人間牧場

〇孫たちの大好きなイモリ

子どもたちが捕まえてきた怪獣もどきのイモリ
子どもたちが捕まえてきた怪獣もどきのイモリ

 子どもは何にでも関心を示すもので、犬猫ならある程度分りますが、虫類や爬虫類となると大人の私たちは「汚い」とか「危ない」「気持ち悪い」「不衛生」などと、一歩下がって身構えてしまうのです。団子虫のどこが可愛くて、臭い匂いのするカブト虫や腹が真っ赤なイモリのどこが格好いいのか分りません。ましてや夏祭りに出店している夜店の店先でカブト虫やクワガタをじっと見つめ、品定めしながら親に「買って買って」とねだる愛くるしい子どもの姿を、いつも目の当たりにして、不思議がるのです。

 今時の子どもは、ほおっておくと室内にとじこもってゲームをします。そうかといって戸外の遊びが嫌いな訳ではないので、親や周りが戸外にいざなってやればいいのでしょうが、親も室内の方が目が届きやすく、危険なことすることもないからと、安易な方法を選んでしまうのです。子どもは群れて遊びたいという気持ちを持っていますが、よその子どもが遊びに来ると家の中が汚れるからと、家の中へ入れることを拒む人が殆どで、行き場を失った子どもたちがたむろするのは結局、コンビニ駐車場のような場所になってしまうのです。

 今年のゴールデンウィークは久しぶりに悪ガキ孫軍団4人がわが家に集まりました。一番上の孫は今年から中学一年生になったので、小さい頃のような悪ガキぶりは発揮しませんが、後の3人はまあやりたい放題で、野球はするわサッカーはするわ、そこら辺に置いている段ボールや発泡スチロールを使って基地作りはするわの大騒動でした。 
 勿論虫網を持って川や水路を駆けずり回り、小魚や川ニナ、川カニ、川エビに加え、腹の赤いイモリを何匹も捕まえて帰りました。夕方可哀想だからと水路に放してやりましたが、イモリは愛くるしい姿でヨチヨチ歩きして茂みの中へ姿を消してて行きました。今頃あのイモリたちはどんな夢を見ているのでしょう。まるで金子みすゞの世界のようです。

  「悪ガキが 四人も揃い そこここで やりたい放題 楽しそうです」

  「捕まえた イモリのどこが 格好いい? 怪獣ダブらせ リアルな世界」

  「レアー等 現代用語を 涼しげに 使って子ども 動物戯れ」

  「金かけず 田舎で過ごす これもまた 価値ある遊び 思えば思え」

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇わが家のゴールデンウィーク

 昨日は松山市内に住む外孫二人が、娘に連れられてわが家にやって来ました。若嫁はゴールデンウィーク期間中は、一週間前に開店した実家の喫茶店での仕事があるため、わが家の孫二人の面倒は息子が見ることになっていて、どこにも行かず4人はわが家で様々な遊びをやっていました。ゲームをしたり自転車に乗ったりして遊んでいましたが、息子が近所の川へ虫取り網や虫篭等を持って小動物を取りに出かけたようです。

子どもの日 2時間ばかりして子ども四人はずぶ濡れになって意気揚々と引き上げて来ました。「おじいいちゃん、見て見て」と差し出す水の入った虫篭には、自分たちで捕まえたという小魚や手長エビ、川ガニ、イモリまで入っていました。ハヤやエビ、カニなら分りますが、イモリは腹が真っ赤で、いかにも気味の悪いグロテスクな姿をしているので、娘や妻は「気持ち悪い」といって近寄りたがりませんでしたが、孫たちにとってイモリはまさに怪獣に近い姿なので、憧れの小動物でもあるのです。

 わが家の3人の男の子がまだ小さい腕白盛りのころ、自分のタンスの衣服を全て取り出し、引き出しの中へ菓子箱にイモリを何匹も入れて育てようとして、知らずに開けたところ原の真っ赤なイモリが出てきて、卒倒するほど妻が驚いたという話や、田植えの終った隣りの田んぼに入ってイモリを捕まえようとして田圃を台無しにして、子どもを連れお詫びに行って叱られた思い出は、遠くて遠くない思い出のひとコマひとコマです。その息子たちも今ではいっぱしの大人になっているのです。

 昨晩は居間に四流れ布団を敷いてみんなで川の字になって寝ました。私と一緒に寝ていた孫は朝方、いつの間にか親元に移動していましたが、孫の寝姿を見ながら、今日子どもの日が44年目の、私たちの結婚記念日であることを思い出しました。44年間は過ぎてしまえばあっという間でしたし苦労も多かったけれど、ゆえに穏やかな今の暮らしがあるのだと実感しています。この上はこれからも今のような穏やかな暮らしをし続けたいものです。

  「川ガニや イモリ捕まえ 得意顔 孫の姿に 爺も納得」

  「危ないと 言っては何も させないと モヤシみたいな 子どもに育つ」

  「孫がいる ゆえにわが家は 活気ある 感謝しないと 罰が当たるぞ」

  「ド田舎も 今じゃ自慢の 種ですよ 腕白でもいい 大きく育て」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇無常の雨

 一週間前の天気予報では、今年のゴールデンウィークはどうやら好天に恵まれるようだと言っていましたが、昨日は夕方から雨という予報が外れ、昼前から雨が降り出し、午後は時々激しく降りだしました。シーサイド公園には朝から大勢の人が集まっていたようで、その客を当て込んでまちづくり学校双海人の皆さんは、昨年に引き続き昨日と今日の二日間、ピザ釜で一儲けをしようと企んでいるようですが、折からの雨で多少苦労したようで、今日の天候回復を祈っています。

夕日に映えるつつじの花
夕日に映えるつつじの花
この花も散って今は跡形もなく・・・
この花も散って今は跡形もなく・・・

「今年が一番綺麗に咲いた」と思えた、自宅の家庭菜園に沿った長いつつじの帯も、好天に恵まれて艶やかに咲いていましたが、昨日の雨で無常にも散り始め、よくぞ前日艶やかな花の写真を撮ったものだと、来年まで見られぬ花の美しさを、デジカメデーターやタブレットで再現し、デジタルで一人花見を楽しんでいます。実際には雨で散ってしまった花ですが、文明の利器のお蔭で、リアルでないリアルな姿を見ることができるのですから、すごい世の中です。

 今朝午前4時、いつものように早起きして書斎に入り、いつものように机に向いブログを書いていますが、窓のガラス戸に2~3匹蜜蜂が集まり静かな羽音を立てています。多分雨で散ったつつじのの花の蜜を吸うことができないことを、私に告げにやって来たようだと、一人蜜蜂に思いを寄せました。3日前3箱目の巣箱に蜜蜂が入居してくれましたが、人間牧場の巣箱はまだ一箱も入居しておらず、その様子を蜜蜂の師匠である井上さんにメールしたところ、今日の午後にも再び、蜜蜂誘引のための日本ラン・キンリョウヘンを持参してくれるようで、遅れていた巣箱の入居を、つつじに替わって咲き始めたみかんの花の蜜源を思いながら、大いに期待して朝を迎えました。

  「無常にも 雨がつつじの 花散らす 行き場失い 蜂が小窓に」

  「記録した 写真で花見 文明は 偉いもんだと 感心しきり」

  「傘差して 長靴履いて 散り残る 花見するのも 作りし努め」

  「つつじ散り 替わってミカン 花が咲く 田舎この時期 香り包まれ」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇4月の五行歌歌会結果

 まちづくり学校双海人の会合が終わり、帰宅してわが家の敷地内でつまずいて転び、足の三里を怪我して最悪コンデションの日に、松山五行歌代表の見山さんから欠席歌提出の督促携帯メールが入り、取るものもとりあえず送った五行歌作品ゆえに、結果はいつものように報告書が届くまで、どんな作品を送ったのかさえも、まったく忘れてしまっていました。

 先日その結果が届きましたが、相変わらずの駄作ながら何と驚いたことに、私の歌が欠席歌三席になっていました。その歌は次の一首です。
  たった一センチの
  石につまづく
  愚かさに
  歳はとれぬと
  自分歯がゆい

 歌の講評に次のように書かれていました。
 ☆一センチの石、ちょっとした段差やジュータンでもつまづくようになった歯がゆさ。弱る時は早いよというお話が実感できる世代には身につまされる歌ですね。その年になってみないと分らないという人からは、これからの自分だと思って詠みましたとの感想が。足がつまずくのも辛いけど、心がつまずくのはもっと辛いとの経験談も。つまずく自分が愚かだと思わぬよう、いろんな姿を受け入れて行くことも大切だと教えてくれる歌だと思います。

 見山さんの巻末私信には、「若松様、今月の歌、身につまされたひとりです。階段の昇り降りは手すりを持って・・・を心がけています。写真を見るとツライし、こんな日が来るとは思っておりませんでした。トホホ。5月の歌もどうぞよろしく。見山あつこ」と書かれていました。ちなみに出席歌一席は高市範子さんの次の歌でした。
  桜の花びらが
  突然舞う
  蝶のよう
  雪みたい
  何度も何度も風を待つ

 欠席歌の一席は松本るみこさんの次の歌でした。
  私のやる気スイッチ
  達成感
  やるじゃん
  やったじゃん
  やれるかも

  「最悪の 体調作った 五行歌が 三席入り 少し気休む」

  「一席の 歌と比較し 作風が どこか違うと 浅学恥じる」

  「今日辺り 一首作って 送ろうと 意気込むものの 思い浮かばず」

  「上達も せずに三年 早経った これでいいのだ いやいやこれじゃ」  

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇カメラが故障しました

 「お父さん、そんなにいつも持ち歩いたらカメラだって故障するのは当たり前」と、今回も妻にたしなめられましたが、手持ちの愛用デジカメが言うことを聞かなくなり、撮影不能となってしまいました。このカメラは保障期間が5年間ついているのでこれまでにも、2度無料で修理して貰った経緯があるので、今回も前回、前々回と同じように若嫁に頼んで修理に出しましたが、修理ポイントが残っていないようで、結局お払い箱で電子ゴミの末路を辿るようです。

故障したカメラを修理して昨日の夕日を撮影してみました。
故障したカメラを修理して昨日の夕日を撮影してみました。

 さて困ったと古いデジカメを取り出しバッテリーを充電して使い始めましたが、このカメラは接触が悪いらしく、時々ぐずって画面が乱れ、叩けば言うことを聞くのですが、そろそろこのカメラもお払い箱のようです。昨日壊れてもいいからと、時計を修理する時に使うような小さいプラスドラーバーで、カメラの表面裏面にあるネジを締めたところ、接続不能気味な画面が見事に修復されて、「私も中々やるわい」と自己満足するほどバッチグーでした。

 私は最近タブレット端末を使い始めました。携帯電話はガラケイで用が足りるので、年金暮らしゆえ余り金をかけることができないため、タブレット端末は月々の使用料が使い放題千百円程度の割安契約です。カメラ機能もついていることから、デジカメとタブレットを使い分けながら、何とかブログやfacebookに利用していますが、ブログも特にfacebookも、仲間のアップしている写真はどれも素晴らしい出来栄えで、腕の悪さも省みず、「カメラが悪いから」とカメラのせいにしています。

 もう直ぐ父の日です。子どもたち4人が「父の日のプレゼントは何がいい」と、そろそろ言ってきそうな予感なので、「カメラがいい」と言おうと思っています。ちなみに私のやっている貯金箱目的貯金も昨年分3万5千円をストックしているし、今年の分を合わせて欲しかった一眼レフデジカメを買いたいと思っています。善は急げとばかりに最近パソコンで、カメラのカタログを呼び出しながら、まるで子どものように買う前のワクワク感を楽しんでいます。

  「また故障? 父さんそれは 使い過ぎ 妻に言われて 納得手合い」

  「接触が 悪いと思い ドライバー 使いデジカメ 修理修復」

  「あれこれと パソコン画面 カタログを 見ては楽しむ まるで子どもだ」

  「父の日の プレゼントなど 狙ってる したたか親父 まるで子どもだ」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇新名所「海辺のくじらのお店の藤棚」

 私の住んでいる双海町は海岸線が、東西一直線に16キロ伸びています。私はこのきれいな海を来訪者に見せたくて、無機質と思える白いガードレールを、淡い空色のガードパイプに替えて欲しいと、国道を管理している当時の伊予土木事務所に掛け合いました。しかし維持さえ大変なのに16キロのガードレールを替えるなんてとんでもないと、私の唐突な申し出は一笑に付されました。

くじらというお店の横に出来た藤棚
くじらというお店の横に出来た藤棚
藤は今が見ごろです
藤は今が見ごろです

 国道に愛称をつけたいと伊予土木事務所に言った時も、国道に集落のランドマーク看板をつけて欲しいと言った時も、また国道沿いに夕観所や酔芙蓉の花を植えると言った時も全てそうでしたが、それでも根気よく希望を語りながら景観の必要性を折衝したお蔭で、国道の名前は「夕やけこやけライン」、夕観所も出来上がり、酔芙蓉も植えられ、集落看板もできたのですから驚きです。

 ましてやガードレールもいつの間にかガードパイプに全て替えられて、してやったりの心境ですが、海岸国道には菜の花や桜や水仙、酔芙蓉等の花々が四季を通じて咲き乱れ、海と見事にマッチして綺麗な景観を作り上げています。マンパワーも年々充実して、富貴浜の尾崎さんなどはたった一人で素敵な花畑スポットを作ってくれています。そしてつい最近、閏住の菜の花畑の直ぐ横に、私の妹がくじらという海産物の店を開いていますが、その空き地に、綺麗な藤の花の新名所が誕生しました。

 尾崎さんの指導や手助けで、何年か前藤棚を造ろうという話が持ち上がっていたことは知っていましたが、先日くじらの店に立ち寄ってみると、それは見事な花を垂らした藤棚ができ、来訪者が海を見ながらのんびり休憩している姿を見てビックリしてしまいました。ほんの小さなスポットですが、まさにマンパワーの成せる技です。くじらは閏住の菜の花によって支えられていますが、藤の花は万分の一のお返しかも知れないと、わが妹に大きな拍手を贈りました。

  「国道の 景観替えたい 一心で 様々発想 どうにかできた」

  「真心を 込めれば岩も 動かせる たかが一人も されど一人に」

  「藤棚が 人の心を 和ませる 綺麗綺麗と 虫まで集まる」

  「海と藤 見事にマッチ はいポーズ 二本三本 指まで立てて」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇息子は何をしてるやら?

 私は若い青年団時代から、50年半世紀にわたってまちづくりに携わっていますが、血は争えないというのでしょうか、同居しているわが長男息子も伊予市街地のまちづくりにかかわっているようで、どんなかかわり方をしたり何をしているのか分らぬまま、詮索もせずに遠目で見ていますが、最近は息子と一緒に活動している人たちが頻繁にfacebookに写真をアップしているので、写真の中に息子の姿を発見したりする機会が多くなりました。

草刈機で草を刈る息子一心
草刈機で草を刈る息子一心
私の麦藁帽子まで株って
私の麦藁帽子まで株って

 一昨日の夜息子が、「お父さん、明日の朝草刈機を貸してくれない?」といきなり私に言うのです。「何をするのか?」と尋ねると、どうやら活動拠点の施設裏空き地の雑草を刈るようでした。家の草刈りさえしたこともない、ましてや草刈機を使ったことも殆どない息子ゆえ、危ないと思いましたが、しぶしぶ了承しました。昨日の朝倉庫から私愛用の草刈機を取り出し、混合ガソリンを満タンにしてエンジンをテストしましたが、すこぶる順調のようでした。

 昨日は私も人間牧場へお客さんが来る予定だったので、さあ出かけようと庭に出てみると、私の愛車田舎のオープンカーが無くなっていました。どうやら息子が草刈機を積んで出かけたようでした。「しまった」と思いましたが後の祭りでした。仕方なく私は単車を出して、後の荷台に座布団を敷いて愛用の木になるカバンをくくりつけ出かけました。昨日は単車で走っても寒くもなく、むしろ気持ちのいいツーリングといったところでした

 私が自宅へ帰ったのは午後4時頃でしたが、息子は軽四トラックで孫たちと釣りに出かけたりして既に帰宅していましたが、自宅の雑草ストッカー横には、息子が刈り取った雑草がビニール袋に入れられ、行き場を失ってわが家に持ち帰られていました。「その処理はお父さんの役割」と言わんばかりです。昨夜facebookを見ていると、地域おこし協力隊の新居田さんが、昨日の活動の様子を写真つきでアップしていましたが、写真のあちこちに息子の姿が写っていました。

 息子が私と同じようにまちづくり活動に関心を示してくれることは、親としてとても満足しています。しかし息子はまちづくり活動に小道具類を沢山使っているようで、例えば最近始めたという「小さな映画会」に使うコタツや、DVD機材等がわが家の倉庫に大量に持ち込まれ、何かと片付かないのです。妻は「それもまたよし」と笑っていますが、片付ける役はいつも私なのです。「まあそれもまたよし」と自分も見て見ぬふりをしながら、今朝もこれから息子が持ち帰った雑草を、畑の緑肥に処分しようと思っています。

  「わが息子 近頃仲間と まちづくり 風の噂に 聞くこと多し」

  「カエルの子 やはりカエルと 納得し あれやこれやと 細々手伝う」

  「軽四の トラック先に 使われて 私は単車 どういうことか?」

  「よく見ると facebookの 写真にも 息子写って 活動紹介」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇珈琲店「珈人」の開店

 若嫁のお父さんが亡くなってから2ヶ月余が経ちました。65歳での旅立ちに嘆き悲しみ、戸惑いながら過ごしてきた妻の実家では、「さてこれからどうするか?」、色々考え悩んだ挙句、とりあえず亡くなったお父さんの意思を継いで、お母さんと若嫁が中心になって、お店を再会する結論に達したようです。その後紆余曲折を経ながらお店を再会する準備を、この1ヶ月余り忙しくやってきたようですが、一昨日の大安吉日を選んで開店したようです。前日朝早くから夜遅くまで準備をしたお母さんと若嫁は、疲れきって声もかすれるほど疲労困憊だったようですが、かつてのお客さんたちが多数お祝いに来店し、かつての賑わいを取り戻したようで、ひとまずホッとしています。

珈人回転1珈人開店2珈人開店3 これまではコーヒー豆の自家焙煎も、来客へのコーヒーを入れるのも、全てお父さんがやっていたようですが、それらをお母さんと若嫁が分担し、従業員2人を加えてやり始めましたが、喫茶店は日曜日を休みにしているものの、夜が少し遅かったり、祭日は店を開けるため、同居している孫の世話はとりあえず、息子と私と妻が少し手助けすることになりました。保育園のお迎えや夕食準備等、妻の苦労は相当なもので、年老いた親父の世話もあるし、妻の健康が少し心配です。そういいつつも私は気持ちは持っていても手助けにはならず、相変わらず亭主関白を地でいっています。

 若嫁は今年孫が通う保育園の、母の会の会長も引き受けていて、昨日は総会のようなものがあって、終わると直ぐにお店へ走っているようでした。若嫁は少し小太り(失礼)の健康そのもので、重いコーヒー豆を運んだり、長時間お店に立っていても、少々ではへこたれないようですが、子育ても加えるとこれもいっぱいいっぱいのようです。間もなくゴールデンウィークとなりますが、とりあえずゴールデンウィーク中にお店が軌道に乗ることを祈っています。
 昨日若嫁の妹橋本まなみさんがfacebookに、珈人開店のニュースを写真つきでアップしていました。

  「悲しみに 暮れてばかりは いられない 亡き人意志を 継いで開店」

  「母親と 娘で喫茶 店開き 先行き不安 それでも前へ」

  「私たち 少しだけでも 手助けを してやりたいと あれやこれやと」

  「若嫁も 元気を出して 遅くまで ご苦労さんと 言ってやりたい」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇孫の鯉幟

 最近は住宅事情が変ったからでしょうか、私の住んでいる田舎でも鯉幟を揚げる家庭が少なくなったような気がします。鯉幟は「鯉の滝登り」にちなんで、子どもの健やかな成長を願う端午の節句を祝う風習です。もう42年前も前のことですが、わが長男が誕生した時、親父は跡継ぎが出来たと大喜びをして、端午の節句も終った6月22日に生まれたというのに、その日のうちに親類の製材に鯉幟を立てる幟竿を注文したほどですから、いかに嬉しかったかが想像できるのです。

孫鯉のぼり 息子たち夫婦に長男希心が生まれたのは7年前の8月30日でしたが、初孫誕生は親父と同じよう気持ちながら、私は親父と違って幟竿までは注文しませんでした。明くる年の春先、若嫁の実家から内幟が贈られてきましたが、その際一緒に届いたのがこの幟でした。その後孫奏心が誕生した折も、染め抜きの幟が届きましたが、わが家に飾った幟を見ることもなく若嫁の父親は今年の1月に他界して、一目見せてあげたかったと後悔の念に駆られています。その武者幟が一昨日、今年も長男の手によって玄関先に飾られました。

 数日前私が揚げてやった15匹の鯉幟とともに、初夏の爽やかな風を受けてはためく様は何ともいえない田舎の風物です。庭のあちこちには皐月が咲いて、若草色の柿の新緑とともに、絵になる光景です。
 昨日の昼過ぎカメラを持った見ず知らずの人が、散歩をしている途中とかで鯉幟の風景が目に留まったらしく、わが家の玄関先に現れ、「写真を撮らせて下さい」といきなり言われました。私も「どうぞどうぞ」と言い、その人は首から提げたかなり高価と思われる一眼レフデジカメで何枚もの写真を撮っていました。お茶まで出してあげ、縁側に椅子を出して鯉幟、武者幟、さつきを眺めながら世間話をしましたが、どうやら広島の人のようでした。

  「武者幟 今年も玄関 先飾る 皐月の風に 爽やか揺れる」

  「鯉幟 写真撮らせて 見ず知らぬ 人があれこれ 写真を撮りて」

  「節句には 母が手造り 柏餅 食べた記憶が 今も脳裏に」

  「この幟 若嫁父が くれたけど 見ることもなく 他界旅立つ」

幟を贈ってくれたお父さんと若嫁の妹
幟を贈ってくれたお父さんと若嫁の妹
[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇格差があって格差のない社会

 昔の田舎は貧富の差が大きく、わが家のような貧乏人もいれば、下男やお手伝いさんを雇うような裕福な家もありまりました。しかし周りはツギハギだらけの衣服を着て、青鼻をたらしていた私たちのような子どもが普通でしたから、少し綺麗な身だしなみのよい友だちを見ても臆することなく、伸び伸びと貧乏人の子どもを謳歌していました。

 しかしいつの間にか世の中が変り、貧富の差はあるのでしょうが、みんな中流家庭化して、家並みも身だしなみも、乗っている車もそんなに極端な差を感じなくなって、いい時代になったとしみじみ思うのです。わが家は先代の親父までは代々漁師でしたが、私が子どものころは舵子と呼ばれていた若い漁師修業の人がいました。船頭である親父の元へ中学校を卒業したばかりの舵子さんが雇われて来て、一人前の漁師になるため7年ばかり修業していましたが、昔の船頭は何かにつけて指導が厳しく、下男ではなかったものの、傍で見ていてもハラハラするほどでした。

 その人は7年後暖簾分けのような形で独立し、その後立派な漁師さんになりましたが、私は親父がガンで倒れ、進学を諦めて地元に戻り親の漁船若吉丸の船長船頭として、その人の手助けを受けて漁師を7年間やりましたが、修業の甘さを露呈して残念ながらその後体調を崩したこともあって役場に転職してしまいました。しかし「船頭の息子と竹の身竿は役に立たない」、つまり竹の身竿は節の間に空気が入って浮くので役に立たないの諺どおりだと、自分の過去を恥じています。

 退職してサンデー毎日となりました。妻が近所の歯科医院に勤めているので、少しでも役に立ちたいと、自分では色々な手助けをしているつもりですが、前述のような私ゆえ、何かにつけて思い違いをしています。今朝も私が「わしはこの家のしもべのようだ」と妻にいえば、「あなたは手を出してくれるけれど口も出し過ぎる」と言われました。「あれもしといて、これもしといて」と妻から言われると必ず、一文句を言うらしいのです。拳拳服膺深く反省し、今朝も一輪車でさっそうと近くの県道までゴミを出しに行きました。小さな親切大きなお世話」かも・・・・・。

  「下男とは 今じゃ差別の 用語です 昔はそんな こともちらほら」

  「格差ある だけど格差の ない社会 貧乏人に 生まれよかった」

  「わが家では 私と親父 今無職 ゆえに片身の 狭い思いを」

  「古いゆえ 未だに亭主 関白と 胸張り生きる 私は馬鹿だ」 

 

 

 

[ この記事をシェアする ]