や水というのよ」と軽くあしらわれてしまいました。

 先日妻が私に着せるため、ピンクがかった服を買って帰りました。私はそうした派手な服はこれまでも着たことがないので、「要らない」と少し不機嫌になりました。「歳をとるとパジャマや普段着でウロチョロする人が多く見受けられるがみっともなく、歳をとればなお更少しお洒落をすべきだ」と妻は言うのです。一利あるとは思ってみても、流石にピンクのシャツを着るほどお洒落な人間ではないのです。
 そういえば先日松山にある星ヶ岡温泉に出かけた折、脱衣場で八十歳を越えたおじいさんが着替えをしている姿を見ました。そのおじいさんは何と真っ赤なボクサータイプのパンツをはいていたのです。

 脱衣場で着替えをしていたお客さんの目が、一斉にそのおじいさんのパンツに釘付けになりました。当のおじいさんはさも「どうだ、参ったか」てな感じで得意顔になって、脱衣場をウロチョロしていました。いやはや驚きで、私など見ているだけでも恥ずかしくて目を覆いたくなるような光景でした。
 私のような古いタイプの人間は、ある種自分の地味さを歳のせいや、田舎暮らしのせいだと思っていますが、赤いパンツのおじいさんほどではなくても、もう少しお洒落な身だしなみをしなければと、少しだけ反省しました。先日思い切って妻が買って来た、ピンク系のシャツを来て外出をしました。出会った人が「進ちゃん、今日は偉いおめかしして何処へ行くの!!」と皮肉めいて尋ねられましたが、「進ちゃん、今日は格好いいねえ!!」とも言われました。まあいいか・・・。

  「温泉の 脱衣場赤い パンツはき これ見よがしに 見せるじいさん」

  「ピンク系 シャツを私に 着よという 流石の私 嫌だとぐずる」

  「歳とれば 地味より派手が 一番と 思ってみるが 私にゃ出来ぬ」

  「体力じゃ 若い人には 負けるけど 気力は今も 年寄り冷や水」

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〇雑草ハコベをスムージーにして飲みました。

 一年納めの九州場所が始まると、北西の季節風が強まって、一気に冬支度といった感じですが、今年の秋は昨日まで暖かい日が続いたため、家の横の家庭菜園ではキャベツに青虫がまだ沢山いて、毎日腰をかがめながら暇を見つけて青虫取りをやりました。消毒をしない無農薬の安心安全を目指す野菜作りも、中々骨が折れるものです。加えてもう雑草が休眠に入る時期なのに、このところの温かさと露をいっぱい含んで、野菜にまとわりつくようにハコベ草が蔓延っています。

スムージーにして美味しく飲んだハコベ(ヒヨコ草)
スムージーにして美味しく飲んだハコベ(ヒヨコ草)

 昨日は松山から講演を終えて帰宅後、野良着に着替え畑に出てハコベ草を手鍬で抜く作業をしました。私が子どものころわが家ではニワトリを飼っていて、この柔らかいハコベ草をヒヨコが好んで食べることから、ヒヨコ草と呼んでいて、畑のヒヨコ草をまな板で細かく切り、ぬかを混ぜてヒヨコの餌にして与えるのは私たち子どもの役割でした。ヒヨコ草を食べたり地中のミミズ等を食べるからか、ニワトリの産んだ有精卵の黄身は真黄色で、箸でつついても中々破れないほどで、卵かけご飯にして食べるのが唯一のご馳走でした。

 後で知ったのですがハコベは、春の七草ハコベラともいわれ、人間が食べてもいい雑草なのです。わが家では毎日大根葉や小松菜等を毎朝収穫して、果物と一緒にジューサーにかけてスムージーという飲み物を作って、健康のために飲んでいますが、ハコベ草も七草であるのなら雑草として処分するだけでなく、スムージーにして利用したらどうかと思い立ちました。今朝は昨日の昼頃から強くなった北西の風が一段と強くなり、車庫の上の発電用風車も勢いよく回って、寒さが一段と増していますが、思い切って畑に出てハコベ草を一つまみ収穫して来ました。妻に頼んでスムージーにしてもらいましたが、色も鮮やかで美味しく飲むことができました。これで元気もリもリです。

  「雑草と いわれるハコベ 抜き取って 果実とともに スムージーして飲む」

  「緑濃い ヒヨコ草入れ スムージー 妻は半信 半疑で飲まず」

  「畑では 春の七草 ハコベ草 雑草処分 意味もないまま」

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〇寝過ぎは「ボケと糖尿病を招く」って本当かしら?

 一年治めの九州場所が始まり、晩秋といわれるこの頃になると夜明けが遅く、日の入りが随分早くなって、夜の時間が長くなりました。長い夜の過ごし方はテレビを見る人、安眠を貪る人、読書にふける人、お酒を楽しむ人などなど人それぞれですが、先日テレビを見ていると「寝過ぎはボケと糖尿を招く」というショッキングな話題が報じられていて、思わず目と耳を向けて見聞きしてしまいました。

 睡眠不足が肥満や糖尿病につながるという話は聞いたことがありますが、実は中年以降は寝過ぎにも注意が必要なようです。イギリス・ウォーリックス大学の研究によると、長い睡眠は脳を老化させることが明らかになったようです。その研究では50歳から89歳までの9千人を対象に、睡眠と脳認知機能の関係を分析、50歳から64歳では睡眠時間が6時間以下の人だけでなく、8時間以上の寝過ぎの人でも、記憶力と意思決定能力が下がることが分りました。

 さらに64歳以上で認知機能の低下が見られたのは寝過ぎの人のみ、マドリードのコロンビア大学の調査でも、60代、70代で9時間以上眠っている人は、6~8時間睡眠の人に比べ認知機能が倍近く低下しているというのです。影響は脳だけでなく糖尿病患者が最も少なかったのは7時間睡眠の人たちでしたが、5時間以下の睡眠になると糖尿病は2.6倍、8時間以上の睡眠だと3.6倍に跳ね上がるのだそうです。

 長時間睡眠が悪影響を及ぼす明確な理由は分かっていませんが、睡眠には浅いレム睡眠と、深いノンレム睡眠があって、短かかったり長かったりが一概に悪いのではなく、眠りの質が細胞の修復やホルモンの分泌に影響を与えるようです。「じゃあ何時間寝たらいいの?」といえば、25歳で7時間、45歳で6.5時間、高齢者で6時間が目安のようです。寝過ぎて頭がボヤーとしたことがあったことを思い返せば、寝さえすれば元気が回復するという今までの考え方は、少し古くなっているようです。

  「人間は どれほど寝れば いいんだろう 疑問の館 寝つつ考え」

  「寝過ぎると ボケに加えて 糖尿病 本当だろうか 疑いながら」

  「8時間 境に多い 少ないと いってはいるが 私は少なめ」

  「夜長く 感じる晩秋 この時期は 寝るのも楽しみ ひとつですから」 

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〇友遠方より来るありまた楽しからずや(その2)

 おんせん県大分別府に住む縄田さんとは、昨年の12月に国立大洲青少年交流の家で開かれた地域社会教育実践交流集会で初めて出会いました。私が司会をしたインタビューダイアローグのパネラーとして登壇していた、縄田さんの本職は小学校の教員で、現在は生涯学習センターに勤務していますが、若い頃青年海外協力隊の一員としての経験がある異色の人だったので、興味とフィーリングがあったようで、直ぐに友達になりました。以来メールやハガキのやり取り、講演依頼などなど密度の濃い交流を続けています。

足湯の交わり
温かい足湯の交わり

 昨日大分県九重町の野上公民館の人たちが、わが町へ視察にやって来ましたが、野上公民館の指導も日常的にされていて、別行動ながら人間牧場へご一緒にやって来られました。午前中の視察を終えて一行が帰った後、少しの間レストランでの昼食、翠小学校の見学、わが家の私設公民館煙会所、海の資料館海舟館などを見ながら、楽しいお喋りの時間を過ごしました。本職は小学校の先生だし県教委の社会教育主事なので、雑談めいた教育議論にもメモを取りながら熱心に耳を傾け、いやはや驚きでした。

 私は年中人と出会っています。100回会っても1回しか会ったような感じかしない人もいますが、1回会っただけで100回も会ったような感じのする人もいます。縄田さんは後者の最たる人で、僅か1年の出会いが周りを巻き込んでどんどん膨らみ、大きな輪になっています。縄田さんを見ていると私の若い頃を思い出します。暇さえあれば外に出かけ、人に会い人に教えを請い、人とともに活動をしました。縄田さんは情報発信の名手で、facebookも彼女の道具の一つのようで盛んに投稿しています。

 人の値打ちを決めるのはやはり心の温かさだと思います。現代人間は損か得か、好きか嫌いかという見栄えで人を判断しがちですが、損得・好き嫌いよりも、温かい人間的力こそ大事なのです。縄田さんの人間力から学ぶことは多く、これからも大事にしたい、私の新しい親友です。進み過ぎる社会と縮む社会が混在化して、一見見えにくい現代の世相ですが、いつの世も迫り来る悩みや世相は同じで、鳥の目と虫の目の複眼を持って生きて行かねばなりません。そのキーワードは温かい人間力のようで、縄田さんにそのことを教えられた1日でした。

  「まだ一年 だけど十年 会ってるよう そんな気がする 遠来の友」

  「おんせん県 大分別府 住む人が はるばる愛媛 ワクワク・ドキドキ」

  「束の間の 短い時間 サプライズ 思いつくまま あちらこちらへ」

  「温かい 人間力が ある人は また会いたいと 不思議に思う」

 

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〇年輪塾秋の勉強会(その4)

 今回は大洲藤樹会の会長である辻喜千治さんを講師にお招きしました。元学校長の辻さんは藤樹の研究家としても知られている人だし、これまで一年間の藤樹学習会に度々顔を覗かせ、ご指導をいただいているのですっかり顔馴染みとなって、これまで効けなかった話を途中10分間の休憩時間を挟んで3時間も、松本小番頭と亀本さんが用意してくれたパソコンスライドを用意して、分りやすくお話をしてもらいました。内容は多岐に渡っていて、幸いそれらの資料は清水さんを通じて昨日、私たち塾生にメール配信されているので、詳細なルポは避けますが、近江聖人中江藤樹の教えは次の4つが主流でした。

熱弁をふるう辻先生
熱弁をふるう辻先生
熱弁を聴く塾生
熱弁を聴く塾生

 致良知(ちりょうち)
 人は誰でも「良知」という美しい心を持って生まれています。この美しい心は、誰とでも仲良く親しみ合い、尊敬し合い認め合う心です。ところが人々は次第に醜い色々な欲望が起きて、つい良知をくもらせてしまいます。私たちは自分のみにくい欲望に打ち克って、良知を鏡のように磨き、その良知に従い行いを正しくするよう日々努力することが大切です。

 孝行(孝行)
 私たちの心や体は、父母からうけたものであり、父母の心や体は先祖から受け継がれたものです。それはもともと、大自然から授かったものです。孝行とは父母を大切にし、先祖を尊び、大自然を敬うことです。そのためには自らの良知を磨き、体を健やかにし、行いを正しくし、家族やまわりの人々と仲良く親しみ合うことが大切です。さらに子どもを温かい心でしっかりと育てることも孝行です。(親孝行=子孝行)。

 知行合一(ちこうごういつ)
 人々は学ぶことによって、人として行わなければならない道を知ることができます。しかし学んだだけでそれを行なわなければ、本当に知ったことにはなりません。物事をよく理解し、実行してこそはじめて知ったことになるのです。

 五事を正す(ごじをただす)
 五事とは「貌(ぼう)・言(げん)・視(し)・聴(ちょう)・思(し)」を言い、それを正すことは、和やかな顔つきをし、思いやりのある言葉で話しかけ、澄んだ目で物事を見つめ、耳を傾けて人の話を聴き、真心を込めて相手のことを思うのです、普段の生活や身の回りの人々との交わりの中で、自ら五事を正すことが、すなわち良知を磨き、良知に到る大切な道です。

 年輪塾も10周年を迎えます。来年は1月17日年輪塾、6月13日田処大杉年輪塾、7月10日~12日中江藤樹のふるさと滋賀県小川村への修学旅行、10月3日~4日人間牧場10周年記念事業などなどが既に計画されていて、来年は忙しくなりそうな雲行きですが、知行合一、五事を正して頑張りたいものです。

  「年輪を 刻むが如き 学びの場 知るに加えて 行いせずば」

  「今回も 遠心力より さらに上 求心力を 随分高め」

  「わが顔を 鏡に写し 見てみるが まだまだ修業 足らぬ思いに」

  「五事正す ぼう・げん・し・ちょう・し 覚えたり あとは実行 知行合一」 

学びを終えて晴れ晴れと
学びを終えて晴れ晴れと

 

 

 

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人間牧場

〇年輪塾秋の勉強会(その2)

朝霧に霞む冨士山から見下ろした大洲盆地
朝霧に霞む冨士山から見下ろした大洲盆地

 一行は大洲盆地の中心に聳える冨士山に裏手の登山口から登りました。冨士山といえばツツジの名所ですが、今は晩秋の頃で早朝ゆえ訪れる人も殆どなく、山頂付近の展望台は、私たちの団体だけでした。この時期のよく晴れた冷え込んだ朝は、雲海が大洲の街をすっぽり覆うのですが、この日は残念ながら温か過ぎて雲海を見ることは出来ませんでした。それでも大洲盆地特有の朝霧が、私たちを歓待するように出始め、少しだけ幽玄の世界を体感することができました。辻会長さんや亀本さん、それに気象予報士の資格を持つ清水塾頭の話を聞きながら、「あれがお城」「あれが高山地区」「あの辺りが金山出石寺」などと指差す方向を見ました。

登録有形文化財の可動橋通称赤橋
登録有形文化財の可動橋通称赤橋

 その後車を置いていた直売所愛たい菜で合流して、肱川沿いの道を下り長浜大橋を目指しました。車の中で運転してくれている浜田さんと、色々なお話をしながら走り、商店街のはずれから長浜大橋を車で渡り、大橋のたもと沖浦側の道沿いに車を止めて、大橋の見学をしました。長浜大橋は肱川河口にある道路橋で、近代の道路橋としては唯一の可動橋で、地元では「赤橋」の愛称で親しまれています。可動形式はパスキュール式(跳開式)、橋の長さは232.3m、幅員5.5m、5つのトラス桁と可動部1スパン、対重径間桁1スパン、計7スパンの鋼鉄製です。戦時中はグラマン機の機銃掃射を受け、トラス部分にはその傷跡が残っています。

 私はこれまで何度もこの橋を見ていますが、何度見ても見飽きない風景で、特に北側に新しく出来たコンクリート製の新長浜大橋の上から見る、夏の夜の花火に照らされた赤橋は圧巻です。昨日の朝は冷え込みが弱く残念ながら湯気が立ち込めるように見える、肱川嵐は見ることはできませんでしたが、いつか機会を捉えて肱川嵐公園の展望台からその勇姿を見てみたいと思っています。赤橋のたもとにあるあえごの港は、かつて坂本龍馬が脱藩の道を辿った末、ここから小舟に乗って長州まで旅立った港でもあります。最近河口付近の整備が進み、残念ながらその面影は殆ど消えましたが、その名残を後世まで語り継いで欲しいものです。一行はツワブキの黄色い花の咲き誇る海岸国道を走り、下灘コミセン駐車場で再び分乗して、年輪塾秋の勉強会の会場となっている人間牧場へ向かいました。

  「冨士山 登り朝霧 立ち込める 大洲盆地を 見下ろし見学」

  「雲海は 残念ながら 見えねども 朝霧運よく 味方してくれ」

  「赤橋の たもとで説明 聞きながら 歴史感じつ 龍馬を思う」

  「ツワブキの 黄色い花が そこここに 沖合い瀬戸の 島々浮かぶ」

 

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人間牧場

〇衣替えした座布団

 立冬が過ぎていよいよ冬支度です。居間の掘りごたつも石油ストーブも、低温ながら順調に動き始めました。妻は居間の座布団、ダイニング椅子の座布団、車の座席の座布団などに加え、私の書斎の椅子座布団も全て夏用から冬用に替えてくれました。お陰で毎朝机に向かうブログ書きも、ストーブを入れるほどではありませんが、座布団のお陰で温かく過ごせています。

座布団が恋しい季節になりました
座布団が恋しい季節になりました

 座布団といえば人間牧場には沢山の座布団があります。会議をするのは主に水平線の家の板間やウッドデッキなので、板間に直接座ると寒いので、座布団が必要なのです。最初はとりあえず100円ショップで簡易な座布団を20枚ばかり買って使っていましたが、見かねた県庁の前神さんが中心になって、仲間にカンパを呼びかけ、大洲のふとん店で立派な座布団を20枚も提供してくれました。加えて大阪天王寺に住んでいる親友桜井啓子さんからも立派な20枚のお座敷用座布団が届きました。

 座布団といえば落語です。落語ならぬ落伍をやっている私の元へ宇和島の山本さんという女性から、立派な座布団が一枚届きました。私はその座布団を高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株高座に敷いて、落伍を演じていますが、前座程度の落伍でも座布団が立派なゆえ見栄えがして、大いに活用しているものの、使い過ぎて少しくたびれてきたようですが、愛着のある座布団なのでもう少しの間使おうと心に決めています。

 今日は人間牧場水平線の家で、年輪塾が開かれます。勿論私は高座の上に敷いた座布団の上であいさつや口上を述べる予定ですが、座布団について話そうかとも思っています。座布団は日本の文化です。落語家が座布団の域を超えずに話す妙技や、料理屋さんが人を温かく迎えるために座敷に敷いてお客を迎えるに必要な大事な小道具だし、それぞれの家にも座布団の一枚や二枚はあるものです。今日は人を温かい心で迎える気持ちを教えてくれる座布団談義に花を咲かせましょうか。

  「座布団も 季節によって 衣替え 立冬来たと 暖か用に」

  「座布団は 客を迎える 思いやり 今日も来客 人数分だけ」

  「落語家は 狭い座布団 戦場に 人を笑わせ 話芸で勝負」

  「座布団を 敷いて高座で 落伍する 前座の謗り 未だ拭えず」

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