人間牧場

〇二枚の作品が届く

 私は水産高校の先輩である玉井恭介さんの勧めで、4年前に松山五行歌会に入会しました。入会しているといっても歌会にはまだ一度も出席せず、幽霊会員のような人間だし、義務付けられている月一の作品提出も滞りがちで、再々督促のメールをいただく劣等性なのです。玉井さんは既に退会しているので、私は五里霧中といったところですが、自分のグレードアップのつもりでもう少し続けてみようと思っています。

 昨日代表の見山あつこさんから、一通の封書が届きました。開けてみると今年の8月、高島屋7階で作品展があった折出品していたものでした。これまでは玉井さんが私の歌に挿絵を添えて仕上げてくれていましたが、今回は見山あつこさんが作ってくれていて、見事な出来栄えだったので、「作品展が終れば欲しい」とお願いしていたことを、見山さんは覚えていて送ってくれたのでした。有難いことです。

  親父のように      大好きだった
  なりたくない      酒が飲めなくなった
  思っていたのに     しょっちゅう通った
  いつの間にか      飲み屋の前を
  声まで似てる      無言で通り過ぎる

 たった五行の歌だのに、また思いつきのような私の駄作なのに、挿絵が入るだけで空想の世界が広がるから凄いと思いました。前作歌には親子が手をつないでトンボを取る様子、後作歌には居酒屋の赤提灯がそれぞれ画かれていました。妻に見せると、「まあ上手に画いている。自分の部屋に飾ったら」と提案がありました。額を探して飾ろうと思っています。乱雑で殺風景なわが書斎を少しイメージチェンジしようと思っています。

  「高島屋 展示をしてた 作品を 送りし人に 感謝をしつつ」

  「歌駄作 だけど挿絵が 秀作で 私の歌も グレードアップし」

  「わが部屋に 飾れと妻が 提案し どこに飾るか 思案しながら」

  「一枚は 老いた親父の 玄関に 飾ってみたい 思い巡らす」

親子がテーマの作品
親子がテーマの作品
お酒がテーマの作品
お酒がテーマの作品

 

 

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人間牧場

〇花のある暮らし

道端に咲いていたコスモスの花
道端に咲いていたコスモスの花

 私は顔に似合わず(大笑い)花が大好きです。まちづくりに関わって花への思いは一層深くなり、これまでにも菜の花や水仙などを皮切りに、様々な花づくりに関わって、双海町を花の町に大変身させました。それまでの双海町は「花より団子」でしたが、今では「団子より花」の人が沢山増えて、既に町内各地で来春に向け、種蒔きや草刈などの世話が水面下で行なわれているようで 昨日散歩をしていて道端にコスを見つけました。

玄関に活けられたコスモスの花
玄関に活けられたコスモスの花

 コスモスはこれからが盛りの花ですが、清楚で気品漂う花です。近くに寄って一つ一つの花を見たり、群生を遠目で見たりして存分に楽しみました。通りかかった顔見知りの人が「進ちゃん何をしているの?」と唐突に聞くものですから、「花を見ています!!」というと、「綺麗ですね。誰が植えたのでしょうか」と言いつつ、通りすがって行きました。

酔芙蓉の花
酔芙蓉の花

 シーサイド公園と国道の間の細長い斜面に植えていますが、夏からこの時期まで、約1ヶ月綺麗な花を咲かせ楽しませてくれますが、現代人は忙しいのか、この花を愛でるような人は殆ど見かけないのです。花に心を動かすような人間になりたいと、人間牧場へもシダレ桜や川津桜、アジサイを植え込み始めましたが、梅やスモモとともに季節によっては、まるで桃源郷のような感じさえするようになってきました。家の周りを見渡すと、雑草と思える秋の野の花も暮らしに彩りを添えてくれています。

  「コスモスの 花が道端 咲いていた 車を止めて 一人楽しむ」

  「玄関に コスモス活けて 彩りを 添える女の 二人いる家」

  「酔芙蓉 私がつけた 名前だが 夕日花とは うまい表現」

  「朝白い 花が昼には ピンクなる 夕方真っ赤 酒に酔うよう」

夕方酒に酔ったように赤くなる酔芙蓉の花
夕方酒に酔ったように赤くなる酔芙蓉の花
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人間牧場

〇北の国北海道からカボチャが届く

 「お父さん、今年も北海道からカボチャが届いたよ!!」と妻が言うので玄関先へ出てみると、宅配便で段ボール箱が届いていました。妻は「北海道佐呂間町・武田温友」と書いている送り状を見ただけで、「武田温友=カボチャ」と分るのですから、わが家ではすっかりお馴染みなのです。孫2人も昨年のことを覚えているのか、「カボチャを早く開けよう」とせがむので妻が開けると、中からまるで魔法の箱のように、新聞にくるんだ観賞用のカボチャが、次から次と出てきました。その数何と20個以上で、孫たちは目をパチクリして見ていました。

宅配便で送られてきたカボチャ
宅配便で送られてきたカボチャ
珍しい観賞用のカボチャ
珍しい観賞用のカボチャ

 孫たちは現代っ子らしく、ハーロウィンパーティ等でカボチャのことはよく知っているので、その中から自分のお気に入りのカボチャを探し出し、「頂戴、頂戴!!」と大騒ぎでした。一去年まではこれらのカボチャを、道の駅のじゃこ天の店店頭に飾っていましたが、珍しさも手伝って一つ減り二つ減りと無くなってしまうので、昨年は人間牧場で開いた芋掘り収穫祭に持って行って展示し、最後は参加した子どもたちにゲームで差し上げるアイディアを思いつき、大いに盛り上がったので、今年もそうしようと思っていますが、1年生の孫は学校へ、年中の孫は保育園にそれぞれ持って行って、先生や友達に見せたいと張り切っているようです。

 カボチャは漢字で「南瓜」と書きます。ゆえに南方系の植物のはずなのに、何故か北の国北海道から毎年届くのです。送り主の武田温友さんは別名「パンプキン武田」と名乗るほどのカボチャ博士で、私も佐呂間町へ講演に出かけた折武田さんと知り合い、その後の交友で武田さんがカボチャで町おこしをしていることを知りました。100キロを越すジャンボカボチャを作ったり、送られてきたような観賞用カボチャを作り、町をあげてのカボチャカーニバルは北海道の季節の話題にもなっているようです。カボチャは畑で作るものですから、武田さんの日ごろのカボチャを栽培する熱意ある農作業の様子が目に浮かぶようです。

 佐呂間町には講演等で何度も出かけ、船木耕二さんや井田勝人・貴子さん、眞如智子さんなど、その後交友を深めている人が沢山いますが、武田さんとの交友はまた違った味があるのです。人間は何であれ夢中になると活き活きとするものです。私は武田さんのように取り立てて人に自慢するよなものはありませんが、それでも私設公民館煙会所や人間牧場を利用して多くの全国の人と交友を楽しみながら余生を送っています。これ以上の趣味の入り込む余地はないほど忙しい日々を、充実して送れる幸せを噛みしめていますが、武田さんから学ぶことは多いのです。

  「南瓜は 南の作物 思いきや 北の国から どっさり届く」

  「宅配の 段ボール箱 新聞に 包んだカボチャ 次々と出て」

  「観賞用 食べてみたいと みんな言う 玄関先で 話題をさらう」

  「活き活きと 輝き生きてる 人を見て 私もあやかり 活き活き生きる」

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人間牧場

〇私の大好きな豊田漁港の見える風景

 私が生まれ育ったのは下灘という小さな漁村です。今では海を埋め立てて漁民団地や運動公園などが出来て、昔のうらぶれた漁村の姿はどこにもありませんが、30歳まで過ごした漁村での思い出は、私の基底に深く焼きついて、年を経れば経るほど愛郷の思いは強くなる一方です。私は漁家の長男ゆえ、普通であれば同級生が辿ったと同じように漁師として、下灘で暮らす予定でしたが、水産高校で学んだこと、青年団活動を経験したこと、病魔に襲われたことが複合的に絡み合い、漁師を断念して26歳で転職し役場職員として、定年まで35年間勤めました。その間仕事の都合で住み慣れた下灘を離れ、今の場所に居を構えましたが、同じ町内移動だし下灘へも毎日のように出かけているので、普通は下灘のことなどことさらに考えることもないのです。

人間牧場から見える豊田漁港の眺望
人間牧場から見える豊田漁港の眺望

 私は定年を期して人間牧場を下灘池久保の地に造り、この10年、訪れる年間千人もの人と人間牧場で様々な活動をしていますが、この地を選んだ最も大きな理由は、忘れてはならない私の原点である下灘の豊田漁港が見えることです。訪れる他の人には何の意味もないことですが、かつて母が存命中耕作していた、人間牧場から一望できる原風景は、私のとっておきのロケーションなのです。ウッドデッキから見える瀬戸内海・伊予灘の海も自慢の一つですが、ロケ風呂の押し上げ窓を開けて見える漁港は、何ともいえない味があるのです。みかん畑だった頃の名残の杉の木は、母の思い出につながっているため極力残していますが、杉の木を2本切って視界を広げ、両袖の杉の木で要らない部分を緑陰で隠すようにしたお陰で、いいアングルが保たれています。

 豊田漁港には約100隻の漁船がいますが、普段は漁に出ているため殺風景です。下灘の漁師は火曜日と土曜日が休漁日なので、漁船が行儀よく係留している姿が見れるのは火曜日と土曜日、それに海が時化て漁に出られない日のみですが、私は漁船の係留している豊田漁港を見るのが大好きです。私が役場勤務時代に水産行政を担当して、漁業構造改善事業で造った水産物荷捌き所のウエーブの効いた屋根も、漁村の道具立てとして綺麗に見えるのです。自分の生活設計だとあと15年で自らの人生は終る予定ですが、せめてこれから毎年毎月この風景が見れたらと、ささやかながら淡い夢を抱いています。さあもう一分張り健康寿命を延ばす努力をしましょうか。

  「ロケ風呂の 押し上げ窓を 押し上げて 豊田漁港の 見える風景」

  「この風景 私の原点 ゆえにして これから先も 見続けたいと」

  「素っ裸 時には風呂に 入りながら 過ぎ越し日々を 思いながらも」

  「休漁の 日には漁船が 勢揃い 今日来た客に 自慢して見せ」

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人間牧場

〇軽トラ市で手に入れた3冊のポケットサイズ本

 昨日は久しぶりに下灘運動公園で開かれている軽トラ市に出かけました。まちづくり学校双海人の議論から生まれた小さなイベントなので、メンバーの一人ゆえもっと積極的に参加しなければならないのでしょうが、田舎のオープンカーと自認している軽トラを持ちながら出展もせず、また私の軽トラを使って何度か出展したことのある若嫁や息子も、実家の事情で参加できなくなり、少し意気消沈といった感じです。

20回目軽トラ市
20回目軽トラ市

 

軽トラ市
軽トラ市
タダで貰った3冊のポケットサイズ本
タダで貰った3冊のポケットサイズ本

それでも富田さんや松本さんのfacebookによる情報発信を見るにつけ、自称イベント大好き人間だったこともあり、何処かムズムズといった感じで、昨日は午後お客さんが来る予定もあって家にいたので、枯木も山の賑わいとばかりに見学に出かけました。軽トラ市の最大の特徴は顔見知りの人に出会うことです。特に日ごろ疎遠になっている人たちに沢山出会い、ふるさとの訛懐かしく近況を話し合いました。

 昨日はそれなりのお店が出ていましたが、一往復しただけなのにそこここで色々な品物を見たり、情報を仕入れました。入口でエホバの人たちが出展していました。何を売るでもなくテントの前に置かれた椅子に座って雑談したり、色々な資料を無料で置いていました。毎日ブログを書いている私としては、読まないと書けないので、とりあえずポケットサイズの「聖書・マタイによる福音書」「聖書は実際に何を教えていますか」「幸せな家庭を築くために」という3冊をいただきました。

 今日はこれから人間牧場へ残りの草刈に行くので、この3冊を持って行き、昼休みに背もたれ椅子にもたれ、昼寝をしながら読んでみようと思っています。私は宗教には余り関心がないので、キリスト教や仏教、神道などを学ぶつもりはありませんが、これらの基本は人の道なので少し読んで見たいと思います。軽トラ市でお金も出さず買うこともなく手に入れた、3冊のポケットサイズの本は、私に何を教えてくれるのでしょうか?。楽しみです。

  「久しぶり トラック市に 顔出して 懐かしき人 多く出会いて」

  「当てもなく あっちこっちと 立ち寄りて 世間話に 花を咲かせる」

  「何故なのか? トラック市で 三冊の 本を無償で いただき帰る」

  「いただいた 三冊の本 牧場の 背もたれ椅子で 朝読み過ごす」

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人間牧場

〇親父の怪我

 今月96歳になったばかりの親父が、先日散歩に出た家の傍の路上で転び、顔に怪我をしてしまいました。顔から血を流して倒れていたのを、近所に住む人が見つけて連れて来てくれました。運よく妻が自宅にいた時だったので、妻はオキシドールで消毒して傷口用のリバテープを貼り、様子を見守ることにしましたが、熱が出てはいけないと今流行の熱冷まシートを額に張って寝かせたお陰で、大した痛みもなく3日間が経ちました。

 ところが3日前、今度は散歩に行くと言って出かけた帰り道、家の近くの三叉路でまた転び、郵便配達員と隣に住む叔母が見つけて、たまたま家にいた私に連絡が入ったのです。私は直ぐに小走りで親父に近づき顔から血を流している親父を抱かかえて起こし、とりあえず背負って自宅へ帰ろうとしました。顔の怪我でパニック状態になっている親父は背負うとことのほか重く、僅か10mほどなのに私は足腰に堪え、最後はたじたじでした。放心状態の親父を縁側に座らせ、見よう見真似で妻と同じような手当てをして、隠居の布団に寝かせました。

 親父は恩を感じたのか、「ありがとう。迷惑をかけてすまんのう」と私に言葉を返しましたが、痩せて痴呆の進みつつある親父さえも、重くて背負えないわが身の老いを、「これが世に言う老々介護というのか」と少し感じながら、口で言うほど易しくない在宅介護を、今後どう実行すればいいのか多少戸惑いました。私はとびっきり上等な親孝行息子ではありませんが、それでも親への恩は感じているし、親の面倒や先祖祀りをするのは長男の仕事だと、長男教育をされて育っているので、私たち夫婦はこれも自分たちの仕事と何の抵抗もなく受け入れているのです。

 親父は一週間に水曜日と土曜日の2回、近くの特老へデイサービスに出かけています。今日はその日なので、昨晩今日のことは告げていても、今朝はすっかり忘れてしまい、特老から迎えの車が来る9時が近いというのに、畑に出て草削りをしていたようで、呼び戻して妻の用意してくれた着替えの入ったバッグを持って、これから出かけるところです。親父にとってデイサービスは、午前9時から午後4時までと長いゆえ、また特老の冷房がたまらなく寒いと感じるようで、余り行きたがりません。それでもお風呂に入れてもらえることが楽しみなようで、「今日は温泉に行く日だ」と耳の遠くなった耳元で大きな声で諭し、とりあえず今日もどうにか出かけて行きました。目出度し目出度しといった感じの朝でした。

  「転げると 顔から先に 地面着く 顔面あちこち まるで地球儀」

  「痩せている  親父背負いて 家までの 坂道難儀 大汗かいて」

  「徘徊を するほど元気 ないけれど 弱る足腰 鍛錬つもり」

  「ああ俺も 二十年後は こうなると 老いの厳しさ 切々思う」 

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人間牧場

〇ギンモクセイの咲く学校

翠小学校校庭のギンモクセイ
翠小学校校庭のギンモクセイ

 2~3日前、わが家の無線有線室内放送から、時ならぬお知らせ放送がありました。「翠小学校の市指定天然記念物ギンモクセイが咲き始めたのでご希望の方は見に来て下さい」というのです。翠小学校の校庭にギンモクセイがあることは知っていますが、いつ咲くのか知らない人も多いので、放送を聞いた人の中には出かけた人も多いのではないかと思われます。現役学校に不審者が侵入する世情の中、防犯目的で門扉を閉じて校内に人を寄せ付けないのに、よくぞ放送してくれたと大いに驚き、早速人間牧場の草刈り作業を終えたそのままの姿で出かけてしまいました。

ギンモクセイの見学を知らせる入口の黒板
ギンモクセイの見学を知らせる入口の黒板

 校長先生と教頭先生はあいにくお留守でしたが、薄汚れた不審者と見紛うほどの私を見ても、対応に出た先生は私の顔を知っているので驚かず、色々と説明をしてくれました。私は役場に勤めた駆け出しが教育委員会勤務だったので、昭和45年ごろからこれまで44年間、このギンモクセイを見続け、天然記念物指定にも関わりましたが、一年一年の変化はそんなに感じないものの、最初に見た頃から比べると随分大きくなって、「この木何の木気になる木」のコマーシャルではありませんが、今や現役木造校舎としては愛媛県で一番古い学校のシンボルとして、威風堂々二宮金次郎像、蘇鉄とともにしっかりと役割を演じているのです。

 ギンモクセイの花の香りは金木犀の花に比べると少し弱く感じますが、その分気品が漂い何ともいえない日本独特の、淡い香りを漂わせる香木なのです。花は今が満開でこれから1週間は楽しめるようですが、花を散らし地上に花を振り撒いた姿もおつなものなので、願わくば一週間後に再びその姿を見に出かけようと思っています。翠小学校のギンモクセイの花の香りは風向きによっては、周囲一キロメートルまで届くと言われています。鼻の効かない私には嗅ぐよしもありませんが、児童数16人の小さな山間の学校の存在感を示すギンモクセイが香り終ると、私たちの地方では一気に秋が深まるのです。

  「見に来てと 有線放送 ギンモクセイ 入口黒板 香りいざなう」

  「半世紀 近く見続け あらためて 香木すっかり 大きくなりて」

  「木造の 学校シンボル 色々と あり過ぎるほど 自慢のものが」

  「ギンモクセイ 周囲に木柵 お目見えし 化粧直を しているようだ」

ギンモクセイの花
ギンモクセイの花
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人間牧場

〇イタドリの花の咲く頃

 蜜蜂を飼っていると、蜜源となる花は春から初夏にかけて多いと思うのですが、秋のこの時期は蜜源となるべき花が少ないというのが実感です。それでも蜜蜂たちはどこから集めてくるのか、冬生き残るために必要な蜂蜜を集めようと、せっせと働いています。昨日は日本海を抜けようとする台風崩れの熱帯低気圧に向かって、通称やまぜと称する南西の風が昼過ぎから吹き、海も里も大荒れでした。折角順調に育ちつつある家庭菜園の野菜類も大風に揉まれ、中には吹き飛んだものもありましたが、夕方遅くに風も止んでホッと一息といったところです。

散歩の途中で見つけたイタドリの見事な花
散歩の途中で見つけたイタドリの見事な花

 昨日雨を伴った風の中を傘を差し、長靴を履き裏山へ散歩に出かけました。そこここに秋の気配が漂って、コナラのドングリの実が風で飛ばされ、道に無数に落ちていました。子どもたちにとっては格好の遊び道具なので、明日にでも孫を誘ってドングリの実を拾いに行こうと思っています。道の擁壁に差し出すように真っ白な花をいっぱいつけた、イタドリを見つけました。花の少ないこの時期だけに大風の中蜜蜂が数匹花に必死にしがみついて蜜を集めていました。イタドリの花に蜜があるのか?と思いながら、花の美しさに見とれてしまいました。

 イタドリは私たちが子どものころは、貧しさゆえにイタンポと呼んでよく食べた食材で、思い出は尽きないのです。しかしそのイタンポも花となると、「はてどんな花だったか?」一向に思い出せません。多分花より団子だったのでしょう。でもこの歳になるとむしろ「団子より花」で、早速家に帰ってデジカメをポケットに入れ、再び散歩コースに出て今が盛りと咲き誇るイタドリの花を、愛でながら写真に収めました。
 イタドリは花を散らすと立ち枯れして冬を迎えます。来年の春には越冬した根元から若い新芽が出ますが、これが山菜として結構いけるのです。

イタドリ イタドリは地域によってスカンポ、イタンポ、ドングイ、ゴンパチ、エッタンなどと呼ばれていますが、葉っぱや根が傷等の痛みを取るからイタドリ=痛みを取るといわれるようになったとも・・・。イタドリは虎杖と漢字で書くようです。私の記憶の中ではイタドリは山菜として食用するしか考えられませんでしたが、この秋初めて花という対象物に変わりました。野草は人知れず花を咲かせ、殆ど人に見られることもなく花を散らします。せめて私一人くらいイタドリの花の美しさを、愛でる物好きな人間がいてもいいのではないかと、遠く近くからマジマジとイタドリの花を楽しみました。

 

  「散歩道、擁壁せり出し 咲いている イタドリの花 蜜蜂2~3匹」

  「野の花は 人知れず咲く ゆえ綺麗 愛でる人なく 淋しそう散る」

  「綺麗ゆえ デジカメ持って 撮影に 上横下と カメラマンぶる」

  「白い花が 咲いてた歌を 思い出す 何の花かは 思い出せぬまま」 

 

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人間牧場

エミフル〇エミフル松前へ行く

 196,000㎡の広大な敷地に204もの専門店が入り、2008年4月にオープンした、西日本最大級の複合商業施設エミフル松前へ久しぶりに出かけました。日ごろは3日にあげず松山へ出かける私ですが、いつも横目で見ながら、余り立ち寄りこともなく、むしろエミフル松前の出現で周囲の国道が渋滞し、少しいぶかしい気持ちで通過するだけなのです。昨日は祭日秋分の日とあって、5000台収容の駐車場はかなり詰まっていて、少し遠い所へ車を置いて歩きました。知人から聞いた話ですが、近所のお年よりはやることがないので、冷暖房の効いた施設内を歩き回って散歩を楽しむのだそうです。

エミフル2 私のように人混みが余り好きでない人間にとっては、人混みそのもので疲れを覚えるので、むしろこれからも余り肌に合わない、若者向けショッピングモールのようです。昨日は親父の隠居へエアコンを取り付けるため、敷地内のエディオンという電器店へ品定めに行くことが目的でした。親父は冷房が嫌いで、夏の暑さ対策としてエアコンを設置しようと働きかけたものの合意に至らず、この時期にエアコンをと相談しても、ストーブや掘り炬燵があるからと、受け付けないのです。96歳の親父の日々の暮らしでストーブはディスクが大きいので、この際親父の意見を無視してつけてやろうと、長男息子とともに出かけたのです。

 親父の日ごろ暮らしている居間は6畳ですが、隣りの台所も含めて10畳対応の少し大きめのエアコンを見繕い、結局買う契約までしてしまいました。親父が特老へデイサービスに行く日に設置工事をしてもらうよう頼んでお店を出て、エミフルの中へ入りました。待ち合わせていた娘と孫に合流し昼、時ということもあってソバの専門店へ入り、美味しい新ソバを味わいました。
 その後ユニクロで私の替えズボンを2本買ってもらったり、妻や娘の買い物に付き合い2時過ぎに自宅へ帰りましたが、人混みには慣れているはずの私でも、いやはや疲れてしまい、少しばかり年齢を感じました。仕切られた空間の中でのBGMや明る過ぎるライト、人混みと騒音は、自然を相手に田舎暮らしをしている日常の私にとって、非日常でもあるのです。少しだけ脳に刺激を受けた一日でした。

  「人混みの 中に入りて 音光 非日常ゆえ 少々疲れ」

  「私には 田舎暮らしが 性に会う やはり歳だと 自分納得」

  「夏暑さ 過ぎたと思う この時期に 親にエアコン プレゼントする」

  「エミフルに 行けば何でも 一辺に 揃う便利さ ゆえに出かける」

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人間牧場

〇玄関の足拭きマット

 わが家を新築したのは今から37年前の昭和52年でした。青年の船の班長として建国200年のアメリカへ出かけたのが昭和51年でしたから、帰国後直ぐに今の場所に660坪の土地を購入し、お金もないのに自宅の新築を思いつき、親父と折半で家を建てたのです。住宅ローンを組んだこともあって、若い頃の生活はかなり苦しかったと妻は述懐していますが、今にして思えば若気の至りとでも言うのでしょうか、よくもまあやったものだと、私たち夫婦の行動に感心するのです。

37年ぶりに新調した足拭きマット
37年ぶりに新調した足拭きマット

 自宅は本宅や隠居、倉庫、塀などを次から次へと整備して現在に至っていますが、新築した折玄関先に真新しい足拭きマットを置きました。足拭きというよりは靴の泥落しといった方が正しいのかも知れませんが、足拭きマットはこの37年ほとんど毎日家族の玄関出入りの度に家族の土足で踏まれ続けて来ました。ところがつい最近錆びて傷んで来ました。少し気になってそろそろ買えど機と思っていましたが、忙しさにかまけてすっかりそのことを忘れていました。

 数日前、その足拭きマットが真新しくなっていることに気がつきました。そのことを若嫁に話すと若嫁が、「お父さん気がついた!!」と説明してくれました。若嫁も私と同じように足拭きマットが傷んでいることに気がついて早速ホームセンターで買って帰り置いてくれたようでした。わが家では今年から近所付き合いの全てを私から息子に代替わりさせました。勿論全てといっても要所要所お金に要るところや臨時の出費はまだまだ私たちですが、足拭きマットは息子たち夫婦の出費で取り替えられました。多分これからも築37年のわが家はあちらこちらに故障や修理が出始めていて、息子たちの苦悩も始まろうとしています。

 家を修理しながら持ち堪えるのは容易なことではありません。ましてやお金がかさむとなお更二の足を踏むものです。年金暮らしの私たち夫婦と、安月給な息子たち夫婦が寄り添ってきて行くには、子育てを終えて少しばかり余裕のありそうな老夫婦が負担をしてやらなければ暮らしが成り立たないのです。さりとて息子は長男ゆえに私たちの持ち家をこれから引継ぎ、家主となったのですから、私たちが若い頃苦労したように少しでもお金を貯めてこの家を守って行かなければならないのです。奮起を促しながら足拭きマットというささやかな負担をしてくれた息子たち夫婦に、少しだけ感謝しました。

  「玄関の 足拭きマット 若嫁が 取り替えてくれ 何処か清しい」

  「出入りの 度に足拭き マット踏む 37年 ご苦労さんと」

  「わが家では 世代交代 順調に 進んでいます だけどお金は」

  「この家に 住んで久しい そこここが 傷み始めて 直し必要」

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