人間牧場

〇孫の鯉幟

 最近は住宅事情が変ったからでしょうか、私の住んでいる田舎でも鯉幟を揚げる家庭が少なくなったような気がします。鯉幟は「鯉の滝登り」にちなんで、子どもの健やかな成長を願う端午の節句を祝う風習です。もう42年前も前のことですが、わが長男が誕生した時、親父は跡継ぎが出来たと大喜びをして、端午の節句も終った6月22日に生まれたというのに、その日のうちに親類の製材に鯉幟を立てる幟竿を注文したほどですから、いかに嬉しかったかが想像できるのです。

孫鯉のぼり 息子たち夫婦に長男希心が生まれたのは7年前の8月30日でしたが、初孫誕生は親父と同じよう気持ちながら、私は親父と違って幟竿までは注文しませんでした。明くる年の春先、若嫁の実家から内幟が贈られてきましたが、その際一緒に届いたのがこの幟でした。その後孫奏心が誕生した折も、染め抜きの幟が届きましたが、わが家に飾った幟を見ることもなく若嫁の父親は今年の1月に他界して、一目見せてあげたかったと後悔の念に駆られています。その武者幟が一昨日、今年も長男の手によって玄関先に飾られました。

 数日前私が揚げてやった15匹の鯉幟とともに、初夏の爽やかな風を受けてはためく様は何ともいえない田舎の風物です。庭のあちこちには皐月が咲いて、若草色の柿の新緑とともに、絵になる光景です。
 昨日の昼過ぎカメラを持った見ず知らずの人が、散歩をしている途中とかで鯉幟の風景が目に留まったらしく、わが家の玄関先に現れ、「写真を撮らせて下さい」といきなり言われました。私も「どうぞどうぞ」と言い、その人は首から提げたかなり高価と思われる一眼レフデジカメで何枚もの写真を撮っていました。お茶まで出してあげ、縁側に椅子を出して鯉幟、武者幟、さつきを眺めながら世間話をしましたが、どうやら広島の人のようでした。

  「武者幟 今年も玄関 先飾る 皐月の風に 爽やか揺れる」

  「鯉幟 写真撮らせて 見ず知らぬ 人があれこれ 写真を撮りて」

  「節句には 母が手造り 柏餅 食べた記憶が 今も脳裏に」

  「この幟 若嫁父が くれたけど 見ることもなく 他界旅立つ」

幟を贈ってくれたお父さんと若嫁の妹
幟を贈ってくれたお父さんと若嫁の妹
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人間牧場

〇格差があって格差のない社会

 昔の田舎は貧富の差が大きく、わが家のような貧乏人もいれば、下男やお手伝いさんを雇うような裕福な家もありまりました。しかし周りはツギハギだらけの衣服を着て、青鼻をたらしていた私たちのような子どもが普通でしたから、少し綺麗な身だしなみのよい友だちを見ても臆することなく、伸び伸びと貧乏人の子どもを謳歌していました。

 しかしいつの間にか世の中が変り、貧富の差はあるのでしょうが、みんな中流家庭化して、家並みも身だしなみも、乗っている車もそんなに極端な差を感じなくなって、いい時代になったとしみじみ思うのです。わが家は先代の親父までは代々漁師でしたが、私が子どものころは舵子と呼ばれていた若い漁師修業の人がいました。船頭である親父の元へ中学校を卒業したばかりの舵子さんが雇われて来て、一人前の漁師になるため7年ばかり修業していましたが、昔の船頭は何かにつけて指導が厳しく、下男ではなかったものの、傍で見ていてもハラハラするほどでした。

 その人は7年後暖簾分けのような形で独立し、その後立派な漁師さんになりましたが、私は親父がガンで倒れ、進学を諦めて地元に戻り親の漁船若吉丸の船長船頭として、その人の手助けを受けて漁師を7年間やりましたが、修業の甘さを露呈して残念ながらその後体調を崩したこともあって役場に転職してしまいました。しかし「船頭の息子と竹の身竿は役に立たない」、つまり竹の身竿は節の間に空気が入って浮くので役に立たないの諺どおりだと、自分の過去を恥じています。

 退職してサンデー毎日となりました。妻が近所の歯科医院に勤めているので、少しでも役に立ちたいと、自分では色々な手助けをしているつもりですが、前述のような私ゆえ、何かにつけて思い違いをしています。今朝も私が「わしはこの家のしもべのようだ」と妻にいえば、「あなたは手を出してくれるけれど口も出し過ぎる」と言われました。「あれもしといて、これもしといて」と妻から言われると必ず、一文句を言うらしいのです。拳拳服膺深く反省し、今朝も一輪車でさっそうと近くの県道までゴミを出しに行きました。小さな親切大きなお世話」かも・・・・・。

  「下男とは 今じゃ差別の 用語です 昔はそんな こともちらほら」

  「格差ある だけど格差の ない社会 貧乏人に 生まれよかった」

  「わが家では 私と親父 今無職 ゆえに片身の 狭い思いを」

  「古いゆえ 未だに亭主 関白と 胸張り生きる 私は馬鹿だ」 

 

 

 

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〇居ながらにして自宅から見えた昨日の夕日

 昨日の夕方夕食の準備が終ったところで妻は、組費の集金日なので隣りの組長さん宅へお金を払いに出かけました。昨年はわが家が組長当番だったので、代替わりした若嫁は何かと忙しそうでしたが、何事もなく無事その役目を終えました。代替わりしたと言いつつ組費は、まだ妻の財布から出費をしているようです。家を出てからものの5分ほどで妻は帰って来ましたが、「お父さん、今日の夕日は綺麗よ~。外に出て見たら!!」と誘ってくれました。

風力発電用風車の向うに沈む夕日
風力発電用風車の向うに沈む夕日
自宅から見える海に沈む夕日
自宅から見える海に沈む夕日

 急いで机の上のデジカメを持ち出し外に出て西の空を眺めると、それは綺麗な真ん丸い夕日が見えました。愛用のデジカメが一週間前に故障して、古いデジカメをとりあえず使っていますが、車庫屋上から、裏山からととりあえず2~3枚撮りながら、一人だけのにわか夕日観賞となりました。妻は私が夕日にこだわっていることを知っていて、お陰様で一日の終わりにいい夕日を見、しかも写真に収めることができていい一日でした。

 わが家は上灘川に沿って開けた谷筋にあります。そのため秋から春にかけては太陽が山の端を通るため日当たりが悪く悩みの種ですが、こればかりはどうすることもできません。しかし4月から8月までは太陽が真上を通るので居ながらにして自宅から、自慢の双海の夕日を存分に見ることができるのです。昨日の夕日はもう2度と見ることはできませんが、幸せなことにデジカメで撮った記録はその気になれば記憶として再現できるのです。天気の続く今日辺りは夕日のメッカシーサイド公園にでも出かけて綺麗な夕日をカメラに収めたいと思いますが、残念ながらカメラが・・・・。

  「お父さん 今日の夕日は 綺麗だよ 妻に言われて 庭で観賞」

  「居ながらに 自宅で見える 幸せを 感じつ夕日 写真に収め」

  「一眼の カメラ欲しくて 貯金箱 貯金してるが も少し足りぬ」

  「もう二度と 昨日の夕日 見えぬはず 写真は虚像 記憶に留め」

 

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〇タンポポの胞子飛ぶ頃

わが家の横にある甘夏柑主体の果樹園は、例年になく甘夏柑が不作で、毎年この時期全国の友人に送って喜ばれていましたが、今年は残念ながら送ることができないようです。ゆえに果樹園の中に足を踏み入れる回数が少ないため、園内のあちこちに無数のタンポポが咲き、早咲きのものは既に実を結んで種を飛ばす準備をしているようです。

タンポポ1 タンポポ2先日から知人や友人がこの無農薬果樹園にやって来て、お餅や団子作りに欠かせない食材にするため、ヨモギを摘んでいますが、タンポポに目をやる人は殆どなく、無造作に踏み潰して帰ってしまうようです。昨日そろそろ草刈りの準備をしようかと、園内を歩いていると、タンポポの実を無数に見つけました。地面に座り白い綿帽子に覆われたタンポポの球体に感心しながら見とれ、急いで自宅に帰ってタブレットを持って来て写真に収めました。

 それにしてもタンポポの球体は何とも不思議な幾何学模様で、人間でも作ることはできないようなち密さです。多分2~3日もすればこれらの胞子は風に乗って何処かへ飛んで行き、何処かの地面に新たな命を宿すのでしょうが、一茎折って手に持ち、口から思い切りタンポポに息を吹きかけると、軽い胞子は四方八方に飛び散りましたが、胞子の飛ぶ姿もまたまるでメルヘンの世界のようでした。

 何年か前私は、これまでの青少年を対象にした21世紀えひめニューフロンティアグループの活動を「今やれる青春」という一冊の本にしました。その冒頭の前書きに「感動はタンポポのように」という文章を書いていますが、そのことを思い出しながら、これからもそんな理想の生き方をして見たいものだと、タンポポの花や綿帽子をまざまざと見ました。

 

 

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〇届いた日本ラン・キンリョウヘン

 ツツジが咲き始めるこの時期になると、私の養蜂の師匠である西予市野村町山奥組の井上登さんから、蜜蜂の大好きな日本ラン・キンリョウヘンの話題がメールで届きます。今年の蜜蜂の動向やキンリョウヘンの咲き具合ですが、蜜蜂を飼い始めて6年目になるというのに、師匠の話に相槌は打てても相変わらず自分の近況は暗い話ばかりで、未だその域を脱せないのです。

師匠が持って来てくれたキンリョウヘンの切り花
師匠が持って来てくれたキンリョウヘンの切り花

 井上さんから貰ったキンリョウヘンの鉢植えも欲を出して一鉢を8鉢に増やしたため、今年は花芽が全然つかず、今年も井上さんから花の提供をしてもらわないと、養蜂がなり立たないのです。そんなこんなで一昨日井上さんは片道一時間半をかけてキンリョウヘンの切り花を人間牧場までわざわざ届けてくれました。いつものことながら頭の下がる思いで受け取り、早速タマネギネットを被せて、昨日巣箱の近くに置きましたが、さてどうなることやら、今年も不安の多い船出となりました。

 何故日本ランのキンリョウヘンにミツバチが集まるのかは、素人の私には知る由もありませんが、多分キンリョウヘンの花が出すフェロモンに似た匂いが蜜蜂を誘うのだと思うのです。既に養蜂のためこのフェロモンを科学的に作って発売しているそうですが、かなり高価なため蜂蜜を買った方が得策だと、巷では話されています。今はまだ朝晩肌冷えする外気温なので、毎年のことながら連休がショウブのような気がしています。

 わが家の庭にもツツジが、そしてわが家の果樹園にも柑橘系の花が咲き始めて、蜜源はたっぷりあるようで、既に一足先に入居した一箱は、盛んに蜜蜂たちが出入りして蜜を集めているようで、キンリョウヘンを置いた巣箱が気になって仕方がありません。これも養蜂のドキドキ感・ワクワク感なので大いに楽しみたいと思います。一週間後このブログで入居朗報を伝えれたらと、淡い期待をしています。

  「一時間 半も遠方 お師匠は キンリョウヘンを 持って来てくれ」

  「早速に キンリョウヘンに タマネギの ネットを被せ 巣箱の前に」

  「祈るよな 思いを込めて 見回るが あざ笑うよう 蜜蜂そっぽ」

  「今日もまた かくてありなん 明日こそは 一日千秋 心待ちする」

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人間牧場

〇豚糞が届きました

 人間牧場は海の見える瀬戸内海側にありますが、山の尾根にある朝ヶ峠を越え、矢落川の支流を下ると、そこは大洲市田処です。田処には私の親友亀本幸三さんや西田和子さんが住んでいますが、特に酪農を営む亀本さんは、私たち21世紀えひめニューフロンティアグループが主宰したフロンティア塾の塾生として、10年で40回の学習会に殆ど毎回休むことなく参加してくれました。

豚糞1 豚糞2 豚糞3 またその流れを引き継ぐような、私が塾長をしている年輪塾にも西田さんとともに塾生として参加する傍ら、分家大杉年輪塾を立ち上げ、大いに気を吐いていますが、3日前亀本さんから、腐葉土ストッカーを造ったと書いて配信したブログ記事を読んだらしく、浜田さんと二人で拾い集めた落ち葉を発酵させるため、「豚糞ぼかし」をプレゼントする旨連絡が入りました。昨日来客対応のため人間牧場へ行って見ると、立派な豚糞ぼかしが沢山ストッカの前に運ばれ山積みしていました。私は日ごろ牛糞しか使ったことがないので、豚糞ぼかしの効能は余り知りませんが、亀本さんの話によるとこの豚糞ぼかしは腐葉土作りには最適なようです。

 このように私には様々な分野で活躍している沢山の友人がいて、しかも何かにつけて気配りをしてくれるので大助かりです。私はこれまで様々な地域づくり活動をしてきましたが、今朝もう一本のアメーバブログに書いたように、自力本願でやってきたつもりでも、他力本願の部分が圧倒的多かったとしみじみ思うのです。
 早速近々暇を見つけてもう少し落ち葉を拾い集め、拾い集めた枯葉の上に豚糞ぼかしを振り撒いて、発酵させようと思っています。そして今年の秋からいよいよカブト虫の養殖も手掛け、子どもたちにプレゼントしてやりたいと思っています。亀本さんありがとうございました。

  「ブログ見た 親友早速 豚糞を 沢山車 積んで届ける」

  「ストッカー できて間のない 設備だが 仲間の援助 早くも操業」

  「自力では 出来ない仕事 多過ぎる 他力いただき 1+1=5」

  「カブト虫 養殖手掛け 子どもらに 来年夏は プレゼントする」

 

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人間牧場

〇夏野菜を植える準備

 これまで3日にあげず降っていた春の雨も、昨日の朝でようやく峠を越し、テレビの天気予報によると、これから1週間は晴れ間が続くようだと報じていました。このところの日照不足で野菜の値段も高くなっているようですが、わが家の菜園もいよいよ夏野菜の植え付けをする準備に取り掛かりました。昨日の午後は前日の夜連絡していた伊予市街の水口種苗店へ、苗物を取りに軽四トラックで出かけました。

いただいた野菜の苗物
いただいた野菜の苗物

 苗物店には私と同じような考えの人がひっきりなしに訪れ、ビニールハウス内の苗物を買い物籠に入れて買い求めていました。忙しく振る舞うお店の若主人夫妻に声をかけたあと、私の来訪を待っていてくれた水口マリ子は、メモ用紙に私の必要な苗物をマジックで「長ナス20本、トマト10本、キューリ10本・・・」などと書き込んで、早速持参したキャリーに詰め込んでくれました。今年の苗も丈夫に育っていて、豊作の予感がしました。

 水口マリ子さんとは長年のお友だちということもあって、苗物は全てお金を支払うこともなくいただきましたが、妻は毎年そのことに心を痛めていて、財布を持たせてくれましたが、ありがたいことに今年もご厚情に甘えてしまいました。ゴーヤとオクラを忘れたものの、今年もほぼ完璧に苗物を手に入れることができ、急いで引き返しました。帰宅後少しじゅるいかも知れないと思いつつ、はやる心で倉庫から耕運機を引き出して、一週間前中耕していた畑を再び中耕しました。

 どこに何を植えるか、未だに定まりませんが、今日は親父のデイサービス送りや午後から来客が2組予定されているので、今朝は毎朝の日課になっているウォーキングを止めて、野菜苗の植え付けをしようと思っています。既に昨日の夕方までに植えつけた苗に立てる、竹の支柱も準備も終わり、いよいよ夏に向って戦いが始まります。さあ気合を入れて美味しい夏野菜を作りましょうか。天気上々、気合十分、準備万端です。

  「今年も 昨年同様 苗貰い 家庭菜園 孤軍奮闘」

  「気がつけば まるで百姓 地下足袋を 履いて畑を 耕している」

  「わが内で 食べる野菜は 安全に 気をつけ自給 さらに高める」

  「日焼けして 逞しくなる わが顔を 元気そうだと みんなが誉める」

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〇あっ、リスだ!!

 昨日の早朝午前6時、小雨が降っていましたが、ゴム長靴に傘という出で立ちで、いつものように散歩に出かけました。いつもの杉木立の林に入って間もなくすると、自分の前の道に突然小さな動物がピョコンと現れました。私も驚きましたが相手の小動物も驚いたのか、しばらくの間私をじっと見つめていました。緊迫した空気が漂いましたが、痺れを切らした小動物は身の危険を感じたのか、木の上によじ登るように去って行きました。

日本リス 私の見た小動物は尾っぽがふさふさしたリスでした。子どもに小さい頃ねだられ、自宅でシマリスを飼ったことがありますが、私の見たリスには縞模様がないので、日本リスのようです。私はこれまで北海道を旅したときや外国に行った時、しょっちゅう郊外の公園や道沿いでリスを見かけましたが、私の町ではこれまで戸外や森でまざまざと、愛くるしいリスを見たのは今回が初めてでした。森の番人といわれるフクロウも鳴き声は聞くものの、ムササビも羽音は耳にするものの、夜行性ゆえ警戒心が強く、滅多に見ることはないのです。

 わが家の裏には孫たちが収穫を楽しむために、椎茸のホダ木を置いていますが、このところ生えた椎茸を何物かが食い荒らしているのを見かけるようになりました。かすかな物音に気がついてそっと近づきますが、結局真犯人は見つけることができませんでしたが、多分それはリスの仕業だったようです。孫たちにリスに出会ったことを話すと、「リスを捕まえよう」とか、「リスを育てたい」などと話が思わぬ方向に発展しましたが、多分警戒心の強いあのリスには、もう二度とお目にかかれないかも知れません。

  「林から いきなりリスが 飛び出して 私と対面 しばらく間」

  「そういえば 裏のホダ木の 椎茸を 食べた犯人 このリスかもと」

  「リス姿 見たと言うなり 孫たちは 探しに行こうと 早速興味」

  「いないはず リスがウロチョロ どこか変 気候変動 せいかも知れぬ」  

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人間牧場

〇先月の五行歌

 「行く春を 惜しむが如く 咲く花に 誘われあちこち 妻と二人で」。こんな駄作歌をつくるほど、今年の春は天候不順も何のそのといった感じで、近場ながら双海の桜、肱川丸山のシャクナゲやヤマブキ、大洲祇園の牡丹桜、松前晴光院の牡丹と一週間おきに花見を存分に楽しみました。「花づくり 花見る人は 別の人」といわれるように、それぞれの花はそれぞれの人が、それぞれの思いを込めて世話をしているので、特に私は長年花づくりにかかわり、花を育てる側にいたこともあって、その思いや苦労を知っているつもりなので、違った見方をすることができるのです。

 先日松山五行歌会の見山さんから届いていた先月の歌会報告を、足の怪我などもあって深く読むことをすっかり怠っていました。見山さんから4月歌会の締め切りを知らせるメールが入り、今月も慌てて締切日に即興で歌をつくり、メール便で送るという体たらくでした。そんな手間暇をかけずにつくった歌など、誰も読んでくれないはずなのに、見山さんは相変わらず丁寧に、欠席歌の末尾に私信を沿えて結果を送ってくれるのです。今月の私の歌は次の一首でした。

  植えたらいかん
  言われたが
  ポケット穴開け
  種落す
  双海菜の花今じゃ名物

 講評は次のことが書かれていました。
 ☆愛媛新聞紙上でも紹介されておりましたね。双海町の菜の花、見事でした。実際にポケットに穴をあけて植えられたとしたら、先見の明があったのかも?、信念を貫いて植えられた花は、自然の脅威をものともせず、毎年花を咲かせていくことでしょう。
 私にとって双海の菜の花も水仙も、海岸沿いに植えられた桜の花も、また朝真っ白、昼ピンク、夕方赤色に変化する酔芙蓉の花やアジサイも、全てが手塩にかけて育てた愛おしい花々なのです。

 家の周りにつつじの花が咲き始めました。最初エプロン会議の人たちが5万本の挿し木をしてものの見事に大失敗して、4万9千9百9十5本枯れた同じ時期、わが家で挿し木をして育てたつつじが畑の隅に植えられ、親父と私の世話で今では沢山の花を咲かかせるようになりました。「播かない種は生えないし植えない木は育たない」は、私の心に決めた花づくりの基本ですが、今もあいも変わらず着々、あちらこちらに種を播き花木を植え込んでいます。

  「五行歌の 歌に詠んでる 菜の花は おとぎ噺の ようで可笑しい」

  「播かぬ種 植えない木々は 育たない そんな気持ちで 今も時々」  

  「五万本 枯らした頃に わが庭で 挿し木した苗 今は立派に」

  「五行歌の 会員ぶって いるものの 劣等性の そしり拭えず」

 

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人間牧場

〇山折哲雄さんの教え

 先日友人の浜田さんから一通のメールが届きました。詳細はさて置いて、元日本国際文化センター所長だった夕焼け京都塾塾頭の、宗教哲学者山折哲雄さんの言った言葉のようでした。山折さんとはかつてわが町の夕日のミュージアムに来られた折、二人だけで対談したこともあるし、新聞や雑誌、著書等を読んで少なからず影響を受けている偉い先生です。加えて「夕焼け京都塾」という名前に引かれ浜田さんのメールを何度も読み返し、使い古しの封筒をくずかごから取り出して裏の余白にメモしました。

 メールには二つのことが書かれていました。ひとつは①出前の精神、②手づくりの気分、③身銭を切る覚悟について、もう一つは①自由に語り合える空間・広場をつくる、②若い世代に既得権益を譲る心構えについてでした。これらの教えを自分のこれまでの人生の生き方に当てはめて振り返れば、いちいち最もなことばかりで、すっかり納得してしまいました。私は自由に語り合える空間として「私設公民館・煙会所」を、青年の船で建国二百年のアメリカに行った昭和51年の明くる年、自宅の庭に手造りしました。僅か4畳半の囲炉裏を切った小さくて粗末な施設ですが、煙会所は沢山の人を全国から引き寄せたばかりでなく、双海町の夕日によるまちづくりの拠点ともなったのです。また訪れた青年たちに大きな影響を与えたのか、すでに青森県三戸郡倉石村の八心堂から鹿児島県奄美大島瀬戸内町の縁開所まで、実に17ヶ所も分家が出来ているのですから驚きです。

 約1千万円の身銭を切って10年前、瀬戸内海を一望できる標高130mの山に「私的研修施設・人間牧場」を造りました。もし私が人間牧場を造っていなかったら、退職後の10年はこうもリアルに、こうも充実してはいなかったのではないかと、しみじみ思うこの頃です。出前の精神であちらこちらに出かけては人の和みをつくり、恩返しのつもりで様々なまちづくりにボランティア参加していることも、山折さんの教えに近い感じがしています。若い世代に既得権益を譲ることも既に行なっていて、ただ今身辺整理といったところです。浜田さんからの一通のメールは、私のこれまでとこれからの生き方を説明するには十分過ぎるほどの教えです。「これまでの生き方がこれからの人生を決めるのでではなく、これからの生き方がこれまでの人生を決める」気概で、これからも報徳・恩返しを肝に銘じたいと思っています。

  「一通の メール友より 私宛 納得しつつ メモ紙書いて」

  「世の中にゃ 達人多く いるものと 自分未熟さ 振り返りつつ」

  「身銭切る 覚悟なければ 何事も 前に進まぬ これから先も」

  「欲捨てて 既得権益 譲ろうと あれやこれやと 画策最中」 

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