人間牧場

〇一眼レフデジカメが届きました

 手持ちのデジカメが故障して使えなくなり、今はもっぱら古い壊れかかったデジカメと、タブレットを使ってブログとfacebookにアップしていますが、少々不安を持ちながらの撮影なので、踏み込んだ写真が取れていません。それでもタブレットを手に入れ使えるようになったお蔭で、随分バリエーションが広がったような気がしています。

 そんな中前から欲しがっていた一眼レフデジカメを、息子の肝入りでついに買うことにしました。息子と相談してネットで色々なモデルを調べましたが結局はよく分らず、手持ちの貯金箱貯金と今年の父の日を当て込んで、子どもたち4人がプレゼントしてくれる手はずが整い、総額8万円余りのニコンのカメラを、息子は通販大手のジャパネットタカタを通して注文してくれました。

 昨日の朝その宅配便が届きました。言われたとおり故障して動かなくなっているデジカメを、荷物と引き換えに宅配業者に渡しました。これが下取り1万円の値引き特典となるそうなで、これも消費者の心をつかむ巧みな商売戦略と思いながら対応しました。早く中を開けて見たい心境でしたが、注文してくれたのは息子なので、息子が仕事から帰るまで待とうとそのままにしています。

 息子が仕事から帰ったのは私が床に就いてからだったので、まだその全容は明らかになっていませんが、今日は息子の手助けを得て使えるようにしたいものです。妻曰く「お父さんもそんなに道具類が増えて大変じゃねえ」と、少し皮肉めいた言葉をかけられました。確かに私にはカメラやタブレット、パソコンなどなど、歳相応以上の持ち物が手元にあります。時々置き場所を忘れることさえある私には、もうこれ以上の道具類は必要ないと思っていますが、まあこれも私の遊び心だと思って、せいぜい楽しんで使いたいと思っています。昭和生まれの古い人間には何とも魅力的な世の中になったものです。

  「デジカメが 故障したので 買い換える 一眼レフを 息子注文」

  「故障した 古いデジカメ 下取りを 一万円とは これまた魅力」

  「父の日が 近づき子ども プレゼント 有難いです 冥利に尽きる」

  「これ以上 道具を持つと 大変だ そろそろ終わり いえいえまだまだ」

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人間牧場

〇旧温泉郡川内町へ出かけました

 現役の頃から今日まで、県内外をくまなく歩き回っている私ですが、70市町村が平成の大合併で20市町に再編された10年前からは、出歩く度に地域の元気が失われつつあることを実感しています。合併して本庁機能を維持している所ではそれほど感じませんが、特に旧市町村名さえ残っていない、支所化した旧市町村では合併の影響は著しく、中にはまるでゴーストタウンではないかと思えるほどの凋落ぶりが目に付く所もあるようです。

 昨日愛媛県金融広報委員会の依頼で、東温市川内の公民館で開かれた高齢者生きがい大学へ講演に出かけました。国道56号線から国道11号線を走り、川内インターチェンジ付近で旧道に入りましたが、やはり活気という点では今一だと直感しました。川内公民館は落ち着いた立派な建物で、かつては何度も研修会等でお邪魔をしているし、和田さん、東さん、松末さん、小倉さんなど公民館で知り合った人々の懐かしい顔々を思い出しながら、案内された応接間で講演が始まるのを待ちました。

 昨日は第1回の学習会だったようで、始めに教育長さんが開講あいさつをされましたが、名刺の交換もプロフィールの紹介もなく、いきなりの講演となり多少戸惑いながらも、シルバー世代の生き方について、笑いを誘いながら90分持論を展開しました。それでも元気な高齢者の反応に助けられて、無事役目を終えることができました。帰りの車の中で否応なしに行政が進め実行した、合併のもたらした様々な変化は一体何だったのか?考えてみましたが、私の町の実態も重ね合わせ、行政にいささかなりとも関わった身であるがゆえに、やり切れない思いでした。

 あれから10年、合併は効果効率を優先して一定の効果をあげているように見えますが、住民の幸福感はむしろ不幸感の方に傾いているようです。多分これから10年も右肩は上がることなく、右肩も左肩も下がりっぱなしなるような危惧さえ持つのです。それを救うのはやはり職員のレベルアップとやる気、それに行政に関わる首長や議員、住民の自立意識が必要なようです。
 「いい時代は来ないがいい時代にする」。そんな気概をせめて私だけでも持って生きようと心に言い聞かせた帰りの道でした。

  「平成の 合併終わり 早10年 右肩下がり 閉塞感も」

  「このままじゃ 10年先は 危ないと 実感しつつ 旧町走る」

  「必ずや 合併したら よくなると 言った人たち 責任取らず」

  「いい時代 来ないけれども いい時代 することできる 気概があれば」

 

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〇夏の野外活動準備

 海に面した町に暮らしていると、夏海シーズンは何かと楽しいものです。もうこの歳ですから、海水浴を楽しむような気分にはなりませんが、孫がいる、子ども体験塾の世話をしている、人間牧場を持っているなどなど、野外活動にそれなりに関わっているので、この時期になるとそれらに必要な小道具を、倉庫から引っ張り出して準備をしなければなりません。

救命胴衣の虫干し
救命胴衣の虫干し

 息子も私に似てアウトドアー派なので、前日は孫たちと一緒に畑を掘り返してミミズを捕まえ、上灘川へウナギ獲りの仕掛けをしに出かけたようですが、私は友人から貰ってきた救命胴衣の虫干しをしました。わが家にはインデアンカヌーが一隻あって、夏になると孫たちを乗せて遊んでやるのですが、救命胴衣とオールは必需品なので、今回いただいたものを含めると大人用・子ども用10着ほどになりました。

 もうそろそろ倉庫にしまっているカヌーも出さなければなりませんが、カヌーは長くて場所を取るため、洗濯干し場が手狭になると妻には不評ですが、まあこれも孫たちの小さい間しかできないことなので、我慢をしてもらうしかないようです。先日水洗いをして天日乾燥させた沢山の食器類も昨日全て片付き、ストッカーに収納したので、5月にしては珍しい台風6号が本土接近を窺っているので、明日にでもそろそろ人間牧場へ持ち込もうと思っています。

  「今年も 夏のシーズン やって来た そろそろ野外 活動準備」

  「友人に 貰った救命 胴着干す 10着揃い 準備万端」

  「わが息子 誰に似たのか 私かも? アウトドアー派 荷物も多い」

  「5月だと いうのに台風 来るという 迷惑だけど 水も運んで」  

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〇弘法大師空海の教え

 歳をとったせいでしょうか、少しゆとりができたせいでしょうか、最近は活字を読む機会が少し多くなったような気がします。朝の散歩から帰った新聞読みも、送られて元に届いた資料類にも目を通し、封筒の裏やチラシの裏にメモをして、忘れないうちにパソコンに打ち込んで楽しんでいます。

 昨日雑誌を読んでいて弘法大師空海の4つの教えという記事が目に留まりました。①信心-信じる心、②大悲心-人々を救おうとする心、③勝義心-優れた教えを学ぶ、④大菩提-悟りを得ようとする心だそうです。いずれも素晴らしい教えなのでしょうが、凡人の私には理解し難く実行不可能なものばかりです。

 でもそれらの教えを自分流に考え、自分にできることは何かと考えれば、少しはできそうな気がするのです。①の信心-信じる心は、神仏を信じたり何よりも人を信じなければなりません。無信心な私はことさらな宗教に凝ってはいなくても、仏壇にシキビや神棚にサカキを枯らさないように活け、お茶やご飯を供えて手を合わせ、先祖の霊を慰めたり、日々安寧で生きれていることに感謝する、また家族を信じ、友人や近所の人を信じることくらいだったら、私にだってできるのです。

 ②の大悲心-人々を救おうとする心は大それて、私の力では到底そんな生き方などできませんが、年老いた親父の面倒を心を込めてやるのも、救いの実践かも知れません。昨日は親父が特老のデイサービスに出かけたので、妻と二人で親父の部屋の大掃除をしました。畳を拭きトイレを綺麗に掃除しました。妻は洗濯機を何回も回して親父の着替えを洗濯していました。夕方親父は帰って来て、「ありがとう」とお礼を言ってくれました。

 ③勝義心ー優れた教えを学ぶ心は、日常心がけていることなので、色々な教えを学んでいますが、知行合一がなければただ知ってるだけで終るゆえ、たとえ小さくても身の丈サイズの知行合一を心がけています。大菩提-悟りを得ようとする心は、奥が深くて一生かかっても手の出るものでもなく、悟りの境地に近づくことはできませんが、まあほんの少しずつ少しずつ、人生を歩んで行きたいと思っています。

  「最近は 生き方などに 興味あり 新聞雑誌 メモして活用」

  「空海の 教えある本 目に留まり 4つの教え しみじみ思う」

  「俺にでも 出来そうなこと あるじゃんか 今日より明日 少しずつだが」

  「凡人は 凡人らしく 生きること さすれば平凡 人生非凡」 

 

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〇道具考「錆びた鉈」

 わが家は親父まで代々漁師だったため、家の周りには漁にまつわる道具類がいっぱいあり、その中で子どものころから暮らしてきました。しかし親父が七十歳で漁師を辞め陸に上がってからは、それらの道具は次第になくなり、漁業を語るすべもないのです。しかし親父はそんなことを見越してか、家の横に倉庫を改造した粗末で小さい海の資料館「海舟館」を造って、何がしかの展示をしていますが、それさえも語り部だった親父の口述が高齢のため出来なくなり、風前の灯といった感じです。幸い私は若い頃七年間漁師をやった経験があるので、生齧りで口述を続けています。

道具箱から出てきた二本の鉈
道具箱から出てきた二本の鉈

 親父は器用で晩年は家の横に造った小さな作業小屋で、日曜大工の域を超えない程度の色々な大工の真似事をしていました。ゆえにその作業小屋にはこれでもかという程道具類が集められています。殆どの道具類は無造作に埃を被り錆びにまみれていますが、私もこの歳になって少しそんな暮らしに興味を示し、不器用ながら道具類の幾つかを使って日曜大工の真似事をしています。昨日他の道具を探していて二本の鉈を見つけました。普通は斧やマサカリ、鎌、包丁を使うため、鉈は殆ど使いません。どういう経緯でわが家の道具箱にあるのかも分りませんが、少し調べたくなりました。

 鉈は森で働く人の必需品だったようです。枝打ちなどは言うに及ばず、木を切ったり削ったり、雑草までも刈り払いました。また時には狩猟で捕まえた動物の解体ににも使ったようです。何年か前九州の山奥で山仕事を生業とする人に出会いましたが、腰にぶら提げた鉈は研ぎ澄まされて鈍い光を発し、自分の髭まで剃れるほど手入れをしていました。林業が外材に押されて衰退し、山仕事に携わる人の数もどんどん減っていますが、汗と血の匂いの染み込んだ鉈を見る度に、心がときめくのです。 
 昨日私は錆びて使わなくなった二本の鉈をグラインダーで錆びを落とし、砥石で研いで見ました。研いだ後油をつけて布で拭きました。髭がそれるほどではありませんが、サヤでも手づくりし、「土佐刃物」刻印された鉈を折に触れ、これからも使ってみたいと思っています。

  「斧という 漢字知ってる 鉈知らぬ どんな道具か さえも知らずに」

  「道具箱 出てきた鉈を 丹念に 磨いて研いで 宝物する」

  「鉈使い 板切れ割って 焚き付けを 作り囲炉裏で 鍋物作る」

  「土佐刃物 刻印どおり この鉈は よく切れ自慢の 一品なりぬ」  

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人間牧場

〇孫と二人で今年最初の虹を見ました

 昨日は朝から小雨が降っていました。可笑しな天気で陽が射したり小雨が降ったりしていましたが、朝食を終え外に出て見ると、畑の向うの西の空にはっきりとは見えませんでしたが、虹らしき現象が見えました。保育園へ出かける準備をしていた孫奏心に、「虹が出てる!!」と知らせると、奏心は母親とともに急いで外へ出てきました。庭からは隠居の家が邪魔をして余り見えなかったので、東屋まで移動して「ほら、虹だ!!」と指差すと、「見えた、見えた」と大喜びで、「保育園に言ったらみんなに教えてあげる」と意気揚々でした。

薄っすらと見えた虹の架け橋
薄っすらと見えた虹の架け橋

 「今日は虹を見たからいいことがあるよ」と私が言ったことを孫は覚えていて、若嫁の帰りが少し遅くなるようだったので、私が夕方孫を保育園まで迎えに行き、くもんに連れて行くため、単車に乗せてやりました。孫は単車に乗るのが大好きで、「おじいちゃん、今日は虹を見たから単車に乗れた」と大喜びで、短い距離ながら安全な裏道を風を切ってのんびりゆっくり走ってやりました。帰り際単車の前を少し大き目の陸ガニが横切るのが見えました。孫はカニやイモリが大好きなので、単車を止めて「お先にどうぞ」と道を譲ってやりました。

 子どもは自然の移ろいの中で暮らしていますが、花が咲いたり、山の緑が日増しに濃くなって行く様子等には中々気がつかないものです。多分周りの大人も子ども同様気がついていないのです。大人の感性が鈍いと子どもの感性も鈍くなるのは当然のことなのです。虹を見て綺麗だと思ったり、虹を見ると何かいいことがありそうと、ささやかな夢を見させることは、大人のいざないでできることなのです。私も昨日は虹を見たお蔭で、ほんの少しですがいいことがありました。人に言えるほどのことではありませんが、幸せとは幸せと感じる心ですから、いい一日だったのです。いい一日の連続がいい人生だと思って、今日も虹を掴んでいい一日であるよう努力します。

  「虹出てる 孫と二人で 西空を 指差しながら 綺麗綺麗と」

  「虹見れば 何かいいこと あるかもと 私の言葉 孫は真に受け」

  「大好きな 単車に乗れた いいことと 孫は感じて 陸ガニ出会う」

  「何げなく 過ぎ去る暮らし あれこれと 気付くことこそ 幸せですよ」   

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〇朝晩の水やリ作業もそろそろ終わりに

 家庭菜園に夏野菜の苗物を植えてから、早いもので2週間が経ちました。キューリやトマトはすっかり活着して、花芽をつけ始めました。オクラの苗は昨年に引き続き余り芳しくなく、二株ほどは枯れそうな雲行きで気を揉んでいますが、まあ他の品種は概ね順調といったところです。この2週間で2回恵みの雨が降りましたが、それ以外の日は朝から晩まで日射が続き、少し早いと思って植えたサツマイモなどは日射で息絶え絶えといったところですが、サツマイモの強さは抜群なので、新芽さえ枯れなければ十分回復し、伸びたツルを今月末頃に取って、苗にしても十分間に合うものと期待をしています。

ミニチュアの家の中から水が出るように工夫を凝らした水場
ミニチュアの家の中から水が出るように工夫を凝らした水場
家庭の隅に掘った井戸
家庭の隅に掘った井戸

 この2週間は2日間の雨の日を除けば殆ど毎日、朝と晩に水やリを欠かさずやりました。幸いわが家には裏山から清水が湧き出ていて、それを3段形式でろ過して取水するように、親父が設備を施してくれているお蔭で、水道水を使うこともなく、また庭の隅に掘った井戸も電動ポンプで汲み上げるようになっていて、造作もないのです。でも広い畑をジョロを使って水やリする作業は、水場と畑の往復で結構手間暇がかかるのです。今朝は嬉しいことに久しぶりに雨が降っています。多分この雨で野菜の苗類は活着の度合いを深め、そろそろ水遣りも終わりに近づいたようで、ホッと一息といった感じです。

 昨日は暦の上では立夏でした。太陽の光線いよいよ強く、夏の気立がのぼると言う意味だそうですが、麦の穂もそろそろ色づき始めました。これからは梅雨を経て暑い夏に向かうゆえ、しっかりと体調を整えて家族全員元気で夏を乗り切らなければなりません。昨日水やリをしていて右目上を一ヶ所ブトに刺されました。これからの畑仕事は朝晩ブトや薮蚊が出るので、気をつけなければなりません。わが家の菜園や人間牧場は農薬を一切使わない主義なので、ブトや薮蚊はいるものと心得、渦巻き蚊取り線香を専用の缶に入れて腰にぶら提げ、農作業をしなければなりません。今年も暑い夏がやってきそうです。

  「植えてから 早くも二週 夏野菜 朝晩水やリ 大変でした」

  「夏野菜 太り始めて 花が咲き 間もなく収穫 時期を迎える」

  「早立夏 季節早さに 驚ろきぬ 年をとったと 思いながらも」

  「ブト刺され 妻は薬を 取り出して 顔面塗って かばってくれた」 

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人間牧場

〇孫たちの大好きなイモリ

子どもたちが捕まえてきた怪獣もどきのイモリ
子どもたちが捕まえてきた怪獣もどきのイモリ

 子どもは何にでも関心を示すもので、犬猫ならある程度分りますが、虫類や爬虫類となると大人の私たちは「汚い」とか「危ない」「気持ち悪い」「不衛生」などと、一歩下がって身構えてしまうのです。団子虫のどこが可愛くて、臭い匂いのするカブト虫や腹が真っ赤なイモリのどこが格好いいのか分りません。ましてや夏祭りに出店している夜店の店先でカブト虫やクワガタをじっと見つめ、品定めしながら親に「買って買って」とねだる愛くるしい子どもの姿を、いつも目の当たりにして、不思議がるのです。

 今時の子どもは、ほおっておくと室内にとじこもってゲームをします。そうかといって戸外の遊びが嫌いな訳ではないので、親や周りが戸外にいざなってやればいいのでしょうが、親も室内の方が目が届きやすく、危険なことすることもないからと、安易な方法を選んでしまうのです。子どもは群れて遊びたいという気持ちを持っていますが、よその子どもが遊びに来ると家の中が汚れるからと、家の中へ入れることを拒む人が殆どで、行き場を失った子どもたちがたむろするのは結局、コンビニ駐車場のような場所になってしまうのです。

 今年のゴールデンウィークは久しぶりに悪ガキ孫軍団4人がわが家に集まりました。一番上の孫は今年から中学一年生になったので、小さい頃のような悪ガキぶりは発揮しませんが、後の3人はまあやりたい放題で、野球はするわサッカーはするわ、そこら辺に置いている段ボールや発泡スチロールを使って基地作りはするわの大騒動でした。 
 勿論虫網を持って川や水路を駆けずり回り、小魚や川ニナ、川カニ、川エビに加え、腹の赤いイモリを何匹も捕まえて帰りました。夕方可哀想だからと水路に放してやりましたが、イモリは愛くるしい姿でヨチヨチ歩きして茂みの中へ姿を消してて行きました。今頃あのイモリたちはどんな夢を見ているのでしょう。まるで金子みすゞの世界のようです。

  「悪ガキが 四人も揃い そこここで やりたい放題 楽しそうです」

  「捕まえた イモリのどこが 格好いい? 怪獣ダブらせ リアルな世界」

  「レアー等 現代用語を 涼しげに 使って子ども 動物戯れ」

  「金かけず 田舎で過ごす これもまた 価値ある遊び 思えば思え」

 

 

 

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〇わが家のゴールデンウィーク

 昨日は松山市内に住む外孫二人が、娘に連れられてわが家にやって来ました。若嫁はゴールデンウィーク期間中は、一週間前に開店した実家の喫茶店での仕事があるため、わが家の孫二人の面倒は息子が見ることになっていて、どこにも行かず4人はわが家で様々な遊びをやっていました。ゲームをしたり自転車に乗ったりして遊んでいましたが、息子が近所の川へ虫取り網や虫篭等を持って小動物を取りに出かけたようです。

子どもの日 2時間ばかりして子ども四人はずぶ濡れになって意気揚々と引き上げて来ました。「おじいいちゃん、見て見て」と差し出す水の入った虫篭には、自分たちで捕まえたという小魚や手長エビ、川ガニ、イモリまで入っていました。ハヤやエビ、カニなら分りますが、イモリは腹が真っ赤で、いかにも気味の悪いグロテスクな姿をしているので、娘や妻は「気持ち悪い」といって近寄りたがりませんでしたが、孫たちにとってイモリはまさに怪獣に近い姿なので、憧れの小動物でもあるのです。

 わが家の3人の男の子がまだ小さい腕白盛りのころ、自分のタンスの衣服を全て取り出し、引き出しの中へ菓子箱にイモリを何匹も入れて育てようとして、知らずに開けたところ原の真っ赤なイモリが出てきて、卒倒するほど妻が驚いたという話や、田植えの終った隣りの田んぼに入ってイモリを捕まえようとして田圃を台無しにして、子どもを連れお詫びに行って叱られた思い出は、遠くて遠くない思い出のひとコマひとコマです。その息子たちも今ではいっぱしの大人になっているのです。

 昨晩は居間に四流れ布団を敷いてみんなで川の字になって寝ました。私と一緒に寝ていた孫は朝方、いつの間にか親元に移動していましたが、孫の寝姿を見ながら、今日子どもの日が44年目の、私たちの結婚記念日であることを思い出しました。44年間は過ぎてしまえばあっという間でしたし苦労も多かったけれど、ゆえに穏やかな今の暮らしがあるのだと実感しています。この上はこれからも今のような穏やかな暮らしをし続けたいものです。

  「川ガニや イモリ捕まえ 得意顔 孫の姿に 爺も納得」

  「危ないと 言っては何も させないと モヤシみたいな 子どもに育つ」

  「孫がいる ゆえにわが家は 活気ある 感謝しないと 罰が当たるぞ」

  「ド田舎も 今じゃ自慢の 種ですよ 腕白でもいい 大きく育て」

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〇無常の雨

 一週間前の天気予報では、今年のゴールデンウィークはどうやら好天に恵まれるようだと言っていましたが、昨日は夕方から雨という予報が外れ、昼前から雨が降り出し、午後は時々激しく降りだしました。シーサイド公園には朝から大勢の人が集まっていたようで、その客を当て込んでまちづくり学校双海人の皆さんは、昨年に引き続き昨日と今日の二日間、ピザ釜で一儲けをしようと企んでいるようですが、折からの雨で多少苦労したようで、今日の天候回復を祈っています。

夕日に映えるつつじの花
夕日に映えるつつじの花
この花も散って今は跡形もなく・・・
この花も散って今は跡形もなく・・・

「今年が一番綺麗に咲いた」と思えた、自宅の家庭菜園に沿った長いつつじの帯も、好天に恵まれて艶やかに咲いていましたが、昨日の雨で無常にも散り始め、よくぞ前日艶やかな花の写真を撮ったものだと、来年まで見られぬ花の美しさを、デジカメデーターやタブレットで再現し、デジタルで一人花見を楽しんでいます。実際には雨で散ってしまった花ですが、文明の利器のお蔭で、リアルでないリアルな姿を見ることができるのですから、すごい世の中です。

 今朝午前4時、いつものように早起きして書斎に入り、いつものように机に向いブログを書いていますが、窓のガラス戸に2~3匹蜜蜂が集まり静かな羽音を立てています。多分雨で散ったつつじのの花の蜜を吸うことができないことを、私に告げにやって来たようだと、一人蜜蜂に思いを寄せました。3日前3箱目の巣箱に蜜蜂が入居してくれましたが、人間牧場の巣箱はまだ一箱も入居しておらず、その様子を蜜蜂の師匠である井上さんにメールしたところ、今日の午後にも再び、蜜蜂誘引のための日本ラン・キンリョウヘンを持参してくれるようで、遅れていた巣箱の入居を、つつじに替わって咲き始めたみかんの花の蜜源を思いながら、大いに期待して朝を迎えました。

  「無常にも 雨がつつじの 花散らす 行き場失い 蜂が小窓に」

  「記録した 写真で花見 文明は 偉いもんだと 感心しきり」

  「傘差して 長靴履いて 散り残る 花見するのも 作りし努め」

  「つつじ散り 替わってミカン 花が咲く 田舎この時期 香り包まれ」

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