人間牧場

〇にっぽん丸

 昨日の朝パソコンでfacebookを見ていると、大洲の親友河野達郎さんが双海町の海辺に来ている話題がアップされていました。大洲市長浜拓海ふ頭ににっぽん丸が来るらしいのです。たまたま私も人間牧場へ来客を迎えに行く予定だったので、少し足を伸ばそうと出かけて行きました。
 私にとって「にっぽん丸」といえば、今から40年前の昭和51年、青年の船に乗って建国二百年のアメリカへ行った時乗船したのが、政府がチャーターした三井商船の「にっぽん丸」だったのです。ゆえに「にっぽん丸」と聞いただけで、いても立ってもいられない気持ちでの衝動的見学でした。

にっぽん丸
にっぽん丸

 P1070324喜多灘を過ぎて今坊辺りに差し掛かると、大型客船ゆえ長浜町拓海ふ頭付近に接岸係留した姿が、まるで山のように一望できました。晴海ふ頭に通じる道を右折して入ると歓迎を示す「長浜町」と書いた幟が道の両側に立てられていて、降りたタラップから乗船客と思しき人が何人か、かなり強い北東の風を避けるようにコートの襟を立て、急ぎ足で降りてくるのが見えました。接岸して少し時間が経っていたため、また寒い早春の時期なので見学者もまばらで、たまたま車に積んでいたデジカメとタブレットで船体を何枚か写真に収め早々に引きあげて帰りました。

 今回の客船の入港といい、観光列車伊予灘物語の運行といい、この周辺も最近は何かと話題の多い感じがしますが、観光列車の運行も地元への経済的効果は殆ど皆無で、少し首を傾げたくなるようです。特に伊予灘物語などは海岸線を走るのに、わざわざ内子の弁当を運んで乗客に食べさせているのですから驚きです。こんな列車に「手を振って歓迎の意を表してください」とJRから言われても、殆どの人は関心を示さないのは、当たり前のような気がするのです。
 それにしても世の中には金持ちの人がいるものです。地方は人口が減り、景気も一向によくならないと嘆いているというのに、豪華客船や豪華列車でのんびり旅をする人がいるのですから、私たちのような汗水たらして働く貧乏人には、格差社会にも首を傾げたくなります。まあ何だかんだ言いながら時はいつしか過ぎて行くのです。

  「友人の facebookで 観光船 やって来ること 知りて衝動」

  「懐かしい にっぽん丸と いう響き 40年前 思い出しつつ」

  「接岸の にっぽん丸は でっかくて タブレット画面 入りきれない」

  「この船が どんな効果を 産むのやら セレブ人間 私は貧乏」

 河野達郎さんが2枚の写真をfacebookにアップしていました。

1にっぽん丸にっぽん丸2

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人間牧場

〇2月の五行歌

 先日松山五行歌会から、2月歌会の報告書が届きました。相変わらず歌会にはまだ一度も出席せず、欠席歌をメールで送ってお茶を濁していますが、そろそろ身の置き所も考えなければならないようだと、少しだけ心に吹く隙間風を感じました。報告書の末尾に年会費2千円が未納であることを告げられていて、汗顔の至りでした。早速今日にでも妻に頼んで振込みをしておこうと思いました。

 2月の私の五行歌は次のようなものでした。
  昨日の夜
  死んだ母ちゃんの
  夢を見た
  母ちゃんも僕も
  何故か昔のままだった

 講評として次のように書かれていました。
  ☆何故か【お母さん】よりも【母ちゃん】の方が歌にするとよい響きになる気がします。年をとらない【母ちゃん】は、亡くなっている人だけにどこか切なく、愛情満載の作品となりました。岡野雄一さんの作品『ペコロスの母に会いに行く』(『2013年の日本漫画家協会賞 優秀賞とキネマ旬報の日本映画一位』を思い出したという人もいました。

 巻末に主宰者の見山あつこさんが私信欄に、「お母ちゃん」じゃなくて「母ちゃん」ですね。若松さんの世界が大好きです。3月の作品も楽しみにしています。と嬉しい手書きの達筆な添え書きがありました。
 ちなみに出席歌一席は井村江里さんの次の歌でした。
  震度二を
  感じない体
  日頃から
  ゆらりゆらり
  生きているから?

 ちなみに欠席歌一席は高橋美代子さんの次の歌でした。
  遠い日
  ひとつの
  火鉢を囲んで
  分かち合った
  家族の温もり

  「またしても 会費督促 巻末に 汗顔至り もんたりしつつ」

  「それぞれの 人の作品 読む度に 心浅はか 今となっては」

  「頭打ち 中途半端を 嘆きつつ さてこれからを どう生きるべき」

  「これもある これしかないは 大違い 少し気合を 入れてみようか」

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人間牧場

〇親父が転げて顔から出血

 昨日の天気予報では、「春に三日の日和なし」という言葉がピッタリのように、前日一日晴れたと思えば、昨日は早くも昼からかなり激しい本降りの雨が降り出しました。雨の降らない午前中の間に、干していたコンニャクイモを片付けようと、人間牧場へ出かけ、平キャリーにコンニャクイモを並べ終ると、自宅にいる若嫁から「おじいちゃんがこけて血を流しているので直ぐに帰って下さい」と、携帯で連絡が入りました。急いでコンニャクイモを倉庫にしまい、取るものをとりあえずはやる心を抑えながら自宅へ戻りました。

 親父は既に若嫁がオキシドールで消毒をして、カットバンを張って落ち着木を取り戻していました。聞けば洗濯機付近でついていた杖が、雨で滑って転んだとのことでしたが、しばらく様子を見ることにしました。一時間ばかりして隠居を覗いてみると、親父の傷口から血が滲んでいるようなので、大事をとろうといつも往診してくれる、かかりつけの諸橋先生に電話を入れました。先生は30分もすると看護婦さんを伴って往診に駆けつけてくれましたが、傷口を縫う用意までしてくれたのに、大事に至らず傷口を消毒してガーゼで止血をして様子を見ることにしました。

 親父の体力はこのところ急速に衰えているようで、年末から年始にかけて再三再四転げて顔面を怪我するようになりました。多分転んでも手や腕で防備できなくなっているのです。血が出たショックでパンツも濡れ、全ての洋服を着替えさせて一段落しましたが、いよいよ親父の介護も厳しさを増してきました。炊事や洗濯等身の回りの世話は妻がやってくれますが、着替えや薬を飲ませる気配りを私が担当しているものの、私も忙しく家を留守にすることが多いので中々です。在宅介護は高齢者にとって理想の介護といわれていますが、実際にやってみると多くの問題があるようです。でも私を産み育てくれた親父ですから、しっかりと親孝行してやろうと思っています。もう間もなく特老のディサービスのお迎えの車が来るようです。仕度をして送り出してやらねば・・・。

  「『お父さん おじいちゃんが 転げた』と 携帯電話で 緊急告げられ」

  「転げれば 防備の力 既になく 顔から地面 二度も三度も」

  「痛かった はずだが痛さ 訴えず むしろ心配 医者を迎える」

  「大事なく 済んだがいつも 冷や冷やで 老々介護 いずれわが身か」

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人間牧場

〇孫の木登り

 「自分の子どもを豊かな心の持ち主に育てたい」と思うのはどの親も一緒です。しかし豊かさの基準を心の豊かさより、「将来いい仕事に就いて、いい稼ぎをさせる」経済的豊かさに置くと話は別で、勉強がよく出来ることを優先するようになるのです。私たちの身の回りにもそんな人はいっぱいいますが、その人たちが本当に幸せな人生であるかどうかは疑問なようです。私たち夫婦は少子化社会の中で、今時珍しい4人の子どもを産み育てました。夫婦を足して2で割った数字が、わが子どものレベルだと思っていたから、そんなにレベルの高くない私たち夫婦は、望むべきもない「将来いい仕事に就いていい稼ぎをさせる」ことをあきらめ、むしろ「心の豊かな子ども」に育てようと思いました。ゆえに仲間とともに結成した、ボランティアグループ「21世紀えひめニューフロンティアグループ」が主宰した、無人島キャンプなどにも積極的に参加させ、心を磨かせました。

 お陰様で学校の勉強は今一でしたが、飛び切りでもない普通の、心優しい子どもに育ちそれぞれの道を歩んでいます。30年近くも続けている青少年育成活動への積極的参加も、いつの間にか自分の子どもたちに代わって息子夫婦や孫たちと一緒に活動するようになってきました。いやはや驚きですが、「まあいいか」と思いながら少し角度や視点の違ったかかわりの中で、これから10年は軸足を育爺として関わってやろうと思いを新たにしています。
 先週の土曜日人間牧場で、ジャガイモ植え作業をしました。農作業や集いを終えて皆さんは引き上げて行きましたが、私と息子は使った道具類の片づけを一時間ばかりやりました。すると1年生と年中の孫二人は、そこら辺で棒切れを持って遊んでいましたが、孫希心は何を思ったのかヤマモモの木、孫奏心は柿の木に登り始めました。

 やがて「おじいちゃ~ん」と呼ぶ声が聞こえたので外に出てみると、二人は器用にも木に登り、孫希心はかなり上の方まで登っていました。「危ない」と思いましたがぐっと堪えて「凄い、凄い」と誉めてやると、両手を広げて格好いいとこを見せてくれました。孫奏心は柿の木から足を滑らせ落ちそうになって半泣きになりましたが、これもいい経験です。田舎では木に登ること等当たり前と思っていましたが、今は田舎ですら「危ない」という理由でしない、させないようです。怖いけれども木に登った時の達成感は言葉で表現できない嬉しいもので、孫たちもその夜は木に登ったことを家族に自慢話していました。昔テレビのコマーシャルで丸大ハムが、「腕白でもいい、逞しく育って欲しい」というのをやっていて、流行語になっていました。これからも折に触れ田舎ならではの逞しい体験をさせてやりたいと思いました。

  「ヤマモモと 柿の木登る 孫を見て 中々やるわい 嬉しくなりぬ」

  「その夜は 木登りできたと 大威張り 今度は天辺 登ると豪語」

  「危ないと 何でもかんでも 駄目サイン 大人の尺度 子ども育たぬ」

  「腕白な 子ども育てる 育爺に なってやろうと 何かにつけて」 

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人間牧場

〇子どもたちはお餅とかき餅が大好き

 一昨日人間牧場で行った子どもおもしろ教室は、ジャガイモ植えでした。15組30人ほどの親子が集まりましたが、春まだ浅い寒い時期なので、心ばかりの暖かいもてなしをしてやろうと思いつき、妻に頼んでぜんざいを作ってもらいました。いつものことですが汁物を、8キロもある狭い曲がりくねった山道道中を運ぶのは、軟いことではなく、恐る恐る零さないよう注意をして運んでも、汁が垂れてしまうのです。鍋を更に大きい鍋に入れ二重にしたお陰で、車を汚すことはありませんでしたが大変でした。

子ども体験塾感想文書き
子ども体験塾感想文書き
ストーブの上で餅とかき餅焼き
ストーブの上で餅とかき餅焼き

 

飛ぶように売れる焼き餅・焼きかき餅
飛ぶように売れる焼き餅・焼きかき餅

持って行ったぜんざいを大鍋に移してかまどにかけて沸かし、その中に妻の用意してくれたお餅を焼いて入れるのですが、餅を焼くのは薪ストーブの上です。息子が火を入れてくれたお陰で火力が強く、お母さんたちが顔を真っ赤にしながら火傷しないように注意をして焼いてくれました。一人2個+10個=70個の餅を焼くのは容易なことではありませんでしたが、この時期にしては珍しいお餅の登場に、子どもも大人も目を丸くして、ぜんざいに入れた餅を美味しい美味しいと頬張りました。餅と一緒に半乾きのかき餅も焼いてやると、子どもたちはストーブの前に集まり、「頂戴」「下さい」と先を争うように食べ始めました。

 餅やかき餅がこんなに人気があるとは知りませんでした。人間牧場では汗をかくこと、つまり労働をすることを基本にしています。下灘コミセンから人間牧場まで歩くことも汗であり、サツマイモやジャガイモを植えたり収穫したりするのも、全て汗の教育です。またかまどを使ったご飯や味噌汁などの素朴な食事も基本です。飽食の時代に馴れた子どもたちにとって、時には野草まで食べる質素な食事は、決してご馳走とは言えません。しかし汗がそうするのか子どもたちは、いつも感心するほどの食欲で、用意した食事は毎回完食なのです。今回のぜんざいやお餅、かき餅も完食の手合いでした。子どもたちに毎回かかせている感想文も、5W2H教育のお陰で、少し上達したように見え始めました。

  「汗をかく だから素朴な 食事でも 完食手合い いつも驚く」

  「参加した 親も子どもも みんなして 破顔一笑 幸せそうで」

  「飽食の 時代に育つ 子どもたち 餅やかき餅 先を争う」

  「感想文 楽しいことを 2~3行 これでいいのだ これでいいのだ」

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人間牧場

〇私は足長おじさん?

 冬の間は朝6時30分でも外が暗く、夕方5時になると陽が暮れていましたが、さすがに春の予感がするこの時期になると、ジョギングに出かける6時30分にはすっかり夜が明け、ルンルン気分で一日が始まります。昨日人間牧場の山道を歩いていると、私の影が朝日に照らされて、長く伸びているのを見つけました。早速車に積んでいたタブレットを取り出して、遊びのつもりで自画影を撮影して見ました。

私の足長影
私の足長影

 私はどちらかというと胴長短足の純日本人タイプの人間なので、子どものころから足の長い格好いい人に憧れていました。特に青年時代は石原裕次郎などの映画を見る度に、自分の胴長短足を嘆いていました。人間は自分の欠点を嘆き、自分の欠点を長所に持っている人を羨ましがったり憧れたりするものです。しかしそれもいつしか叶わぬ夢と諦めてからは、自分を見失うことなく生きてきたつもりです。

 私の影は光線の悪戯ですが、実像ながらある意味光が造った虚像なのです。この日私は近くに人の気配がないことをいいことに、また覗きをしたり座ったりして、タブレットをオモチャ代わりに少しの間遊びました。すると運の悪いことに、そこを近所の農家のおばちゃんが軽四トラックで通りかかり、「進ちゃん、何しているの?」と車を止め、窓から首を突き出して私に聞きました。「私が俳優の撮影会!!」と言うと、「俳優って誰?」と聞き返しました。

 私は自分の影を指差しながら、「ほら石原裕次郎みたいな足の長い人」と指差すと、「あんたも面白い人じゃねえ。笑い話みたい!!」と大笑いし、「一緒に写真に写りませんか?」と言うと、呆れた様子で首をかしげながらその場を去って行きました。世の中は高杉晋作が言っているように「面白き ことをなき世を 面白く すみなすものは 心なりけり」です。楽しいと思えば楽しいのです。かく言う私も、自分自身の挙動不審に呆れた束の間でした。

  「春が来て 日脚すっかり 長くなり わが姿さえ 足長になり」

  「持っていた タブレットにて 足長の 自画像撮って 満足馬鹿だ」

  「何してる? 通りすがりの おばちゃんが 不審行動 首をかしげて」

  「面白き こともなき世を 面白く これがモットー 笑い飛ばして」 

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人間牧場

〇味は上々のぜんざい

 私は青年団に入団して以来もう半世紀、50年も地域づくりに関わって来ました。独身時代は漁師をしていたので、私の身の回りの世話はもっぱら母親でしたが、26歳の時結婚してからは、妻におんぶに抱っこの状態で、格好よく言えば亭主関白ですが、妻から言わせれば最も手間のかかる駄目亭主なのです。私はこれまで公民館に勤めていたときも、21世紀えひめニューフロンティアグループで活動していた時も、仕事でまちづくりをやった時も、また退職後の10年間もただただ妻に迷惑をかけて生きてきました。

 昨日の夕方、「明日の子ども体験塾で、寒い時期なのでぜんざいでもして子どもたちに食べさせてやりたい」と、仕事から帰った妻に言いました。妻は食後の後片付けを終えると、早速小豆を洗って鍋を火に掛け、小豆を煮始めました。時折鳴るタイマーのブザーを頼りに、見ていたテレビを中断して台所へ出向き、小豆の茹で加減を見ていたようです。今朝ジョギングから帰ると妻は朝食の準備をしながら、ぜんざいの準備をしてくれていました。砂糖で味付けをした後味見をさせられましたが、中々のお味のようです。、中に入れるお餅や、子どもたちに食べさせるかき餅をナイロン袋に入れて、「さあどうぞ」と言わんばかりの準備をしてくれました。

 一事が万事このように、私が何の不自由もなく「あうん」の呼吸で地域づくりができるのも妻のお陰と、面と向って口では言いませんが大感謝の気持ちいっぱいです。幸い私のブログを妻は読むことは殆どないので、「我妻を誉めるのは一の馬鹿」と言われようとも、その馬鹿になりきって妻に感謝をしたいと思います。
 さて、ぜんざい作りですが、妻は手馴れたもので美味しいぜんざいが今朝出来上がりました。中に入れるお餅は正月用に作ったお餅を水餅にして保存しているので、今朝人数分数えて車に積み込みました。また自家用に作っているかき餅も多分子どもたちにとってはご馳走に違いありません。親父を特老のデイサービスに送って、早速出発です。

  「寒い時期 ゆえにぜんざい どうだろう 早速妻は 小豆を茹でる」

  「我妻を 誉める旦那は 一の馬鹿 言われてもいい 私あるのは」

  「ここだけの 話とばかり ブログ書く 内緒の話 あのねのねです」

  「今時の 子どもぜんざい 食べれるか? 寒い時には これが一番」

 

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人間牧場

愛用の度合いが深まりつつあるタブレット端末
愛用の度合いが深まりつつあるタブレット端末

〇少しだけ進化

 人間には得て不得手というものがあります。私は学校でパソコンを習っていない昭和19年生まれの古い人間ゆえ、使いこなせないことを歳のせいにして逃げていて、何かにつけて腰が引けているようです。ゆえに殆ど上達もせずに、メールのやり取りとブログや原稿を書ける程度でお茶を濁しています。私はパソコンと高齢者向けのようなガラ系携帯電話を使っていますが、急速に広まったスマートフォンにも少し興味があって、使ってみたいと思うようになったものの、聞けば毎月の使用料がかなりお高いようで、年金暮らしの私には経済的な理由もあり、左程必要性もないことから、諦めていました。

 ところが昨年、このことが娘婿との会話で話題となり、電話機能は今までどおりの携帯電話に頼るのであれば、月々千円強の費用でスマートフォンやパソコン機能を使えるという優れものの、タブレット端末を手に入れることにしました。しかし誤作動による故障を気遣う先入観が働き、最初は中々使いこなせずにいたものの、facebookをやるにはどうしてもタブレットを使いこなさなければならず、最近になって少しずついじくり始めました。私はしょっちゅう県内外へ講演に出かけますが、船や電車に乗って移動中の手持ち無沙汰を紛らわせるため、使ってみるとこれが病み付きのようになって、今では愛用の木になるカバンに忍ばせ、持ち歩くようになりました。

 タブレットはパソコン機能が全て使えて、とても便利です。タブレットについているカメラ機能もデジカメより深度があり、ブログを通してパソコンに取り込むことも出来るようになったので、何かと便利になりました。これを進化というのなら私はこの半年で、少しだけ進化したようだと、手前味噌ながら一人喜んでいます。
 これまでパソコンでしか出来なかった、メールのやり取りやfacebookもタブレットで出来るようになり、仲間とのデジタル交流も頻繁になって、楽しい日々を過ごしています。しかしふと、「私がパソコンやタブレットに要する一日の時間はどのくらいだろう?」と考えると、少し自省ブレーキを踏まねばならないようです。

 妻の寝ている朝4時から6時までは、自宅にいればパソコンの前に座ってブログを書いています。また家の書斎が私の事務所のようなものなので、パソコンで原稿を書く時間や、メールのチェックにもかなりの時間を費やしています。「パソコンを使い過ぎると目が悪くなる」と言われていますが、ただ今のところ七十歳になったというのに、まだ裸眼で新聞が読め、老眼メガネのご厄介にもならず暮らしています。私はどちらかというとアウトドアー派な人間なので、家庭菜園や人間牧場での農作業に加え、一日1万歩の目標をほぼ毎日達成しているので、バランスの取れた歳相応の健全健康な暮らしをしていると自負をしています。だがもう少し進化してみようと思っている今日この頃です。

  「この一年 少し進化を していると 自分満足 これでいいのだ」

  「パソコンの 前で過ごして いる時間 多く少々 気にはなってる」

  「タブレット 使いこなせる ようになる も少し時間 いるかも知れぬ」

  「何につけ 夢中になるは 悪い癖 自制ブレーキ アクセル間違う」

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人間牧場

〇確定申告の季節

 私は10年前に役場を退職してから自称サンデー毎日の無職です。電信柱を見ても郵便ポストを見てもいつもペコペコしなければならず、口答えも出来ない公務員生活から足を洗い、早く自由の身になりたいと思っていたので、有り難いことに再就職の話もいただきましたが、それらを丁重に断わって自由人の道を選びました。ゆえに主な収入は65歳からお上からいただいている年金なので、いわゆる自称貧乏人なのですが、妻のパート稼ぎなどを加えると食えないほどではなく、首をくくることもなく10年間何とか食いつなぐことが出来ました。

今年も確定申告しました
今年も確定申告しました

 私は地域づくりの仕事に長く関わってきたこともあって、退職後県内外のあちらこちらから講演依頼の、仕事でない仕事のオファーがかかって出かけ、何がしかのお礼金をいただくため、毎年この時期になると税務署から、確定申告をするようにと関係書類が送られてきます。同時に出かけた先々から送られてきた支払い調書と、昨年のスケジュール表を付け合せて一覧表を作ります。収入相手先、金額に加え旅費も書き加えますが、今はインターネットという優れもののお陰で、瞬時に旅費も計算できて書き込むことができるのです。

 この一覧表を作りながら毎年思うことがあります。いただく講師料は10パーセント税金を前もって源泉徴収されていますが、旅費まで源泉徴収されているのです。旅費は本来実費が必要なのに10パーセント引かれると足らなくなってしまうのです。些細な費用なので目くじらを立てるほどではありませんが、不思議といえば不思議です。
 出来上がった一覧表や支払い調書を税に詳しい友人に手伝ってもらい、確定申告を仕上げて捺印し、今日は郵便投函したいと思っていますが、税のしくみを知らない私には、毎年この作業が終ると、やっと肩の荷が下りた感じがするのです。

 この確定申告を元に税金が組み立てられるようなので、とりあえず年々減り続けるであろう夫婦の年金暮らしのあり方をしっかりと考え、細々ながら心豊かに生きて行こうと思っています。経済は老後の暮らしの大きな柱です。でも例え収入が少なくても、心の豊かさだけはしっかりと持っていればいい人生であり続けるのです。
 さて今年はどんなハラハラ・ドキドキ・ジーンが待っていることでしょう。

  「毎年の ことだがこの時期 来る度に 確定申告 用紙に記入」

  「収入は 少ないけれど 生き方を 見失わずに 豊かに生きる」

  「旅費にまで 税金かかり 首かしげ 今年も結果 還付ありそう」

  「税金を 払えることは 凄いこと 思い今年も 大いに働く」

 

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人間牧場

〇お別れの会

 昨日は若嫁のお父さんが亡くなり、家族全員が家を留守にしました。年末から年始にかけて病院に入院して治療に当たっていましたが、家族の願いも空しく21日に帰らぬ人となりました。自らのコーヒーハウスで開いたお別れ会の受付でいただいたお礼状に、次のような文章が載っていて、涙を誘いました。

 「ともに歩んだ幸せな日々をありがとう」
 二十八歳の時に始めたコーヒーハウス「珈人(かじん)」。何事も究極を求めコーヒーについてももちろんこだわり・・・・。そして夫をよく知る常連の皆様と心通わせ親しんで頂きました。最近追究していたのは、写真だったでしょうか。野山を歩きながら美しい風景にシャッターを切っておりました。年に数回撮影旅行に出かけるのが珈人では唯一の連休。お気に入りの北海道や長野へ夫婦で出かけ、雄大な山々をカメラにおさめて満足げな表情をしていたものです。また娘二人の家族と、時に自身の姉も加わって賑やかな時間を過ごすことも楽しみのひとつでした。私の手料理でもてなし笑みを寄せ合った思い出は、夫の胸にもしっかりと刻まれているでしょう。昨年夏に体調を崩してからは、辛い思いもしたはずです。それでも夫は前を向いて歩みを求めてまいりました。早すぎる別れに涙がこぼれますが、今は溢れる感謝を込めて逝く背を見送ります。夫木原高明は平成二十七年二月二十一日、満六十四歳にて実り多き生涯に幕をおろしました。最後に、店を愛し夫とふれあい、お力添え下さった多くの皆様へ、感謝申し上げますとともに、今後とも変わらぬお付き合いを賜りますようお願いいたします。本日はご多用中お集まりいただき、誠にありがとうございました。略儀ながら書状をもって厚くお礼申し上げます。

 お別れの会会場となったコーヒーハウスには入りきれない人で溢れ、故人が撮影した写真が沢山飾られていました。故人をしのぶスナップ写真がテレビ画面に流れていましたが、人混みで全てを見ることは出来ませんでしたが、わが家の2人の孫も若嫁やわが息子ともども度々登場して、私の知らない一面を垣間見ました。友人の弔辞や孫希心の「おじいちゃん遊んでくれてありがとう」も短い言葉ゆえに胸に堪え涙が止まりませんでした。春一番を待つように逝ったお父さんに合掌、合掌、合掌の、悲しい涙に暮れた一日でした。

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