人間牧場

〇第1回観光カリスマ懇談会(その2) 

 私の背広の内ポケットには、既に一昨日に過ぎてしまった「第1回観光カリスマ懇談会」の席でいただいた沢山の名刺が膨れるほどあります。退職して10年が経つというのに、多少少なくなったと言いながら、一年間に交換する名刺の量は相当なもので、余り整理をしないまま書棚の定位置にうず高く積まれています。多分今回の東京で貰った名刺の束も、その運命を辿ることでしょうが、逆に今回も私の名刺の反応は上々で、今日から始まる地域教育実践交流集会に行くため、名刺入れにまた新しい名刺を仕込まなければなりません。

 さて今回は松山飛行場で急に思いついたことがあります。東京での会議が午後3時30分からということもあって、東京駅近くになる活性化センターへ立ち寄ろうと思いました。活性化センターには愛媛県庁から前神女史が課長として出向しているし、色々な知り人がいるのに、まだ一度も訪問していないことに気付いたからです。前夜史談会で出会った友人の市役所職員松本さんが、「東京へ行ったら地域活性化センターの前神さんに会って帰って下さい」と言われたことを思い出したからです。

 空港ロビーから松本さんに電話を入れ、前神さんの電話を聞き出し電話を入れたところ、運よくアポが取れました。羽田に到着した私は浜松町でモノレールから環状山手線に乗り換え東京駅に到着し、12時30分に八重洲北口大丸前で前神さんと落ち合いました。鳥取から出向している職員さんと3人で近くの食事処へ昼食を食べに行きました。肉の余り好きでない私ですが、前神さんと同じ豚丼を注文し美味しくいただきました。その後活性化センターへ初めて立ち寄りました。

 もう20年も前に私の話を聞いたという埼玉から出向の課長さんや、人間牧場へ来たことのある顔馴染みの人たちを交え、お茶を飲みながら色々な話に花を咲かせました。私の名刺や電光掲示板が余程珍しかったのか、沢山の人に集まってもらい、いい交流をすることができ、これで次に東京へ行った折立ち寄る場所が出来たと内心喜んでいます。一年中講演などで日本国中旅をしている私にとって、東京は通過地点にしか過ぎませんでしたが、東京の知り人を訪ねるのも悪くないと思いました。私は今回木になるカバン内の七つ道具である中身を全て取り出し、着替えやタブレット端末等を入れ、木になるカバン一つという手軽な旅にしたお陰で、肩の凝らないいい旅となりました。

  「一束も あるほど名刺 いただいて はてさてこれら これから先は」

  「出張の 途中立ち寄る 場所できた 通りすがりの はずの東京」

  「東京の 職場出向 愛媛人 ふるさとなまり 懐かしく聞く」

  「今回も 思いで残る いい旅を させてもらって 幸せでした」

愛媛新聞に掲載された観光カリスマ懇談会の模様
愛媛新聞に掲載された観光カリスマ懇談会の模様
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人間牧場

◯羽田に到着

  朝6時から品川プリンスホテルの体育館ほどもある大きくて広いレストランで、バイキング料理を楽しみました。前夜の観光庁での立食夕食会は軽食だったので、かなり腹が減っていて、多少多めの朝食となりました。周囲には外国人が多く、まるで外国へ行ったような雰囲気でした。すべての料理が一流でした。 ホテルを早めにチェックアウトして、普通は浜松町からモノレールで羽田空港に向かうのですが、今朝は品川から京浜急行で羽田入りしました。 全国的には寒波の影響で寒くて強風欠航もあるようですが、羽田は天気も回復していて、松山便は大丈夫なようです。 友人の大野さんから携帯で友人のお母さんの訃報が届きました。

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shin1さんの日記

◯今宵は東京にて泊まります

  今日は国土交通省観光庁での会議のため東京へ来ていますが、交流会が遅く最終便の飛行機に間に合わないため、今宵は東京に泊まっています。品川駅前の品川プリンスホテル24階の部屋はとても広く快適です。 私はこれまでどちらかというと旅に金をかけないタイプなので、今回はかなり贅沢な旅です。久しぶりに日本の中心地東京の街を歩きましたが、肩肘擦り合う感じがして、活気は感じるものの、行き交う人は誰も無口で通り過ぎてゆきます。 明日は早起きして東京を脱出する予定です。

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人間牧場

〇11月の五行歌

 昨日松山五行歌11月歌会の結果が、主宰者である見山あつこさんから送られてきました。出席歌・欠席歌の数々にはいつも感心させられますが、反面自分の送った駄作歌には今回も〇▲□×÷といった感じがして、浅学菲才を恥じました。
 私の今回の歌は次のとおりです。

  だめよだめだめ
  流行語
  どこで使って
  良いかもわからぬ
  今でしょう

 講評には次のような記事が載っていました。
 「☆今年の流行語大賞にノミネートされるであろう、お笑い芸人の鉄板ネタ「だめよだめだめ」。使い道がわからないといいながら、意外とサラッと使えてしまうものです。旬の言葉を切り取り、昨年の流行語「今でしょう」と組み合わせてまとめられたのはお見事」と評されていました。ちなみに出席歌一席はまあこさんの次の歌でした。

  細りゆく命の
  背もたれとなり
  夫を抱く
  静かに
  深き秋へと

 ちなみに欠席歌の一席は和子さんの次の歌でした。
  水面に一枚の枯葉
  激しい流れに身をまかせ
  石につまづき
  舞いながらゆっくりと
  流れゆく 人生のように

 出席歌一席も欠席歌一席も、私には到底真似のできない秀作です。さて末尾に見山あつこさんが達筆私信で、「若松進一様 今年もあと一ヶ月を残すのみとなりました。いつも楽しい歌をありがとうございます。12月もよろしくお願い致します。見山あつこ」と書いてくれました。いやはや嬉しい言葉です。この私信は短いながらまるで五行歌のように私の心を揺さぶりました。「そうだ今月の歌を作って送ろう」と思いました。見山あつこさんこの一年、ご指導ありがとうございました。

  「ノミネート された中から 流行語 大賞射止め だめよだめだめ」

  「また駄作 秀作比べ 気落ちする いつも誓うは 今度こそなり」

  「短いが 達筆私信 心打つ 気を取り直し 駄作を作る」

  「一年が あっという間に 過ぎて行く 残り火僅か 気を引き締めて」

 

 

 

 

 

 

 

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人間牧場

〇やっと私も冬モード

 私は若い頃から薄着タイプで、下着は袖なしのランニングで一年中通していました。またズボンの下にパッチも履かずにいましたが、さすがに寄る年波には勝てないのか、少し寒さを感じるようになり、真冬だけはパッチを着用していますが、まあ薄着の方です。でも息子はもっともっと薄着で、寒中でも半ズボンに半袖で、体力づくりのため毎朝庭に出て木刀の素振りを欠かさず行なっています。妻は息子の薄着を見ているだけで寒くなると言っていますが、当人は平気なようです。

毛糸の帽子と手袋でやっと私も冬モード
毛糸の帽子と手袋でやっと私も冬モード

 寒さを感じるようになったこの半月前から、何を思ったのか私は5年ぶりにジョギングを再開しました。ジョギングといっても往復2キロ程度の道程を早足くらいな速度で走るのですが、最初は汗をかいていたのに、慣れたせいか外気温が低くなったせいか汗もかかず、ポカポカする程度になってきました。最近まで帽子は運動帽でしたが、昨日から寒いだろうと妻が用意してくれた、毛糸の帽子と手袋をはめ、ヤッケを着てやっと私も冬モードです。

 今朝は昨夜まで強かった風も少し収まりましたが、寒さはかなり強かったものの、帽子と手袋のお陰でまさにポカポカでした。今のところ体のどこも痛くもかゆくもなく、疲れも感じないほど正常です。日常の運動が体を作っているからか、先日子ども体験塾で黒山登山をしましたが、足腰に痛みを感じることもありませんでした。体は歳とともに老化をします。しかし体力は鍛えれば鍛えられることが分っているので、これからも毎日1万歩程度のウォーキング+ジョギングやエクササイズを心がけたいと思っています。

 今年の冬は昨年同様、孫二人と早朝ウォーキングをやろうと孫二人と相談がまとまりました。去年は孫たちについて走るのがやっとでしたが、今年はウォーミングアップも既に出来ているので、妻から「年寄りの冷や水にならないように」と言われようが、頑張って走りたいと思います。歳をとるとやることもなく、1日1日が何げなく過ぎて行くと、周りの同年代の人たちが話しています。また新聞のお悔み欄には同年代の人が亡くなるのも、わがことのように感じるとも言っています。もう少し健康寿命を謳歌したいものです。

  「寒くなり 毛糸の帽子 手袋を はめてさっそう ジョギングする」

  「年寄りの 冷や水言われ ムッとする 若くはないと 悟りながらも」

  「歳とると 何故か寒さが 身に染みる やっぱり暑い 夏の方がいい」

  「ただいまの ところどっこも 悪くない 健康寿命 さらに延ばそう」

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人間牧場

〇冬がやって来た

 「今年の冬は暖かい」、誰もがそう思っていましたが、やはり季節は巡るもので、12月1日の師走となると一転、天地を揺るがすような北西の季節風が吹いて、気温も一気に7~8度も下がり、ブルブル震える12月を迎えました。昨日の夕方5時半ごろ、町内三島で住宅火事があり消防車のけたたましいサイレンが鳴りましたが、今朝の新聞によると強風にあおられ自宅が全焼したようで、町民の不幸を思うとこの寒空に寂しい限りです。

風波激しい伊予灘の海
風波激しい伊予灘の海
大型堤防を平気で乗り越える大波
大型堤防を平気で乗り越える大波・向うに霞むのは伊予の小富士

 昨日の夕方所用で上灘駅まで出かけましたが、海の時化は相当なもので、大波がシーサイド公園の西堤防を簡単に乗り越えて、砂浜に小さな池を作っていました。また上灘漁港の沖合いに設置したとてつもなく大きな防波堤でさえ、うねり波が水しぶきを上げて高々と越えていました。この分だと当分の間漁船は漁にも出られないようで、係留された漁船の舳先には沢山のカモメがうずくまるように止まっていました。

 今朝はいつものように午前6時20分に自宅を出て夜明けの道をジョギングしましたが、まあ風が強いのなんのって、被っている帽子も吹き飛ばされそうだったし、行きは追い風ながら帰り道は強い向い風に遭い中々前へ進みませんでした。今朝は万歩計をズボンに入れるのを忘れたため、どれほどの歩数だったか定かではありませんが、毎日の経験からすると朝のジョギングで6千5百歩程度のようです。

 この寒さで風邪を引かないように96歳になった親父の隠居では、一ヶ月前からエアコンを24時間つけっぱなしにして部屋を温めています。余り暑いと外に出た時の温度差が大きいので、少し低めの20度に設定していますが、今のところ親父は「温かい」と感じているようで、デイサービスに出かける日だけエアコンを消して窓を全部開けて空気の入れ替えをしています。冬来たリなば春遠からじ、今年の冬も風邪を引かず元気に乗り切って欲しいものです。

  「冬一番 天地揺るがす 風が吹き 寒さに体 縮んでしまう」

  「追い風と 向かい風受け ひた走る 70なっても 元気をゲット」

  「昨日夕 町内で火事 強風で 住宅全焼 悲しい出来事」

  「隠居部屋 20度設定 春日和 親父薄着で 1日過ごす」 

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人間牧場

〇広島県竹原市忠海からのお客さん

 広島県竹原市といえばNHK朝ドラ「マッサン」の舞台となっている、古い町並みの残る中国地方山陽路の「小京都」です。私は何度か竹原を訪れていますが、特に竹原市忠海の公民館へは何度も講演に訪れ、当時公民館長をしていた竹本英子さんとは、私的なお付き合いも長年やっていて、そうしたご縁で先日も昨年に引き続きご主人が丹精こめて作ったという自然薯が届き、また忠海公民館で長年取り組んでいるキビ栽培で作った餅やクッキーまで送ってもらっています。

忠海の美女たちに囲まれて
忠海の美女たちに囲まれて

 その竹本英子さんから、「11月29日に人間牧場を訪ねて色々と話を聞きたい」とメールが入りました。メールの相手は英子さんではなく「九郎」と書かれていたので、「あるいはご主人の名前かも」と勝手に思い込みメールのやり取りをして、結局29日の午後2時で相談がまとまりました。しかしこの日は既に午前中子ども体験塾の黒山登山、午後1時からは島根県出雲の南さんの来牧予定が入っていて、仕方なく軽トラ市に来る予定の松本さんに案内を頼みました。松本さんは快く引き受けてくれましたが、その後悪天候を予測して軽トラ市が延期となってしまい、松本さんにはわざわざの対応になってしまいました。

 少し早い午後1時過ぎ竹本さんたちご一行5人は、松本さんの案内で人間牧場へやって来ました。先約の南さんたちとバッティングしたものの、その後は座布団を敷いて2時間近く色々な話をしました。運転でやって来た男性は私の思惑通り竹本英子さんのご主人で、公民館と地域づくり協議会の関係や、10年が経ったキビ作りの今後のことについて助言を求められました。人間牧場で行われている様々なプログラムと、人間牧場の経営について、二宮尊徳の「経済と道徳」を引用しながらこれからの生き方に迫りました。

 これまでの公民館活動や地域づくりはどちらかというと、人の懐を当てにすることが多かったように思うし、マンネリの謗りを拭うことができませんでした。(続きは後で~)それを払拭するためには精神的にも経済的にも自立することです。これまではややもすると経済は二の次でしたが、経済基盤がしっかりしていないと持続することもできじ、結局は空中分化し、やらないほうが良かったということになってしまうのです。さて竹本英子さんたちご一行はどんなヒントを得て、これから何を目指してどんな進化を始めるのでしょう。とりあえず3年後、5年後が楽しみです。

  「マンネリは 人の心の 有り様と 思えば人の 心変えれば」

  「経済が 基盤にないと 長続き しない心得 肝に銘じて」

  「キビ団子 犬猿キジに 桃太郎 おとぎ話を 見習いましょう」

  「悩むから 次の目標 見えてくる もっと楽しく 感じるままに」

 

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人間牧場

〇子ども体験塾の黒山登山(その2)

 事前登査の時歩いた登山口上の道は、イノシシの被害に遭ってかなり悪路だったので、昨日は登山口を変更し、途中の砂防ダムまで農道を歩きました。砂防ダムまで登ると田舎の風情いっぱいの、小さな木橋や木階段を歩いて登山道に出ました。心配していた沢の水の増水や、夜来の雨でぬかるんでいるかも知れないと

畑中の道を登る子どもたち
畑中の道を登る子どもたち
砂防ダムの木橋を渡る子どもたち
砂防ダムの木橋を渡る子どもたち

いう心配は外れ、比較的歩き易い環境で、子どもたちも楽しいお喋りをしながらの登山となりました。

 しかし流石に進むほど急になる登山道に汗をかき始め、休憩地と定めた水場では間伐した杉の木に腰掛けたり、湧き出ている清水を美味しい美味しいと言いながら飲んだりして、少し疲れた様子でした。ここまで来ればしめたものです。休憩時間を終えて再び歩き始め、最後の胸突き八丁を過ぎると、視線の上に林道のガードレールが見え、先回りしていた救護班の宮本館長さんと救護車が見えました。林道から急な坂道を登ると目的地の黒山神社です。

 神社前の広場にはイチョウとモミジの葉っぱがまるで人為的に敷き詰めたように落ちていて、神社の鳥居がとても印象的でした。標高が高いので平地より気温が低く、風邪を引いてはいけないので子どもたちに着替えや汗拭き、重ね着を指示した後、拝殿後ろの本殿に登ることにしました。言い伝えによると開祖の頃神社の御神体は海を向いて安置されていたようですが、沖を通る船に悪戯をするので山向きにしたようで、急な石段をみんなで一列に並んで登り、参拝をしました。

 その後体を温めるために、私が指導をして簡単なゲームをしましたが、意外とこれが受けて楽しいひと時を過ごしました。またとっさに思いついた絶叫大会も子どもが日ごろのうっ憤を晴らすように大声を張り上げ、周囲の山にこだまする大声は、参加したみんなの笑いを誘いました。その後ブルーシートを敷いた上に座って、お楽しみの弁当を広げ、少し早い昼食となりました。みんなの笑顔を見届けたところで、私は次の所用のため一人下山し始めました。馴れた道を少し急ぎ足で元来た道を登山口まで出たところで、折岡さんの家付近で顔見知りの折岡さんご夫婦に出会いました。会話を交わした後みかんとレモンを一袋いただき、それをぶら提げて車まで戻り私の山登りは終りました。

  「一列に 並びゆっくり 森の道 子どもペースで 神社を目指す」

  「この水が 源流ですと 説明し 美味い美味いと 喉を潤す」

  「黒山の 神社の前の広場にて 絶叫大会 山にこだます」

  「ただ一人 元来た道を 引き返す 途中レモンや みかんいただく」 

落ち葉のじゅうたん
落ち葉のじゅうたん

 

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人間牧場

〇ヨモギの苗取り

 昨日の夕方、子ども体験塾の打ち合わせのため、双海支所に立ち寄りました。あいにく公民館の赤石主事さんは留守でしたが、居合わせた地域づくり協力隊の冨田さんと出会い、ヨモギ談義に花を咲かせました。満野浜の借りている畑にヨモギを植える作戦は、皆さんの日程が折合わず延び延びになっていますが、早く植え込まないと、冬がやって来るので気を揉んでいたところ、明日日曜日の早朝から集まって植えるとの事でした。私はあいにく急逝した義妹の初七日仏事があって参加できないため、苗だけでも確保しようと思いました。

おがしたヨモギの根っこ
おがしたヨモギの根っこ

 急いで家に立ち帰り、家の横の果樹園に出て生えている苗となるヨモギを、鍬で堀起こし始めました。畑は前日の雨で濡れていて、おがしてもヨモギの根についた土はへばりついて中々取れませんでした。加えて履いている作業用の長靴にも粘っこい土がへばりつき、思った以上に悪戦苦闘しました。土を落としたヨモギを順次一輪車に積みながら、手元が暗くなるまで作業を続け、畳2畳ほどの広さのヨモギを掘り起こして、苗となる根ゲットしました。

 そのうち南西のやまじ風が吹き雲行きが怪しくなったので、雨に合わさないよう一輪車毎倉庫に入れました。果樹園に生えているヨモギはいわば雑草です、その雑草を畑に植えて山菜にして一儲けしようというのですから、正気の沙汰ではありません。「捨てればゴミ生かせば資源」の例えどおり、「ほおって置けば雑草生かせば薬草」になるのですから、俄然張り切るのです。植えた苗はやがて春先に芽吹き、摘み取った新芽は食材として販売する予定ですが、「取らぬヨモギの新芽算用」になるかも知れません。

  「薄暗く なった畑で ただ一人 ヨモギの根っこ 鍬掘る作業」

  「一輪車 いっぱいの ヨモギ苗 倉庫に入れて 一晩寝かす」

  「雑草の 烙印押され 刈り取られ 厄介扱い される運命」

  「おがしつつ 取らぬヨモギで 一儲け しようと思う 素人算用」  

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人間牧場

〇黒ニンニクのパワーいかに

 妻が最近友人から黒ニンニクを貰ってきて食べ始めました。私にも勧めるので試しに食べてみましたが、「ニンニクは臭い」という先入観があって、また食感がグジャッとして余りよくなかったので、敬遠していました。ところが妻は黒ニンニクが効きつつあるようだと勝手に思い込み、今度は炊飯器で黒ニンニクを作ることを思いつきました。黒ニンニクを作るのには電気炊飯器にニンニクを入れて、15日間以上も炊き続けなければならないようで、どこへ置くかでひともめしました。

黒ニンニク
黒ニンニク

 

妻の作った黒ニンニク
妻の作った黒ニンニク

妻はわが家のゲストハウスがいいと主張し、勝手に私設公民館煙会所へ持ち込みましたが、電機炊飯器から出るニンニクの臭気は相当なもので、ゲストを招き入れるのに失礼だと、またひと悶着があり、結局屋外の民俗資料を入れている倉庫へ電気のコードを引いて入れ、一件落着しましたが、黒ニンニクを作る作業期間は傍に寄っただけでニンニクの匂いが立ち込めていました。やがて15日が過ぎ蓋を開けて取り出しましたが、綺麗な黒ニンニクが失敗することもなく出来上がりました。

 早速一週間前から夫婦がひとかけらずつ朝食と一緒に食べ始めました。いつもの如くネットで黒ニンニクのことについて調べてみると、まあ凄い量の説明が出てきました。既に黒ニンニクはネット通販で売られているようで、金額もまるでサプリメントのようでした。ポリフェノールが生ニンニクの5倍とか、仕事中やる気が出ない人・若々しさを取り戻したい人にお勧めなどと、過大広告のような気がする言葉が並んでいますが、話半分と思って少し続けてみようと思っています。

  「食べないか? 妻に誘われ 始めたが 黒いニンニク 効くのかどうか」

  「炊飯器 使って妻の 作りたる 黒ニンニクの 臭いプンプン」

  「ここに置く 駄目よ駄目駄目 流行語 地で行くように 妻と対立」

  「ニンニクも 信じる者は 救われる 少しの間 続けてみよう」 

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