人間牧場

〇捨てきれない本類

 季節は冬から春へ、3月から4月へ、そして年度も26年度から27年度と、日々の暮らしはそんなに変らないように思うけど、一足ずつ動いています。自由人でサンデー毎日な私ですが、それでも年度内に処理しなければならないことも幾つかあって、締め切り迫った原稿を書いてメールで送ったり、報告書を郵便局から送り終わり、やっと明るい日差しを感じるようになりました。

 昨日から机の上や部屋の中を片付けていますが、殆どの紙類は「整理整頓は捨てるにあり」とばかりに、ゴミ袋に入れ今朝ゴミに出して処分したものの、本類は何故か捨て切れず、キャリーに入れて人間牧場の書棚に移動するいつものパターンとなるようです。わが息子も親父たる私によく似た性格なのでしょうか、本が大好きなようで私の書斎の共有書棚半分を、私の領域まで食い込んでくる有様で、親子で他愛のないせめぎ合いをしている始末です。

 「書棚を見ればその人の頭脳が分る」と言われていますが、書棚は人に見せるものではないといいながら、他人の家を訪ねてまず目に付くのは家の設えですが、通された応接間なので目に入るのは書棚のようです。高価な百科事典や文学全集などが、「どうだ」とばかりに並べている人は、得てして百科事典も文学全集もお飾りのようなもので、積ん読、並べ読って感じがするのです。また最近は書棚の大半にCDやDVD、ファイル類を並べている人もよく見かけますが、パソコンの出現で書棚の風情も随分様変わりしたようです。

 退職して丸々10年が過ぎ、いよいよ11年目がスタートします。これまでのように外見を気にすることも余りないし、自分の残された寿命のことを考えると、自分流に要らないものを捨てることに重きを置いて片付けたいと思っています。死に急ぐ必要はさらさらありませんが、知人友人がぼつぼつ他界へ旅立っている様子を見につけ、少しは死ぬ準備もしておきたいものです。「昨日まで、人のことかと思いしに 俺が死ぬのか、これはたまらん」って心境です。

  「冬終わり 今年も春が 来たようだ また一つ歳 重ねて生きる」

  「年度末 原稿・報告 色々と 片付けやっと 終りてホッと」

  「本類は いつものように 捨て切れず 人間牧場 書棚に移動」

  「新年度 どんなドラマが 待ってるか ワクワクしつつ 若い気持ちで」

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人間牧場

〇ジャガイモの芽吹き

 晩秋から早春にかけて、日差しのなかったわが家の家庭菜園に、やっと日差しが戻って、随分暖かくなってきました。そのため黒いマルチをかけて植えているジャガイモがようやく芽吹き始め、マルチを押し上げて来ました。芽吹きが外目で分るようになった場所を手で触って確認し、カッターでマルチを切って芽を地上に出す作業を、この2~3日やっていますが、中にはモグラやネズミの悪戯でかじられたりしているものもあるものの、概ね良好に推移して、芽が出揃った感じです。

芽を出し始めたジャガイモ畑
芽を出し始めたジャガイモ畑

 中にはカッターで切るのが間に合わず、マルチで日中の温度が上がり、陽焼けした新芽も何個かあるようですが、これからの作業で、沢山出た新芽を芽かぎして2本~3本にするので、痛んだ新芽は切り落とせばいいので、ひとまず安心です。私は根っからのお百姓さんでもないので、家庭菜園での野菜作りは、見よう見真似、聞き覚えでやっています。ゆえにジャガイモの新芽を、どのように芽かぎすればいいのかも分からずやっています。最初は新芽を芽かぎせずに育てれば、芋がたくさんついたものの、小さいクズ芋しかできませんでした。わが家は大きい芋の方が好みなので、最近は芽かぎをしています。

P1070553 多分もう遅霜で新芽をやられることもないので、マルチは切り頃のようですが、これから吹くやまぜと呼ぶ南西の風で、新芽が吹き飛んでちぎれることがあるので、少し余分に新芽を残しておかなければなりません。
 昨日facebookを見ていたら、久万高原町の親友宇都宮栄一さんは、やっとジャガイモの種芋を植えたと書いていました。また宇和島市遊子水ヶ浦の藤田光弘さんはもうそろそろ春ジャガイモを収穫できそうとのことでした。同じ四国愛媛県でも場所によってこうも植え付けや収穫の時期が違うものかと、信じ難い気候格差を感じました。そこへ行くと私たちの地方は久万高原町と宇和島市の中間点みたいな所で、早くもなく遅くもないといった感じのようです。今年もジャガイモが豊作でありますように・・・。

 

 

  「寒い頃 植えたジャガイモ 新芽出し マルチ持ち上げ 主張している」

  「手で触り 新芽確認 カッターで マルチを切って 新芽地上に」

  「これからは 新芽の芽かき 繰り返し 大きなイモが できるようにと」

  「春が来た 野にも山にも 畑にも 忙しくなるぞと 言ってるようだ」

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人間牧場

トラックの荷台に積んだ落ち葉
トラックの荷台に積んだ落ち葉

〇落ち葉集め

 腐葉土ストッカーのブロック積み工事も無事終わり、このところの好天でコンクリートも固まったようなので、昨日の午後ジュニアリーダー研修会から帰って、人事異動あいさつのための来客の対応を終えてから、腐葉土に使う落ち葉集めに出かけました。落ち葉が落ちるのは晩秋から初冬にかけてですが、人間牧場に通じる細い農道の片側端には、まだ風で吹き飛ばされずに残っている落ち葉も沢山あって、思惑通りの手合いでした。

 農道は道が狭く離合場所しか車を止めることはできませんが、この道は地元の人が朝晩通る程度の利用なので、道の真ん中に車を止めて、熊手と手箕で落ち葉を寄せ集めながら、軽四トラックの荷台に積み込みました。一泊二日往復80キロのサイクリングで、少々筋肉が疲労していると思われましたが、中腰作業でも何の支障もなく、トラックの荷台いっぱいに落ち葉を積み、さらに持って行った7個のキャリーにも積み込んで人間牧場へ運び、ストッカーに荷台を寄せて次々かき入れました。

落ち葉を入れたストッカー
落ち葉を入れたストッカー

 そのうち天気が危うくなり、小糠雨がパラパラし始めましたが、もう一台と思って引き返し、同じような作業を繰り返しました。本当はもう一台欲しいところでしたが、5時のミュージックサイレンが鳴り、雨も少し濡れるほどになってきたので、昨日の落ち葉拾い作業を満足の行く形で終えました。願わくば近々もう一台落ち葉を拾ってストッカーの中に踏み込んでから油粕や牛糞、米糠などを振り撒いて発酵させたいと思っています。

 例年この作業は晩秋から厳冬に行なっていましたが、ストッカーのブロック積み工事によって今年は出来ませんでしたが、ここに来て一気にばん回といったところで、これでカブト虫もこの腐葉土に卵を産んでくれるものと思われ、来年の夏が俄然楽しみになってきました。ストッカーの上にカブト虫が逃げないように、防虫網を張る段取りもしたいと夢を膨らませています。子どもたちの歓声が聞こえてくるようです。

  「暇捉え 軽四トラック 二台分 落ち葉集めて 早速ストック」

  「遅れてた 落ち葉拾いも 無事終えて カブト幼虫 期待高まる」

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人間牧場

〇昨日の夜のサプライズ

 昨日の夜は午後7時から、国立大洲青少年交流の家のオリエンテーション室で、私が講師となり、「リーダーの心得」について90分ばかり講義をしました。自転車を40キロもこいだ後ですから、さぞや疲れているだろうと思いきや、どうしてどうして子どもたちは、私のささやかな話にも熱心に耳を傾けてくれました。

 私の話が終わると20人の子どもたちが全員前一例に並び、それぞれの子どもが、一言づつ赤石さんとの思い出話を話し始めました。中には感極まって泣きながら話すのですから大きな驚きで、聞いていた赤石さんももらい泣きしていました。いやはやサプライズとは言いながら、こんな光景は初めてで、この7年間一緒に、時には厳しくやってきたことが報われた感じがし、大きな感動の拍手を送りました。

 退職してこの10年、子どもたちへのふるさと教育の必要性を訴え続けて、私もボランティアとして人間牧場などで明石さんと二人三脚で、子どもたちと深く広く関わってきましたが、子どもたちがここまで成長しているとは思いませんでした。  赤石主事さんの一番の功労は、何と言ってもジュニアリーダー会を作って、軌道に乗せたことです。子どもたちがこの日のために密かに作り、明石さんにプレゼントしたメッセージカード綴には、子どもたちの思い出が一杯詰まっていたようで、赤石さんの一生の宝物になるようです。

 ふとその昔、私も一枚の辞令とともに教育委員会から産業課へ異動になった時、異動反対の多数の署名を集めて町長に直訴してくれた感動のシーンを思い出しました。ああ懐かしやです。だから今も恩返しのボランテァ活動を続けているし、これからも続けて行こうと思っているのです。異動は新しい異文化との出会いの始まりでもあるのです。明石さん、これからも今の自分を育ててくれたことを忘れず、さらに「恩返し活動」を忘れないように頑張ってください。

  「夜研修 私の話 終ったら 横一列に 並んで子ども」

  「サプライズ 子ども感謝の 言葉延べ 主事も思わず もらい泣きする」

  「これからは 育ててもらった 恩返し 忘れずすれば 人は見ている」

  「七年で こんな立派な 子に育つ 教育大事 これから先も」 

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人間牧場

〇早咲きと遅咲き

 「今年の冬は寒かった」と思うのは、私が歳をとった証拠だと自分で納得していますが、寒いと思えば思うほど春の来るのを待ち遠しいもので、水仙、菜の花に続いて咲こうとしている桜を、一日千秋の思いで心待ちにしています。こちらが真冬の頃、南の国沖縄では緋寒桜が咲き始め、その後高知や熊本、宇和島等が毎年競うように、桜の開花一番乗りにしのぎを削っていますが、一番や珍しいものの好きな日本人は早生、極早生、超極早生を好み、桜も河津桜が何かと話題になりますが、「桜は吉野桜」とばかりに本流を行く人たちも多いようです。

 

満開の早咲き桜
満開の早咲き桜

「早咲きは早く散り、遅咲きは遅くまで咲く」とは私の造語です。考えてみれば話題になるからと物珍しさに惑わされて、早咲きを選び過ぎると、後で「しまった」と思うことも良くあるようです。私は花をまちづくりのテーマにして、色々な花を町内のあちこちに植えてきましたが、桜は言うに及ばず、殆どの花は話題にはならないものの普通種が一番綺麗なような気がするのです。特に在来種で自然交配して野山に咲く山桜の美しさは、素朴ながらピカイチで、この頃になると佐田岬半島の野山を彩る山桜は、私が漁師をしていたの頃の思い出として心に焼きついています。

 鯛網漁師をしていた頃、佐田岬半島沖は鯛の格好の漁場で、山桜が咲けば豊後水道を鯛が産卵のため伊予灘に上ってくるのです。早朝午前1時に豊田漁港を出航、佐田岬沖で朝を迎え、ローラ五智一番網を入れると、銀鱗輝く桜鯛が沢山取れました。大漁幟を立てて帰港する気分は最高で漁師冥利につきました。残念ながら体調を壊し漁師を断念して役場に勤めることになってしまいましたが、今でもあの時のドキドキ感やジーンとした思い出は忘れることができません。
 私は桜に例えれば、どちらかというと遅咲きな人生でした。私が転職して役場に入った時、同級生は既に係長をしていて、及ぶべきもないスタートを切っていましたが、人生は遅咲きでもまた味があるようです。そういえば当時、中根千恵の「遅咲きの人間学」?という本を読んで納得したことを思い出しました。

  「桜咲く 早咲きあれば 遅咲きも 早く咲くのは 早く散ります」

  「わが人生 どちらか言えば 遅咲きで それでも人生 つじつま合って」

  「山桜 岬を染めて 咲く頃に 桜鯛追う 漁師あの頃」

  「遅咲きの 人間学を 自認して 残りの人生 花を楽しむ」 

 

 

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人間牧場

〇菜の花の花見

 数日前、地域おこし協力隊の冨田さんから、「3月28日、軽トラ市が終った午後1時30分から、満野浜池谷さん宅裏の菜の花畑でお花見をするので来ませんか」とお誘いを受けました。伊予市の宮領先生からいただいていた菜の花の種を提供したり、草刈り作業を手伝ったり、それにヨモギの苗をわが畑から運んでいたこともあって、お言葉に甘え喜んで参加することにしました。

池谷さん宅裏の菜の花畑
池谷さん宅裏の菜の花畑

 昨日は軽トラ市に若嫁が参加していたので、わが愛車である軽四トラックを取られていて、妻も仕事の合間を縫って、姉と一緒に軽トラ市へ出かけたいようなので普通車を自宅に置き、私は久しぶりに単車で出かけました。昨日は外気温がこの春一番の20度近くになり、すっかり春めいいたので寒くもなく、単車はむしろ気持ちのいい春風を感じました。軽トラ市に立ち寄り、家族総出で若嫁の妹婿が用意してくれた、衣料品を格安で販売していましたが、これは大当たりで在庫処分のような形で、多くのお客さんを集めてよく売れていました。

春日和のお花見
春日和のお花見

 11時に出かけたためまだ時間に余裕があったようなので、人間牧場まで単車で足を伸ばし、ブロック等を片付けましたが、スモモの花が満開、枝垂桜も7分咲きとあって、勿体ないからと人間牧場から、若嫁や息子に電話をして、「軽トラ市が終ったら花見においで」と誘ってやりました。軽トラ市は13時に終わり、後片付けを終えた家族5人で花見に来たようですが、私は入れ違いで満野の池谷さん宅へ伺いました。

 花見には、日ごろまちづくりに深く関わっている人たちが10人ばかり集まり、池谷さん宅の裏の菜の花畑にブルーシートを敷いて、軽トラ市で買ったり持ち寄ったした食べ物を食べながらお話しました。私は浜田さんが用意してくれたゼロビールを一本いただき、喉を潤しましたが、若いこの人たちが中心になって双海のまちづくりを支えてくれていると思うと、ついつい嬉しくなりました。

 菜の花も満開、山桜が咲き、ヤブツバキが咲き、ウグイスも馴れた鳴き声で鳴いていました。海も穏やか、風も爽やか、ああ幸せって感じがしました。東京の地域活性化センターへ出向している県庁職員前神さんも帰郷して、忙しい中を軽トラ市や花見に参加してもらい、この上ない顔ぶれが揃いました。現職としては今回の軽トラ市が最後の仕事となる、地域おこし協力隊の冨田さんのこれからに思いを馳せながら・・・・。

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人間牧場

〇男前を上げました

 冬の間は日当たりの悪い谷筋に住んでいるため、陽に当たることも殆どなかったため、少し色白い感じがしていましたが、このところ暖かくなって家庭菜園や、人間牧場での農作業を頻繁に行なうようになり、加えてこの1週間は人間牧場でブロック積み工事をしていたため、昨日の夕方鏡に写った自分の顔が、すっかり日焼けしていることに気がつきました。日焼けや色黒を気にする年齢でもないし、別にケアーもしませんが、そろそろ麦藁帽子をかぶって仕事をしなければならなくなったようです。

散髪をして男前の上がった私
散髪をして男前の上がった私

昨日は午前中人間牧場でブロック積み工事、午後は親父を病院へ連れて行ったりして、なんだかんだの藪用を終えたので、すっかり長く伸びた頭に気がつき、近所の理髪店に出かけ散髪をしてもらいました。最近までは必ず一ヶ月に1回、月末に散髪をしていましたが、昔よりは若干外に出かける回数も減ったことが理由なのか、散髪に行く回数が減ったような気がするのです。妻はそのことを気にしていて、「歳をとっても散髪や身だしなみぐらいはきちんとして欲しい」と言わんばかりに、「もうそろそろ散髪じゃない?」と、注意をされる始末です。

 私の散髪代は3400円もするのです。最近は街中に1000円で散髪をする理髪店もあるらしいのですが、馴染みの散髪屋を変える予定もないので、せめて「散髪を一日伸ばしたら100円金儲け」くらいな感覚で楽しみたいと思っています。昨日は散髪屋に行くとご主人が、「今度は少し伸びましたね」と皮肉られましたが、われ関せずを決め込んで散髪をしてもらいました。男前の上がった私の頭を見て、妻はいつもの通り「ええ男になった」と誉めてくれましたが、誉めてくれるのは妻だけだと思いきや、若嫁と孫が「おじいちゃん散髪したん?と」気付いてくれました。孫はテレビを見ている私の後からまとわりつくように、散髪して刈り上げた私の後頭部を撫でながら、「まるでタワシみたいだ」と笑いながら言ってくれました。わが家は散髪をしただけで、こんな会話が弾む、ほのぼの家族なのです。

  「このところ 屋外作業 多かって 日焼けの顔が 逞しくなり」

  「久しぶり 散髪出かけ 男前 上げてすっきり 妻誉めくれる」

  「おじいちゃん タワシみたいと 孫たちが 頭を撫でて 会話も弾む」

  「散髪を 一日伸ばす 百円の 儲けになると 身勝手計算」 

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人間牧場

〇愛媛新聞雑誌accrete4月号

 最近は雑誌を読む機会が少し少なくなったような感じがしていますが、それでも市役所や観光施設のロビー等には無料の雑誌が沢山置かれていて、紙ごみになることを承知で、適当に持ち帰って暇な時に読んでいますが、それ以外にも地域づくりにいささか関わって生きていると、定期的にわが家へ雑誌が送られて来ます。

 わが家は愛媛新聞を購読していますが、そのおまけとして毎月1回accreteという比較的薄っぺらい雑誌が送られてきます。3日前4月号Vol.145号が届きました。パラパラとめくって読んでいると、「忠政ひろふみの低山トレッキング」というコーナーで、私の家の前にそびえる本尊山が紹介されていました。リード文に「古い港町風情が残る伊予市双海町上灘の背後に、鋭く突き出すようにそびえたつ本尊山、見るからに険しそうなこの山は、中世城郭・由並本尊城が築かれた山で、言わば地域のシンボル的存在。今回は灘町の歴史に触れるべく、ちょっとハードな低山トレッキングに出かけました」とあり、3枚の写真と付近地図が添えられていました。

 忠政ひろふみさんには一度だけシンポジウムで出会っていますが、文章にお目にかかるのは初めてなので興味を持って読みました。私は殆ど毎年一回は本尊山に登っていますが、書いているとおり、低山なのにイノシシでも登りづらい険しい山で、中世城郭の郭や石積みが残っていたり、山頂からの眺めは素晴らしく、一度登ると病みつきになりそうな山なのです。山頂から見ると私の家も直ぐ下に、まるで飛行機の窓から見たように見えますが、昨日から小学校も春休みになったようなので、近々孫たちと一緒に登ってみようと思っています。

  「目の前に 聳え毎日 見てる山 ルポライターが 書くといいとこ」

  「低いけど 頂上中々 骨折れる イノシシさえも 行く手阻まれ」

  「山頂に 中世城郭 郭あり 石類群も 多く残りて」

  「頂上の 視界良好 海に街 一望できて さすが城郭」img706

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人間牧場

〇懐かしきかな私詩「黄金色の道」

 自称「夕日大好き人間」の私は、内心「夕日博士」を自認するほど、若い頃から夕日のことを徹底的に調べ、50項目の質問まで作って、当時は珍しかったご当地検定までやりましたが、第一線を退いたのを機に夕日のことは皆さんに譲り、一歩後ろに下がって見守っていますが、やはり夕日のことは気になるようで、天気がいい日の夕方、町のシンボル本尊山が夕焼けで赤く染まるのを見ると、いても立ってもいられずムズムズしてくるのです。

P1070497P1070496 一昨日人間牧場でブロック積み工事を終えて帰宅途中、本谷付近で西の空に夕日が落ちるのが、軽四トラックのバックミラーやサイドミラーに映るのが見えました。路側帯の歩道に車を止め、行き交う車に注意しながら国道を横切って、海岸に突き出たなげに出てしばし夕日見学と洒落込みました。この時期は中国大陸から黄砂が降って、その影響で夕日は赤味を帯びています。年末には5時頃だった日没も、日脚が長くなったこのころは6時を過ぎています。

 折角だからと海岸の波打ち際に降りて、持っていたタブレットとデジカメで数枚写真を撮りましたが、海面には残照に照らされて黄金色の道が出来ていました。ふともう20年も前に作った「黄金色の道」という自作の詩を思い出しました。懐かしきかな黄金色の道でした。
  黄金色の道
 夕日が沈み始めるころになると
 海の上に黄金色の道ができる
 夏は青島秋は水平線の彼方へと
 道の行く手違えども
 黄金色の道はギラギラと輝いて
 夕日に向って伸びている
 いつか誰かとあの道を歩いてみたい

  「軽四の トラックミラー 夕日見え 海岸降りて 一人観賞」

  「日脚伸び 黄砂に赤く 夕日焼け 昨日と違う 表情刻々」

  「若い頃 作った私詩を 思い出す 黄金色の道 今もありあり」

  「ああ今日も いい日だったと 息をつく 夕日に両手 合わせて感謝」 

 

 

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人間牧場

〇私の愉快な仲間たち

 私は自分ではまともな人間だと思っていますが、私の仲間に少し毛並みの変わった人が多くいることから推し量ると、自分自身も人から見れば少し変わったように見えるのかも知れないと、仲間に接しながら少しだけ納得しています。
 昨日は偶然にも近畿大学出身のお二人が私の所へやって来ました。一人は最近「近大マグロ」でとみに有名になっている、水産学科出身の玉井恭介さんです。玉井さんは私の母校宇和島水産高校の先輩で、広告代理店セーラー広告の部長時代、私が自費出版した「昇る夕日でまちづくり」という本のお世話を、アトラス出版とともに手助けしてくれた恩人です。「街道をゆく」の作家司馬遼太郎さんの奥さんとも親交があり、まあ歌は歌うわ、文章は画わ、絵を書いたり陶芸はしたりするなど、何にでも興味を示す多芸に富んだ人なのです。玉井さんは昨日奥さんと娘さんを伴って人間牧場へやって来ましたが、奥さんも娘さんも人間牧場は初めてとあって、道中の道の狭さや急峻な地形、見事な眺望にすっかり驚いた様子でした。

人間牧場を訪ねた玉井さんご一家
人間牧場を訪ねた玉井さんご一家

 一方もう一人の近畿大学農学部農芸化学科出身は、八幡浜市日土の清水和繁さんです。清水さんはJA農協職員ですが、えひめ地域政策研究センターへ5年間出向してまちづくりに携わっていた頃知り合いました。その後意気投合して人間牧場で開塾した、年輪塾の塾頭をお願いしたところ快く引き受けてもらい、以後伊予市役所の松本宏小番頭とともに、年輪塾の運営を中心的にやってくれている人です。パソコンや歴史にも造詣が深く、特に年輪塾二期目の二宮金次郎では「尊徳翁夜話」二百三十二話を読み解いて解説し、ネットで塾生に全てを配信して自己学習をいざなってくれました。
 清水さんは既に役職定年を迎えて一度退職していますが、再雇用に見切りをつけ今年度いっぱいで40年余りの農協生活にピリオドを打つのだそうで、もう1週間もすれば私と同じ自由人、サンデー毎日になるので、昨日はあいさつに来られ、魚吉で昼食を食べながら、先輩自由人として助言をしました。

JAを退職して自由人になる清水さん
JAを退職して自由人になる清水さん

 私は35年間役場に勤め、毎日のように先輩、同僚、後輩と机を並べて仕事をしてきました。しかし職場を退職すると、先輩や同僚とはむしろ疎遠になり、今現職の後輩とも出会いや付き合いは殆どないのですから、不思議といえば不思議です。ところが玉井さんや清水さんとは仕事ではない個人的な付き合いながら、兄弟姉妹以上に気心が知れて、何でも相談し色々な活動を一緒にしています。多分これから先もその親密な関係は続くものと思われますが、人間関係はだから面白いのかも知れません。
 人は現職のころ役職肩書きがついたり名刺を持てますが、肩書きも名刺もなくなり自由人になると、何かにつけて不自由が待っています。退職して10年、「自由は不自由」が私の正直な実感です。でも、肩書きも名刺もなくなった時何が残るかで、人の値打ちは決まるのです。値打ちは自分で決めるものではなく、人が決めるものだから、人に必要とされるような値打ちを持つよう、これからも努力したいものです。

  「私には 変った仲間 多くいる ゆえに私も 変っているかも?」

  「近大の 水産学科 今マグロ 有名になり 多少戸惑う」

  「JAに 40年間 勤めてた 農協マンも この春自由」

  「自由人 誰しもみんな 憧れる まもなく不自由 なると思うと」

 

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