人間牧場

〇収集した面を飾る

 新聞のお悔み欄に、私と同年代の人の訃報が載っているのを見る度に、自分自身の寿命のはかなさを思い、少しずつ身辺整理をしておかないと行けないような気分になります。昨日は書斎の棚にこの2~3年間収集したまま置いていた能面を、海の資料館海舟館に飾ろうと思い立ちました。100円ショップに行ったついでにホームセンターへ立ち寄り、真鋳の金具を買って帰り、早速始めました。

能面1能面2 いつの頃よりか?、また何でか?はもう昔のことなので忘れてしまいましたが、少なくとも20~30年前から私は、能面などの人面を趣味で集めるようになりました。旅行に行ったついで、出張のつでなどに買い集めたり、私が面を収集していることを知って友人がくれたりしたものが、50個近くになりました。その殆どは親父が海の資料館海舟館の板壁面に飾ってくれていますが、親父の手助けができなくなったので、不器用自認の私ですが、思いをめぐらせながら、海舟館の壁面に飾りました。

 面の裏の小さな穴へ吊り下げるようにタコ糸を通して縛り、ネジ金具を差し込んで順番に展示をしましたが、まあ出来栄えは程々といったところです。先日親父に替わって海舟館の大掃除をしたところなので、2~3日前軽トラ市で買って砥石で研いで油拭きをした珍しい包丁と山中塗の漆器も収め、全体の展示物を少し時間をかけてゆっくり眺めました。少し時間ができたらそれぞれの展示物の一覧表や説明を、来訪見学者のために整理したいと思っています。

  「書斎棚 収集したまま 置いていて 面の数々 海舟館へ」

  「紐をつけ 金具差込み 次々と 面を壁面 飾って展示」

  「よくもまあ こんなに沢山 集めたと 感心しつつ 一人見入りす」

  「展示品 一覧表や 説明を 整理したいと 思っているが」

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人間牧場

〇今月の五行歌

 3日前松山五行歌五月歌会の結果が、主宰の見山あつこさんから送られてきました。先月の私の作品はあいも変わらず督促でやっと間に合った程度の駄作なので恥ずかしいのですが、記録のつもりで紹介します。 
  薬を飲んでいる友
  胃を半分切った友
  杖をついて歩く友
  みんな調子が悪い
  私はまだまだ元気

 この歌の後に講評が書かれていました。
  ☆年を重ねると、いろいろなところに故障が出てきます。こうして文字にしてみて
   も、年を取るということはなかなか大変なことだなあと、あらためて感じます。
   でも皆さん、元気で生きていきましょね。五行目の「まだまだ」からは、元気な
   ことに感謝している気持ちが読み取れ、読者も最後は明るく読み終えることがで
   きました。

 ちなみに出席歌一席は塚田三郎さんの次の歌でした。
  ちょっと選択を
  間違えたが
  まあいい
  人生を大きく
  変える程のことでもない

 ちなみに欠席歌一席は寒川国子さんの次の歌でした。
  砂糖と塩
  性格の違う
  兄弟みたいなもの
  どっちも
  取り過ぎにご用心

  「人生の 機微五行歌に 織り込んで 作品送る いつも督促」

  「毎度だが 何かが足りぬ 首かしげ やり過ごすから 上達もせず」

  「一席の 歌を読みつつ なるほどと 相槌を打つ 自分と比較」

  「何事も 奥が深いと やってみて 思う私は やはり凡人」 
    

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〇親父の元気は私の元気

 寒かった冬が去り、春も急ぎ足で駆け抜けました。隠居に取り付けたエアコンのお蔭でしょうか?、冬から春にかけて96歳の親父は一度も風邪を引かず、確実に衰えや認知は進んでいるものの、まあそれなりに暮らしています。親父の世話はもっぱら妻の役割でしたが、パンパースが必要となったため、その役割やトイレの掃除などはもっぱら私の仕事になっています。

96歳の親父が選定をしてくれたクロガネモチの木
96歳の親父が剪定をしてくれたクロガネモチの木

 この2~3日外の陽気に誘われたのか、親父がまるで蓑虫のように隠居の部屋から外に出て、敷地内を散歩するようになりました。杖をつきまるでロボットが歩くような出で立ちで歩いていますが、昨日は何を思ったのか朝早い5時頃から、庭木の剪定をし始めました。私が若い頃山取りして育てたクロガネモチの木は、かなり大きくなって畳2畳、しかも4段に刈り込まれていますが、杖がないと歩けない親父が、何と何と大きな鋏で一時間もかけて剪定をしてくれました。

 その間、薮蚊やブトが顔や首筋を刺されたのが分らないのか、所々赤く腫れてうっ血も見られ、かゆみ止め虫刺されの薬を塗ってやりました。「蚊やブトもわしの枯れたような体を刺しても美味しくなかったのでは?」と、冗談を言っていました。昨日はディサービスに行く日だったので、9時に迎えの車に乗せて見送りました。剪定屑を熊手で掃いて片付けましたが、キャリー4杯もある枝や葉っぱを片付けながら、いやはや大きな驚きを禁じ得ませんでした。庭の辺りを見渡すと、松の木の剪定や庭の草引きもいつの間にか終えていました。

 親父は信じられないことを時々やります。前日も隠居の台所の水道栓を締め忘れ、半日も垂れ流しにしたと思えば、自分の杖が少し短く感じたのか、杖の先に5cmほどの木を削って差し込み、起用にもまるで玄人のようなこともやります。でも去年と今年では確実に老いの速度が進んで、世話がやけるようになりました。在宅介護の難しさを感じながら、わが行く道と肝に銘じつつ、これからも面倒を見ようと思っています。

  「わが身すら やっとの親父 庭に出て 庭木剪定 驚きました」

  「蚊とブトに 刺されて赤く 腫れ上がる 薬を塗って 作業に感謝」

  「わしの血は 吸っても美味く ないだろう 冗談言いつ 明るく振る舞う」

  「在宅で 介護するのは 難しい できることしか できぬもどかし」

 

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〇佳境に入った天草晒し作業

 天草取りをしたのは今月の中ごろ17日と、18日の2日間でした。以来出張して家にいない時を除けば殆ど毎日、朝と晩外に干し広げた天草を水につけたりサナに広げたりの晒し作業を、腰が痛いほど繰り返して来ましたが、その間雨が降ったのはたった一日だけで、このところの好天ですっかり綺麗になり、仕上げ作業に入っています。

晒されて白くなった天草
晒されて白くなった天草
採った時はこんな茶褐色でした。
採った時はこんな茶褐色でした。

 天草の根元に着いたカキ殻や別の海草を小まめに取り除く、気の遠くなるような作業でしたが、茶褐色だった天草の色がだんだん白く脱色して、この分だと明日の雨に打たすこともなく終わりそうで、そろそろナイロン袋に入れて、ヒジキ、ワカメ、切干大根とともに、食料品倉庫に収納する予定です。

 晒した天草を使って今年の夏も、妻がトコロテンとフルーツゼリーを作ってくれる予定です。特にフルーツゼリーは絶品で、わが家では「おばあちゃんのスイーツ」として人気が高く、孫たちも毎回心待ちにしているようです。勿論私もフルーツゼリーは大好きで、食後のデザートとしてよく食べるのです。

 あのいかつい天草がどうして晒せば白くなるのか、晒した天草に水を入れて火に掛け、少しお酢を入れるととろけ、木綿袋で漉して冷ますとゼリー状に固まるのか、凡人の私には説明ができず、まるでサイエンスの世界です。天草は海草ですから体に良く、フルーツゼリーやトコロ天を食べるとお通じも抜群のようです。さあ今年も思う存分天草を楽しみましょう。

  「天草を 水に漬けたり 天日干し 繰り返すうち 白髪のように」

  「二週間 手間暇かけて 晒したが いよいよ佳境 そろそろ収納」

  「天草を 使って妻は スイーツを 作る喜び 私は食べる」

  「天草を 食べるとお通じ いいようだ 自給能力 さらに高まり」

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〇日焼けして真っ黒な顔になっています

 夏の到来を告げるように、野山に真っ白い卯の花が咲いています。今年の5月は気圧配置がいいのかこのところ好天が続き、気温がグングン上がって先日は大洲市で5月にしては珍しい、気温32度を記録したそうです。私も暇を見つけて連日家庭菜園畑に出て農作業をしていますが、暑さのため作業効率が悪く、昨日やっと長ナスの囲いを取った程度のお粗末さです。

日焼けした自画像
日焼けした自画像

 そろそろジャガイモの茎が枯れ始め、掘り頃サインが出始めたので、天気を見計らって今日辺りから始めようと思っていますが、麦藁帽子を被って作業をしているものの、反射日光もかなり強くて、露出している手は勿論、顔もかなり日焼けをしていて、妻から昨日「お父さん、顔が黒くなった」と言われました。鏡に写すと余り感じませんが、食事の時等妻と並んで座り、ガラス戸に写った夫婦2人の顔の色を比較すると、まあ黒くなっています。

 最も日焼け等別に気にならない年齢ですから、馬耳東風聞とき流していますが、たまに外歩きをしていて知人友人に会うと、「日焼けしてお元気そうですね」と言われます。顔の色が青瓢箪のように白いと、「どこか具合が悪いのでは?」と思われ、日焼けすると「お元気そうで何より」と言われるのですから、まあ日焼けは見た目に健康そうなので、これも良しと納得しています

 最近は紫外線だけでなく近赤外線もお肌に悪いそうで、そうした日焼け止めクリームがよく売れているようですが、日焼け止めクリームは女性専用だと思いきや、男性だって日焼け止めを塗って外に出るそうで、時代は変わったものです。私など日焼け止めクリーム等まだ一度も塗ったことことはありませんが、それでも70歳まで元気で生きているのですから、化粧品メーカーの戦術に惑わされることなく、余り気にせず生きた方が気楽で安上がりかも知れません。子どものころ黒ん坊大会に参加して入賞した経験の私なので、どこかでそんな大会があれば出ようかとも思っています。

  「最近は 男性さえも 日焼け止め 塗って外出 時代は変化」

  「窓ガラス 並んで座る 妻の顔 色白見える 私色黒」

  「いいじゃない 黒い顔見て 元気そう 言われるだけで 嬉しい気持ち」

  「黒ん坊 大会あれば 出てみたい 昔入賞 したのですから」

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〇今朝の穏やかな空海

 昨夕「人間牧場へ泊めてください」と何のアポもなくいきなり連絡があり、「宿泊施設ではない」とお断りをしたのですが、「どうしても行く当てがない」と懇願され、2人の夫婦を車に乗せて人間牧場まで連れて行き、泊めることにしました。昨晩はそのことが気になって中々眠れませんでした。早朝4時に起床し、ブログを一本書いたところで軽四トラックを走らせ、おにぎりと味噌汁を持って行きました。

本尊山辺りの朝焼け
本尊山辺りの朝焼け
人間牧場の朝焼け
人間牧場の朝焼け

 夫婦は既に起きていて、私の用意した粗末な食事を食べた後、私の車で下灘駅まで送ってあげ一件落着です。そんなに持ち合わせもないであろうことは、その様子を見れば粗方分るので、これもご縁と思って余り詳しいことも聞かず、夜露をしのいでもらいましたが、別れ際私に向って手を合わされ、少し涙ぐんでいるようでした。地域づくりを長年やっているとこんなことはよくあることで、路銀を貸して欲しいとか、泊めて欲しいとかよく言われます。私の眼力のなさから騙されたこともありましたが、これも仕方のないことと諦めています。

 今朝は唐崎で急にトラックが飛び出し、思わずブレーキを踏んで間一髪交通事故にはなりませんでしたが、冷や汗物でした。ドキドキした心を静めようと、唐崎の路側帯に車を止めて振り返ると、双海町のシンボル本尊山の付近が朝日に染まり始めました。人間牧場では同じ朝焼けも違ったアングルゆえ、違った趣があり、空や海の穏やかな景色に心が癒されました。昨日は好天に恵まれ県内でも、大洲で32度を越える高温だったようで、初夏といえどもう夏のような暑さでした。さあ今日も心を引き締めて頑張らずに頑張りましょう。

  「一夜宿 泊めて欲しいと 頼まれて 懇願の末 意味も分らず」

  「朝早く おにぎり味噌汁 軽四で いきなりトラック 心臓パクパク」

  「朝焼けの 空海眺め 癒される ああ今日もまた かくてありなん」

  「生きている 証拠でしょうか 日々暮らし メリハリ付いて 今日も楽しく」 

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人間牧場

〇後片付けは大事です

 人間牧場での子ども体験塾が終わり、ホッと一段落しました。今年度は申し込みが41人とこれまでで最も多い上、事務局の赤石さんが異動して隅田さんに替わり、加えて実行委員である小学校の教頭先生が3人とも替わる等、フレッシュと思えばフレッシュなのですが、馴れていないゆえ少し気を引き締めてかかりました。

楽しかった今年の子ども体験塾野外活動
楽しかった今年の子ども体験塾野外活動

 こうした野外活動は昼を挟んで食事を伴うため準備も相当なもので、余ったり足らなかったりも多少ありましたが、まあ何とか事故もなく子どもたちの感想文を見た限りでは心に残るいいプログラムでした。何よりも嬉しいのは宇津さんや中島さんを中心にしたジュニアリーダーたちが、しっかりとプログラムをフォローしてくれたことです。

 野外活動の一番の大変は後片付けです。利用した人間牧場の諸施設は私の持ち物なので私がやれば済むのですが、使った食器や機材等は、運んだり借主に返したりしなければなりません。本当は使った食器などは子どもたちにやらせたいのですが、人間牧場は水が少し不便なため結局事務局が持ち帰り洗うしか方法がないのです。

 昨日事務局の隅田さんから、食器を洗ったので人間牧場の食器ストッカーに返却したい旨の連絡があり、今日の午前中二人で人間牧場へ出かけ、食器類を元の所へ収納したいと思っています。人間牧場には私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが無人島キャンプをしていた頃使っていた食器を60人分譲り受けて使っていますが、この食器類の保管や管理も中々です。

 もう直ぐ来月末には次のプログラムである防災キャンプ、7月には底引き網体験航海などが迫っています。既にプログラムの企画や検討に入っていますが、事務局、スタッフ、リーダーが一体となって準備を進め、その都度後片付けをしなければなりません。後片付けの良し悪しがいいプログラムにつながることを肝に銘じて、しっかりと対応したいと思っています。

  「イベントが 終れば直ぐに 次が来る 後片付けを する暇もなく」

  「片づけが できる人ほど できる人 肝に銘じて やってはいるが」

  「片付けは みんなの力で やりたいが 水が不足し 洗うに洗えず」

  「片付けを これも修業と 言い聞かせ 汗し働く 心落ち着く」 

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人間牧場

〇久しぶりに母校の宇和島水産高校を訪ねました

 昨日、近畿大学水産研究所の宮下所長さんの講演を聞くため、久しぶりに母校の宇和島水産高校を訪ねました。そもそものきっかけは、宇和島水産高校の先輩である玉井恭介さんから、「講演を聞きに行かないか?」とお誘いがあり、運よく午前中の日程が空いていたのでお言葉に甘えての同席となりました。待ち合わせていた学校の玄関先で所長さんと名刺交換した後、えひめ丸事故の慰霊碑に冥福の祈りを捧げました。

えひめ丸の慰霊碑の前で
えひめ丸の慰霊碑の前で
私が乗船した初代愛媛丸の展示模型
私が乗船した初代愛媛丸の展示模型

 玄関入口には宇和島水産高校の歴史を物語るように、初代から五代までの実習船愛媛丸・えひめ丸の模型が展示されていました。その中に私が在校していた時乗船した初代愛媛丸もありました。現在のえひめ丸は500tクラスですが、初代の船は半分にも満たない」214.5tの小さな船でした。この船で赤道を越え南太平洋の彼方珊瑚海まで遠洋航海に約3ヶ月間も出かけたのですから、驚く他はありません。

 この航海で私の価値観は大きく変わりました。それまでは生まれ育った双海町から殆ど出ることのなかった私に、地球が丸いことを実感させたのもこの航海でした。案内された校長室で先生たちと談笑したあと、講堂で宮下所長さんの話を生徒さんとともに1時間余り聞きながら、過ぎ越し人生が昨日のことのように思い出されました。私の原点ともいえるこの学校にもし50年前遊学しなかったら、私の今はなかっただろうとしみじみ思うのです。

 宇和島もこの50年間で大きく様変わりをしました。宇和島湾の奥まった所にある水産高校の周辺のレンコン畑は埋め立てられ、対岸の予科練跡も工場などが立ち並び、学校の直ぐ上を高速道路の高架橋が走っていますが、鬼が城の山並みや鶴島城、九島の見える遠望は昔のままの姿をとどめていました。遠い遠いいつまでも歳をとらない青春の頃の記憶が鮮やかに懐かしく蘇りました。

 

  「何年か ぶりに母校を 訪ねたが 周囲すっかり 様変わりして」

  「玄関に 展示模型の その中に 50年前 乗った船あり」

  「この船で 珊瑚海まで 実習に 青春思い出 昨日のように」

  「もし私 この学校に 遊学を しなくば今の 人生なかった」

 

 

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人間牧場

〇足湯は天国(その4)

 5月23日土曜日、子ども体験塾の第1回目の学習会が人間牧場で行なわれました。41人の子どもたちと30人近くのリーダーやスタッフがそれぞれの活動を楽しくやりましたが、少し曇っていた天気も味方して、最後は降り出した雨の中を少し濡れながら下山したものの、暑くもなく寒くもなしといった状況でした。

気持ちよい足湯を楽しむ子どもたち
気持ちよい足湯を楽しむ子どもたち
足湯をする子どもたちの足
足湯をする子どもたちの足

 今回はジャガイモ堀りとサツマイモのツル植えという農作業をしたため、息子が子どもたちのために足湯のサービスをしてくれました。しかも普通は灯油ボイラーでお湯を沸かすのですが、今回は五右衛門風呂の下から薪を燃やし本格的でした。41人を6班に分けていたので、サツマイモを植えながら各班毎に4~5分の足湯をしてやりました。

 靴下を脱ぎズボンを脛まで捲し上げて車座になって足をつけましたが、みんな「気持ちいい~」を連発していました。昨日別の用件で参加した子どものお母さんから電話が入りましたが、このお母さんが言うのには、「子どもが帰って足湯の話をしてくれました。足湯は気持ちよくてまるで天国へ行ったみたい」と言ったそうです。「天国へ行ったこともないのに」と家族で大笑いをしたそうです。

 通称「ロケ風呂」と呼んでいる五右衛門風呂は、10年も経つと今やすっかり、人間牧場の名物となりました。私も時々息子が沸かしてくれた風呂を楽しみますが、寒い冬もまたよし、暑い夏もまたよし、足湯もまたよしといった感じです。特に沸かしたお湯に体を沈め、眼下に広がる海や漁港を見ながらの入浴は、お金では買えない至福です。近々私もお風呂を楽しみたいと思っています。

  「ロケ風呂を 沸かして子ども 足湯する 気持ちがいいと みんな連発」 

  「天国へ 行ったみたいと 言う子ども 行ったことない 癖にと難癖」

  「風呂に入り 瀬戸内眺望 楽しめる ロケ風呂息子 設計してくれ」

  「春夏も 寒い秋冬 また良しと 風呂を楽しむ 贅沢極み」

 

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人間牧場

〇コンニャク作り(その2)

 私はどういう訳か子どものころから、コンニャクとコーヒーが大嫌いです。勿論今でもコーヒーは飲まないし、コンニャクも食べるのは食べますが、自分から進んで食べようとはしません。なのに何故か人間牧場では小さな畑を耕してコンニャク芋を作り、時折その芋でコンニャク作りをして楽しんでいるのですから可笑しな話です。

こんにゃく1 こんにゃく2こんにゃく3 昨日の子ども体験塾ではコンニャク作りが今年初めてメニューに加わりました。私が手塩にかけて育てた、丸々太ったコンニャク芋を提供し、その芋を使って親友西岡栄一さんにコンニャク作りの指導を頼み、色々と準備をして事に当たりました。西岡さんはグリーンツーリズこんにゃく4こんにゃく5ムでコンニャク作りを日常的にやっているので、コンニャク作りに必要な七つ道具を全て軽四トラックに積んでやって来ました。

 この日は子ども体験塾に参加した4年生以上の高学年を相手に、芋茹で、皮剝きなどはみんなでやりましたが、ミキサーにかけたり、凝固剤を入れて練ったり、型枠に入れて形を整えてから再び湯がく作業は、みんなでワイワイガヤガヤと楽しくやりました。運悪く不安定な机からミキサーを落下させ割ってしまいましたが、幸い私の持っているミキサーを代役にして、何とか作ることができました。出来上がった熱々のコンニャクを薄く切って醤油と山葵で食べると、山河豚といわれる食感のようで、みんな「美味い、美味い」と喜んで食べていました。

 子どもたちには自分たちで作ったコンニャクを一個ずつナイロン袋に入れて、ジャガイモと一緒にお土産に差し上げました。今晩わが家でもお土産に貰ったコンニャクを食卓に並べ妻は美味しそうに食べていました。
 今年も三ヶ所の狭い畑にコンニャクの種芋を沢山植えました。今年の秋口には掘りあげる予定ですが、そろそろ来年は自分でコンニャクを作る技術を、西岡さんに教わってできるようにしたいと思っています。

 

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