人間牧場

〇ゴボウ作りは厄介

幕板を使ったゴボウの苗床
幕板を使ったゴボウの苗床

 昨日は厄介なゴボウ掘りをやり、大汗をかきましたが、そのついでにこれまで使っていた幕板を再利用して、畑の隅の適当な場所を選び、苗床を作る作業をしました。日曜大工の要領でまず幕板を立てる床掘りを、土を真ん中に寄せ集めながら進めましたが、ゴボウ堀りでかなりのエネルギーを消耗していたので、少しきつく感じました。その後大小6枚の幕板組み合わせ、水平や垂直を目通ししながら、余り見苦しくない程度に釘でお互いを固定しました。

P1070238 幕板の周囲に土を盛ったり、幕板が土の重みで動かないよう算木を打って固定すると、今度は土入れ作業です。他の場所から土を移動することができない場所なので、畑の隅の土を鍬で掘ったり、スコップで跳ね上げたりして、やっとの思いで夕方5時頃一連の作業を終え、苗床作りを完了しました。古い幕板や古い釘を再利用して作ったため、多少いびつな感じは、腕の悪さも手伝って否めませんが、今日にでももう少し土を入れて、土が雨で落ち着けばゴボウの種を播こうと思っています。

 家庭菜園での農作業は、中耕、草取りなどかなりしんどい作業が多くて大変ですが、作る喜び、収穫する喜び、食べる喜び、差し上げる喜びなどなどがあるので、我を忘れてやっています。ただ我を忘れ過ぎて、昨日のように足腰が痛くなるほどやってしまうこともあるので要注意です。
 このところ、タブレット端末を手に入れ、使い方を練習するつもりでカリフラワーやブロッコリーを写真に撮って、facebookにアップしたところ、面白い写真が撮れそうな予感がしているので、これから畑をテーマに野菜の成長写真を撮ってみようかと思い始め、新たな興味が湧いて来ました。年寄りの冷や水にならぬよう気をつけます。

  「掘り易く するため幕板 囲い込み ゴボウ苗床 これで完璧」

  「出来栄えは 60点だが 不器用を 自認していて これで納得」

  「立春を 過ぎて菜園 農作業 背中を押され あれやこれやと」

  「今年は 菜園野菜 タブレット 使って写真 facebookuで」

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人間牧場

〇里山歩きを楽しむ

 私は小さい頃から海の町で育ったので海も大好きですが、それと同じように山歩きも大好きで、暇さえあれば家の近くの里山を、一人でウォーキングしています。一日の歩く歩数の目標を1万歩と決めていると、何かにつけて歩かないと、目標の一万歩は達成できないから、止むに止まれぬ事情で歩き回っていますが、裏山に杉や桧の木立の森があったり、季節感漂う雑木林の踏みつけ路があるのも嬉しい環境です。

 杉や桧の森、雑木林にはアロマセラピーや森林浴効果がるといわれていますが、この季節は足元に落ち葉が沢山落ちていて、落ち葉を踏みしめる「カサカサ」という音や、遠く近くで鳴く野鳥の声も聞こえ、心が落ち着くようです。私が歩いている里山は殆ど人が通らない路なので少し荒れ模様ですが、私が毎日や時々歩くようになって、特に雑木林には踏みつけ路状態の路が出来、いい雰囲気で散策を楽しむことができています。

 山道のあちこちには、早咲きや遅咲きの花も咲いています。昨日は遅咲きの水仙の花、早咲きの野イチゴの花を見つけ、手持ちして出かけたタブレットで写真に撮りました。少し足を伸ばして八景山に通じる道を登ると、長い灘町鉄橋の見える場所に出ました。この場所は双海10景に数えられる素敵なカメラアングルなので、2~3枚パチリ狙いました。人間はいつの間にか、グローバルな考えや、ものの見方に目と心が行っていますが、「幸せの青い鳥」のように、ローカルな足元を見つめることも大事だとしみじみ思いました。

  「里山を 一人のんびり 歩く見る 季節の移ろい そこここ感じ」

  「道端に 遅咲き早咲き あれこれの 花が見てよと 言いつ咲いてる」

  「雑木の 林分け入り 踏みつける いつの間にやら 一本の路」

  「春ですよ 小鳥の声も 何処となく 弾んで聞こえ 幸せ感じ」 

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shin1さんの日記

〇久しぶりの休日
 久しぶりの温泉 今日は祝日、建国記念の日です。サンデー毎日の私にとっては、祝日も祭日も日曜日もあまり関係がありませんが、日曜日しか休みのない妻にとって休日は、あれやこれやとやりたいことがあり、また買い物など楽しみなようです。  先日大分に住む友人の奥さんが急逝したという風の便りが届き、同年代の少し早い旅立ちに、少し心が痛んだ矢先でもあるので、今日は親父をディサービスに送ってから、「温泉にでも行こうか」と相談がまとまり、星ヶ丘温泉に出かけました。のんびりゆっくり温泉を楽しみ、身も心もすっかりリフレッシュすることができました。

 私は退職したあとも何かと忙しく、妻にはこれくらいのサービスしかしてやれませんが、妻が退職したらのんびり旅行でもと思っているものの、在宅で親父の介護をしている実情を考えるとそれも難しく、長男の嫁に嫁いだゆえの悲劇を思わざるを得ないのです。それでも妻は、「今日一日楽しかった」と、とても喜んでくれました。 大分の友人は二人暮しでしたので、奥さんが亡くなり一人になって「寂しい」と吐露していましたが、もし私が同じ境遇になったらどうしようと、自分自身に置き換えながら困惑した一日でした。

 人間は悲しいかな、自分で命を断たない限り夫婦一緒に死ぬことはできません。14年前母が亡くなるまで、親父は大正生まれの古い人間ゆえ亭主関白で、炊事や洗濯、掃除といった家事はまったくできず、全て母親がやっていて心配しましたが、親父はその後自立して家事全般を見事にこなしてくれました。さすがに年老いた最近は妻の手助けがなければならなくなりましたが、もし私が親父と同じような境遇になったら、とてもじゃないが親父のような自立は出来ないと思うのです。反面親父にさえ出来たのだから私にだって、出来ない事はないと鷹を食っていますが、世の中そんなに上手く行くかどうか・・・・。昨日今日少し心配な二日間でした。

  「久しぶり 妻と二人で 温泉へ のんびりゆっくり 休日楽しむ」

  「もし妻に 何かあったら どうしよう 親友奥さん 風の便りで」

  「関白な 親父でさえも 独り立ち 私にだって 強がるけれど」

  「少しだけ 優しくなった 私見て 何があったの? 気持ちが悪い」

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人間牧場

〇年寄りの冷や水

 年寄りが歳も考えず無謀なことをすることを、「年寄りの冷や水」と昔から言われています。昨日連合海区調整委員会が山口県柳井市であり、他の委員さんと一緒に出かけましたが、道すがらのフェリー往復5時間の旅は、かなりのんびりしていて、手持ちのタブレット端末をいじったり、本を読んだり、委員さんと雑談に耽ったりして時を過ごしました。
 私が健康法のひとつとして、毎朝ジョギングをしていると話をすると、「それを年寄りの冷や水というのだ」と笑われてしまいました。

 「70歳の私が毎朝ジョギングをすることが年寄りの冷や水だったら、あんたたちは年寄りの温く水だ」と反論し、大いに盛り上がりましたが、「冷や水」について少し考えてみました。私は1週間に一回程度体のケアーと称して、松山の温泉に行きます。行くといっても所用のついでに立ち寄る程度なのですが、最近の温浴施設はサウナが充実していて、行けば必ずサウナに入ります。入った後この寒いのに冷水風呂に入ります。心臓にはよくないはずですが、冷水をかぶりとスッキリして気持ちがよく、むしろ健康のためには適度な、こうしたショックは必要だという人もいますが、どちらが正しいのか分りません。

 歳をとると水分調節が難しいようで、飲み過ぎるとトイレが近くなり、また水分が不足すると血液が凝縮するので水分補給が必要だといわれています。この時期は寒の水といって冷たい水が美味しい季節なので、冷水を楽しんでいますが、水分をどの程度取るかも意見が分かれています。寝る前に必ず水を飲むことを習慣にしている人もいるそうですが、私は寝る前に水を飲まないタイプです。まあ色々言いながら、「冷や水」を意識して余り無理はできませんが、適当な「冷や水」を意識してプレッシャーをかけなければ、老いのスピードは速まるばかりです。さあ今朝も外が明るくなり始めたので「年寄りの冷や水」と言われそうですが、ジョギングに出かけましょうか。

  「年寄りの 冷や水だから 止めとけと 私のジョギング 名指しで批判」

  「サウナ風呂 汗かきその後 水風呂に 年寄り冷や水 止めとけ注意」

  「寝る前に 冷水コップ 一杯を 飲めばいいよと 勧めてくれる」

  「健康を 気遣いながら 色々な 健康法を 教えてくれる」

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shin1さんの日記

○山口県柳井へ
 今日は山口県柳井市で開催される連合海区漁業調整委員会に出席するため、松山市三津浜からフェリーに乗って、他の委員さんや県庁の担当者と一緒に、柳井へと向かっています。三津浜を出港したフェリーは、心配された海の時化もなく、穏やかな瀬戸内海を走っています。私は毎日沖合に浮かぶ周防大島を沖合に見て暮らしていますが、この島はとてつもなく大きく、何度か行ったことはあるものの、いつか一周してみたいと思いながら、未だに実現していないのです。
 今日の会議は午後なので、帰宅は夕方遅くなる予定です。柳井の町並みも今回は、残念ながら素通りとなってしまいそうです。船内放送があって、間もなく周防大島大橋の下をフェリーが通過するようです。

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人間牧場

〇老々介護の日々

 「人は何故老いつつ死に向って生きるのか?」、96歳の親父を老々介護をしているがゆえに、日に日に老いて行く親父の姿を目の当たりにしながら、そんな問いかけを自分自身の心の中でしています。昨日は親父が近くの夕なぎ荘へデイサービスに行く日でした。昨日の朝、町内に住む姉と弟も親父の様子を伺いにやって来て、息子家族も加わって、お迎えの車に乗る親父を賑やかにお見送りしました。潮が引いた後私はいつものように、親父の住んでいる隠居のトイレの掃除をしました。週2回のトイレ掃除は最初少し抵抗を感じていましたが、「修業」だと思い、「親孝行」だと思ってやっていますが、今ではすっかり習慣化し何の抵抗やわだかまりもなくやれるようになりました。

 体が不自由になった親父の世話は、母が亡くなってからこの15年間、主に妻が食事や身の回りの世話を行って来ました。妻は私より年齢が一つ歳下ですが、今も近所の歯科医院へパートで勤めていて、とても働き者です。親父の世話に関しても愚痴も言わず、長男の嫁というだけで続けてくれていますが、さりとて高齢になりつつある妻にこれ以上の負担をかけてはならないと、殊勝にも思っている私も、何か手助けが出来るのでは?と思ってのトイレ掃除行動なのです。不思議なものでトイレ掃除をするようになって、親父の心に少しだけ寄り添えるようになれたことは、何よりも大きな効果でした。

 いいことは分かっていても在宅介護は大変です。ゆえに「老いれば施設」の風潮が強くなり、私の知ってる人たちも施設に入居して老いを暮らしています。親父も一時は「迷惑をかけるから施設へ入りたい」と言っていましたが、今では「この家の畳で死にたい」と言うようになりました。長生きはいいことに違いはありませんが、介護は介護をする側も介護をされる側も、力のいることだとしみじみ思います。どこまで出来るか分かりませんが、親父も私たち夫婦や家族も、もう少し頑張ってみようと思っています。それは27年後にやって来る自分たち夫婦の老いの問題でもあるからです。

  「親父留守 トイレの掃除 黙々と これも修業と 心に言いつ」

  「親孝行 口で言うほど 楽じゃない 妻に感謝し 私も何か」

  「老々の 介護親父が ありがとう たった一言 親子の絆」

  「十五年 親父の食事 世話をする 長男の嫁 頭が下がる」

 

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人間牧場

〇蓄えるしんどさと使う喜び(その5・感動の貯蓄)

 詩人の相田みつをさんが「感動とは感じて動くこと」とシンプルに表現していますが、感動はまか不思議な心の動きです。青年団長をしていた若い頃、「人の悲しみを悲しみと思い、人の喜ぶ姿を見て喜びとするような人間になろう」などと、感傷的な言葉を自ら編み出して、青年たちにあいさつで訳も分らず訴えていましたが、今となってはけだし名言だと納得しています。
 私は子どもの頃から涙もろい方で、テレビのドラマを見ても泣けてきたり、道端の草花を見ても思わず立ち止まり、しゃがみ込んで「綺麗だ」と思います。多分それは私を育ててくれた母親の影響かも知れません。

 親友というより大先輩の愛媛大学名誉教授の讃岐先生が、「感動は感動という作用によってのみ点火される」と言っています。つまり感動しない人間は相手に感動を伝えることはできないのです。わが子は四人います。他人はどう思っているか分りませんが、わが子四人は普通に育てたのに、優しい感動する子どもに育っているように親の目から見れば思えるのです。それは多分手前味噌ながら、幾つもの感動を貯蓄してきた私たち夫婦の影響からかも知れません。

 私たちが子どものころは、子どもが生まれるのも、家族が死ぬのも全て家庭でした。ゆえに生というとてつもない大きな喜びと、死というとてつもない大きな悲しみを経験することができました。歓喜と感涙の源がそうした経験だとしたら、今の社会生活には残念ながら感動を経験することが少なくなったゆえに、無感動な子どもたちが多いことも納得できるのです。そんな子どもたちに「感動の涙を流す経験をさせてやりたい」という願いのもと、「無人島に挑む少年のつどい等を無謀にも計画し、20年を越えて仲間とともにやって来ました。また今も人間牧場に子どもたちを集めて、子ども体験塾をやっていますが、それもこれも感動の貯蓄運動なのです。

 私は歳のせいでしょうか?、何かにつけて涙もろくなったような気がします。「歳をとると涙もろくなる」と言われますが、多分それは感動の貯蓄の利子が溢れ出しているのだと思えば納得するのです。現代の子どもを感動人間に育てるには、讃岐先生の言うことが正しければ、まず親や社会が感動親、感動社会にならなければ、子どもたちの心に感動の火は点火されるはずがないのです。私ももう少し、子どもたちに感動の貯蓄をさせるお手伝いをしたいと思っています。

  「感動は 感じて動くと 言うけれど 感じて動く 人ぞ少なし」

  「感動は 感動作用で 点火する する人あれば される人あり」

  「感動を 貯蓄するのは 難しい 使う喜び あれば出来るよ」

  「感動が 少なくなった 世の中で どう伝えるか 次の世代へ」
 

 

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人間牧場

〇蓄えるしんどさと使う喜び(その4・人間関係の貯蓄)

 私は正月に手元に届く年賀状が、こんな田舎に住んでいながら、多い時は1千枚を越えるほど、沢山の知人友人がいます。現職を退職しさすがにその量は幾分減りましたが、それでも妻が驚くほどの知人友人がおリ、高齢になった今でもかなりの人の名前と顔が一致して覚えているし、交友を続けているのです。私の人間関係は青年団8年、社会教育13年、地域づくり20年、教育長2年の他、21世紀えひめニューフロンティアグループ活動30年、人間牧場10年という縦糸と地域活動に加え、全国をまたにかけた講演行脚などの横糸が織り成す若松進一という男の人生そのものです。

 人に会って覚えてもらったり、付き合ったりしてもらうには、自分のグレードを高めなければなりません。「価値のない人間は付き合うに足らず」なのです。「人間の価値とは何か?」これは私がずっと考え続けているテーマです。他人は人の値打ちを得てして「好きか嫌いか」「損か得か」で判断します。好きで得な人とは多少無理をしてでも付き合いますが、嫌いで損する人は敬遠されるのです。でも本当の人間の値打ちはそんな単純なものではなく、結局行き着くところは「善か悪か」なのです。その意味が分かれば嫌いでも損をしてでも付き合うことができるのです。

 私の妻は私と連れ添って40年を越えましたが、その辺のことをよく知っていて、私の付き合いをサポートしてくれています。全国にいる知人友人に毎年田舎ならではの産品を送ってくれたり、勿論私も毎日ハガキ3枚を出すなどして絆を温めているのです。また請われればはせ参じてボランティア活動で手助けもするのです。人の付き合いはそのようにしんどい部分もありますが、私が今日こうして元気に活動できるのは、やはり多くの人の力であることを忘れることはできません。さあ今日もいい人と出会い、いい人間関係を貯蓄しましょう。

  「好き嫌い 損得よりも 善か悪 そのこと知れば 善人集まる」

  「これまでの 人間関係 貯蓄した 財産使い 今も生きてる」

  「金などは ないが人財 多くあり 楽しい日々を 今日も過ごしぬ」

  「これからも 人・人・人と 関わりて 絆深めつ 絆深めつ」

 

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人間牧場

〇蓄えるしんどさと使う喜び(その3・金銭の貯蓄)

 世界中では人口の7パーセントの人が金持ちで、93パーセントが貧しい人だそうですが、勿論私も93パーセントの中の一人です。これまで70年間生きて、50年くらい一生懸命働いてきましたが、ことお金に関しては縁がなく、このまま貧乏人で一生を終りそうです。貧乏な私はそれでも「金はなくボロは着てても心は錦」なんて強がりをいって暮らしていますが、一度でいいからお金持ちになってみたいと思うし、一億円の宝くじにも当たってみたいと思うものの、今まで宝くじさえ買うお金もないので買ったことがなく、当たるはずもないのです。

 そんな私ですが、50歳の時一念発起して、60歳の定年から始まるであろう第二の人生のために、人間牧場を造る夢を見て、必要な一千万円を貯めることを決意しました。安月給なしがない地方公務員で、サイドビジネスも出来ない私が五十代の10年間で、果たして1千万円を貯めることが本当に出来るのか?、自分自身でさえ半信半疑でした。それでも「夢はドリームではなくターゲット」と、思ってやった結果一千万円が貯まったのですから驚きです。今思えば蓄えるしんどさは想像以上でした。でもその一千万円を元手に、借金をしたり補助金を貰うこともなく、自分の夢であった人間牧場を五年計画で整備し、多くの仲間とともに喜びを分かち合っているのです。

 私は蓄えたお金を、蓄える苦しみ等すっかり忘れて使い果たし、手持ちのお金は元のゼロになりましたが、後悔は全然なくむしろ晴れ晴れとした気持ちです。幸いなことに人間牧場で落伍を演じるために考えた、高座本「夕日徒然草」も5冊産まれ、その売り上げもそれなりにあって、運営に必要な資金も調達できているのですから、世の中は分からないものです。人間牧場資金づくりのために始めた貯金箱貯金も、今ではすっかり自分の生活習慣になって、貯まった小銭でデジカメを買ったりして使う楽しみを味わっています。

  「一千万 何が何でも 貯めてやる そんな苦労な 不退転決意」

  「本当に 一千万円 貯めました お陰で夢の 人間牧場」

  「貯金箱 今は習慣 なりました 小銭を貯めて ささやか喜び」

  「さあ次は 何をしようか ワクワクし 夢膨らませ 貯めるしんどさ」

 

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人間牧場

〇蓄えるしんどさと使う喜び(その2・知識の貯蓄)

 私の知識は読む、聞く、見るによって大きくなってきました。今時大学も出ていない高卒の学歴なので、深くて広い知識等望むべきもありませんが、子どものころから親父に言われて育った、「勉強は学校へ行かずとも、何処でもできる」を肝に銘じ、様々な本を乱読しました。その本の殆んどは人間牧場・水平線の家の書棚と自宅書斎の書棚に置かれていますが、これ以外にも新聞や雑誌の類を含めると、活字による知識は相当なもので、今もその歩みは続いているのです。

 色々な人の話しを聞くことも大いにやりました。多少のダブリはありますが、私の青年団での8年、公民館での13年は多くの人に出会い、聞くことによって様々な知識を習得したのです。また見るという行為による学びも、青年の船で建国二百年のアメリカを見たり、全国各地を旅をして目学もやりました。その全てが基層知識となって、今では書く、喋る、実践するという使う喜びに変わっているのですから嬉しい限りです。特に若い頃に得た知識の貯蓄がなかったら、私の人生はこうも豊かに生きれることはできなかったようです。

 知識は記憶です。体内に蓄えられた貯蓄は、蘇らせて使わなければ何の役にも立ちません。年齢とともに人間の記憶装置は傷むものだと、昨日テレビを見て思いました。若い頃出会って指導を受けた永六輔さんが、テレビに出てお話をしていました。かつて超聡明だった永さんさえも歳とともに老いを迎えるのですから、私などはこの先どうなるのだろうと少し不安になりましたが、幸い私が退職後手に入れたパソコンによって、かろうじて記憶は保たれているのです。私は今そのパソコンという記憶装置に、一生懸命今しかできない、私にしかできないデジタル文字を入力しています。

 毎日日課と定めて書いている2本のブログも10年を越えました。時々検索して過去に書いた文章を読んだりしていますが、人様から見れば他愛のない文章でも、今が過去になる前に今しかできない作業を、毎日繰り返しているのです。それは知識の貯蓄と同時に知識を使って知恵に変えることでもあり、まさに使う喜びかも知れません。私たち人間は文字という武器を持っています。この武器をパソコンという新たな武器で加工して記録保存できるのです。こんな無意味な知識の貯蓄という生き方を、これからもしっかりと続けたいと思っています。

  「低脳を 自認の私 知識得る 読んだり聞いて 見ること努力」

  「超聡明 あの人さえも 歳をとる 今しかできない 知識の貯蓄」

  「意味もない ことと誰もが 思うけど 自分納得 これも人生」

  「さあ今日は 知識の貯蓄 引き出して 使う喜び 味わい出かけ」

 

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