人間牧場

〇孫朋樹の運動会

 土曜日開催予定だった孫朋樹の運動会が雨で順延されたため、昨日の日曜日に妻と二人で参観に出かけました。孫朋樹は6年生なので、今年が最後の小学校運動会です。田舎では考えられませんが、松山では1年生の弟の尚樹が付属小学校に入学したため、同じ校区に住みながら別々の学校へ通っているのです。孫朋樹が通っている小学校は、道後にある湯築小学校で、住んでいるマンションの目と鼻の先にあるため、マンション駐車場に車を置き、歩いて学校運動場へ入りました。

孫朋樹小学校最後の運動会
孫朋樹小学校最後の運動会
孫朋樹はいつも土台
孫朋樹はいつも土台

 通用門付近のテントの下にゴザを敷いて、場所取りしている所を目敏く見つけ座って観戦しましたが、田舎の学校と違って児童数が多いため、出場する種目は3種目程度で、またどの子が孫朋樹なのか識別困難といったところです。この日朋樹は準備係となっていたので、何度もテント近く付近に姿を見せ、一生懸命働いていました。11時30分に昼休みとなり、体育館へ入って6人で昼食弁当を食べました。孫朋樹もすっかり逞しくなって、食欲も旺盛な食べっぷりに目を細めました。

 運動会最後の種目はイメージ組体操で、6年生全員が1m四方の自作旗を持ち、組体操する様は圧巻でした。体格的に大きいため、組体操のあれやこれやは、全て台座の役割でしたが、練習の成果を発揮して作り上げたピラミッドは見事な出来栄えで、会場から大きな拍手が沸き起こりました。14時30分に閉会したため、孫たちと別れ私たち夫婦は久しぶりに温泉を楽しもうと、行きつけの星ヶ岡温泉へ出かけ、ひと風呂浴びてさっぱりした気分で帰りました。

 昨日は翠小学校の運動会も案内を受けていましたが、残念ながら孫の最後の運動会を優先したため、見に行くことができませんでした。見に行った仲間がfacebookに写真をアップしてくれたり、メールでの報告が届いています。さあ次は孫奏心の保育園の運動会、松山工業高校の運動会、孫希心の運動会とまだ三つの運動会が目白押しです。せいぜい楽しむために足を運びたいと思っています。そうそうその間市民体育祭もあるようです。秋は大した役目もないのに何かと忙しい毎日です。

  「順延の 孫運動会 参観す 今年最後と 親子張り切る」

  「はや二つ 後に四つも 運動会 役目ないけど 何かと忙し」

  「穏やかな 秋の日差しを 浴びながら 大きくなった 孫に満足」

  「運動会 春よりやはり 秋がいい 古いやつだと お思いでしょうが」

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人間牧場

〇ミョウガの酢漬け

 わが家の裏は直ぐ山が迫っていて杉林です。小さな谷になっているので一年中清水が流れています。ゆえに自然のミョウガが生えていて、この時期には秋ミョウガ、白い花を咲かせて出てきます。わが家では毎年このミョウガを採集して、冥加の酢漬けを作ります。まず採集したミョウガを清水水場で綺麗に洗いながら、花を抜き取りザルに揚げて水気を取ります。妻はそれを用意したガラス瓶に入れて下準備ができたら、砂糖を入れて調味し二杯酢を沸かします。

P1000736P1000737 沸かした二杯酢の熱湯をミョウガの上から思い切りかけて、余熱が収まったら蓋をして一昼夜寝かせます。二日目になるとミョウガのカリカリ酢漬けが出来上がるのです。これがまた熱々のご飯によく合うのです。今年の夏は雨が多かったためキューリのできもよく、キューリのからし付けも作りました。塩と砂糖と鬼からしを程よく調合して、冷蔵庫に寝かせたピリ辛カリカリ漬けもご飯のお供にすれば、食欲が増進し、夏の食卓が大いに賑わいました。

 ミョウガといいキューリといい、ちょっとした工夫と一手間で、田舎ならではの食べ物がお金をかけることなく存分に楽しめるのです。高脂肪、過塩分、過糖分は健康にとって大敵です。特に私たちのような年齢になると、運動量が不足しがちなので、せめて食べるものでコントロールをしなければなりません。幸い料理が得意で大好きな妻は、魚と野菜をふんだんに使った手料理を、手間暇かけて作ってくれます。お陰ですこぶる元気に暮らせています。忘れていましたが、ミョウガを食べると忘れ状がよくなるという、昔からの言い伝えをすっかり忘れていました。

  「裏山に 自生のミョウガ 採集し 酢漬け作って 楽しみ食べる」

  「田舎ゆえ 自給自足に 近付いて 食べる楽しみ 工夫次第で」

  「ミョウガ食べ 忘れたことを せいにする これもパロディ 楽しみひとつ」

  「食欲の 秋を満喫 あれやこれ 妻は少々 体重気にして」

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〇岡山での講演会(その2)

 西川アイプラザでの講演会が終って壇上から降りようとすると、講演した私にそれは立派な花束が贈られました。きらびやかな世界に縁の少ない、田舎のおじさんである私には似ても似つかぬもので、穴があったら入りたいような気恥ずかしさでしたが、甘んじていただきました。控室を出る時担当の方が「この花束はいかが致しましょうか?」と気遣ってくれたので、「折角いただいたのですから明日の朝持って帰ります」と言ったら、「分かりました。大切に宿舎のホテルの方へお持ちしておきます」と気配りされました。

いただいた花束は三つに分け、玄関先、ダイニングなどに飾りました
いただいた花束は三つに分け、玄関先、ダイニングなどに飾りました

 私はその後閉会のあいさつをしている田辺さんを置き去りにして、「鯉の群」という田辺さんのお店へタクシーで店長さん・従業員さんと向かいました。程なく到着したお店はその日休みのため、店長さんたちが電器のスイッチを入れ店の内外を案内してくれました。炭焼の店らしく満席40人が座れる店内は和風民芸調で、綺麗に片付いて清潔感がありました。何よりも驚いたのは店の入口に盲人用の点字ブロックが張られ、軒先庇も雨の日には長く伸びるようなお客様本位のアイディアが施され、カウンター席には盲導犬も入れるように工夫がされていました。またメニュー帳は点字のものもあって、「ここまでやるか」と大いに驚きました。

 壁に一枚の墨書き板を見つけました。「両親を失うと過去を失い、連れ添いを失うと今を失い、わが子を失うと未来を失う」と書かれていました。私は早速ポケットから名刺入れを取り出し、名刺の裏にメモさせてもらいました。この言葉が今も頭の先にこびりついているようです。その後板前料理よしみというお店で、講演会に参加した20人と交流会を持ちました。酒屋、玉子屋、苗屋、ペンキ屋、会社員と職種は様々で、美味しい料理を食べながら大いに盛り上がりました。

 田辺さんが私と出会ったきっかけは、大島塗研という会社の蒲武士さんです。蒲さんが田辺さんのお店で「愛媛に若松さんという面白い人がいる」という、話を聞いた田辺さんが行動を起こし、蒲さんも地元瀬戸内市商工会青年部の研修会で双海町とわが家を訪ね、今回の講演会となったのですから世の中は分からないものです。私の横に座った蒲さんとも夜のふけるのも忘れて11時まで大いに人生を語り合いました。その後宿舎のシティホテルまで送ってもらいましたが、余韻覚めやらず中々寝付かれませんでした。

 明くる日はいただいた大きな花束を抱えて、岡山駅から特急しおかぜに乗り、昼前に松山へ着いて県庁で何事もなかったような顔をして会議をこなし、夕方自宅へ帰って来ました。大きな花束を見て居合わせた妻は大いに驚き、「岡山で何があったの?」と根堀り葉掘り聞くので、田辺さんのことや講演の様子、交流会での出来事を話してやりました。私にとって昨日までの二日間はまるで夢のような出来事でした。名刺の整理をし、ハガキを出して一件落着でしたが、よしみというお店でいただいた吉田さんの名刺の裏にも「人の道」という次の言葉が書かれていました。

 「忘れてならぬものは恩義・捨ててならぬものは義理・人に与えるものは人情・繰り返してならぬものは過失・通してならぬものは我意・笑ってならぬものは他人の失敗・聞いてならぬものは人の秘密・お金で買えぬものは信用」と8項目に及んでいました。「恩義・義理・人情・過失・我意・失敗・秘密・信用」、どれも納得のいく人の道でした。ああ今回も反面教師でいい事を学んだ旅でした。

  「花束を 顔に似合わず 持ち歩く 会う人毎に 首かしげられ」

  「いい人に 出会いご縁を 深めたる 小さな旅を 妻に説明」

  「定休日 飲み屋の中を 見渡して 壁に掛けたる 板に目が行く」

  「人の道 名刺の裏に 書いている なるほど納得 ブログに遺す」

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人間牧場

〇彼岸花の咲く頃

今年もあぜ道彼岸花咲く
今年もあぜ道彼岸花咲く

 汗疹のできるほどの残暑もいつしか遠のいて、朝晩は少し肌寒ささえ覚えるようになりました。北海道の友人たちから、早くも朝晩ストーブを入れていると、風の便りが届いて、北と南では気温が随分違うものだと南北に細長い日本列島を垣間見ています。昨日列車で愛媛・香川・岡山を旅しましたが、沿線田圃の周りには、それは鮮やかな真っ赤な彼岸花が、今が盛りとばかりに咲き誇って、田舎の風情を醸していました。

 彼岸花はその名の通り、彼岸頃に咲きますが、今年の彼岸の入りは9月20日、彼岸明けは9月26日なので、まさに今が一番見ごろな時期です。最近は白い彼岸花、黄色い彼岸花、ピンクの彼岸花もあちらこちらでよく見かけるようになりましたが、やはり彼岸花の代表格は何といっても、燃えるように真っ赤な色をしたもののようです。彼岸花は別名が千を越えるといわれるほどあり、曼珠沙華、死人花、幽霊花、キツネノタイマツなどがよく知られていて、そのけばけばしさがゆえに、また毒性があったり、墓地に咲くことから必ずしもいいイメージの花ではないようです。

 昨日わが家の裏山の斜面に彼岸花の一株を見つけました。毎年この時期に咲きますが「葉見ず花見ず」という別名もあって、花の咲く時期には葉っぱがなく、葉の時期には花がない不思議な花です。彼岸花をよく見ると、到底人間では作れないほど精巧にできていて、自然が作り上げた最高の傑作だと、いつも感心をしつつしゃがみ込んで見ます。まるで夏の夜の線香花火にも似ているような気もするのです。

  「彼岸花 車窓あちこち あぜ道に 真っ赤に咲いて 季節移ろう」

  「彼岸花 毒花ゆえに いい名前 貰いもせずに 片身を狭く」

  「彼岸花 色々あるが やはり赤 存在誇示し 彼岸中日」

  「人間じゃ この傑作は 作れない 思えるほどに 精巧模様」

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〇腹が痛い

 「片腹痛い」なんて言葉がありますが、昨日の夕方農作業を終える頃から、正真正銘自分の腹が痛くなりました。私の体は貧乏育ちゆえにいたって元気で、少々の物を食べても腹が痛くなることも、風邪で熱が出ることも殆どない、「元気印のおじさん」です。その私が珍しく「腹が痛い」と言うものですから、妻は大いに心配し、夕方だったので「近くの病院へ診てもらいに行ったら」と勧めてくれましたが、病院へ行くほどではないと断わり、夕食を少し軽めにとって、妻の用意してくれた整腸剤を一粒飲み、様子を見ることにしました。

 昨日は埼玉県北本市の親友工藤さんから美味しい秋取れ秋刀魚が届き、長野県南牧村の親友今井さんから届いたこれまた絵に書いたような、立派なブロッコリーが届き、食卓は秋の美食満載でしたが、それを横目に梅干し程度で夕食を終えました。明くる日の今日は岡山県へ出張が予定されているので、妻も私も少し気がかりでしたが、妻が用意してくれ服用した薬が効いたのか、痛みはすっかり治まり、農作業で疲れていたこともあって昨夜はぐっする寝込み、すこぶる元気な朝を迎えることができました。

 私は注射も薬も大嫌いで、余程のことがない限りは薬も飲まないので、薬を飲んだと暗示のせいなのでしょうか、妻も驚くほど本当によく効くのです。「お父さんは小麦の粉をオブラートに包んで飲ませても効くのだから」と笑われましたが、何事もなく腹の痛みが治まってホッとしています。今朝は大事を取って妻がお粥を炊いてくれたようなので、早速いただきたいと思います。妻は「もう若くはないのだから無茶をしないように」と、最近口癖のように言います。かく言う妻も年齢は私より一つ年下だけなので、妻にだけは言われたくないと思っていますが、お互いいい年になったことを自覚し、健康第一をモットーに暮らさなければと、自覚した一騒動でした。

  「腹うずく 薬一錠 飲んだだけ 痛み収まり 朝を迎える」

  「いい歳に なったと自覚 して日々を 元気に生きる 手立て考え」

  「若くない いえ私は 老いてなお 若松ですと 笑い飛ばして」

  「胃がどこに あるか分からず 日々生きる これもある意味 健康証拠」

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〇研究員たちの座談会(その2)

 えひめ地域政策研究センターの研究員たちの座談会テーマは「まちづくりにおけるセンターの役割と自分のやりたいこと」でした。一人ひとりが約3分間想いを話し、後付けで私がショートなコメントでするという手合いで話は進みましたが、話すことが多いため3分どころか5分以上話す人もいて、中々の白熱でした。最初のクジを引いた銀行マン出身のWさんは自分が関わった上島町魚島地域元気アッププロジェクトの光と影を話しました。人間牧場からは周防大島・由利島・青島などの島々が一望できます。周防大島出身の民俗学者宮本常一の話や日本一激高齢化の旧東和町の話、20年間私たちが無人島に挑む少年のつどいをやり、今はダッシュ島となっている由利島の話、また島民15人ながら最近猫の島として大フィーバーしている青島の話などを織り交ぜながら、島おこしの難しさややり方によっては面白いことを、エールを込めて話しました。

車座の懇親会
車座の懇親会(松本さん撮影)

 その後双海町の海岸線の国道沿い景観や花づくりの話題、県内の消え行く運命にあると思われる激限界集落の実情と手助けの話、移住促進の下等競争と新しい価値の創造の話、重信川干潟の観察で感じる自然環境の変化と今後の環境活動の話、経済を考えずにやっている地域づくりの実態の危うい話、若い女性たちの職場における諸活動や意識と実態の話、近代化遺産の仕事に携わって感じる遺し伝えることの意味の話、移住促進活動における研究員の役割の話などなどに加え、所長さんもシンクタンクを実践的知的専門家集団と位置づけて、どうすればセンターが活性化するか想いを語りました。
 地域政策研究センターの前進であるまちづくりセンターの草創の時代から20年を越えて深く関わってきている私なので、少し苦言も含めてお話をしましたが、2時間近くに及んだ皆さんの座談はかなり密度が濃くて、今後の活動のテーマが幾つも柱立てされた感じがしました。

杉木立の中へ吸い込まれるように沈む昨日の夕日
杉木立の中へ吸い込まれるように沈む昨日の夕日

 そのうち日没が6時15分の時を迎えたのでみんなで夕日を見に外へ出ました。この時期は太陽が山の端を通るので、ロケ風呂付近に出ないと夕日は見れません。杉林の中へ吸い込まれるように沈んでい行く夕日もまた印象的でした。
 そのうち松本さんが料理を持って到着しました。料理を真ん中に置いて一度解けた車座を再び結び懇親会が始まりました。観音開きの窓を全開しているため、刻々と変化する夕景や夜景、それに秋の賑やかな虫の声も全て人間牧場の道具立てでした。飲むほどに酔うほどに、また美味しい料理に舌鼓を打ちながら懇親会は8時過ぎまで続き、いい交流会となりました。一通り片づけを終えて灯を落とし、松本さんと私は人間牧場を後に帰宅しました。

  「車座に なって色々 話たる 言葉にショート コメント沿えて」

  「西の端に 綺麗な夕日 沈みたる 一日の終わり 少し安堵し」

  「酒はいい みんなの心 解きほぐし 勇気と元気 与えてくれる」

  「明るいと 見え過ぎ見えぬ こともある 暗いがゆえに 見えることあり」  

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人間牧場

〇次男の結婚式迫る

 私たち夫婦には4人の子どもがいます。長女・長男は既に結婚して家庭を持っていますが、次男と三男はまだ良縁に恵まれず未婚です。妻はこのことが一番の悩みの種のようです。知人や友人からお見合いの話もあるのですが、忙しいいいことを理由に耳を貸す気配がまったくないのです。そんな次男に昨年の年末見合いの話があって、知人と親の顔を立てるように義理の見合いをしました。ところが世の中は分からないもので、初めてした見合いでトントン拍子で話が進み、結納などを済ませ11月に挙式の運びとなったのです。妻はひつつ悩みが減ったと喜んでいますが、当の本人たちは結納や結婚式・披露宴・・新婚旅行・新居の準備等に、何かと忙しい日々を過ごして楽しんでいるようです。

結婚披露宴会場の内見
結婚披露宴会場の内見
結婚披露宴の料理
結婚披露宴の料理

 先週末挙式と披露宴が予定されている松山市の迎賓館というブライダル会場で、お食事会があるというので、両家の両親が息子とちとともに出席しました。結婚式や披露宴の案内や手配・席順なども全て二人がやってくれるので、私たちは費用を出せばいいだけなので助かっていますが、この食事会は当日来賓に出す料理の試食のようでした。本番さながらの綺麗に飾られた披露宴会場で、次々と出される料理に舌鼓を打ちながら、和洋のどちらにするかアンケートに答えるのですが、料理人が腕によりをかけて作った料理はどれも美味しく、満足のいくものでした。2時間で全ての料理を完食しましたが、両方の親は年齢的にはこれが限界で、食べ過ぎた感じがしました。

 かつてわが町では生活改善運動の一環として、「1万円の会費で結婚式を挙げよう」などというキャッチフレーズを掲げ、公民館に勤めていた私が先導して、大いに盛り上がった時期がありました。そんなこともあって私はこれまでに、何と537組もの結婚披露宴の司会をしているのですから驚きです。その当時と比べると現代のブライダルは隔世の感がありますが、若い二人が自分たちの結婚式と受け止め、主体的に動く姿はとても頼もしく思っています。
 わが家には末っ子の三男がまだ未婚のままなので、この勢いで結婚して欲しいと願っていますが、世の中は中々上手く行かないものです。

 

  「初めとの 見合いで 話トントンと 決まりこの秋 一つ片付く」

  「内見の 食事誘われ 出かけたが 美味しいものの 食腸気味で」

  「変わったと 実感するよな ブライダル 昔懐かし 思いで比較」

  「あと一人 妻の悩みは まだ続く 何とか早く ならないものか」

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人間牧場

〇いよいよ運動会のシーズンです

地元双海中学校の運動会
地元双海中学校の運動会

 サンデー毎日の私なので、3連休と言われても余りピンときませんが、連休中日の昨日は地元双海中学校の運動会でした。私は由並小学校、双海中学校、松山工業高校のの学校評議員をしています。加えて孫が保育園に通っているので、その気になれば幼・小・中・高と運動会に出かける機会があるのです。最近は運動会開催の時期が段々早くなって、中には残暑厳しいこの時期を避けて5月頃にやっているところもあるようですが、長年慣れ親しんだ運動会=秋というイメージは中々崩れないようです。

 午前9時開会なので目と鼻の先にある双海中学校へは歩いて出かけました。5年前に下灘中学校と上灘中学校が統合して双海中学校が誕生しましたが、それでも生徒の数は80人程の小さな学校です。小さな学校にしては180mトラックが取れる広い運動場を持っていて、生徒数の少なさ余計感じましたが、この春新らしく赴任して来た校長先生もやる気満々で、顔馴染みの多い生徒たちにもその影響は伝わっていて、夏休みの終りころから練習を積んできた成果でしょうか、みんなはつらつとプレーをしていました。

 昨年はテントが吹き飛ばされるほどの雨や突風に見舞われ散々でしたが、ゆえに思いでも多かったようで、来賓として見られていた前校長先生も会う人ごってにそのことを言われ、恐縮しているようでした。私は所用があって30分ほど観覧しただけでお暇しましたが、昨日は雲ひとつない絶好の運動会日和で、秋特有の東寄りの風が吹いて、テントの下では少し肌寒さを感じるほどでした。昨日と今日は町内のあちらこちらで敬老会が行なわれるようです。私の住む灘町は敬老会対象者が75歳以上となっているため、私へのお誘いはまだまだ先のようですが、私も来月には70歳、いよいよ高齢者への仲間入りの日が近づいて来ました。

  「秋晴れの 好天高き 運動会 牛の峰山 背後に聳え」

  「統合を したとはいえど 80人 小さな学校 みんなが主役」

  「昨年は テント吹き飛ぶ 大風で 今年は一転 天を味方に」

  「無位無官 なのに来賓 席座り 何処かこそばい 感じがしつつ」

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人間牧場

〇何を求めて風の中ゆく

 放浪の俳人種田山頭火の句に「何を求めて風の中ゆく」という、私の大好きな極めてシンプルな句があります。この言葉通り私を含めた多くの人は何かを求めて旅をします。そんな旅人を迎えるのも私の日常活動の一つです。私は私設公民館煙会所と人間牧場という2つのゲストハウスを持っています。私が深く関わって造ったシーサイド公園や、夕日のまちづくりの原点でもある下灘駅の設えも、勿論その役割を存分に担ってくれていますが、私に会いたいとやって来る人の求めに応じ、これらを巧みに使い分けているのです。

煙会所での語らい
煙会所での語らい
人間牧場での語らい
人間牧場での語らい

 一昨日香川県さぬき市に派遣されている、二人の地域おこし協力隊のメンバーが、双海の地域おこし協力隊の三人に連れられて、煙会所へやって来ました。双海の地域おこし協力隊の活動レベルは今や全国級なので、こうした出会い系交流研修は日常的に行なわれていますが、煙会所も人間牧場も余り金のかからない場所として重宝されていて、私もその片棒を担いでいます。私の話はもう随分前のことなので古くなっていますが、スキルアップには役立つと勝手に思い込み、煙会所での語らいは一時間ばかり続きました。

 夕方からは人間牧場へ会場を移し、市役所の松本さんや神東さんも加わって交流会が持たれました。松本さんの用意してくれた鱧のフライや鯛めしおにぎり、冨田さんや川口さんの用意した芋炊きを食べながら、色々な話をしました。私は妻の誕生日ということもあって、午後9時頃にお暇しましたが、皆さんはお酒を飲んだこともあって、人間牧場へ泊まったようでした。さぬき市の地域おこし協力隊の二人は女性ゆえの悩みもあるようで、色々な意見が出ました。地域おこし協力隊の任期は3年です。たかが3年、されど3年、長いと思えば長いし、短いと思えば短いものです。その間何をどう進め成果を出せばいいのか、そして任地で退任後の新しい生き方を見つけられるか、悩める地域おこし協力隊に、これからもささやかながら協力をして行きたいものです。地域おこし協力隊員の皆さん頑張って下さい。「何を求める風の中ゆく」です。

  「山頭火 何を求める 風の中 心の動き 自由律詩で」

  「ああ今日も 遠い町から 訪ね来し 人に出会って 再起動する」

  「酒飲飲まぬ それでも飲んだ 顔をして テーブル囲み 大いに語る」

  「来る人は 私に何を 求めるか? 分からぬままに 意の向くままに」

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人間牧場

〇梅の土用干しならぬ土曜干し

 今年の夏は記録的な日照不足でした。そのため例年だと土用丑の日ころの、ギラギラ太陽が照りつける時期を選んで行なう、梅の土用干し作業をすることができず、未だに本漬けができない状態です。一度干し始めると「三日三晩の土用干し」をしなければならないので、天気予報を気にしながらその時期を窺っていました。夏が終わり初秋のころとなりましたが、全国的には相変わらず天気は不安定で、昨日も各地で時間雨量100mmを越す猛烈な雨が降ったようでしたが、私たちの地方ではどうやら天気が持ちそうなので昨日の午前中、思い切って倉庫から梅樽とサナを持ち出し、脚立をキャリーに乗せて足場を作り、一斉に干しました。

土用干しならぬ梅の土曜干し)
土用干しならぬ梅の土曜干し)

 今年は自家消費としてはかなり多い60kgほどの梅の実を、3つの樽に漬け込んでいます。3ヶ月ぶりに樽を開けましたがカビも見られず、中々の出来具合のようでした。金網ザルで優しくつぶさないようにすくい上げ、サナに行儀よく並べて干すのです。妻は仕事に出かけてあいにく留守でしたが、毎年梅の土用干は私の仕事と決めているため、段取りよく2時間ほどで干し終えました。サナに8つ干した梅は庭中に何ともいえない甘酸っぱい香りを漂わせていました。時折やって来る来客も、珍しそうにこの光景を見ていましたが、この上は天気が安定し雨に濡らすこともなく、干し上がるよう祈るばかりです。白露を過ぎているので夜露も十分採れるものと思われますが、はてさて遅れた作業で、梅干しの出来はどうなるか、少し心配です。

 3日後にはいよいよ本漬けです。壷や樽、それに梅干しを赤く染めるための塩漬け紫蘇も、既に妻の手によって用意されています。忙しかった現職の頃は、こうした生活全般のこまごまを、妻は一人でやっていました。退職後もそれなりに忙しく、みて見ぬ振りをしていましたが、そろそろ遠心から求心へと軸足を置き換え、妻の手助けをしなければならなくなったようです。
 昨日9月12日は妻の69歳の誕生日でした。照れくさくて花束やケーキなど、月並みな贈り物もしてやれませんでしたが、毎年のことながら気持ちばかりのプレゼントをしてやり、とても喜んでくれました。子育ては終りましたが、家事全般、親父の介護に加え今もパートで働く、働き者の妻に感謝しながら・・・の一日でした。

  「今年は 雨と日照 影響し 土用干しする 機会もなしに」

  「梅の実を サナに広げて 土曜干し 土用違いで 少し疑問も」

  「12日 プレゼントなど 照れくさく 月並み手紙 添えそっと置く」

  「梅干しは 三日三晩の 土用干し 毎日一個 食べる楽しみ」

 

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