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○雨傘
 「お父さん、今日は東京も雨のようだから傘を入れとくね」と、妻は荷物の中へ折りたたみ式の雨傘を入れてくれました。自宅お出発する時、荷物をできるだけ少なくしようと思い、日頃入れている木になるカバンの中身を全部出し、リュックに入れていた着替えも極力少なくして荷物を一個にしました。つまの予言通り羽田に降りると雨が降っていて、前神女史と待ちあわせした東京駅八重洲西口から交流会のある居酒屋まで、浜松町駅からチサンホテルまで、お陰様で濡れることなく移動ができました。人間は喉元過ぎれば暑さならぬ雨に濡れることを忘れ、今日は朝から上天気に恵まれると、傘が邪魔になって仕方がなく、手荷物検査で取り出したり、少しだけ憂鬱になりました。勝手なものですねえ。

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○ホテルでの朝食
 自宅での朝食は正月以来大好きなお餅が主食となっています。リンゴとキャベツを組み合わせた自流リンキャベも食べ、快眠、快便とともに快食で、毎日健康を実感していますが、まるでフーテンの寅さんのように、年中旅に出ている私は、旅先で食事をすることが多く、仕事柄美食になりがちです。肉や魚は勿論のこと、アルコールまで勧められますが、幸い14年前からお酒を断っており、幾分助かりますが、それでもカロリーが多く、時制のブレーキを掛けなければなりません。
 今朝は昨晩から泊まっていた浜松町の、チサンホテルでの朝食となり、身支度を整えてレストランに入りました。バイキング料理の中から好きなものを幾つか取りましたが、やはりご飯としじみの味噌汁が主食で、リンキャベはなかったので、野菜サラダとフルーツも美味しく頂きました。昨日は万歩計も目標の1万歩をクリアーしていましたが、今日は昨日の雨も上がり上天気の青空で、。東京の街を歩くのがとても楽しみです。さあ出かけましょうか。

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〇一枚のハガキ一本の電話

古野さんから届いたハガキの表書き
古野さんから届いたハガキの表書き
古野さんから届いたハガキの裏書
古野さんから届いたハガキの裏書

 昨日は午後、海区漁業調整委員会の会議が松山の水産会館であって、出かけていましたが、帰宅すると郵便受けに年賀状が5~6枚届いていました。松の内も終わり早1月も半ばというのに、こうして私の元へ年賀状が届くのですから、それはそれとして嬉しく拝読しました。その中に見覚えのある人からの一枚のハガキを見つけました。旧温泉群中島町大浦に住む古野セキヱさんからでした。

 古野さんからは年賀状も届いていましたが、筆まめな彼女は前々日私のことが書かれた、愛媛新聞四季録の記事を読んだようで、その感想を寄せてくれました。古野さんとの出会いは私が公民館主事をしていた頃に遡ります。彼女の記憶では県公連の論文募集に二人が入選し、公民館県大会のステージに並んで表彰を受けてからだそうですが、以来私が県公連の主事部会長を6年間に渡ってやった折、女性主事さんの登用を考え、玉川の井出さん、松山の西原さん、中島の古野さんを指名主事にして、一緒に楽しい活動を展開したのです。

 以来退職後の今日まで私的な付き合いも続いていますが、古野さんは主人に先立たれ一人暮らしながら、多芸な趣味を生かして膝に不安を抱えながらも、元気に活動しているのです。特に川柳や短歌は玄人はだしで、愛媛新聞の文芸欄を賑わかせていて、私も楽しみに読んでいるファンの一人です。今回届いたハガキには、四季録「若松進一さん」を読んでの感想と近況でした。私は早速携帯に登録している古野さんの携帯に電話を入れると、弾んだ元気な声が帰って来ました。四方山話に花を咲かせましたが、私が会長をしている公民館OB公友会の、今年の総会会場が人間牧場なので、是非体調を整えて来てくれる頼みました。

 人はみな歳を取ります。「あのころは楽しかった」と、元気だった頃の回顧をするだけでは面白くありませんが、老いてなおいい生き方をしている古野さんと話をする度に、元気付けられこれから私もしっかりせねばと、思いを新たにするのです。
 人間牧場から古野さんが暮らしている中島が一望できます。また若い時代「無人島に挑む少年のつどい」などを謳歌した、ひょうたん型由利島共和国もよく見えます。古野さんも由利島も私の原点なので、これからも思いを寄せて生きて行きたいものです。

  「新聞を 読んだとハガキ 届きたる 嬉しい友の 筆跡眺め」

  「老いてなお ハガキ一枚 したためる 優しい心 今も健在」

  「あの島で 書いたハガキが 船に乗り ここまで届く 不思議に感謝」

  「もう少し 頑張らないで 頑張ろう ハガキ一枚 勇気百倍」 

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〇私設公民館煙会所での語らい

暖かい煙会所の囲炉裏
暖かい煙会所の囲炉裏

 昨日は夕方からシーサイド公園のイベントホールで、合併10周年事業やシーサイド公園開業200周年事業の打ち合わせを4~5人でした後、浜田さんと二人で自宅横の私設公民館煙会所まで戻り、二人で煙会所の囲炉裏に火を起こし始めました、年末煙会所で注連縄を作った時火を入れて以来で、今年最初の火入れとなりました。炭は息子が中山の友人から貰った竹炭を使ったため、火つきは早いのですがクヌギ炭に比べ炭持ちが悪く、時々炭を足しましたが、昨日の竹炭は炭化状態が少し悪く、炭を入れると煙が出て、床柱を背にして座った年輪塾塾頭の清水さんに向って、男前なので煙が集中し、笑いを誘いました。

釜揚げうどんを囲んで
釜揚げうどんを囲んで

 そのうち小番頭の松本さんもやって来て、4人で囲炉裏を囲み、早くも今年10月に予定している人間牧場10周年の進め方について、大いに議論を深めました。これから半年税務関係の仕事で身動きが取れない松本さんに替わって、清水さんと浜田さんが細々を引き継いで作業に当ることや、具体的な進め方について、昨日の議論で大枠が固まり動き出した感じです。私も今回はそれなりにねじり鉢巻に腕まくりしなければならないようです。昨日は妻が夕方仕事で留守だったため、途中若嫁が温かいお茶を差し入れてくれました。

 そのうち仕事から帰った妻が、釜揚げうどんを作ってくれ、囲炉裏にかけてみんなで夕餉の膳を囲みました。このうどんは本場うどん県高松の溝渕さんが送ってくれていたもので、フーフーいいながらみんなで美味しくいただきました。わが家へはこのように昔からしょっちゅう来客がやって来ます。その度に妻は笑顔で来客を向かえ、ご馳走ほどではありませんが、ささやかな食事を作ったりして歓待してくれるのです。私が今日こうして仲間と楽しい活動ができるのは、家族の援助だと感謝しています。昨日は親類からいただいたばかりのハギの刺身や、おでんも出してくれて、みんな大喜びでした。囲炉裏を囲んでの語らいはどこか温かく楽しいものです。煙会所を造って早くも40年の年月が流れましたが、私にとって煙会所はゲストハウスであると同時に、心のオアシスでもあるのです。

  「久方に 友が4~5人 集まって 囲炉裏を囲み 話も弾む」

  「赤々と 燃える竹炭 勢いを 増して手と顔 温めてくれて」

  「釜揚げの うどん割り箸 つまみ出す あちらこちらで フーフーツルツル」

  「ありがたや 妻の歓待 ホッとする また来るからと 友闇夜消え」

 

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〇わが家のどんど焼きと祝い事

わが家のどんど焼き
わが家のどんど焼き

 昔は1月15日が成人の日と決められた祝日でした。最近は成人の日が第2日曜日の明くる日とあって、成人の日という感覚が余りなくなりましたが、土曜日を含めると三連休の人もいて、正月後初めて家族でゆっくり休日を楽しむ人たちも多いようです。わが家では日曜日の朝どんど焼きをしました。家のあちこちに飾っていた注連縄飾りを寄せ集め、畑の隅に持って行ってうず高く積み、火をつけるのです。異常乾燥注意報が出ていて、連日有線・無線放送で火の取り扱いに注意するよう言われているので、慎重に燃やしました。

祝い事のバイキング食事会
祝い事のバイキング食事会を楽しむ4人の孫たち

 年末に腕によりをかけて折角作った注連縄ですが、僅か10日ほどでその役目を終えました。注連縄は燃やしても二本の縄が外れることがないので、夫婦の見本とも言われています。私たち夫婦も結婚して今年で早くも44年を迎えましたが、注連縄にあやかって夫婦仲よく暮らしたいものです。今年もどんど焼きには息子夫婦や孫たちも火の回りに集まり、煙を体や頭に両手で掬うようにふりかけて無病息災を祈り、焼いたお餅を少しだけみんなで分け合って食べました。

 昨日は娘家族の6年生の長男孫に、祝い事があったとの知らせを受けていたので、娘家族3人、息子家族4人、次男家族2人に私たち夫婦2人を加え、総勢11人でお祝いをするべく、野菜料理の「ふきのとう」というレストランを予約して出かけました。店は超満員で、沢山のバイキング料理の中から幾つか選んで食べ放題で食べましたが、多分私は美味しくいただいたものの、元の取れないくらいな食欲でした。ただ孫たちは大喜びで、主食もさることながらデザートのお替りを何度もして楽しんでいました。

 何につけても祝い事は嬉しいものです。全員男の子ながら孫4人も今のところスクスク順調に育っています。誕生日は勿論のこと、入学や卒業などなど、これからも人生の節々において様々な何げない喜び事が続くものと思われますが、ささやかなそれらを楽しみの一つと思いたいものです。帰り際4人の孫が全員、「おじいちゃん、おばあちゃん、今日はありがとう」とお礼を言ってくれました。妻の財布の紐が緩むはずです。

  「注連飾り 集めて畑 隅で焼く 煙両手で 集めてご加護」

  「注連縄は 焼けてもしっかり 縄のまま これが夫婦の 見本と言われ」

  「祝い事 祝ってやろうと 孫集め バイキング店 大いに食べる」

  「じいちゃんと 言われる歳に なりました 孫の成長 楽しみながら」

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大道で画いてもらった私の似顔絵
大道で画いてもらった私の似顔絵

〇初春水仙花祭りこぼれ話(大道芸似顔絵画き)

 水仙祭りの本来の目的は、寒風の中で咲く水仙の花と香りを楽しんでもらうことです。幸い豊田漁港を見下ろす下浜の斜面に、金山さんが育てた見事な水仙畑があるので、そちらへ行ってもらうため、手前のシーサイド公園でデモストレーションをやろうと最初は始めましたが、いつの間にか施設的が充実し、人がよく集まることからシーサイド公園でのイベントが中心になっているようです。

 今年も私はダイガラ餅つきのボランティアとして参加しましたが、寒いテントの中では漁協の人たちはイカのから揚げ、まちづくり学校双海人の皆さんはよもくれ串団子、花の会のみなさんはぜんざい、漁協女性部の皆さんはよもくれ団子汁を、それぞれ販売していましたが、お店を構えている特産品センターや、日曜市、岡田鮮魚店やじゃこ天のお店が連なって、それなりに買って食べれて楽しめるよう工夫が凝らされていました。

 イベント広場の片隅で、今ではすっかりお馴染みになった似顔絵画きのコーナーも、ほのぼのとした雰囲気で行なわれていました。新居浜から手弁当絵やって来た画家?の前に座って頼むと僅か5分で、自分の似顔絵を即興で画いてくれるのです。しかもそのお値段が色紙1枚100円という安さですから驚きです。昨日はデジカメを持参しながら餅つきに専念したため、写真を撮る暇がなかったので、似顔絵を1枚画いて貰いました。

 昨日の私のいで立ちは、頭にタオルでのねじり鉢巻姿でした。画いてくれた人は私の顔と名前をしっかり覚えていて、若松さんという文字まで書いてくれました。帰宅後妻に見せると、「まあお上手ねえ」と私の顔の良さなどさておいて、絵の特徴を誉めてくれました。鉢巻、長い顔、細い目などなど、鏡で自分の顔を見ているような特徴ある絵でした。早速この似顔絵画きを何かイベントに使えないか?、頭の中でアイディアの泉付近が動き始めたようです。

  「寒い中 テントあちこち それぞれに 如何ですかと 客を呼び込む」

  「二日間 それぞれ用意の 品物も 殆ど完売 今年の祭り」

  「写真より 似顔絵リアル 特徴を 捉えた自画像 たった100円」

  「似顔絵を 生かして何か できないか? 頭の中で アイディア浮かぶ」

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〇満腹満腹

伊予農高生の作ったカレー
伊予農高生の作ったカレー

 昨日は初春水仙花祭りにボランティアとして参加しましたが、お昼時期とあって行く先々で、色々なものをおご馳走になりました。まず最初に私が命名したよもくれ団子汁をいただきました。これはじゃこ天用の練ったすり身を団子状にして入れ、豆腐と薬味のネギを加えただけの、シンプルなつみれ汁ですが、いっぱい100円のこれが中々の味で、寒い時期に体内から温まるため、沢山の人が食べていました。

水仙花祭りのディスプレイ
水仙花祭りのディスプレイ

 

会員手作りの盛り花
会員手作りの盛り花

その後加工場に入って昨日の賄い飯である、伊予農校の生徒たちがうまいもん甲子園に出品出場した、じゃこカツキノコカレーを試食しました。木型で亀の形をしたご飯がカレー皿に盛られ、その上に甲羅に見立てたじゃこカツと味付けした椎茸が乗っていて、周りに海のようにカレールーがかけられ、夕日に見立てたミニトマトとハート型の人参、それにオクラもヒトデをイメージして飾られていました。まちづくり学校双海人で試作の段階から見ていましたが、食べるのは初めてで興味津々でしたが、味はとても美味しくできていました。

 昨日の花祭りのメインは水仙ですが、双海花の会の人たちが水仙の切花や盛り花を売りながら、ぜんざいも売っていました。焼いた小餅を入れたぜんざいは甘さも程々で、つみれ汁とカレーで満腹の手合いでしたが、強く勧められて食べてしまいました。メンバーの清水さん手作りという沢庵も、ぜんざいとの相性も抜群で、美味しくいただきました。多分今日も出店予定なので、今日は他の食べ物を押えて、ぜんざいの味を楽しもうと思っています。

 花の会も久保さんや戸田さんが高齢を理由に退会し寂しくなりましたが、細々ながらこうして活動を維持して、沢山の切花や盛り花を準備してくれ頭が下がる思いです。一年に一度のイベントですが、皆さんに出会って消息を確認し、他愛のない話に花を咲かせるのは楽しいものです。昨日はぜんざいを食べながら松山から来たという市会議員さんとも会話を交わし、また東京から立ち寄った人とも出会い、立ち話ながら地域づくりの話をすることができました。今日は名刺を持参して裏が味噌な話でもしましょうか。

  「つみれ汁 じゃこカツカレーに ぜんざいと 満腹手合い これ以上とても」

  「花祭り 横に座った 議員さん 熱心ですね 談義に力」

  「人混みに 入りて四方山 話する これまた楽し 今日も続きを」

  「水仙の 切花みんな 持ち寄りて 近居報告 立ち話する」

花売り娘?
花売り娘?
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〇同じ歳でも若く見えるのは何故?

 昨日は定期健診日で朝から県立中央病院に出かけ、病院内をウロチョロしていました。田舎者の私でも病院内を歩いていると結構顔見知りの人もいて、声を掛けたり掛けられたりしました。掛け合うことばは「元気ですか」「お久しぶりです」「何処が悪いの」くらいですが、体が悪くて病院に来ているのですから、「何処が悪いの?」はないもんだと苦笑いしながら、同じような会話を繰り返すのです。

美しい女優吉永小百合さん
美しい女優吉永小百合さん

 昨日突然、病院内の待合ロビーで同級生を見つけました。丁度一年前古希の祝いの同級会で元気な姿を見せていただけに、その変貌ぶりは「別人では?」と思うほどでした。付き添いの奥さんの話によるとガンらしく、手術をして一命は取りとめたようですが、今もその後遺症処置のために1週間に一度病院へ通っているようでした。ここだけの話ですが、同級生の容姿を見て、手前味噌ながら私と同級生とは思えないほど年寄りに見えました。かくいう私も自分では若いつもりでいても、他人から見ればいいおじいちゃんなのですから、人のことなど言える柄ではありません。

 昨日テレビを見ていると、女優吉永小百合さんの朗読活動ぶりを紹介していました。吉永小百合さんはデビュー以来今日まで、私の大好きな清純スターですが、吉永小百合さんの年齢は多分69歳で、誕生日は3月13日だと記憶しています。つまり私とは遅生まれれの同級なのです。人は何故老いて見えたり若く見えたりするのでしょう。私を基準にすれば、吉永小百合さんの見た目の若さはダントツです。顔を売る商売なので手入れにお金をかけ、体形を保つ努力を一生懸命しているのでしょうが、そこへ行くと私などは健康保持のために毎日そこそこトレーニングはしているものの、顔や頭に化粧品等塗って手入れをしたことも殆どない無頓着さです。

 一方私と同じ同級生でもガンになって手術をしたりすると、昔の姿が一変するほど歳を取って見えるのです。少なくとも昨日病院で出会った同級生が、吉永小百合さんと同年齢だとは誰も思わないはずです。同級生も吉永小百合さんも、勿論私も1年365日は等しく与えられた時間です。いつまでも若くありたいともう心も大小の差こそあれ一緒です。吉永小百合さんほどは望むべきもありませんが、せめて歳相応の若さを保ちたいものです。そのためには今やっている健康保持のためのトレーニングをしっかりやることでしょうか。さあ今朝もこれからジョギングやウォーキングに出かけてきます。外はまだ暗いようですがいつものことなので・・・・・。今日も一万歩を目指します。

  「病院で 一年ぶりに 出会ったが 変貌ぶりに 驚くばかり」

  「明日命 さえも分らぬ わが身にて 今を楽しく 生きて行かねば」

  「名女優 聞けば生まれは 同級と いやはや驚き 俺は一体」

  「それなりに 可もなく不可も ないように 歳相応と 思っていたい」

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〇孫の始業式発表

 年も押し迫った昨年末、小学一年生の孫希心が、3学期早々の始業式で「、冬休みの思い出」を作文発表することが決っていることを知りました。孫希心は冬休みを迎えるに当って、「毎日マラソンをする」「縄跳びを30回できるようにする」の2つを目標に掲げていました。毎日マラソンは年末年始13日間の冬休み中突風大風が吹いて危険で、仕方なく休ませた6日を除けばパーフェクトだし、苦手な縄跳びも何とか30回まで飛べるようになったのですから、これはもう誉めてやらなければなりません。

 さて冬休みの思い出を400字詰め原稿用紙3枚に書くため、孫は母親と楽しかったことをメモしていたようで、始業式の前々日に書き上げ、家で何度か練習していました。練習が終わり少し自信のようなものがついたのでしょうか、私と妻に「聞いて欲しい」と風呂に入る前、暖房の効いたダイニングに座らされました。「声が小さいのでもっと大きく」とか、「もっとゆっくり」とか、駄目出しをするので、孫は少し不機嫌になったものの、何とか作文は仕上がり、何とか発表に間に合ったようでした。

 始業式の前日学校へ母親が練習のために連れて行き、昨日の本番となりました。担任の先生の指導もあって、昨日は思ったよりいい出来だったと、ビデオカメラを持って聞きに出かけた若嫁が嬉しそうに帰り、私も早速若嫁の撮影したビデオカメラで、孫希心の勇姿を見せてもらいましたが、「中々の出来栄え」のようで、昨日は帰宅した孫を目いっぱい誉めてやりました。妻はご褒美に孫の大好きなイチゴをプレゼントしたようで、目出度し目出度しでした。

 孫の作文の中に、年末人間牧場で開催した餅つき大会の模様がリアルに描かれていました。おじいちゃん(私)に教わって杵で餅をついたこと、ふわふわの餅を丸めたことなどが書かれていましたが、子どもはこうして色々なことを体験し大きくなるのです。育爺たる私の役目も、口うるさい爺ちゃんだけでは嫌われます。でも嫌われても「ならぬことはなりませぬ」を貫くのも育爺の仕事です。わが家にはもう一人保育園年中の孫奏心がいます。これからもしっかり育ててやりたいものです。

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〇「これでいいのだ」バカボン思想

 正月用についた餅をポリバケツに入れて4~5日蓋をして、廊下の隅に置いていましたが、昨日妻は水を注いで水餅にしていました。これも餅を長く保存して食べる生活の知恵でしょうが、私は床の間にお三方で飾っていた大きめの鏡餅を、包丁で8等分に切りましたが、既に硬くなっていてかなり難儀をしました。鏡餅は普通鏡開きやどんど焼きを終えてから処理するのが通例ですが、そこまで置くと硬くなってひび割れがしたりカビが生えたりするので、わが家では勿体ないの思想で毎年こうして食べています。

 わが家では正月以来毎日毎朝、パンに変わって主食はお餅の日々です。私も妻も餅が大好きなので、何の違和感もなく焼いてしょうゆ味やきな粉をまぶしたり、時には雑煮にしたりして食べていますが、パンに比べて腹持ちがよく、妻は「お餅のせいで少し太ったよう」だと、不摂生を餅のせいにしています。今日は小豆を使ってぜんざいを作るようで、すでに小豆は購入していて、焼いたお餅を入れたぜんざいができるのを楽しみにしています。私は甘党ではありませんが、お酒を止めたこともあって、少し甘党寄りになったようです。

 過去は大酒を飲みだった私も、体調を崩してから摂生し、「酒も呑まず煙草も吸わず、コーヒーも飲まず賭け事もせず、100まで生きた馬鹿がいる」と揶揄されるほど今は品行方正で、働くことが趣味という超真面目な人間になっていますが、よくよく考えてみれば、無芸大食で何の楽しみもなく生きている私を、周りの人はどう見ているのでしょうか、少しだけ気になるところです。妻は大酒を飲みで世話の焼けた昔の私を知っているだけに、真面目な今の生き方を大歓迎しているようですが、果たして人生これでいいのでしょうか?。

 先日年輪塾の講師で招いた大洲藤樹会の辻会長さんが、かつて流行った漫画「天才バカボン」の主題曲を披露され、歌詞に出てくる「これでいいのだ」を力説され、その後塾生たちは何かにつけ、「これでいいのだ」をまるで呪文のように連発しているようです。「これじゃあ駄目だ」と思うのか、「これでいいのだ」と思うのかは人様々です。向学は「これじゃあ駄目だ」の思想だし、暮らしはある意味「これでいいのだ」と妥協しないと生きて行けないのも事実です。さすがに70歳を迎えると、「これでいいのだ」と思う程々な生き方も、悪くはないと思う今日この頃です。

  「太り気味 餅のせいだと 妻は言う 不摂生なる 日ごろ棚上げ」

  「毎日の ように餅食べ パン食べず これでいいのだ 言い聞かせつつ」

  「そういえば 天才バカボン その昔 流行ったことを 思い出しつつ」

  「当分は 餅が夫婦の エネル源 今朝も早速 きな粉まぶして」

 

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