人間牧場

〇豚糞が届きました

 人間牧場は海の見える瀬戸内海側にありますが、山の尾根にある朝ヶ峠を越え、矢落川の支流を下ると、そこは大洲市田処です。田処には私の親友亀本幸三さんや西田和子さんが住んでいますが、特に酪農を営む亀本さんは、私たち21世紀えひめニューフロンティアグループが主宰したフロンティア塾の塾生として、10年で40回の学習会に殆ど毎回休むことなく参加してくれました。

豚糞1 豚糞2 豚糞3 またその流れを引き継ぐような、私が塾長をしている年輪塾にも西田さんとともに塾生として参加する傍ら、分家大杉年輪塾を立ち上げ、大いに気を吐いていますが、3日前亀本さんから、腐葉土ストッカーを造ったと書いて配信したブログ記事を読んだらしく、浜田さんと二人で拾い集めた落ち葉を発酵させるため、「豚糞ぼかし」をプレゼントする旨連絡が入りました。昨日来客対応のため人間牧場へ行って見ると、立派な豚糞ぼかしが沢山ストッカの前に運ばれ山積みしていました。私は日ごろ牛糞しか使ったことがないので、豚糞ぼかしの効能は余り知りませんが、亀本さんの話によるとこの豚糞ぼかしは腐葉土作りには最適なようです。

 このように私には様々な分野で活躍している沢山の友人がいて、しかも何かにつけて気配りをしてくれるので大助かりです。私はこれまで様々な地域づくり活動をしてきましたが、今朝もう一本のアメーバブログに書いたように、自力本願でやってきたつもりでも、他力本願の部分が圧倒的多かったとしみじみ思うのです。
 早速近々暇を見つけてもう少し落ち葉を拾い集め、拾い集めた枯葉の上に豚糞ぼかしを振り撒いて、発酵させようと思っています。そして今年の秋からいよいよカブト虫の養殖も手掛け、子どもたちにプレゼントしてやりたいと思っています。亀本さんありがとうございました。

  「ブログ見た 親友早速 豚糞を 沢山車 積んで届ける」

  「ストッカー できて間のない 設備だが 仲間の援助 早くも操業」

  「自力では 出来ない仕事 多過ぎる 他力いただき 1+1=5」

  「カブト虫 養殖手掛け 子どもらに 来年夏は プレゼントする」

 

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人間牧場

〇夏野菜を植える準備

 これまで3日にあげず降っていた春の雨も、昨日の朝でようやく峠を越し、テレビの天気予報によると、これから1週間は晴れ間が続くようだと報じていました。このところの日照不足で野菜の値段も高くなっているようですが、わが家の菜園もいよいよ夏野菜の植え付けをする準備に取り掛かりました。昨日の午後は前日の夜連絡していた伊予市街の水口種苗店へ、苗物を取りに軽四トラックで出かけました。

いただいた野菜の苗物
いただいた野菜の苗物

 苗物店には私と同じような考えの人がひっきりなしに訪れ、ビニールハウス内の苗物を買い物籠に入れて買い求めていました。忙しく振る舞うお店の若主人夫妻に声をかけたあと、私の来訪を待っていてくれた水口マリ子は、メモ用紙に私の必要な苗物をマジックで「長ナス20本、トマト10本、キューリ10本・・・」などと書き込んで、早速持参したキャリーに詰め込んでくれました。今年の苗も丈夫に育っていて、豊作の予感がしました。

 水口マリ子さんとは長年のお友だちということもあって、苗物は全てお金を支払うこともなくいただきましたが、妻は毎年そのことに心を痛めていて、財布を持たせてくれましたが、ありがたいことに今年もご厚情に甘えてしまいました。ゴーヤとオクラを忘れたものの、今年もほぼ完璧に苗物を手に入れることができ、急いで引き返しました。帰宅後少しじゅるいかも知れないと思いつつ、はやる心で倉庫から耕運機を引き出して、一週間前中耕していた畑を再び中耕しました。

 どこに何を植えるか、未だに定まりませんが、今日は親父のデイサービス送りや午後から来客が2組予定されているので、今朝は毎朝の日課になっているウォーキングを止めて、野菜苗の植え付けをしようと思っています。既に昨日の夕方までに植えつけた苗に立てる、竹の支柱も準備も終わり、いよいよ夏に向って戦いが始まります。さあ気合を入れて美味しい夏野菜を作りましょうか。天気上々、気合十分、準備万端です。

  「今年も 昨年同様 苗貰い 家庭菜園 孤軍奮闘」

  「気がつけば まるで百姓 地下足袋を 履いて畑を 耕している」

  「わが内で 食べる野菜は 安全に 気をつけ自給 さらに高める」

  「日焼けして 逞しくなる わが顔を 元気そうだと みんなが誉める」

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人間牧場

〇あっ、リスだ!!

 昨日の早朝午前6時、小雨が降っていましたが、ゴム長靴に傘という出で立ちで、いつものように散歩に出かけました。いつもの杉木立の林に入って間もなくすると、自分の前の道に突然小さな動物がピョコンと現れました。私も驚きましたが相手の小動物も驚いたのか、しばらくの間私をじっと見つめていました。緊迫した空気が漂いましたが、痺れを切らした小動物は身の危険を感じたのか、木の上によじ登るように去って行きました。

日本リス 私の見た小動物は尾っぽがふさふさしたリスでした。子どもに小さい頃ねだられ、自宅でシマリスを飼ったことがありますが、私の見たリスには縞模様がないので、日本リスのようです。私はこれまで北海道を旅したときや外国に行った時、しょっちゅう郊外の公園や道沿いでリスを見かけましたが、私の町ではこれまで戸外や森でまざまざと、愛くるしいリスを見たのは今回が初めてでした。森の番人といわれるフクロウも鳴き声は聞くものの、ムササビも羽音は耳にするものの、夜行性ゆえ警戒心が強く、滅多に見ることはないのです。

 わが家の裏には孫たちが収穫を楽しむために、椎茸のホダ木を置いていますが、このところ生えた椎茸を何物かが食い荒らしているのを見かけるようになりました。かすかな物音に気がついてそっと近づきますが、結局真犯人は見つけることができませんでしたが、多分それはリスの仕業だったようです。孫たちにリスに出会ったことを話すと、「リスを捕まえよう」とか、「リスを育てたい」などと話が思わぬ方向に発展しましたが、多分警戒心の強いあのリスには、もう二度とお目にかかれないかも知れません。

  「林から いきなりリスが 飛び出して 私と対面 しばらく間」

  「そういえば 裏のホダ木の 椎茸を 食べた犯人 このリスかもと」

  「リス姿 見たと言うなり 孫たちは 探しに行こうと 早速興味」

  「いないはず リスがウロチョロ どこか変 気候変動 せいかも知れぬ」  

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人間牧場

〇先月の五行歌

 「行く春を 惜しむが如く 咲く花に 誘われあちこち 妻と二人で」。こんな駄作歌をつくるほど、今年の春は天候不順も何のそのといった感じで、近場ながら双海の桜、肱川丸山のシャクナゲやヤマブキ、大洲祇園の牡丹桜、松前晴光院の牡丹と一週間おきに花見を存分に楽しみました。「花づくり 花見る人は 別の人」といわれるように、それぞれの花はそれぞれの人が、それぞれの思いを込めて世話をしているので、特に私は長年花づくりにかかわり、花を育てる側にいたこともあって、その思いや苦労を知っているつもりなので、違った見方をすることができるのです。

 先日松山五行歌会の見山さんから届いていた先月の歌会報告を、足の怪我などもあって深く読むことをすっかり怠っていました。見山さんから4月歌会の締め切りを知らせるメールが入り、今月も慌てて締切日に即興で歌をつくり、メール便で送るという体たらくでした。そんな手間暇をかけずにつくった歌など、誰も読んでくれないはずなのに、見山さんは相変わらず丁寧に、欠席歌の末尾に私信を沿えて結果を送ってくれるのです。今月の私の歌は次の一首でした。

  植えたらいかん
  言われたが
  ポケット穴開け
  種落す
  双海菜の花今じゃ名物

 講評は次のことが書かれていました。
 ☆愛媛新聞紙上でも紹介されておりましたね。双海町の菜の花、見事でした。実際にポケットに穴をあけて植えられたとしたら、先見の明があったのかも?、信念を貫いて植えられた花は、自然の脅威をものともせず、毎年花を咲かせていくことでしょう。
 私にとって双海の菜の花も水仙も、海岸沿いに植えられた桜の花も、また朝真っ白、昼ピンク、夕方赤色に変化する酔芙蓉の花やアジサイも、全てが手塩にかけて育てた愛おしい花々なのです。

 家の周りにつつじの花が咲き始めました。最初エプロン会議の人たちが5万本の挿し木をしてものの見事に大失敗して、4万9千9百9十5本枯れた同じ時期、わが家で挿し木をして育てたつつじが畑の隅に植えられ、親父と私の世話で今では沢山の花を咲かかせるようになりました。「播かない種は生えないし植えない木は育たない」は、私の心に決めた花づくりの基本ですが、今もあいも変わらず着々、あちらこちらに種を播き花木を植え込んでいます。

  「五行歌の 歌に詠んでる 菜の花は おとぎ噺の ようで可笑しい」

  「播かぬ種 植えない木々は 育たない そんな気持ちで 今も時々」  

  「五万本 枯らした頃に わが庭で 挿し木した苗 今は立派に」

  「五行歌の 会員ぶって いるものの 劣等性の そしり拭えず」

 

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人間牧場

〇山折哲雄さんの教え

 先日友人の浜田さんから一通のメールが届きました。詳細はさて置いて、元日本国際文化センター所長だった夕焼け京都塾塾頭の、宗教哲学者山折哲雄さんの言った言葉のようでした。山折さんとはかつてわが町の夕日のミュージアムに来られた折、二人だけで対談したこともあるし、新聞や雑誌、著書等を読んで少なからず影響を受けている偉い先生です。加えて「夕焼け京都塾」という名前に引かれ浜田さんのメールを何度も読み返し、使い古しの封筒をくずかごから取り出して裏の余白にメモしました。

 メールには二つのことが書かれていました。ひとつは①出前の精神、②手づくりの気分、③身銭を切る覚悟について、もう一つは①自由に語り合える空間・広場をつくる、②若い世代に既得権益を譲る心構えについてでした。これらの教えを自分のこれまでの人生の生き方に当てはめて振り返れば、いちいち最もなことばかりで、すっかり納得してしまいました。私は自由に語り合える空間として「私設公民館・煙会所」を、青年の船で建国二百年のアメリカに行った昭和51年の明くる年、自宅の庭に手造りしました。僅か4畳半の囲炉裏を切った小さくて粗末な施設ですが、煙会所は沢山の人を全国から引き寄せたばかりでなく、双海町の夕日によるまちづくりの拠点ともなったのです。また訪れた青年たちに大きな影響を与えたのか、すでに青森県三戸郡倉石村の八心堂から鹿児島県奄美大島瀬戸内町の縁開所まで、実に17ヶ所も分家が出来ているのですから驚きです。

 約1千万円の身銭を切って10年前、瀬戸内海を一望できる標高130mの山に「私的研修施設・人間牧場」を造りました。もし私が人間牧場を造っていなかったら、退職後の10年はこうもリアルに、こうも充実してはいなかったのではないかと、しみじみ思うこの頃です。出前の精神であちらこちらに出かけては人の和みをつくり、恩返しのつもりで様々なまちづくりにボランティア参加していることも、山折さんの教えに近い感じがしています。若い世代に既得権益を譲ることも既に行なっていて、ただ今身辺整理といったところです。浜田さんからの一通のメールは、私のこれまでとこれからの生き方を説明するには十分過ぎるほどの教えです。「これまでの生き方がこれからの人生を決めるのでではなく、これからの生き方がこれまでの人生を決める」気概で、これからも報徳・恩返しを肝に銘じたいと思っています。

  「一通の メール友より 私宛 納得しつつ メモ紙書いて」

  「世の中にゃ 達人多く いるものと 自分未熟さ 振り返りつつ」

  「身銭切る 覚悟なければ 何事も 前に進まぬ これから先も」

  「欲捨てて 既得権益 譲ろうと あれやこれやと 画策最中」 

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人間牧場

〇長~い一日

 昨日は3ヶ月に一度の健康診断の日でした。週末金曜日ということもあって病院はかなり混んでいました。午前7時過ぎに自宅を出て、病院へ8時に着きましたが、既に機械受付の機械の前には大勢の受診者が列をなしていました。私も慣れた手つきで診察券を受信機に入れ、最初の尿検査と血液検査に望みましたが、既にここにも大勢の受診者が詰め掛けていて、私の受付番号は縁起よく55番です。病院での診察は何かにつけてしぶといはずの私でも、「病気が見つかったらどうしよう」と、多少不安になるものです。55番を引き当て「いい予感」がし始めました。

 私はこの顔で注射が大嫌いです。でも昨日は血液検査の女性の技師さんの腕がよいのか、何の痛みもなく採血することができました。さあ次はいよいよエコー検査です。受付で少し待たされましたが、知人がいて話し込みました。検査室で上半身裸になりベルトを緩めて検査ベットの上に、仰向けになって寝るよう指示されました。やがてエコー技師さんが現れ、部屋のカーテンを全部閉めて薄暗くして、胸部から腹部にかけてゼリーのようなものを塗って滑りやすくし、その上を診察器具で何度もなぞって行くのです。その度に「はい大きく息を吸って、はい止めて」と指示がありますが、同じところを何度もなぞられると、「何か異常が発見されたのでは?」と入らぬ詮索をしてしまいました。

 やがて男性の技師がやって来て、同じ診察を先にやった女性の技師と話しながらやるのです。「もしや、もしや」の緊迫した言葉のやり取りを傍耳を立てて聞きながら、とても長く感じるエコー検査をやっと終え、「異常はないようです」とホッとするような言葉を掛けられ、暖かいタオルでゼリーをふき取ってもらい、検査室を出ました。次は診察受付で待たされ、内診診察で待たされて受診、次の診察受付で待たされ内診診察を終えたのは昼をとっくに回っていました。少し疲れたので駐車場に戻り自家用車の中で背もたれ椅子を倒して、少しの時間休憩をして車を走らせ、松山駅の近くにあるえひめ地域政策研究センターへ向かいました。午後2時から講演を頼まれていたので、昼食を食べるのを忘れていました。

 午後2時から40人ほど行政職員の前で、「地域づくり入門」というテーマで90分ばかり立って思いつくまま、アドリブで話をしました。講演終了後駅前の北斗というレストランで懇親交流会が持たれ参加しましたが、ここでやっと食事にありつけ、出された釜飯や料理を美味しく頂きながらセンター職員さんと、ノンアルコールビールを飲みながら大いに話し込みました。その後松山の喫茶店で会う約束をしていた人と出会い、10時頃やっと自宅に戻りました。
 帰るなり、「病院の診察結果はどうだった?」と、心配していた妻の矢継ぎ早の質問に、「何事もなかった。次の健康診断まで3ヶ月は賞味期限があるようだ」と笑わせました。こうして長~い一日は何事もなく終わり、記憶の彼方へと去ってしまいました。

  「病院で エコー検査や 診察を 何事もなく まずは安心」

  「昼ごはん 食べるの忘れ 夕方に 我に返って 腹減る覚え」

  「空腹で 90分も 立ったまま アドリブ話す おろかな私」

  「一日が こんな調子で 過ぎて行く 記録しなけりゃ 忘れてしまう」

 

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人間牧場

〇お待たせしました蜜蜂の分蜂です

 昨日の午後3時過ぎ、人間牧場の草刈を終えて自宅に帰ってみると、庭の裏の蜜蜂の巣箱の一つの周辺が、何やら騒がしく感じました。とっさにこれは蜜蜂の分蜂だと思い近づいて見ると、案の定蜜蜂の中群が巣箱の前で、まるで戦争のように飛び交っていました。今年は人間牧場の巣箱も家の裏山の巣箱も、越冬した種蜂がゼロからのスタートなので、インターネットで養蜂家の分蜂ニュースを聞く度に気を揉んでいましたが、これでやっとお目覚めといった感じです。

昨日分蜂が確認された巣箱
昨日分蜂が確認された巣箱

 偶然にも昨日の夜、私の蜜蜂飼いのお師匠である西予市野村町山奥組の井上登さんからメールが入っていて、分蜂の様子やキンリョウヘンの咲き具合を尋ねてくれていました。私は井上さんから4年前に貰った一鉢のキンリョウヘンを、欲を出して昨年8鉢に分株しているので、今年の春は花をみることはありませんが、そんなこともあろうかと井上さんは昨年の秋、花芽の確認できた2鉢のキンリョウヘンを私に託しました。私も井上さんの指示通り冬の間室内に取り込んで育てましたが、まだ咲かないようです。

 井上さんからは来週にもキンリョウヘンの切り花を持参してくれるようなので、ひとまず一安心といったところですが、今年も師匠の手を煩わさなければならないようで、未だに独り立ちできない自分を恥じています。昨日裏山を散歩していると、近所の人も既にキンリョウヘンの鉢植えを置いて蜜蜂を誘っているような巣箱が目に留まりました。どちらに先に入居するのか、蜂のみぞ知る競争です。
 何はともあれ今年もいよいよ私にとっても、蜜蜂養蜂のシーズンが始まりました。今年の目標は蜜蜂に刺されないよう安全第一で望み、10升以上を目指します。蜂さん今年も目いっぱい働いて下さい。宜しくお願いします。

  「裏山の 蜜蜂巣箱 蜂たちが 群がり分蜂 嬉しい確認」

  「蜂たちは キンリョウヘンの フェロモンを 何故に求める 未だ分らぬ?」

  「今年は 越冬蜂も ゼロゆえに いつもの年より 気を揉み始む」

  「刺されない まず第一の 目標を 安全置いて 昨日浮き浮き」 

 

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人間牧場

〇日本語の混乱

 「私は日本人だから極力日本語を話す」と格好良く振る舞っていますが、何のことはなく単に英語や外来語に弱いだけのことなのです。それでも大学も出ていない私が、大学の非常勤講師や客員教授になると若者との付き合いもあって、知ったかぶりもできず、随分苦労をしました。しかしそれらの窮屈な役目を終えた今では、英語や外来語に振り回されることもなく、むしろオンリーシャパニーズで楽しく過ごしています。
 先日元砥部町長の中村さんから世相談義という高信太郎の文章コピーが送られてきて、納得しながら読みました。

 日本は江戸300年の鎖国が明治になって終ると、外国から入ってくる西洋語をかたっぱしから翻訳して、和製漢語にしてしまいました。今では日常的に使われている「現代・社会・生活・政府・行政・選挙・銀行・保険・金融・経理・企画・鉄道・汽車・自動車・道路・飛行機・郵便・電報・電話・運動・体育・陸上・競争」という言葉も全て明治になってから造られた造語なのです。愛媛の人なら誰もが知っている俳人正岡子規は、自分の名前を捩ってベースボールを「野球」(ノーボール)としていますし、福沢諭吉はマネーオーダーを「為替」と訳しました。これらの言葉を使う度に明治の人の偉さを垣間見るのです。

 しかし明治人に比べ現代人の不味さは、何の工夫もなく意味も調べようともせず、外来語をそのままカタカナ標記して使うだけだと、高信太郎はイライラしながら言っています。コピーに載っていた「アーカイブ・インセンティブ・グローバリゼーション・ケーススタディ・コラボレーション・ノーマライゼーション・ポテンシャル・メセナ・モニタリング・モラルハザート・ユビキタス」などはすっかり日本語となったような錯覚さえ覚える外来語です。私も時々日常的にこれらの言葉は使いますが、「意味を言いなさい」と開き直られると、頭をかいて「すみません」と誤るしかないようです。

 アーカイブ=古新聞、インセンティブ=欲の皮、エンフォースメント=無理強、グローバリゼーション=地球大、コラボレーション=藤子不二雄S、ポテンシャル=火事場力、モニタリング=覗穴、モラルハザード=支離滅裂、ユビキタス=自由時空が本当の意味だそうですが、いやはや知らないのに知ったかぶりをして使っていたもんだと、少々汗顔でした。と同時に今からでも遅くないから、カタカナ標記されている言葉の本当の意味を勉強してみたくなりました。

  「リベラルの 本当の意味も 分らずに 使っていたが 『胡散くさい』だと」

  「カタカナの 言葉使うと 格好良く 見えるようだが 止めるべきだな」

  「アーカイブ アーカイブスと どう違う みんな知ってて 俺だけ知らず」

  「アメニティ 飴をなめつつ お茶を飲む 正岡子規と 同じレベルで」

 

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人間牧場

〇冨田さんの送別会

 この4年間、地域おこし協力隊員として、任地双海町で頑張ってくれた冨田さんが、惜しまれながらこの3月でその任務を目出度く終えました。昨日の夜灘町5丁目の公民館に、冨田さんの人徳を偲ばせる気心知れた仲間30人ほどが集まり、遅ればせながら送別会を開きました。送別会と言っても会費はたった千円の質素な送別会でしたが、冨田さんの大好きなお酒さえあればということのようでした。

冨田送別1冨田送別2 小西さん、高村さん、弘田さん、川口さん、本多さんたちが今が旬の山菜を調達して調理場で、熱々の天ぷらを作ってくれたり、皆さんが思い思いの食べ物を持ち寄ってくれたお蔭で、大いに盛り上がりました。また遠く東京で頑張っている前神さんも美味しいワインを3本も贈ってくれ、冨田さんの顔はいつになくほころんでいました。私は今朝早く山口県柳井市へ出張を予定しているので、失礼ながら9時前に引き上げましたが、冨田さんに相応しいとてもいい送別会となりました。

 冨田さんはこの4月から4年間住み慣れた、下灘奥西の教員住宅を出て、日喰の民家を借りてこの地に留まって貰えるようなので、まずは一安心と言ったところです。この4年間冨田さんの八面六臂の大活躍で、合併後の双海町は息を吹き返しました。下灘駅フィールドミュージアムや、下灘軽トラ市などよそ者目線で彼が編み出したセンスのいい活動は次々とヒットし、今もまちづくり学校双海人が中心になって受け継いでいますが、これからその真価が問われそうです。幸い冨田さんも一市民になっても、私たちと一緒に双海町のまちづくりに関わってもらえるようなので、みんなで盛り立てて行きたいものです。

 冨田さんの凄さは私たちにないセンスのよさです。前歴を深く詮索するつもりはありませんが、彼の前歴で培った様々な知識と知恵は、これまで4年間の地域おこし協力隊経験をさらに上積みして、大成してくれるものと大いに期待しています。昨日は残念ながら愛妻と愛娘の参加は叶いませんでしたが、何はともあれ冨田家3人の定住が実現し、また空き家だった民家に暖かい家庭の明かりが再び灯りました。冨田さんを見つけて来た松本さんありがとう。頑張れ富田さん。

  「四年前 双海に赴任 協力隊 どんな思いで 来たのだろうか」

  「この四年 町に新風 吹き込んで 様々やった 双海最高(再興)」

  「送別会 酒で紛らす 照れ屋にて 多く語らず ゆえに重みが」

  「とりあえず 定住決意 嬉しいな 空き家に明かり 灯るも嬉し」

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人間牧場

〇絶対付き合ってはいけない人間

 私たちは子どものころから、人と仲良くするよう教えられて育ちました。親も学校の先生も言うことですから間違いないと、信じて疑うことなく仲良く付き合ってきましたが、時にはその教えが間違いではないか?と思うような人にも出くわしました。相手を信じて貸した金が戻らなかったり、自分の誤った噂を振り撒かれたこともありましたが、自分の身代が傾くほどの騙され方をしなかったのは、心の奥に「全ての人を信じてはいけない」という、長年の人生で培った懐疑的な気持ちが育っていたことも事実のようです。

 数日前パソコンを見ていると、「絶対付き合っていけない性格・気質を持った人間20項目」という記事が目に付きました。全てを説明することは出来ませんが、納得しつつ読んだそれぞれの項目を、自戒の念を込めてメモしました。
 ①何かあればすぐに金をねだる人
 ②強いものに弱く、弱いものに強く当たる人
 ③嘘でも何でも言え、真実をねじ曲げる人
 ④自分を棚にあげ、他人を執拗に責める人
 ⑤自分より状況が悪い人を見下す人
 ⑥負けそうになると急に友情を強調する人
 ⑦自分の快楽のために他人を犠牲にする人
 ⑧人のものを何でも自分が考えたと主張する人
 ⑨悪いことは何でも他人のせいにする人
 ⑩裏で他人の悪口、中傷を言っている人
 ⑪法律や決ったことなどをまったく守らない人
 ⑫自分が一番になった部分だけを宣伝する人
 ⑬大声で叫び自分の都合だけを押し付ける人
 ⑭相手が弱ったところで叩きつける人
 ⑮徒党を組んで弱者をいじめる人
 ⑯勝手に他人のものを使い盗む人
 ⑰身近な人に感謝を見せることもない人
 ⑱外見ばかり気にして外見だけを飾る人
 ⑲すぐに怒り、いつまでも怒りが消えない人
 ⑳本質とはズレたところで相手を大批判する人

 昨日比較的若い友人と話しをしていて、最近職場で②の「強いものに弱く弱いものに強く当たる人がいる」という中間管理職の話を聞きました。職場には次長や課長、課長補佐といった中間管理職と呼ばれる人が沢山いますが、自分の出世や昇進に意欲を燃やす人は得てして上にペコペコして、下の意見など聞かずもみ消してしまうものです。職場はヘッドハンティングできる一部の人を除けば、上も下も自分が選べない一期一会ですから、下の意見をボトムアップし、上の意見をトップダウンすることなく咀嚼して伝えなければなりません。中間管理職の存在はまさに職場の要といったところで、上下の強い信頼がいい仕事を生むのです。人事異動も終わり組織が動き出し始めて2週間が経ちました。さて友人の職場はどんな希望に満ち溢れて仕事をしているのでしょうか。付き合いたくないけど付き合わなければならない職場の人間関係も中々のもののようです。

  「誰とでも 仲よくせよと 教えられ やってきたけど 上手くも行かず」

  「こんな人 仲よくするな 書いていた 20項目 なるほど頷く」

  「嫌だけど 逃げられないのが 職場です どうすりゃいいか 二週間経ち」

  「結局は コミュニケーション しっかりと とる術覚え やるっきゃないな」

 

 

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