人間牧場

〇父の日のプレゼント

 カーネーションの花を贈る五月の母の日はよく知られていて、母に対する感謝の催しが色々あるようですが、母の日に比べ父の日はどこか影が薄い感じがしてます。元々の発祥はアメリカだそうですが、父の日に赤いバラを贈る風習は日本には余り馴染みがないようです。一年中まるで独楽鼠のように働く母親に比べ、父親は「地震・雷・火事・親父」と言われるほど権威がある訳でもなく、むしろ日常的にわがままを貫いて生きている私などは、「父の日もないもんだ」と、自分自身懐疑的な気持ちを持っているのが正直なところです。

子どもたちから父の日にプレゼントされたニコン一眼レフカメラ
子どもたちから父の日にプレゼントされたニコン一眼レフカメラ

 ところがわが家では、4人の子どもがいることから、父に日にプレゼントを贈る」習慣がちゃんとできていて、父の日が近づくと「お父さん今年は何が欲しい?」とまとめ役の長男が事前に聞いてくれるのです。私は余り高望みはしないと自認していますが、その癖「今年はカメラが欲しい」などと要求をするあたり相当いい加減な親父なのです。私が欲しかったのは一眼レフデジカメで、父の日を一ヵ月後に控えた五月の連休明けに、早々とネットでカメラを買ってもらいました。以来この一ヵ月使いこなせばいいのでしょうが、「父の日が来てから使う」と言い張って、まだ一度も使うことなく昨日父の日を迎えました。

 それは言い事で実は仕事や日常が忙しかったのと、メカに弱いため説明書を読んで理解することの億劫さからでした。デジカメが傷んで使えなくなっているのに、今回買ってもらった一眼レフを使わず、手持ちのタブレット端末のカメラを使ってお茶を濁している有様です。先日次男のマンションを訪問した際、やはり簡易でコンパクトなデジカメがなければ、蜜蜂巣箱の観察もできないとあって、近くの大型電気量販店へ出かけて3万円ほどのデジカメを妻と次男に買ってもらいましたが、これでパソコン、タブレット端末、一眼レフデジカメ、ガラ系携帯電話が勢揃いして、私の腕が上がりさえすればデジタル機器は一通り揃ったことになるのです。

 私はこれらを使って毎日2本のブログを書いたり、facebookにアップしたりしてデジタル交流を楽しんでいますが、まだまだ使いこなせるようになるには日数が必要で、少し気焦りがしていますが、「余り夢中にならによう」私の姿を心配して妻や子どもから忠告を受けています。さて一ヶ月前に子どもたちからいただいた父の日のプレゼントである一眼レフカメラを、早速今日辺りから遣い始めようと持っていますが、かなり荷物になりそうな雲行きなので、安物のデジカメの方が私の旅のお供にはピッタリかも知れません。子どもたちよ、父の日のプレゼントありがとう。

  「一ヶ月 前に届いた デジカメを 使うことなく 父の日迎え」

  「欲しかった デジタル機器も 安いけど 一応揃い これで何とか」

  「道具類 あり過ぎ迷う 能力が ついて行かずに 悩みは深く」

  「父の日に 私の欲しい 物買って くれる幸せ 子は持つべきと」 

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〇身体がだる重~い

 身体がだるい。節々が痛い。少し手が熱いような気がする。そんな症状がこの1週間ずっと続いています。私のことなら誰よりもよく知っている妻が、「それは夏風邪」と断言するような症状です。そういえば一週間前大洲市柳沢田処で開かれたほたる祭りに出かけた折少し薄着で出かけ、雨上がりの山村は、海抜ゼロメートルに住んでいる私たちからすると、気温が2~3度低くなることを知っていて、上着を持参していたのに車の中へ置き忘れ、結局は風邪を引いたようでした。

 「馬鹿は風邪を引かない」とよく言われるように、馬鹿を自認する私はこれまで風邪には滅法強く、今年の冬も風邪を引かずに乗り越えたのですが、暖かくなったここに来て風邪を引くとは、油断の何者でもないのです。私は大の注射嫌いなので風邪を引いたからと言って医者に駆け込むようなことはせず、殆ど置き薬を飲んで直していますが、今回も鷹を食って置き薬を飲んで直そうと頑張ってきました。しかし症状はよくなるどころか一向に回復せず、益々悪くなってきました。

 ところが運の悪いことにこの一週間は私のスケジュールが毎日立て込んでいて、困った困った島倉千代子でした。昨日はえひめ地域政策研究センターの仕事で発表会に出席して助言をしたものの、身体がどうしても言うことを利かず、結局予定していた懇親会を急遽欠席して帰らせてもらいました。昨日の夜妻が私の手を握って手が熱いので、「熱があるかも知れない」と体温計で計ってもらったところ、38度もあって驚き、早速とるものもとりあえず薬を飲んで布団に寝ることにしました。

 今日は病院が日曜日で休みです。午前中は昨年結婚した次男息子の土地を見に行く約束をしていたり、午後3時から地域教育実践交流集会の第1回実行委員会が松山道後友輪荘で開かれ、終了後懇親会があって、結局帰宅は午後9時近くになっていました。「ああしんどい!!」そんな体調なので今日はこれから風呂に入り、置き薬を飲んでぐっすり休もうと思っています。明日も夜の集会が予定されていて、どうにもこうにもなりません。妻は「疲れが溜まっているからゆっくり休んで体調を整えないと、もう若くはないんだから・・・」と励ますのかコケ降ろすのか分らない言葉をかけてくれました。

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〇病院待合室での会話

 昨日の午前中、96歳の親父を近くの歯科医院へ連れて行きました。先日自分の入れ歯を紛失し、笑うに笑えないハプニングがありましたが、替えの入れ歯を装着したものの噛み合わせが悪く、食事も喉を通りにくくなっていて、歯科医院で新しいのを作ってもらっていたのが出来上がったのです。親父を病院に連れて行くにはまず紙パンツや洋服を着替えさせなければならず、それが一苦労です。

 軽四トラックに「よっこらしょ」と気合を入れて乗せ、僅か2~3分で到着しますが、車から降ろして待合室へ手を引いて連れて行きました。この歯科医院にはわが妻が勤務しているので、電話であらかじめ診察時間を聞き出しているので、待つこともなく診察室へ入りました。診察室には顔見知りである下灘のYさん夫婦が診察を終えて座っていました。Yさんは私より少し年齢がいっていますが、若いころは青年団で社交ダンス等をたしなんでいた、いわゆるダンディボーイです。

 久しぶりに会い懐かしく会話を交わしましたが、私が親父の手を引いてあれこれ世話をしている様子を見て、「羨ましい」と言われました。Yさんは物心つかぬ子どものころ、太平洋戦争でお父さんを亡くしています。お父さんの戦死した激戦地ニューギニアへも遺骨収集に出かけるなど、お父さんの幻影を今も探しているようでした。「親父も高齢になって在宅介護も中々大変です」と話すとYさんは、「私など親の世話をしたくても親がいない。あなたは幸せですよ」と言われました。

 確かにYさんのような方にとっては、親孝行したくてもできないのです。思うようにならない親父の介護をやっていると、時々愚痴ることもありますが、それは贅沢な悩みであるということに、遅蒔きながら今頃になって少し考えさせられた会話でした。親父の気力や体力はこれ以上の改善は望むべきもありませんが、せめて生きている間、私ができる間は愚痴らずにしっかりと面倒を見てやりたいと思いました。

  「病院の 待合室で 親父の手 引いて診察 感動してくれ」

  「戦争で 戦死の父の 顔さえも 覚えていない 人から見れば」

  「年取った 親父の世話が できること 羨ましいと その人は言う」

  「何事も 見方変えれば ネガティブも ポジティブなりて 幾分気が楽」 

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〇公民館新任館長研修会

 昨日は愛媛県公民館連合会の招きで、公民館新任館長研修会に講師として出席し、90分余り講演を行いました。愛媛県生涯学習センター4階の大研修室には、70人もの新任館長さんが集まっていましたが、中には知り人も沢山いて、講演が始まる前にあいさつに見えられたり、会場から手を振ってくれたりする人もいて、「さて何を喋ろうか?」と多少戸惑いましたが、まあなるようにしかならないと腹をくくって話し始めました。

 出席した館長さんの中には自分で進んで館長さんになった人もいますが、概して非常勤館長さんなどは、役場・市役所や学校を退職した、どちらかというと意に反した後ろ向きの人も多く、そういう人は一年後のできるだけ早い機会に公民館を去る方が公民館のためになることをお願いしました。公民館の組織は館長の命を受けて活動する職員と公民館運営審議会、それ各種団体長等によって運営が行なわれますが、館長が嫌々だと公民館活動は停滞してしまうのです。

 私がよく使う「汗出せ 知恵だせ 金を出せ それが嫌なら辞表出せ」というフレーズを言って大爆笑となりましたが、公民館の良し悪しは人であることを肝に命じて欲しいとお願いしました。私が考えた「ないないづくしの公民館10ヶ条」を紐解きながら、事業のバランスについてもお話しました。公民館の事業には第一・問題を知らせ提起する事業、第二・学びの援助事業、第三・学びの組織化事業、第四・ボランティア事業の四つがありますが、第二の学びはできても、第一や第三、それに第四の事業は取り組まず、事業のバランスが崩れているので、それらのサイクルをもう一度見直して欲しいとお願いしました。

 公民館はいつの時代も地域づくりの拠点施設であり、公民館の持つ学習機能がしっかりしている地域は活き活きと輝くのです。地域づくり人である私はそのことに心を配って地域づくり活動をやって来ました。ゆえに夕日をテーマにしたソフトの学習がハードを産んで、いい地域ができるのです。今松本や冨田さん、浜田さんたちがやっているまちづくり学校双海人も、私がやっている人間牧場もそこがしっかりしているから長続きし、大きな成果を上げることができているのです。公民館は私にとって大恩人なので、これからも一私的公民館人として、学歴でなく学習歴を積み重ねながら、恩返しをしたいと思っています。

  「70人? 耳を疑う ほどもいる 新任館長 相手に話す」

  「公民館 私にとって 大恩人 恩を返すは 当たり前です」

  「汗出して 知恵出せ金も 出しなさい それが嫌なら 辞表出してね」

  「久しぶり スッキリするよな 話する みんな熱心 聞いてくれたが」

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〇わが家の嘔吐下痢症

 先週の土曜日13日の夜、息子は大きくなった二人の子どものために、欲しがっていた二段ベットを通販で買ったようです。その荷物が届き、夜遅くまで二階の子ども部屋で組み立てていました。やっと組み立て終わったのは午前二時だったようです。楽しみにしていた孫たちは土曜日ということもあって、父親に付き合っていたようでしたが、私たち夫婦はいつものようにテレビを見ながら早めに就寝しました。

 朝起きると、保育園に通う孫奏心に嘔吐下痢の症状が出始め、折角出来上がったばかりの二段ベットを汚してしまいました。聞けば保育園で嘔吐下痢が流行っているそうで、どうやら保育園で二次感染したようでした。それからが大変で、次の日には孫希心にうつり、挙句の果てには2人の母親にまで感染して、一族ダウンとなってしまいました。勿論体力の落ちた私たち夫婦にも嘔吐や下痢の症状こそ出なかったものの、風邪がうつったようで、この2~3日咳やタンが絡んだ症状に悩まされています。

 私も妻もそれほど重症ではないので病院にも行かず、葛根湯等の置き薬を飲んでいますが一進一退といったところです。病原元の孫奏心は既に回復し、昨日から通園し始め、2日間学校を休んだ孫希心も今日から通学できるようで、回復が遅れていた母親も今日から職場復帰するようです。私たち夫婦が日常的に接触している親父にだけはうつさないよう、注意をしていたお蔭で、今のところ親父への感染は食い止めています。降って湧いた嘔吐下痢症で家族のスケジュールは滅茶苦茶になりましたが、今日からやっと平常運転に戻りました。私も少し喉の違和感があるものの、今日の午後生涯学習センターで講演が予定されているので、何とか対応したいと思っています。家族の健康が一番ですね。

  「保育所で 孫が貰って 次々と 二次感染が 広がり大変」

  「重症の 孫二人とも 回復を したが私は 遅れ納得」

  「高齢の 親父にだけは うつさない 御蔭様にて 何と食い止め」

  「健康が 何より一番 しみじみと 咳声聞きつ 朝を迎える」

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〇まちづくり学校「双海人」

 昨日の夜はまちづくり学校「双海人」の定例会でした。昨日は宇和島へ出張したり親父のデイサービスやショートステーの打ち合わせで、近くの特老にケアマネージャーを訪ねて打ち合わせをするなど、何かと忙しくうっかり忘れてしまうところでしたが、夕食を食べる間もなく参加しました。昨日のテーマは「地域おこし協力隊」についてでした。双海町には冨田さんが任期で退職したため、現在2人の隊員がいますが、その2人も来春には任期を迎えるため、地域の要望として隊員を確保したいという話です。

地域おこし協力隊2 地域おこし協力隊1 昨日は隊員の本多さんが地域おこし協力隊のイロハをレクチャーし、その後みんなでワークショップを行い意見を出し合いました。この4年間冨田さんや本多さん、川口さんたちよそ者が頑張ってくれたお蔭で、双海町の地域づくりもそれなりの成果を生み、それなりに発展していますが、来春2人が抜けるとゼロとなるのです。ゆえに地域としては最低3人、あわよくば4人くらい欲しいという意見があちこちから出されました。地域おこし協力隊の活動は地道だし、3年後の定住となると課題も多いようですが、冨田さんは既に日喰へ、本多さんも久保へそれぞれ移住を決意して家を借りて造作する等、着々と準備が進んでいるようですが、日常的に地域づくり活動をサポートする人がどうしても必要なのです。

 私たちの要望は市役所へ地域の総意として上げられる予定ですが、これほど地域おこしに実績を上げているにもかかわらず、上申しなければ動かず、市役所からは未だ前向きな反応がないことへの苦言も数多く出されました。合併して10年が経ちました。総合支所方式を掲げてスタートしたものの、支所の職員はどんどん減らされ、もし地域おこし協力隊の皆さんがいなくなったら、支所の機能は麻痺するのではないかと思えるほど減っているようです。そのためにも私たち地域住民の総意として是非3人から4人の地域おこし協力隊員が欲しいものです。その際いい人材を得るために、地域おこし協力隊経験者の意見も取り入れて欲しいと願っています。

  「3人の よそ者たちが やってきた 地域おこしは 大きな成果」

  「職員の 数の穴埋め しないよう もっと地域を 見つめて欲しい」

  「退職後 地域定住 決意して けなげに生きる 大きな拍手」

  「要望が なければやらぬ 行政の 上位下達の 姿勢何とか」

 

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〇どうしようか?

 わが家に庭には色々な樹種の庭木が植えられています。この時期になると足繁く降る雨の水分をいっぱい吸って、葉を繁らせていますが、黒松以外の樹種は枝を切ればそこから芽が伸び素人の私でも剪定作業ができますが、こと黒松となるとおいそれとはできず、さてどうしたものかと思案をしています。こんなことだったら親父が元気なうちに習っておくべきだったと後悔していますが、今となっては後の祭りといったところです。

わが家の庭の黒松
わが家の庭の黒松

 庭には何本か黒松の庭木があって、既にこの時期になるとローソクのような新芽が出ていて、早く処理をしなければ脇芽が出ないと、自分でできなくなった悔しさでしょうか親父は、天気のいい日には外に出て黒松の前でブツブツ言っているようです。まあなるようにしかならないので、とりあえず見よう見真似で、天気でも回復したらローソクのような新芽の摘み取り作業をしたいと思っています。

 最近はこうした庭木の剪定や草引きが嫌、あるいはできないため、庭のないマンションが好まれる傾向にあるようです。私は庭が好きで庭木を好んで植えてきました。これまでは親父がその全ての維持管理を一手に引き受けてやってくれていたので、何の疑いもなくそれらを観賞していましたが、これからは維持管理を自分がしなければならないので、庭木も程々がいいと思い始めました。勝手なものですね。

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大洲市田処ほたる祭り(その4・熊野神社の藤縄神楽)

 私たち年輪塾の一行は、ほたる音楽会が終ると、近くの熊野神社まで歩いて藤縄神楽を見に行きました。石段のあちこちにはまるで道しるべのように灯籠が置かれ、神社の境内広場には松明が焚かれて幻想的でした。薄暗い拝殿では既に神楽が始まっていて、大太鼓の腹に染みるような音と、小太鼓のリズミカルな音が交錯する中を、薄青色の袴を履いた踊り手が、拝殿を縦横無尽に動き回って、息の合った舞が披露されていました。

 もう10年近くも夜神楽を見学しているので、神楽社中の人とも顔見知りで、促されて拝殿の最前列の座布団に座り見学をさせてもらいました。やがて「月・日の舞」という演目が始まりました。月と太陽をあしらった丸いお盆を手の上に乗せ、器用に舞う社中の人に盛んに拍手が送られ、いよいよ体験神楽が始まり、一番手として私が指名され、二つのお盆を持って見よう見真似でお盆を落さないよう、注意しながらくるくる回りました。残念ながら今年も多少目が回って、観客の笑いを誘いましたが、いい経験をさせてもらい、その模様は同行した松本さんがfacebookに動画を投稿してくれていて、恥の上塗りといったところです。(大笑い)

 舞のお礼にお餅をいただき8時半ころ神社を後にして川沿いを飛ぶほたるを観賞しながら、旧田処小学校まで戻り、調理室をお借りして、ハープとギターの演奏者を交えた交流会に参加しました。地元の人たちが作ってくれた山菜中心の料理を美味しく食べながら、呑むほどに酔うほどに賑やかな楽しい交流会となりました。 
 例年私は田処のほたる祭りには妻と一緒に参加して泊まることなく、交流会が終った深夜に帰っていました。今年は午前中鳥取の藤原さんの対応もあって、泊まる覚悟で出かけましたが、水本先生が双海経由で帰る便に便乗させてもらい、自宅まで送っていただきました。鳥取の友と出会いに加え、年輪塾の夏学習を行い、ホタル音楽会、夜神楽見学、交流会とまあ凄くハードなスケジュールでしたが、とても充実した一日でした。

  「川沿いを 仲間連れ添い 神社まで 灯篭明かり 頼りに歩く」

  「境内に 松明焚かれ 薄明かり 太鼓の音に 合わせて神楽」

  「促され 見よう見真似で 神楽舞う 目が舞いヨロリ 爆笑さそう」

  「四部構成 思えるほどの 一日を 過ごしわが家へ 深夜に帰る」

 

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〇楽しかったホタル音楽会(その3)

 昨日は恒例の大洲市田処のホタル祭りでした。毎年このイベントには、愛媛県指定無形文化財藤縄神楽と講演会などがジョイントされていますが、今回はアメリカで活躍しているハーピスト古佐小基史さんとギタリスト笹島明夫さんをお迎えして、農村活性化センターでホタル音楽会が開かれました。ギターの演奏はこれまでにも何度か聞いたことはありますが、ハープの演奏は初めてなので、興味深々といったところで、とても楽しみにしていました。

ハープ演奏会1ハープ演奏会2 そもそもこの音楽会のきっかけは、元愛媛県警察本部長だった岸本さんや私の口つきで、特に岸本さんは現在九州産業局長の要職にありながら、わざわざ会場まで足を運んでもらう熱の入れようで、その熱意に報いようと、西田さんと亀本さんを中心に連日連夜実行委員会で準備を進め、今回の音楽会にこぎつけました。当日は満席になるほどお客さんが訪れ、初めて聞くハープの演奏に聞き入りました。田舎に住んでいる人たちににとって、ハープやギターの生の演奏を聴くことは滅多になく、知らない曲が殆どでしたが、みんな満足の手合いでした。

 今の若者たちはスマートフォンを利用して、様々な音楽を日常的に聴いています。一方古くなった昭和生まれの私たちは、音楽等たまにテレビで見聞きしたりカラオケで歌う程度で、音楽と暮らしは完全に遮断されているのです。古佐古さんの演奏の途中に挟んで話すトークを聞きながら、音楽が人間の健康にとって、とても大切だということを初めて知ることができました。かく言う私も残念ながら、ハーモニカの下手糞な演奏や、ハーモニカの演奏が入ったCDを聴く程度でお茶を濁していますが、これからはもう少し音楽にも興味を持ちたいと思いました。

  「振り返りゃ この一年も 音楽を 聴いていないと 深く反省」

  「若者は 耳にイヤホン 差し込んで 音楽聞きつ 歩いています」

  「若者が 口ずさむ歌 私には 理解し難い 時代が違う」

  「知らぬ歌 ばかリだったと 不満顔 無理もないです 田処サンソン」 

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〇新聞スクラップ

 このところ忙しくて止めてた新聞スクラップを始めてみようと思い立って、新聞を広げると新聞の見方読み方が少し違ってきたような気がします。私の新聞スクラップは、自分の住んでいる町に関することが殆どですが、時には色々な人が言っているためになる言葉もあって、結構楽しいものです。

img733img732 数日前の新聞に載っていた、下灘駅の開業80周年記念事業は、チラシや友人の松本さん、浜田さんからの情報に加え、わが息子も参加していたのである程度知っていましたが、下灘駅は私が始めて夕焼けプラットホームコンサートをやった思い出多い駅だけに、郷土史「双海町誌」を開けて読み返したりしました。

 また数日前の新聞の「単眼複眼」欄に載った「完熟トマト?」という松山の高橋文雄さんの投稿も興味があってスクラップしました。それらは全て机の下の資料カゴに無造作に入れていますが、若い頃から切り抜いた新聞や雑誌の記事は段ボール箱に入れられ、日の目を見ることもなく倉庫の隅に積まれていますが、そろそろ整理をしてみたいとも思っています。

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