人間牧場

〇春はそこまで来ています

早くも芽を膨らませている川津桜
早くも芽を膨らませている川津桜

 目にはさやかに見えねども、季節は巡りて早くも春の足音が聞こえています。昨日は人間牧場の畑の中耕をしましたが、鍬で土を掘り返してみると、ヨモギなどの雑草は地上の芽は動いていないものの、白い根を土の中で四方八方に伸ばして、春の準備をしています。昨年植えた早生系の川津桜は早くも新梢が膨らんで、葉芽も顔を覗かせているようで、どんな花が咲くか今から楽しみです。

成長著しい標準木の枝垂桜
成長著しい標準木の枝垂桜

 人間牧場に4年前、枝垂桜の苗を2本植えました。私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループでは、各地の地域づくりを桜の苗木で支援しようと、千本桜の森事業というのを始めました。既に全県下に目論見どおり千本の桜が植えられましたが、その折人間牧場に成長の目安として標準木となる枝垂桜を2本植えました。一緒に植えた一本はそれ程成長していませんが、倉庫横に植えた一本は適地だったのか、目を見張るような成長ぶりで、風で梢が吹き飛んだものの、早くも根元は太腕ほどの大きさに成長して、昨年も綺麗な花を見ることができました。

閏住の菜の花が咲き始めました
閏住の菜の花が咲き始めました

 下浜の水仙畑に続き、閏住の菜の花も咲き始めました。昨日人間牧場からの帰りに妹の店である「くじら」に立ち寄った折見ましたが、早くも3分咲きといったところで、気の早い花見客が沢山集まって写真に収めていました。これから3月まではこの菜の花を見に沢山の人が集まりますが、心ない花見客がいるもので、昨日も花をかき分けて花の中には入って写真を撮っていました。私が注意をすると不機嫌そうに花の中から出ましたが、花を作っている地元のひとのことを思えば、こんなことはできなはずだと、マナーの悪さに心が傷みました。暦は大寒のころで、まだまだ寒波もやって来るでしょうが、春はもうそこまで来ています。

  「地中では 早くもヨモギ 根を伸ばし 春が来たこと 私に告げる」

  「よく見ると 川津桜の 膨らみも 待ち遠しいなあ 桜の季節」

  「標準に しようと思い 倉庫隅 植えた桜が 今じゃ立派に」

  「閏住の 菜の花ただ今 三分咲き 列車一両 長閑に走る」

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人間牧場

〇地域事務所のロビー展

 昨日は子ども体験塾でペットボトルピザ作りをやるため、地域事務所のロビーに暖房を入れてもらい、大勢の参加者が裏の駐車場と行き交いながら楽しく過ごしました。双海町役場だったころ、私も役場の建設に少し関わり、ロビーを文化的に活用するようにしてはどうかと時の町長に進言し、町長もその意見を汲んで展示スペースを作ってくれましたが、展示スペースを作ったものの、役場職員の文化的意識が伴わず、展示計画を組むこともできず多少難儀をしていました。それでも展示担当でない他部局の私は、言い出しっぺだったので、自分の家で収集している面や和船模型、版画などを提供して展示に協力しましたが、役場が合併して地域事務所になると、ロビーの関心も薄れ、時には何も展示しない時もあるようです。

親友谷岡さんの娘さんの作品展
親友谷岡さんの娘さんの作品展

P1070108 最近は公民館の赤石さんが中心になって広域的に進めている、子どもの絆プロジェクトの展示を行なっているようですが、その横に伊予市に住む谷岡和美さんの娘さんが、昨年の文化祭のパンフレットに使ったイラストを画いたので、娘さんの絵を個展風に飾っていて、興味をそそられ見学しました。
 谷岡さんは伊予市商店街で衣料品店を営んでいますが、商店街の一角に造ったいっぷく亭の運営を他の仲間と中心的に行なっていて、私も何度か商業組合の徳本さんを介して話を頼まれ出かけ、すっかりお友だちになった親しい間柄なのです。

 松山への道すがら時折谷岡さんのお店を訪ねることがありますが、お店の壁に娘さんの書や絵が額に入れて飾っているのを見て、いい才能を持っていると思いました。わが息子も伊予市街のまちづくりを地域おこし協力隊の新居田さんや市役所の松本さんたちとやっているご縁もあって、別ルートで谷岡さんの娘さんと知り合って一緒にやっているようですが、絵も音楽も書も駄目な私は、音楽に造詣の深い谷岡さんと、絵や書に独特の作風を持っている娘さんに多少憧れを持っています。昨日ロビーに展示している絵を子どもたちと一緒に見ましたが、子どもたちは口々に「綺麗!!、可愛いい!!」と言っていました。何げなく展示しているように見えるロビー展ですが、これからも大いに活用して欲しいものです。

  「何げない 地域事務所の ロビー展 知人の娘 個展のように」

  「絵の画けぬ 自分がゆえに 絵が画ける 人の絵を見て こんなに画けたら」

  「見た子ども 綺麗!!可愛い!! 連発し 少し影響 受けたでしょうか」

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人間牧場

〇歳をとったらニコ・ピン・コロ

 やはり歳のせいでしょうか、最近辺りを見渡すと、膝や腰が痛いという人や、杖をついて歩く人がやけに気になり始めました。また色々な薬を飲んでいる人も少なくないようで、いよいよ私もそのような年齢に近づいてきたことを実感しています。私は今のところ悪いのは顔だけで(笑い)、痛いところもかゆいところもなく日々を暮らしていますが、それは日常の心がけの賜物と自分で自分を誉めてやりたい心境です。

 私は朝起きると読書やブログを書いた後、ジョギングとウォーキングに出かけます。ジョギングといっても2km程度の短い距離で、残りの少し急できつい山道はウォーキングで上り下りします。ジョギングとウォーキングを合わせると大体6千歩程度ですが、少し肌寒いこの時期だから、毛糸の帽子と手袋をしていても、汗をかくこともなく体がポカポカしてきます。夕方はウォーキングのみで4千歩で、合計は目標の1万歩といったところです。

 ロコモティブシンドロームという言葉があります。運動機能の低下のことをいうそうですが、基礎代謝能力の落ちている高齢者は、ほおっておくとロコモティブシンドロームになり、やがて動けなくなるので、進んで体を動かさなければなりません。高齢者にとって一番は何といっても社会に迷惑をかけないこと、極力病院にかからないことのようです。昔「ニコニコ・ピンピン・コロリンシャン」という言葉を聞きました。ニコニコは笑顔で明るく生きることです。ピンピンは病気にならず健康に生きることです。コロリンシャンは寝たっきりにならないことのようです。

 私たちはそういいながら、いつ何時病気にかかるかも知れません。また寝たっきりになるかも知れません。親父の介護をしてみてつくづく思うのですが、介護をする方も大変ですが、介護される方もそれ以上に辛くてしんどいのです。健康は日々の蓄積がないと保てないのですから、これからもそのことをしっかり意識して、毎日を過ごしたいものです。私も平均余命が20年を切りました。つまり20年経ったらお寺へ行かなければなりません。さあ人に迷惑をかけず、むしろ少しでも世の中のお役に立って、あの世へ参りたいと思っています。

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人間牧場

〇懐かしい人に出会いました。

 出前授業と講演会を頼まれて訪問していた西予市立中川小学校の校長室で、昔瀬戸町へ派遣社会教育主事として赴任していたという教頭先生とお話をしてると、校長室の戸を「コンコン」と叩く音がして、お年寄りの女性が一人「若松先生にお会いしたいのですがよろしいでしょうか?」と入って来られました。「私は先生ではない若松ですが?」と立ち上がると、その女性はいきなり「若松さん、私の顔を覚えていますか?」と言うのです。私は毎日不特定多数の人を対象にお話をしているので、とっさに言われても「はて?」と傷みかけた記憶装置をフル回転させながら、「宇和町・・・、女性・・・・」と記憶を辿り、「上甲さんじゃありませんか?」と答えると、「覚えてもらっていて嬉しい!!、私は上甲八重子です。その節はお世話になりました」と笑顔で近づき握手をして再会を喜びました。

久しぶりに出会った上甲さんと末光さん
久しぶりに出会った上甲さんと末光さん

 私の記憶が正しければ、上甲さんは元学校の教員で、退職後宇和町の初代連合婦人会長になったり、その後教育委員会で婦人担当の社会教育指導員をしていました。当時の旧宇和町は県内きっての社会教育先進地として注目を集めていました。ゆえに社会教育の仕事をししていた私は、度々宇和町を訪れ、関係者と深い交流をしていました。上甲さんもそのお一人で、講演に招かれたりしながら交友を深めたものでした。聞けば年齢は95歳で独居だそうですが、なおかくしゃくとして、耳も目も歩く姿もしゃんとしていました。私が加齢しつつあるように、私の知人友人だった社会教育関係者も私の視界から消えつつありますが、こうして元気で暮らしている人に出会うと、こちらが激励されているようで、しっかり生きねばと思った次第です。

 講演会にはこれまた懐かしい、かつての公民館長末光安雄さんも見えられ、私の話を熱心に聞いてくれました。私にとっては歳がふた回り違う上甲のおばあちゃんも、ひと回り違う末光のおじいちゃんも、自分と同じスピードで歳をとってきたので、当時にタイムスリップしたような感じがして懐かしく思いました。
 私はこれまでの人生においてどれほどの人に出会い、どれほどの導きを受けてきたことでしょう。「人は人によりて人となる」のだとしたら、上甲さんも末光さんもいわば私の恩人なのです。「これからも元気でお過ごし下さい」と握手を交わし、少し涙ぐんでお別れしました。

  「覚えてる? いきなり私に 問いかける 95歳の 昔の知人」

  「動き出す 古い体内 記憶機が 20年ぶり 見事ピンポ~ン」

  「懐かしき 日々の思い出 蘇る あの頃お互い 燃えていました」

  「元気でと 言葉を交わし 分かれたが 少し涙が 感動人間」

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人間牧場

〇久しぶりの夢工房

 私は若い頃から色々なグループに所属して、同年代の人と志を培ってきましたが、夢工房という20人ほどのグループもそのひとつで、もう35年も前に私と高岡さんが作った県庁職員・市町村職員をメンバーにした勉強会です。県庁と市町村には昔から目に見えない上下関係のようなものがあって、余り交流がありませんでしたが、私たちは愛媛県の発展のためには、県庁と市町村がタッグを組むことが涵養と思い、同志を募りました。県庁は高岡さんが、市町村は私が思いのある人に声をかけ、20人ほどが3ヶ月に1回程度足繁く、松山駅前路地裏の居酒屋四十雀の2階の狭い部屋に集って勉強を重ねました。

 毎回の勉強会には高岡さんと私が、自分の人脈で探し当てた著名な人に卓話を無料で頼み、その話を肴に飲みながら大いに議論しました。日銀の支店長さんや愛大の学長さん、県警の本部長さん等指折り数えれば切りがないほど多彩な顔ぶれの話を聞き、自分のスキルアップに大いに役に立ちました。例会の回数こそ減ったし、あの頃若かったメンバーも既に多くの人がリタイアし、また現職の人はそれぞれの職場で重要な役職について活躍をしているのです。昨日は私の最も古い友人で、伊方町三崎の塩崎さんから2日前電話が入り、「双海町まで午後4時30分に到着するので、そこから一緒に会場まで行こう」と誘いの電話が入りました。

 私は所用で出かけていると、塩崎さんが大きなブリを持って自宅へ来てくれたようで、急いで身支度を整え待ち合わせ場所の地域事務所から、私の車に同乗して松山まで向いました。道すがら色々な日常会話を交わすのも楽しいものです。塩崎さんは退職後果樹園を1町6反まで増やし農業にいそしんでいるようです。
 昨日は同志13人が集まりました。現職は4人ほどですが、飲むほどに酔うほどに人生の機微に話が及び、沢山の裏話を聞くことができました。年齢的には私が一番上なので、このまま歳を重ねると、夢工房を一番先にリタイアするのは私かも知れませんが、しっかりと体とスキルを鍛え、お荷物にならぬようにしたいと思いました。集まったメンバーを見ながら「私もまだまだ」と確信を得た四十雀での一夜でした。

  「夢工房 名前の通り 生きてきた これから先も 夢を育む」

  「年齢は 一番上の はずなのに スキルまだまだ 皆には負けぬ」

  「私には まだまだやること 多過ぎて 今日も明日も 4,5年先も」

  「夢がある 夢をつないで 夢工房 夢ドリームでなく ターゲットです」

 追伸、高岡さんが私の最近の新聞記事や舞たうんの執筆記事をコピーして持参し、集まった皆さんに紹介してくれました。山本さんが石鎚に作った公衆トイレの話をしてくれました。佐川さんが今年6月に本を出すそうです。鶴井さんが心筋梗塞で倒れ心臓が止まったけれど、再生会病院へ救急車で運ばれカテーテル手術の結果蘇生し、目出度く生き返ったそうです。みんなそれぞれ目出度し目出度しでした。

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人間牧場

〇合併10周年

 伊予市・中山町・双海町の一市二町が合併して、新生伊予市が誕生したのは今から10年前です。県内70市町村が20市町となった平成の大合併も早いもので10年が経過しました。県内のあちらこちらの市町では、合併10周年を祝う行事や合併を検証する動きが見られるものの、特に検証してもそれをどうするのかという、これといった議論や施策は殆ど見当たらず、合併にどちらかというと疑義を挟んでいた私としては、少々落胆しています。

まちづくり学校双海人の熱心な議論」
まちづくり学校双海人の熱心な議論」

 私の住んでいる伊予市でも、遅ればせながら伊予市制10周年記念事業のアイデア募集が始まりました。いいと認められたアイデアにはに8/10、つまり上限40万円まで補助金を出すというのです。この話を聞いたまちづくり学校双海人では、少し色めき立って前回と今回の定例会で議論し、アイデアを沢山出しました。30人ほどのメンバーのやりたいことは沢山出てきました。これらを整理してホームランやヒットにするには、少し時間が足りないようですが、2月中旬が締め切りなので、見切り発車を余儀なくされていて、昨日の段階で4つぐらいな事業に絞り込み、ワークショップ形式で議論しました。

 私の参加した班では、上灘地四国八十八ヵ所を復活再現する案が議論されました。すでに八十八カ所の予備調査を行なって地図に落とし現地調査も行なっているので、早速近々現地踏査をする話にまで発展しています。さて私たちの考えた健康ウォーク、市民交流、ふるさと再発見という目的のこのアイデアが、10周年という市役所のお眼鏡に叶うかどうか、楽しみ半分といったところです。
 昨日は東京の地域活性化センターへ出向している前神さんも帰郷し、議論に加わってくれました。いつもながらのバイタリティ溢れる行動に驚きながら感謝しました。

  「まちづくり 色々議論 する中で 少しずつだが スキルをアップ」

  「10周年 やってみたいと 思うこと みんなで話し ワイワイガヤガヤ」

  「アイデアは 幾らでもある だが誰が するのか少し 尻込みしつつ」

  「金儲け してはいけない 飲み食いも 駄目駄目駄目よ いいじゃないの」

 

 

 

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人間牧場

〇若い人の語らい

 つい最近わが家へ若い女性たちが集まり始めました。同居して3年目の若嫁の友だちです。同居に当たって家をリフォームしましたが、設計の仕事をしている息子が一番力を入れたのはダイニングとトイレでした。ダイニングは畳10畳ほどもある大広間で、エアコンの入ったこの部屋を若嫁は、ゲストハウスのようにも使って友だちと、お茶を飲みながら会話を楽しんでいるようです。集まって来る若い女性たちは町内の顔見知りの人なので、やってくれば必ず私の書斎の前の廊下を通るので、挨拶をしたり会話を交わすのです。

ダイニングでの楽しいお茶会
ダイニングでの楽しいお茶会

 昨日は若嫁と友人3人がそれぞれの子どもを保育園に連れて行った後集まり、お茶会が始まりました。聞けば3人は来年度の保育園の役員を引き受けたようで、来年の行事計画を立てているようでした。若嫁は実家が喫茶店を営んでいて、若嫁も手伝い勤めをしているので、コーヒーを入れるのはお手の物で、コーヒーの香りがローカから流れて来ました。私はコーヒーを飲まないので「お茶でもどうぞ」と誘われ、笑いの中へ少しだけ入らせてもらいましたが、3人とも笑顔を絶やさない女性なので、私のようなロートルでも優しく包み込んでくれました。

 私は保育園に通う顔の知れた孫奏心のおじいちゃんです。そのうち家の下の道が何やら子どもたちの歓声で、賑やかになりました。出てみると保育園の子どもたちが耐寒マラソンの最中でした。「あっ、奏心君のおじいちゃんだ!!」とみんなが叫びながら走るので、私もついつい吊られて一緒に中学校の横道まで、一緒に走ってやりました。行き交う園児たちとハイタッチしながら走ると、園児たちも大喜びでした。明日は保育園のお餅つきに招待されていて、午前中出かける予定です。若い女性、可愛らしい園児からいっぱいエネルギーを貰った一日でした。

  「近頃は 若い女性が わが家来て お茶飲みながら 楽しい会話」

  「時々は 若い女性の 輪の中に 入れて貰って 楽しい会話」

  「耐寒の マラソン走る 園児たち ハイタッチしつつ 一緒に走る」

  「若い人 元気な園児 エネルギー ファイティングポーズ 負けずお爺も」

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人間牧場

〇サインを書く

 最近は外国の影響でしょうか、印鑑を押さなくても「サインで結構です」という機会が少しずつ増えてきたような気がしますが、相変わらず日本では印鑑に頼る従来のやり方が主流のようです。契約や預金の引き出しなどは印鑑証明若しくは登録印鑑以外は使えませんが、簡易なものはそこら辺で売っている三文印でも通用するのです。考えてみればその人にしか書けないサインより、三文印でも印さえ押せば本人とみなされるということは可笑しな話なのです。

P1070063 3日前私が塾長を務めている年輪塾の集会が松山市駅近くの「蔵」という居酒屋でありました。今回の集会の講師は二宮金次郎の七代目の子孫中桐万里子さんでしたが、テキストは致知出版社が発行している中桐さんの自著本、「現代に生きる二宮翁夜話」でした。塾生20人は多分現代ですからPCを使いアマゾンで買ったものと思われる本を持参していました。少し休憩時間があったので、私は相席のよしみで、自分の本に中桐さんにサインを求めました。快く応じた中桐さんは表紙裏に「感謝を添えて 中桐万里子」と、サインをしてくれました。

 他の仲間も堰を切ったように私に見習い、サインを書いてもらいましたが、中にはあつかましくも自分の名前を為書きしてもらったり、記日までねだっていました。プレミアムを意識してのことでしょうが、かくいう私も自著本を何冊か出していて、時々人間牧場でサインを求められることがあるのです。自称字の下手糞な私は多少戸惑いながら、求めに応じその気になって殴り書きのようなサインをするのですが、中桐さんのような有名人とは違い、赤面この上ない出来栄えです。それでもこれぞオンリーワンだと自分で納得してせっせと書いているのです。スポーツ選手や芸能人ならいざ知らず、私のような田舎のおじさんのサイン等何の意味もないのですが・・・・。それでも最近は友人が「サインに使ったら」と、ゴム印や篆刻印まで用意してくれました。下手糞な私のサインでも、落款印を押すとそれなりに見えるから不思議です。

  「買った本 著者のサインで 古本屋 売れなくなること 承知でしょうか」

  「下手糞な 自分のサイン 自著本に 書いてとせがまれ しぶしぶ書くが」

  「下手糞な サインに落款 印押すと まるで達者な 文字に変身」

  「そういえば サインの練習 すべきだと 筆とり書くが 俺には無理だ」

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人間牧場

〇地域人材育成に関する調査研究会にて

 1ヶ月ほど前、東京の自治総合センターから電話が入り、地域人材育成に関する調査研究会で、私のこれまでやって来たことや考え方を先進事例として、聞かせて欲しいと連絡が入りました。後先も考えず一も二もなく引き受けたものの、何度か連絡メールが入る度に少し後悔し始めました。というのも私のやってきたことや考え方をデジタルで前もって送るように指示をされたからです。丁度その頃は出張や会議、それに原稿書きのスケジュールが詰まっていて、とてもその余裕などなかったのです。尻を叩かれる思いで少しまとめては見たものの、パワーポイント処理もできぬまま、メモ程度で送らざるをえなくなってしまいました。

4人の委員さんの前にて
4人の委員さんの前にて

 今回の先進事例ヒアリングには親友の前田眞さんも招かれていて、前日の交流会や総務省でのヒアリングも同席なので、余計冷や汗物でした。前田さんは地域づくり人養成講座の全容を要領よくパワーポイント風にまとめていましたが、私は前述の通りの対応で少し顔が赤くなりましたが、今更引き下がることもできず、メモに沿って30分ばかり4人の委員の前で意見陳述をしました。私の発表の概要メモは次のとおりでした。

総務省2総務省 地域を担う人材の発掘と育成
 1、私という地域づくり人はどのようにして育ったのか
   ①遠洋航海で培った日本人感とふるさと感
   ②青年団活動で手に入れた五つの道具
   ③価値観が変わった青年の船での研修
 2、私が始めた人づくり
   ①青年のたまり場作り
   ②日本一を経験する人づくり10年計画
   ③21世紀えひめニューフロンティアグループの設立
 3、ゼロに戻って再起動した人間牧場構想
   ①子ども体験塾
   ②年輪塾
 4、地域を担う人財三者

   人づくり活動事例
   別紙①拠点施設を活用し人づくり-私設公民館煙会所
   別紙②団体活動と人づくり-21世紀えひめニューフロンティアグループ
   別紙③塾活動と人づくり-フロンティア塾
   別紙④人づくり10年計画(行政実施)
   別紙⑤新人づくり10年計画(行政実施)
   別紙⑥人間牧場における子ども体験活動と人づくり-子ども体験塾
   別紙⑦人間牧場における人材育成-年輪塾
   別紙⑧人事育成のポイント

  さて、私が東京霞ヶ関総務省合同庁舎第2号館601会議室で熱っぽく語ったささやかな話は、同席した4人の委員さん、並びに総務省の職員さんにどう伝わったでしょうか。

  「入口で 名前用件 行き先を 書いて通行 証貰う」

  「日本の ここが中枢 霞ヶ関 無縁な私 少し戸惑う」

  「居並んだ 委員の前で ヒヤリング 喋りだしたら 止まらず熱弁」

  「ヒアリング 終って会食 お互いに 意見交換 やっとほころぶ」

 

 

 

 

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人間牧場

〇東京での交流会

 私は講演や会議があってたまに東京へ出かけても、空港から目的地、目的地での所用が終れば空港と、東京に限っては余りあちらこちらへ出かけない性分ですが、今回は地域活性化センターへ出向している県職員の前神さんの計らいで、一日目の夜都内の居酒屋での交流会に望みました。東京駅八重洲北口大丸前で待ち合わせした前神さんと同行した前田さんと3人で近くの居酒屋へ到着したのは、羽田空港から直行しても午後8時近くになっていました。12~13人のこじんまりした宴席でしたが、殆どの人とは名前と顔が多少一致しないものの、顔馴染みの人が多く嬉しい出会いでした。

P1070033 またこの日は通産省から愛媛県に出向していた金融庁の川上さんもにも来てもらい、嬉しい再開となりました。飲むほどに酔うほどに楽しい地域づくり談義に花を咲かせましたが、集まった人の殆どは全国の地方出身者なので、役目を終えて古巣に帰った後の交流が楽しみです。私は酒が飲めないためホット緑茶やウーロン茶でお茶を濁しましたが、東京で暮らしていても酒が入るとふるさとの言葉が飛び交い、「人はいつまでもふるさとを身につけている」ものだと納得しました。交流会には私と前田さんを含めて5人も愛媛県人がいるので、まるで県人会のようでした。

 私たちと入れ替わりで、今日から地域おこし協力隊の冨田さんや松本さんが、移住促進フェアーのため東京へ行くようです。昔はお江戸へ行く機会もそんなに多くはなく、つい身構えて出かけたものですが、私などはお洒落をしないし、土産を買うこともないので、今回も木になるカバン一つの気楽極まりない上京でした。多分冨田さんや松本さんたちも肩肘張らない馴れた旅をすることでしょう。前日県公連の専門委員会があり出席しましたが、公民館の現場では全国大会や中四国大会などへの参加が、財政難を理由にどんどん削られて参加出席できないという報告がありました。地域づくりの現場ではまだそこまで深刻ではないようですが、日本の中心東京でしか出会えない人や、体験できないこともいっぱいあるようです。

  「居酒屋で 訛懐かし 交流会 顔と名前が 一致せず難儀」

  「財政難 理由にどんどん 旅費削る 行政どこか 可笑しい方向」

  「お江戸しか 出会えぬ人と 事がある 私なんぞは 最大限に」

  「酒飲めぬ ゆえにホットな お茶飲んで ホットな話 ホッと一息」

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