人間牧場

〇私はただ今元気です

 数日前、久しぶりに中学校時代の同級生に、こともあろうか松山のとある温浴施設の風呂の中で会いました。彼との出会いは一昨年末に開かれた古希祝の同級会以来ですから、1年半ぶりですが、その変貌ぶりにはすっかり驚いてしまいました。同級会の時はかなりの人数が集まっていたので、彼とそんなに深くは話しもせず、彼の体のことまで覚えていませんでしたが、彼の話によると同級会が終って間もなく、脳卒中を患い入院したそうです。重度でもなく軽度でもない中程度の病状だったようで、左半身の麻痺と言語障害が後遺症として残り、今はそのリハビリ途中とのことでしたが、お互いタオルで下半身を隠す程度の、あらわもない姿で風呂のかまちに腰をかけ、汗をかきながら色々な話をしました。

 彼は若い頃から少し小太り気味で、お酒が大好き、賭け事が大好き人間で、65歳で会社を退職後も酒とパチンコに明け暮れる日々を過ごしていたようですが、もう一度元気になったら酒とパチンコをしてみたいと、性懲りもなく話していました。彼は私の裸の姿を見て、「お前が羨ましい」と言いました。確かに彼と私は人から見れば、「この二人本当に同級生?」と見紛うほどで、彼は頭が禿て老眼を掛け、加えて半身不随で杖が必要、言語障害もあります。一方私の体は中肉中背で、白髪が少しあるもののまだ髪の毛は沢山あって、老眼も必要でなく裸眼で新聞が読め、加えて言語障害どころか弁舌爽やかに人前で話すことができるのです。

 彼と私の差は一体どこにあるのだろう?と、彼の話を聞きながら考えてみました。私の一日は朝4時起床から始まり、就寝は12時頃です。彼の朝起床は午前9時、床に就くのは夜10時だそうです。つまり彼と私に与えられた時間は等しい1日24時間なのに、私は彼に比べ朝5時間+夜2時間=7時間も起きている時間が長いのです。問題はその起きている時間の使い方で、朝の5時間はアバウトな数字ですが2時間はブログ書き、1時間はジョギング・ウォーキングなどの運動、2時間は食事や新聞読み等の自由時間です。夜の2時間はテレビを見たり読書やパソコンいじりなどの自由時間ですが、まあ根本的に違うのは酒も呑まず余り賭け事遊びもせず、少し知的コンテンツを持って日々を生きていることでしょうか。

 彼も私も年金暮らしです。彼の年金がいかほどで、どう使っているのかは知る由もありませんが、そんなに大差はないものと思われます。「お前が羨ましい」といういう言葉の後に、「お前は毎日やることがあっていい」と「講演で儲けているから」を付け加えられましたが、彼が羨ましいがるようにまあ「やること」「行くこと」は毎日いっぱいあるものの、彼が羨ましがるほどの儲けはなく「小遣い稼ぎ程度」だと言うと、「そんなことはない」と否定されました。人の暮らしは良く見えるものです。これからも彼のように病にかからないよう健康に注意し、これからも楽しく人生を生きて行きたいものです。

  「温泉で 半身不随の 同級生 裸でばったり 出会って話す」

  「同い年? 思えぬほどの 風貌を 見ながら私 少し自信が」

  「酒が好き 賭け事好きな 同級生 今はそれさえ できぬ体に」

  「健康が 何より一番 大事だと 思う私も それなり相応」

 

 

 

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人間牧場

〇長崎県佐々町に招かれました

 2年前、長崎県長崎市で開かれた九州地区社会教育研究大会の記念講演に招かれてから、私の元へ九州の各県から沢山の講演依頼が入るようになりました。講演依頼の殆どは、「あの時の話をもう一度」ですが、2年前の講演でどんな話をしたのか、毎回アドリブで話す私は、「覚えていない」というのが正直なところです。多分かくいう私の話を聞いたであろう相手も、2年前の私の話の全てを覚えていないだろうと、鷹を食って「はいはい」と臆目もなく引き受けてしまうのです。

マリンバ演奏コンサート
マリンバ演奏コンサート
講演会週炉油後ステージにて角銅さん、日比さん、教育長さんとともに・・・
講演会週炉油後ステージにて角銅さん、日比さん、教育長さんとともに・・・

 今回は佐世保から約40分ほどの所にある人口1万3千500人ほどの佐々町でした。12時に到着しないと午後の研修に間に合わないので、前日出発して前泊し、佐世保から松浦鉄道に乗って佐々町を目指しました。松浦鉄道も私たちの町と同じようなローカル線で、マッチ箱のような一両編成のジーゼル列車が長閑に走っていました。沿線に咲く菜の花などの花々を見ると、海沿いのため私たちの町と同じような季節の移ろいでしたが、佐々に入ると佐々川の堤防に植えられた、早咲きで知られる河津桜が帯をなして咲いていて、散歩花見を楽しむ人の姿が幾つも見えました。

 11時37分に到着するとメールで知らせていたので、井手係長さん池田社会教育委員長さんのお二人が、駅まで出迎えてくれました。出迎えの公用車の屋根には看板が取り付けられ、「あいさつ日本一」の文字が見えました。聞けばこの町の中学校では生徒が学校に到着すると一礼し、学校を帰る時にも一礼して帰るという、長い間の伝統が息づいているのだそうです。土手の桜を見ただけでも、この美談を聞いただけでも、来た甲斐があったと納得の手合いでした。この日のプログラムは佐々町出身のマリンバ奏者角銅さんの演奏会と私の講演のジョイントでした。2時に開演し、マリンバの演奏が約40分、私の「まちづくりの新しい風」という演題での講演がその後90分でした。

 文化会館の大ホールは800人収容でしたが、ほぼ満席に近い状態でした。角銅さんと日比さん二人の演奏も素晴らしく、私の講演も演奏に吊られたのか反応もすこぶる良く、満足の手合いでした。講演は聞きなれた人といった感じで、ステージで話す私の元に楽しい笑い声が帰って来て、私もマリンバ演奏に吊られてハーモニカまで吹いてしまいました。私の吹いた井沢八郎の「ああ上の駅」も、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」も、沢山の参加者が合唱してくれたことには大いに驚きました。その後近くの居酒屋へ繰り出し、少人数でやった食談会は大いに盛り上がり、嬉しいご縁を沢山いただくことができました。

  「学校に 行きも帰りも 一礼を する中学校 凄いものです」

  「佐々川の 土手咲く桜 見る人が 汽車の窓から 長閑に見えて」

  「コンサート 講演ジョイント 日ごろとは 少々違い 腕まくりして」

  「今回も 深いご縁を いただいて 心ウキウキ 来た道帰る」

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shin−1さんの

町内の道の駅で、つわぶきが販売されているのを見つけたので、一昨日人間牧場へ農作業に出かけたついでに、畑の隅の親株の根本に生えていた産毛のついた新芽を50本ばかり引き抜いて持ち帰りました。早速ナイロン薄手の使い捨て手袋をはめて皮を剥き始めました。つわぶきは灰汁が手に着くと黒くなり見苦しいので、妻も食べるのは好きですが嫌がります。今日は遠方出張でしたが、つわぶきの煮付けが楽しみです。

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shin−1さんの

○ハウステンボスに立ち寄る
 佐世保駅のコンビニで、560円の使い捨てビニール傘を買い求めて、朝佐世保駅を出発しました。雨は濡れる程でもありませんでしたが、降り立ったハウステンボス駅から大きくて広い歩道専用の橋を渡り、入場券を買い求めてました。入場料は少しお高い3800円でした。

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shin1さんの日記

○今夜は佐世保泊です
長崎県佐々町での講演を午後こなし、夜の会食懇親会を終えて午後9時頃、予約していた東横インへチェックインしました。今夜は佐世保泊りです。明日は折角の機会なので少し寄り道をしようと思っていますが、天気が気がかりです。今日は心地よい疲れなので、読書をしながらゆっくり休もうと思います。
おやすみなさい。

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人間牧場

〇地域を消滅させてたまるか

 平成13年の市町村合併で、市町村の数は3200から1700に減少しました。1500もの自治体が人為的に地図上から消されてから10年が経ちましたが、最近になってようやく合併の検証があちことで行なわれているものの、住民がこれほど「NO」と言っている検証結果を生かすすべもなく、責任の所在も説明責任も果たさぬまま時は流れています。

 人口統計によると20代から30代の女性が少なくなることによって、約900の市町村がなくなるという研究会の話も、農山漁村の過疎化や少子高齢化による集落消滅の話も、政治家や自治体それに学者の戯言のように聞こえ、どの話を信じていいのか戸惑っているのが正直なところです。今東京では「地方創生」という言葉が飛び交い、国をあげて悩めるこの国を何とかしようとしているように見えますが、国民は度重なる二枚舌を信じようとはしないのも事実です。

 人口減少、財政破綻、犯罪多発、地方疲弊、自然災害、人間不信、高齢化、どれ一つとっても厄介な問題だらけのこの国は一体どこへ向おうとしているのか、私のような田舎に住む一凡人には、語る言葉も妙案も浮かびませんが、ただひとつ大事なことは人はどうであれ、自分が日本人らしく自分らしく自立して、隣人と寄り添いながらしかも楽しく生きがいを持って日々を生きることが大切だと思っています。

 そのように心のチャンネルを切り替えて辺りを見返すと、四季に富んだ日本という国の素晴らしさや、そこに逞しく暮らす隣人愛に満ちた人の多くいることに気付きます。地域に思いを寄せる人がいるわが地域は消滅することもなく、これからも生き続けることでしょう。私も及ばずながら残された力を思う存分使って、地域に貢献しようと思っています。それが生ていることの証でもあるのです。

  「1500 自治体消えた この国は どこへ行こうと してるのだろう」

  「東京で 地方創生 声高に 政治家・学者 空々しくも」

  「大丈夫 田舎ちょっとじゃ へこたれぬ 都会の方が もっと危ない」

  「江戸屋敷 住んでる田舎 出身の 政治家いつしか 東京弁で」 

 

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人間牧場

〇人生の生活設計

 昨日わが家に相次いで2人の友人がやって来て、人生の生活設計について話が弾みました。Aさんは若い頃南予の田舎から出て来て、自動車修理工場を営んでいますが、息子さんと一緒に働くようになり、息子を一人前の後継者に育てたくて、自分が身を引くことを考え、双海町で農地を買い農業で身を立てようとしています。元々農家の生まれなので農業は得てているものの、有機で作った農作物をどのように売り、どのように収入を得るのかについては未だ五里霧中といった感じです。私は素人なので話に乗ることはできませんが、「遊びの農業は楽しいが飯を食わなければならない農業は苦しい」と、その厳しさをいつも彼に説いています。そして農作業日誌と毎月20万円の収入を得れる計画をまず作るよう話し、彼もその気になって、こうしてちょくちょく相談にやって来るのです。

 Bさんは今年40歳になるという地方公務員です。仕事の都合で夫婦と子ども3人で双海町の公営住宅に住んでいますが、目下のところ人生の四大資金といわれている生業・教育・住宅・老後の中の教育と住宅に関心があるようでした。私も4人の子どもを育て、住宅も31歳で手に入れているので、様々な経験を話しました。中でも生涯の買い物の中でも最も高額商品といいえる住宅は、購入に際し金融知識や具体的なライフプランなど身につけておくべき知識が色々あるのです。家を買うことのメリットとデメリットは色々あるでしょうが、子どもの教育と時期が重なるだけに、何よりも家計を管理する奥さんの技量や、夫婦が力を寄せ合って生きることが大切と、自分の半生を振り返りながら力説しましたが、はてさて彼の心の扉を叩けたかどうか・・・。

 私は23歳の時、青年学級で人生の生活設計を学びました。26歳で結婚しよう。子どもは4人つくろう。30歳でアメリカへ行こう。30歳で家を建てよう。老後は楽しく生きよう。85歳まで生きようなどなど、今考えればまるで夢のような計画でしたが、振り返ってみれば、自分が夢に描いたことの殆どを手に入れているのですから驚きで、「夢はドリームではなくターゲットである」と思うし、「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」と言ったポール・J・マイヤーの言葉を思い出すのです。人はどうであれ自分が夢を持ってその夢の実現に向けて信念を貫く気概を持てば、人生に悔いは残らないのです。AさんとBさんのこれからの人生に幸多かれと祈ります。

  「Aさんは 一念発起 百姓に 何で今頃? これも人生」

  「Bさんは 不惑の40歳 迎えたり きっかけ作り これから先も」

  「人生は 長いようだが すぐ終る 悔いなく過ごす 夢を持ちつつ」

  「私には 老前今を どう生きる これしかないと 毎日元気に」

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人間牧場

〇寒い寒い・寒~い

 先週の日曜日はすっかり春めいて、「いよいよ春が来た」と殆どの人が思い始めていました。ところが月曜日には四国南岸を低気圧が通って、かなり強い雨が一日中降りました。この季節に四国南岸を通る低気圧は爆弾低気圧と言って、東に進むにつれて急速に発達するので、西高東低の冬型気圧配置に逆戻りし、日本列島全体が混んだ縦縞のような等圧線の中にスッポリ入り、雪混じりの天地を揺るがすような北西の強風が吹き荒れて、昨日はブルブル震える寒い寒い一日でした。

2015年3月10日の天気図
2015年3月10日の天気図

 今日は3月11日、東日本大震災のあった日です。ただでさえ4年前の悪夢のような地震や津波、それに原発事故が重なった出来事を思えば、当事者でない私でも涙が出るのに、ましてや東日本の人たちはこの寒さの中で震えながら今日の日を迎えたであろうと、寒さを実感した朝でした。寒さは、こちらの地方では「春の一日西(北西の大風)」といわれているので、今日で峠を越すものと思われますが、先週日曜日のような暖かい日が待ち遠しい感じを強く持ちました。

 今朝は午前9時に、親父を特老のディサービスに送る出したので、エアコンの効いた書斎にこもって、執筆が佳境に入っている「人間牧場物語」の原稿書きでもしようかと思っています。前もって作っている目次のような執筆構想一覧表は、36項目に及んでいますが、既に粗方は書き上げていて、後回しにしている22年輪塾と35これからの夢で一通りは荒書きを終える予定です。荒書きなのでこれから少しずつ手を入れて上稿しますが、資金の都合もあって印刷出版するかどうかはまだ決めていませんが、願わくば最後の出版物にしたいと淡い夢を抱いています。

  「春が来た 喜び束の間 また冬に 逆戻りして みんなブルブル」

  「鳴いていた 裏山辺り ウグイスも さすがに今朝は 音さえもなく」

  「こんな日は エアコン効かせ 温々と 部屋で原稿 書いて過ごそう」

  「年金で 暮らすわが身の はかなさよ 執筆しても 出版できず」

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人間牧場

〇一生のお宝的道具

 わが家は代々農家でもない漁家だったのに、半農半漁とでもいうべき生業だったので、わが家の収納小屋には親の代から使っている鍬類が沢山残っていますが、その殆どは使うこともなく整理されて処分されることもないまま、所定の位置に吊り下げられています。よく使う鍬は畝を立てる巾鍬、根菜類を掘る三つ鍬、ゴボウを掘るのみ鍬、草を削る草削り鍬など4~5本程度で、それらはよく使うため土で磨かれ鈍い鉄の光を放っていますが、多分これからも私の大切な道具として使われるものと思われます。

手打ちの土佐刃物巾鍬
手打ちの土佐刃物巾鍬

 そんな中、手に馴染んで一番よく使う巾鍬は、母親が生前から使っていたものを譲り受けて使っていますが、使い過ぎて鉄が痩せて薄くなってきたようで、そろそろ買い替えの時期かな?と思っていた矢先の先日、お墓参りの帰りにオズメッセのスーパー入口軒下外で、土佐刃物を売っているお店が目に留まり立ち寄りました。ご存知のとおり土佐刃物といえば手打ちの名代の代物で、ホームセンターなどで売っている物よりは品質もいい代わりに、値段も2~3割高いのです。店の中には入りあれこれ見ていると、土佐人らしいご主人が私の姿を目敏く見つけ、土佐刃物の特徴を喋り捲りました。

 「酒やご馳走は呑んだり食べたりすると消えるが、道具は一代物ですから・・・」という言葉に後押しされて、立派な巾鍬を一丁妻の懐具合を相談して買うことにしました。値札は7,500円でしたが、500円値引きして7000円でした。運よく軽四トラックだったので、荷台に積んで意気揚々と帰って来ました。その夜は雨が降る予想だったので、無造作に書斎の中に取り込んで置いていると、妻が「鍬を書斎に入れるなんて、まるで子どもみたいだ」と大笑いされましたが、鈍い鉄の光を放つ巾鍬はこれから長くもないであろう私の一生の、いやひょっとしたら息子の長い一生の道具として役に立つことでしょう。そう思えば道具は安いものです。今年はこの巾鍬でせいぜい美味しい野菜を作りたいものです。

  「スーパーの 軒先出店 土佐刃物 色々見つつ 品定めする」

  「巾鍬を 手にしていると 主さん 安いもんだと 饒舌勧め」

  「500円 負けときますと 7000円 支払い巾鍬 軽四積んで」

  「この鍬を 私の代と 息子代 続けて使う わが家お宝」

 

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人間牧場

〇港の見える風景

 昨年末妻の妹が六十七歳で急逝し、今年も先日若嫁の父親が六十四歳で急逝して、身内の身近な人を相次いで他界へ見送りました。また妻の友人二人の義母や、実懇にしていただいていたギノー味噌の田中義一会長も亡くなり、通夜や葬儀、お別れ会と心が沈むことばかりが続いているので、昨日は好天に恵まれた暖かい日だったので急に思いつき、妻の実家のお墓参りに妻と二人で出かけました。少し荷物があったので修理を終えた軽四トラックに乗り海岸線を走りましたが、沿線には閏住の黄色い菜の花や、早咲きの河津桜がピンク色の花を咲かせ、春が来たことを告げているようでした。

春が来た八幡浜湾
春が来た八幡浜湾
八幡浜の家並み
八幡浜の家並み

 佐田岬半島の付け根を貫通しているゴゼヶ峠の長いトンネルを越えて瀬戸内海側から宇和海側に入ると、黒潮の恵みでしょうか、どこか違った生暖かい明るさのようなものを感じました。妻の実家のお墓は臨済宗大宝寺の裏手高台にありますが、私はこの墓地から見える八幡浜湾や港の風景が大好きで、昨日は運よく九州からフェリーが入港する様子を見ることができました。耕して天に至ると形容される向灘の段々畑も絵になる光景です。妻に言わせれば妻が子どもの頃の八幡浜は、佐田岬半島の要に位置して、半島や離島を結ぶ船が足繁く発着し、紡績工場などもある、トロール船の基地として活気ある街だったようです。

 戦火に焼かれることも殆どなかったため、逆にそれが禍したかのように少し開発が遅れていますが、それはそれとして古い町並みが残っているので、どこか懐かしいノスタルジックな感じがするのです。縁あって妻と結婚してから、44年があっという間に過ぎましたが、約半世紀近くもこの街に通いながら見続けているゆえ、大好きな街の一つなのです。ただ保内からトンネルが開通し、そのトンネルの向うに更なる松蔭トンネルが三年後に出来れば、また人の流れが変わることも予想され、今からその備えをしておかなければ、通過する街になりかねないだけに、知恵の出しどころといったところです。
 帰りには山回りを通り大洲臥龍の湯、オズメッセで買い物や食事を楽しみ、久しぶりに夫婦水入らずのひと時を楽しみました。

  「春浅き 八幡の浜へ 墓参り 坂を登りつ 遠望楽しむ」

  「40年 越えてこの街 行き来する 妻の生まれし 昔そこここ」

  「九州と 四国を結ぶ 西玄関 フェリー到着 人・物乗せて」

  「今は亡き 両親の墓 掃除して シキビ取替え 線香向け」

 

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